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こんにちは、あなた色の人生を藤田薫です。こんにちは、あなた色の人生を藤田薫です。
本日は、2026年の3月28日、今日は金ナンバーが109、赤い月、赤い蛇、音が5の日ということで、今日は朝6時出発で、大分県、大分市の方に来ております。
最近私、大分行ってるんですよって言って、ラジオで何度もお話をさせていただいたんですが、その大分っていうのは、大分県中津市の方でした。
中津市って言って、福岡県北九州市とか、北九州市じゃないですね、北九州方面、そっちの方とちょっと近いというかですね、そっちの県境の方なんですけど、
だから大分市とは、中津市っていうのは結構、大分県内なんだけども、2時間ぐらい距離が離れているそうなんですよね。
だから、まあまあ遠い距離感でですね、あるので、全然大分って一言で言っても、全く違うところに今日は来ております。
今日はね、次南のサッカーの九州大会ということで、応援にですね、駆けつけております。
はい、一泊しますのでね、今日は一泊して、明日また試合をして帰ってくるというような感じです。
本当に、こうやってね、親は、院卒大変ですけど、でも本当にね、こういい経験をさせていただいているなということで、すごく子どもたちにはですね感謝をしているところなんですが、
今日は金ナンバー109ということで、
あのうちの父、亡くなった父なんですが、金ナンバー109の人でした。
で、あのちょっと知り合いにっていうか、仲良くさせてもらっている人に、のお父さんが同じく109のお父さんなんですよね。
だから、なんか109のお父さんあるあるみたいなことを、その方とお話ししたことがあって、
もうね、すごい、なんかもうそれだけで意気投合できるぐらいの、もうすごいよね109っていうことで、なんかお話をね、してました。
で、まあ父は亡くなったんですけども、私から見た父親っていうのはどういう父親だったかっていうと、もう本当に怖いっていう父親でしたし、
あとは、何だろうな、どこに地雷があるかわからないっていう、まあちょっと瞬間夜明かし期みたいなところもすごくあったし、
やっぱね、なんかこう好きだったかって言われたら、お父さんのこと大好きでした。
で、なんかそういう感じじゃないですね、私は。
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なんかやっぱ怖いっていうのがあったから、どう接してらいいのかわからなかったっていうのが、まあ本当に正直な気持ちです。
だけど、やっぱりこうそんな父だったからこそ、私もすごくあの学んだことっていうのはあって、
まあすごく瞬間夜明かし期みたいな人で、どこに地雷があるかもわからないみたいな、そんな人だったし、
まあ本当にこれは時代なんですけど、やっぱね、こうすっごい手を挙げられて育てられましたっていうか、
あのもう殴られる蹴られる、もう原骨飛んでくるっていうのは当たり前で、で、父が思い通りに行かないことっていうか、
なんかあったら、もうそれだけで怒られるっていうか、理不尽に怒鳴られるとかっていうのは、本当にこうあったなっていうところなので、
私はなんかね、お父さんに対して、もううるさいお父さんやめてとか、お父さんが入った後のお風呂なんか入れないとか、
お父さんと一緒に洗濯しないでとか、まあそういうこと言う人もいるとか言うじゃないですか。
ね、あのなんだけど、そんなこと言おうもんなら、もう命が危ないぐらいの感じなので、感じだったので、だからですね、そうやって言える、
で、そうやって娘に言われて、お父さんじゃあどういうふうにしてるかって言ったら、いや、そんなこと言わないでよみたいな、
なんかそういうこう、笑いながら、まあ多分傷ついてもいるだろうけど、でもある程度ちょっと笑いながら、
もうみたいな娘に対して、またそうやってみたいな感じで対応してるお父さんを見ると、もうね、本当に羨ましかったですね。
だからね、本当にそんな感じでお父さんっていうのは、私にとってはそういう存在でした。
だから、父が亡くなった時に、私、あの最初ね、あの父の希望もね、家族層だったんですよ。家族層でいいからって言って。
