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本日は、Amazonオリジナルのサウンド・オブ・メタルという映画を見て、すごく面白かったので、その話をしたいんですけれども、
主人公はメタルバンドのドラマーなんですよね。
自分の彼女はボーカローをやっていて、2人組のバンドという結構変わった編成なんですけれども、
アメリカの田舎町を点々と2人でワゴンに乗って、貧乏ツアーをしているみたいな、
仲睦まじいカップルという感じなんですけれども、
そのツアーの過程で、彼氏のドラマーの耳が聞こえなくなるんですよね。
これは多分、メタルの大音量で何兆になっちゃうんですけど、
あと、過去にヘロイン中毒だったというのもあって、
ラッパーのなめだるまのバダサイさんという人が、
覚醒剤で右耳が聞こえなくなったということを聞くと、
もしかしたら薬物の関連もあるのかもしれないですけど、
とにかく音楽で耳を立てていて、しかもバンドカップルじゃないですか。
音楽で繋がっている2人でもあったんですけど、そのうちの彼氏の方の耳が聞こえなくなると。
お金もなくて行く当てもないので、老和者のグループホームに入ることになるんですよね。
彼女ともそこで別れて、関係は続いているんだけど別々に暮らすことになると。
そのグループホームに入ると、ボスみたいなのがいるんですよね。
その人ももともとは喋れて、音も聞こえていたんですけど、
ベトナム戦争で爆弾が爆発して、その影響で耳が聞こえなくなったと。
おじいさんなんですけど、入るときに携帯電話も取り上げられるんですよね。
車の鍵もよこしなさいと言われて、外界を完全に遮断させるんですよね。
経験上、もちろん主人公はそれをちょっとえってなるんですけど、経験上これが一番うまくいったからと言って、
厳しい顔で、優しい人なんですけど、厳しい顔で電話と車を取り上げるんですよね。
それぞれのホワイトボードにみんなの仕事を書いているんだよねとか言って、
それぞれのグループホームにいる老和の人たちの名前と庭掃除とかそういうのが書いてあるんですけど、
主人公のところに老和者の生活を身につけるっていうのを書くんですよね。
それが主人公の仕事であると。
主人公はもちろん周りをみんな手話で会話しているし、主人公は手話できないし、
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バンドの生き生きの空気感の中で薬物とかやりながら暮らしていた人が老和者の生活の中に入るんで、
最初の浮きまくりなわけですよね。
キョロキョロしているんですけど。
そんな中、主人公が屋根の壊れている部分を直そうかなって首でカンカンカンって直したら、
そこにグループホームのホーム長が近づいてくるんですよね。
褒めてくれるのかなと思ったら、それは君の仕事じゃないって逆に怒られるんですよね。
ちょっとこっち来なさいって言われて、朝君結構早く起きてるよねって言って、
5時くらいに起きてますって言ったら、そっか。
5時に起きたらコーヒーだけ組んで空き部屋に入りなさいと。
そこには机が置いてあってノート一冊だけ置いてあると。
ずっと座ってなさいと。
座ってられなくなったら、心の中のことをノートに文字で書きなさいと言うんですよね。
それをずっとやれ、午前中いっぱいやれだったかな。
すごい長時間やるんですけど。
主人公はそこに入って、もうやってられるかみたいな感じで、
ほらしーとか言ってノートの前で暴れたりするんですけど。
これがグループ法務長の人も同じく耳が聞こえなくなったわけですよね。
だから当然できる耳が聞こえる生活から、
耳が聞こえない老和者の生活に切り替えるというのが、
いかに苦しい大変かということを身に染みて分かっていると。
その時の切り替えをスパッとやらなきゃダメなんだみたいな考えがあるんですよね。
だからそのために外界と遮断させると。
これどういう感じかというと、
耳が聞こえていて、いわゆる健常者として生活をしている。
その価値観で持って生活をしているという動きが、
主人公はもちろんその方向、ベクトルで動いているわけですけど、
それがある日突然耳が聞こえなくなると、
その価値観とか考え方とか生き方から全部変えなきゃいけないわけですよね。
それが老和の生活を身につけるということなんですけど、
感性の法則というか、主人公は今までそのベクトルで動いているので、
急に止まれないわけですよね。
だから何も自分に役割とかがなくて、何かの役に立っているという感じもせず、
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ただただそこで生活しているということに耐えられなくなって、
屋根の日差しとかでも直そうとすると。
でもそれをものすごくグループ法務省が咎めたのは、
やっぱりそれは健常者の考え方だよということだと思うんですよね。
そうやって役に立たないで生きてちゃダメだという考え方を健常者はするよねみたいな。
そういうところが日差し直すのに現れていると。
そうじゃないと。ただいるだけということの生活になるというか、
ただいるだけでもいいんだという価値観を早く身につけてほしいというふうに思っているから、
ただ朝から座って、でもその中で心の方は今までの感性の法則で動いているわけですよね。
健常者としてちゃんと立派に生きるみたいなところに動いているんですけど、
