まあちょっと何とも言えないよね。あの、僕バットマンシリーズ結構好きで、ジョーカーも好きなキャラクターなんですよ。
過去を言うとさ、89年に公開されたバットマンでは、ジャック・ニコルソンがジョーカーを演じたんですね。
その後2008年、ダークナイトという映画で、もうこれは本当に話題になりましたよね。ヒースレジャーがジョーカー役をして、アカデミー助演賞を取ったんですよね。
結構こういうさ、アメコミ系の映画っていうのはアカデミー賞と縁がなかったと思うんですけど、多分この映画で初めてぐらい取ったんじゃなかったでしたっけ。
まあね、ヒースレジャーはアカデミー賞の前に亡くなってしまってね、まあその追悼のね、アカデミー賞自体がちょっと追悼のような感じもありましたけれどもね。
あとは2016年にスーサイドスクワットでジャレット・レッドがジョーカーを演じましたね。
それで2019年にジョーカーという映画で、フォアキン・フェニックスがジョーカーを演じました。
今回の続編ももちろんフォアキン・フェニックスが演じてるんですけれども、フォアキン・フェニックスといえばね、お兄さんがリバーフェニックスでスタンドバイミーですよね。
もうリバーフェニックスかっこいいですよね。スタンドバイミーって結構何年かに1回見たくなるんですよね。
まあその弟がねフォアキン・フェニックスで、彼もね素晴らしい役者さんで、大好きで僕ねフォアキンの映画を結構見るんですけれども、
今回ねこのジョーカーっていう映画の話をするにあたって、ちょっと僕の話をしたいんですけれども、僕ねバットマンの原作っていうのを知らないんですよ。
知らないというか読んだことがなくて、だからねこのジョーカーっていう映画が原作通りかどうかっていうのもちょっと僕はわかってないんですよね。
ちょっとねそれでちょっと調べてみたんですけど、バットマンってもともと何だろうと思ってね調べると、バットマンの原作はアーティストのボブ・ケインと作家のビル・フィンガーによって創造され、
1939年にナショラル・アライド、後のDCコミックスが出版した本で登場したようですね。
1939年って結構もうかなり前ですよね。80年ぐらい前ですか。さっき出たDCコミックっていうのはアメリカの出版社の一つですね。
まあ日本で言うと漫画を出版している周栄社とかそういう感じのところになるのかな。でさあ、まあそのなんていうんだろう、僕その原作を知らないからそのいろんな気持ちがあると思うんですね。
というのはこの映画さ、公開されたと同時にものすごい賛否がSNSでこう分かれてたんですよ。すごい称賛する人とダサくだっていう人とね。
で、まあちょっとそれを見てからね、ちょっとこの原作とかを調べたんだけど、というのも前にアラオネでも話したんですけれども、セクシー田中さんっていうねドラマと漫画の話をしたじゃないですか。
その時にさ、やっぱり原作っていうのが第一で、それをね、ドラマ化とかそうやって二次創作するときはどうやって表現していくか。
で、その原作者の意図っていう考えっていうのがやっぱり一番大切で、それをリスペクトして二次創作するのが本当に大事だと思うんですよね。
思うんですけれども、ちょっとこのねバットマンっていうのはまたちょっとそのセクシー田中さんとかとは違うのかなっていうのをちょっと感じていて、
というのは、このさっきお話したアーティストのボブ・ケインと作家のビル・フィンガーっていうのはもう少し前に亡くなってるんですよね。
で、亡くなった状態で過去にもそのダークナイトとかそうやってね、バットマンっていうのは何度も描かれていて、
日本で言うとさ、サザエさんとかさ、ドラえもんとかとちょっと似てる気がするんですよ。
サザエさんのね、作者の長川町子先生も亡くなられてるし、ドラえもんのね藤子F、藤代先生も亡くなってますよね。
ドラえもんで言うとね、大山信夫さんが最近亡くなられて、ショックでしたね。
結構小さい頃、まあ僕ドラえもんよく見て、ちょっと話しとれちゃうねこれね。見ていてね。でもあの声優さんが変わってもう10年ぐらい多分経ってるんですよね。
