おつかれさまです、たくです。 今回はですね、
まあ、どうでしょう、5回の間を開けて、 久々の【最近あの会社って、どうしてる】
その3弾をやろうと思います。 今回ですね、
お話しする、喋るね、あの会社っていうのがですね、 まあ一つは言ってもいいかな、1社目はですね
トレジャーですね。 そしてですね、もう一つはですね、もうあえて名前は
伏せておきます。 まあどちらもですね、今回はですね、
これ狙ったわけではないんですけども、 セガサターンに関係する会社ですね。
セガサターンといえばね、この前11月22日だったかな。
なんか、30周年、
迎えたらしくておめでとうございます。 まああの、
現在ね、まあ実はこれ本編撮った後に、 このオープニング喋ってるんですけれども、
本編だけで121分になっております。 長かった。
で、もっと言うとですね、実はですね、この オープニングも本編も、まあ今撮ってないんですけど
エンディングもですね、 実は全て2回目となっております。
1回目撮ってね、もっと早い段階で公開しようと 思ってたんですけれども、
まあ僕収録した後ですね、まあ完パケの状態でですね、 いわゆるオープニングも本編もエンディングも入って、
音楽も全部ハマった状態で、あの公開、 皆さんがね、公開している状態ですね。
お聴きいただく状態ですね。 あれと同じ状態で、まあ非公開の状態で1回僕が
確認で聞くんですよね。 だいたい仕事の配送中とかに聞いてるのかな、試しでね。
なんともね、歯切れが悪いとか、 なんともなんかまあ、
ちょっと説明不足、まあ今回もまあ説明不足にはね、 あんまり変わりないんですけども、
もうちょっとなーっていうところがね、 結構あったんで、
それも込みでね、いろいろちょっともう 一から作り直してみました。
ということでですね、そうですね、70… そうですね、何回だろう。
本当、当初は76回ぐらいに出そうと思ってたのかな。 ですけどね、76回はね、
ドラゴンクエスト3 HD2Dの話とかやっちゃってね。 現時点でなんかドラゴンクエスト3 HD2Dの回がなんとね、
うちのポッドキャストの再生数ランキング第1位を獲得するというね、 恐ろしいことになってしまいましたけどね。
なんかよくわからんなーと思って、まあまあこれはね、 ちょっとタイムリーな感じもするんですけどね。
今回もタイムリーな感じなのかな。 あの結果的にはね、
サターンのね、サターン30周年に際してっていう感じの 会社2社をね、紹介しております。
でまたね、その本編の中ではですね、 まあセガにね、尽力していただいたある方のね、
まあ追悼的な話もちょっとしておりますので、 まあその辺も合わせてね、お聞きいただければと思っております。
まあそのトレジャーとですね、もう一つはちょっとした団体というか、 会社さんではあるんですけどね。
まあ今はもうない会社になっております。 お楽しみください。よろしくお願いします。
はい、まずはですね、株式会社トレジャーについて 喋っていこうと思います。
どうでしょう、トレジャーという会社、皆さんご存知でしょうか。 まあ結構有名な会社ですよね。
でですね、トレジャーという会社はですね、1992年にですね、 それまでコナミで開発を行っていた
前川雅人さんによって創業された会社なんですよね。 コナミ時代にはですね、
アーケードでザ・シンプソンズとかですね、 あのバッキーオヘアとか、
コンシューマーですとスーパーファミコン用ソフトでですね、 悪魔城ドラキュラとかですね、
コントラスピリッツとかアクスレーなど、 まあ様々なゲームを開発されていたんですよね。
でまあ91年にですね、トレジャーのデビュー作となる ガンスターヒーローズにつながるね、
オリジナルゲームの企画を前川さんを含める複数名のね、 従業員とともにですね、
提案したんですよね。そうするとですね、当時のコナミとしてはですね、 既にブランドとして確立していたIPの続編作品をね、