で、多分これ何度もラジオでお話ししてるかもしれないのでね、なんかもう一回また聞きましたよっていう話かもしれないですけども、
まあ、ちょっとね、思い出しのあれでちょっと喋らせていただきますが、家族層でいいって言ったんですよね。
だけど、あの父は本来すごく賑やかなことだったり、あのね、こう賑やかしい会だったりね、人と喋ることもすごく好きな人でした。
なので、まああの母とね、姉と弟とちょっと話をして、いやお父さん家族層でいいって言ってたけどさと。
でも、お父さんが一番楽しかった時代っていうか、すごくその、なんか賑やかに過ごした時代にいてくれた人たちには、ちゃんとこう伝えた方がいいんじゃないかっていうね、そういう意見もこうあって。
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で、あの家族層から一般層にすることに決めたんですね。まあいろんな多分戦があったと思うんですけど、まあまあそれも一つの理由になった要因でした。
それでまあ、各みんなで手分けをして、あのまあ父が亡くなったっていうことを、あの私はこうちょっとこう友達ぐるみで、家族ぐるみで仲良くしていた子たちとまだ未だに繋がりがあったので。
それで、あの実はさ、お父さん亡くなったんよねって言って、でいついつあの組織するからっていうのを友達に連絡をして、そしたら
その友達から、そのお父さんお母さんにまた連絡が行ってっていう感じで、あのみんなで結構葬儀にね集まっていただきました。
で、あのまあさっきも言った通り、やっぱり私の中では父親っていうのはもう怖いっていう存在だし、あのお父さん大好きっていうそういうテンションでは全然ない。
なかったし、本当にあの病気がわかって、私もこういろんな治療法っていうのを父にこう紹介したっていうか、お父さんこんなのもあるよって、抗がん剤嫌なんだったらあのやらなくていいと思うってね私言っちゃったんですけど、でもなんかその代わりこういう治療があるしこういうのもあるよって言って、あのまあ大阪まで来てもらって、あのそういう話でしたこともあったんですけど、
やっぱりこうね、なかなかこうなんか、まあがんっていうね、がんだったんですけど、抗がん剤とか放射線治療、もしくは手術っていうところが三大治療というふうに言われるけれども、やっぱそれ以外の治療ってなかなかこう受け入れられないというか、なんか本当にそれで大丈夫みたいなね、なんかそういうようなふうにやっぱり父も思ってしまって。
私が紹介した治療はなかなかちょっとこう進まなくて、で結局抗がん剤をね、して頑張ったんだけれども、まあ力尽きてしまったっていうところではあったんですが、やっぱりあのとはいえ元々の性格が本当にそういう感じの人だったので、まあ多少ちょっとこうね薬のせいでちょっと体力が落ちてたりとか痩せてたりとかしても、やっぱね、
すっごい自分の意思はものすごくある人だったので、やっぱなんか私はすごく亡くなる直前までどういうふうに接していいかがわかりませんでした。
で、だからまあ私がこういうふうに思ってるから、周りの人も父に対してそういうふうに思ってる人多いんじゃないかなっていうのをね思ってたんです。
仕事の人とか友達だった人とかね、そういう人たちっていうのは父に対してそういうなんていうのかな、あの人ちょっとね難しい人だよねみたいなね、気難しい人だよねっていうことをみんなそういうふうに思ってるんじゃないかっていうふうに思ってました。
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なんですけど、あのお葬式したときに、おつやお葬式をさせていただいたときに、あの本当にすごくたくさんの方が来ていただいて、
あのまあ父の職場の方、まあ父は最終的にちょっと一人で起業してやっていた人なので、まあ取引先だったり、あのかつての部下とかですね、そういった方々がすごく来ていただいて、
で、あのその中で私もねすごくちっちゃいときによく知っているおじさんがいて、そのおじさんが来てくださったんですね。
あんまり顔とかちょっと正直覚えてなかったんですけど、あのもう会ったときに、かおりちゃんって言われて、でああってなって、でそれで、もしかしてって言って話をして、
