それではどうぞ。
ハンドウェディングの大島あゆみと言います。よろしくお願いします。
私の話、ちょっといろいろ書いてはきたんですけど、別にそんなに重要なことはあまり書いてなくて、こういう結婚のことについて喋ってくださいと言われたら、本当に長く長く喋っちゃうというか、もう結構熱い思いがあるので、
喋っちゃうんで、時間がオーバーしてたり早口になるかもしれないんですけど、少しお付き合いいただけたらなと思います。
私の紹介に見えないかもしれないですけど、私の紹介も軽くすると、福井で生まれてまして、今は堺市なんですけど、その当時は堺町と言われてたところのすごく小さな部落って言ったらなんかあかんかもしれないんですけど、そこで生まれてます。
そこから地元の高校に、いわゆる新学校というところに進んで、あまり学業というか勉強そんなに好きじゃないんです、私。好きじゃなくて、たまたま本当になんか人より記憶力がいいとかそういうだけのことでいたので、本当に全然その仕事に対して何の気持ちもなくて、みんなみたいに学生時代とかに何かをしたとかいう記憶もほとんどないです。
でも流されるまま、本当は大学とか行きたくないけど、流されるまま大阪の大学に行きました。その当時からファッションに興味があって、ファッションイコールパリイコールフランスみたいな感じで、適当に本当に学部も選んで、今ではもう私の行ってた学部がないぐらいの小さい学科で少し勉強したんですけど、やっぱり何になるのか、この学校を卒業して私は何になるんだろうって思ったときに、
全然将来が見えなくて、大学を中退して、やっぱり副職学びたいということで地元に帰ってきて、副職の専門学校に通うことになりました。この辺はいろいろドラマはあるんですけど、今日は割愛します。
その専門学校に、大学中に妊娠と出産を経験してまして、半年、もうちょっと休んだかな、休ませてもらって、また復帰してみんなと一緒に卒業したというタイプになります。
ここ何も書いてないんですけど、実は私は未婚の母で、結婚せずに子供を産んで、今も結婚してませんし、この話するとなんかかわいそうな感じに呼ばれるかもしれないですけど、一応ちゃんとお父さんはわかってますが、今お父さんがその人が、子供のお父さんがどこに住んでるかは全然知りません。
本当に1回子供を抱いたかなぐらいで、そこからは全然連絡取ってないという感じになります。今、一緒な年の子がいるかわかんないですけど、うちの息子は22歳になりました。今は福井には住んでません。
そこからウェディングプロデュース会社という会社に就職を、地元の会社に就職して8年勤めていまして、そこから会社が潰れたんですけど、無休時代っていうのを半年、もうちょっとあったかな。
全く無一問で働いたりとか、いろいろやったりもしたんですけれど、会社をどうしても私は前働いた会社を継ぎたくて、社長にちょっと時間ダンパーもしたんですけど、なかなか難しく、会社というか個人事業として起こすことにしました。
この時は何というか、この会社がなくなってしまったら、今までここに訪ねてきた人たちみたいな人が、どこに行けばいいのかわかんなくなるんじゃないかっていう、ただただその使命感だけで自分で始めたっていうようなイメージです。
はい、でもただそんなに簡単に仕事になるわけではなく、一時東京のデザイン会社の福井県、福井営業所みたいなこともちょっとだけやったりしながら、町づくりっていうのをちょっとたまたま縁があって学んで、そこから法人にして会社でやっていこうというふうに決めています。
今は法人としては9期目ってわかるかわかんないですけど、19年経ってますよっていうことです。はい、ウェディングの仕事をしてから11年目くらいかな、自分でやり始めてから11年くらいになると思います。
ウェディングプランナーっていうのは実はちょっと2つ種類が大きく分かれていて、ホテルとか結婚式場さんに勤めているプランナーさんっていう人と、こっちの方が圧倒的に多いです。
フリーランスって私みたいなフリーランスっていう形をとっているプランナーさんの2種類がいて、大きな違いは結婚式をあげる場所っていうのが決まってるか決まってないかになります。
1つの会社に属しているみたいなパターンがホテルとか式場さんのプランナーさんなので、自分の会場をたくさん売るというのがお仕事になります。
何箇所かに集まってもらったり、お家に行ったり、レモンを一つ一つ入れてもらって、いつかパーティーできるときにレモンサワーを実は作って、レモンサワーで乾杯しましょうねっていう意味でレモンサワーを作って。
1週間ぐらいでレモンサワーできるらしいんですけど、2年後にちゃんとやりました。さっきの映像を作ってくれたのは、今は飛ぶ鳥落とす勢いのアイトラに、まだ駆け出しの頃のアイトラの子たちに作ってもらってます。
こういうのも結婚式なんじゃないだろうかという話です。私たちのビジョンっていう会社のビジョンとしては、あなたっていうのはいろんな人、私だけじゃなくてお客様もそうですし関わってくださる皆さんですけど、あなたとあなたの大切な人が幸せに生きる世の中にすることという。
