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はい、というわけで始まりました。
本日はですね、次男の夏休みに入る前の学校の面談に行ってきたという話なんですけど、
谷野先生と折り合いが悪くて、
奥さんの方は、谷野先生の電話、攻撃というか、電話でですね、
今日もこんなことがあって、みたいな感じの連絡とかにすごい疲れ切ってですね、
面談とか本当にもう気が重いって言ってたんで、
俺多分、俺は全然気が重くないから代わりに行こうかみたいな感じで、代わりに面談に行きました。
でですね、話して行ったらですね、
そしたら先生の方がこういうところが心配なんです、みたいな話をするわけですよね。
例えばですけど、本当にちょっと笑っちゃったんですけど、
俳句の宿題みたいなのが廊下に貼ってあったんですよね。
待ってるときに貼ってあって、
自分の次男の俳句どれかなって探してたら見当たらなくて、
なんか見つからないなと思って教室に入ったらですね、
そしたら面談が始まったら、
そしたら、実はこの間の俳句の授業でもこんな俳句書いてきましてって言って、
夏のスイカ、ナイフで刺したら赤い汁が飛び散って血みたいだ、みたいな。
そんなような、スイカに包丁が刺さっているイラスト付きみたいなですね。
そんな俳句を書いてたみたいで。
これもちょっとなんか、もしかしたら他の生徒が見たら怖いとか言うかなと思って、
刑事をどうしようかと思っていたんですが、
保護者の方がもし良ければ刑事をしようかなと思うんですが、
いかがでしょう?みたいなことを言われて、
全然大丈夫ですよ、みたいな感じでですね。
で、いろんなこういう心配点があって、みたいな話を聞いて、
ああ、なるほどって言って、
ああ、でもそういうとこありますよね、とかみたいな、とか、
なんかあと、ああ、でもそれは僕はそんなに心配しないですね、そこはとか、
みたいな話をしてたんですよね。
で、例えばですけど、さっきのスイカの俳句もそうなんですが、
結構死とか暴力的なものに惹かれている様子があるみたいな話をしていて、
なんか階段をですね、飛び降りている児童がいるから、
それをやめるようなキャンペーンをする、考えるみたいな授業があったらしくてですね。
で、それでその事難をですね、それを聞いて、
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タブレットで階段、ジャンプ、頭割れた、みたいなのを検索して、
そういう事故の事例とか、なんかみたいなことを探して、
ほら、こんな風に頭割れて死んだ人が、みたいな感じで提案したんだけど、
なんかそういうような怖いようなもので、
なんか人を注意喚起するんじゃなくて、
もっと良い事で言えないかな、みたいな話をしてたんですよね、みたいな事を言っていて、
でですね、それを聞いて、
そんなような事があったりとかして、
そういう死とか暴力とかに結構惹かれて、
そういう発言とかするのが、なんかすごい心配をしているみたいな話を聞いてですね。
でも、海外でタバコ買ったらね、
思いっきりその肺癌の写真が載ってたりとかするわけで、
ある種そのグロテスクな絵でですね、
注意喚起をするっていうこと自体は、
なんかすごく咎められるものでもないかな、と思っている。
そのアプローチとして別にあり得るアプローチだと思っているし、
なんていうか、それを思う、そう思う、そうしようということを、
そう思っちゃいけないっていう風に否定されるっていうのは、
なかなか多分本人にとっては辛いものがあると思うんですよね、みたいな。
だし、割とその、なんていうか、
こういう暴力とか死とかに惹かれるっていうのは、
これからの小学校5,6年生くらいの男の子、
女の子も一緒かもしれないですけど、
そうしたら別に珍しいことでもない。
僕とかはね、すごいバイオレン星が大好きでしたから、
全然珍しいことでもなくですね。
だし、僕は心配してないですね、みたいな。
動物とかを傷つけるとかね、そういうこともないし、
動物とか虫とかは好きですけど、
小学生だったら虫とかは好きな子がバラバラにしたりするじゃないですか、
ああいうこともしないし、
基本的には動物とか虫には優しいし、みたいな感じで、
だから僕はそっちの心配は別にしてないですね、みたいな話をして、
そうですか、みたいな感じで、
でもなんか今日はそういう感じで、
