00:00
毎度、黙れ、ヤドロクです。
元気ですか?
いや、元気やったらええね、言うてね。
本日なんですけども、何にしようかな、と言うて悩んでたところ、テーマをくださる方もおられるわけでございますよ。
本日は、理想の先生ってなんやろか、というようなことでございます。
学生時代中は、もう遠い昔のことですから、先生との関わりとか、自分はどんな先生が好きやったかとか、いろんな話があるんですけども。
何やろうね。僕はですね、これは特殊な方かも分かりませんけどね、先生の当たりがええと言うんですか。
それは言い方というのもあるんやろうけど、いい先生に結構当たってきたと、自分ではそういうふうに思うとるんですよね。
小学校の頃からというんですかね。中学校入ってもそうやし、高校行っても備え悪ないし。
結局ね、学生時代というのは、そこそこええ先生に当たってきたというような自覚があるというんですか。
皆さんどうお考えか分かりません。何がええ先生かというのは難しいんですよ。
だからその、理想のということを言い出すと、これは自分にとっての、というようなことになってしまうんです。
どうしてもね、相手のことを見てしまう、生徒のことを見てしまうとね、生徒なんていうのは、ようけおるわけです。
いろんな子がおるわけですよね。いろんな子がおるのに、その子にとっても100点、この子にとっても100点というような先生というのは絶対出てけへんと思うんですよね、当たり前に。
そんな個々の人間を見れるようなね、聖徳太子でも無理ちゃうかというようなことですよ。
聖徳太子でも10人の話、いっぺんに聞くぐらいが限界ですって、これ。
やっぱり一クラスね、僕らの年なんていうのは40人ぐらいおったわけですよ。
今は20人から30人ぐらいの間ですかね、一クラス。
その子らの話をいっぺんに聞いて、その子ら一人一人におったことを言おうというのは、やっぱり人間の技ではないわなというようなことでございましてね。
どんなのがええかというと、それはね、環境というのはあります。小学校、中学校、高校とあります。
いわゆる大学、専門学校。大学っていうのは担任というようなシステムがまずもうないわな。
一つの区切り区切り。これは専門学校もそうかもしれん。
専門学校の場合は物によっては同じクラス、同じ先生というので過ごしていくというものもあるやろうなと思うんですよね。
いろんな、細分化されるからというようなことがあると思うんですよね。
だから結構悩んだら同じ先生に相談しに行く。相談の行きやすい人に行くというのね。
これね、年齢差というのもあると思うんですよ。
例えば小学校を言うたら、下は7歳から上は12歳まで。
先生の年齢というのは、大学出てから試験受かってから運の観音とやってたらだいたい23、和高でも23、4、5のどれかあたりの先生が担任になったりとかすることが多いと思うんですね。
03:07
それにも年齢差というのが等以上ある、一回り以上あるというようなことでございます。
徐々に徐々にこの年齢差というのは詰まっていくわけでございますね。
その辺のことも関係してくる。理想の先生って何やろうか。
小学校で言いますと、それはやっぱりね、話聞いてくれる人というのがわかりやすく、
子供の頃なんていうのは、大体先生に話しかけていったら答えてくれるのが当たり前というような感じというんですかね。
やっぱり学校でね、バーッと手を挙げて先生言おうと思ったらお母さんって、お母ちゃんって言ってしまったりね、ママ言ってしまったりというような間違いがあるぐらい近しい存在というのは、今はどうやろうね。
今の子供らはそんな風に考えていないかもわからないけどね。
僕らの時というのは、親の次には親しみのある立場におった人というような感覚がやっぱりあるし、だからこそいたずらしてもどこまで許されんねやろうと図るような態度というのかな、子供というのはとると思うんです。
ここまでやっても怒られへん。これやったら怒られるというのを知るのに、ものすごいいろんなことをするというんですか。
だから4月に学校が、クラス替えでも何でもいいですわ、入学でも、クラスになった時に最初の方をガチャガチャするというのは、それを各々の子供たちがみんなそれを先生に向かってやるから、先生大変やろうなという風に今になったら思うんですよ。
思い出というのはね、いろんな形で、やっぱり小学校の先生、印象に残っている先生、やっぱり入学した時のね、大阪の小学校に入学した時に、背の高いね、朝尾先生という先生、よく覚えてんね。
