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2022-09-05 10:26

2020年の体験談(失敗談)

超訳すると「甘えた生き方が通用しなくてしんどかったよ(テヘ)」っていう話です。ははっ。

農業するまでは不満と共に生きてたようなもんだったなあって思う。でも、現実を知って根本的な生き方を変えることができて、よかったなあと思います。だってそのまんまだと、ずーっと不満だらけの人生だもんね。ああ、できないことは多いけど、毎日飯が美味くてよく寝れるぜ!(単純w

#失敗談 #経験談
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しまチャンネル始めます。しまチャンネルは、愛媛の離島で柑橘農家をしているふるのが、日々のこととか、美味しいもの、柑橘のお話をするチャンネルです。
今回は、前回の自己紹介の続きをお話ししていきます。
まず、前回内容を間違えてアップしてしまって、本当にすみませんでした。すぐに教えてくださった方、ありがとうございます。
今後は間違えないように努めますが、やらかすことはあるかと思うので、ごそっと教えてください。よろしくお願いします。
さて、前回の自己紹介で、2020年4月から就農したことと、2020年と2021年、ハードだったというお話、
あと、非農家だった頃やりたかったことは、農家の仕事をやってみると、全然乖離していたというお話をしました。
今日お話しするのは、ハードだったという部分なんですけど、2020年と2021年では全然質が違うので、
まずは2020年にハードだったことを振り返り、まとめようと思います。
超簡単にまとめると、甘えた生き方ができなくなって、しんどくなったということなんですけど、
このまとめも身も蓋もないんですけど、そんな感じです。
2年経過した今だからこそ分かることなんですけど、本当にそれまでは何かに乗っかっているような感覚で暮らしていたなと思います。
独身自宅、結婚してからも、これはずっと私が持っている感覚で、逆に私が持っている感覚だから分かりづらいかもしれないんですけど、
すごく分かりやすく表現すると、何かのせいにできる余白を持っていたという感覚です。
例えば会社員をしていても生活が豊かならないなという時は、時代が悪いのかな、会社が悪いのかな、仕事が悪いのかなとか、そういうふうに考えていたんですよね。
これは完全に私の生き方というか、生きる方法が原因なんですけど、私自身は無意識に100%を出し切っちゃダメだと思ってたんですよね。
100%出し切っちゃうと、もし何かあった時に、当時はリカバリできないからなって思ってたんだけど、
今思えば、もし何かあった時に言い訳も逃げ道もないから、だから常に出し惜しみをしていたと思うし、何事にも100%で頑張ってなかったんじゃないかなって思うんですよ。
ちょっと分かりにくいかもしれないんだけど、100%全力でやったのにできなかったらね、
できなかったら言い訳できないから、自分が自信を失くしそうでね、多分そういう逃げ逃げなスタンスで生きてたんだと思う。
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っていうのは、2020年が過ぎ去った今だから思うというか、分かる話で、当時はそんなことをみじんも思っててなかったから、自分でも無意識だから分かってなかったと思うんです。
というのもね、2020年を振り返った時に、2020年の苦悩ですよ。振り返った時に思い出したことがあったんですよ。
それはね、主人と出会った頃に、結構前ですけど、主人にね、いろんな経験してていろんなことができるからいいよねって、結構軽く言ったんですよ。
そしたら、主人は逆に嫌なことから逃げ通せる人はいいねって言ったんですよ。
その時は私はカチンと言ったんだけど、どうせ元々できる人には分かんないだろうと思って、それ以上話さなかったんですけど、
その後で、主人という人間が人付き合いを好んでするタイプじゃないとか、飲み会がそんな好きじゃないとか、本当は黙々とメカをいじったり、それをカスタムして改良したりするのが好きとか、
そういうことが分かってきて、ほんのりね、なんで彼がそんなことを言ったのかっていうことが分かったような気がしていました。
で、それが明確になったのが2020年なんですよ。
私、車の運転って20代からしてはいるんですけど、上手ではないんです。
ビタッと押し量ったように、本当上手な人がやるような運転はできない。普通の人の運転はできるんだけど。
だから、できれば人を乗せたくないし、狭い道は行きたくない。
