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あなたには過去、なぜか夢中になっていたことってないですか? その時は、こんなことやってて、将来何になるのかな?とか、
他人からね、そんなやってても意味ないよと言われるような、そんなことでも、後から振り返ると、人生の大事な伏線になっていることがあります。
私の場合、それが中学生の時に夢中になった木の世界でした。 今日は、仙人への憧れから始まって、中国への針の修行、そして開業してからの苦労、
最後には、最近いただいた恩師からの一言まで、バラバラだった点が一本の道に繋がったっていうお話をしたいと思います。
こんばんは、藤田勇です。
ゆる度ラジオ、耳から整える言葉の針の時間になりました。
この番組では、ゆるく、楽しく、自分らしく、遊ぶように生きるためのヒントとなるようなお話をお伝えしています。
皆さんは、若い頃からずっと追いかけているものってありますか?
なぜか好き、惹かれてしまう、理由はようわからん、でもずっと好き。
私の場合は、それは木ですね。木の世界というか木。
中学2年生の時に仙人、これも以前もね、このポッドキャストでもお話をしていますけれども、
仙人憧れて木の世界に夢中になって、はまってしまったわけです。
その時はね、オカルトのそんな世界に中二病でしたから、はまっていたわけですけれども、
それが今考えると、今やっている現在の治療にまでつながっているわけです。
私が今専門にやっていることが、刺さない針と言います。
刺さずに針をして木を通すというところですね。
これは中国の書物に、既死病床、既が病のところに至るって書くんですけれども、
そういう方法があるというのが書かれて、私はそれをやりたいと、
そういうのができるようになりたいと思ったところが、神級史としての目標になったわけです。
これ全部ですね、戦略的に選んできたわけではなくて、
中学2年生の時にスタートしてから、本当に好きなものを追い求めていった。
ただそれだけで進んできたわけですね。
壁にぶつかってね、神級の学校に入学できずに、受験失敗して諦めかけた時もありました。
でも諦めきれずに、私はずっと木という世界に携わる、そんな人生を選んできました。
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神級学校に入ってですね、2人の大きな恩師に出会ったんですね。
お一人は兵道昭先生といって、中医学、中国の国家的なプロジェクトでまとめられた、
昔からの中国医学を大学の教育で教えるために体系を付けられたのが中医学といいますけれども、
それを中国から日本に、まだ中国との国交ができていない、戻っていない時ですね、
中国に行って、中医学を日本に伝えてきたっていうすごい先生がいて、
その先生が学校の、私の行っていた神級学校の先生で、私が初めて東洋医学の授業を受けたのがその兵道先生でした。
もう一人が丸山先生と、丸山明貞先生という先生なんですけれども、
その針の技術ですね、針を刺してじゃあどうするのと。
中医学というのは理論として、こういう病気にこういう壺を使うみたいなのを導き出すというところは得意なんですけれども、
その針を刺してどういうふうに体に刺激を与えるかというところが弱かったんですね。
でも本来は伝統的な中国の針の方法にはそれがあったんですね。
そういう部分、そういう世界を丸山先生は教えてくれた。
その奇士病書ですね、先ほど言った。
これも丸山先生から、丸山先生が中国に行って、針の名人に学んでたんですね。
その時の逸話がね、もう私の中でずっと忘れられなくて、あるお腹腹痛で苦しんでいる患者さんがいたと。
短席だったらしいんですけれども、その患者さんにその針の名人がですね、ある場所、壺ですね、振れるわけです。
そして気を通すわけですね。
そしたらね、みるみるその痛みが減って患者さんが楽になっていった。
風景があったとかね。
あとは針を刺して気を通すと、お前ここまで気がきているだろうみたいな言うと、
本当に患者さんはそこまで気が通っているのを感じるみたいな、そんな世界があるみたいなことを言われたわけです。
もうね、1000人の時からずっとそういう世界が好きだったから、もうこれしかないと私は思ったわけです。
でね、その名人、聞くところによるともうすでに亡くなられていると。
その当時ね。
ただ、そのお弟子さん、最後のお弟子さんがもう全てを受け継いでいる。
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そのお弟子さんはいると。
言うとこれもうこの先生、そのお弟子さんに学びに中国に行くと。
で、気を通す技を学びたいと。
いう風に思って中国に行ったわけです。
で、さらにですね、その先生の、もっと上の先生。
そのやっぱり針を刺しての技術テクニックの、中国で第一人者と言われる張先生という方が、張新先生という方がハルピンにいてですね。
その先生ともお会いできることができて、手ほどきを受けることもできたわけです。
で、日本に帰ってきて、その技術をですね、完全に学び、マスターできるほどではなかったわけです。
でもそれをね、もう患者さんに試行錯誤をしながら試していくと。
試すって言われるとね、患者さんにとっては、おお、俺の試すんかってなるかもしれないですけども、腕を磨くためにはその過程も必要だとは思うんでね。
でもですね、それがうまくいかなかったんですね、私の中で。
で、特に中国の針っていうのは太いんですね。
なので、せっかく行ってね、中国の針の技術を学んだんだから、その太い針を使って治療したいと思ってたんですけども、患者さんはそれじゃ嫌だと。
特に日本人は繊細なんで。
で、患者さんが来なくなっちゃうわけですね。
そんなところから試行錯誤をずっとしていって、最初は細い針、日本の細い針っていうのがあります。
で、だんだん最終的には刺さない針になったっていう、そういう歴史があるわけですね。
そんなことをやっていく中で、その刺さない針って、気を通す技術というものが、私独自のオリジナル形っていうのができたわけです。
で、それをですね、教えているスクールもやっているんですけれども、
そのスクールというか技術をもっとね、みんなに知ってもらうために、フェイスブックにその動画を載せたんですね。
そしたらですね、その丸山先生とフェイスブックで一応つながってたんですけども、あまりやりとりがなかったんですね、ここずっと。
でもですね、いきなり連絡をくれて、とても良い治療をしていますねと言ってくれたんですよ。
もうね、私ね、その褒められたのがね、すごく嬉しかったですね。
もうね、その技術やっていることを褒められたってもう嬉しいんですけれども、
その学生時代にこの気を通すという方法を自分のものにしたいというその道を、当時30歳くらいですね。
今もう50何歳ですか、27年前、27年間追い求めてきた。
それをそのスタート地点ですね。
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神級学校の時の丸山先生に褒めていただいたというところでのその27年間がもう間違ってなかったというか、認められたっていうところがすごく本当に嬉しかったですね。
さらにその手前の先人から現在までのそれが一本に繋がったわけです、私の中で。
中学2年の時から神級学校を落ちたり受かったりして、やっと入って、で恩師と出会って中国の修行に行って臨床に出てうまくいかない。
でそこから針に刺さない針になって、現在その丸山先生の一言がいただけたというところがすごく私の中で人生が一本に繋がったわけです。
ですので、今ね、このポッドキャストを聞いているあなたに言いたいです。
今夢中になっていること好きだ、なんか知らんけど続けちゃう。
でもね、なんかやめないでくださいそれは。
ぜひ続けられる環境であるんだら、もしくはちょっと頑張れば続けられるのであれば続けてほしいです。
昔からね、なんか好きだとかそういうこと将来何になるんだろうみたいな若い人にも言いたいです。
でも好きだったら簡単に捨てないでほしい。
ずっと続けることで、私もね57ですから、この歳になった時にその人生が一本に繋がる、そんな経験もできる。
だから、ブチッと切らないで続けてほしいです。
今日は以上になります。ありがとうございました。