まずは身近な人と自分を大切にして幸せを感じてもらうことで、それが広がっていくというふうな定義づけをしています。私たちの仕事の中でのミッションというのは、大切な人へ気持ちを伝える舞台を作るということで、結婚式その手段として1つの手段として結婚式があるというような形になってます。
この大切な人へ気持ちを伝える舞台っていうのをやったんで、冒頭の部分見せてもいいですか。
ちょっと一旦中断してもらっていいですか。
ここからちょっと長くなっちゃうんで、一旦ここまで。
こういう言葉を交わし合う時間って実は本当に人生であるようでないというかないんですよ。なので、自分たちが生きてるうちに本当に大事な人に大事なことを伝えるっていう時間って本当にないなと思っています。
私も親が亡くなってたりもするんで、その日がいつ来るかっていうのはわからないし、よく言われる誕生の時とお葬式の時は自分は立ち会えないけど結婚の時だけは立ち会えるっていうのもあって、
制度として結婚っていうふうな意識じゃなくて、大事な人と一緒に暮らすことっていうのをみんなに報告したりお祝いしてもらったりするっていう時間っていうのは結構大事なことなんじゃないかなっていうふうに思ってます。
この後は私が地域といろいろ共同してやったことだけ少しご紹介しようかなと思うんですけど、これはこの写真だけじゃわかんないかもしれないですけど、レインボーライン、若狭町の方と協力してレインボーラインで新しい結婚式の形ということで、
友達同士でも同性で異性に関わらず、結婚というか一緒に人生を歩んでいくっていうことをお祝いしましょうよっていうのをキャンペーンとしてやったものです。これはハッピーテラス、プロジェクションマッピングしながらファッションショーをやりました。
一応なんか今もプロジェクションマッピングやってるんじゃないかなって思うんですけど、あんまり明るくてわかんないかもしれない。このマッピングができるからそれを使って何かやってほしいということで、ウェディングショーをしました。
これは境市の皆さんとやったんですけど、学生さんと一緒に境ウェディングって言って、学生さんがプランナーになってウェディングを作るっていうのをやりました。みんな学生の子たちが一生懸命音響やったり設定やったり、ブランニングしたり、アテンドしたりしてます。
これは鶴賀なんですけど、鶴賀の商店街の皆さんと一緒にカグラウェディングっていう、これは今も続いてるんですけど、商店街が花嫁さんをお祝いするというか、新しい生活をここで始める人を応援するっていう取り組みの一つになってます。
これは去年の話になるんですけど、私結構ずっと昔から夫婦の写真を撮りだめて、自分のお客さんじゃないんですよ、何年か経ってる方で仲良い人に声かけさせてもらって、写真撮ってもらって、結婚して良かったとか、どういうドラマがあったのかとか、どういうふうに乗り越えてきたかっていうのをインタビューしたりしています。
それを見た感想をツリーにかけてもらって、結構いいコメントいっぱいありました。結婚して良かったこととかありますか?マジ楽しいとか書いてあったりとか、いろいろあったりしました。
結婚、結婚って言ってるのが婚姻っていうふうに捉えないでほしいなと思うんですけど、好きな人と一緒にいるというか、自分が大切にしたいなっていう人と一緒にいるっていうことをイメージしてもらいたいなというふうに思っています、私は。将来考えたときに皆さん自分の隣にどんな人がいるのかっていうのを想像してもらって、それは別にパートナーだけじゃなくて子どもとかペットとかでもいいと思うんですけど、
どういう人と一緒に人生を歩んでいきたいと考えるのかっていうのを少しお伺いしたいなっていうふうに思って、今日の場を設けさせていただきました。
自分が一人じゃない、一人で生きるっていうか、一人で生きて一人で死ねるのかもしれないんですけど、やっぱり人と繋がることで得られる幸せっていうのが絶対どこにかしらにあると思いますので、それをちょっと考えるきっかけを今日もらえたらなっていうふうに思っています。
はい、ちょっとこの後私価値観の変容の話もしたいんですけど、一旦質問答えて、結婚式と結婚間の変遷っていうので作ってきたので見てほしいんですけど、結構昔から行きますよ。この最初の方はちょっと飛ばしましょう。
あれ?もう平安なんだよ。思ったより飛んでるぞ。
一番最初に結婚式っていうセレモニーみたいなのができたのが平安時代っていうふうに言われています。
もうお嫁に行く、花嫁行列というやつで、福井でいうと長持ち歌っていう歌を名古屋さんが歌いながら行こうっていう、着物をかけるこういう、これかけるやつ、あれを一番最初にお家に入れるんですけど、順番はちゃんと決まって。
というのがやられていた時代。
この時、今は亡きイギリスの元ダイアナヒーが結婚式を挙げられて、その時の様子がすごい流行してですね、すごい長いこのウェディングドレス、トレーンの長いウェディングドレスとかがすごく流行った時代です。
この当時は有名な芸能人とかの結婚式やテレビで生中継とかされてた時代ですね。
でもう職場で、今までお見合いで親が選んだ人としか結婚できなかったのが、自分で選んだ人と結婚できる幸せみたいな。