男の先生でね、背の高い眼鏡かけてね、あの目をしばしばさす先生やったんですよ。この先生もやっぱりなんか大柄な男の先生でしたけど、なんか優しかったなという印象があるんですよね。
その時に印象にあるというのは森本先生という女性の先生、これが3年4年の担当だったと思うんですけど、この先生にはね、本当にお世話になっているというか、思い出があるというのはね、
初めて親以外、学校の先生にほっぺたをどつかれたのがその先生なんですよ。これは全く僕が悪いことをして、悪いことと言っても何かこう、いたずらで何か物を壊したとかそういうことじゃなくてね、
いわゆる身体障害を持つクラスの子の呼び名というのは差別用語であったんですけど、僕は差別用語で呼んでるつもりじゃなくて、そういうふうに呼ぶんやと思って知らんとその言葉で読んだというようなことがありましてね、
それを聞いた先生がね、泣きながらほっぺたを何人か、僕だけじゃないんですよ、何人かのほっぺたをね、はつってたのを覚えてますわ。これね、この時はただ僕らがその物を知らずにそういう差別用語、きつい差別用語を使ってたというようなことに対して怒って泣いてる、悲しいから泣いてるって思ってたんやけどね、
06:11
このね、今考えたらというか大人になってから考えたらね、差別の重さというものの悲しみというか寂しさみたいなものがね、ぐっと練り込まれてたというか、大人になったらわかるんですよ。
だからそのどつかれたことが印象に残ってるって、それは今やったらですよ、暴力強者言うてね、えらい騒ぎになる可能性だってあるんですよ。
あの時のビンタというんですかね、思い出に残ってて、自分の一番最初に考えた差別のことを真剣に考えた時間になったというかね、なぜいけないのかっていうようなことをね、当時は先生の説明聞いてもよくわからんかったんですよ。
大人になって思い出したらね、これは重たいなというふうに思って、あの時洋をはつってくれたなというふうに思います。体で覚えさせるなんてことはできへんのですよ。
やっぱりその後の先生のお話、先生がなんで泣いてんのかっていうようなことを聞くとね、ぐっとくるというかね、ありがたかったなというふうに思うわけでございます。
子供生徒にありがたかったなと怒られて、ありがたかったなと今こうやって年いって思える先生っていうのは、ある意味理想の先生だなというふうに思うんですね。
しっかり考えのある、しっかり何やろうな、そこに思い入れがあるというような先生というふうに感じてますね。
小学校5、6年、川西先生という女の先生でございます。この先生はね、本当にお母ちゃんみたいな先生で、面倒見のいい、本当に生徒に好かれるような先生だってね。
僕はまあちょうど小学校6年の時には転校生の赤い女だったんですけども、その時もね、通知書を一応ね、6月の段階で出さなあかんとか言ってくれてね、名前呼ばれてね、下の名前で呼ばれるんですよ。
しんちゃんですから、しんいちですからね。しんいちって下の名前で呼ばれるんですよ。で、はいって言ったらね、あんた引っ越して向こうでもね、ようやれるように言うて、
なんかね、その時引っ越したらね、成績がオール語やったら自転車こうたる言われてたんですよ。言うたらね。それを先生に言うてて、オール語やったら自転車こうてくれる言うから俺がんばるわあえて先生に言うてたらね、
先生がね、おいで、ちょっとおいで言うて読んでね、通知書をね、これ引っ越しの時に持っていく通知書、今までの文付け立ったからなあえて見せたらオール語にしてくれたんね。
絶対そんなことあれへんね。オール語なんかありえへんね。あれへんの。どっかで自分分かってんね。
しかけど先生がね、もうそれ見た時僕ね、あの、涙がこう、目のところにぐっと溜まってきて、我慢するの大変やった覚えてるんですよ。
ありがとう先生言うて、言うたら覚えてるわ。うん、自転車こうてもらえるなあ言うて。
09:00
まあなんかね、嬉しかったなあ。まあそんな先生からしたら別に一学期の終わりとかでもないから、
まあ言うたら子供の僕よりもうちの家庭の事情環境を知ってたかどうかわからへんけども、あんな学期の途中でね、何座あって引っ越すってなったらまあ何座あるのやろうという察する部分があったんやと思うね。
だからそれ言うた時に先生が備えしてくれたら嬉しかったなあという風に覚えてるわけでございます。
それでまあ引っ越して、引っ越した先の京都の南部の小学校では西村先生という先生ね、この先生も同じようにビンタはつる先生でしたけど、