出すという方針に、前川さんと彼のチームはオリジナルゲームの開発をするため、 コナミを代謝して設立したっていうのがトレジャーなんですよね。
社名の由来としてはですね、業界にとっての宝、 大事なものになりたいという思いを込めて命名したそうなんですよね。
まあ92年のね、6月19日に設立されたトレジャーなんですけれども、 前川さんを含める従業員は十数名で、
コナミを代謝してきた仲間とともに設立したにも関わらずですね、 最初の開発作品となるガンスターヒーローズをですね、
それまで開発経験のあったスーファミではなくてですね、メガドライブにしたのはですね、 メガドライブに使用されていたCPUである、
まあモトローラ社製のね、MC68000じゃないと、 自分たちが目指していたビジュアルとかゲーム性の実現が不可能だとのことからですね、
セガとのパブリッシング契約を持ちかけたんですね。 ちょっと話に寄れるんですけど、このモトローラのね、
MC68000というマイクロプロセッサーはですね、 まあこの手の話に詳しくない僕が話すのもはばかられるんですけれども、
競争の激しいコンピューター業界でですね、非常に長く利用されてきたプロセッサーの一つでですね、 度重なるモデルチェンジやアップグレードによってですね、
1980年の生産開始から96年のね、 実に16年に渡って生産されたプロセッサーなんですよね。
多くのコンピューターやそれらを周辺機器の制御にも使用され、80年代はね、 コードであり工学でもあったワークステーションとかね、
グラフィック端末、 あとパソコンなんかにも使われたんですね。
パソコンで言うと日本国内でも知られていた、 当時の代表的な機種で言うとですね、
Appleのマッキントッシュですね。これマッキントッシュはですね、 後にですね、
パワーマックっていうね、パワーマックっていう機種が出るんですよね。 これまでの要はただのマッキントッシュっていう時代からパワーマッキントッシュっていうのになってから、
プロセッサー変わるんですけど、 最初のマッキントッシュ世代は全部この
MC68000の プロセッサーを使ってたんですよね。
どうでしょう。僕もね、初次したのは20歳過ぎてからのパワーマックからだったんですけど、 それよりも前のね、まだマッキントッシュは特徴的な筐体デザインとかをしていた。
当時はね、型番とかじゃなかったんですよね。 クアドラとかね、そういうちゃんとした名前をね、それぞれの機種には、モデルにはね、 ちゃんと与えられていてね。
まあ愛らしい感じの時代だったかな、マックが。 その頃のね、マックに使われてた
プロセッサーですね。あとシャープが出していたX68000とかね。 あとグラフィック端末で言うと、まあ3DCGがね、ゲームや映像制作の
なんかにね、 使われた頃に活躍したシリコングラフィックスの端末なんかに使われていましたね。
あとゲーム機で言うと、まあこれももうお馴染みですよね。 そのメガドライブとかネオジオとかね。 あとアーケードの基盤としても非常に多様されまして、
日本国内ではですね、ナムコのリブルラブルを皮切りにですね、 セガのシステム16とかですね、カプコンのCPシステム1とかCPシステム2などね、
90年代初期まで利用されたプロセッサーだったんですよね。 でまぁこの68000シリーズ、いわゆる68Kってアルファベットのね、
Kは登場から数年はね、まあ高価なプロセッサーだったんですけれども、 時間とともにまあ価格も下がり、
それでいて高性能ということでね、 まあメガドライブのCPUとして採用されたんですよね。
でまぁこの当時はね、こういう感じだったんですけど、後々プリンターの制御とかね、 そのメインからは退いてもまだまだ
だいぶ現役の期間がね、やっぱり使われてた、 使用されてた期間が長かったってことですよね。
でまぁこの当時ね、そのメガドライブが出ていた頃っていうのは、この処理能力の高さにね、 当時のトレジャーの方々も注目されていたんでしょうね。