だから今のね子供たちには今のドラえもんの声がドラえもんという感じだと思うんですけど、
僕らの世代はやっぱりこう大山信夫さんの声を引きずってるわけですよね。
あれで映画とか見に行ってほんと感動してさ小さい頃ね、ワクワクした気持ちでね見に行ったのを本当にね思い出してたんですけれども。
そうそうサザエさんとかねドラえもんとかと同じように。まあ最近ではちびまる子ちゃんもね、桜桃子先生が亡くなりましたけど、
亡くなっても続くシリーズっていうのがあって、そういうのはさどんどんこう新しいクリエイターが、まあその先生たちが作り上げた世界観をもとに、
どんどんね新しくなっていってて、国民的な作品になっているわけじゃないですか。
バットマンっていうのもアメリカではそういう作品なんじゃないかなって僕は思うんですよ。
もうすごく大きく言うと音楽家のバッハやモーツァルトと同じだと思うんですよね。
彼らもさどんな風にピアノを弾いてたかっていうのはわからないわけじゃないですか。
だけど彼らが作った音楽、そして残された譜面を今の音楽家たちが自分なりにね解釈して、今ねお届けしていて。
そうやってさその芸術っていうのは受け継がれているわけで、バットマンというのも似てんじゃないかなって思うんですよ。
だから僕はその、まあちょっとねセクシー田中さんの時には原作者が第一とは話したんですけれども、ちょっとそういう目線じゃない目線というかね、
新たな切り口というか、単純にこう自分の気持ちと向き合ってバットマンっていうのを見ました。
さっきも言ったように本当に様々な評価があるんですよね。あのぶっちゃけて僕もねイメージしていたジョーカーとは全然違いました。
さっきも言ったけどサイコパスですごいさ、こう気持ちが全くない。もう平気でさ犯罪を犯せる。
その犯罪もさ爆破とかさもうちょっとさ信じられないような犯罪ですよ。日本で考えるとね。
そういうことをさ、こうバンバンしてさ。もちろん映画の世界だからそれを見て僕はすごいなんていうのかな、楽しむというか。
ジョーカー好きなんですよ。そのダークナイトで演じたヒースレジャーのジョーカーとか本当に大好きなキャラクターで、
少しそれをやっぱり期待はしていて、前回のパート1でジョーカーは犯罪を犯した後に逮捕されるんですね。
で、今回の続編はそこから多分きっとその逮捕されたとこから脱獄してジョーカーになるまでっていうのを描くんじゃないかなって思ってたんですけれども、
全く違ったんですよ。それはね僕ねその見る直前、SNSの反応を見てわかったんですけど、
全く違ったんだけど、それはそれで僕すごい楽しみになったんですよ。でまぁ映画館に行ったんですけれども、
否定的な意見を言ってる人っていうのは、多分そのDCコミックスのファンなんじゃないかなって思うんですよね。
要は原作を知っている人なんじゃないかなって思うんですよ。
あとはもしくはハリウッドの対策が好きっていう方なんじゃないかな。そのハリウッドの対策でよくあるようなさ、
ジャンプシーンとか飛んだりさ、飛行機から降りたりとか、全部ミッションインポッシブルの話をしておりますけども、ああいうさド派手な映画ではないんですよ。
今回の映画って警察署と裁判所の映画で、もうほとんどそれの繰り返しで、どちらかというとこうなんていうのかな、心理的な話なんだよね。
でまぁ僕はそういう映画結構好きだからすごい楽しめたんですけれども、そんな感じで今週のアラオネはですね、映画ジョーカーフォリアドゥの話をこれからねしていきたいと思います。
ネタバレもちょっと含みます。というかですね、この映画自体ねすごく単調なんですよ。
あんまり大きな山がなくて、すごく単調に進んでいくから、大きなネタバレをするっていうよりは、僕が感じたこと、あれなんですよ、僕が感じたことを話すんだけど、
でもやっぱり内容に触れていかなきゃちょっと話せないことがあるので、これからね見たいっていう方は気になる方はね、見てから僕のねアラオネを聞いていただけると嬉しいです。
