フランスのそのバカロレアの哲学の試験で言うと、ちょっと一つ伝説があって、
リスクとは何かっていう問題に対してね、ある学生がすごく早く、一瞬で解き終わって教室を出たと。
で、その学生はなんて答えたかっていうと、リスクとはこれである。
Le risque c'est çaって書いて、それを回答用紙の裏面に書いて提出したっていうんですね。
どういうことかっていうと、回答用紙の裏面にその一言だけ書くっていうのは、それ自体がリスクじゃないですか。
だって教師が裏返さなければ見られもしなかった可能性もあるわけで、
それを回答用紙そのものでリスクについて表したっていう、そういう逸話があって。
これリスクじゃなくて、大胆さとか冒険とかそういう別の単語だったりもするんですけど、
大体に似たような内容の伝説があります。
これねちょっと調べたんですけど、どうやらLe Pionっていう1978年の映画が元ネタらしくて、
別にそういう出来事があったわけではないらしいんですね。
このLe Pionっていう映画の中でこのシーンはとても有名なんですけど、この子は20点中18点を取りました。
20点中18点ってどういうあれかっていうと、フランスの試験って大体20点満点だったんですね。
必ず日本が100点満点なのと同じように。
20点満点で10点が合格点なんですよ。
20点中20っていうのはほぼ存在しない点数と言われてて、あんまり先生も出さない。
だから18点っていうのはもう実質100点みたいなもんですね、日本で言ったら。
かなりの高得点です。
そういうシーンがあって、これがおそらく元ネタだろうなとは思うんですけど、
これより前にもし伝説の元になるような逸話がもしあったんだったら、ちょっと教えて欲しいなと思っています。
ちなみに実際にバカロレアの試験でリスクとはこれであるみたいなことを書いて出したらどうなるかっていうと、
フランスの教育省が出してるバカロレアの哲学の採点基準によれば、まず短すぎる回答はダメなんですね。
なのでおそらく0点だろうという考察の記事を見ました。
あとはフランスのメディアとか見てると、だいたいこの時期にフランスの政治家とか閣僚の過去の哲学の試験、
何点バカロレアで取ったかとかっていうのが結構話題になったりします。
今のエマニュエル・マクロン大統領はとっても優秀な方で、バカロレアの哲学のマクロンが作った答案がネット記事で公開されてました。
何それ。
エマニュエル・マクロンはバカロレアの哲学の試験で20点中16点を取っていますね。
かなりの高成績ということで。
こんな感じでこの時期になるといろいろとバカロレアに関してニュースが出たりして、僕は結構楽しんで読んでおります。
どうやって解くんだろうっていうのをね、ずっと思ってたんです。
バカロレアのこの哲学なんてね、私たちにはちょっと立ち打ちできないんじゃないかって思うじゃないですか。
で、チャットGPTに聞いてみたんですよ。
バカロレアの哲学って一応解き方のセオリーみたいなのがあるんですね。
こういうふうに解答しましょうねっていうセオリーが一応ありまして、それにのっとって書いていけばとりあえずはよろしいということなんですが。
じゃあどういうことかと申しますと、一番僕がちょっと今年の問題の中で興味深いなと思ったのは、
芸術は我々に必要かという問題でした。
なのでちょっと試しにこれをね、解くにはどうしたらいいですかっていうことをね、チャットGPT先生に聞いてみました。
そうしましたら、まずこの私たちには芸術が必要か。
アボヌブゾンダーっていう問題に対して、まず最初に問題文を定義して、自分なりに再構成しなきゃいけない。
この場合だったら、必要、ブゾンっていうのは何なのか。
芸術、アーっていうのが何なのかっていうことを、まずちゃんと定義し直さなきゃいけない、自分でね。
で、必要っていうのは、必要にもいろいろあるわけですよ。
例えば、生きるのに必要とか、心、心理的に必要とか、あと社会的に社会が必要としているかどうか、みたいなこと。
アーフにも、芸術って言っても、音楽とか文学とかいろいろあるし、
あとも広い意味で言ったらリベラルアーツみたいなのもアートに入ってくるかなと思います。
そういう活動とかですかね。
で、次にそれを踏まえて問題をもう一度問い直してみます。
私たちは芸術を必要としているかっていうのは、芸術っていうのは生きるために必要なのかどうか。
あるいは芸術っていうのは文化的な欲求として必要なのかどうかっていう問い直しをする必要があります。
そうすると、おそらく芸術そのものは生きるために必要とはあまりならないかなっていうところかな。
そうすると、それを踏まえて考えると、芸術は生きるための生命維持っていう意味では別に必要ではないかもしれない。
だけど、私たちが豊かに生きるための人間性を表現するとか、心が満たされるために芸術は必要なんじゃない、みたいな考えが生まれてくるわけですね。
そしたら、ここでようやく問いを整理していくわけです。
私たちが芸術を必要とするのかっていう問いに対して、必要じゃないっていう立場と、人間にとって芸術は必要ですよねっていう立場。
そして最後に、必要性っていうその在り方をもう一回見直しましょうみたいな話になってきます。
ここで本論、デベロップモンをしていくわけですね。
まず芸術は必要じゃないっていう立場からいろいろ論じてみる。
ここで必ず哲学者の言葉とか、誰々さんはこう言ってました、みたいなことを必ず入れなきゃいけないんですよ。
芸術って別に生きていくのには必要じゃないよね。異色獣には特に関係ないし、何だったら贅沢品みたいな扱いされることもありますよね、みたいな話をしながら、
プラトンはこんなこと言ってました、みたいなことを付け加えたりすると。
同じように、人間には芸術は必要ですよねっていう立場からいろいろ論じてみる。
芸術っていうのは自己表現とか、感情の浄化、カタルシスには必要なんじゃないかとか、人が人間らしく生きるために芸術は必要なんじゃないか、みたいな話をしていきます。
ここでも、あの人はこう言ってた、この人はこう言ってたっていうことを論じると。
もう一つは、その必要ってのはそもそもどういうことなのかっていう。
生命を維持するために必要というよりも、やっぱりこれまでの考えからすると、私たちがより豊かに生きるためにきっと芸術は必要なんじゃないかとか、
あとは最近で言ったら、芸術、音楽療法とかさ、絵を描くことで何らかの精神疾患を治療するみたいなのとか。
そういう芸術に触れることによって体の不調が治ったりとかすることもあったりしますよね。
それから芸術教育みたいなこともあったり、あとは社会運動とかでも、デモでみんなを鼓舞するために歌を作ってみたりとか、そういう役割もあったりする。
結構そうすると、社会の中で生きるために必要、みたいな意味では芸術って必要なんじゃないの?みたいな考えができてくるわけです。
で、結論としてこれまでの話を要約しつつ、人間らしく生きるために芸術は多分必要ですよねっていう話。
それから、実用的に必要っていうことじゃなくて、精神的に必要みたいな意味で必要かどうかっていうことを問うべきなんじゃないかみたいな話で、全体をまとめて終了となります。