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こんにちは、おはなし屋なおとです。今ですね、3月3日になったところの0時8分なんですけど、
妻のじいさんが亡くなりました。
今日ね、9時くらいかな、妻の携帯に連絡があって、もうちょっとね、じいさんがやばいと。
じいさんって言ってもあらゆるんですよ。妻のお父さんのお父さんかな。
別に僕は直接繋がってるわけじゃないんですけど、ちょこちょこね、家族の集まりとかでも話しさせてもらうぐらいの距離だったんですけど、
その夜9時くらいに、もうちょっとじいさんがね、やばいっていうことで、僕の方でね、子供2人寝かしつけミッションが急に始まりまして、
そこも大変だったんですけど、まあね、その大変さは良いとして、じいさんがね、
何時だったかな、11時何分間に亡くなったという連絡を受けまして、
人が実際死んでるわけなんですけど、僕はね、ちょっとなんか素晴らしい死に方だなぁと、自分が死ぬ時もそういうふうに死にてぇなぁなんてね、ちょっと思ったので、
もうちょっとそれをね、話していこうかなと思います。やっぱりね、普通に生きてるとですね、やっぱり日常の忙しさとかにね、
特に子育てしてると忙しいですから、まあこう、
飲まれていくというかね、やっぱりこう、人っていつか死ぬんだなぁっていうことをね、やっぱりこう忘れがちだなぁと、やっぱこういうことがあるとね、すごく思うんです。
で、そのじいさんはですね、 去年なんと90歳で、病院のベッドの上で、で、いざ自分がね、もう既得になったってなったタイミングで、
まあ妻の家族は全員集まったらしくて、すごいよな、その、
だって9時半とかに連絡があったらしくて、そこから家族全員集まってるわけだから、そこであの、まあだから妻は孫じゃないですか。
で、お姉さんのね、息子さんも一緒に駆けつけたらしくて、暇子まで揃ってね、その状態で90歳まで生きて、もうあの、最後みんなに見送られながらね、
大養生だったということで、いやなんかもちろんね、人が死ぬことは悲しいことではあるんですけど、
すげーなぁと思って、本当になんか、うん、もうすげーなぁと思って、もうそれにつきますね、やっぱね、死ぬってことはやっぱり悲しいことではあるけど、なんか僕はすごいその、
まあそのじいさんともね、ちょこちょこ話してたんですけど、なんか、いいなぁっていうふうに、なんかずっと思ってて、でも実際にね、その行ってしまったときもそれだけみんなが集まってですね、
あの、旅立つと、こんなに素晴らしいことは本当にないなぁと思って、まあね、妻にもそれ言ったら、いやもう本当それよ、みたいな、もうあの孫どころか暇子までいたからね、つって言ってて、
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なんかね、やっぱ人ってね、いつかね、死ぬからね、なんかね、自分もそうなんだなぁと思ったし、やっぱ今ね、うちとかもそうですし、僕のリスナーさんもその子育てされてる方って、まあ新しい命とね、
触れ合ってると、どうしても死ってとこから遠ざかっていくじゃないですか、ってなったときにね、その僕がこう、
パパじゃない、ママがいいって泣き叫ぶね、まだ生まれて2年目の命を、3年目なのか、2歳4ヶ月やから、命をあやしながらね、まあ一つの命が旅立つっていう、なんかこうね、
すごいことだなぁと思って、やっぱ人間ってね、やっぱりね、今その僕らが与えられた体じゃ、やっぱ100年以上生きることってのは物理的にちょっと考えづらいですから、
まあ生まれる命があればね、旅立つ命があってっていうところで、なんかね、わかんないですけど、そのじいさんとね、その僕も別に深く話したわけじゃないんで、あれなんですけど、
まあ一つの人生がね、終わるっていうところにね、まあなんかこう、
別に僕は直接見とったわけじゃないけれど、なんかそういうね、なんかものを感じてね、ああなんか、
頑張って生きないとなーっていうのをね、まさに今感じてるんで、ちょっと喋ってるっていう感じなんですけどね、まあなー、すげーなーと思って、そんなことあるんだ、だって、
冷静に考えたときに、まず90歳まで生きれる人って、相当少ないわけじゃないですか、その上でね、90歳とかまで生きたとしても、まあそのね、
家で一人で誰にも見つからずに亡くなってしまう人もいるわけですし、その交通事故とかね、病気とかね、もうその、
