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こんにちは、フユコです。 人生の主語を取り戻す、第1章。
第2話の今日は、前回、他責とは人のせいにすることではなく、人生の決定権を自分以外に渡してしまうこと。
そんなお話をしました。今日はその続きをお話しします。 タイトルは
人生の主語は誰ですか。 まず一つ質問です。
今日着るこの洋服を決めたのは誰ですか。
今日、朝ごはんを食べるかどうか、これを決めたのは誰ですか。
今、この配信を聞こうと決めたのは誰ですか。 そうですね、きっと私です。そう答えると思います。
ではもう一つ質問で、 転職したいけれど、
親に反対されそうだから、やめておこう。
離婚したいけど、子供がかわいそうだから我慢しよう。
本当は断りたいけど、嫌われたくないから引き受けよう。 この時、
その選択を決めているのは誰でしょう。 もちろん、
最終的に決めているのは自分です。 でも、その判断基準は本当に自分のものでしょうか。
今日の結論です。 人生の主語とは決める人のことではありません。
何を基準に決めるか、これを選んでいる人のことです。
私たちは、自分で決めていますと言います。
でも、その基準が親だったり、上司だったり、世間だったり、
SNSだったり、 こうあるべきだったりする外側のことがあります。
つまり、行動しているのは自分なのに、 ハンドルを握っているのは他人の価値観。
そんな状態が起きるんですね。 例えば、
本当はやりたい、そう思っているのに、 失敗したら笑われる、
これを基準にやめてしまう。 そうすると決めたのは自分なのに、
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人生の主語は、 笑われたくない気持ちになっています。
ここで勘違いしていただきたくないなと思うことがあるのですが、
私は人の意見を聞くなと言いたいわけではありません。
親の話も、上司の助言も、友人の経験も全部大切です。
でも、最後に決める基準だけは、自分はどう生きたいか、
ここに戻ってきてほしいです。
人生の主語を取り戻すというのは、 誰の言うことも聞かないということではないですよ。
最後の決定権、これを自分に返すということです。
今日の問いです。
最近した大きな選択を一つ思い出してみてください。
その時、最後に背中を押した基準は何だったでしょうか?
私はどうしたい?だったでしょうか?
それとも、どう思われるだろう?だったでしょうか?
今日は、人生の主語は誰ですか?というテーマでお話ししました。
明日は、被害者になる構造です。
人はなぜ、私は選べなかった、そう感じてしまうのでしょうか?
そこには、人生の主語を見失う構造が隠れているんですね。
一緒に読み解いていきましょう。
最後に、このシリーズで一番お伝えしたい言葉を置いて終わります。
人生の主語とは、自分勝手に生きることではありません。
自分で選び、その選択を引き受けて生きるということです。
誰かの期待ではなく、誰かの評価でもなく、私はどう生きたいか?
その問いを、人生の真ん中に置いてみてください。
それでは、今日もあなたの人生のハンドルを、
あなた自身の手で握りながら、
いってらっしゃい。
今日、ちょっと疲れています。
それでは。