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他律生の自己肯定感
2026-08-27 15:59

他律生の自己肯定感

「自己肯定感が高い人=苦しくない人」
とは限りません。

第3章第3話は、

「他律性の自己肯定感」
そのものを定義します。

他律性の自己肯定感とは、
自分を肯定できるかどうかが、外側の条件によって決まりやすい状態。

「〇〇な私なら大丈夫」
の「〇〇」には、何が入るでしょう。

今日の問いは、
「それができない私になった時、私は自分をどう扱う?」

次回は第3章最終話、
「自律性の自己肯定感」

です。



#人生の主語 #他律性の自己肯定感 #自己肯定感 #自分軸 #他軸 #自己理解 #主体性 #評価 #フユコラジオ
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00:06
おはようございます、フユコです。 シリーズ人生の主語を取り戻す第3章では、
他律性の自己肯定感についてお話ししています。 第1話では、自信があるのに苦しい、
自己肯定感は高いか低いかだけではなく、何によって成立しているのかを見る、 そんなお話をしました。
第2話では、評価されるほど不安になる、 評価されることが苦しいのではなく、
評価された私を維持しなければならなくなると苦しくなる、 そんな構造をお話ししました。
そして今日は、ここまで使ってきた言葉、
そう、他律性の自己肯定感そのものを、 ここで定義したいと思います。
さあ、自己肯定感が高ければ幸せなのでしょうか? もっと自己肯定感を高めたい。
ここ数年でめちゃくちゃよく聞く言葉になりました。 自分を褒める。
できたことを見てあげよう。 成功体験を積んで人から褒めてあげよう。
得意なことを見つけよう。 もちろん、どれも自信につながることがあります。
ただ、ずっとここに一つ疑問がありました。
じゃあ、自己肯定感が高くなったとして、 その状態は一体何によって維持されていくんだろう?
例えば仕事で結果を出した。 おっしょ!私結構やれるやん!そう思えた。
これは良いですよね。 でも、次の年、なぜか結果が出なくなってきた。
そうした時に、やっぱり私ってダメなのかもしれない。 そんな風になってしまう。
ダイエットで10キロ痩せた!成功! 鏡を見るのが楽しい。好きなお洋服着れるのめっちゃ嬉しい。
自分に自信がついた。 でも次の月、5キロ戻った。リバウンドです。
途端に自信がなくなります。
SNSで多くの人から、 萌子さんの話めっちゃ面白いです!そう言われます。嬉しいです。
私の話には価値があるのかな?そう思う。 でもある日、ライブには一人も来なくて、
いいねも一つもつかない。 レターも来なければ、コメントもない。反応がない。
03:01
そうすると、
最近私の話、 ちょっとズレてきたのかな?
そう、不安になる。 ここで見てほしいんです。
自分を肯定していたのは確かに自分よね。 でも、
その判定に使っていた材料はどこにあったでしょうか? 結果じゃなかったですか?数字ではないですか?
見た目や様子じゃなかったですか? 誰かからの評価じゃなかったですか?
周りの反応じゃありませんでした? 人の承認だったり、全部自分というものの外側にありますよね。
今日の定義です。 私は、他立性の自己肯定観をこのように捉えています。
自分を肯定できるかどうかが、 外側の条件によって決まりやすい状態。
もう一回言います。 他立性の自己肯定観の定義、私はこう捉えています。
自分を肯定できるかどうかが、外側の条件によって決まりやすい状態。 もっとシンプルに言うなら、
〇〇なら私は大丈夫という自己肯定です。 例えば、仕事ができる私なら私は大丈夫。
稼げる私なら大丈夫。 必要とされている私なら大丈夫。
夫婦仲がいい私なら大丈夫。 いい母親でいられる私なら大丈夫。
痩せている私なら大丈夫。 前向きな私なら大丈夫。
誰かより優れている私なら大丈夫。 一見、全部自己肯定ですよね。
だけど、頭に条件がついています。 〇〇な私なら。
ということはね、裏側にも必ずもう一つの文章があります。
仕事ができなくなったら、 稼げなくなったら、
必要とされなくなったら、 子供が思い通りに育たなかったら、
今より太ったら、誰かに負けたら、 誰にも評価されなくなったら、
そんな私は大丈夫ではない、になります。
なので、他立性の自己肯定感は、 自己肯定感が低いとは限りません。
ここが、今日の一番大事なところです。
むしろ、自己肯定感が高い人に見えることがあります。
結果を出している。自信がある。 決断も早い。行動力もある。
06:07
周りからも、めっちゃ自己肯定感高いよね。 そんな風に言われる。
だけど、その状態を維持するために、 ずっと走り続けてませんか?
休めない。負けられない。失敗できない。 できないと言えない。知らないと言えない。
助けてと言えない。誰かに抜かれると焦る。 評価が落ちると、自分というそのものが揺らいでしまう。
外から見ると、自信のある人。
でも、その内側では、自信を失わないために、 頑張り続けている人、になっている人、いませんか?
周り見渡してみてください。 あそこにいますね。あの方もそうですね。
ここにもいます。あちらにもいらっしゃいます。