でまぁ話を戻すと、まあこのセガとのね、パブリッシング契約はね、 実はガンスターズヒーローズではね、当初すんなり通らなかったそうで、
まあそれはまあ設立間もないトレジャー自体の開発が、 実績がないっていう話からなんですけれども、
マクドナルドトレジャーランドアドベンチャーというね、 メガドラのソフト開発を受け負うことで、
まあその数ヶ月後にやっとですね、 ガンスターの方の開発もですね、セガからね、承認されたということで、
まあ完全にセガからの資金あっての会社設立後の展開だったんでしょうね。
まあでここでねちょっとね、あくまでね噂、都市伝説程度に聞いてほしい話なんですけれども、
まあコナミとセガって仲が悪いなんて噂がね、 当時から誠しやかに言われていたんですよね。
これに関してはですね、大人の事情もあってですね、 未だに多く語られない話みたいなんで、
まあ何とも言えないんですけれども、 ただね、このトレジャーがですね、
設立間もないから実績がないということでね、 つっぱねたセガもね、実はどうなんだっていう思いもね、
今回調べていて感じたんですよね。 というのもですね、トレジャーの社長、前川雅人さんをはじめね、
コナミを代謝してトレジャーに当時在籍していた方々っていうのはですね、 コナミ時代の開発実績にはなるんですけれども、
当時としてはまあ有名な作品ばかりですよね。 既に有勢だった国内のコンシューマー機がですね、
スーファミだったとはいえですね、 優秀な開発会社やクリエイターはメガドラ陣営にゴロゴロいたっていうわけでもなかったでしょうから、
セガからしてもですね、本来なら、 まあウェルカムだったんじゃないのかなぁとも思うんですよね。
それがすんなりいってないっていうのも、やっぱりトレジャーのスタッフの皆さんがね、
前身がコナミっていう会社にあったという関係なのかなぁとはね、 ちょっと今回、一ゲームファンとしてはね、
邪推していたんですよ。 というのもですね、ここまでがですね、実はね、
あの、 前回、
僕がね、 当時収録していた見解なんですよね。
あの、実はですね、その後ね、これ実は完成してたんですけれども、 数週間に及ぶ時間を経てですね、
今こうして僕は撮り直しているんですよね。 一回目に喋っていた時は、先ほどね、喋ってた邪推の部分で終わったんですけどもね、
それから僕何回か聞いてね、今となってはその没になった、 その会をね、ずっと聞いていたんですよ。
そこでね、ふと気づいたんですよね。 セガからしたらですよ、
あの大手外食チェーンのマスコットね、マクドナルドのね、 キャラ、マスコットキャラドナルドをゲームにするっていうことのね、
プレッシャーのデカさですよね。多分それを認識していたかと思うんですよね。 実はね、これ僕も後々になって気づいたんですけれども、
マクドナルドのマスコットキャラ、 まぁあの、ドナルドマクドナルドってこれ日本の発音でなんですけどね、
ドナルドマクドナルドっていうあのピエロみたいなね、人。 あれ日本でもね、当時はお馴染みではあるんですけれども、
ことアメリカではですね、日本人以上に大きな存在なんですよね。 というのもですね、ドナルドの日本進出っていうのはね、
日本にマクドナルドがね、進出を果たした1971年からなんですけれども、
ま、当時ね、その銀座に1号店ができたと同時とはいえね、 日本中に認知されるまでにはね、
やはりだいぶ時間を要するんですよね。 それに対してこのアメリカではもうこの1971年当時にはですね、
全米である程度認知されているキャラだったんですね。 まぁそれにですね、そこから20年以上と時を経ていることを考えてもですね、
長期間のテレビCMでの露出と、マクドナルドの子供向けのマーケティングキャラとしてのね、 側面を持つこのね、ドナルドっていうキャラクターを使用したゲームね。
セガからしたらね、失敗できないプロジェクトの一つだったことは、 まぁ容易に後々想像できたんですよね。
まぁ事実ね、何でそう思ったのかというとね、 実はこれはあの、このドナルド、
まぁドナルドアドベンチャーでしたっけ?
