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2023-03-08 21:28

#012 プログラマー35歳定年説と決断及びその後の話

番組ホストで株式会社KabuK Style COO兼CTOの後藤秀宣が「プログラマー35歳定年説と決断及びその後の話」についてお話しします。

<トークテーマ>

・小さなソフトウェアハウスでのファーストキャリア

・若さの勢いで起業

・会社を畳んでの転職

・職業訓練校での講師と集客

・小さな会社が好きな理由

・二度目の起業

・人のアイデアを形にする

・プログラマー35歳定年説とキャリアの再考

・作り手のエキスパートになることへの決意

・未来への不安と危機感

・舵を切り直しての転職

・マインドセットのチェンジ

・様々な企業と接点を作りやすい立ち位置

・メルカリ時代にもらった言葉


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この番組では、エンジニアリングチームで起きている問題について、技術、組織、ビジネスといった複数の観点で深掘りし、問題の正体へアプローチしていきます。
今回のテーマは、プログラマー35歳定年説と決断及びその後の話です。
今回も私一人でお話しさせていただくんですが、私自身の若手の頃からの経験だったりだとか、
それからある種の決断、そしてその後みたいなところを、いろいろとお話しさせていただきたいなと思っております。
エンジニアリングマネージャーの問題集。
ということで、今回は私のキャリアについてお話ししていこうと思います。
そうですね、私は今年齢で言うと47なので、結構20年ぐらいこの業界で何か何かしてきているといった感じです。
かなり若い頃のお話から話していこうと思っていますのでお付き合いください。
全体感で言うと、私結構下積み時代みたいなのが長くあるんですね。
新卒でいきなり何か良い会社に入ってバリバリにやってきたっていうのとはちょっと違ううよ曲折みたいなのを歩んできております。
最初その辺りから入っていきます。
私は大学と専門学校行ってそれから仕事を始めてみたいなところで、一番最初ソフトウェアエンジニアとして小さなソフトウェアハウスで仕事を始めました。
私がこの仕事を始めた当時っていうのは、PHPだとかバージョン1とか出てたと思うんですが、まだ3とか4みたいなメジャーなところまでは行ってないぐらいですね。
ウェブシステムとかもまだまだ一般的ではないような時代でした。
開発しているものもウェブの業務システムみたいなものもありましたけれども、Visual Basic 4とか5とかで作るクライアントサーバー型の業務システムだったりだとか、
あとはカードウェアを制御するようなシステムだったりだとか、そういったものが多かったですね。
いわゆる自宅開発でそういったシステム開発をたくさんやっている会社でした。
その会社の社長さんとたまたま知り合うことができて、私自身もどちらかというといろんな経験を積みたかったので、そこで働くことが面白いかなと思って入社して、いろんな経験をさせてもらったというところです。
そこから何年か修行した後に若気のいたりといいますか、もう自分でやってみようとなりまして、自分で会社を作って、同じような自宅開発をやってみようということで始めたりしていました。
若さの勢いみたいなところで、営業とかも結構可愛がっていただいたというところがあると思うんですが、仕事も取ることができて、結構売り上げ上げていろんなシステムを作ったりもしていました。
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けれども、何て言うんですかね、所詮若造が勢いでやっているようなビジネスというかお仕事だったので、組織として成長させていくとか、そんなことは全然できませんでしたし、
中長期的にどんなシステムに注力していくんだっていうようなビジネス的な戦略、そういった観点も全く持たないまま、やたらめったらといろんなシステムをとにかく作っていくみたいなことをしていたわけですけれども、
やっぱりそんなやり方をしているものですから、会社としてあるときいろいろな状況が重なって、会社としてはうまくいかなくなったみたいなところがあったので、その会社自体は畳みましたと。
その後、また別の会社に入って、そこも結構自宅開発もやっていたし、自社でもビジネスをしようみたいな気概のある会社さんだったので、
自分たちで企画した製品というか、ああいうものを作って展示会に出したり、補助金もらったりしながらそれを売っていくみたいなことも一緒にやったりもしていましたね。
その会社でも結構いろんなことを経験させてもらって、開発するシステムの種類という意味でも本当にいろんなものをやっていて、そこの会社ぐらいの時期だとすでにPHPだと4とかのバージョンが出ていたし、
