承認欲求と「選ばれる」こと
おはようございます、フユコです。 さあ、シリーズ人生の主語を取り戻す。
今日から第5章に入ります。 第5章のテーマは
承認欲求です。 これねー
承認欲求が強いとダメだよ、みたいな話ではないです。 むしろ私は承認欲求って、実は人間らしいものだと思っています。
誰かに認められたら嬉しい。 褒められたら嬉しい。
必要とされたら嬉しい。 そして選ばれたら嬉しい。
今日はまずこのね、選ばれるということから承認欲求を読み解いてみたいと思います。 さあ皆様、最近何かに選ばれなかったことってありますか?
仕事で、 プロジェクトとかでもいいですね、プロジェクトリーダーでもいいですが、自分ではなく別の人が選ばれた。
楽しそうな集まりに自分だけ誘われなかった。 オーディションに落ちた。
転職の試験に採用されなかった。 好きな人に
自分ではない誰かを選ばれた。 SNSでもありますよね。
同じような発信をしている人がどんどん声をかけられている。 仕事を依頼されている。
人に紹介されている。 自分には何も来ない。
そんな時胸のあたりがザワッとする。 なんで私じゃないんだろう。
あの人と私、何が違うんだろう。 私には何か足りないのかな。
そしてもう少し苦しくなると。 私って価値がないのかな。
ここまで言ってしまう。でもちょっと待ってください。 お嬢さん、ちょっと待ってください。
ここで今日も事実を分けてみませんか。
はい、起きたことはね、今回は自分が選ばれなかった。 ここまでです。
だけど私たちの頭の中ではその後にいろんな言葉がくっついてきますね。 選ばれなかったから
必要とされていないになり 魅力がなかったまで行き
能力がなかったまで行く。 そしてあの人より劣っている。
さらに私には価値はない。 いつの間にか一つの選択の結果が自分という人間全体の評価に変わっています。
ではなぜ選ばれるとこんなに嬉しいと感じるのでしょうか。
例えば10人の中からあなたにお願いしたいですって言われる。 嬉しいですよね。仕事なら自分の能力や実績が評価されたのかもしれない。
恋愛ならあなたがいいそう言われた。 友人関係だったら一緒に行こう。
そう誘われた。 選ばれるという出来事には
あなたがいいというメッセージが含まれています。 だから嬉しい。ここは何の問題もないの。喜んでいいの。
ところがこれが繰り返される中であるものがくっつくことがある。
選ばれる私と価値がある私ここがイコールになってしまうことがある。 そうするとね
逆側も成立するようになってしまう。 選ばれない私イコール価値がない私ここから選ばれることの意味が変わっちゃうんだよね。
選ばれたら嬉しいではなく選ばれたら安心する。 よかった私まだ大丈夫。
そして選ばれなかったら単に残念なのではなく不安になる。
えっ私もう必要とされてない? 価値が下がった?このままで大丈夫?
これ、昨日までお話ししていた評価と価値これがくっついている状態ともつながってるよね。
選ばれるための人生が始まる。 今日一番お話ししたいのはここです。
「選ばれる」が自己価値と結びつくメカニズム
選ばれることと自分の価値これが結びつくと私たちって少しずつ人生の選び方まで変わっていっちゃうのね。
本来だったら私は何をしたい?だったものがどうしたら選ばれる?になる。
仕事だったら私はどんな仕事がしたい?ではなくどんな仕事だったら採用される?になる。
発信だったら私は何を届けたい?ではなく何を発信したら伸びる?になっちゃう。
人間関係だったら私はこの人と一緒にいたい?ではなくどうしたらこの人に好かれる?になっちゃう。
ここで人生の主語が静かに移るんですね。
自分が選ぶ側だったはずなのに、いつの間にか選ばれる側として人生を生き始めてしまう。
これめちゃくちゃ大きな違いで、例えば転職を考えている人がいる。
どんな仕事がしたいですか?そう聞かれたときまず出てくるのが
私の経歴だと何ができるかな?
