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#37 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記④(完)クマシ・アクラ(アグボグブロシー)編〜
2026-08-09 37:52

#37 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記④(完)クマシ・アクラ(アグボグブロシー)編〜

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ガーナ渡航記、ついに完結編です!

前回、内陸の古都クマシへ移動しての年越し、そしてアフリカのパワーを肌で感じるエピソードについて語ります。V.I.P.バスでの珍道中、ホテル近くの公園でお湯を注いだどん兵衛の年越しそば。そして翌日訪れた、西アフリカ最大級のケジェティアマーケットの熱気。

そして今回のメインは、アクラ中心地からわずか車で5分。おしゃれなカフェでの朝食から数時間後に目にした、世界最大級の電子機器廃棄物集積地アグボグブロシー。文献の言葉だけでは決してわからなかった、その「高低差」をお伝えします。

さらに、渡航中ずっと僕らを支えてくれていた森下仁道選手と、ついに実現した会食も。「短い一度きりの人生の中で、迷ったら、やる。」ーー私の初海外・ガーナ渡航記、全4回、ここに完結です!


#ガーナ #クマシ #アクラ #アグボグブロシー #eウェイスト #環境問題 #SDGs #アシャンティ王国 #ケジェティアマーケット #野口英世 #黄熱病 #森下仁道 #JICA #海外協力隊 #アフリカ #西アフリカ #海外渡航記 #迷ったらやる


【関連リンク】

#8 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記①序章〜

#9 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記②ガーナ到着編〜

#11 迷ったら行けって話〜かわむーの海外渡航記③ケープコースト・アノマボ編〜

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▼「好奇心のたまり場」とは?

福岡の現役高校教員のかわむーが日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやモヤモヤをリスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わう番組。

みんなんで好奇心を持ち寄り、日常を少しだけ豊かにする「知の冒険」に出かけましょう。

お便りや感想は「#好奇心のたまり場」で!