とにかく大好きな人と一生一緒にいたい。
今はそれこそ同棲ってそんなに難しくなくできるのかもしれないんですけど、昭和平成の時代っていうのは、やっぱり同棲するなら結婚しからにしなさい、みたいなところが多かったので、
一緒に暮らすっていうことが結婚という手段を踏まないとできなかったりしたことが大きいかなというのもあります。
平成になってバブルの前の時、バブル景気の時は派手婚と言われてすごく派手な結婚式がありましたし、バブルが崩壊した後は一転して地味婚という風になっていました。
でもこの平成の時代は多様化の走りみたいなところがあるので、今までは人と同じことが、例えば有名人の誰々さんと同じ式をやったとかがステータスだったところが、
人と違う誰々ちゃん、友達の誰々さんより私の方がすごいみたいな方が、ちょっと人からいいなそれって言われるような結婚式のスタイルになってきました。
処婚年齢というのもすごく上がってきて、やっぱり女性の社会質が普通に進んだので、30歳ぐらいになってきたのも大体平成になります。
同じくして出生率も下がってくる。
これはバブル時代の時のゴンドラとか。
これ私でも、私まだ本当に入った時はまだこれを変にやっているので、この大きいケーキとかは全然体験していますね。
2メーターぐらい。2メーターもないから1メーター80ぐらいは絶対あって、これ全部イミテーションなので、後ろにこれぐらいの隙間だけ空いていて、ここにスポンジだけシュッと入れるんですよ。
そのスポンジを切るっていう、味のないスポンジだけを入れてて、それを切るとこのところからドライアイスが出てきて、とにかくドライアイスめちゃめちゃやりました。
ここからバブルが崩壊するとレストランウェディングってちょっとちっちゃいけど美味しいご飯食べたいねっていうところでレストランウェディングにシフトをしていきます。
今まではレストランウェディングって言ってもウェディングプランナーさんがいなかったので、こっちのホテルとかのところにはプランナーさんって言われる人。
プランナーさんっていうかこの時代はことぶき部とか婚礼部みたいな言い方だったので、結婚した人しか実はプランナーがやれない時期っていうのがあって、その時代ですこれは。
そこからレストランに行った時にそういう担当の人がいないので、じゃあこれは誰かがやらないといけないって言ってウェディングプランナーさんっていう職業が出てきだしたのがこのぐらいですね。
2000年にジェニファー・ロペスの主演のウェディングプランナーというドラマ、映画があってそれが爆発的にヒットしたのと、その後に飯島直子のドラマがあって、それで女子大生憧れの職業みたいなのになった。
平成の途中ぐらいから街中に白いお城のような建物がバンバンでき始め、これは結婚式専門の施設、結婚式だけをする施設というのがすごくたくさん建てようになって、ここに働く人が必要だということで、一般的なウェディングプランナーという職業が定着したというところになっていきました。
この時はもう本当にお城で結婚式みたいなイメージだったので、すごい多分最初は儲かったと思います。
平成の後半の頃は、スマホが普及したということによって、写真にどれだけ映えるかみたいなのが結構注目されていて、左のところは、これちょっとイメージ写真ですけど、花嫁さんと同じような格好をするブライズメイドという習慣が外国にはあるんですけど、これを日本でも真似て、女の子のお友達とかが同じような格好をして集まったりとか、
あと高さ号をソファー席というのにして写真を撮りやすくしたりとか、プロプスというのもめちゃめちゃ流行ったんですけど、みんなでアイテムを持って写真を撮るという写真がベースになってきたっていうのも平成の後半です。
でも、平成の女子は結構自立しているので、仕事も大事だけど、結婚も大事で両方両立したいという感覚が強いですね。結婚式に関しても、人と違うっていう方がいいなってなってきたのが、だいたいこのぐらいからじゃないかなと思ってます。令和になった途端に実はコロナになっちゃったので、結婚式のスタイルっていうのは一気に多様化するようになりました。
なので、別に自立婚でもいいし、結婚してあげなくてもいいし、ジェンダーレスもありだし、なんで新婦の手紙っていうのを新婦しか読まないのとか、急に問題提起が始まったのが令和になります。
で、出会いもなくなっちゃったから、マッチングアプリのきっかけで結婚するっていうカップルがすごく多くなったのもここからですし、逆に出会いがなくなっちゃって付き合うっていうことをしなくなった若者たちみたいなのも増えてきているという、男性も女性もセンサーがなくなってきたなっていう感覚は令和になってからすごく強くなっています。
初音ミクのやつはもうちょっと前の話なんですけど、初音ミクと結婚したり、写真だけを残したり、家族だけで結婚式をしたり、今のあの嫁さんから感じるのは、自分らしく人生を生きたいなって、私の価値観を受け入れてくれる人たちと、少人数でもいいから仲良くしたいっていうような、じゃないかなっていうふうに私は思っています。