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教育カフェテラスの時間です。進行役の水野太一です。
アシスタントの高橋紗友香です。 今日のテーマは、子供の頃思い出しそうな予感がしています。
この番組では、国内外の教育の話題を、身近な目線で一緒に考えています。
今日は、夏休みの自由研究です。
東洋経済オンラインの8月5日の記事で、元小学校教員の書き手が、かなり踏み込んだことを書いています。
自由研究、私は苦手でした。
何をすればいいのか、最後までわからなかった記憶があります。
記事の書き出しが面白いです。
筆者は子供の頃、クワガタやカブトムシを取るのが大好きだったそうです。
どの木にいるか、いつ頃なら見つかるか、天気や樹液の状態でどう変わるか、経験を重ねて自然に覚えていったと書いています。
それって、立派な探究学習ではないでしょうか。
筆者自身も、見方によっては探究だと書いています。
ただ、こう続きます。
それを模造紙にまとめて発表したいとは思わなかったそうです。
あ、わかります。好きなことと人に見せたいことは別ですよね。
そこが、この記事の真です。
学校は、子供が何かに夢中になると、すぐに調べる、まとめる、発表する、という形に変えたがる、と指摘しています。
形にしないと、やったことにならない感じがあります。
そして矛盾をつきます。
工作、観察、実験、料理などから好きなものを一つ選びましょう。
テーマは自由でも、全員が何かを完成させて提出しなければならない。
それは自由と言えるのか。
筆者はそう問いかけます。
選べるのは、大人が用意した枠の中だけ、ということですか。
やらないという選択肢がありません。
筆者は、取り組むかどうか、途中でやめるかどうか、まとめるかどうか、提出するかどうか、発表するかどうか、そこまで本人が選べて、初めて自由研究と呼べる、と書いています。
かなり厳しい定義です。
それだと、今のやり方はほとんど当てはまりません。
数字も出ています。
ベレッセコーポレーションが、2026年7月に、小学3年生から6年生を中心とする子供1699人と、保護者918人に調査をしました。
かなり大きな調査です。
自由研究が宿題に出た場合、48.3%の保護者が一部を手伝う、26.7%がテーマ選びからまとめまで全てを手伝う、16.7%が手伝わないがアドバイスはする、と答えています。
足すと、9割を超えます。
91.6%です。
そして、子供にとっても保護者にとっても、最も大変な夏休みの宿題は自由研究と工作でした。
保護者では40.1%が挙げていて、任意の読書感想分の29.4%を10ポイント以上引き離しています。
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ダントツですね。ただ、親が手伝うこと自体は悪いことでしょうか。
筆者も、そこは分けて書いています。
子供が本当にやりたがって、親も一緒に楽しんで手伝うなら、親と子で過ごす豊かな時間になるはずだ、という書き方です。
では、何が問題なのでしょうか。
家庭の協力を前提にしないと成立しにくい活動を、学校が全員に義務付けていることです。
保護者の時間、経済力、知識、得意・不得意、移動手段には差があります。
その差が、そのまま作品の差になってしまいます。
ヒジの言葉が的確です。
家庭の支援力で完成度が変わるものを、子供の成果として並べて評価すれば、自由研究ではなく家庭力の競争になってしまいます。
軽学年ほど、そうなりそうです。
1年生が一人で模造紙にまとめるのは、まず無理です。
テーマを決めて、材料を揃えて、手順を考えて、写真を撮って、結果を整理して、文章にして、見やすく配置する。
文字を習い始めたばかりの子には、まだ難しい作業です。
では、なぜ学校は辞めないのでしょうか?前からあるというだけの理由でしょうか?
筆者は、最大の理由をこう見ています。
辞めるときには説明を求められやすいからです。
続けるときは、説明がいらないんですね。
前年と同じように足せば、保護者が苦労しても、親が相当な部分を作っても、昔からそうしているって済んでしまいます。
ところが辞めた後に、子供が何もしなくなった、探求の機会を奪った、よその学校では続けている、という声が一つでも出れば、決めた人が説明を求められます。
それなら、前の年と同じにしておくのが安全になります。
もう一点、鋭い指摘があります。自由研究は、教育をした証拠にしやすい、というものです。
証拠、ですか?
