2025-09-15 09:50

所有権2

ジョンロックの広がりと日本の所有権

サマリー

このエピソードでは、ジョン・ロックの所有権に関する考え方と、その考え方が日本の所有権の形成に及ぼした影響を探ります。ロックの理論と日本の共同体意識の違いや、明治維新以降の変化が現代の所有権にどのように影響を与えたのかを考察します。

ロックの所有権の基本
所有権、普段、当たり前のように使っていますけども、その考え方が、どこから来て、どう形作られてきたのかって、あまり深く考えないですよね。
そうですね、当然のものみたいな感覚がありますから。
ですよね。今回のディープダイブでは、その辺りを、西洋近代のジョン・ロック、彼の所有権の考え方と、それが日本でどう受け入れられて、どう変わってきたのか、
共有いただいた資料を基に探っていきましょうか。
ぜひ、資料では、ロックの哲学的な話から、日本の前近代、そして明治維新を経て、現代まで、その所有権がどう変わってきたか、対比する形になってますね。
そうですね。
今回のミッションとしては、自分のものっていう、この一見シンプルな感覚が、西洋的な個人主義と日本の歴史的な共同体意識の中で、どう違う意味を持っていたのか、そして社会をどう形作ってきたか、それを解き明かせたらなと。
面白そうですね。じゃあ、早速その核心に、まずはやっぱりロックの考え方の基本からですかね。
そうですね、基本からいきましょう。
資料によると、金は、自分の身体は自分のものっていう、自己所有、そこから出発して、自然、つまり元々はみんなのもの、共有物に、自分の労働を注ぎ込むと、それで私有財産が生まれるんだと考えたんですね。
これは、国とか社会ができる前からある権利、自然権なんだと。
そうなんです。で、そこには、神が人類に世界を与えてそれを有効に使いなさいっていう、ちょっと心学的な背景もあると指摘されてますね。
へー、心学的な背景まで。
ただ、興味深いのは、ロックがじゃあ無制限に所有していいよって言ったわけじゃないっていう点なんです。
そうなんですか、制限があった。
ロック的正しがきって言われる大事な制限が2つ。
正しがき。
はい。一つは、他の人のために十分な資源を残しなさいと、十分性の制約。
ふむふむ。
もう一つは、自分が使い切れないほど取って腐らせちゃダメだよと、腐敗禁止の制約。
あー、なるほど。労働で作ったものでも、無駄にしちゃいけないし、独り占めしちゃいけない。
そういうことです。他者の生存可能性とか資源の無駄遣いはダメだと。
うーん、でも今の世の中を見ると、ものすごい富の集中ってありますよね。
その制限はどうなっちゃったんでしょう?
そこがまさに転換点なんです。資料が指摘しているのは、貨幣の登場ですね。
貨幣。お金ですか?
ええ。金とか銀って腐らないですよね。
まあ、そうですね。
だから、腐敗禁止の制約なしに、いくらでも貯め込める。
あー、なるほど。
人々がその貨幣の価値を、まあ、暗黙なうちに認めたことで、結果的にロックが初めに設けたはずの制限が、なんて言うか、骨抜きになっちゃった。
うわーん。
それで、大きな富の蓄積と格差への道が開かれたんじゃないかと、これが資本主義を正当化する一つの大きなロジックになったわけです。
貨幣の登場が、そんな根本的な変化を生んだとは、いやー、これはちょっと驚きですね。
日本の共同体的所有権
で、このロックの考え方っていうのは、世界中にすごく影響を与えたんですよね。
ええ、非常に大きいですね。資料にもありましたけど、アメリカ独立宣言とか。
あー、ありましたね。生命、自由、幸福の追求。
ええ、幸福の追求っていうのが、実は資産に富むという分析ですね。
問いますと?
資料によれば、これは単なるきれいな言葉じゃなくて、ロックの精神、つまり財産を通じて豊かになる権利。
これを引き続きつつも、財産って言葉が当時抱えてた、例えば奴隷制とか、先住民の土地問題とか、そういう厄介な問題を避けるための、非常に戦略的な言い換えだったんじゃないかと。
ええ、そういう裏側が、哲学がこう、現実の政治に合わせて形を変えていく感じですね。
そういう側面が見て取れると、フランス人権宣言なんかでは、所有権は、新制服審とまで言われてますしね。
新制服審ですか、すごいですね。一方その頃の、というかそれ以前の日本、これは全然違ったんですよね。
全く違いますね。ロックみたいな、個人から出発する一つの絶対的な所有権って言うんじゃなくて、もっと複雑で関係性に基づいた権利が重なり合ってたんです。