まあそのすごくよくしてくださっていたまあ父の部下の方とも再会できたんですね。
で、そのときに、あのすごくね、その方が、まあその方だけじゃなかったんですけど、まあ父のそのまあ昔からの友人だったり、
あのそういう、まあ数は多くなかったんですけど、本当にね、こうもう濃厚につながってくださってた方たちが本当にこうたくさん来てくれて、で、あの本当にね、そのいろんな私の知らない父の顔っていうのを本当にみんな口々に教えてくれたんですね。
で、まあその後輩さんも、あの肩をね、震わせながら泣いてくださって、で、あのなんて言ってたかっていうと、本当にあの、もう兄貴には本当にお世話になりましたって、すごい泣きながら言ってて、いや私ね本当にびっくりしたのが、
まあ私からしたらすごくこう気難しい父、怖い父、まあ手放しに好きとか言えない、そういう父親だし、まあ言ったらそのね、そのまあ時代背景もあるけれども、まあDVっていうかモラハラみたいな、なんかそのまあ手とか足も出るみたいな、そういうお父さんだったんだけど、でもやっぱりこういろんな顔がやっぱりあって、
で、あのなんかなんていうのかな、あのやっぱねすごく口々に皆さんが教えてくださったのは、本当に真っ直ぐな人だったって、嘘をつかなかった、嘘なんか絶対つかない人だった、でまあいたずらとかなんかこう人並みに悪いことみたいな、なんか、なんかね、なんて言ったかな、あのなんか当時その高校時代、バイクなんか絶対乗って行っちゃいけないのに、
バイクに乗って、あの原付バイクみたいなのに乗って、あのなんかね、あの高校の近所にね、暗黙の了解でバイクを止めさせてくれるところがあって、あのご家庭っていうか家があって、そこに止めて、それで何かの顔で学校行ってたとか、なんかこう夜中に、なんかこうバイクでね、あのまあそれも多分原付バイクなんですけど、なんか乗り回してたら警察に追われて、でなんかこうなんとか逃げ切って、
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でもその隠れた先が、なんか速攻の、なんかこう溝の中かなんかで、であのもう血だらけになりながら、なんか友達と歩いて帰ったとか、なんかね、そういう、なんかもうそういう、なんかあのまあ可愛いもんですよね、本当に、そういうこう悪、悪だった時代の父の話だったり、まあそれでも本当にね、あの人を痛めつけるような、
悪さっていうのは絶対にしない人だったっていうのを、あの父の友人やね、そういう後輩の方だったり、本当にこう来てくださった方たち、みんなが口々にこう言ってくださったんですね、であのやっぱりこう、まあ私最近こう常々話をしてますけども、まあ自分から見たその事実だったり、自分から見たその人っていうのは、もうなんかやっぱりこの人ってこういう人だよねっていうね、
まあ私からすると父って怖い人だ、こんな性格だからみんな離れていったんだって思ってたんですよ本当に、あの晩年はもう誰とも連絡も取ってなかったし、あのなんか何が楽しくて生きてるんだろうなんじゃないけど、まあ私たちがね孫連れて帰ったりとかするとまあ嬉しそうにはしてたけれども、
それ以外の時間って何してるかもわかんないぐらいの感じで思っていた父だったんですけど、でもあの本当にあのなんていうのかな、そんなにあの数は多くなかったと思います、友達っていうのも数は多くなかったかもしれないけれども、それでも一人一人が伝えてくれたメッセージっていうのが、なんか私は父をこう思ってたけど、そうじゃなかったんだっていうかね、あのそうじゃない父の顔もすごくこう見せてくれたんですよ。
私はね本当にあのお葬式をさせていただけてよかったなっていうか、あのなんかそんな風にちょっと思いました。
なんかねもしこれ家族葬にしてて、まあそれはそれですごくこじんまりとしてアットホームで、あのよかったんだと思うんですよね。よかっただろうなっても思うし、あのねなんかすごくそのなんか思い出話っていうか、そういうのもあのよりできたかなとかっていうのも思うけれども、でもね本当にあのなんか自分が知らなかった側面っていうのをいろんな人の話しながら、