自分の今の置かれているステータス、状況というのはもう老朽者として生きなきゃダメなんですよね。
だから椅子でじっとしているということが普通のことであるというふうにならなきゃいけないんだけど、
何か役に立ちたいというところで心と身体が分離してガッとなるので、
そしたらその時のワッという気持ちはノートに書けということだと思うんですよね。
そういう一種のあら了事的な感性の法則で今まで通り生きようとしている主人公に対して、
そういう宿題みたいなのを課すわけですよね。
最初は主人公はそれでアッと言っているんですけど、
次第にそれを受け入れてずっと座ってコーヒーを飲んで、
ノートに思いをずっと書いていくというのをやっているうちに、
だんだんグルフォームに溶けていくわけですよね。
手話とかも身につけて、老和の子どもたちとも隣に学校があるんですけど、
馴染んで仲間の一員になっていくんですよね。
それ自身はこういう暮らしもいいなみたいな感じになっていくんですけど、
朝が来てですね、気がついたら窓の外を見たら太陽が落ちていっているんですよね。
日が暮れていくんですよね。
そういうのを見ていて、
今日俺何やったっけかなみたいな気分になっているんですよね。
子どもたちと遊んでみたいな。
前だったら多分曲作って、ツアーの打ち合わせやって、
次何やろうかなとか計画立ててとかだったと思うんだけどみたいな、
多分そういう気持ちがむくむく湧いてくるんですよね。
ちょっと気になって、パソコンとかも触っちゃダメって言われているんですけど、
それも外界から遮断しないと、すぐ元の生き方に惹かれてしまうからなんですけど、
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彼女の様子を見たら、自分抜きのソロ音楽活動を続けているんですよね。
それを見て、俺抜きでどんどん動いて、どんどん先に行っちゃってるじゃんみたいな気持ちになって、
家を消して、お金が足りないからできないと思われていた、
耳へのインプラント手術を受けるんですよね。
持っている車とか、住み方ある車とか、火災特具とか全部払って、
インプラント手術を受けると。
受けてしばらくは1ヶ月くらいかな、聞こえるようになるまで時間がかかるんですけど、
その前に待っててくださいと言われるんですけど、こっそり出て手術を受けて、
そのグループホーム長に実はこっそり手術を受けてきたと言うんですよね。
そのグループホームは、ローアは治療すべきことじゃないという信念があるんですよね。
だから、そうかって言って、
じゃあ、選択がいいほうに転んで、君が幸せになることを祈っているよみたいなことを言うんですけど、
その主人公が、なんで受けたのって聞かれて、
ここに来てもただ時間が過ぎていくだけだって言うんですよね。
そっかーっつって、
俺、ノートの前に一日座ってなってて、
何かあったら書きなって言ってたじゃないって言って、
あれ、何か感じなかった?って言って、
え?って言ったら、
俺もあれやったんだよねって言って、
あれずっと続けてたらさ、
心の静寂っていうのを感じるようになったんだよねって言って、
それで落ち着いて、自分の心の中の静寂っていうのを見つけることができたんだよねみたいな、
って言うんですよね。
でももう、君はその耳を治療したから、
このグループホームにはいられないから、
君も旅立つと思うけど、元気でね、みたいな感じで、
そのグループホームから出ることになるんですよね。
いざ出てですね、
耳の手術所に木ぶつけて、
よしこれで音聞こえるぞって音聞くとですね、
めちゃくちゃこうなんて言うんですかね、
ノイズ入りまくったラジオみたいな音なんですよね。
すごいキンキンキンキンしててですね。
で、わーってなるんですけど、
ここでですね、この耳の補聴器というかインプラントから
キンキンキンキンなる音のことを、
サウンドオブメタルというのはですね、
メタルバンドの曲、音っていうことも意味もあったんだけど、
補聴器というかインプラントから聞こえるキンキン音、
これのこと言ってたのかって見てたら思うわけですよね。
でですね、それはどういうことかというと、
単純にノイズが多いっていうのもあるんですけど、
原理的にはですね、
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実際の耳の機能は失われてるんだけど、
インプラントの力でですね、
脳に聞こえてるように錯覚させるみたいなのが原理らしいんですよね。
でですね、
なんてそんな完全な音ではないし、
あと全ての音を拾っちゃうんですよね。
人間の耳ってすごいよくできてて、
いわゆるカクテルパーティ効果って、
100人がワイワイ言ってるパーティー会場でも、
目の前の人の話しか聞こえなくなるみたいなのがあるわけですけど、
そういう脳の意識と連動した耳の機能があるわけですけど、
当然ですね、耳に埋め込んだものでは、
そんな相互作用的な働きはできないわけですよね。
だから全部の音を拾っちゃってですね、
ものすごいうるさいんですよ。
ノイズだらけなんですよね。
でですね、そんな中、
彼女とも再会するんだけど、
彼女はもう彼ともう一回歩み出そうとしてるんですけど、
もう実は心は新しい道を歩み始めてるみたいな感じなんですよね。
もうちょっと言っちゃうと健常者の世界を生きてるんですよね。