また、下記URLからリスナーの皆さんの感想や質問、たまり場で一緒に話したい好奇心をドシドシお寄せください!📻

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00:03
はい、始まりました。好奇心のたまり場。この番組は、福岡の現役高校教員が、教育現場のリアルや探求、キャリアなど、日々の生活の中で生まれる好奇心やワクワク、問いやもやもやを、リスナーの皆さんと一緒にじっくりと味わうポッドキャストです。
パーソナリティを詰めます川むーこと川村周平です。さて、今日はですね、懐かしいあのコーナー、完結編なんですけれども、実に半年ぶりに戻ってきました。
迷ったらいけって話、川むーの海外渡航期ということで、私の初海外の渡航先であるガーナについて、これまで3回にわたって話をしてきました。
こちらあのだいぶお待たせしすぎたかもしれませんが、今回でやっと完結編でございます。
まず忘れてしまった方のためにですね、これまでどんな話をしたのかっていうのを簡単に振り返らせていただければと思います。
まず第8回の放送では、なぜ世界教員の私がいきなりガーナに行くことになったのか。
ダイウィズゼロという人生観と、あとはまあ餃子の放送でね、一緒に行く先生とのやりとりから、まあ衝撃的にチケットを取ったという話をさせていただきました。
そして第9回の放送では、実に23時間ですね。もう私にとっては本当に地獄のフライトだったんですけれども、
それを経てですね、まさかのロストバッゲージ。その後ですね、電子機器のゴミ問題に取り組む長坂孫さんの孫クリエーションの工場を訪れたアクラでの2日間をお話しいたしました。
そして第11回の放送では、シリーズ3本目ということで、いよいよ私の終始論文の舞台であるケープコースト城やエルミナ城、
そしてアノバモのウィリアム城西へと足を運びました。 奴隷防疫の負の歴史と、現地のパンティー人たちがですね、どのように
体制を奴隷防疫と関わってきたのかについて、まあ私が数年間向き合ってきた研究を踏まえながら話をしました。
そして今回ですね、ガーナ渡航期シリーズ完結演となります。 舞台はですね、沿岸部のケープコーストから変わってですね、内陸のクマ州というところになります。
そこでですね、実は2022年はですね、年越しをしまして、新年をガーナで迎えたわけです。 そしてアクラに戻ってからの世界最大級の電子機器の墓場と言われる
アグボグブロシーへの訪問について語ろうというふうに思っております。 はい、ということでだいぶお待たせしすぎたかもしれませんが、今日はこの辺りをですね、熱く話していきたいというふうに思っております。
はい、ということでですね、2022年のですね、12月の25日に日本を経ってガーナへと向かったわけなんですけれども、
まずアクラ、そしてケープコーストと移動してきて、12月の30日まではですね、ケープコーストに滞在をしておりました。
03:05
そして12月の30日にリムジンバスに乗ってですね、内陸のクマ州へと移動をしました。 それこそ12月30日の正午頃ですかね、バスジャンクションみたいなところがあるので、そこでVIPバスというリムジンバスで
クマ州を目指すわけなんですけれども、それこそ大きなエンジン色の車体ですね。 白抜きにVIPと文字が書かれた大きめのバスで、しかもかなり中身も綺麗なので、乗る前からすごくテンションが上がっていたんですけれども、
それこそね、アクラからケープコーストへの移動はトロトロと呼ばれる乗り屋のバンで窮屈な中で移動してきたので、それに比べたらまだめちゃくちゃマシです。
しかもその購入したチケットの裏にはですね、乗車するバスのナンバープレートの番号が書かれているという面白いシステムになっていまして、これでどのバスに乗ればいいか迷わないという風にシステムになっています。
そして乗り込んでみてですね、これがまた驚くんですけれども、本当に座席がめちゃくちゃ広いんですよね。足元のスペースもかなりゆったりしていて、座り心地も抜群です。
もうあの飛行機とかトロトロとか本当にガーナ都交の中でも一番快適な移動だったと思います。
でケープコーストはですね沿岸部の街だったんですけれども、このクマ市はガーナ第二の都市と呼ばれていて、かつてアシャンティ王国の首都だった場所です。
まあそれこそ海から内陸へ本当にあのいよいよガーナの奥へ奥へと入っていくというそんな移動でした。
でこのバスの移動なんですけれども、大体ですね約6時間ぐらいの道のりで、僕にとってはですね実はその忘れられない事件が起きました。
はいそれ何かというとですね、実はの移動の途中にですねあの私あの急にトイレに行きたくなってしまったんですよね。
まあもちろん6時間あるんでバス乗る前にトイレは済ませていたんですけれども、なんかですね空調もめちゃくちゃ寒くてあのなんか嫌な予感をしてたんですよ。