この先生に関してはまあ短い間でしたからね、一年も見てもらってへんのですけど、この先生はもう悪い生徒おったらビンタばーんとはつるような先生やったんですよ。
そうやけども、愛情がないかと言われたら、まあやっぱりあったほうやと思うんです。
で、生徒のね、卒業してからの生徒の名前とか顔をよく覚えてある先生やったの覚えてますわ。
僕、卒業してから何年も経って、僕なんか一年も見てもらってへんんやけど、あの元気か言うて声かけてくれはるような、だからまあやっぱりどう言うてもどっかに愛情があったんやなという風に思いますね。
中学校上がってからは国語の先生が一年のときに担当になったんですけど、この女の先生っていうのはこのときにね、ちょっと先生との距離っていうのがね、分かります。
なんでか言うと一年から二年に上がります。二年に上がると堀先生という先生ね、これは剣道部の顧問で僕も剣道部やったから、この先生若い先生やったんです。
大学出て何年目か先生やったんですけど、この先生に当たるんですけど、この先生に代わったときにこの一年生のときに見てもらった女の先生がね、これは苦労をかけたんですよ。
苦労をかけたというか本当にヤンチャな生徒が結構集まるクラスやったから、ほんまにその頃僕リージェントしたりとかいろいろそういうのがあったんでね。
なんか事件もあったし、事件も巻き起こしたし、その辺のことで好かれてなかったよね。自分は好かれてると思ってたよね、僕は。
だけどもう二年になって違うクラスの担任になったら、もうあんまり知らんみたいな感じにされてね、じゃあそんなもんか、知らんほうな感じの一種になったんやけど、
この二年、三年と僕は堀先生という剣道部の顧問の男の先生になるんですけど、この方とは僕は大人になるまで付き合いしてるんですよ。
で、先生のお父様が亡くなられた時に葬儀に参列したりとかね。この時もちょっとね、いろいろ学校内、先生がちょっと事件起こしたりとか、事件起こすというかね、大変なことやね。
それで禁止があったりとか、先生自身は悪くないんやけど、禁止があったりとかしてね、なんかその、それの流れもあって先生とぐっと近づいたというか。
で、まあ先生、家に訪ねて行ってね、結構車でかかるとこなんやけど、先生と訪ねて行って、先生元気出してくれって言って、先生がこれはおもんにやらないか言ってね、声かけて先生と一緒に話したりね。
その間に先生のお父さんが亡くなられて、気を落とさんといて先生と、そんな時期にね、お父さんがまた亡くなったもんやから、言うたらお父さんは自分の息子が職業上禁止してる間に亡くなってしまってるから、
12:03
なんかショックもあったりとかしてね、いろんなことあって、先生、先生、言ってたらまあ大人になるまで結構ね、その先生から車もうたりとかしましたから僕は。
なんでもうてんのか言うて、もうかもわかりませんけど、お前乗れ言うてね、車ないねん言うたら俺の乗れ言うてくれたりとかね。
なんかまあそういう人間的な付き合いと言うんかな、ものをもらってる付き合いと言うんかな、わからんけど。
僕は中2、中3ぐらいの時っていうのは、家でいろいろあったというのはね、これはまああの黙りやとオールド聞いていただいたら何があったっていうのはよくわかると思うんですけど、
まあちょっと家がフワフワしてる時というんですかね、まあこの時に。
まあ事情わかってくれてるというかね、まあ全然先生も事情知ってるので、これはもう僕が喋るからですけど、うちこんなんやで、うちこんなんやでって言うてたからなんですけどね。
それでまあちょっとあの最初のね、昼弁当持っていかへん時期があってね、でなんかまあお腹減るわね、若いから。
こんなん先生がね、おいちょっと来いつって呼ぶわけですよ。でお前ね弁当どれにしてあげて、いやまあお母ちゃん仕事一生懸命してるけど朝起きて弁当作れとは余裕あんねん、ちゅら話してね。
あそうかい、どんな車乗れ言うてね、でラーメン食べに連れてくれたりね。
でズボンがね、まあ言うたらやんちゃな先輩から持った違反のズボンしか持ってないんですよ。
でお前そんなズボンしかないんかと。
そんなまともなズボン買うでくれってお母ちゃんに言われへんでっていう話を何の気なしにしたらね。
こんなんおいちょ車乗れ言うてね。
で奈良のね制服売ってるとこまでね、行って、でズボン買え言うて。
でええの言うて言うたら、いや構えん言うて。
給料少ないですって23歳ぐらいの時の給料なんて十何万ちゃう?