私から知っていったり、あとはねなんかみんなねやっぱ泣いてくださっていて、それがね何よりのなんか浄化になったというか癒しになったというか私の中で、なんか来てくれたけど、まあ本当に形式上で来たんだなっていう人が本当にいなかったんですよ。
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まあ一般的におつや葬儀で何人来たら多いとか、何人だったら少ないとかあるのかもしれないですけど、だから父は決して多かったとは思わないというか、まあそういう感じじゃなかったのかもしれないですけどね。
でもなんか予想を遥かに上回る長文客だったよねっていうのは後から母とも話をしたんですけどね。そんな感じで、あのなんか本当になんだろう自分が知ってる父だけだったら、やっぱなんかこうなんだかんだ言ってやっぱ怖かったよねみたいな。
なんかまあすごくいいお父さんをしてくれようとしてくれたっていうのはわかるんだけど、あまりにもなんか不器用な人すぎて、それが伝わらなかったよねっていう、なんかそういう思いで終わってしまいそうだったところがすごく本当にそういう人たちの言葉によって、
私もだし多分、母も姉も弟もおそらく癒されたんじゃないかなーってね、私はそんな風にちょっと思っているところなんですよね。
なので、まあね本当に今日は父の金バースデーで、まあもうこの世に肉体っていうのはないけれども、やっぱり私が生きている、そして私の子供が生きている、子供の子供が生まれてとかってまあどんどんこうやって命は続いていくわけで、
少しずつ薄くはなっていくんでしょうけど、やっぱり父の影響っていうのはずっと残り続けていくわけですよね。なので確かに肉体はなくなってはしまっていますけども、
でも、その父からもらったこういう考え方だったり、何かこうね、なんだろうな、本当に考え方だったり、人を大切にすることだったり、嘘つかないことだったり、誠実さだったり、不器用なまでのまっすぐさみたいな、そういうものっていうのは間違いなく私の血の中に流れているなって思うので、
だからやっぱりなんかね、人は死んでも死なないっていうのは本当そういうことなんだろうなっていうのをね、思います。
たびたびこうやって、今日は父の金バースデーだなぁとか、例えば車を運転している時に前から走ってきた車が109だったり、前を走っている車が109だったりすると、
お父さんが今何かこう言ってるんかなぁとかね、お父さん元気かなぁとかね、まあ元気かって、天に昇っちゃってますけど、ちょっと思い返すようなきっかけになったりもするんですよね。
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だから私がっていうか家族が関わった人たちが忘れさえしなければ、その人っていうのは永遠に生き続けるっていうのを、父の死を通して私は改めて感じましたし、やっぱなんかいまだにこう思い出すと、
亡くなった人のことってあまり悪く言われてないですけども、でも難しいお父さんだったよなっていうのは、冷静に考えたら思うことはあります。今でもね。
だけど、やっぱなんか亡くなる直前に、私会いに行ったんですよね。
寒和ケアを出て、もう自宅で最後っていうところで退院してきてですね、父が。ベッドとかもリビングにあって、そこで最後見とったんですけども、
でもね、なんか私本当に直前まで、姉とかからはすごい聞いてたんですよ。もうお父さん本当に危ないと思うみたいな。
でももう退院してくることになって、最後家で見とるからっていうことで、多分そういうふうにちゃんと言われてたと思うんですけど、でも私はなんかどこが信じたくないっていうか、いやお父さん大丈夫でしょみたいなね。
お父さん死なないでしょみたいな。なんかもう殺しても死なさそうなお父さんだったから、いやいやいやみたいな感じで思ってたんですよ。
なんだけど、やっぱりね、本当に退院してきて、ベッドに寝てる姿を見たときに、もう本当なんだなって、もういよいよなんだなじゃないけど、っていうのは私も悟ったんですよね。
で、最後、私当時大阪に住んでたので、もう大阪に戻らないといけないからっていうので、いろんなケアマネージャーさんとかいろんな方が退院してきた直後で入りしておられて、いろいろ引き渡しも終わったので一旦帰られてですね、家族だけの時間になったときに、
