2025-08-12 40:47

#28【無責任結婚ブレスト】“結婚式は形じゃない”——ウェディングプランナーが語る、家族と社会の物語

🎙 今回のトーク内容
福井で活動するウェディングプランナー・大嶋歩さん(a.n.d wedding)にお話を伺いました。
「結婚式=披露宴ではない」
「大切な人に大切な人を紹介する場所」。
お世話になった人、大切な人を紹介し合う——そんな本質的な結婚式の価値や、時代によって変わる結婚式のカタチ、そして多様化するこれからの在り方について深く語ります。

平成の「豪華さでアピール」から「美味しい料理を楽しむ」、さらに「写真で残す」時代、そしてコロナ以降の多様化へ。
時代の変化を踏まえながら、「大切な人のための式」をつくるヒントが見えてきます。

💡 こんな人におすすめ

結婚式の価値や意味を改めて考えたい人

自分らしい結婚式のカタチを探している人

家族や友人との関係性を大切にしたい人

📻 福井で転生とは?
都会から福井へ——。
移住者であり地域おこし協力隊の「つかちゃん」が、福井で出会った“ちょっと面白すぎる人たち”の人生に深く潜っていくポッドキャスト。
キーワードは「仕事」「生い立ち」「ターニングポイント」。
人生の節目にあったあの瞬間を、ていねいにたどっていきます。

🎧 聴く ▶
Spotify:https://open.spotify.com/show/33JAGOyhB36fDWyj7a7udC
Listen:https://listen.style/p/fukuitensei?yzAbepLC

🎨 アートワーク制作:みゆ


🏡 若者の居場所(こみかるユース福井)HP:https://comicalyouth.jp/

サマリー

このエピソードでは、ウェディングプランナーの大島亜佑美さんが結婚式の新しい形について話しています。結婚式が披露宴とは異なることや、コロナ禍における結婚式の変化、結婚文化の変遷について深く掘り下げています。また、ウェディングプランナーの役割や、フリーランスと所属プランナーの違いにも触れています。 大島さんは、結婚式の本質について、結婚は小さな社会の始まりであり、家族や社会とのつながりが重要であると述べています。結婚式は形にとらわれず、個々の思いを大切にするものだと説いています。 さらに、結婚の歴史についても取り上げており、家の繁栄や権利を重視した時代から、昭和、平成を経て現代の多様な結婚式スタイルに至る過程を描いています。特に、家族の物語や結婚式の重要性が変わる中で、自分の価値観を大切にする結婚が求められるようになったと話しています。 最後に、結婚の意欲や婚姻件数の減少について言及し、若い世代の結婚に対する考えを分析しています。

無責任結婚ブレストの紹介
エキセントリックラジオ〜〜!
こんにちは、福井県の地域おこし協力隊をやっているつかちゃんです。今回のエキラジオはですね、
無責任ブレストという回を僕が今開いておりまして、まず無責任ブレスト何かっていうと、
今いろんな若者たち、僕が関わる20代の若者たちが、今の会社でずっと勤める気はないみたいなことをよく言っているので、
だったらまあまあ、今現代に合わせたやり方として、いろんな働き方をその20代のうちに知れるといいんじゃないかなというふうに僕は思っているので、
無責任ブレストという名前を取って、いろんな企業を通話して、その企業の悩みとか、出されるテーマについて若者が勝手に無責任にブレストしていく、
そんな会をやっております。今回はですね、その中で無責任結婚ブレストという会を開催しておりまして、
アンドウェディングの代表の大島亜佑美さんという方をお呼びして、新しい結婚感についてお話をしてもらいました。
実際ウェディングプランナーってどういうふうに働いているのか、色情所属とフリーのウェディングプランナーってどう違うのか、
みたいなお話をしていただいたりとか、実際の今やっている結婚式、新しい結婚式ってどんなことをやってるの、みたいな。
コロナの時になかなか結婚式開けなかった時にどういうことをやっていたのか。
僕がすごく印象に残っているのは、結婚式っていうのは披露宴とは違うよと。結婚式イコールパーティー、披露宴みたいなイメージがあるけどそうではなくて、
結婚式というのは大切な人に大切な人を紹介する場所であるというふうな話がすごく印象的で、すごく今の結婚のテーマになる部分だなというふうに思いました。
今回の講演では、大島さんが自身の経験や知識をもとに実際にやってきたウェディングプランナーの話をしていただいたりとか、