そっからもう五千円ぐらい、五六千円するズボン生徒に買う?
買うてくれたわ。
でお前これ履け言うて。
これ俺学校の文章入れたせたからこれでいける言うてね。
うんなんかバーっと買うてくれてね。
帰りに俺お前も金ないからよ、飯食う金ないからよ言うて。
マクドナルドよってね、ハンバーガー二個買うてね。
一個お前食え言うて。
で一個俺食うわ言うてね。
もうこれ聞いただけでちょっと涙出るやろ。
こういうことがまだ僕の時代にはあったんよね。
うん。
で高校上がってから中はまあまあ工業家でしたから、
大して別にあれだけど生きなというかオシャレな他人の先生でね、男の先生。
あの僕らが入る前に卒業した女の生徒と結婚したというような破天荒な先生でございますけども、
今は離婚してるらしいんですけどね。
その先生つい去年ぐらいまで同じ高校にいたはったしね。
学年就任までなったはりましたよ。
もう教頭ぐらいまでなっとったかな分からんけど。
なったはって先生ももうそろそろ引退ね言うたはってね。
あそうですか先生言うてね。
まあうちの息子なんかが行ってる何年か前ですけどね。
息子なんかの工業家ですからそこの偉いさんとして追ってくれたりとかしてなるほどって言うてね。
お前息子が来るようになったんか。
うちの息子真面目でシャロ言うてね。
ほんまやなあ言うてね。
お前辞めたけど息子辞めへんやないか言うてね。
15:02
まあそんな話しながら。
先生あれからどのようになったんや。
私も離婚してるなあとかね。
いろんなことあって。
あの時なんでお前辞めたんやみたいな話ししながらね。
あの時こうでこうでっていうような話ししながらね。
昔話して先生な。
先生も元気で頑張っとくなあ言うて言うんだな。
分かってる分かってる言うて。
ありがとうなあ言うてね。
まあいろいろお話しさせてもらったりとかして。
僕はねこう言うてなんですけど当たった先生がみんなよろしいんだ。
だから学校中のほうが嫌や思ったことはないんですよ。
もう修学旅行や朝4時台に行ってね。
業務員のおじさんとコーヒー飲むような人間ですから。
だから理想の先生と言われるとどのタイプの先生も
いわゆる良い部分のどのタイプっていうのも
いろんな先生に当たってるんで。
これどっちもあるんですよ。
厳しくて物事を考えさせてくれる先生もA先生。
やっぱり家庭環境事情に寄り添ってくれて
物を聞いてくれる先生もA先生。
ある程度適度な距離感で事情を話し合う面白がる
いうのもA先生。
難しいですなあ。
理想の先生ってのはどうやらね。
ただしね今時の子供と僕らの時とは
それは当たり前に時代も違うし
考え方価値観というのはいろいろ違うんと思うんですよね。
そこで例えば同じような悩みを持っているようで
人間の悩みというのは変わらんから
同じような悩みを持っているようで
やっぱりちょっとどこか違うんちゃうかという風に思う。
この法制と一人一人に理想的な回答を
という風になった時に僕やったらどう考えるやろうかと
思うんだけど
僕なんかもともと距離感バグってる人間ですやんか。
だからやっぱりお前家どこやと
親どないやと
親どこの生まれやと
兄弟何によんねんと
お前親父何の仕事しとんねんとか
お母ちゃんパート行ってんのかとか
やっぱり細かく聞いてまうわなあ。
友達とのことでこなしてこなして
こんなんあんねんと言うたら
お前悩みすぎやぞと言うてみたら
気にするなあと言うてね
学校知らん何をしに来てるとこぞと言うて聞いたら
勉強やわなあと言うて
勉強はなんでせんなんねやと言うたら
将来選択肢を増やすためやわなあと言うてね。
友達ってのは大事なもんやけども
何が一番と言うたら
ほんまに友達が一番かと言うたら
ちゃうんややっぱ自分の人生が一番やねんと言うて
どこまで行ってもね。
だからまあ人間関係の構築とかね
コミュニケーションの能力の向上なんて
そこも学校で学ぶべきやというようなとこはありますせえ
ありますけども
ほんまはもっとちっちゃいときに
終わらしとかなあかんようなとこ
っていうような感覚でしょうね
僕らの年代やったら
今はそうじゃないんやね
だからすっとばしてんねや
ちっちゃいときから
本来なら教えていかなあかんかった
コミュニケーションの部分をすっとばして
まあ受験勉強やったりとかね