最初の時期と比べるとモダンになりつつあるような開発でしたが、普段オープン系ばっかり扱っているところだとなかなか出くわさないようなホストと接続しなきゃいけないような開発もあったり、
病院さん向けのシステムとかもやっていたので、その病院独自の診察権を読み取る機械と接続してしなければいけないみたいなものもいっぱい作ったりしましたし、いろんな経験もさせてもらいました。
ただ、その会社もあまり大きな規模でビジネスをしていなかったりもしたので、割とやっぱり時期によっては、受託開発だけやっていてはなかなか立ち行かないような時期もあったりしたので、そういった時にその会社では当時の選択肢として職業訓練みたいなものをその会社でもやっていこうとなった時がありまして、
その時期には私は実は職業訓練の講師なんかも引き受けてやったりしていました。これは講師、やるだけでも結構大変なんですけれども、そもそも生徒も集めなくちゃいけないということで、その会社で職業訓練のクラスを開講するに合わせてチラシみたいなのを作って、それを対象の地区にポスティングしに行くっていうところも、私も実際にポスティングなんかもやってました。
エンジニアの方が聞くと、そんなこと絶対やりたくないって思うかもしれないんですが、やってみると意外と面白くて、どういった地域を回るとこの訓練に合った方々がいる確率が高いのかっていうことを考えながらやったり、あと住宅地の形状、マンションなのか子建てなのかとかいろいろあると思うんですが、その地域の特性によって回れる数が全然違ってくるんです。
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なので、どのあたりに行くと本当に効率がいいのかっていうのをいろいろ研究してやらないといけなかったりすると。
ポスティングをやっていると、やっぱり同じ職業訓練ではないんですけれども、別のポスティングをされている方とすれ違ったりするというところで、そういった方と穴がまた合いましたねみたいな感じで、ここはこっちに行った方が早いんですよみたいな情報を得たりしながらポスティングをやったりもしていました。
そんな感じでですね、やっぱり小さい会社でやるのが私結構好きだったりして、それ何でかっていうと会社を存続させるためにというか、生きていくために必要なことを何でもやらなくちゃいけなくて、それってある意味やれることを自分で考えて必要なことをやっていくっていうところだったりして、必要なことを何でもやらなくちゃいけないっていうコントリビュート感というか、そういったところが私はすごく好きだったりして、
そういった時期からこのような仕事の仕方をしていたっていうところがあります。
話がそれちゃうかもしれないんですが、この職業訓練でどんなことを教えていたのかっていうと、パソコンの基礎みたいなところからウェブデザインみたいなところもその学校としてはやってましたが私は教えていなくて、
私が持っていたのだとさらに資格でいうとITパスポートを取るためのクラスというか、それって結構サーバーの管理みたいな話とかも含んだりしますし、ビジネスの在庫管理の知識とかそういうのも含んだりするようなクラスもやってましたね。
これ自体も結構僕も相当な時間をかけてクラスの準備をしたりして取り組んでいたりして、特にパソコンの基礎のほうなんかはパソコンの扱い方からタッチタイプのスキル向上からワードエクセルみたいなところのスキルを一通り身につけていただくっていうところで、
そういったのって本当に手を動かして実際に時間をかけてやっていって身につくようなスキルだったりするので、教科書を読めばできるとかそういう話じゃなかったりするので、それをいかに継続的にモチベーションを保ちながら取り組んでいただいてできるようになっていただくのかというところで、
それはそれで結構私としても物事を教えて身につけてもらうという過程を一通り自分でデザインして取り組んだというところで、いい経験になったなと思ったりしてます。
そこからちょっと私の経験にまた話を戻すと、そういった授業をやっておりましたが、実はまたその会社をやってる過程で再び自分の会社をやりたくなったというところがありまして、また自分の会社を作りましたと。
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ここでも受託開発を受けたりしていたんですが、この時には受託でやる以外にやっぱり自分でサービスを作りたいなということを結構強く思って2つ目の会社を立ち上げました。
とはいえ、自分でサービスのアイディアはいろいろ持ってはいたんですけれども、私はどちらかというとプログラマーなのでアイディアを形にすることはできるんですけれども、アイディアそのものを磨いていくというところはどうもその過程で強くないなということに気がつきまして、