本当に、何て言おうって思って、最初明るく振る舞おうと思って、お父さんもう私ちょっと大阪帰るねって言ったんですよ。
で、子供3人連れて行ってたので、あまり遅くなってもあれだから、だからお父さんまた来るねって言ったんですよね。
うん、なんだけど、もうね、そのときには嘘ついてももうダメだなと思って、だってこれはもうお父さん絶対死ぬやんって、そのときに初めて目の当たりにして、今までね、本当に姉とか母とか弟が本当に近くで福岡の家で見てくれてて、状況伝えてくれてたんだけど、やっぱり自分だけ違う場所にいて、
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やっぱなんか状況っていうのが、やっぱね、分かってなかったんですよ、私は。分かってないから、もうすっごい楽観視してた、私だけが。
だから、でももうね、あの目の前にしたときに、あ、もう本当にダメなんだって思ったんですよね。そのときにでも明るく振る舞わなきゃなと思って、お父さんもう帰るねって言ったんですけど、
ただ父が手を握ったんですよ、私の。で、手を握ってもうね、気管切開とかもしてたので、そのときはですね、だからもう声も出ない。だけど目はしっかりしてたけど声は出ない。
でも、なんかね、ありがとうって言ってるのが分かるんですよね。でも私それでもう我慢できなくなって泣いちゃって、で、父にありがとうって、なんか初めて言えたんですよ。今まで本当にありがとうっていう一言を言えました。
だから、まあそれが私と父の最後の会話ですね。だから、なんか今でもやっぱり、なんか思い出すとね、ちょっとグッとくるし、あのまあそのときは、なんかね、やっぱり、あ、私がそうやってそういうふうに泣いたり、今までありがとうなんて言ったら、お父さんも分かってしまうやんて。
俺今から死ぬやなじゃないけど、なんか死を意識させてしまったなってすごい思ったんですけど、でもね、たぶん父は分かってたよねって思う。本当にもう最後に家に帰ってきたいんだっていう、まあそれを叶えているわけだから。
まあ父は分かってただろうなって。でもね、本当に今までに見たことないような、すごい穏やかな表情をしてましたね。だから、なんか私ね、亡くなった瞬間よりもその時の方がすごく辛かったですね。今思うと。
だからもう帰りの新幹線の中で、当時ね、娘がね、2歳ぐらい、いや2歳、3歳ぐらいだったかな。3歳ぐらいですかね。で、長男が小学校3年生。で、次男が小学校1年生。3月だったので、もう本当にちょうど今ぐらいですよね。年度末で。
もう私もちょうどね、引っ越しの直前だったんですね。大阪から福岡に引っ越してくる直前だったんですけど、まあでもまだ大阪にね、家はあって、子どもたちも学校通ってたし、っていう感じだったのでね。
本当に父が亡くなる直前に、そうやって会いに行って、で、帰ってくる新幹線の中もずっと泣いちゃってたし、子どもたちもびっくりしたと思うけど。
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家帰った時も、子どもたちを3人集めて、ジージはね、本当に死ぬんだよっていうことを伝えました。
で、すごく悲しいっていうことも同時に伝えて、で、ジージがこれから、いつね、どうなるかも分からない状況だと思うから、突然荷物まとめて、今から福岡に帰るよっていうこともあるかもしれないから、
だからその時は、みんなよろしくねっていうのを伝えてたんですね、私3人に。でしたらもう子どもたちも、私がワンワン泣きながらそれ言うもんだから、なんかすごいちょっと神妙な顔しながらも、すごい状況を指してくれて、分かったって言ってね。
で、実際本当に、亡くなる2日前の夜に姉から電話があって、お父さん呼吸がもう危ないかもって不規則になってきてるっていう電話があったから、分かった今から行くからって言って、ちょうど夜9時ぐらいだったんですよね、電話があったのが。
で、ちょうどね私はバレー、ママさんバレーの送別会してくれてたんですよ、私の。で、私が主役なんだけど、もうこれ行かないとって思ったから、みんなにごめんって言って、父が危ないって連絡があったって。