ドナルドのね、ゲームっていうのはですね、 マクドナルドのゲームっていうのはですね、 今回が初めてじゃなかったんですね。
これより以前にですね、実はデータイーストがね、 開発販売も行っていたファミコンソフトでね、
ドナルドランドっていうものがね、存在するんですよね。 当時日本国内のマクドナルドでもね、
郊外型だったりとかね、大型店などではね、 キッズ向けの遊戯施設の一部にね、
ファミコンとテレビ、そしてこのドナルドランドが設置されていたっていう店舗が結構あったみたいなんですよね。
しかもね、マクドナルドのゲームって言ったら、 後にも先にも当時これしかなかったもんで、
このファミコンのドナルドランド、 データイーストが作ったやつっていうのは、
長期稼働していた店舗っていうのが結構僕もね、 あとあと人から話を聞いて、
1年や2年じゃないですよ、5年ぐらい設置されていた店舗も なんかあったみたいなんですよね。
そこそこあったらしいんですよね。 僕はそういうところに行ってたんですけどね、
さすがに大人だったんで、 キッズコーナーみたいなところに行かないんですよね。
子供の滑り台とか、あそこに設置されてたみたいなんですよね。
今回のセガの出すマクドナルド トレジャーランドアドベンチャーっていうのはですね、
かつてこのデータイーストが開発したもの以上にですね、 日本国内だけにとどまらずにですね、
データイーストのやつは残念ながら 日本国内のみの販売だったんですよね。
ですけども今回のセガが出す方はですね、 日本国内だけにとどまらず、
本国アメリカでもリリースされるっていうことはね、
マクドナルドの店舗でも設置される 可能性はあったんじゃないですかね。
この辺りの詳細な情報というのは 実は今回わからなかったんですけども、
それでもですね、これは大げさな言い方で言うと、
ディズニーが持つミッキーマウスと、 肩は並ばないにしても、
ディズニーのミッキーマウスの次かその次ぐらいには 来るぐらいの知名度だったと思うんですよね、ドナルドっていうのは。
要はアニメとかね、そういうまだ娯楽の少なかった時代の ああいうキャラクターだったんですよね。
マクドナルドに出てくるこのドナルド自体もね。
それがずっと長年続いてるっていうことはやっぱりね、
僕50歳なんですけど、僕と同世代か、 僕よりももっと年いった人でも、
このドナルドに関してはものすごい親近感を アメリカの人は持ってたはずなんですよね。
そんなね、下手なものを出すわけにはいかないような作品。
そこでね、アクションゲームとしてはですね、 当時実績のあったスタッフで構成された新会社ね。
トレジャーにならって感じで 白羽の矢が立ったのかもなぁとね、
後々になって僕気が付いたんですよね。
だからちょっとね、実は取り直してるんですよね、ここもね。
まあ長々とでも話しておいてね、
結局のところどちらの説もね、 あくまで僕の邪髄だったりはするんですけれども、
ただね、なかなかあのー、
ハンケン、IPにうるさい会社の一つだとは思うんですよ。
マクドナルドにしたって、 ディズニーほどじゃないのかもしれないんですよね。
ドナルド、下手なゲームを出してほしくない っていうところはあると思うんですよね。
まあ、それでですね、話戻すとですね、
このね、セガからの依頼でもあった、
マクドナルドトレジャーランドアドベンチャーの方が、
トレジャーとしては先に完成していたらしいんですよね。
ただ、ガンスターをね、レビュー作としてリリースしたいというね、
トレジャー側の思いから、
リリース時期はね、なぜかガンスターの方が先になっちゃうんですよね。
ということはですね、そういうこともあったと思うんですよね。
もうガイストクラッシャーなんかもワゴン品でなぜか買うことができてですね、
そういう感じでですね、やってみると面白いっていう感じをすごいするんですよね。
多分ね、定価で買った人も後悔してないゲームだと思うんですよね。
ただ残念ながらやっぱり、中程度の規模っていう会社であって、
