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2025-06-10 17:47

#048 東京レインボープライドは今年は東京プライドというらしい

レインボープライドに毎年感じるモヤモヤについて

言語好きな一般男性ソウイチが、英語やその他の言語に関するモヤモヤを「悪口」として吐き出しながら、言語についてあれこれ考えていくPodcastです。

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サマリー

東京レインボープライドは、今年「東京プライド2025」という名称で開催され、LGBTQ+と多様性の祝賀が行われています。イベント参加者は、複雑な思いを感じながら、プライドパレードの歴史的背景についても触れ、同性婚の法整備に対する考えを語っています。東京レインボープライドは、同性婚に関する議論やパートナーシップ制度の実態について考える重要な機会となっています。この制度は表面的には進展を示すものの、実際の効力が乏しく、結果として同性婚の法制化が遅れる可能性があることが語られています。

00:01
この番組は、言語大好きで英語嫌いな私、ソウイチが英語への悪口を垂れ流しながら、
言語についていろいろなことを考えていく、ポッドキャストプログラムになっています。
番組内で登場する英語への悪口は、全て私の個人的な見解ですので、どうぞご了承ください。
はい、どうもこんにちは。エイゴサーチのお時間でございます。
今日、今、録音しているのは6月9日月曜日でございます。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。
東京プライド2025の開催
この週末、6月の7日、8日かな、東京レインボープライドというのがございました。
今年はちょっと名前が変わって、東京プライド2025という名前だったみたいなんですけど、
要するに、LGBTQプラスあらゆる性的マイノリティと多様性の採点ということで、
そういうのをやってたわけです。6月はプライド月間というそうでございます。
僕もね、ちょっと行ってきたんですけど、人混みがあまりにもすごくて、30分といられなくて帰ってきちゃいました。
僕ね、ゲイなんですけど、毎年この時期になるとね、いろいろ考え込んでしまうんですね。
考え込んじゃって、考えていることをノートの記事にしてみようかなとか、YouTubeの動画にしてみようかなとか、
いろいろやるんですけど、どうにもまとまらないと。
今日はね、まとまらないのを一層出してしまおうということで、ポートキャストを撮っております。
全然ほんとまとまってないし、結論を出したいみたいな気持ちでもないので、しばしね、おしゃべりにお付き合いいただけたらなと思います。
この番組一応、悪口がテーマの番組ではあるんですけど、
ここのエピソードに関しては別に誰か誰かを攻撃したいとか、何かを批判したいとか、そういうつもりでないということは最近お伝えしておこうかなと思います。
まずこの東京レインボープライド、東京プライドっていうこのイベント、毎年代々木公園でやっているイベントでございます。
今年はプライドフェスティバルっていう名前で、いろんな企業が出展したりとか、LGBT系の団体とか、海外の政府、大使館なんかがブースを出していろいろやってるんですよ。
っていうのがメインのイベントで、あとライブイベントみたいなのもあり、パレードもありますね。
そういうのを毎年やってるんですよ。
そういうLGBTの権利拡大とか、多様性万歳みたいなそういうことをやるんですけど、
今年もちょっと行ってきたはいいんですけど、人が多くて、人混みが苦手すぎていられなかったのと、
現場のね、あまりの洋の雰囲気すぎて、文字通り気分が悪くなっちゃって長らくはちょっといられなかったんですが、
洋の雰囲気っていうのがすごい難しいなというか、一応レインボープライドって多様性の祭典ということでいろいろやってるんですけども、
ドラッグクイーンの方であったりとか、ゴーゴーボーイって言ってゲイバーとかでちょっと半裸で踊ってるかっこいい体のお兄さんとか、
東京レインボープライドに来る大半の一般のゲイの皆様とかっていうのがいるんですけど、
あそこにいる人たちってゲイの中でもマジョリティな側の人だと思うんですよ。
あんなに楽しそうなお祭り的な、誰でもウェルカムみたいな雰囲気なのにも関わらず、
ここには自分の居場所はねえなって思っちゃったんですよね。
レインボーカラーが目にも眩しくて、このレインボーに自分は入ってないのじゃないかもしれないみたいなことを考えながら、
ちょっと落ち込んで家に帰ってくるっていうのが、レインボープライドに行くとそういう気持ちになるんですよ。
たぶんそんなことはないと思うんですけど、私が疎外されてるとかじゃなくて、
別に僕がそういう気分じゃないっていう、僕があの空気を受け入れられないっていうだけの話なんだと思うんですけど、
そういう複雑な気持ちをいつも持って帰るんですね。
プライドパレードの意義
あとプライドパレードね。レインボーフラッグを持って街を歩くってやつです。
これ海外の同じようなイベントでもよく派手なフロートとか立ててパレードして街を練り歩いたりするんですけど、
ちなみにパリのプライドパレードで一番大きいフロートを出しているのはエールフランスだそうでございます。