それだけじゃなくて、平成から令和の結婚文化の移り変わり、結婚の歴史みたいな話もしていただいております。
実際に今の結婚感どういうふうに変遷しているのかとか、そもそも福井県の婚姻形成の現状とか、そういうリアリなデータも実際に話していただいているので、
今回のポッドキャストを聞くと、今までの結婚とはまた違った結婚感が入ってくるんじゃないかなというふうに思いますので、ぜひぜひ最後まで聞いていただけたら嬉しいなと思います。
大島亜佑美のウェディング経験
それではどうぞ。
ハンドウェディングの大島あゆみと言います。よろしくお願いします。
私の話、ちょっといろいろ書いてはきたんですけど、別にそんなに重要なことはあまり書いてなくて、こういう結婚のことについて喋ってくださいと言われたら、本当に長く長く喋っちゃうというか、もう結構熱い思いがあるので、
喋っちゃうんで、時間がオーバーしてたり早口になるかもしれないんですけど、少しお付き合いいただけたらなと思います。
私の紹介に見えないかもしれないですけど、私の紹介も軽くすると、福井で生まれてまして、今は堺市なんですけど、その当時は堺町と言われてたところのすごく小さな部落って言ったらなんかあかんかもしれないんですけど、そこで生まれてます。
そこから地元の高校に、いわゆる新学校というところに進んで、あまり学業というか勉強そんなに好きじゃないんです、私。好きじゃなくて、たまたま本当になんか人より記憶力がいいとかそういうだけのことでいたので、本当に全然その仕事に対して何の気持ちもなくて、みんなみたいに学生時代とかに何かをしたとかいう記憶もほとんどないです。
でも流されるまま、本当は大学とか行きたくないけど、流されるまま大阪の大学に行きました。その当時からファッションに興味があって、ファッションイコールパリイコールフランスみたいな感じで、適当に本当に学部も選んで、今ではもう私の行ってた学部がないぐらいの小さい学科で少し勉強したんですけど、やっぱり何になるのか、この学校を卒業して私は何になるんだろうって思ったときに、
全然将来が見えなくて、大学を中退して、やっぱり副職学びたいということで地元に帰ってきて、副職の専門学校に通うことになりました。この辺はいろいろドラマはあるんですけど、今日は割愛します。
その専門学校に、大学中に妊娠と出産を経験してまして、半年、もうちょっと休んだかな、休ませてもらって、また復帰してみんなと一緒に卒業したというタイプになります。
ここ何も書いてないんですけど、実は私は未婚の母で、結婚せずに子供を産んで、今も結婚してませんし、この話するとなんかかわいそうな感じに呼ばれるかもしれないですけど、一応ちゃんとお父さんはわかってますが、今お父さんがその人が、子供のお父さんがどこに住んでるかは全然知りません。
本当に1回子供を抱いたかなぐらいで、そこからは全然連絡取ってないという感じになります。今、一緒な年の子がいるかわかんないですけど、うちの息子は22歳になりました。今は福井には住んでません。
そこからウェディングプロデュース会社という会社に就職を、地元の会社に就職して8年勤めていまして、そこから会社が潰れたんですけど、無休時代っていうのを半年、もうちょっとあったかな。
全く無一問で働いたりとか、いろいろやったりもしたんですけれど、会社をどうしても私は前働いた会社を継ぎたくて、社長にちょっと時間ダンパーもしたんですけど、なかなか難しく、会社というか個人事業として起こすことにしました。
この時は何というか、この会社がなくなってしまったら、今までここに訪ねてきた人たちみたいな人が、どこに行けばいいのかわかんなくなるんじゃないかっていう、ただただその使命感だけで自分で始めたっていうようなイメージです。
はい、でもただそんなに簡単に仕事になるわけではなく、一時東京のデザイン会社の福井県、福井営業所みたいなこともちょっとだけやったりしながら、町づくりっていうのをちょっとたまたま縁があって学んで、そこから法人にして会社でやっていこうというふうに決めています。
今は法人としては9期目ってわかるかわかんないですけど、19年経ってますよっていうことです。はい、ウェディングの仕事をしてから11年目くらいかな、自分でやり始めてから11年くらいになると思います。
ウェディングプランナーっていうのは実はちょっと2つ種類が大きく分かれていて、ホテルとか結婚式場さんに勤めているプランナーさんっていう人と、こっちの方が圧倒的に多いです。