私その時まだ誰にも言ってなかったんですよ、実はそういう状況なんですと。みんなも驚いて、で、いいよ行きなーって、気をつけて行ってきなーって言ってね。でも私ね、生きてたらまたいつか会えるからって思って、みんなにね送迎会、送別会か、やってくれたのにごめんだけど、生きてたらまた必ず会えるから、
父のところに行ってきますって言って、9時ぐらいに家に帰り、夜9時ぐらいにですね出発、家に帰り着いて、その送別会の場所からですね、また車に乗って大阪から福岡まで運転して帰りました。
子供たちにはもうね、夜もしかしたら移動することがあるかもしれなくて、その時はもう家の車の中で寝てねっていうことを言ってて、子供たちはなんかジージーがっていうのももちろんあるけど、でもなんかちょっと非日常ですっごいなんかワクワクっていうか楽しんでくれてたんですけどね。
なんかまぁそんな感じで、父が亡くなった時っていうのはそんな感じでしたね。急いで7時間ぐらいかけて実家に帰り着いて、でまぁ父はね、なんとか持ち直してくれてっていうか、ちょっとね頑張ってくれて、
そしてその次の日の日付変わってちょっとしてからですかね、亡くなりました。
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だからまぁ家族全員で見取ることができて、本当にね良かったねっていうことでね、本当にそういうふうに家族みんなで見取れることになったのはね、本当にあの母と姉と弟の力なので、
私は本当家族にも感謝してますし、毎回この近109の日が来ると、なんかそれをねすごく思い出します。
皆さんもね、親を亡くされた方、本当は順番は違うのかもしれないけれども、お子さんを亡くされた方、大切な方を亡くされた方っていろんなね思いがあると思うんですけども、
でもね亡くなった方の亡くなった日っていうのもやっぱりその前歴の中で読み解くことができて、
やっぱりその人がその日を選んで生まれてきたのもそうだし、亡くなっていくその日だっていうのも選んでるっていうふうに言われてます。
本当にあの父が亡くなった日っていうのは、ありのままで生きるっていうそういう日だったんですね。
マヤのメッセージの中でそういう日だったので、なんかお父さんはそれを伝えたかったのかもしれないなーって、ありのままに生きろよって。
最後に私たちにそういうふうに伝えたかったのかもなーって思って、すごくね都合のいい解釈かもしれないけども、
私はなんか父の生き様を知って、嘘つかない、真っ直ぐだ、不器用すぎるぐらい真っ直ぐな人。
そういうのも間違いなくそれは私やなみたいなね。
言うのも思うのでね。だからそうやって父が残してくれた思いを胸に生きていきたいなっていうふうに思っています。
ちょっと父の金バースデーだったのでね、ちょっとしんみりとしちゃいましたけども、
そんな感じでね、もし皆さんもご両親の金ナンバーが分かる方がいたら、
分かる方がいたらというかね、ご両親の金ナンバーはね、まず絶対に知っててほしいんですけど、
そういう日っていうのにちょっと連絡してみたり、思いを馳せてみたりするのは、
やっぱりね、自分を生んでくれた存在とつながることですし、
やっぱね、一人では私たちは生まれてこれないので、感謝するきっかけになったらいいなというふうに思っています。
ということで、今から第2試合目が始まりそうなので、そろそろ試合会場に向かいたいと思います。
はい、いつも本当にありがとうございます。聞いていただいて。
最近ちょっとこの音声配信を文字起こしして、その後ブログに、ブログっていうかノートっていうアプリがあります。
ノートに書いてます。この文章をですね、ちょっとまとめ上げて、まとめ上げてっていうか、編集し直して、
ブログに、ブログにっていうかブログ風にちょっと文章を整えてあげてますので、文章の方もね、
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皆さんぜひまた読んでみてください。音声と文章とまた何か違った趣があって、いいなと思いますので。
はい、いつも皆さんありがとうございます。いろんな人に私の声が届けば嬉しいなと思っています。
はい、では2試合目応援していきたいと思います。それでは失礼いたします。