だけど、農業で仕事をしていると、どうしたって車に乗らなきゃいけないこともあるし、狭いからここの道は嫌だとか言ってられない場合もあるんですよね。
でも収納してすぐの私は、当時オートマからマニュアル車限定解除したてほやほやにも関わらず、運転の練習すらしようとしなかったんですよね。
そういうところがたくさんあったんです。
苦手だから逃げようとか、苦手だから避けようってするところが。
そういう行動をとっているとどうなるかというと、周りの人がやることになるんですよね。
すると単純に私の周りの人に負荷が増えるわけです。
客観的に見てみれば、私のようなタイプを客観的に見てみれば、自分がしたくないことを人にやってもらっている人って、本気で仕事を覚えようとしている人なのかなって思いますよね。
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思うんだけど、私はそっちの人間側なのでわかっちゃうんですけど、こっち側、わがまま言っちゃってる側はどうかというと、やりたくないことばっかりがいっぱいあって、すごい不満なんですよ。
もうびっくりしますよね。わがままだなって思いますよね。
でも実際そうなんです。
やってもらっていることよりも、やりたくないことをやらなきゃいけない状況っていうのがもうストレスで、全く本当に自分勝手な話だと思うんだけど、それでかなりしんどかったんですよ。
頑張って仕事したって誰も清々しく終われない見事な悪循環を私はまき散らしていたんだなって思います。
ものすごく自分がしんどい思いをしてね。
ほんとね、今思い出すと笑っちゃうんだけど。
本当に今振り返るからわかるんだけど、わかってない時はしんどかったなーって思います。
これがどうやって解消していったかというと、主人と衝突したり話し合ったりして、やっとあの時言われたことって嫌いなことから逃げ通せるってこういうことだったんだなっていうのがわかって、
自分が本当に100%出してないのかもしれないなって思うようになって、ようやく100%で、全力で全部自分一人でもできるようになろうって思うことができて、
根本的に自分の私の生きる方法みたいなものを、舵を切り返すことができたんだと思います。
まあそれでも何十年も染み付いたものなんで、簡単にシフトチェンジできなくて、足掻いたりもがいたりして、それはそれでまた別のハードさがあったわけですけど、
それにもちろんたくさん失敗もして、車なんか何度かぶつけちゃってますけど、何とか家族関係も仕事もうまくいくようになりかけたかなっていうのが2020年でした。
1年かけてその、しんどいところからガツンと言われたところで、思い返して生き方を変えなきゃいけないなって舵を切り返した、その個人的には大激怒があったのが2020年でした。
あと、今こそわかるんだけど、私的には実家に帰ったわけだから、甘えも大いにあったのかなって思います。
でも、それだといつまでも経営の主導を取ることはできないし、経営の主導を取れないということは責任を持つこと、プレッシャーではあるんですけど、それこそが本当に面白さでもあると思うから、
あの時点で発見できなかったら、ずっと私二流だったんだろうなと思います。だからね、本当に気づけてよかったなって思う。
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もちろん慣れない農作業とか、肉体労働してなかったんで、肉体労働自体もしんどいし、石垣作りとか、ライフスタイルそのものがゴロッと変わったっていうことも大変だったんですけど、
母なんかは特にその辺手厚くサポートしてくれてたし、疲労が蓄積しすぎるとどういうことになるかっていうことも身をもって体験することで、もうここら辺まで来たら絶対休まなきゃいけないっていうことが勉強できたというか、わかることができるようになったのも、まあ経験、良い経験だったし、しんどいことでもあり、まあでもやってよかったなっていうことでもあるかなと思います。
まあ本当に肉体的なしんどさっていうのも、かなりきついのはきついんですけど、やっぱり一番きつかったのは、根本的に生き方を変えたことだなって思います。
でもね、ほんとこのタイミングじゃないと私帰れなかったんだろうからなーって思うと、2020年という年は私にとってすごい大事な1年だったなと思います。
では次はですね、2021年のお話を次回はしようと思います。
今回はちょっと長くなりましたけど、この辺でまたねー。
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