フリーランスって私みたいなフリーランスっていう形をとっているプランナーさんの2種類がいて、大きな違いは結婚式をあげる場所っていうのが決まってるか決まってないかになります。
1つの会社に属しているみたいなパターンがホテルとか式場さんのプランナーさんなので、自分の会場をたくさん売るというのがお仕事になります。
フリーランスのウェディングプランナー
なので年間大体ですね、たぶん3、40組くらいは担当してるんじゃないかなと思うんですけど、私たちフリーランスは場所が決まってなくて、場所を探すところから始まるので、1年間にそうですね、1人でやったら多分16、7組がもう限界じゃないかなというふうに思います。
はい、というような流れです。
フリーランスウェーデングプランナーって何をしてるかっていうと、結婚式以外の時もまあまあ仕事があります。会場下見とかよくしたりとか、写真とか動画をチェックしたりとか、台本作ったりとかそういうこともいろいろやっているので、意外と平日も忙しいよっていうことです。
今までどこでやってきたかっていうと、一番左はセーレンプラネット、ハピリンの湖海にあるプラネタリウムですね。
あとこっちの右側は太陽の広場って知ってるかな、なんか越前市にある結構山の方にホウノトリとかいるようなところにある大きいキャンプ場でテントだけでウェディングをしたものです。
こちらの左側は私の会社が入っているラフっていう、もしかしたら来たことある、ラフの屋上。あと右側は大井町にあるシシーパークという道の駅になります。
他にもいろいろあるんで、よかったらサイト探してみてねっていう。なぜこの仕事を選んだのかっていうと、私は実は結婚式が好きでウェディングプランナーをやっているわけではない。ちょっと誤解を生むかもしれないんですけど、結婚式めっちゃ好きなんです。
この仕事っていうか、この結婚式のために来ていきたいみたいなタイプでは全くありません。どちらかというとその結婚式、じゃあ自分は結婚してないですけど、結婚式やりたいですかって言われたらやりたくないタイプなんです。
なんでこの仕事を選んだのかっていうと、ちょっといろいろあるんですけど、まず専門学校の時に、私はデザイナーになりたくてその学校に行ったんですけど、この中で自分がデザインした服を自分が好きな服だけ作っても売れないですよっていうマーケティングの授業があって、
そのためには相手がどういう心境の時にどういう服が欲しいと思うかとかっていう、いわゆるペルソナ設計みたいなことですね。それをやらないと売れないよっていう話を聞いて、自分がその人の人生の一部のものを作るってすごい大事なことなんだなと思うようになって、
服だけじゃなくて、例えば空間とか食べるものとか置いてあるものとかそういうもの全部を衣食寿全体をデザインしたいなというふうに思ってくるようになりました。誰かの衣食寿をデザインしたいって言って探したら海外のウェディングプランナーさんが結構近い仕事っぽいぞというところで前の会社にたどり着いたというところです。
でも基本的に結婚式ってダサいと思ってたんで、最初はこんなダサい仕事をやるの嫌だなって思ってたんですけど、一番最初に初めてアルバイトに行った結婚式は六路市の牧場の横でやってて、本当に牛がすぐそこにいるような環境で結婚式をして、最初にやったのはもう忘れました。
黄色い風船を200個膨らませるっていう仕事だったんですけど、それをいっぱい膨らませて会場中にバルーンを入れて牛乳で乾杯したりとか、新郎さんがランクルが好きで車の、そのランクルが丘の上から10台ぐらい降りてきて花嫁を迎えに来るみたいなシーンとかを作ったりした時に結構自由なんだなっていうふうにまず思って、
これはおしゃれにできるぞみたいな、これは意外とダサくないぞみたいな、こんなに人間の生活に関われる仕事って結構いいなっていうふうに思っていて、今となればわかるんですけど、その当時は何がピンときたかはわかんないけど、今私は本当に人の生活が営みがすごく好きで、
なんでこの人はこの人と一緒にいるんだろうとか、なんでこの人はこういう考え方をするんだろうっていうのにすごく興味があって、そこにすごく触れられる仕事っていうところで、この仕事をやりたいなっていうふうに思ってくるようになりました。
結婚式の意義
これがそこです。これは私の持論ではあるんですけど、家族って一番小さい他人とのコミュニティで、そこから全てが多分始まるんじゃないかなって思ってます。そのきっかけっていうのがやっぱり結婚、制度としてはこれしかないんですけど、結婚っていうのが小さな社会の始まりで、結婚することによって全体に経済活動が広がっていくっていうので、