なんか、ああ死ぬんだなって思って死ねることって、多分ほとんどないと思うんですよ。ね、ちょっとさっきあのー、
妻とね、ちょっと電話したんですけど、実際にこうやって、こう見とられながら死ねるってどのぐらい幸運なことなんだろうね、みたいな風に話してて、
じゃあ例えばね、普通にこう、ニュースとか見てると、じゃあなんか事件に巻き込まれたとか、車に引かれたとかで、亡くなる人って毎日多分
何百人といるわけじゃないですか、ってなった時にね、あるひとつ前に人生が終わってしまったらどうなんだろうってちょっと考えるわけですよね。
だってね、僕が今、僕やっぱ健康な30歳なんで、急になんかこう、体の寿命が来て死ぬってことはないだろうけど、
まあでもなんかいつ病気になるかわかんないしね、まあ僕とか毎日車乗るんで、車でね、バーンってぶつかったら死にますよね。
もう、自分が死んだのかどうかもわかんないぐらい、スパーンと死んじゃうことだって全然あり得るわけだしね。
なんかそれはそのね、なんかあってはならないことだと思うけど、まあでもやっぱりそうなってしまう人も絶対いるわけじゃないですか。
って考えるとですね、なんかね、ああ、死ぬんだな俺って思いましたね。それは明日かもわかんないし、まあ90歳まで生きれて、ひょっとしたらもっと生きれるかもしれないけど、
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わかんないけど、いつ死ぬかわかんないっていう世界を生きてるんだなっていうことはね、改めて感じましたね。
まあそう考えるとね、本当にこう、まあありふれた言葉ではありますけど、毎日一生懸命生きなきゃダメだなと思うし、
まあ今ね、すごいなと思ったのは、そのじいさんは暇子がいて、だからうちのあかりもあおいも暇子になるんですよね。
暇子がいて、でまあ自分の息子は当然育て終わってるし、自分の息子の子供たちももうみんな成人して家族を持ってたりね、
もうその息子の息子に、息子の娘に、娘がいて?みたいな世界で、なんかやり残したことって、まあないんじゃないかなと思って、
わかんないですよ、わかんないです。じいさんが何を考えてたかはわかんないけど、なんか僕が今死んだらやっぱり思うのはやっぱり娘のことですよね。
本当に娘がやっぱり成人するまではやっぱり絶対に育てたいなと思ってるし、もちろんそのね、なんか思ってる思ってない、もう関係なく育てるつもりがあるんだけど、
まあね娘が、じゃあ上の娘、下の娘でしょうか、が成人するまであと20年弱あるわけですよ。まだ3ヶ月しかとってないんで。
ってなるとやっぱりそれまでにね、死んでしまったらね、本当に心残りって残るだろうけど、やっぱり90まで生きるとね、子供に対する心配っていうのはないだろうから、素晴らしいことだなぁとね、
思ったんですよね。なんかね、じいさんやりやがったなぁと思って、すげーなって、なんか人生に対して
やることちゃんとやって、しかも最後はそうやって認められて死んでいけるっていうのは、
もちろん死ぬのはね、悲しいことではあるんですけど、なんかね、ちょっと一言かなぁと思うんですけど、やっぱ血も繋がってないんでね、そんなにめちゃめちゃ親しかったわけじゃないんですけど、
やったなぁじいさんってね、なんかすごい思いましたね。普通に正月集まった時とか全然話せてましたもんね。
っていうのでね、なんかね、死ぬんだなぁ人間と思うと、思うとその、まあ死なないように気をつけなきゃいけないっていうのはもちろんそうなんですけど、
ただね、いつ死ぬかわかんないっていうゲームをやってるみたいな感じだと思うんで、僕らはね、そう考えるとね、自分のそのなんかやりたいこととか後回しにしちゃダメだなと思うし、
子供はね、どんだけこう先手を打って育児したって、二十歳になる日は決まってるんでね、
先に先にっていうふうに子育てはできないですけど、やっぱりね、一日一日大事にしていかないとね、あの、いざパッて命が
亡くなっちゃう、奪われちゃうってなった時に、まあ後悔しないことは無理なんだろうけどなぁ、でも俺も爺さんみたいに死にたいなぁとね、ちょっとね、ふと思って、
そう考えるとやっぱり僕がいつも発信している企業とかもそうですけど、なんかうまくいくとかうまくいかねえとかじゃなくて、
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そうしてそうなりてえんだったら、いや悩んでる時間マジでもったいないよっていうのは、なんかなおさら思いましたね。僕は結構自分のやりたいこととかに関しては、