でバスの中なんでトイレはもちろんありません。
で本当ですね限界を途中でですね迎えてしまってですね本当あの一緒に乗ってた先生にもちょっとやばいかもしれないですという風に言いながら、
はいもう最終的に思い切って運転士さんの方に歩いて行ってですねあのすいませんとトイレに行きたいと、
I wanna pee と、まあピーっていうのがまあトイレとあのおしっこって意味なんですけども止めてくれという風にお願いをして、
本当高速道路じゃないんですけど本当道端とか何もないんですけど、もう道路のど真ん中でバスを止めてもらいました。
はいもう今考えただけでもすんげー恥ずかしいんですけど、それこそ30人から40人ぐらい満員のお客さんが乗っているバスをですね本当の私一人のために止めてしまって、
で道端にですねそういったトイレとかがあればいいんですけどこれが本当にないところだったんですよね。
06:04
でさすがにタチション、すいません汚いんですけどあの道端りするわけにもいかなかったので、
ほんとあの近くにですね通行人がもう本当に地元の人ですよが歩いていたんで片言の英語でですね本当に今でも覚えてるんですけど本当に苦しみながら
I wanna pee, where is toilet? って、あのとりあえずトイレを貸してくれということだけ伝えて、
でなんかそのたまたまですね道端り歩いてた女性2人、お母さん2人かながこっちにあるよっていう風に言ってくれて本当にその2人について行ってそのまま全力疾走ですよね。
はいもう走ってあの民家の方まで行きました。
バスが止まってる場所から歩いて10分ぐらい、10分かな走っても10分ぐらいかもしれないですけどところまで行って途中でなんか子供たちが遊んでいたりだとか学校を突き抜けたりだとか
なんかめっちゃ走った記憶もあるんですけど見ず知らずの民家に駆け込んでですねあのトイレを借りたんですよね。
もう日本でさえしないのにまさかのガーナで民家のトイレを借りるっていうそんなことをやってたんですけれども
はい本当に今思えば意味わからないんですけどここでですね今でももう鮮明に覚えてる出来事があって
あのバスに戻る時にですねちょっとLINEを一緒にいた先生とやってて無事に終わりましたと今帰ってますと
一緒にいた英語の先生から実にLINEが来てて戻ったらみんなに向かって大きな声でベリーソーリーって謝りながら入ってこいという風に言われてたんですよね
で正直その時僕はもう半分冗談だと思ってたんです
ベリーソーリーでいいんかいと思いながら
ただちょっとまああの本当に340に乗ってる中で扉ファシャーって開いて
ソーリーソーリーって言いながらちょっと静かに小さく言いながらこそこそ自分の席に戻ったんですけども
そしたらですねその一緒に行った先生にめちゃくちゃ怒られて
これだけたくさんの人に迷惑かけてるんだからちゃんと謝らないとダメだよって
ベリーソーリーってちょっと笑い話にするぐらい大きな声で言わないと本当にダメだよっていう風に言われてですね
今振り返ると久々に人に怒られたなというかなり鮮明に覚えてる出来事ですね
今思えばものすごく大きな学びでもあったんですけど
やっぱり海外の人たちって本当にありがとうとかごめんなさいっていうのを
僕ら日本人が思ってる以上にしっかり言葉にするんですよね
例えばガーナに行ってる時もありましたけれども
ちょっと道端で体が触れただけでも
ソーリーってすぐ言うし
感謝とか謝罪っていうのをちゃんとするっていうそういった文化を改めて感じたし
この熊市の移動での本当に僕にとっては大きな失敗がですね
感謝と謝罪をきちんと言葉にするっていう
09:01
私が今でも大事にしている習慣のある意味原点というか原体験になってるわけです
ということでそんなハプニングを挟みながらですね
我々が熊市に到着したのがそれこそ6時頃ですかね
本当に6時間ぐらいバスに乗っていたので
本当に夜がちょっと深くなってきたなというところでした
バスを降りるタイミングでですね
いろんな国の人々がバスに乗ってたんですけれども
口々にですね何回言われたかな3回ぐらい言われたんじゃないかな
スマホはちゃんとしまっておいた方がいいよという風に
本当に見ず知らずの人からも結構注意をされて
僕が首から下げるスマホホルダーみたいなのをつけてたんで
スマホだけは直しておけよっていうふうなことを言われて
そんな注意をされたのを今でも覚えてて
ケープコーストよりも明らかに人の量が多くて
街全体がゴミゴミとした密度の高い場所なんですよね熊市っていうのが
同じガーナでも沿岸部の街とは全く違う顔を持っていて
それが熊市に降り立った瞬間の第一印象で
それこそアクラとかに比べたらちょっと治安が悪化するし
観光客はもちろん多いんですけれども
それだけ危険性も増すという
ちょっと引きの引き締まる思いもありました
宿はですねバスの停留所から歩いてすぐのところにある
本当に素敵なリゾートホテルのような宿でして