このプライドパレード、なんでプライドっていうのかちょっとわからなかったんで調べてみたんですけど、
調べてみたっていうか東京プライドのウェブサイトにちゃんとね由来が載っておりました。
なんかきっかけは1969年の6月にニューヨークで起こったストーンウォールの反乱っていう事件があるそうで、
事件の内容はちょっとここでは言わないんですけど、その事件があった翌年に1周年を記念して行われたデモ更新をプライドと呼ばれたと。
その後毎年恒例化してLGBTQプラスの権利の回復を求め、またその存在を祝福するパレード、マーチとして世界各地で開催されるようになりました。
というふうにウェブサイトには書いてありました。
当時のアメリカって言ったらね、1970年代60年代70年代のアメリカっていうとまだまだ同性愛の偏見ってすごく根強くて、
病気扱いとかあるいは犯罪みたいな扱いとしてすごく社会的にとても迫害されていた事態でもあります。
そういう時代にね当時の同性愛者の皆さんが自分の性的思考とかあるいは自分の存在そのものに誇りをプライドを持っていこうみたいな、
そういう意味でプライドマーチプライドパレードっていう風に言ってるんだと思うんですね。
僕個人の話をさせてもらいますと、そういう歴史的な文脈とかも全部取り払って、
私の個人的な話で言うと幸運にも本当全然性的思考が元でいじめられたりとか差別されたりとか全然ないんですね。
友達とかがよくその思春期に通過しているような自分は他のことは違うんじゃないかみたいな葛藤みたいなのもそういう悩みとかも一切なかったんですね。
僕に関してはそもそもそのプライドも何もまず自分の性的思考を恥と思ったことがないので誇るとかも別になくて何なんですっていう感じなんですよ。
例えばちょっと変な例えにはなっちゃうんですけど、僕人間なんですね実は。
別に自分が人間であるっていうことを誇りに思うとかじゃない。
例えば他の動物と比べて知能が高いことを祝おうみたいな気持ちも別にないし、
それと同じで自分がゲイであることを肯定して祝う。
そしてそれをパレードで喜びを表すみたいな感覚が既にしてもよくわからないわけです。
これは僕がすごく恵まれている環境にあるっていうことなんだと思うんですけど、
やっぱりちょっとそのプライドパレードとかも一歩引いてみちゃうところがあって。
なんかそれをね、そのパレードの様子を写真に撮られて、
ちょっとこうゴーゴーの人がいい体晒して半裸で歩いてるのをさ、
ちょっと批判的な感じでツイッターに上げられたりとかして、
ゲイの奴らがこんなことやってるぜみたいなこと書かれたりしてるのを見て、
ああ、なんかまあ、とりあえずいきなり男の裸を見せられても困っちゃうよねっていう気持ちも全然わかるんですよ。
なんかそれで批判されちゃうのもしょうがないよねとかって全然思っちゃうので、
なんかこういまいちそのプライドパレードっていうそのコンセプトに乗り切れないところがあったりします。
同性婚の現状
東京プライドにおける一つの到達点って多分、
同性婚が日本でも認められるようになることっていうところだと思うんですよね。
僕も同性婚が日本でできるようになったら、それはもう本当に素晴らしいことだなと思っています。
大賛成です。
ただ、同性婚が法整備されたとて、
多分自分はその制度の恩恵に預からないんだろうなっていう予感があります。
今現在恋人がいるいないっていうこともそうなんだけど、
そもそも自分のパーソナリティとして結婚に向いてないと思ってるんですね。
多分結婚して幸せになるタイプの人間じゃないんですよ僕は。
だから同性婚の話とかも自分に関わりのあることとしてあんまり考えてないというか、
全然考えられないんですね。
なので同性婚すごいいいじゃないですかと思うけど、
それが実現されるために僕も何かできることをしようみたいな
そういう前向きな気持ちにまではなれないんですよ。
同性婚っていうと今のいろんな市区町村なんかで
同性パートナーシップ協定みたいな制度があるじゃないですか。
あれは逆にすごく良くないなぁと思ってるところがあって。
これちょっと話がずれちゃうんですけど、
フランスの話になっちゃうんですけど。
フランスでは1999年以来パックス、パクトシビル・ソリダリティ、
市民連帯協約っていうパックスっていう制度がありました。
これ結婚とはちょっと違うんだけど、
あえて日本風に言うなら法的に認められた事実婚みたいな制度があったんですね。
結婚とはちょっと違ってて遺産が残せないとかそういうちょっとした制約はあるんだけれども、
99年以来のフランスの同性愛者たちっていうのは
このパックスをもって事実上の結婚としていたところがありました。
結婚を望む同性愛のカップルは大体パックスを利用していたみたいですね。
もちろんパックスって同性愛者のためにある制度ではなくて、
男女のカップルでもパックスが使えたんですけど、
そういう法的に認められた事実婚の制度みたいなのがあったんですよ。
フランスはちなみに2013年に同性婚が正式に認められるようになりました。
このちょうど留学していたのが2012年、11年から12年の間で
マリアージュポフトスみんなの結婚といって
同性婚とパートナーシップ制度の現状
同性婚を認めるようにしましょうよっていう運動がすごく高まってた時期だったんですよ。
だからその関係の記事とかもいろいろ読んでたんだけど、
同性婚の反対派の人たちが当時何を言ってたかっていうと、
