他責の反対は自責ではなく主体性
はい、おはようございます、フユコです。ライブの直後に撮っていきます。 シリーズ人生の主語を取り戻す
第1章では、他責とは何かをテーマにお話ししていきました。 第1話では、他責とは単に人のせいにすることではなく、人生の決定権を自分以外に渡してしまうこと。
そして第2話では、行動を自分で決めていても、その判断基準が外側にあれば、人生の主語は少しずつ自分から離れていくこと。
そして前回は、私には選べなかった、そう認識することで、自分に残されている選択権まで見えなくなっていく、被害者になる構造についてお話ししました。
はい、今日はね、第1章の最後になります。 タイトルは、他責と主体制です。
最初に今日一番伝えたいことから言います。 他責の反対は自責ではありません。
他責の反対は主体制なんですね。 これめちゃくちゃ大事です。
他責はダメ。 人のせいにしちゃいけない。
そう聞くと真面目な人ほど反対側へ行きます。 じゃあ私が悪かったんだ。
私の考え方が悪いんだ。 全部自分の責任として受け止めなきゃ。
でもそれでは人生の主語って戻ってないよね。
例えば職場で上司から理不尽だって思うようなことを言われたとする。
他責に傾く人って上司のせいで私はこんなに苦しいとなる。
反対に全部自分の責任にすると、僕の受け取り方が悪いんだよね。
僕がもっと成長しなきゃダメなんだよね。みたいになっちゃう。
なんだけどどちらも少しずつちょっと違いがあって、
主体制がある人であればまず事実を見ます。
私は今上司からこのような言葉を言われた。
そして自分はそれを不快だと感じている。
ここまで認識した上で次に考える。
じゃあ自分はどうする?
話し合うのか?
商談するのか?
距離を取るのか?
受け流すのか?
異動を申し出るのか?
職場を離れるのか?
選択肢なんていくつもあります。
相手が悪いか、自分が悪いかという話じゃないよということ。
この状況で自分は何を選ぶのか、ここに主体制があります。
これって親との関係でも同じで、
親がこう育てたから私はこうなった。
それは事実として親の影響は受けていることはあります。大きいです。
しかも子供は環境を選べませんから。
だから過去まで全部自分の責任だったなんて
引き受ける必要はありません。
でも今大人になった自分がその影響をどう扱っていくのか
そこには自分の選択が生まれますよね。
私はここをめちゃくちゃ大事にしていて
責任と原因は違います。
原因が自分になくてもこれからの人生をどう生きるかは
自分で選べることがあるよね。
なので主体制とは全部自分の責任ですって
背負うことではなくて、
ましてや誰にも頼らず一人でやります。
でもないの。
助けてもらっていいし
商談していいし
頼ってもいいし
泣いたっていいの
迷ってもいい
人の意見を聞いてもいいし
その上で最後に私はこれを選びますと言えること
自分でね、あの人が言ったからとか
あの人がこう言ってたからとかではなく
自分で私はこれを選びますと言えるということを
主体制だと考えています。
主体性とは、責任と原因の違い、そして人生の主語を取り戻す
ここで第一章の他責に戻るんですけれど
他責とは人生の決定権を自分以外に渡してしまうこと
だとしたら
他責から抜けるということは
誰かを許すことでも
全部自分の責任にすることでもありません。
人生の決定権を自分の手に戻すということなんです。
夫が変わらないから
って言っていたものを
夫が変わらなくても私はどうしたい?
に変えます。
親が認めてくれない
親がわかってくれないから
親が認めなくても私は何を選ぶ?
に変えます。
会社が評価してくれないから
取締役がわかってくれないから
この評価の中で自分はどう働きたいの?
要は外側の状況が何も変わっていないとしても
主語だけは変えられますよね。
そしてここにはもう一つ重要なことがあります。
主体制を持って選んだからといって
その選択が必ず正解になるわけではありません。
失敗することもあります。
後悔することだってあります。
やっぱりあっちにすればよかった
そう思う日だってあるでしょう。
でも主体制とは正しい選択をする能力ではありません。
自分で選びその結果を見て
必要な時また選び直すという力です。
なので人生の主語を取り戻すというのは
一度決めたらぶれない人になることでもありません。
何度だって自分に問い直せることです。
私は今どうしたい?
そして今の私は何を選ぶ?
今日の問いです。
主体性への移動と次章の予告
最近誰かや何かのせいにしたくなった出来事を
一つ思い出してみてください。
そこで私が悪かったのかな?に変換しないでください。
私が悪かったかな?の変換の代わりに
このように問いかけてみてください。
この状況の中で今の自分に選べることってなんだっけ?
そしてもう一つ
私は何を選びたい?
この二つです。
多析から主体性への移動は
誰が悪いから私はどうするへの移動です。
今日は第一章最後のお話
多析と主体性でした。
そして次回からは第二章に進みます。
テーマは多軸です。
ちょっと笑っちゃった。
多析と多軸の違いとかね。
多軸の第一話は
これね私のテーマなんですけど
多軸の自分軸です。
聞いたことないでしょ?
不思議な言葉かもしれないけど
これは私の経験談からできた言葉で
私は自分軸で生きている。
そう思っているのに
なぜか人の評価が気になる。
なぜか比較して苦しくなる。
なぜか認められないと
自分の選択に自信が持てない。
もしかするとそれは
自分軸に見える
多軸なのかもしれません
という話です。
次回はその構造を
一緒に読み解いていきます。
はい最後に今日の一言です。
多析の反対は自責ではありません。
主体性です。
誰が悪いかこれを決めることより
今の自分には何が選べるのか
そして私は何を選びたいのか
そこに人生の主語を戻していきます。
今日もあなたの人生のハンドルは
あなたの手の中にあります。
いってらっしゃい。