ケープコーストは民宿のような温かい場所だったんですけれども
またちょっと非日常感のある非常に素敵なホテルで
しかもそのご飯もですねビュッフェスタイルで
朝ごはんとかとっても美味しかったんですよね
ここに私たちは2泊することになりました
夜はですね川辺のレストランみたいなところで
ビールだったりピザだったり食べながらですね
旅の疲れを癒したりですね
あとはそれこそ12月の31日から1日にかけて
それこそ3日間ぐらいですねこの熊市に滞在するので
私はその人生で初めてガーナの熊市で年越しを迎えたことになります
はいここでですね一つ歴史の話を挟ませてください
かつてこのアシャンティ王国の首都として栄えた熊市ですね
私の終始論文でも触れた話なんですが
18世紀から19世紀にかけて
ガーナの沿岸部にはファンティ王国と呼ばれる民族の王国がありまして
こちらの内陸熊市のあたりには
アシャンティ王国と呼ばれるアシャンティ族の王国がありました
この2つの大きな勢力が存在していて
なおかつこの2つが対立関係にあって
そこにイギリスをはじめとするヨーロッパ勢力が絡んでくるわけです
それこそイギリスは沿岸部のファンティと連合を組んでですね
その後ろ盾を得ながらファンティは内陸のアシャンティといく度も戦争を繰り広げてきました
12:04
つまりですねこの私が前回まで話してきたケープコーストの沿岸部とですね
今回訪れている熊市の内陸部というのは
単なる地理的な違いだけでなくて
歴史的にも対立しあってきた全く別の勢力圏が形成されていたわけです
またそのアシャンティ王国はですね
実は今もこの熊市にガーナ憲法が正式に認める立憲軍制の王国として存在をしています
なので現在もですねこの国王が暮らす宮殿というのもこの町の中に存在をするわけです
というような歴史的にも非常に魅力のある町なんですねこの熊市というのが
ここで数日間滞在をするわけなんですけれども
それこそ12月31日は大晦日なので
日本人といえばですねやっぱり食べたくなるものがありまして
やっぱり年越しそばですよね
私たち3人はここで年越しをするっていうのを決めていたので
しっかり日本からどん兵衛を持って行ってたんですね
で31日の夜はホテルの近くにちょっと公園があってですね
結構暑かったんですけど
そこの公園でホテルでお湯を入れて公園まで運んで行ってですね
3人でどん兵衛の年越しそばを食べて過ごしました
どん兵衛と一緒にですねインスタントお茶も持って行ってたので
もうめちゃくちゃそこでですね
あの日本人を感じて止めながら過ごした記憶が今でもあります
で意外だったのが
そのガーナの正月っていうのがなんか思ったよりもずっと普通でですね
近くで花火は結構どこどこ上がってはいたんですが
日本のようにみんなでどこかに集まったりだとか
それこそ初詣に行ったりだとか
そういった決まった風習は特にないようでした
国や文化によって年越しっていうのも
なんか特別な日の迎え方もですね
こんなに違うんだなっていうのを実感した夜で
そんなこんなで2023年はガーナで新年を迎えたわけですね
そんな熊市なんですけれども
一番行きたかったところがどこかというと
それこそ12月31日に1日かけたんですが
熊市の大目玉スポットでもあるケジェティアマーケットというところに行きました
これね知ってる人ほとんどいないと思うんですけれども
ほんととにかくでっかい市場なんですよ
これはの西アフリカ最大とも言われるマーケットで
まあ本当にあの外ですね
青空市場みたいなものが延々と広がっているだけでなくて
例えばその旧イギリス領時代の名残を感じさせるような
洋風な建物の中にも
何層にも渡って店がびっしりと並んでいたりだとか
本当にですね道路の上にデカッとなんていうんですかね
屋根が作られていて本当に街全体がこうマーケットになっているような
なんかそういったエリアなんですね
でも車も人も本当にえげつないぐらいいて
これぞアフリカっていう感じの熱気が
15:01
うわーってこう伝ってくるような場所だったんですね
これは本当正直言葉だけではなかなか伝わりきらないと思うので
リスナーの皆さんもぜひですね
一度ネットでケジティアマーケットを検索していただければ
あの光景がですね見れると思います
本当なんか日本で絶対に見れないような
人の熱気と商売の活気に完全に飲み込まれるような感覚だったんですね
そんな現地の人のエネルギーの源とも言えるような
ケジティアマーケットで食事をしたりだとか
あるいはちょっとお土産買ったりだとか
なんかそんなことをしながら
12月31日は1日そこで過ごしました
それこそそこで年越しをし
翌日の1月1日はですね
実はもう本当僕らはシャトルバスに乗り込んで
実はもう熊市から4,5時間かけてまたアクラに戻るという
そういう計画だったんですよね
もう本当弾丸っていうか
もう2泊3日だけ熊市にいたんですけれども
なんか本当その3日間だけでもですね