やっぱり今現在はWikipediaさんの情報によると、
全社員の数が16人ということで現状開発としては非常に難しいのかなと。
AAAタイトルなんていうともう数百人規模で開発をしている今の時代だとね、
やっぱり難しいとは思うんですよね。
ただどうなんでしょう、インディーゲームみたいな感じで、
いわゆるダウンロードコンテンツとして、
トレジャーブランドでパッケージを作らないっていう形で
展開されていくのもどうかなとちょっと思ったりはするんでね。
やっぱりファンの方っていうと非常に多かった会社だったりはするんで、
僕はね、たまたまトレジャーさんの動向っていうのをすごい詳しく追っかけてたわけでもないんで、
発売日にね、指名買いできなかったっていうのがちょっと悔やまれるんですけれども、
やっぱりね、僕なんかよりも当時のメガドライブの頃から
トレジャーファンっていうのを言われてる方っていうのを結構多く見たんで、
そういう人たちも心待ちにされてるんじゃないのかなと思うとね、
ちょっとさ、ここ10年の活動がすごい止まってるっていうのが残念で仕方がないかなと思うんですよね。
で、この後にやっぱり喋るある会社さんとのこのトレジャーっていうのはですね、
非常に関係していてですね、やっぱりそのトレジャーがね、
なかなかこの10年開発に踏み切れないというか、開発新作を出せないっていうね、
その資金的な面も込みで次では喋ってます。
続いてはですね、まずは社名を発表する前に、
そこが発売、もとは関与したソフトをざっと紹介しますね。
グランディア、レディ&シルバーガン、機動戦士ガンダムギレンの野望、
バロック、コードワール、暴れん坊プリンセス、
戦屈滑流大戦カオスシード、ロードストーセンキ邪神降臨、
始めの一歩シリーズ、これはゲームボーイアドバンスとかプレイステーション2とか、
今のところ始めの一歩ってついたゲームは全部ここだと思うんですよね。
あとイカルガ、爆裂無敵番外王、ガンダムネットワークオペレーション、
クラウチングタイガー、ヒドゥンドラゴン、新規世界エボルシア、
これも確か2作目?3作目?3作目いったのかな?2作目くらいまであったんだと思うんですね。
あとこれは漫画原作のゲームですね。ガローデンブレイクブロー、
その続編にあたるガローデンブレイクブローファーストオアツイストっていう作品ですね。
あとギャンブラー自己中心派、一発勝負、
あとこれも漫画原作ですね。アズミン。
他にもいくつか多分あったと思うんですけども、
これらはESPという会社がリリースした作品になってるんですね。
エンターテイメントソフトウェアパブリッシングの略でESPっていうみたいなんですけども、
今回そのESPという会社のことをしゃべっていこうと思います。
このESPなんですけども、1997年に中堅ゲーム会社の技術交換ネットワーク、
GDNETっていうのを母体にして設立された会社みたいなんですね。
GDNETっていうのが今回ちょっとわからなかったんですけども、
多分ゲームデベロッパーズネットワーク的な感じだと思うんですよね。
いわゆるゲームの開発をする人たちのネットワークで話し合いとか、
技術交換とかそういうことをされてたんでしょうね。
設立当時の出資会社っていうのがですね、
このGDNET加盟のゲームアーツ、トレジャー、アルファシステム、
クインテッド、スティング、ネバーランドカンパニー、CSK総合研究所、
今CRIと呼ばれるところですね。
あとビッツラボラトリー、日本アートメディア、
オニオンエッグと門川書店、メディアワークス、
バンダイ、CSKベンチャーキャピタルの計13社ですね。
中でもですね、これはおそらくなんですけれども、
この中にあるCSKベンチャーキャピタルの方だと思うんですけれども、
各タイトルの、先にも述べたね、各タイトルの50%はね、
このCSKベンチャーキャピタルが出資していたっぽいんですよね。
残りの50%を参加していた残りの12社になるんですけどね、最大で。