この仕事は結構社会にとっても大事なポイントなんだろうなっていうふうに思っています。そこでですね、この&ウェディングっていう名前をつけて、実はこの&っていうのは、実は会社名は&だけなんです、ここだけ。
で、このウェディングっていうのは一応部門という意味で、結婚式だけをやるつもりじゃなかったので、ここは一応括弧みたいな感じになっています。まだ今この部門しかないんですけど。ないけど、他だったら&リビングとか&ヘルスとか、なんかわかんないけど、適当にそういうふうに派生できればいいなと、生活の中で派生できればいいなと思っています。
この&っていうのも学生時代から、自分が何か会社だったり店を持つときは絶対この名前にしようって決めてたんですけど、これはDNAをひっくり返した言葉になってるんですよ。
なので、withのもちろん意味もあるんですけど、それぞれ今いる自分のルーツみたいなのをひも解いていって、自分が本当に大事に知ったこととか、影響を受けたものっていうのを一緒に考えて表現していきましょうっていう意味で&っていうふうにつけました。
それが一人一人って合うっていう意味でなんか細かいんですけど、このなんかドットみたいなのが一個ずつついてて、一つずつ分かれてるっていうふうになっています。なので将来はもう&なんとかっていうのを、将来あと何年やるかわからないですけど、なんとかっていうのを増やしていけたらいいなと思っています。
この辺までが私の生きてきたところで、ここからちょっといろいろ話したいんですけど、たぶん私が感じていることなので、皆さんと一緒かどうかわかんないですけど、今一般的に結婚式っていうとなんか披露宴のことを思い浮かべる方が多くて、パーティーのイメージ。
結婚式やるやらないって言ったらパーティーをやるかやらないかみたいな感覚なんですけど、結婚式っていうのは実は披露宴とは違っていて、もちろん中に含まれているコンテンツではあるんですけど、結婚式って挙式って言われる部分とそのパーティーと言われる部分が2つ入っている。これをまとめて結婚式って言ってます。
でも結婚式っていうのは別に何か形が決まっているわけでもなんでもないので、自分たちがこれを結婚式だと思えば別にそれは結婚式なんじゃないかというふうに思っているんです。
ただこの披露宴っていうイメージが強すぎて、私は結婚式やりたくないって思っている人の多くは大体パーティーをやりたくない感じ。みんなにワーって言われたりとか、人前で誓いのキスしたりとか、そういうことをやりたくないって思っている人たちの方が多いんじゃないかなって思ってます。
ずっと紐解いていった時に、やっぱり私は自分にとって大切な人を、自分を支えてくれている大切な人に紹介する場っていう空間と時間っていうのが結婚式だと思っているので、こうやってここをこういう何かただの和室でみんなでご飯食べて結婚しましたっていうだけでも、別に私の中では結婚式と捉えていいのではなかろうかというふうに思っています。
それが今までやったことで言うと、フォトウェディングの中に写真撮るだけです、フォトウェディングっていうのを衣装を着て、中に両親へのギフトの時間っていうのを設けて、お母さんが家族いっぱい連れてピクニックみたいなの持ってきて、唐揚げとか揚げて持ってきて、みんなで、これ家族、おじいちゃんとかばちゃん。
撮影の合間にみんなでご飯食べて、これはお母さんには内緒にしてたんですけど、花嫁さんからお母さんにウェイトベアって体重、生まれた時の体重のクマさんを渡してお手紙読んでって、それだけだったんですけど、これも十分な結婚式だろうなっていうふうに私は捉えています。
これ写真はないんですけど、友達の属性を分けた二部性のパーティーともやって、その時は新郎新婦さんが飲むのがすごく好きで、夜の二次会みたいなのをやりたいです。結婚式っていうよりも二次会みたいなのをやりたいです。
でも、友達の多くが子供がまだ小さくて、夜出て来れないと思うって言ったので、二次会の前に1時間半ぐらい自由に来れる時間っていうのを設けて、コーヒーとかお茶とかそんなんだけ用意して、お菓子と用意して、ただ二人が待ってるだけ。来たら喋って、写真撮ってみたいな、そういうティーパーティーみたいなのを事前に設けました。
二次会から参加する人の、二次会の前に人前式っていう結婚式をやって、この赤ちゃん連れてきた人と二次会から来る人も一緒に交流できる時間として、全体で人前式をやって、その後は二次会に行くし、お子さん連れの方は帰るしっていうようなパーティーをしたこともあります。
