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2021-12-28 16:40

ゆうとの昔話(失敗と挫折の繰り返し)


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はいどうもゆうとです。ちょっと年末になってきてですね、時間もできてきて、なんか昔のことを思い出したりもする時間もできてきてですね、今回はまあそういうこともあるので、ちょっと自分の昔話みたいなこともしてみようかなと思いますね。
今ではですね、理学療法士とアスレチックトレーナーという資格も取ったりとか、博士号とかもですね、大学院で取ったりして、フリーランスとか自分で会社も作って仕事もしてるので、
まあまあ自分で言うのもあれですけど、なんか他の人とはなかなか違うような動き方もして、すごいですねって言われたりとか、どうやったらそういう生き方できるんですか?みたいなことも聞かれたりするんですけども、
まあ本当にずっとこう順風満帆みたいな感じでは全然なくてですね、本当に今までたくさん失敗とか挫折とかもあったので、
えーまあ今回ですね、ちょっとまあ身近に感じてもらえるかなと思うかわかんないですけども、その過去のちょっと失敗とか挫折経験みたいなことをつらつらいろいろ話してみようかなと思いますね。
えーまあ昔の話で言えば、まあでも小学校ぐらいですかね。
まあとりあえずスポーツでは水泳を小学校とかちっちゃい時からやってたんですけども、えーまあ小中高とずっと続けてたんですけどね、全然それは成果出なかったですね。
えー何でしょう、まあ小学校の時とかはまあ高学年になってくるとなんかちょっとぽっちゃり系というか太ってたりして、
えーそんなスポーツもできなかったですし、まあ中学高校と続けたりするわけですけども、やっぱり本格的にスポーツやってる人たちは結構スイミングクラブとか行って、
まあ本格的にやってるわけですけども、まあ自分は小学校までは行ってましたけどね、なんかそこでもうちょっと諦めちゃったりっていうか、
あーでまあ部活だけやって、まああの気楽にやってたんで、まあ本当に県大会とかまあ行けるかどうかぐらいのレベル、なんかあのリレーのチームみたいなやつに入れてもらって、
他のまあ強い人がいる時はですね、そういうちょっといい大会まで行ったりもしましたけど、一人の実力としては全然えーだったんで、まあ高校まではですね、スポーツで成績とかは全然残せなかったですね。
で、まあ今でこそですね、こうやって情報発信とかいろいろしてますけども、まあ小学校中学校ぐらい時は結構打ち気でしたかね、えーそんなにまあ仲いい友達はちらほらいたかもしれないですけど、そんなにたくさんこういう関係があるわけじゃなくて、えーまあまあまあ勉強してましたかね、勉強とゲームしてましたかね、えー小中学校とかは。
えーまあまあこういう打ち気なタイプなんで、ちょっとこういじられたりとか、まあ男同士でこういたずらみたいなことがあった時に、あんまりこううまくなじめなくてというか、まあ本当になんかちょっと嫌だなと思ったりして、うまく返せなくてですね、それをこう面白がってまたちょっといたずらされるみたいなこともありましたし、やっぱコミュニケーションとかもそんなに得意じゃなかったんじゃないかなと思いますね、自分の中では。
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あーまあそんな感じの小中学校でしたね、でまあ高校とかまで行くと、まあちょっとですね、そのなんか小中学校の人間関係のコミュニケーションの失敗をちょっと乗り越えたというか、なんかいじりみたいなことをうまく返せるようになったりとかですね、まあある程度広くこういう関係とかも作れるようなコミュニケーションはだんだんついてきて、まあ高校は結構楽しかった気がしますね、普通に楽しかった。
生活をしてたのを今となく覚えてますね。
まあでもスポーツとしては結局高校まで続けても同じぐらいのレベルで、まあまあそんなに耐性せずにスポーツしてましたね。
まあ勉強に関しては、まあ大学は無事現役で京都大学とかに入るんですけども、高校入学した時は一応地域の新学校みたいなところに行ったは行ったんですけど、それもですね、なんか自分自身では中学校の時は地域で2番目ぐらいの高校でいいかなっていう感じを持ってて、
なんですかね、それもこうやっぱ上を目指す気力があんまなかったって感じですかね。
まあだから水泳とかも同じ感じですけども、まあそこでもですね、その中学校の時の恩師みたいな先生が、水泳部の時の担任の先生ですけども、
その人がですね、もうちょっと行けるんじゃないみたいなことを言ってもらったりして、で高校受験ちょっと頑張ってみようかなっていう感じで、一応地域の中では一番の新学校に行けた感じなんですよね。