最後の方とかね、これはね聞かない方がいいよっていうのはちょっとね、こう注意を入れていきますので、皆さんそんな感じで楽しんでいただけたら嬉しいです。
先週ねちょっと最後にさ、公開収録の反省とかね、いただいたお便りのね話を今回お届けするって話してたんですけれども、
まぁちょっとね結構ね、ジョーカーがねほんと僕の心にグッと刺さったんですよ。でやっぱりちょっとこれは
鉄が熱いうちに打てじゃないですけど話したいなって思ったので、ちょっと変更します。反省とかね、来週ねお届けできたらいいなと思います。
てなわけでね、映画ジョーカーを見て僕が感じたことを話していきたいと思います。それでは今週も始めましょう。
アラフォーゲーのお姉じゃないのよ
改めまして藤田鉄平です。この番組は人生の爆発を踏んで発行を始めたアラフォーの僕がこじれた人生観をお届けするポッドキャストです。
ゲイといえばお姉のイメージが強いですが、そうじゃないのもいるんですよ。フフーなノリであららつとコネクトする番組です。
というわけでねジョーカーの話なんですけど、その前にちょっと僕のね好きな映画の話も少しだけしたくって、
僕は電動入りしているね好きな映画があるんですけれども、それはねグザビエドラン監督のマミーという映画と
ヤン・イクチュン監督の息もできないという2つの映画なんですね。これは結構僕が20代、マミーは30代かなの時に見たんですけれども
まあすごいね両方ともすごいね入ったんですよ自分の体の中に。でね息もできないはね渋谷のシネマライズって映画館で確か見たんですけど
見た後ね初めて映画館で過呼吸になっちゃって、その後2時間ぐらい記憶がなくて気づいたらね六本木まで歩いてたっていう、もうなんかねそれぐらいねハマっちゃって
それ以来ねマミーと息もできないというのはもうここ数年見てないんですよ。結構僕の中でトラウマ級の映画で
まあどちらもねどういう内容を描いているかというと内容は違うんですけれども共通していることがあって
それは何かというと主人公が社会の底辺でもがいてるんですよ。その底辺というと悪い言い方かもしれないけど
社会の中のすごく位置の低いところでもがいていて、すごいもがいていてそれをどうにかして脱却したい
その普通の生活がしたいっていうのを描いている映画なんですよね。それってさ
ジョーカーもすごく共通してるんですよ。僕やっぱりそのそういう映画が好きなんですよね。そのなんていうのかな
ハンディキャップがある人たちが頑張ってその社会の中で頑張って自分らしさを手に入れようとしている映画ね
これでさ主人公の問題だけじゃないんですよ。その主人公はやっぱりいろんなハンディキャップを持っていてそれをさ生まれ持ったものもあれば
自分が生きてきた中で持ったものもあるんだけどそのさ自分がさ持ってしまったものっていうのもやっぱり理由があって
それは結局やっぱり社会の構造自体に問題があってそうなってしまったっていうパターンが多いんですよね
でそのジョーカーもやっぱりそういう映画で特に僕はねそのヒーローよりもねヒールが好きっていうのもあるんですよ
そのスーパーヒーローに共感するっていうよりもヒール役に共感することの方が多いんですね
特にそのヒール役の人がどういう環境でそうなったのかっていうのを知るとやっぱりすごく共感をするというか
そこにすごく惹かれるんですよね。だからジョーカーっていうのもねすごく惹かれたんですけれども
このジョーカーね2019年にパート1が映画で公開されたんですけれども
さっきもちょっと言ったんですけれどもアーサーという人間がどうやってジョーカーになるかっていうのを描いた映画で
その映画の中でねアーサーは6つの犯罪を犯すんですよ
それによってジョーカーになってテレビに出演とかをしてちょっとあがめられて
でも最後には逮捕されて終わるんですけれども
そのパート1で僕がねジョーカーを見て感じたのは笑わせるっていうのと笑い物っていうのは違うっていうことでしたね
アーサーはねピエロの格好をしてみんなを笑わせるパフォーマーなんですけれども
本人はさみんなを楽しませるファンな気持ち笑わせるようにやりたいんだけれども