もう思い立ったが奇跡実態なんで、挑戦してきましたけど、仕事面に関してやり残したことってないです。例えば今死んで仕事面で後悔することってもう一つしかなくて、
それは今あの約束してる、コーチングさせてもらっているクライアントさんの任期を全うできなかったってことはめちゃくちゃ後悔すると思うんですよ、
思うし、まあでもそれ以外のなんか自己実現とかこれをやりたかったっていうのは基本的にないように
はしてるんですよね、仕事面ではね。それ子育てに関してはありますよ、子供を最後まで、最後というか子供が自立するまで育てたいっていうのは、
どんだけ先回りしてもできないですから、そんなことはね、時間は一定なんで、考えるとですね、
せめて自分のコントロール可能な部分に関しては後悔しないようにしていきたいなあと思うし、そうやってこう人生は一度きりなんだよっていう言葉はさ、
まあなんかみんな当たり前のように使ってるから、なんかこうね、ちょっとなんか青臭く見えちゃったりするかもしれないけど、
やっぱりね、人生成功するより後悔しないように行動する方が大事なんじゃねえかなとね、思いますね、そのおじいさんがね、分かんないよ、ひょっとしたらめちゃめちゃ後悔してることがあるかもしれないけど、
でもまあ人類としてはかなりやることやった方じゃないですかね、暇子までいて、
90まで生きて、死にそうってなった1時間半で、
家族が全員集合して暇子までいてっていうその状態、やったなあ、おじいさんともし、俺もそこまで生きてえなあと思うなあ、なんか贅沢すぎかなあと思う、俺は死ぬ時にそうやって家族に囲まれたいって気持ちがあるんだけど、
なんかね、そうはうまくいかんやろって思ってたとこが内心あったのが、おじいさんがそれをやりやがったから、うわあ、おじいさん、おじいさんやったなあと思って、なんかね、人生の成功ってなんだろうなって思った時に、
いや頑張ったらできるってもんじゃないから、家族に見とられながら旅立つっていうのはね、頑張ってできるもんじゃない、運要素もめちゃくちゃ強いと思うし、
だってどんだけね、そうやってこう孫がいようと暇子がいようと、近くにたまたまいなかったっていうだけで、一人かけても全員は揃わないですからね、それが全員揃った上でっていうね、暇子までついてきてね、いやすげえことやったなあと思って、
いや俺もそうなりてえなあ、死ぬ時なあ、うーんと思うなあ、うちの奥さんはやっぱ看護師なんで、実際どうやったん?って言ったら、いやもうあれはもう本当に体の限界と思うっつって、別になんかこう、医療ミスがどうとかとか、なんか病気になっちゃったとかじゃなくて、
マジで脳水というか、もう仕方なかったと思うよっつって、なんかね最後、あのー、旅立つ直前、なんかCT見せてもらったらしいんですけど、いやもうあの範囲じゃもう無理よさすがにっていう状態やったらしくて、すげえなあ、だから要するにそれって、自分の体使い切って死んだってことじゃないですか、いやすごくねじいさんマジで、思うなあ、いやマジでリスペクトしかないわ、
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俺もその、そんだけ自分の持っているものを使い尽くして、なんか、ね、旅立てたら、幸せやなあ、と本当に思うし、いやもうね、まあ多分この配信じいさんは聞いてないだろうけど、ずっと耳遠かったんでね、物理的に僕のラジオ、あの聞いてた可能性マジでゼロなんだけど、まあまあそんなことなくてもゼロか、なんだけど、なんか僕はそのじいさんに対して、いや尊敬しかないなあ、やりやがったなあじいさん、
ああそういう死に方して、っていうのをね、ちょっとね、思った深夜でしたね、はい、まあ今日はね、ちょっと、まあそういうことがあって、ちょっとバタバタね、ワンオピで2人寝かしつけっていうね、ミッションをすることになったんですけど、まあね、こっちもすごい大変やったですね、本当にね、もうね、青石田の子はね、もうミルク飲んだらすぐ寝たんだけどね、上の子はね、もう全然寝なくて、大変やったですね、最初はママに会いた、会えて泣き叫んでたんですけど、
あの、だんだんね、あのパパあっち行けって言って、パパ嫌だ、パパ向こうって言い出して、もう多分あのパパが向こうに行けばママが来ると思ったんでしょうね、でパパが外に出たら、あの、1分ぐらい静かになったんですけど、誰も来ないことに気づいて泣き喚いたんで、部屋に戻ったらもう抱っこ、抱っこって、で抱っこしたのは僕はもうあのアンパンマンを無限ループで歌い、体をひねり、腰を回し、