勉強できるできへんね
18:00
就職よくできるできへんとか
そんなことにやっぱり特化していって
なんでか言ったら
これはあの国の政策で
ゆとり教育や言うたらろくなんならへん
ゆとりの世代や言うてろくなんならへん
こんなこと詰め込みや言うてやらなあかんような
単調解決事業増やす
そういう政策に右を左をしてんのが
先生なんですよ
はっきり言うてね
受ける側なんちゅうのは
あの先生が来ないせいで
ああそうでっか言うて
言うだけのことだね
難儀なのは教えるほうだね
はっきり言うて
ただね
ただしですよ
これは僕は先生の方で来たから思うけど
問題のある先生がおらんかったか言うたら
生徒から見た問題のある先生と
先生
同じ先生側から見た問題のある先生と
いろんなタイプがあるわけですよね
これ
まあまあ中にはやっぱりね
あの子供ちゅうのは
まあ敏感ですから
愛情あってどつかれんのんと
愛情なくどつかれんのは
敏感に察知しますせと
言うようなことなんです
まあどつく言うのは
まあ当時のことね
今はないでしょうけど
その
例えば厳しいことを言う一つにしても
そこに愛情があるのか
救いがあるのか
ないのか
ということですわな
だから僕らやったら
例えば
高校で赤点取った
先生と仲良かった
先生
言うて
これどないかななんの
ほんまは夏来ても
あかんにゃ
補修来ても
お前あかんねんけどな
こないこないして
こないしたら
なんとか助けたら
って言うに
言うてくれた先生がおる
これはありがたいよね
だけど今の先生はやっぱり
それはもう無理で
終わっちゃうって
なんでかって他の先生とも
いっぱいおるから
うん
もう時間かけてられんと
お前のんだけにと
ほとんど学校に来たはった人らが
ほとんどでね
1週間ほど休みがあったら
そのうちに旅行行くとか
いうようなことやったような
気しますわ
学校に大体先生
いたはったような
イメージありますね
今は
それがどうなってんのか
わかりませんけど
えーなんかね
その
結構病んでね
病欠してる先生も
確かに僕らの時もおったし
先生同士の中でどうや
中学校の時に
あのー
3級で休まる先生の代わりに
3級で休まる先生の代わりに
音楽の先生が
あのー
講師で来たことがあるんです
これがまた大学出たての若い先生でね
藤原先生って言うんですけど
この先生も
もう若いんだ
で僕らもう14、5だね
でその先生に
まあ10ほどしか変わらへんわけですよ
面白い先生でね
まあ音題出たばっかりやから
もうその
まあでラッパ奏者なんですよ
あのホルンって言うんかな
ホルン奏者やから
もう来たら
初っ端からなんか
ホーストなんか
ジョーゴみたいなんで
ラッパ作って
ボーって鳴らしてくれたりね
なんかそんなんで
おもろかったやん
で話も合うんですよ
で何よりも
ヘビースモーカーやって
もう机の上
灰皿も
タバコの灰
満タンやって
いじっても
で僕らはまあ
藤原先生のところ
机のところ見たら
先生吸いすぎやで
って言うて
ねーもう
みんなみんな
言うてね
そんなやるぐらい
まあおもろい先生
でこれはもう
あのー
結構ほがらかながる先生
でこの先生も
ちゃんと試験受けて
受かったら
21:00
どっかに
配属になんにや
言うて言うたってね
僕ら1年ほどしか見ても
持てんけど
先生新しいとこ配属になったら
教えてな
言うて言うて
分かった分かった
ほんまに
ちゃんとほんまに
それで教えてくれて
僕ら京都の一番
南にあった町ですけど
京都の一番
北にある
久美浜というような
ところの町の
先生になる
言うことになってね
先生遠いでと
遊びに行かれんがな
言うたら
青か遠かっても
電車乗ったら来れるわ
言うてね
言うてくれて
高校生になってからですよ
なってから夏に
遊びに来いや
言う話になって
先生行くやんよって
行ってね
電車でね
お金ないから
ドンコー乗って
久美浜まで
京都の北までね
京都駅から6時間ぐらい
かかりまんね
それ乗って行って
駅降りたらね
車でね
当時のフォードの車で
会社やね
なんかシャレだ
乗っとんない
言うてね
言うてたけど
赤いフォードやったわ
迎えに来てね
生徒のマラソン大会用に
各席付いたんね
大体がね
先生の車ってあんねん
そういう若手の先生の車って
乗るでしょ
言うてね
先生