だからやっぱりなんかちょっと背中を押してもらったのが良かったなっていうのが、まあ今結構思い出しても思いますけど、そうやってちょっと上を目指す気力が出てきたっていうのがそのくらいかもしれないですね。
でまあ高校入っても新学校とはいえやっぱり他の地域で言えば頭いい人やっぱりいっぱいいるんで、本当学校、学年の中では半分ぐらいでしたかね。
なんかうちの高校は結構人数多かったんで8クラスぐらいまであって、学年で多分どうかな、2、300人ぐらいいたんじゃないですかね。
だから百何十万ぐらいとか高校1年生の時はそのぐらいでしたね。で高校2年ぐらいの時にちょっと進路とかも考え始めて、きっかけで人の役に立つ仕事をしたいなみたいなことで教育系か医療系かとか考えてたんですけど、
そこでですね、理学療法っていうのに知って、京都大学っていうのが一応一番偏差値が高かったりして目指そうかなと思ったわけですね。
最初は名古屋とかでもいいかなと思ったんですけど、たぶんその中学校ぐらいのちょっと成功体験とかもあったりして頑張ろうと思ったところですね。
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自分の特殊なところですけども、それで1回決めると結構頑張れるようなところはあって、だから滑り止めみたいな高校、大学は1個も受けなかったんですよね。
だからもう兄弟1本で理学療法行くって決めたんで、もうそれだけ受けるって感じで勉強して、本当にね高校3年生の時はなんかもしみたいなあっても結構いい判定続きとかで、
これで本当にいけるんかって感じでしたけど、本当にギリギリ最後まで足掻き続けたら一応元気合格できたって感じなんで、その辺でやっぱり勉強に対するちょっと自信はついてきましたがね。
本当1日10時間とか高校3年生の時は勉強してたんで、その過去の失敗というか、勉強に関してはうまくいったのかな、そういう意味で。
でも大学入ってからちょっと頭を使うようなところでも挫折もあるんですけど、大学受験までは結構うまくいった感じですね。
でもやっぱり水泳のスポーツみたいなところではなかなかうまくいかなかったりとか、あと人間関係的なところですかね、この辺はちょっと苦労したところもありましたね。
大学に入ってからはスポーツの失敗してきた体験みたいなのもあるんで、ちょっとそこを挽回したいなと思ってたのもあって、
自分が行った京都大学ではアメフトとラクロスとボートですね、この3つが結構強かったので、水泳やってたっていうのもあるのでボートがいいんじゃないかなっていう感じでボート部に入って、
大学の学部時代は本当に部活ばっかりやってましたね、スポーツっていうところで。
だから一旦そこは勉強からは離れてしまうんですけど、これもボートもですね、うまくいったところといかないところはありましたけどね。
大学の2年目、3年目ぐらいで全国5位ぐらいにはなれたんですよね、結構頑張ったんで。
それでですね、自分の行ってた理学療法士の学科だと病院の実習とかがあるんですよね、4年目の時に。
4年目が結構自分の部活の動機とかも強くて、これは行けるんじゃないかということで、1年ですね、学校を休学というか留年するのを決めて、
実習留年みたいな感じですね、部活1本で大学4年目を過ごしたわけなんですよ。
そういうこともあったんですけど、4年目ですね、またチームビルディングというか、8人乗りのボートで全国を目指してたんで、
チーム作りっていうのがなかなかうまくできなくてですね、大学2年目、3年目で全国5位とかなったんですけど、
それにも届かないぐらいの成績で終わってしまって、せっかく留年したのにそんな成績で終わってしまったわけなんで、
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これも結構大きな失敗でしたね、チーム作りの難しさというか、自分だけ頑張ればいいわけじゃないっていうのは結構ここで感じて、
ちょっと今もまだ模索してますけどね、チームで目標を達成するようなところとかは今後まだまだ改善していかないといけないなという感じですね。
大学の方はですね、理学療法士の資格自体は5年学部行って勉強してうまくいったわけですけども、
そこから大学院っていうのに行って、修士と博士と行くんですけども、ここで結構勉強というか頭を使う考え方の質が変わりましたね。
今までは受験とか試験とか、決まった目標に向けてこれをやればできるというか、合格できるっていうのが目に見えるような形の勉強は結構得意だったわけですよ、個人的にも。
でも研究ってなると自分の独創性というかクリエイティブな考え方をしないといけないというところが結構難しくて、
自分の中でのアイディアの作り方とかその辺が結構苦労しましたね。
修士の頃は自分の気持ち優先でやりたいことだけやってできるぐらいのあれでしたけども、博士とかになるとクリエイティブかつ社会的にも意義があって新しいものみたいなことを見つけないといけなくなっていて、