そのままねじわりじわりと布団の中に入ってね、下ろしてずっとアンパンマンを歌い続けて寝かせるっていうことをやりましたけどね、まあそう考えるとね、なんか僕は育児やってるやってるって言ってるけどね、実際そういうその寝かしつけの部分とかやっぱ妻に任せ系の部分とかもあるし、なんかね、
なんかもっとでかく人生捉えていくとね、なんかもっとね、こう夫婦間の衝突とかも減るんじゃないかなとか思ったりとか、そういうことを思いましたね、やっぱなんかあるとこうやってラジオに残したくなるっていうのも僕の生き方の一つですし、まあこうやってね、なんかね、いややりやがったなじいさんがでけえなあ、あんな死に方して、と思うなあ、やっぱりね、その娘にもね、そのいつか子供ができて、
孫ができるかもしれないし、だってその孫が、だってあかりの、あかりの子供の子供ですよ、いやいやすげえやろそんなの、もうそんなんやっただけでもうなんかね、すごいよ、人類のなんか大功績よ、その上で家族全員、臨終前1時間半に焦燥かけて全員揃うって、どんなよって思うなあ、ほんとなあ、いやだからなんかすごいものをなんかこう、
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体験させてもらったというか、すごいマックススコア叩き出したなあ、じいさんっていうような、なんかそんな感じで、あの、いやほんとそう、なんかこうカラッと笑うじいさんだったんで、うん、なんか僕がね、ちょっとじいさんとの思い出であるのが、前こう、じいさん一人暮らししてて、あのおばあちゃんが亡くなっちゃって、でその奥さんの実家の方に、なんかあの一人で暮らすのあれだからって言ってお父さんがね、迎えに行ったりしてたんですけど、まあやっぱりね、その自由気持ちで、
気ままに10年ぐらい一人暮らししてたじいさんだったから、まあちょっと窮屈そうにしてたんで、あの僕がそのベッド、入院室のじいさんがちょっとなんかこう、こけて入院してるときに耳元に言って、じいさんもなあつって、一人でやっとった頃は気ままやったけえ、今はなんか窮屈そうで大変やなあつって、なんかボソッと言ったんですよ、お父さんがいないときに、そしたらじいさんがハッハッハッハッって笑っとって、ああやっぱそうなんやなあとかね、なんかそういうことをね、なんか話した思い出がありますね、
本当に思い出っちゃそのぐらいなんだけど、僕とじいさんのね思い出はね、けどまあ僕もね、僕側のそのじいちゃんばあちゃんっていうのはね、今3人生きてて、母型のばあちゃんと父型のじいちゃんばあちゃん生きてるんで、まあもうそろそろね、そういうことが起こっても全然おかしくないんで、ちょっとコロナのとかもあってね、まあ遠いところに住んでるんで、ひまごの顔とかももうね、何回かしか見せてやれてないんで、まあまあいつ来てもおかしくねえなっていうことはね、考えておかなきゃいけないなあと思いましたね、
いやあじいさんやったなあ、まあ本当もう、ね、もうやりきったなあっていう感じで頼りだったんじゃねえかなと僕は思ってます、はい、まあなんでね、なんかねえ、そういう知り方したいっすよね、本当にね、うーん、まあ別にそのね、その思想を残すことだけが全てじゃないと思うけど、自分の中でその大事だなって思うことをちゃんとやりきったって思って死にたいし、まあそれは仕事でもそうっすよね、
自分がこの、まあ僕だったらライフコーチっていう仕事をしてますけど、ライフコーチを、まあひょっとしたら辞める日が来るかもしれないし、わかんないけど一生やっていくつもりだけど、やっぱね、物理的に声出なくなったとか、あるかもしれないし、自分のその心の状態がね、もうこれは人のコーチできる状態じゃないなと思ったら多分辞めると思うんですけど、まあ辞めたときにね、ああやりきったなあみたいな、やったったぜーっつってね、なんかね思えるようなね、終わり方をしたいなあ、まあやっぱ何事もね、やっぱ終わり方をね、あの考えていくとね、
まあその自分が今やるべきことってのはね、逆算で明確になってくると思うんでね、まあ一つ僕もね、ちょっと考えに行きたいでしたということでね、まあ今日ちょっと、まあもう夜遅いんで、配信終わろうかなと思います。
まあ娘寝かしつけるために腰ひねりまくってたんでね、全然眠くないんですけど、もうちょっとゆっくりしたらね、寝ようかなと思います。
小原哲也でした。良い夜をお過ごしください。バイバーイ。