本当に普通に話をしたって感じだったんですよね。
そう思うんですか、僕はこう思いますっていう話をして、
終わって、
うちの奥さんにこんな話をしたよっていうのを報告したらですね、
言ってもらってよかったって言ってですね、
そうよかったよかったって言ってたら、
そしたら、
うちの奥さんに、
言ってもらってよかったって言ってですね、
そうよかったよかったって言ってたら、
そしたら、
すごい攻撃されてるのにそれを物ともせずに、
攻撃を仕返してるのがすごいみたいな話になってですね、
それを奥さんは友達にその話を話しても、
同じような感想だったらしいですね、
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すごい攻撃されてるのに攻撃をされたのを物ともせず、
言い返してるのがすごいみたいな感じですね、
僕は攻撃された覚えもした覚えもないんですよね、
何かそう思うんですか、
僕は違う意見でこう思ってるんですよね、
みたいな感じなんですよね、
本当そんな感じだったんで、
これ攻撃されたしたっていうことなの?みたいな、
少なくとも俺には自覚ないけどとか思いながらですね、
その話を別の女性の先輩に話したら、
母親の立場からすると、
やっぱり攻撃されてるように感じると、
すごくですね、
母親と父親の子供への距離感が違うところがあって、
おそらく出産育児の経験が大きいんじゃないかと話してたんですけど、
出産育児というのは下手、母親がですね、
自分の子供の子供は自分の一部のようにどうしても見えちゃう、思えちゃう、
距離感が近くなっちゃうところがあって、
気をつけなきゃって離れようと思うんだけど、
例えばですけど、父親の距離感のようには決して離れられない、
みたいなのが実感としてあると、
生物的なものを感じるみたいな話をしてたんですよね、
確かに子供へとちょっと同一化するくらい距離が近い親子関係みたいなのがあったとして、
母親の方がすごく近くて、
父親が離れてるっていうケースは見たことあるんですけど、
父親がめっちゃ近くて母親が離れてるっていうケースは、
あんま確か見たことはないんですよね、
あるのかもしれないですけど、ケースはあんま知らなくて、
経験的にそういう主産育児っていうある種の強烈な体験みたいなのが、
ある種やっぱりすることを生むのかなと、
それを経てない僕としては、
自分の子供といえど他人というか一人の別の人間として見てるところがあって、
別の人間の意思とか行動みたいなのも尊重しつつ、
それに対してそう思う人もいるんだ、
僕はこう思いますけどねみたいな感じのところがあると。
だからそこのところの距離感みたいなのが、
母親父親で受け取り方が違うのかなっていう部分もあるのかなと思ったんですよね。
でも一方でちょっとまた別な要素もあるなというふうに思っていて、
今回のケースは本当にこの話を僕、僕の奥さん、奥さんの友達、僕の女性の先輩っていう、
3人の母親と一人の父親がこの話を聞いて、
僕だけ攻撃されてもしてもないですねって言って、
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あと3人はされてるししてるって言ってるんで、
なんていうかちょっと今のですね、
統計上は75%も確率でしてるしされてるわけですけど、
それはその攻撃をもし向こうの先生が僕に対して、
あんたの息子はこういうのでどうにかしてくれっていう攻撃として、
そういう言い回しをしてるのかもしれないんですけど、
その言葉の裏っていうのを、僕はもう受け取るスイッチっていうのを切ってるんですよね、ほとんど。
切ってるし、なんだったらあんまり感じ取ってないっていう可能性もすごくある、もともとあるんですけど、
ただ意識的に受け取らなくなった。
さすがに自分でも分かる嫌味だなみたいな、
こういう言い回ししてるとこだなみたいなことを感じたりするわけですけど、
それを多分社会人になってのいろんな人と出会う中でですね、
そこの言葉の裏を受け取るっていう受信器を切ってるんですよね、普段。
俺そういえばこの言葉の裏を読むっていうことを切って生活してると。
それがですね、すごく自分のコミュニケーションのスタイルみたいなのがそこから見えてきたんですよね。
それについてまたちょっと話そうと思うんですけど、とりあえずですね、10分経ったんでまた続きは明日話します。よろしくお願いします。
ありがとうございました。