これが、単純な自己肯定感が高い低い、 という一本の物差しでは見えにくいところです。
では、なぜこうなるのか?
人は最初から自分の価値を数字で知っているわけではありません。
子供の頃から、親や周囲との関係性の中で、 自分について学んでいきます。
できたことが褒められてみたり、やってみたことが喜ばれたり、 結果を出したら認められたり、期待に応えたら安心してもらえたり。
そうすることを重ねることで、脳みそは経験から学習します。
これは、強化学習、つまり行動の後に得られた結果によって、 その行動を繰り返しやすくする学習。
強化学習として説明できる部分があるんですね。
これをすると認めてもらえる、こうやっていると安心ができる、 っていうパターンが少しずつ学習されていきます。
これは悪いことじゃないです。
社会という中で生きるには、 人から学ぶことも評価を受けるということも必要なんです。
でも、いつの間にかできたから褒められたっていう出来事が、 できる私だから価値があるに変わることがあるんです。
ここで行動の評価と存在の評価がくっついてしまっている人がいます。
そして、できる私、これを失うことがただの失敗ではなく、 まるで自分の価値を失うということと同じように感じるようになってしまいます。
09:05
だから怖いんです。
第1章では、多色を扱いました。
人生の決定権を自分以外に渡してしまう。
そして、第2章では多軸を扱いました。
判断の物差しが自分の外側にある。
そして今、第3章。
多立性の自己肯定感。
自分の価値を決める物差しまで外側に置いてしまう。
わかりますか?つまり、少しずつ深くなっているんです。
第1章では決定権。
第2章では判断基準。
そして、第3章では自己価値。
人生の種を取り戻すというのは、ただ自分で決めましょうっていう話ではありません。
決めるときに使っている基準。
そしてその基準によって自分自身の価値まで決めてませんか?
ここまで見ていく必要があります。
じゃあ条件全部なくしたらいいんじゃないですか?
これも違うんです。
結果なんてどうでもいいよ。
評価なんて気にしない。
他人にどう思われたって関係ない。
そうなる必要はありません。
仕事だったら結果は必要です。
社会では評価も必要。
成長するためにはフィードバックだって必要なんです。
大切なのは評価する対象、これを混ぜないということです。
仕事がうまくいかなかった、であれば仕事のやり方を評価する。
今回の発信が思うように届かなかったのであれば発信を検証する。
俗を守れなかった、であれば自分の行動を振り返る。
でもそこから、だから私は価値がないまで飛ばない。
私はここを分けることがめちゃくちゃ大切だと思ってます。
行動はいくらでも評価していい。
結果もじゃんじゃん検証していい。
改善もしていいし反省もしていい。
謝る時だってある、でも存在価値まで採点しない。
この違いです。
さあ今日の問いです。
今日は自分が大切にしているものを一つ思い浮かべてください。
仕事でも子育てでも発信でも外見様子でも人間関係でもいいです。
12:04
自分が大切にしているものを一つ思い浮かべて文章にしてみてください。
〇〇〇な私なら大丈夫。何が入りますか?
仕事ができる私ならですか?
人に好かれている私ならですか?
役に立っている私ならですか?
いい母親な私ならですか?
結果を出せる私ならですか?
明るく前向きな私ならですか?
それぞれあると思います。〇〇な私なら。
その〇〇の条件、これを一回だけでいいので外して、次にこう自分に問うてみてください。
それができない私になった時、私は自分をどう扱う?
責めますか?隠しますか?
もっと頑張らせますか?
人から離れますか?
それとも、今回はできなかったね。
そう事実を見て次を考えられますか?
ここに今の自分の自己肯定感が何によって支えられているのかが見えてくると思います。
はい、今日は第三章第三話、他立性の自己肯定感についてお話ししました。
他立性の自己肯定感とは、自分を肯定できないことではありません。
自分を肯定するために外側の条件が必要になっている状態。
私はそう捉えています。
さあ、そして次回は第三章最終話、自立性の自己肯定感です。
さあここまで聞くと、じゃあ何があっても自分は素晴らしいって思えばいいんですか?
そう思うかもしれません。
それも少し違います。
私はむしろ、自立性の自己肯定感がある人ほど
自分の失敗も、自分の未熟さも、できなかった自分も
ちゃんと見てあげていられる、そう考えています。
なぜなら、失敗を認めても自分という存在まで壊れないからです。
次回は、自分を甘やかすことと自分を肯定することの違い、ここまで含めて第三章を締めていきたいと思っています。
最後に今日の一言です。
15:00
そうね、できる私を好きでいていいです。
でも、できなかった私を自分の居場所から追い出さなくていいです。
結果は評価する。行動が振り返る。改善だってする。
でも、その度に自分の存在価値まで採点しない。
今日1日この問いを持ってみてください。
私は何ができる自分なら自分を認められる?
そこにあなたが自分へ課している条件が見えてくるかもしれません。
さあ今日もあなたの人生のハンドルはあなたの手の中にあります。
それでは
15:59

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