同性愛者には既にパックスがあるじゃないかっていうことなんですよね。
パックスがあるから結婚ができなくても別にいいでしょうよっていう話ですよ。
もちろんそれだけじゃないんですけど、議論の一つとしてそういう風に言ってる人がいたって感じです。
でもパックスで足りないから結婚したいって言ってるんだから、
それはもうパックスがあるじゃない、じゃあちょっと反論にならないんですよね。
今の日本のパートナーシップ制度っていうのもそれにちょっと似たようなところを感じていて、
結局このパートナーシップ制度って市区町村とかの地方自治体が出しているものなんだけど、
多分市区町村によると思うんだけど、基本的にはそこの市区町村でしか効果を発揮しないものだと思うんですね。
しかも法的な効力っていうのは一切ないものになります。
言ったら市役所、区役所の真ん中で私たちカップルなんですって大声で叫んでるみたいなことに近いんじゃないかなと思うんですね。
そう言うとちょっと極端かもしれませんけど、ちょっと奥にはポーズだけの制度に見えてしまうんですね。
全然実態を伴わない。
パートナーシップ制度でこれできることって言ったらあんまり実はなくて、
例えばどっちかが既得の時に家族として面会が可能になるとか、
保険で夫婦と同様の扱いがされるとか、それを保険会社によってだったりね、
あとその入居の時にどうのこうのとか、
あと企業によってはパートナーシップ制度を利用しているカップルはどうのこうのみたいなのもあったりするみたいです。
でもこれ勘違いしてる人は結構いて、
確か都内で最初にそのパートナーシップ制度を始めたのが渋谷区だったと思うんですけど、
渋谷区に行けば結婚できるじゃんみたいなことを言う人がいたんですよ、あの頃。
今もたまにそういうこと言う人いるんです。
中野区なら結婚できるねみたいな。
でもそういうことじゃないじゃないですか。
その全然結婚とは程遠い、もう僕からしたらほとんどお孫ごとみたいなことしかできないんですよ、パートナーシップ制度なんて。
フランスのパックスなんかよりもはるかに効力の弱い制度で、
渋谷区に行けば結婚できるんでしょう?なんて言われて、
できないけどねっていう。
で、結果その延長でさ、
例えばねそのパックスの時みたいに、
同性パートナーシップ制度があるんだから同性婚不要でしょ?みたいなこと言われたら、
結局その結婚したい同性カップルが多分一番困るんじゃないかなと思ってしまいます。
しかもツイッターとかでね、
ゲイのアカウントの人が長年付き合ってた恋人とパートナーシップ結ぶことにしましたみたいな感じで、
結婚しました的なノリでそういうのを投稿しておめでとうとか言ってる人も言ってたりするんですけど、
なんかそれもなんだかなって別に結婚とは全然違うのになって、
本人たちはね、それはもちろん幸せなことなんですけども、
なんかちょっとなって思っちゃいます。
もちろん何もないよりはマシなのかもしれないけど、
でも結局なんかこの同性婚ににげひなるその中身のないパートナーシップ制度っていう制度が、
結果として同性婚の法制化を遅らせているのではないかと私は密かに思っているところでございます。
多様性と自己認識の葛藤
あとあえてここでは取り下げないけど、
本当に婚姻制度を適用したらゲイは幸せになれるのかっていう疑問が実はちょっとあります。
詳しくはこれでは言わないけれども、
現状ゲイの皆さんは結婚制度がないからこその恩恵を受けているところもあるんじゃないかなと思っています。
というわけで毎年このプライド月間、東京レインボープライドが行われる時期になると、
そういうようなことをツラツラと考えてしまいます。
だから僕がこうやってね、よくわかんないことを考えちゃうのは、
単に僕がインキャだからだけなのかもしれないし、
さっき言ったみたいなゲイであることの葛藤みたいなのを別に感じずにこれまで生きてこられているっていうのもあると思うし、
僕がそうやってそんな葛藤せずに生きてこられているのは、
もしかしたら過去苦しんできた先人たちのおかげなのかもしれないですけど、
多様性って誰のための多様性、誰のためのレインボーからなんだろうとか、
誰がこの制度によって助けられて、誰が結局この制度の外に置かれるんだろうとか、
そういうようなことを考えてしまう、そんな今日この頃なわけです。
本当レインボーからっていうかそのプライドっていうそのコンセプトを否定したいわけでは全然なくて、
このレインボーの中に自分の居場所はちょっと今のところ見つけ出せないなっていう気持ちがずっとあるというところですね。
でも年に1回こういうことでお祝いするってこと自体は全然とてもいいことだと思うんですけど、
こういう深いことについて話すのはちょっと苦手なもので取り留めのないおしゃべりになってしまいましたが、
お付き合いいただきありがとうございました。
こういうレインボー関係のことでね、もしご意見ご感想など、僕が思っていることちょっとわかるとか、
それは違うんじゃないかとか、もしご意見ご感想などありましたらぜひお便りフォームも、
それからSpotifyのコメントもありますし、いろんな方法がありますのでぜひお寄せいただけたらとっても嬉しいなと思っています。
ちょっと本当にまとまってないんですけど、お付き合いいただきありがとうございました。ではまた。
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