いいやん
こんなん俺ら
もう高校だったから
もう全然楽しいわ
もう先生が
何か注意せなあかんことは
ないからなって
釣れみたいなもんや
言う感じでね
先生も気楽なもんじゃ
言うて夏休みやし
言うて
俺ちょっと学校行かんなんけど
お前ら適当に家で
酒でも飲んどきゃ
みたいな感じで
酒飲んであかんねんね
まだ16やから
あかんねんけど
そんな感じの雰囲気で
車でバー言うたらね
前をね
全然ゆっくりした車がね
もうちょっと軽く
ふらふら蛇行してんねん
酒飲んでんのか
おじいなんか分からへんけど
ふらふらふらふらしてんねん
でよぱっと見たら
おじいちゃんを思ってたら
若いやつやねん
若いやつがもう
なんちゅうの
嫌がらせというか
トロトロ運転で
右行ったり左行ったり
ゆらゆらゆらゆら
揺れてまんねん
こんなアホんだらら
思ってね
僕はその
先生の車の各席を取って
口で
うううううう
言うてね
前の車は左に寄せなさい
前の車は左に寄せなさい
言うたら
前の車は左に寄せなさい
言うたら
もう警察や思うやん
誰でも
でまーって
カッチカッチ鳴らして
前の車が左に寄せる
でその横を
通り過ぎながら
ありがとう
言うてね
通り過ぎて
やってる先生に
お前やめてくれと
ここお前
ここお前地元やで
俺今言うて
そんなバレたら
どらやすんねん
で大丈夫大丈夫
言うてね
そんな遊びを
許してくれるような
先生やったんで
中学校の先生ですよ
僕はもう高校生になってましたけど
でそこで
2泊3日かな
ぐらいしたんです
2年連続行ったね
僕そういう確か
でだから
まあなんか
その先生行って
向こうの温泉入りに行こうぜ
とかね
でまたね
これおもろいことに
この先生が借りた家が
船屋でね
下に船つける
とこがある
海沿いのね
とこに借りて
ええやろ
言うて
先生船乗んのか
言ったら
そんなもん乗るか
言うてね
もう下を降りて行ったら
地下みたいなところにね
もう海の波が
チャプチャプ来てるんですよ
でそこから
扉みたいなの開けたら
船でわーっと
海に出れるという
とこを借りたかったんです
ええかな
これ先生
情緒があるかな
言うて
2階の窓パーっと開けたら
もう下は海なんですよ
釣り糸垂らせれるんですよ
でそういうとこに行って
でああー
24:00
言って
まあ先生も
夏休みやから
夕方ぐらいバーっと帰ってきて
クラブ終わったんじゃ
言うてね
で暑いので
クーラーなんか
かけたら電気代もったいないから
で扇風機バーっとかけながら
ビール飲もうけー
言うて
ビールバーっと飲んで
まあそれも時効だっせ
ビール飲んで
うまいがなー
言うてね
でテレビバーっとかけてね
で野球か何か
甲子園の何や
結果や何や
見ながらね
ビール飲みながら
で先生これ
嫁さんどないすんねんな
みたいな話をね
でまだお前
俺お前26やで
まだまだ
何言うてね
先生と
これもう
海を増やせよやで
言うて
子供減ってきてねんから
言うて
そんな話しながら
そうやな
どないしようかな
言うてね
言うてもね
何やあの
いやまあそれが恩恵やと
いやおるんかいな
言う話なんで
まあ16とね
20
まあ24、5ですわ
うん
まあまあ
9つとぐらいのもんですからね
いやおるんかいな
ええがな
言うて
しやけどお前
ここ読んでは
お前無理やで
まあ確かに
ここ読んでは
あかんわな
みたいな話してたんやけど
僕らが
まあ次の年も行ったんですよ
その時は
もう付き合ってたん
先生付き合ってね
で言うて
やってんがな
言うて
ええがな
言うてね僕ら
まあ去年
俺らが言うた通り
やっぱガッと落ちてよかったやな
言うて
借りる家
借り
違う家になってんのよ
あの船宿らしたんやで
いやあそこはあかんと
あんなとこに呼ばれへんやろう
言うて
いやそりゃそうや
言うてね
でちょっと広めの
2階建ての家
ええ
なんかこっつい家
借りてまんねんや
先生広いがな
これ
ここやって呼べるやろう
言うて
いやそりゃそうや
言うて
でまあ
僕ら帰って
次の年にはもう結婚したって
もう子供生まれんね
7、8ぐらいのときに
子供産んだ春から
もう
その子供が
32になってるわ
ええ
えらい歳いこで
ええ
もう先生も
もう引退ちゃうんかいね
もう70代やわな
60代か
うん
なって
だから