そこが本当に苦労して結構なかなかそういうアイディアが生まれなかったりして、ちょっと悩みすぎて鬱っぽくなってた時期もありましたね。
その辺から結構アートの大事さというか、そういうのにも気づき始めて、自分の気持ちプラスその社会的な様子っていうのも考慮して、
その覚悟を決めてやるみたいなところは、その辺でちょっと挫折もありつつ身についたような感じですかね。
そっちに逆に頭取られすぎたっていうのもあって、アスレティックトレーナーという資格を大学の博士課程の途中で講習とかを受けて取るわけですけども、
だからそこの両立ができなくて、一回アスレティックトレーナーという資格の試験も落ちましたね。
それもね、兄弟一斉なのに落ちるんやみたいなこと言われたりして、結構ショックとまでは言わないですけども、やってしまったなという感じのこともありましたね。
そういう試験とかもあったりして、結局大学の博士課程っていうのも3年で取れるのが一番最短ルートですけど、
3年で論文を書いたりするのもできずに、一応3年間猶予があるんですよね、博士課程っていうのは。
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その3年間ギリギリかけて論文を海外の雑誌に通して、で無事博士生後を取れたっていう感じで、
まあやっぱ大学院は結構苦労しましたね、頭を使うっていう意味で。
なんで本当に決められたことをやる勉強じゃないクリエイティブな発想をするとか、
クリエイティブな発想を自分でして、それでこれだと決めたことをまたやりきるみたいな力は大学院でやっぱりついてきたんじゃないかなという感じはしますかね。
その後はやっぱりもうちょっと仕事的なところですかね。
国家資格とかアスリティックトレーナーの資格とか、大学院の博士号とか学位も取ったりして、
大学院卒業というか3年間終わった後に株式会社とかも作って個人でも働き始めるわけですけども、
仕事もなかなか最初はうまくいかなかったですね、正直。
一応その時期に自分も結婚とかをするわけですけども、
奥さんとかの方が全然収入とかはあるし、結婚する時も指輪とかも全然買えなかったりとかしてですね、
ちょっと金銭的にはだいぶ苦労しましたね、20代後半ぐらい。
28ぐらいまで結局大学院の博士課程とか行ってたんで、
本格的に仕事という感じになり始めたのは本当に20代後半とか30歳ぐらいになりますけど、
仕事もですね、やっぱり専門知識があるだけじゃなかなか仕事が作れないというか、
自分の能力というか持っているスキルをちゃんといろんな人に伝えて、
この人に頼みたいなと思ってもらえないと仕事にできないとか、
そういうですね、心理的なところも勉強してきましたし、
今ではですね、ある程度そういうビジネス的な考え方というか、
知見も集まってきたんでちょっと仕事に対する抵抗感も減ってきましたけども、
ただ資格があればいいとか学位があればいいとかっていうわけではない、
リアルな仕事の現場というかビジネスの世界観というのは、
卒業した後にやっと見えてきたんで、その辺もなかなか大変でしたかね。
こんな感じですかね、なんとなく今現在に近づいてくるところだと。
本当に小さい時とかはスポーツ面とか人間のコミュニケーションとかっていうのは結構苦手な方で、
勉強はできる方だとは思ってましたけど、
でもそれもやっぱり言われたことをやる勉強っていうのは得意だったわけですけども、
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大学院とか入って自分自身の考えとかクリエイティブな発想とかっていうのは、
やっぱりその後は自分が苦手だなと思って克服してやってきた感じですし、
ちょっとずつそういう失敗とか挫折みたいな経験が積み重なって、
でもなんとか乗り越えるように頑張って、今の状況があると。そんな話でしたね。
ただ今、全然完璧っていうわけでもなくて、まだまだ勉強面でも知らないこともあるし、
最近ゴルフとか始めましたけど、ゴルフもまだ全然下手ですしね。
仕事面とかでもちょっとずつ軌道には乗りつつあるけど、まだまだかなっていう感じはするんで、
今後もいろいろ失敗とかもありつつ乗り越えながら成長していけたらなと思いますけども、
そんな感じの話でした。今の現状だけ見ると、すごい人みたいな感じで見られがちですけど、
全然そんなことはなくて、いろんな経験をしてきましたよっていう話でした。
今後も自分の失敗経験とかも含めていろいろ話していけたらなと思いますけども、
基本的には聞いてもらったら役に立つような情報とかを発信していこうかなとは思ってますが、
ライブとかもやったら気軽にコミュニケーションも取れるので、いろいろお話できたらなと思います。
はい、ちょっといつもに比べて長くなりましたけども、夢の昔話でした。
以上です。ありがとうございます。
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