これはちょっと、音があったほうがいいかもしれないんですけど、コロナの時に結婚式ができなくて、延期に何回もなって、本当に二人がすごく辛い感じになっちゃっていたので、物も用意してたし、これを何とかしないといけないなということで、それをギフトを持って結婚の報告に行って、
またいつかコロナが明けたら一緒にウェディングパーティーしましょうよっていう流れにしようって言って、ウェディングキャラバンっていう風に勝手に名前を付けたんですけど、これをお酒とかコーヒーとか自分たちで入れて、コップだけ持ってきてって言って、
地域との連携
何箇所かに集まってもらったり、お家に行ったり、レモンを一つ一つ入れてもらって、いつかパーティーできるときにレモンサワーを実は作って、レモンサワーで乾杯しましょうねっていう意味でレモンサワーを作って。
1週間ぐらいでレモンサワーできるらしいんですけど、2年後にちゃんとやりました。さっきの映像を作ってくれたのは、今は飛ぶ鳥落とす勢いのアイトラに、まだ駆け出しの頃のアイトラの子たちに作ってもらってます。
こういうのも結婚式なんじゃないだろうかという話です。私たちのビジョンっていう会社のビジョンとしては、あなたっていうのはいろんな人、私だけじゃなくてお客様もそうですし関わってくださる皆さんですけど、あなたとあなたの大切な人が幸せに生きる世の中にすることという。
まずは身近な人と自分を大切にして幸せを感じてもらうことで、それが広がっていくというふうな定義づけをしています。私たちの仕事の中でのミッションというのは、大切な人へ気持ちを伝える舞台を作るということで、結婚式その手段として1つの手段として結婚式があるというような形になってます。
この大切な人へ気持ちを伝える舞台っていうのをやったんで、冒頭の部分見せてもいいですか。
ちょっと一旦中断してもらっていいですか。
ここからちょっと長くなっちゃうんで、一旦ここまで。
こういう言葉を交わし合う時間って実は本当に人生であるようでないというかないんですよ。なので、自分たちが生きてるうちに本当に大事な人に大事なことを伝えるっていう時間って本当にないなと思っています。
私も親が亡くなってたりもするんで、その日がいつ来るかっていうのはわからないし、よく言われる誕生の時とお葬式の時は自分は立ち会えないけど結婚の時だけは立ち会えるっていうのもあって、
制度として結婚っていうふうな意識じゃなくて、大事な人と一緒に暮らすことっていうのをみんなに報告したりお祝いしてもらったりするっていう時間っていうのは結構大事なことなんじゃないかなっていうふうに思ってます。
この後は私が地域といろいろ共同してやったことだけ少しご紹介しようかなと思うんですけど、これはこの写真だけじゃわかんないかもしれないですけど、レインボーライン、若狭町の方と協力してレインボーラインで新しい結婚式の形ということで、
友達同士でも同性で異性に関わらず、結婚というか一緒に人生を歩んでいくっていうことをお祝いしましょうよっていうのをキャンペーンとしてやったものです。これはハッピーテラス、プロジェクションマッピングしながらファッションショーをやりました。
一応なんか今もプロジェクションマッピングやってるんじゃないかなって思うんですけど、あんまり明るくてわかんないかもしれない。このマッピングができるからそれを使って何かやってほしいということで、ウェディングショーをしました。
これは境市の皆さんとやったんですけど、学生さんと一緒に境ウェディングって言って、学生さんがプランナーになってウェディングを作るっていうのをやりました。みんな学生の子たちが一生懸命音響やったり設定やったり、ブランニングしたり、アテンドしたりしてます。
これは鶴賀なんですけど、鶴賀の商店街の皆さんと一緒にカグラウェディングっていう、これは今も続いてるんですけど、商店街が花嫁さんをお祝いするというか、新しい生活をここで始める人を応援するっていう取り組みの一つになってます。
これは去年の話になるんですけど、私結構ずっと昔から夫婦の写真を撮りだめて、自分のお客さんじゃないんですよ、何年か経ってる方で仲良い人に声かけさせてもらって、写真撮ってもらって、結婚して良かったとか、どういうドラマがあったのかとか、どういうふうに乗り越えてきたかっていうのをインタビューしたりしています。