このアフリカのエネルギーというか
ガーナのこの人の強さみたいなものを感じることができました
ということでシャトルバスに乗ってですね
また1月1日の夜ですね
アクラに戻ってきて
もう本当1週間ぶりですかね
アクラに戻ってきたのは
なんかちょっと安心するぐらいの
なんかそのやっぱ都市部なので
なんか見るものだったりとか
あの建物の感じが
なんか懐かしいっていう
なんかそういう気持ちにもなりました
でその日の夜はケンタッキーを食べたりだとか
綺麗なホテルにも泊まってたので
ゆっくりをして
あと残り2日間を楽しもうと
なんかそんな感じで1日は終わりましたね
はいでそして翌日の1月2日ですね
実はこの日が
今回のガーナシリーズの中でも
かなり濃密な1日になってます
で何をしたのかというと
まずこの午前中に向かったのがですね
野口秀夫記念館なんですよね
で皆さん野口秀夫は多分ご存知だと思うんですけれども
なぜ野口秀夫の記念館が
日本ではなくてガーナのアクラにあるか
ご存知でしょうか
それこそ野口秀夫といえばですね
日本の千円札の肖像にもなった
有名な細菌学者なんですけれども
彼は実は晩年
黄熱病の研究のためにアフリカに渡って
当時イギリス領ゴールドコースト
つまり今のガーナで研究を続けていたんですね
そして1928年
自らも黄熱病に感染してしまって
この地で亡くなってます
なので日本を代表する科学者が
実はその遠く離れたアフリカの地で
人類のために病と戦い続けて
そして命を落として
その事実がですね
その今もガーナのアクラに
記念館として残されています
日本人なら誰でも知っている野口秀夫のですね
その実際の日記だったりとか
当時の研究データとか
18:00
あとは写真なんかかなりの数
保管をされていて
私自身ですね
ガーナに行くってなったら野口秀夫だなとは思ってたんですけど
まさかここまで
しっかり記念館が作られているとは
僕自身現地に来るまで分からなかったですし
実はこの記念館ですね
病院の中にあるんですよ
病院の敷地内ですね
にあります
なんかですね
日本人がガーナで
大切に扱われているっていうことを知ってですね
すごく我々3人
めちゃくちゃ嬉しい気持ちになって
なんかそんなことを肌で感じた
午前中でした
はいそれがまず最初ですね
でその後1月2日の午後はですね
僕らどこに向かったかというとですね
今日のメインスポットでもある
アグボグブロシという場所です
これは第9回の放送ですかね
そちらでも少し触れているんですけれども
改めてこの場所について
ちょっと簡単に説明をさせてください
はいこのアグボグブロシ
なかなか言いにくいんですけども
これはですね
アクラの中心地から
本当に車で5分ほどですかね
というぐらい信じられない
近さにあるスラム街なんですよね
で世界最大級の電子機器廃棄物の
集積地として知られていて
正直この存在自体をですね
知らない日本人の方が
ほとんどだと思います
先進国からですね
リサイクルという名目で
あるいは不法にですね
大量の電子機器が
ここに投棄され続けています
それこそパソコンだったり
テレビだったり携帯電話
あるいは実際に僕が見たのは
その廃棄物の中にはですね
日本語表記のものも数多くありました
ここで生活をする人々は
その電子機器からですね
金属を取り出すことで
わずかな肥膳を稼いでいるわけですね
でそのプラスチックや
あとゴムですね
そういった被膜を燃やして
中にある銅線とか
こういった細かいものを
金属を取り出してですね
それを売ってお金にするわけなんですけども
その作業でですね
発生する有毒な煙を
それこそそこの現地はですね
来る日も来る日も吸い込みながら
ほんと1日数百円とかの日当で
働き続けているわけで
そこの現地のアグボの若者とかは
30代で命を落とすとも言われています
まあそんな世界の
なんて言うんですかね
経済格差の縮図とも言えるような場所でして
ここはぜひ皆さんにも
知っていただきたいなと思うんですけども
それこそこの日お昼はですね
アクラのオシャレなカフェで
2000円を超えるような朝食をとっていて
その数時間後に
この凄まじい光景を目にするわけですね
なんかその肯定さというか
本当に車で数分の場所に
こんな全く違う世界が共存している
っていうところに
正直言葉を失いました
で私たちは今回ですね
現地のドライバーをハイアーしていて
21:00
というのも初日にですね
マゴクリエーションの工場とかアトリエットに
訪問できてたんですけども
タイミングが合わなくて
実際にそのアグボグブロシーの村の奥の方ですね
つまりその電子機器が
実際に山積みになっていて
燃やされている現場までは足を運べていなかったです
なのでドライバーに運転をしてもらって
そこまで連れて行ってもらおうと
いう風に考えていました
なおかつさすがに日本人だけで
この場所に足を踏み入れるっていうのは