自分で完成させられはするんですけれども、これって本当に面白いものなんだっけというところに、どうも自信が持てないというか、世に出すにはいたらないというところで、結局自社でサービスを作って世に出すというところはとても中途半端なまま、受託開発のほうでお金を稼ぐということだけをするような会社だったというところがありますね。
実はこの最初の1回目の会社を作ったところと2回目のところ、どちらも私1人で作ったのではなくて、知り合いと共同創業したような形だったりして、その知り合いの方が何か話を持ちかけてくれたというのがきっかけだというのをするんですけれども、どちらもやっぱり何ですかね、私自身が未熟だったといいますか、何かやりきれなかったというところがあったりして、
あとこの2回の経験を経て、自分が思っているアイディアってそこまで強くないんじゃないのかなということを強く自分の中では感じまして、私は人のアイディアを形にしたりする方が向いているのかなということに改めて思いが至ったという2つの企業経験だったりします。
そういった経験を経て、とはいえエンジニアとして食いつないでいくことをしていまして、いろいろお仕事を続けていました。
実はこういった期間が結構長くて、30過ぎ、35歳ぐらいまで自分の会社をやったり、自宅開発でやったりみたいなことをしていました。
今ではだいぶ言われなくなったんですけれども、私がこの35歳ぐらいだった頃にはプログラマー35歳定年説というのがありまして、もうなんか35歳を過ぎるとプログラマーじゃない仕事をしていくんだみたいな、そんな嘘か本当かわからないような話が語られていたというところで、
私は全然その当時でもプログラムをバリバリ書いていましたし、普通にやっていけると思っていたんですけれども、とはいえ節目としてそれ以降自分がどうあるべきなのかということを改めて考えるきっかけの年だったわけですね。
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それまでの経験で私自身が2回も会社を作って、どちらもいまいちだったなというところから、ビジネスということに結構強い思いというか、それを自分で作る、自分自身が中心ではないにしても作ることに結構関わりたいという思いは強く持っていはしたんですけれども、
一方で自分自身がそれを発案して世に通っていくような立場かというと、そこはやりきれないなというような結論も得ていたので、だとすると自分自身がその先あるべき姿としてはビジネス側を極めるというよりも、ビジネスをアイデアを持っている人をいかに支えるかというところで、
作り手側のエキスパートになったほうがいいんじゃないかというふうに、35歳の時点では考えたわけですね。
なので、もちろんエンジニアの下積み期間の中でも相当設計のことだとか、たくさん本を買って勉強したりしてきたんですけれども、改めて35歳の時点からはソフトウェアの設計みたいなところを本気で自分自身の言葉で他の人に語れるようになるぐらい極めてみようということで、その道を進んでいこうというふうに決意した年でもありましたね。
なので、35歳からは結構プログラマーのコミュニティに出て行ったりして、いろんな人と関わりながら、カンファレンスで設計について話したりだとか、そういった機会を積極的に取っていくようになったりしました。
これって結構そこから順調にいきそうにも聞こえたかもしれませんけれども、設計という面ではかなり自分自身の知識がそこから加速度的に深まっていったというのは確かにあります。
ただ一方で、自分自身の人生がどうだったかというと、ソフトウェアの設計みたいなところをすごい突き詰めつつも、やっぱり割と地方のそんなに大きく展開してはいないソフトウェアハウスだったり、もしくは自分の会社というところで食いつないでいるような状態だったので、
気持ち的には山に籠って仙人のような生活をしているというか、ソフトウェアの世界だけをピュアに見つめてやっているような状態で、それがこの先どのように世の中の多くの人だったり会社というところに影響していくのかとか、そういったイメージがどんどん薄れていっているような、そういった感覚を持ったりしていた時期だったんですね。
なので、ソフトウェア自体をものすごく突き詰めていたんですけれども、一方でやっぱり自分の未来というところには不安というか閉ざされていくような、可能性がすごく狭まっていくような、そういった危機感みたいなものも同時に持っていました。
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なので、それ自体このままではいいんだろうかっていうのはずっと抱きながら、それでもソフトウェア自体を一旦極めようと35歳の時に決めたので、それから数年間は本当にずっとソフトウェアの設計のことばっかりをやっていましたね。
そこからやはり数年経って、自分自身の環境自体も将来開けていないということにとても苦しさを感じたので、これではいかんというような考えを強く持つようになったので、そこからは自分の会社だとかそういうところもクローズする方向に向かって、自社サービスみたいなのをやっている会社に就職して、