で、なんでちょっとですね、
二人の間に埋められない溝みたいなのを感じててですね、
で、主人公は最後、ものすごいノイズの中で街を歩いてたんだけど、
ものすごい耐えられなくなってですね、
耳から補聴器みたいなのをパッて取ったらですね、
すごい静かなんですよね。
で、すごい静かで、
それもこっち側で映画見ててもホッとするような静かさなんですよね。
で、主人公もパッてなって、
で、もうその静かな、その静けさをですね、
ずっとこう味わっている顔で終わるんですけど、
なんていうかね、なんかこう、
それを見ててですね、
このサウンドオブメタルっていう意味がね、
もう一つ意味があるんだなと思ったのが、
その喧騒ですよね。
その世界の喧騒というか、
つまりこう、
時間を無駄に過ごすなとかね、
ちゃんと何者かになれとか、
生産的にもっとならなきゃとかね、
あとなんかこう覚えられるような人間になるんだとかね、
存在理由は何だとかですね、なんか分からないですけど、
そういうですね、こう、
生きているだけで、
自分の心の中にですね、
響いてくる、そういう喧騒ですよね。
お前は何かの役に立っているのかとかですね、
そういう喧騒のことも指してたんだと思うんですよね。
だからその、なんていうかね、
一回その主人公はですね、
そういうものがない、
そのローアの仲間の中の静かな生活、
ただただ時間が過ぎていく生活というふれた後ですね、
で、やっぱりでも、
俺ももっとちゃんと元に戻りたいってですね、
インプラント埋め込んで、
世界はもうそういうふうに動いているんですよね。
すごい自分のストレンジャー感があるわけですよ。
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その、そういうものと、
自分はもう違うところに来ちゃっているんだなと。
インプラントを入れてみたけど、
もうノイズだらけで聞こえないと。
でですね、
まあそういう、でもそれを外してみたらですね、
そうかと、
グループホーム長が言っていたのはこのことだったのかなと、
静けさに満たされるみたいな話で、
まあ音を失った代わりに、
その静けさを得たみたいな話だったんですよね。
でですね、これを見ていて一つ思い出したのが、
認知症研究の第一人者の長谷川さんという、
今おじいちゃんの方がいるんですけど、
その方がNHKのドキュメンタリーに出ていてですね、
認知症研究の第一人者なんだけど、
自身が、
認知症研究の第一人者なんだけど、
自身が認知症になっちゃったんですよね。
でですね、そのことについて自分をですね、
まある種ちょっと、
そもそもその認知症の研究をしているときから、
周りの研究者の先輩がなんかにですね、
この君の研究は君自身が認知症になって完成するねって言われたらしいんですけど、
そしたら本当に認知症になっちゃいましたみたいな感じでですね、
周りに支えられながらですね、
講演活動とかしているんですけど、
講演しながらですね、
本当はこういうことを話そうと思っていたはずが、
気づいたら群歌を歌っているみたいな感じなんですよね。
でですね、その、
長谷川さん自身がですね、
自分で提唱してですね、
全国的に根付いたデイケアですね。
デイケアの現場に行ってですね、
こう球を使って遊ぶみたいな、
ちょっと子供っぽい遊びをするみたいなのをやってですね、
それを自分が考えたことをですね、
長谷川さん自身が自分でこのデイケアの施設でやるんですけど、
やってみたら、
明らかに長谷川さんというのはね、お医者さんだったんで、
インテリなわけですよ。
インテリなんだけど、遊びがですね、
幼稚園生みたいな遊びなんですよね。
お上手、お上手みたいな感じでですね、
そのまま考えたのは長谷川さんなんですけど、
もう行きたくないとか言ってですね、
あのデイケア行きたくないとか言って、
自分でやってみると、こんなんなんだみたいな感じで思ったりとかしてですね、
いろんな場面があってですね、
なんともなと思いながら見てたんですけど、
そこからですね、かなり進行して、
さらに進行した時にですね、
その取材班がお宅にお邪魔したりですね、
なんかちょっと落ち着いてるような感じでですね、
その場面を使っただけの可能性ももちろんあるんですけど、
でですね、認知症ってのはよくできてるね、
これは救いだね、
よくできてるわ、これは人間に与えられた救いだな、
って言ってたんですよね。
それはどういう意味かわからなかったんですけど、
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何を指してね、
救いだって言ってるのかなって、
何かがそぎ落とされていくみたいなこと言ってた気がするんですけど、
意味わからなかったんですけど、
もしかしたらこういうことなのかなと思ったんですよね、
聞こえなくなった音を失った代わりに静寂を得たみたいな、
その認知機能っていうのが失われる代わりに、
失われていくっていうことが、
なんでしょうね、認知機能があるっていうことが、
実は結構人間の、
ちょっと辛いところでもあったんだよなっていうことを、
もしかしたら思っているのかな、
というふうに思いました。
その辺はね、そういうことがあるんだとしたらいいな、
みたいなちょっと希望込みって感じですけどね。
というわけで、本日は以上です。ありがとうございました。