これすごく自然な問いです。
でもよく聞いてみると問いの主語が少し外にありますよね。
私を採用してくれる場所はどこ?これを探しています。
もちろん最終的に仕事には採用という現実はあります。
相手から選ばれる必要もあります。
そこを無視してという話ではないですよ。
でも人生を考える最初の問いから
どこなら自分を選んでくれそうかになっていたら
自分が生きたい場所をまだ一度も考えてないんです。
なのでキャリアを考えるときにも私はこの順番、これを大切にしています。
選ばれる仕事は何?ではなく、自分は何をしたい?
私にできる仕事は何?ではなく、
自分は社会の中でどんな職業機能を発揮したい?
人の役に立つ仕事は何?だけではなく、
自分はどんな未来を作りたい?
主語を一度自分へ戻す。
選ばれることへの執着とその影響
ここで勘違いしてほしくないのは
人から選ばれることなんて気にするな!ではありません。
選ばれたら喜んでいい。だって採用されたら嬉しいじゃん。
指名されたら嬉しいじゃん。
好きだなって思ってる人からあなたがいいって言われたらそりゃ嬉しいです。
でも選ばれることを自分の価値の証明書にしないというここです。
例えば採用面接に今回は落ちた。
もちろんその会社の採用条件に対して
何かがそぐわなかった可能性はあります。
経験かもしれないし、スキルかもしれないし、
タイミングかもしれないし、会社との相性だったかもしれない。
もっと適した候補者がいただけかもしれない。
でもそこから分かるのは
今回この会社には採用されなかったということだけ。
そこから社会から必要とされてないまでは分かりません。
恋愛だってそう。好きな人から選ばれなかった。
悲しいよね。悔しいし傷つくよね。残念。
でもその人が自分を選ばなかったということと
自分が人に愛される価値のない人間であるということは同じじゃないよね。
ここを分けられないと人生はどんどん
選ばれるための自分作りになっていきます。
選ばれそうな服を着て、選ばれそうな話し方をして、
選ばれそうな資格をとって、選ばれそうなキャリアを作る。
選ばれそうな発信をして、選ばれる人間になる。
ごめん。
そしてあるところまでいくと本当に選ばれるようになるかもしれないよね。
いるじゃん。そういう人、そういう発信者いるじゃん。
だけどその時必ずこんなことが起こります。
で、私って何がしたかったんだっけ。
これ第2章の多軸でお話ししたことも全部つながっています。
自己理解と主体的な選択への回帰
外側を見ながら正解を探す。
選ばれるように自分を調整する。
評価される、安心する、また選ばれる自分を作る。
これを繰り返していると他人が何を求めているかにはものすごく敏感になります。
でも自分が何を求めているかはわからなくなります。
だから今日選ばれなかった時に気にしないにもっていく必要はありません。
悔しいと思ったら悔しがっていいです。
悲しいと思ったら悲しんでいい。
嫉妬したっていいんだよ。
その上で一つだけ問いを変えてみてください。
私は選ばれなかったことで自分について何まで決めた?
今回は選ばれなかった。ここまでは事実。
でも魅力がない、能力がない、必要とされない、価値がない。
ここから先は本当に事実でしょうか。
そしてもう一つ、私は選ばれるために本当は選びたくないもの選んでない?
この問いぜひ持って帰ってみてください。
仕事、結婚、人間関係、発信、子育て、キャリア。
私たちは人生のいろいろな場所で選ばれようとします。
でも人生は誰かから選ばれるためだけにあるわけではありません。
自分も選ぶ側なんです。
この会社に私は行きたい?
この人と私は一緒にいたい?
この仕事を私はやりたい?
この生き方を私は選びたい?
相手は私を選んでくれる?の前に
私はこれを選びたい?と自分へ戻ってみる。
それが人生の守護を取り戻すということだと思っています。
はい、今日は第5章の第1話
選ばれない私には価値がないについてお話ししました。
選ばれることは嬉しいよね。
でも選ばれなかったからといって
自分という人間の価値まで不採用になったわけではありません。
最後に今日の一言です。
選ばれる人生から選ぶ人生へ
誰が私を選んでくれる?ではなく
私は何を選びたい?
今日もあなたの人生のハンドルはあなたの手の中にあります。
それでは。