関係性ですか。
ええ、例えば一つの土地にですね、領主様には年貢を取る権利、領主的土地所有がある。
で、農民には代々受け継いで耕す権利とか、そこに棲む権利、百姓的所持がある。
ふむ。
みたいに、一つの土地に複数の人の権利がレイヤー上に重なっている。絶対的な所有者はこの人一人っていう発想じゃなかった。
なるほどな。じゃあ、よく聞く入会権っていうのもそういう?
まさにその典型ですね。入会権、入合権。これは村とかの共同体が、門田で使う山とか野原、共有林野から薪とか肥料を取る権利。
ああ、はいはい。
個人のものじゃなくて、共同体が存続していくために、もう不可欠な、まさに人と人、人と場所の関係性の中で維持されてた権利ですね。
それが明治維新でガラッと変わっちゃうわけですか?
そうなんです。資料にもある通り、地租改正。これが大きい。
地租改正?
ええ。富国強兵を目指す明治政府としては、とにかく安定した税収が欲しかった。
まあ、そうですよね。国を作るにはお金が。
そこで、1873年から始めた地租改正で、西洋的な所有権制度、特に一地一種主義っていう原則を持ち込んだんです。
一地一種主義?
ええ。一つの土地には一人の所有者しか認めませんよっていう考え方です。
うわあ、それはそれまでの日本の慣習からすると相当ラディカルな変更ですね。
ものすごい変革でしたね。政府は土地の所有者を一人に決めて、地権っていうのを発行して、土地の値段に基づいて、現金で税金、地租を納めさせた。
現金で。
そうです。これで土地は自由に売り買いできる商品になったわけです。
なるほど。
これで政府の税収は安定したんですけど、一方で農民にとっては、例えば協作の時のリスクがすごく大きくなった。
それで土地を手放さざるを得なくなって、地主さんに土地が集まっていったり。
それから入会地みたいに、じゃあ所有者一人って誰よって決められない共有地がたくさんあったんですが、その多くが国とか公共の土地、関与地として、ある意味取り上げられちゃったんですね。
近代化と所有権の変化
資料の中では、社会のリアルな姿よりも国家の都合を優先した一種の法的暴力とも言えるんじゃないか、なんて指摘もされてますね。
近代化の影の部分というか、で、その流れを法的にカチッと固めたのが民法。
その通りです。1896年にできた民法、これは主にドイツ法をモデルにしてるんですが、これで絶対的で他の人を排除できる排他的な所有権という考え方が法的に確立されたわけです。
今の民法206条も、所有者は法令の制限内において、自由にその所有物の使用収益及び処分をする権利を有すると定めています。
これが基本。
あ、でもちょっと待ってください。今法令の制限内においてって言いました?
おお、いいところに気づかれましたね。
絶対的って実制限がある?
まさにそこが現代日本の所有権のなんていうか面白いハイブリッドなところを示してると思うんです。
ハイブリッドですか?
ええ、形の上では西洋から来た絶対的な所有権っていうのを採用している。
でも実際には公共の福祉のためっていう名目で、例えば都市計画法とか建築基準法とかいろんな法律で使用や処分が制限されているわけです。
確かに家を建てるにもいろいろなルールがありますもんね。
そうですよね。
これは個人の自由が絶対っていう純粋なロック的な個人主義とはちょっと違って、
社会全体の懲罰か利益を考える、ある意味全近代的な関係性を重んじる価値観が実質として結構色濃く残っている証拠じゃないかなと。
なるほど。西洋的な形式と日本的なあるいは共同体的な実質が融合している状態なんですね。面白いな。
そういう見方ができるんじゃないかと思いますね。
いやー、今回のディープダイブ面白かったです。
個人の労働と自然圏から生まれたロックの理論と、国家主導と入ってきたけど日本的な実質と混じり合って独自の形になった日本の所有権、この2つの道のり、対照的でしたね。
この西洋の形式と日本の実質の組み合わせ、あなたにはこの歴史的な背景の違いが、例えば現代の土地利用をめぐる様々な問題とか、
あるいは最近出てきているデジタル資産みたいな新しい所有の形を考える上で、どう影響してくると思いますか?
個人の権利と公共の利益というか、社会全体の調和というか、そのバランスを今後どう形作っていくのか。
ちょっと立ち止まって考えてみるのも面白い問いかもしれませんね。
09:50

コメント

スクロール