それを見た感想をツリーにかけてもらって、結構いいコメントいっぱいありました。結婚して良かったこととかありますか?マジ楽しいとか書いてあったりとか、いろいろあったりしました。
結婚、結婚って言ってるのが婚姻っていうふうに捉えないでほしいなと思うんですけど、好きな人と一緒にいるというか、自分が大切にしたいなっていう人と一緒にいるっていうことをイメージしてもらいたいなというふうに思っています、私は。将来考えたときに皆さん自分の隣にどんな人がいるのかっていうのを想像してもらって、それは別にパートナーだけじゃなくて子どもとかペットとかでもいいと思うんですけど、
どういう人と一緒に人生を歩んでいきたいと考えるのかっていうのを少しお伺いしたいなっていうふうに思って、今日の場を設けさせていただきました。
自分が一人じゃない、一人で生きるっていうか、一人で生きて一人で死ねるのかもしれないんですけど、やっぱり人と繋がることで得られる幸せっていうのが絶対どこにかしらにあると思いますので、それをちょっと考えるきっかけを今日もらえたらなっていうふうに思っています。
はい、ちょっとこの後私価値観の変容の話もしたいんですけど、一旦質問答えて、結婚式と結婚間の変遷っていうので作ってきたので見てほしいんですけど、結構昔から行きますよ。この最初の方はちょっと飛ばしましょう。
あれ?もう平安なんだよ。思ったより飛んでるぞ。
一番最初に結婚式っていうセレモニーみたいなのができたのが平安時代っていうふうに言われています。
結婚スタイルの変遷
その頃は無子取りだったので、男性が女性の方、お家に通うっていうのが主なスタイルで、でも生妻とかおめかけさんみたいな、何人も奥さん持っていいみたいな時代で、一緒に住むっていうわけじゃなくて通ってくるみたいな感じ。
だから奥さんはずっと家に待ってて、旦那さんが来るっていうのをいつ来るかわかんない状態でずっと待ってるっていうような結婚のスタイルでした。この時のセレモニーはこんな感じなんですけど、基本的にあんまり男の人がこういうところに入ってこなかったんだけど、
三日用の餅っていって、餅を3日目に連続で通ってきて、結婚の意思があるかってなったら、はいありますってなったら三日用の餅って餅を食べるっていう。これが三三駆動にゆくゆくはなってきます。
この時はもう本当に家のために結婚を皆さんしてたので、一応女子の気持ち。家の繁栄が自分にかかってるって言って、男の子を何人産むかっていうことがすごく大事なことで、家のために結婚する、家が繁栄するための結婚っていう手段としてのことになっています。
そこから鎌倉時代になって、ここからは嫁取りっていう方に変わっていくので、今までお婿さんに来ていただいていた男性側が通ってきたところに、奥さんとして男性側の方に卒ぐというスタイルになってきました。
でもこの時代は別に男性も女性も同じような権利を持ってたので、別に女性だから、お家に入ったからいじめられるとか権力がなくなるみたいなことは全くなかった。ただ家と家同士の決めた結婚という形なので、基本的には家の繁栄のために結婚というものが行われていた時代になります。
なので、花嫁行列とか優位能みたいなののスタートがこの辺になります。道具を持ってお家に入る。この時はだからもうお家に1回入ったら、そのお家の人として暮らしていくというループになります。
この時は旦那様は戦国時代に入ってきているので、いつ死ぬかわかんない。そのお家の中で旦那さんを支えることというのが嫁の務めです。実家の財を守って戸継先も繁栄するように努めていくという国のため、家のためみたいなところが強い感覚ですね。
そこから江戸になります。江戸は一番派手な時期になっていて、家柄中心ではあったんですけど、結構離婚もめちゃめちゃ多い時期、時代で。
見下り犯って聞いたことあるかわかんないですけど、女性側からは男性にもいらないというような。この時もなんでこんなに女性が強くやっていけたかというと、女性の持ち物は女性の財産。男性の持ち物は男性の財産というふうに今みたいに結婚したら財産が一緒になるというシステムではなかったから、自分が持ってたものは必ず自分でも持って帰れるというか。
嫁入り道具も別にそのお家のあげたものじゃなくて、あくまでもお嫁さんの家のものというような感覚ですね。この時は中尾土産というのも出てきた時代です。
結構豪華な縁石を持って、たくさんの花嫁道具を持って行っていました。なのでお嫁にも会ってもらう時は中尾土産というのがお嫁入り道具ですね。でも頼りない旦那さんやったらすぐに離婚しますという強い時代です。