彼自体が結構さ社会の底辺にいることによって笑わせるつもりが笑い物になっている瞬間があるんですよ
それはねパート2の牢獄のシーンでもたくさん出てくるんですけれども
やっぱそういうのが見ててね本当すごい切なかったですね
それでね2はねその牢獄の中の世界から話が始まっています
基本的には牢獄の中にアーサーがいて裁判をするんですけれども
その行ったり来たりの繰り返しなんですね
映画の構成自体は結構ミュージカルシーンが多いんですよ
これも結構僕ねびっくりしたんですけど
あのパート1でもねアーサーが歌うシーンというのは出てくるんですけれども
そんなにすごく多くはなかったんですけど
今回はね全編を通してミュージカルシーンが出てきます
でそれはどっちかっていうとアーサーっていうその主人公の妄想の世界なんですよね
妄想している世界がミュージカルであの歌の世界で描かれていることが多いんですけど
僕ねミュージカルってねちょっと苦手なんですよ
あのなんで苦手かっていうとその実現世界と切り離されているような感じで
急にさ切り離してさ歌が始まるじゃないですか
あれが結構苦手だったんですけど
今回の映画はアーサーのほぼ妄想の世界なんですよミュージカルが
だから結構ね受け入れやすかったのはあったんですけど
恋をする時とかさそういうさ気持ちがさ変化する時って
ミュージカルの中で急に変化することがあるんですよ
でこのジョーカーでもそれがあったんですけど
まあというのが今回ジョーカーの相手役でレディーカガが演じるリーという女性がいるんですね
これは後にハーレークイーンといってジョーカーとタッグを組む女性版ジョーカーみたいな感じなんですけど
彼女とね恋に落ちるシーンがあるんですけども
なんかね歌でねあっという間に恋するんですよ
そのさ恋するまでの余韻が短いというか
まあそのなんていうのかなアーサーを理解してくれる人がいない世界でリーがね理解をしてくれたから好きになったというその気持ちは分かったんですけど
なんかねそれが急すぎてちょっとねなんか置いてけぼりになったなという感じはあったんですけれども
まあでもねなんていうのかなザ・ミュージカル映画っていうよりは僕は見やすかったですね
あとねとにかく映像が美しいです
もうね前編ねダークな映像なんですけど
青っぽい光とか緑っぽい光とかあとはオレンジっぽい光もあったかな
結構暗い中に色の光が入ってくるっていう感じで
僕としては結構ねプラダのショーを見ている感じだったんですよ
もう前編渡ってプラダのショーを2時間半見てるみたいなそんな美しさがある映像でしたね
だからその映像を見るってだけでもねすごく楽しめると思います
まあそれでねここからちょっとそのジョーカーフォリアドゥのね中に入っていきたいんですけど
僕がねこの映画を見てね感じたことは2つあるんですよ
一つは自分は何者かということ
そしてもう一つは罪を犯した人が罪を認めて変わろうとする姿を僕らは許すのかっていうことですね
まあ一つ目ね自分は何者かっていう話なんだけど
さっきから言ってるようにアーサーという主人公がジョーカーになるまでをパート1では描いていたんですけど
まあ今回もねフォリアドゥというように2人ぐらい1人の中に2つの性格があるみたいなねそういうタイトルがついている
精神病のねタイトルがついている映画なんだけど
今回さあその牢獄の中にいるアーサーは弁護士とのやり取りが最初の前半は多いんですよ
それで要は牢獄に入ったアーサーがどうやってその罪を軽くするか
それをね弁護士とね相談し合っていくんだけど
弁護士としてはアーサーの中にジョーカーという違うね人格が現れて
彼がやった犯罪だっていうのを証明したかったんですよ
これはさ結構さ現実社会の犯罪でもよく聞く話だと思うんですよね
ちょっとさ理解しがたいようなサイコパスな犯罪が起きた時に二重人格みたいな
あのよくさ精神鑑定という言葉が出てくるじゃないですか
その人の裁判にかける前に精神鑑定をかけましょうって
で結構それがさ半年とか1年とかかかる場合もあるのかな
