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授業を直す前に見ておきたい見えない糸
2026-08-28 08:19

授業を直す前に見ておきたい見えない糸

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若手を育てる立場になったアメリカの副校長が、自分の失敗から学んだことを書いた記事を取り上げます。教室に入って直すところを探していた時期、教室は指導案ではなく人でできていると気づいた瞬間、そして授業の見える部分の下にある見えない層。関係づくりは本題の前段階ではなく本題そのものだという主張を、初任者指導や研究授業の講評に引きつけて考えます。

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00:05
教育カフェテラスの時間です。進行役の水野太一です。
アシスタントの高橋紗友香です。今日もよろしくお願いします。
この番組では、国内外の教育の話題を、現場の目線で一つずつ取り上げています。
今日は、人を育てる側の話です。エディトピアの8月7日の記事で、アメリカの副校長が書いています。
育てる側というと、管理職の話でしょうか。私にはまだ遠い気がします。
それが、そうでもありません。
紗友香さんは、実習で指導の先生から授業を見てもらいましたよね。
はい。毎日、効果簿に公表いただきました。正直に言うと、あの時間が一番緊張しました。
今日の記事は、その公表をする側が、何を見ているべきかという話です。
しかも、書いた本人が自分の失敗から始めています。
失敗ですか。
ランディ・ブラウンさんという副校長です。キャリアの始めの頃は、自分の責任は、直すべきところを見つけることだと信じていたと書いています。
見つけるために教室に入る、ということですね。
見落とされた機会、もっと工夫できる発問、切り替えのもたつき、授業を改善する材料を探しながら、教室に入っていたそうです。
それは悪いことでしょうか。指摘してもらわないと、直せない気もします。
私も長く同じことを考えていました。ここで、この副校長の転機になった一文が出てきます。
教室は指導案だけで作られているのではない、そこにいる人で作られている、と気づくまでに何年もかかったそうです。
そこにいる人、というのは子供のことですか。
子供と、その教室を率いている教師の両方です。
それに気づいてから、自分は評価する人であることをやめて、見る人になろうとしたと書いています。
見る、というのはどう違うのでしょうか。
直すところを探すのではなく、その先生の力を引き出す方法を探しながら見る、ということです。
記事には、教室は一つの小さな生態系で、教師がその中心にいる、という表現が出てきます。
生態系ですか。面白い言い方です。
その教師の経験、自信、恐れ、価値観、傷ついた出来事、目的意識が、そこで育つすべてを静かに形作っています。
そして、子供は指導に反応しているのではなく、その部屋を率いている人間に反応している、と書かれています。
それは実習で感じました。同じ指導案でも、指導の先生がやると教室が動くのに、私がやると止まってしまいます。
多くの実習生が同じことを言います。この記事は、まず速度を落とせと進めています。
何を直すか決める前に、自分が入っていったその世界を理解する時間を取るのです。
具体的には何をするのでしょうか。
03:02
年度の初めの数週間を、この副校長は聞く季節と呼んでいます。
教育過程や学級の決まり、指導の重点についても話しますが、それと同じくらい、実践の背後にいる人に関心を持つそうです。
人柄を知るということですか。仲良くなるのとは違うのでしょうか。
そこは、はっきり線を引いています。
関係づくりは、優しくすることや友達になることと取り違えられやすい、という注意書きがあります。
この副校長が言っているのは、教室を任されている一人の人間を、その時点を分かったつもりになる前に理解する、ということです。
分かったつもりになる前に、というところが厳しいです。
長い間、この副校長も、関係づくりは本当の指導が始まる前の第一段階だと考えていました。
今は、関係そのものが本題だと理解している、と書いています。
前置きではなく、それが仕事の中身だということですか。
はい。理由も書かれています。
見られている、と感じるのと、見てもらえている、と感じるのは、まるで違います。
そのために使っている質問が、記事に4つ載っています。
1つ目が、なぜ先生になったのですか。
2つ目が、担当している内容の中で、一番好きなところはどこですか。
授業に関しては、教室の中で、一番好きなところはどこでしょうか。
授業のことではなく、その人のことを聞いているんですね。
3つ目が、今年一番楽しみにしている授業は何ですかと、その理由です。
4つ目が、今年やってみたいことは何ですか。
そのために私は何ができますかというものです。
最後の質問、いいです。
手伝いますよ、ではなく、何ができますか、と聞かれると、こちらから言いやすいです。
ここから、この記事の中心になる考え方に入ります。
授業を見るときには、2つの層があるというものです。
2つの層ですか。
1つは、誰にでも見える層です。
指導案、子供の参加の様子、教材の使い方、そして、いつも見えるとは限らない層があります。
そも先生の自信、専門性、好評を受けることへの緊張。
見えない方は、どう扱うのでしょうか。
この副校長は、それを見えない意図と呼んでいます。
授業を良くするために本当に話し合うべきことが、多くの場合そこにある、と書いています。
例えば、どんなものがリトになるのでしょうか。
一番多いのは自信だそうです。
時には失敗への恐れ、完璧主義、燃え尽き、あるいは学校の外で背負っている重荷が現れることもあります。
授業とは関係ないことのように見えます。
ところが、そこが動かない限り、新しい指導方法をいくつ渡しても使われません。
この副校長は、仕事への個人的な思いを言葉にして、どう支えて欲しいかを直接尋ねると、話し合いそのものが変わる、と書いています。
06:10
私の実習でも思い当たることはあります。
満償直しなさいと言われた日より、緊張していたね、と言われた日の方が、次の授業を変えられました。
見えない意図に触れたのだと思います。
その先の変化も書かれています。
信頼ができると、教師の側から助けを求めに来るようになります。
うまく言っていないことを、自分から言えるようになるということですか。
以前のこの副校長は、話の冒頭から問題を指摘して、自分と先生たちの間に距離を作っていました。
今は協力して一緒に良くしていく、という前提から入るそうです。
距離が近いから言える、というより、責める人ではないと分かっているから言える、という感じがします。
印象的な場面も紹介されています。
ある先生と話しているとき、体の動きから、自分の言った何かがその人に刺さってしまったと気づいた、というものです。
言葉ではなく、体で分かるんですね。
それに気づけるのは、相手をよく見ている証拠です。
ここを日本の現場に置き換えると、研究授業の好評や、初任者への指導が当てはまります。
私自身、若い先生に授業技術ばかり話していた時期があります。
技術は伝えやすいですものね。
伝えやすくて、こちらが有能に見えます。
ただ、相手が受け取れる状態かどうかは別です。
私は来年から教団に立ちますが、同時に、こうして授業を見てもらう側にもなります。
今日の話は、見る側の話として聞き始めましたが、途中から自分が何を求めていたのかの答え合わせになりました。
指摘が足りなかったのではなく、まず見て欲しかったんだと思います。
見えない糸は、探そうと決めた人にしか見えません。
授業を直す前に、その人がどこにいるのかを見る。
今日はそこを持ち帰っていただけたらと思います。
教育課せてらす。
今日はここまでです。
最後までお聞きくださって、ありがとうございました。
次回もまた、先生自身を支える話をお届けできたら嬉しいです。
ご視聴ありがとうございました。
08:19

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