明治大正の頃はまだ和服の人のほとんどで、たまに洋服の文化が入ってきていないわけではないので、ペリーから入ってきていないわけではないので、たまに男性だけサキシードを着ているという写真が残っています。一般的にはまだまだはする。
でもお嫁に行かないと生きていく術が、女性というのはなくなってしまうというか、行ってないとお荷物扱いみたいな感じになっていたので、とにかく早く結婚しないともうダメだという。どんな状態であろうとも嫁に行けるのであればそこで一生を終えるという。
ここがこの時代からスタートしたような、私はちょっとオーバーな発言かもしれないですけどね。昭和の時代になると高度経済成長になって、女性も働きに出る方が多くなって職場恋愛というのが急増しました。今までずっとお見合いの恋愛だったのが職場で出会って恋愛結婚というのが初めてお見合い結婚を上回った時代というのは昭和になります。
婚姻組み数もめちゃめちゃ上がっていて、グループデートみたいな、デートという概念が一般的になって、グループデートしてみんなでスキーに行く、みんなで海に行くみたいな感じのデートが流行していますね。私の父母はこのぐらいの時代なので、私の父と母は船の上で出会ったって言ってましたけど。
高校の時はホテルとか、今でいうアスピカさんというところがやってるような観光総裁全体をやるような式場さんで結婚式をやることが一般的で、一部公民館とかそういう施設でやってる方もいらっしゃいます。
令和の結婚式の多様化
もうお嫁に行く、花嫁行列というやつで、福井でいうと長持ち歌っていう歌を名古屋さんが歌いながら行こうっていう、着物をかけるこういう、これかけるやつ、あれを一番最初にお家に入れるんですけど、順番はちゃんと決まって。
というのがやられていた時代。
この時、今は亡きイギリスの元ダイアナヒーが結婚式を挙げられて、その時の様子がすごい流行してですね、すごい長いこのウェディングドレス、トレーンの長いウェディングドレスとかがすごく流行った時代です。
この当時は有名な芸能人とかの結婚式やテレビで生中継とかされてた時代ですね。
でもう職場で、今までお見合いで親が選んだ人としか結婚できなかったのが、自分で選んだ人と結婚できる幸せみたいな。
とにかく大好きな人と一生一緒にいたい。
今はそれこそ同棲ってそんなに難しくなくできるのかもしれないんですけど、昭和平成の時代っていうのは、やっぱり同棲するなら結婚しからにしなさい、みたいなところが多かったので、
一緒に暮らすっていうことが結婚という手段を踏まないとできなかったりしたことが大きいかなというのもあります。
平成になってバブルの前の時、バブル景気の時は派手婚と言われてすごく派手な結婚式がありましたし、バブルが崩壊した後は一転して地味婚という風になっていました。
でもこの平成の時代は多様化の走りみたいなところがあるので、今までは人と同じことが、例えば有名人の誰々さんと同じ式をやったとかがステータスだったところが、
人と違う誰々ちゃん、友達の誰々さんより私の方がすごいみたいな方が、ちょっと人からいいなそれって言われるような結婚式のスタイルになってきました。
処婚年齢というのもすごく上がってきて、やっぱり女性の社会質が普通に進んだので、30歳ぐらいになってきたのも大体平成になります。
同じくして出生率も下がってくる。
これはバブル時代の時のゴンドラとか。
これ私でも、私まだ本当に入った時はまだこれを変にやっているので、この大きいケーキとかは全然体験していますね。
2メーターぐらい。2メーターもないから1メーター80ぐらいは絶対あって、これ全部イミテーションなので、後ろにこれぐらいの隙間だけ空いていて、ここにスポンジだけシュッと入れるんですよ。
そのスポンジを切るっていう、味のないスポンジだけを入れてて、それを切るとこのところからドライアイスが出てきて、とにかくドライアイスめちゃめちゃやりました。
ここからバブルが崩壊するとレストランウェディングってちょっとちっちゃいけど美味しいご飯食べたいねっていうところでレストランウェディングにシフトをしていきます。
今まではレストランウェディングって言ってもウェディングプランナーさんがいなかったので、こっちのホテルとかのところにはプランナーさんって言われる人。
プランナーさんっていうかこの時代はことぶき部とか婚礼部みたいな言い方だったので、結婚した人しか実はプランナーがやれない時期っていうのがあって、その時代ですこれは。