僕すごいそれすごい長くやるんだなと思ってね
内容は分からないからさどんなことするのか分からないんだけども
すごいね丁寧にその人の精神を調べていくと思うんだけれども
まあそういうのと一緒ですよね今回のジョーカーは
そのアーサーの中にジョーカーという人格がいて彼がやったものである
だからアーサーには罪がないんだ
だから罪を軽くしてっていうのを弁護士はねこう戦略として
まあ実際にそう思ってそれをね訴えてたと思うんですけれども
その戦略でいくんですけれどもそのアーサーは途中でねそれをやめるんですよ
というかもうねそうやってね裁判してる時のアーサーってすごいね気持ちが下がっていて
そのさなぜさアーサーの中にジョーカーというの人格が生まれたかっていうのを
弁護士がさ話していかなきゃいけないから彼のさ幼少期のトラウマの話だったりとか
その社会の底辺でねもがいている話っていうのがすごいたくさん出てくるんですよ
どちらかというとさアーサーはそこから逃げ出したいために妄想の世界に飛び込んでいて
ジョーカーになっていたんだよねで結局そのジョーカーが犯罪を犯してしまったんだけれども
アーサーとしてはアーサーとジョーカーは一人の人間だったんですよ僕はそう思っていて
だからさその弁護士の作戦その戦略っていうのがアーサーとしては気に入らなかったんだよね
でさ裁判の途中で弁護士を解雇するんですよでそっからはねアーサー自身が自分を弁護するんだけど
そっからねジョーカーがね生まれるんですよ生まれるというかアーサーの中のジョーカーが出てきて
ジョーカーになりきってね裁判所でショーを始めるんですけれども
まあそれをさ見ていて僕はさその自分は何者かっていうのをすごい考えたんですよね
その精神病じゃなくてもさ結構社会の中ではさ小さな二重人格っていうのはあるような気がして
これ精神病じゃないからねあの別にしてね話してるんだけど
例えばさゲイというセクシャリティもそういう二重生活がある人が多いと思うんですよ
カミングアウトしている友人だったり新宿2丁目という限られた場所ではゲイというねセクシャリティを持って生きていけるけど
そこから一歩外に出た例えば会社とか普段のね社会生活の中では農家として生きている人が多いと思うんですね
僕らはそれを農家社会という言葉で表現することがあるんですけれども
まあ自分はね一人なんだけれどもそのゲイをねカミングアウトしている社会とカミングアウトしていない社会
そこでさ自分自身は一緒だけれども言動とか行動っていうのは変わってくると思うんですよね
他にも別にゲイに限らずセクシャリティに限らずそういうのってありますよね
その社会と自分の違いとかねそこでちょっと演じ分ける
まあそれによってさ自分の生活がさこう円滑にできたりとかなんていうのかな
混乱をね招かず社会生活ができるっていう
それはさ大人になりにつれてさすごい自然に身につけていくものだと思うんだけど
みんなね自分の中に小さなジョーカーとアーサーっていうのは持っている気がするんですよ
その犯罪をするとかしないとかそういう話ではなくてね
もちろん僕もそういうのを持っていて
この映画を見てた時は前半はすごい苦しかったんですよね
というのがやっぱりアーサーがその弁護士の戦略に乗ってないっていうのがひしひしと伝わったんですよね
でも僕も嫌だなって思うんだよな
自分の立場だったらね自分のことを誰かに決めつけられたくないっていうのかな
もちろんねその精神的に問題を抱えている人がいて
自分のことをさ証明できない自分のことがわからないって人を
専門家がね証明してあげるっていうことは大切で
それはさその法廷の場とかでも人権としてね権利として与えられているから
それを否定したいわけじゃないんだけど
もし僕がその立場だった時きっと僕も自分のことを誰かに決められるっていうのは
そこに多分ね落ち込むっていうか嫌になると思うんですよ
きっとアーサーもそうだったんじゃないかなって思うんですよ
アーサーってさ自由がない社会で生きていて
自分自身がねそこからさ這い上がろうとして頑張ってたのに