危険だっていうことを
いろんな人からも言われていたので
そのドライバーには通訳と現地の仲介
やり取りっていうのもお願いをしました
実際ですね
この村の中を歩いていくと
途中でですね
この現地の人から
なんで外国人なんかを連れてきてるんだっていう風な
ちょっと揉め事っぽくなる場面もあって
その場の空気っていうのは
決して穏やかなものではなくてですね
そこはドライバーの方がうまく
話をしてくださったので
大事には至らなかったんですけども
本当動画を回しながら歩いてたので
その場はですね
さすがにカメラを止めろという風な形で
言われたので
写真だったりとか動画は
一枚も残ってないんですけれども
その車を降りて村の中へ
歩いていくとですね
いわゆるスラム街みたいなものが
広がっていて
イメージとしてはですね
フィリピンのスモキマウンテンが
近いかもしれません
ただなんて言うんですかね
そのスラム街っても
あんまり暗い感じでもなくて
これはちょっと私があんまり見れてない
っていうところもあるんですけど
みんな普通に生活をしているんですよね
歩いてる中で
もちろん日本人が珍しいっていうのも
あるかもしれませんが
挨拶をしてくれる子どもたちもいれば
みんなでサッカー観戦を
しているところもあれば
あるいは髪を切ってる
そういった美容室みたいなところも
あったりだとか
ただかわいそうだとかっていう
そういう一側面で語るのは
間違ってるなっていう感じがして
本当人々の生活が
そこには普通に存在していた
っていうのが正直な感想ですね
ただ
村の部分ですね
人々が住んでいる村の部分から
どんどん奥に進んでいくと
やっぱりすさまじいゴミと
あと強烈な匂いっていうのが
襲ってくる場所があるわけです
やっぱりプラスチックとかゴム
っていうものを燃やしているので
独特な刺激臭がするし
奥の方には
見渡す限り電子機器の山があるわけですね
なんか山があるな
丘があるなと思ったら全部ゴミなんですよね
そしてその中で
黙々と作業を続ける
人々がいて
ネットで見た通りの景色が
そこに広がってるわけですね
それこそ
ゴミも積み重なっているので
自然発火して煙が
黙々と出ていたりだとか
あとは横に川が
流れているんですけれども
そこには大量のゴミだったりとか
24:00
洗剤だったりとか
本当に汚れが流れていて
これが海まで流れていると思うと
本当にゾッとして
正直この光景を見ても
何かこう
安然としたんですよね
やっぱり
文献とかネットとかで
電子機器のゴミ問題とか環境汚染とか
貧困っていう言葉を読んでいるのとは
全く違う
次元の体験で
本当にすごい貴重な
経験だったなと今でも思います
一方で
そういった側面もあるんですが
希望もあって
それこそ長坂孫さんの活動もあって
このアグボグブロシー
という場所の知名度は
少しずつですが確実に上がっているような
状況があります
例えば長坂さんは
すでにスラム街で
学校を設立していますし
それだけでなく
他のNPO団体もこのうちに学校を建てていこう
ということでプロジェクトを進めているようです
ただ約10万人が暮らすと言われている
このアグボグブロシー
でも十分な数の学校とか
そういったインフラというものはないので
今ちょっとずつ
ちょっとずつ良くしていこうと
いう風に取り組みがなされています
やっぱりこのアグボグブロシーを見ると
なんていうんですかね
先進国の消費行動みたいなものと
やっぱりその
途上国の労働とか環境問題というものが
やっぱりこう
地続きの構造的な問題になっているなとも
感じるので
やっぱり僕らが何気なく日本で
買い替えているスマホだったりとか
パソコンだったりとか
そういったものが
こうして誰かの健康だったりと環境を蝕んでいることも
あるのかもしれないと
そういったことを考えるきっかけにも
なりました
同時に第9回の方でも
話していると思うんですが
長坂孫さんの活動ですよね
廃材をアートに変えて
そこから雇用を生み出すっていう
独自のサステナブルキャピタリズム
という理念が
この現場を見た後だからこそ
やっぱり重く響きましたし
ゴミをただの
負の遺産として終わらせるのではなくて
そこから価値を
そして希望を作り出そうとする挑戦
なんかそういった
アート作品だったりとか
この村で見た煙の匂いだったりとか
いろんなものが僕の中で
繋がるそんな
時間でした
本当に短い
滞在だったのでこの問題を
全て理解したなんかは
本当に思ってなくて
到底言えないんですけど
でも実際にこの目で見て
この匂いを嗅いだっていう
経験はですね
私がこれから教員として環境問題
だったりとかそういったものを語る上で
非常に大きな重みを
持ってなったなと実感をしてます
ということで1月2日ですね
だいぶ濃密な体験が
続いているんですけれども
アグボグブロシーでの
27:01
こういった時間を終えた後はですね
夕方からこの最後
アクラのシンボルともいえる