先生に対しての思い出
ちな僕言うんです
まあこの
いろんな先生の流れの中から
理想の先生って言われたら
誰や
言われたら
難しいんですよ
寄り添ってくれる
そばにいてくれる
近しい関係で
追ってくれる先生も
おりゃ
そうじゃない
こう
わかるように
悟してくれる
時間が経てば
それと気づくように
これも難しいね
ええ
なんやろね
聞いてくれる
まあ
自分がじゃあ
なったとしたら
って言うたら
まあ
僕なんか
もう
細かい性格やし
距離感バグってますからね
大概
全部聞くと思います
さっき言うたみたいに
お前
生まれはここか
親はどこや
親何人兄弟や
自分は何人兄弟や
お母ちゃん何人兄弟や
おじいちゃんおばあちゃん
おじいちゃんおばあちゃん
どこに住んでんねん
どういうふうに
育ってきたんや
お父ちゃんお母ちゃん
何人兄弟や
そんなこと
バーッと聞いていくわな
で
君はこういうふうに
育ったんか
家庭環境どうや
家に金はあんのか
お父ちゃんの女癖どうや
金使いどうや
みんな聞いていくわね
君はこういう時に
こういうことを
人に言われたら
なんでこう感じるんか
27:00
考えたことあるか
っていうふうに
聞いてまうわな
うん
いやなんか
いじめられる原因が
あるんかもしれんって
自分でも言うかもしれんけど
そりゃそうやけども
自分がそう思うということは
自分がそこは
自分のウィークポイントや
というのは
よくわかっている
ということやわな
言って話していくでしょうな
うん
そうやけどそれってね
よく考えたことある
ものすごい時間使うね
自分のプライベート削んね
大人が
1時間2時間
その子に
その子に
時間を使うということが
どんだけ
価値のあることか
っていうことを
その若い子らが
わかってくれりゃ
やるべきなんや
と思うんですよ
で
僕らんかは
今この年になって
自分たちの先生が
やってくれたことを
こうやって思い出して
よく覚えてて
思い出して
かみしめれる
っていうことは
あの先生らに
やったことは
無駄にしてないと
僕は思ってるんですよね
語れるということは
ですよ
そうやけど
やっぱり
今の子らに
その価値まで
教えるということ
っていうのは
僕は難しいんじゃないかなと
思ってます
全部が全部じゃないですよ
中にはわかってくれる子も
おるやろうけどね
そこの価値を
まずね
自分が
そこの価値を
まずね
親とか
他の大人が
子供らに
教えて
来てない
で
僕らは
大人が
自分らに
時間使ってくれたら
それは価値のあることや
というのは
なんとなく
育ってきて
こう
なんていうのかな
価値が
なんとなくある
っていうことは
わかってる
どれくらいの価値かって
今考えたら
わからんことやけど
でしょ
一人の大人が
自分の相談ごとに対して
時間を使ってくれてる
子供らに
嬉しさがあるんよ
そうやけど
それは
今の子供らに
はっきり
こうなんやで
って価値を教える
ということは
難しいんやと思う
例えば
あなた一人の
悩みごとに
先生が
例えば
30分
1時間聞いて
あーでもない
こうでもない
こないしたら
えんちゃうか
あないしたら
えんかって
やったんのはえん
やったるけど
やってもうた子供が
先生ありがとうって
聞いてくれてありがとうって
思えるかどうかやと思う
だから感じられへんやったら
やめたほうがいいなと
僕は思うんよね
そこやと思うね
で今の
僕なんかも
音楽スタジオやってて
いろんな若い子と
関わってきたけど
この価値分かる人
いてないです
13年ぐらいやったけど
ほとんど
分かってるや
って言う人
おるけど
分かってないです
何にも
じゃあ僕は
思ってます
でも
じゃあ僕は
それ指摘えへんかった
から言うたら
やっぱり
やめたほうがいいな
と僕は思うんよね
うん
そこやと思うね
だから言うたら
やっぱり時間使って
やってきてるし
で分かってへんかったら
もうかまえへん
という諦め
は大事なんですよ
やってる側にも
自分の経験になるな
思って
あー
こんだけやったっても
分からへんやな
それでええわ
って
うん
で分かってくれてる子は
もちろんじゃあ
ゼロなんかやったら
そうではないのよ
もちろんそうではないよ
分かる子もおるんよ
分かる子って
誰か分かる?