そこで自分自身の、その時点でかなりソフトウェア設計とかいうところに強みを持つことができていたので、そういったノウハウを使って企業のビジネスに貢献していこうというところにまた舵を切りました。
それが40歳ぐらいですかね。なので自社サービス企業に就職し、そこで3年ほどやった後に次にまたメルカリというところに転職して仕事をして、さらにまた3年後ぐらいに現職であるカブクスタイルというところに転職したといったようなキャリアになっておりますので、
ソフトウェア設計みたいなところを突き詰めてそれがイコールハッピーになったかというとそうでもなかったというバックブランドが私の中にあったりして、まあそれって人それぞれだと思うんですけれども、私の中ではちょっとソフトウェア設計をやりつつもう一歩自分の中でマインドセットのチェンジというか向かう方向のチェンジというのを起こすことで今の状態に向かってきたというところがあったという話でした。
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今の私自身のお話というところの流れで、結構長い下積み期間を経て、それから設計というところにフォーカスしようと決め、でも人生の先行きに焦りというか、人生が狭まっていくような感覚というところから何かを変えねばならぬというところで、自分の道の歩き方というかいうところをさらにもう一回考えました。
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こういった道を歩んできて、今時点でどうなのかというところで言うと、これは本当に私の主観になるんですけれども、すごく良かったなと思っていて、それはなぜかというと、僕自身が本当に気持ちの持ちようなのかもしれませんが、将来に対してすごく開けているというか、明るい気持ち、ポジティブな気持ちでいられるという状態になることができています。
それって本当に実際に選択肢がたくさんあるのかどうかというわけではないと思うんですが、こういった自分自身のキャリアの形成によって、今後もいろんな企業と接点を作りやすい立ち位置に立てているというような感覚だったり自信だったりも持てているわけですよね。
そういうのがやっぱり何かが起こっても自分自身その時に何か対応できる余地ってあるんだろうなという感覚につながったりしているので、そういったことが将来に対してポジティブというか開けているような感覚につながっているんじゃないのかなと思ったりもしています。
前職メルカニの時にマネージャーだった方から結構いい言葉をもらっていて、その言葉を結構僕自身大切にしていて、俺に触れて使うことがあるんですけれども、それは今東京都の副知事をやられている宮坂さんの言葉というふうに聞いているんですが、何か難しい選択をする時にどうすべきかの考え方というところで、
迷ったらワイルドな方を選ぶという言葉をいただいたんですね。これがその当時私自身をすごくモチベートする言葉であったというところがあって、何かを決める時に簡単な方ではなくて難しい方を選ぶというだけのことなんですけれども、
それをワイルドという言葉で表現することによって、何かちょっとしたワクワク感だったり、僕自身はただ難しいというよりも、それをやることによって自分自身の自己表現というか、こういうものを選ぶ人なんだよというような表現にもつながる部分もあるかなと思っていて、ワイルドな方を選ぶという言葉をすごく気に入ったりしていますし、
実際これを自分の娘がちょっとした選択をする時にも、どっちがワイルドなんだろうねっていうふうに言って、こう選んでもらったりだとかして、うまく使ったりもしていて、何かその言葉だけじゃないんですけれども、それを言葉を使って自分が話してきた選択によって、何か自分だったり自分の周りが結構良くなっているなという感覚を今持てたりしています。
というわけで、本日は私のキャリアというところで取り留めもない感じのお話になってしまったんですけれども、何か改めて話してみると、いい感じにドラマがあるというか、下積みがあって苦労していて、そこから抜け出したみたいなストーリーになっているのが、何か自分でも面白いなと感じたりしていますし、
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何かこれを聞かれた方が、ちょっとでもこういう歩み方でもいいんだというふうに安心していただいたりだとか、勇気づけられたみたいに思っていただけたらいいなと思っています。
さて、この番組では感想や質問リクエストなどお待ちしております。
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お相手は株式会社株区スタイル、COO兼CTOの後藤秀典でした。
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