子供の内側に生まれた興味や発見は、外からは見えません。
けれど、模造紙や工作なら、農家に並べられます。
保護者にも見せられます。コンクールにも出せます。
そう書かれています。
さらに、コンクールの募集が届き、その代表作品を選ぶために全員に課題を出す、という逆算まで置きます。
先にあって、それに合う作品を作らせる。それは、探究とは呼びにくいです。
そして、「子供のため」という言葉が検証を止める、と続きます。
探究心を育てるため、夏休みを有意義にするため、そう言われると反対しにくくなります。
本当にそうなっているかを、誰も確かめないまま続いていくということですね。
筆者は、「子供のためは、続けることを正当化する免罪婦ではなく、本当にそうかを問い直すための出発点でなければならない。」と書いています。
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そこは慎重です。自由研究そのものをなくす必要はない、と書いています。
やりたい子には、思う存分取り組める機会があればいい。なくすべきなのは、全員一律の義務提出の方です。
やりたくない子はやらない。それだけのことですね。
筆者自身の実践も紹介されています。
学年主任の時に、低学年の作品展を全員一律に公開する形をやめました。
母者から反発はなかったのでしょうか。
逆でした。負担が軽くなったことを歓迎する声が複数寄せられたそうです。
強い要望があって続いていたというより、見直す機会がなかったから続いていた面がある、と振り返っています。
見直してみたら、実は誰も強く望んでいなかったというのは、学校にたくさんありそうです。
別の調査も出ています。
ある子育て情報サイトが、2025年7月に会員344人に聞いたところ、予定しているテーマは工作やものづくりが51%、生き物の観察が30%、体が27%、実験と料理がそれぞれ19%でした。
テーマは誰が決めているのでしょうか。
子供自身が興味のあることで決めるが84%です。決め方の部分はすでに子供に委ねられています。
だとすると、残っている問題は提出の義務だけということになります。
ベネッセの調査では、前の年の夏休みに任意の宿題があったと答えた保護者が43.0%います。
その中で最も多かったのが、自由研究と工作で58.1%です。
任意にすることへの賛成は51.1%で、反対の15.0%を大きく上回りました。
任意にしている学校はもうあるんですね。
そうした学校はすでにいくつもあります。
最後に、記者は教師としておすすめの自由研究は何かと問われて、特にないと答えています。
先生なのに特にないですか。
やりたいことがある子は、それをやればいい。
クワガタを取りたいなら取ればいい。
石を集めたいなら集めればいい。
ただし、必ず研究にしたり、模造紙にまとめたりする必要はありません。
それでは学びにならないのでは?と言われそうです。
続きがあります。
虫を取っているうちに、時間帯で取れる種類が違うのではないかと本人が気になって、自分で記録したくなったなら、そこから研究が始まる。
石を集めているうちに、色や形で分けたくなったなら調べればいい。
先に研究らしい形を与えるのではない、という順番です。
問いが先ではなくて、誤答が先なんですね。
記事は、使い道があらかじめ決められていない時間の価値も書いています。
退屈してもいい。ぼんやりしてもいい。何も残さなくてもいい。
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何をしようかと自分で考えて決めること自体が、主体性を育てる経験になります。
私、今の話を聞いて少し胸が痛くなりました。
子供の空いている時間を大人が埋めたくなる気持ちが、自分の中にもあります。
記事は、そこを大人の働き方にもつなげています。
予定のない時間は無駄だ。目に見える成果がなければ何もしていない。
その価値観が学校に持ち込まれ、子供へ伝わり、その子が大人になって、また誰かの余白を責める側に回るかもしれません。
宿題の話だと思って聞き始めたのに、社会の話になっていました。
学校ができるのは、まず出会いを保障することだと筆者は言います。
授業の中で、虫や植物や実験や地域の文化に出会う機会を作る。
その上で、さらにやりたい子には相談に乗り、必要なら発表の場を用意する。
続けるかどうかは本人が選ぶ、という形です。
出会いは学校が作って、選ぶのは子供。すっきりします。
自由研究を自由にする方法は複雑ではない、と記事は締めています。
やりたい子はやる。見せたくない子は自分だけで楽しむ。
ここを認めるだけで、9割の家庭にかかっている負担は変わります。
教育カセテラス、今日はここまでです。
最後までお聞きくださってありがとうございました。
次回もまた、当たり前を一度立ち止まってみる話をお届けできたら嬉しいです。