ブラックスタースクエへ向かいました
ここにはですね大きな門のような
建造物があって
そこにはですね黒い大きな星と
AD1957という文字が
刻まれているモニュメントがあります
でこれは
ガーナが1957年に
アフリカで最初に
イギリスからの植民地支配から
独立した都市を
表しているわけですね
独立の主導者である
クワメエンクルマの名前とともに
この広場は今もガーナの
人々にとって誇りの象徴で
あり続けてます
多くの観光客が訪れる有名な
スポットでもありますし
空港からも非常に近いので
ぜひガーナに行かれた際は
訪れることをお勧めします
はいここで一つですね
ちょっと思い出してたので
旅の最後にですね集めた雑学を
一個紹介させてください
実はこのガーナですね
正確にはファンティー人の
文化なのかななんですけど
生まれた曜日によって
名前が決まる風習があります
例えば日曜生まれの
女性はエッシーといいます
ケープコーストで
私たちを泊めてくれたホストマザーも
名前はエッシーでした
で土曜生まれの男性
っていうのはこれクワメっていったりします
それこそ独立の父である
クワメエンクルマもここから
来てるわけなんですよね
なのでレパートリーとしては
7種類×2しか
実はないわけなんです名前というのは
で名前同じ人も
いっぱいいるわけで
実はなんでこれ今思い出したかというと
あの
現地でですね
自分の名前が僕シュウヘって言うんですけど
シュウヘってやっぱなかなか
通じないわけなんですよ結構発音が難しくて
で短く
ニクネもですね海外だったら
言うことあると思うんですね
で僕の一緒にいた友人だったら
ヨシユキでヨシだったんですけど
僕なんて言うかなと思って短く
シュウって名乗ってたんです
そしたらあの
街でですね出会った子供たちと話すときに
マイネームズシュウって言ったらですね
ずっと靴シューズと
勘違いされてたということをちょっと今
思い出しました
でそれでチャイカの方ですね
何回もご飯行ったりしたんですけど
向こうでこの曜日の名前について
話を聞いて
僕はそれこそ木曜日生まれだったので
ヤウっていう
名前になるんですね
でノリで現地の人とかに
飲み屋とかでですね
マイネームズヤウって言ってたら
そしたらお店のスタッフ
これはケープコースだったかもしれないんですけど
マジかみたいな驚きの顔をされて
お前ガーナのダンス踊れるんか
みたいなこと聞かれてですね
実はその夜は
お店の人と一緒に店で踊ったりだとかもして
はい
なんかそのたった一つの名前なんですけど
そういったもののきっかけに
場の空気がぐっと近づくような
こういった体験もガーナという
30:00
国の人懐こさみたいなものを
象徴する忘れられない
思い出の一つです
はいちょっとまあ旅も終盤に
差し掛かってきたのでちょっと思い出した
雑談を喋っちゃったんですけど
さて夕方からのこのブラックスター
スクエア観光の後はですね
近くのマーケットでお土産を
買い込んでいよいよ
2週間近いガーナ滞在も
終わりを迎えるわけですね
それこそこれも思い出したんですけど
アクラのホテルではですね
いちいちこのトイレの鍵が
ぶっ壊れて
友人の一人が閉じ込められるという
ハプニングもあったんですけど
それこそホテルのスタッフさんですね
何かあったら呼んでねって言われた番号に
呼んだらすぐ来てくれて
これ無理だよって言って
そこら辺にある瓦礫を拾ってきてですね
ドアノムぶっ壊して救出するっていう
なんかそういった思い切りのいいな
って思うイベントもあったりだとか
あとはですね
もう最終日のお土産はですね
買い物がみんなさすがに上手くなってて
私もですね
初日は結構洋服だったりとか
お土産でぼったくられたんですけども
ここまで来るとですね
一旦まずは提示された金額
基本的にいい値なんで
値札ないんですけど
提示された金額の半額を言って
それは安すぎるだろうって
ちょっと怒られて
そこからじわじわと調整していくっていう
そんな術も身につけながらですね
最後にガーナの攻撃の仮面であったり
手掘りの杖なんかを
お土産として買い込んだり
しました
そしてこの日の夜ですね最後です
僕にとってこの旅でも
欠かせないもう一つ大きな出来事がありまして
これまで何度も
お名前を出してきたモリッシャ・ジンドウ選手
それこそ
ケープコーストへの移動だったりとか
トゥクトゥクの手配
あとは遠隔で人捨てにですね
僕らの旅をずっと支え続けてくれた
存在でして
とこを前からコンタクトはずっと取ってたんですけども
なかなか最初のアクラとかでも
予定がかみ合わなくて
実際に顔を合わせられたのは
実はこの旅の最終日
近くのこのアクラでの2日目の夜だったんですね
で
会食の場には
ジンドウさんだけでなくて
在家の方々だったりとか
あとは現地のネスレの
ガーナ社ですかね
働かれている日本人の方とかも同席してくださって