またそうやってね法廷でさ自分自身っていうのを誰かに決めつけられて
これから生きていかなきゃいけない
そこにきっと多分うんざりしたと思うんだよね
きっとそれでさ自分自身がさ亡くなってしまうのが怖かったんじゃないかなって思うんですよ
僕もねやっぱり映画を見ながらそれすごい感じましたね
なんか映画ってさ自由に感じていいもんだと思うから
そのさストーリーとは違うところっていうの
僕は結構そっちに行きがちなんですよ映画を見ながら
自分だったらこう思うなとかそういうふうにどんどん進んでっちゃう悪い癖あるんだけど
結局さそれでさアーサーはさその自分の中にアーサーとジョーカーっていうね
そういう2人がいることを認めて
自分が犯したね6つの罪を認めるんですよ
彼はやっぱりアーサーであってジョーカーだったんですよね
そこからさ開花した時の彼っていうのはすごい生き生きしていて
後半にね繋がっていくんだけど
それでさこうなんていうの罪に問われるんですけれども
そのね認める姿を認めない人たちがたくさんいるんですよ
それがさっき言った2つ目ですね
罪を犯した人が罪を認め変わろうとする姿を僕らは許すのかっていう話なんですけれども
実際のさ犯罪僕らの社会で起きている犯罪でも
罪人がさ公正することを認めないっていう人が多いじゃないですか
でそれのほとんどはその人を批判している人だと思うんですよね
まあもちろんさ犯罪を犯してるから批判はするんだけれども
そうやってさその人を許さないって思ってる人たちが
彼がね罪を認めて公正していく姿
その姿までも許さないって人が結構僕は多い気がするんですよ
その犯罪に限らず例えばさ芸能人の不倫とか
そういうのを見ててもさ
その人がさ変わっていこうとする姿を永遠に認めない人っているじゃないですか
SNS見てるとさこの人が出てる作品は見ないとかね
そういうつぶやきをしている人すごいたくさん見るんですけれども
もちろんそういう言動っていうのは自由なんですよ
見たくなければ見なくていいし
それを発言するっていうのもその人の自由なんだけれども
それを発言している人の多くが
それが正義だと思って発言している人が僕は多い気がしていてね
それは僕間違ってるような気がするんですよね
個人の意見なんだけどこれは民衆の意見だみたいな感じで
すごく大きな気持ちで発言している人がいて
それはね間違ってると思うんですよ
その罪を犯したり悪いことをしたっていう人にも人権っていうのがあって
その人権っていうのはね守られるべきで
ただすごい難しいのはその人が誰かの人権を奪っていることがあるんですよね
やっぱそうなってくると本当にね
これってすごい何が正解で何が不正解かっていう話ではなくなってくるし
被害者もいたり被害者家族もいたりその周りの友達もいたりね
もちろんその人たちはその人を許さないっていう気持ちは当たり前だと思うんだけど
今話しているのはその周りにいる第三者の話なんですよ
その人と直接関わってない人たちの話ね
僕は基本的にどんな人でもやったことを認めて
そのねやったことを公正して
自分がね変わっていこうという姿を見せる人は応援したいなって思うタイプなんですよ
でまあジョーカーでもねもちろんそうやってさ
彼のしたことを非難している人が許さないっていうのは
まあ社会生活の中でよくあることでわかるんですけど
今回のこのジョーカーというのはちょっと違って
彼を称賛したり賛同している人がいるんですよ
要は彼はさ社会の底辺にいて
そっからさ犯罪を犯すことによってヒーローになったんですよ
悪のヒーローにね
でさその社会の底辺にいる人たちっていうのはすごくたくさんいて
彼らがそのジョーカーというのを称賛したんですね
だからさ彼が捕まっている時も称賛する者たちがさ
デモを起こしたりとかドラマ化されて
映像化されてね放映されてたりしてたみたいなんですよ
でそのさ称賛してた人たちが彼が罪を認めて
僕の中にアーサーもジョーカーもいて
僕がやったことです
全て僕がやったことですって認めた瞬間に
彼の元を去っていくんですよ