それで言うたら
僕のチャンネル
聞いてる方
分かると思うけど
30:00
分かる子は
僕しょっちゅう
電話してるよね
今でもって
電話でしゃべってるよね
って
これ後輩やったり
とかしますけど
うん
それ今でも
付き合いしてくれてる
ってことは
その値打ちが
分かってくれてる人
で今でも
連絡取ってる人
おるやろ
トラッカーの
のぶちゃんなんかは
そうよね
やっぱ先輩として
いろんなこと
時間使ってやってきて
お互いに時間使ってきて
分かってくれた
で今でも
電話してます
いうことやわな
付き合い続く
ってことやから
そう思うのよね
結局ね
最初的に
人間同士の付き合い
なるんよこれ
先生と生徒とか
先輩と後輩
とか
そんなもん
消えていくわな
はっきり言うて
っていうことやね
一対一になるし
お友達
とか
世話になった先生
でもその
付き合いの仕方は
変わると思うのよね
そこまで行くか
言われたら
難しいよ理想って
そんなの
十何年
やって
十何年
僕らの音楽
やり始めてからの
後輩やから
三十何年
やって
一人とか
二人とか
そんなやのに
そんなもん
パッとやって
パッとできたら
苦労せえへんわな
と僕は思う
うん
だから理解されへん
けど
じゃあ
理解されんかったら
理想の先生って
どうやって
なっていくね
言うたら
もう
自分自身の
思い込みでしか
もうないわけよね
これでええんや
この形や
というのを
持つしかないよねって
だから
自己満足やね
結果
うん
なんか
自己満足の
理想やねん
そうでないと
それを持ち続けないと
保たれへんやん
みんな精神的に
病んで
休まる先生とかも
出てくるのは
そこやと思うな
うん
なんか
やっぱり
その理想を掲げたまま
負けへんのは
ある意味
そういう先生で
こう何やろ
頑固で
ゆうず機関先生
いっぱいおったけど
あの先生らっていうのは
今考えたら
その理想を
持ち続けるしかなかったし
それで
やっぱり
なんとか
保ったはった人だな
と思ったら
今考えたら
あんな先生らも
悪い先生ではないな
と思えるんですよ
うん
何をやったか
っていうので
また別ですね
悪いこと
しちゃう人も
おるからね
中には
うん
じゃけど
理想の教師中の
やっぱりどっかで
その
負けない自分の
自己満足を
持ってる人
というんですかね
うん
なんか
そんな風に
意識的に
こう
例えば
僕に起こった
出来事と
自分の理想像
自分ならどうするか
という風に
考えたら
まあやっぱり
ゆるがなく
自己満足を
持っとくという
ようなこと
でしょうね
うん
なんか
これ以上の
話になってくると
まあやっぱり
な
オールドで話す
っていうような
形になると思います
これはまあ
どういう風に
感じるか
分からへんけど
理想の教師って
もうちょっと
深いとこに
オールドで入れたらな
と思うんですよね
うん
33:00
やっぱり
あの
ここでね
あの
名前をこう
出したり
伏せたり
いうのがあって
出せる人もおりゃ
出せへん人も
おるしの
ところでね
あのもっと
じゃあ僕が
人に教える立場
やったりとか
まあ
小学校に授業行ったこと
とか
人権学習の時にね
行ったりとか
やったりしてること
とかの話は
全部オールドの方で
話すかなと思うんですよね
これはまあ
小学校の名前とか
色んな金屋があるんでね
こういう名称が
出てきてしまうし
うん
まあその辺の
こと
自分で
まあ自分が
やってきたことの
失敗であるとかは
もう
オールドの方で
話します
えへへへへ
ねえずるいなあ
と思うかも
分からへんけども
それはやっぱり
有料版の方は
もう濃くいかんとね
そんな風に
思ってますよ
ということでございまして
理想の教師
だよねやろうなあ
皆さん