本当に賑やかな食事会を
過ごさせていただきました
でガーナでの日々の暮らしのことだったりとか
ジンドウさんの選手としてのキャリアのこと
あるいは現地で
いろんな事業を立ち上げたりしているので
その事業がどう展開しているのか
っていうことだったりとか
いろんな立場の人間が
ガーナについて語り合う
あの時間は本当
旅の中でもすごく
ガーナをいろんな視点から見れた
そんな時間だったなと思ってます
でジンドウさん
さんで言ってるんですけどリスペクトを込めてですね
彼は実は僕と同い年で
今年31歳で
あのミトマ選手と同じ
筑波大学のサッカー部の出身なんですよね
でこれ前に話しているかもしれないんですが
33:01
大学の在学中から
アフリカに渡って
ザンビアそしてガーナで
日本人選手として
本当前例の
ほとんどない道を切り開いてきました
同い年の人間が
たった一人で
アフリカの地に飛び込んで
プロとして戦い続けている
その事実に
僕はずっと痺れっぱなしでした
この旅の後はですね
前回も話しましたが
ジンドウさんは
僕の前任校にも講演に来てくれて
それこそ生徒たちに
直接自身の挑戦について
語ってくれましたし
そして現在は活動の舞台を
さらに広げてですね
モロッコでプロサッカー選手として戦っています
サッカーファンとしても
教員としても一人の人間としても
僕はジンドウさんのことを
めちゃくちゃ応援しているし
この会食が実現したことで
僕たちの
今回のガーナ渡航というのが
大きな輪として繋がった
そんな感覚があった
夜でした
そして1月の
3日お昼前ですかね
我々はガーナを
経って日本時間で
4日の夜に
帰ってきました
ということで
2週間ですね
振り返ってみると
この旅というのは僕一人の力では
絶対に成し得なかったなというのが
今でも思います
初海外というのもあるので
やっぱり一緒に旅をしてくれた
英語科の先生2名
そしてケープコーストとかの
移動だったりとか
手配だったりとかをしてくれた
森下ジンドウ選手
そして一緒に会食してくれたりだとか
ケープコーストも実は一緒に
回ったんですけど
在家単位の皆さんだったりとか
本当いろんな方々との出会いと
支えがあったからこそ
この旅が人生で最も充実した
経験になったと思っています
本当今でもですね
人生の思い出って何?
って聞かれたら
真っ先にこのガーナの話を
あげます
この経験があったからこそ
私はですね結構好奇心を持って
何にでも挑戦するタイプなんですけど
なんかその
土台が得られたなぁと
思っています
そしてこの旅を通じて
一番強く感じたのが
やっぱり
ガーナの人たちの
優しさなんですよね
日本人に限らずですけど
多くの人がアフリカって聞くと
怖いとか危険
っていうイメージを先に
持ってしまうと思います
これはしょうがないと思うんですけど
実際その
渡航前の僕も正直ちょっと
怖かったんですね
でもやっぱり実際に足を
運んでみるとそんなことばっかり
では当然ないし
むしろそこにあったのは
日本では得られないくらいの
エネルギーと
人懐っこさだったんですよね
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で今
世界の人口動態とか経済の中でも
アフリカは既に
そしてこれからますます
世界の中心になっていくと
言われています
そのアフリカのことを僕も含めて
ですけれどもまだまだ知らないこと
ばっかりだと思うんですね特に日本人は
だからこそこれからも
もっと知る必要があるし知りたいし
そして知ったこととかを
誰かに伝えていきたいっていうのを
今でも強く思っています
だからこそタイトルにも
ありますけれども
短い人生の中なので
自分が迷ったら
やったほうがいいなと
行きたいなと思った場所は
行ったほうがいいなと
やっぱりこれが人生を楽しく
過ごしていく大事なことだし
これからも
子供たちにも伝えていきたいなと
思っています
ということで長きに渡って
お付き合いいただいた
迷ったらいけって話
カワムの海外渡航機ガーナ編
こちらシリーズ
今回で一区切りとなります
聞いてくださった皆さん
本当にありがとうございました
またこういった海外の話だったり
とかはちょこちょこシリーズとして
また今後もできたらなと
思っております
ということで好奇心のたまり場
ここまでお聞きいただきありがとうございました
この番組ではリスナーの皆さんからの
メッセージをお待ちしております
番組概要欄にフォームをご用意
していますので皆様の日々の
好奇心やワクワクもやもやを
お気軽にお寄せください
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好奇心のたまり場
パーソナリティは河村こと河村周平でした
それではまた
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