そこからレストランに行った時にそういう担当の人がいないので、じゃあこれは誰かがやらないといけないって言ってウェディングプランナーさんっていう職業が出てきだしたのがこのぐらいですね。
2000年にジェニファー・ロペスの主演のウェディングプランナーというドラマ、映画があってそれが爆発的にヒットしたのと、その後に飯島直子のドラマがあって、それで女子大生憧れの職業みたいなのになった。
平成の途中ぐらいから街中に白いお城のような建物がバンバンでき始め、これは結婚式専門の施設、結婚式だけをする施設というのがすごくたくさん建てようになって、ここに働く人が必要だということで、一般的なウェディングプランナーという職業が定着したというところになっていきました。
この時はもう本当にお城で結婚式みたいなイメージだったので、すごい多分最初は儲かったと思います。
平成の後半の頃は、スマホが普及したということによって、写真にどれだけ映えるかみたいなのが結構注目されていて、左のところは、これちょっとイメージ写真ですけど、花嫁さんと同じような格好をするブライズメイドという習慣が外国にはあるんですけど、これを日本でも真似て、女の子のお友達とかが同じような格好をして集まったりとか、
あと高さ号をソファー席というのにして写真を撮りやすくしたりとか、プロプスというのもめちゃめちゃ流行ったんですけど、みんなでアイテムを持って写真を撮るという写真がベースになってきたっていうのも平成の後半です。
でも、平成の女子は結構自立しているので、仕事も大事だけど、結婚も大事で両方両立したいという感覚が強いですね。結婚式に関しても、人と違うっていう方がいいなってなってきたのが、だいたいこのぐらいからじゃないかなと思ってます。令和になった途端に実はコロナになっちゃったので、結婚式のスタイルっていうのは一気に多様化するようになりました。
なので、別に自立婚でもいいし、結婚してあげなくてもいいし、ジェンダーレスもありだし、なんで新婦の手紙っていうのを新婦しか読まないのとか、急に問題提起が始まったのが令和になります。
で、出会いもなくなっちゃったから、マッチングアプリのきっかけで結婚するっていうカップルがすごく多くなったのもここからですし、逆に出会いがなくなっちゃって付き合うっていうことをしなくなった若者たちみたいなのも増えてきているという、男性も女性もセンサーがなくなってきたなっていう感覚は令和になってからすごく強くなっています。
初音ミクのやつはもうちょっと前の話なんですけど、初音ミクと結婚したり、写真だけを残したり、家族だけで結婚式をしたり、今のあの嫁さんから感じるのは、自分らしく人生を生きたいなって、私の価値観を受け入れてくれる人たちと、少人数でもいいから仲良くしたいっていうような、じゃないかなっていうふうに私は思っています。
婚姻件数の推移と意欲
ちょっと鎌倉自体は来たわけではないですけれど、平成ぐらいから私のちゃんとした経験値が入った上での話になっているので、これを踏まえてですね、実は今婚姻件数って県内でどれぐらいかわかりますかね。わかんないと思うんですけど、実は平成27年は何年前?10年?10年前。
はい、は3500組。はい、県内で。だいたいだいたいですよ。が、今、令和6年で2580組になってます。で、そうそうそう。ちなみに福井市は1260組から969組に減ってますし、池田町なんかは15組あったのが去年は1組。
勝山も86組から77組っていうふうにすごく減っているっていう。はい、結婚するしないは自由かなって私も思うんですけど、じゃあ結婚、みんなが結婚したくなくなったのかっていうとですね、結婚意欲に関しては20代のうちは結婚し、いずれ結婚したいと思う人は誰のために70%ぐらいあると。
なのに30歳から35歳になると62%に下がり、なんと35歳以上になると30%になります。これはそれまでに結婚した人が結婚しちゃってるから、濃度が濃くなったみたいなところもちろんあります。
20代のいつか結婚したいなと思ってる70%のうち、結婚に対して恋人探しみたいなのをしてるかっていうと、してない人が70%、なんていうか特別な活動してない人が70%。じゃあこの人たちはどうやって出会うんだろうっていう。
だから結婚したくないのか、恋愛したくないのか、恋愛したいのか結婚したいのか、それがもう全くわからないので、今日この場を設けてもらったというリアルなことを聞かせてもらえたらなと思っています。以上です。長くなりましたが。
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