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部活の顧問はいつから先生の仕事になったのか
2026-09-01 08:34

部活の顧問はいつから先生の仕事になったのか

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歴史学者の濱田浩一郎さんが、ブラック部活動と呼ばれる状態を歴史から解きほぐした記事を取り上げます。休日の指導手当は約4時間で3600円。ところが戦後すぐの調査では、運動部に関わる教員は半数程度で、指導は地域の住民が担っていました。1977年には中学で94.4パーセントが教員になります。地域移行は新しい改革のように見えて、実は一度あった形に戻す話でもある。その前提を確認したうえで、今度は誰に負担が移るのかを考えます。

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教育カフェテラスの時間です。進行役の水野太一です。 この番組では、国内外の教育の話題を、現場の目線で一つずつ取り上げています。
今日は、部活動の話をします。 アシスタントの高橋紗友香です。今日もよろしくお願いします。
東洋経済オンラインの8月29日の記事です。 書いたのは、歴史学者の濱田光一郎さんで、ブラック部活動と呼ばれる状態を、
メキシカラ辿っています。 歴史から取るのが意外です。今の働き方の問題だと思っていました。
今の話から入りましょう。記事に出てくるある先生は、午前5時頃に起きて、6時半には学校にいます。 朝練のためですね。
その後授業をして、放課後も部活の指導です。 それが終わってから祭典などをするので、帰宅が夜11時になることも多いと書かれています。
週末は休めるのでしょうか。 練習や大会があるので休めません。ここで手当の話が出てきます。
休日に出ているのですから、何かは出ますよね。 教員特殊業務手当というものはあります。文部科学省の基準で、約4時間で3600円、
2時間から4時間で1800円です。 自治体によって額は変わります。
4時間で3600円ですか。 しかも活動時間が規定に届かなければ対象になりません。
放課後の指導には手当が出ないこともあります。 私は学生ですが、アルバイトの時給と比べてしまいます。
記事も同じ比べ方をしています。 労働基準法では、法廷の休日に働いた場合、35%以上の割増賃金を払う義務があります。
それと比べると低い水準で、オランティアに近いという書き方です。 どうしてこの形は続いているのでしょうか。
そこで歴史に入ります。 日本に野球やサッカーなどの近代スポーツが入ってきたのは、明治維新の後です。
学校の部活として始まったのですか。 最初はエリート層の学生の間で、聖火の外のクラブ活動として広がりました。
東京大学では1883年頃からいろいろなクラブができています。 ずいぶん昔です。
1886年には、それらをまとめる運動会という組織ができます。 今の運動会とは意味が違って、想定部や陸上、水泳、柔道などの統括組織です。
目的は何だったのでしょうか。 体を健やかに保つこと、精神の健やかな発達を遂げることと書かれています。
学問や道徳の助けになるという位置づけです。 立派な目的です。
ところが、その時点ですでに弊害も出ています。 練習が激しくなり、学業がおろそかになる、応援が加熱する、勝つことがすべてになる。
今と同じ問題が最初からあったのですね。 もう一点、この記事で私が大事だと思ったのは、明治期の中東教育の話です。
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運動部の活動は教員が指導するもので、子供の自治の場ではなかったとされています。
部活は先生が引っ張るものという考え方がそこで作られたということですか。 記事はその可能性を指摘しています。
ただし、ここから先が面白いところです。 何かが変わるのですか。
戦後すぐの時期は教員はそれほど関わっていません。 1949年の調査では運動部に関わる教員は半数程度です。
半分ですか。今からは想像がつきません。 1955年の調査になると、
顧問になっていても指導や管理や引率を引き受けず、実質的に関わらない教師が少なくなかったとあります。
それで部活は成り立ったのでしょうか。 成り立っていました。
地域の住民が指導を担うことが多かったからです。 学校の外の人が教えていたのですね。
それが1970年代に反転します。 1977年の調査では部活の指導者に占める教員の割合が中学校で94.4%、
高校で91.4%になります。 半分からほぼ全部になったということですか。
はい、理由は単純で指導を担う地域の住民が減ったからです。 減った分がそのまま先生に移ったわけですね。
制度としての転機も別にあります。 部活動は1951年に始まった当初、生徒が自主的に運営する任意参加の活動でした。
入りたい人が入るという形だったのですね。 1964年の東京オリンピックの開催が決まって、競技として勝つことの比重が一気に高まります。
すると運動が得意な一部の生徒だけが優遇されるという問題が出ます。 全員のためのものではなくなったということですか。
そうです。そこで当時の文部省は、部活動は自主活動ではなく学校教育の一部であると位置づけを変えます。
学校教育の一部になれば先生が担当するのは当然になります。 さらに必修のクラブ活動というものが並行してあり、部活動と並んで2002年まで33年続きました。
専門外の内容を教えなければならないこともあったそうです。 月曜は専門外のクラブ、火曜から土曜は古文ということですか。
そういう先生もいたと書かれています。 手当が生徒になったのは1972年ですが、学は先ほども通りです。
ここまで聞くと今の状態がいくつもの決定の積み重ねでできているのがわかります。 そこで出てくるのが部活動の地域移行です。
学校単位でやってきた部活を地域のクラブや団体に移していく改革です。 先ほどの専門の話を聞いた後だと新しい改革というより戻す話に聞こえます。
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私も同じことを考えました。ただ当時と同じようにはいきません。 記事は課題をはっきり挙げています。
どんな課題でしょうか。 まず指導者が集まりません。報酬が低いこと、仕事との両立が難しいこと、
事故が起きた時の賠償への不安があること。 賠償というのは重い話です。無償に近い立場で預かるのは怖いと思います。
もう一点、地域のクラブは原則として回避制になりますが、回避だけで運営を続けるのは難しいという指摘もあります。
それでは何か手はあるのでしょうか。 指導者の人材バンクを作る地域のスポーツクラブと組む指導者を守る保険を使う。
運営のお金では自治体の補助金、ふるさと納税での寄付、クラウドファンディングが挙げられています。
家庭の側の負担はどうなりますか。 そこも書かれています。保護者も費用の負担が増えること、
送迎の負担、そして家庭の経済状況によって子どもの機会が左右されること。 学校の中にあった時は少なくとも全員が同じ場所にいました。
記事の締めくくりもそこに近いです。 地域に移せば教員の負担が減ることは間違いない。
ただし自治体や家庭の差で子どもの環境が変わる可能性があり、そこは注意して直していかなければならないという締めくくりです。
それと地域の指導者に同じ負担が移らないようにということですね。 負担を消したもではなく置き場所を変えただけになると10年後に同じ記事が書かれます。
さやかさんは今日の話でどのあたりが印象に残りましたか。
戦後すぐは先生が半分しか関わっていなかったというところです。 私は部活の顧問は先生の仕事だと疑いもせずに思っていました。
でもそれは50年ほど前に地域の担い手が減ったから移ってきたものでした。 ずっとそうだったわけではないと分かると変えられるものなのだという気がしてきます。
当たり前に見えるものほどいつからそうなったのかを確かめる価値があります。 部活動は決まった瞬間があり変わった瞬間もありました。
ならばこれから決め直すこともできます。 教育カフェテラス今日はここまでです。
最後までお聞きくださってありがとうございました。 次回も現場の毎日につながる話をお届けできたら嬉しいです。
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