分散して出資していたと思うんですね。
ここのESPという会社の社長になられるのがですね、
当時ゲームアーツの社長でもあった宮地陽一さんが社長を務めていますね。
このESP設立の背景にはね、2つの事情があるみたいで、
97年当時、次世代機と呼ばれたね、セガサターンとプレイステーションの登場で、
グラフィックサウンドの両面で質の向上が行われ、
結果、製作費は高騰していくんですよね。
そうなってくるとですね、いわゆる中規模の資本しか持たないメーカーにとってはですね、
その製作費っていうのがですね、大きな負担になっていくんですね。
そこでゲーム会社自身は製作に専念させて、
共通の資金調達窓口と営業広報セクションを設けるという構想が、
このGDNET加盟各社の間で出されていたんですよね。
それがいわゆるこのESP設立の理由だったと思うんですよね。
もう一つがですね、セガサターン陣営側の苦境だったんですよね。
設立当時はですね、サターンをプラットフォームに
オリジナル作品を供給するという方針をこのESPが出していたんですね。
しかしながらですね、このサターンの窮地っていうのはですね、
このスクエアのプレイステーション参入、しかもこの97年っていうのはですね、
いわゆるFF7が発売された年ですね。
そしてですね、エニックスのサターン参入のトンザっていうのもあったみたいですね。
これはね、エニックスがサターンでソフトをリリースしたものを思うような
セールスを出せなかったことから、
エニックスもね、日本のソフトをリリースしていたんですけれども、
サターンから撤退しているんですね。
あとですね、タイムワーナーインタラクティブの日本法人解散などね、
有力サードパーティーの撤退などがサターン陣営の球場をね、
より色濃くしていったんですよね。
ここでね、ちょっと余談になるんですが、
エニックスがサターンで出した日本のソフトっていうのがですね、
ちょっと気になりませんか?
僕はね、ちょっと一つは知ってたんで、もう一つを調べてみたんですけれども、
もう一つ、二つともね、ちょっと今からしゃべるんですけども、
これあくまで余談なんですけども、
一つはですね、七つ風の島物語っていう作品で、
どうでしょう、これ知ってる方、何人くらいいるのかな?
開発はですね、株式会社ギブロという会社が開発したんですよね。
古くはですね、エニックスの46億年物語なんかも開発していたんですよね。
あとですね、ワンダープロジェクトJシリーズですね。
これが結構有名なんじゃないでしょうかね。
一作目がね、スーパーファミコンで少年ピーノっていうね、男の子が主人公。
二作目はね、任天堂64でリリースされて、
コルロの森のジョゼットっていう女の子で、
どちらも偽人と呼ばれるロボットっていうんですかね、
ピノキオっぽいロボットというかね、
そういうのを誘導して物語を進めていくというゲームなんですが、
この七つの風の島物語はですね、その系譜の三作目にあたるんですね。
じゃあ主人公はっていうとですね、
それまではね、アニメテイストで可愛い感じ、
まさにですね、ハウス食品名作劇場かジブリアニメかって感じだったのがですね、
ここでですね、一変してですね、
アメミヤ・ケイタさんデザインのクリーチャーになるというね、
ある意味サターン向けって気もするんですけども、
当時合併してタイムワーナーになっていたから、
ま、その三家の一つの会社ぐらいにしか思っていなかったんですよね。
しかもそれの日本法人ってぐらいのレベルなんですよ、僕の認知度もね。
ただね、このタイムワーナーインタラクティブですね、
実はですね、日本国内でもこの解散するね、
97年当時ね、日本に開発拠点まで置いていてですね、
意外とってたらダメなんですけど、
本格的にゲーム開発にも乗り出してたんですよね。
サターンでも、ま、ここは確かプレスでも出してたんですけども、
しかしながらですね、本国の方ですね、
このタイムワーナーインタラクティブの本社があるとされるアメリカではですね、
このタイムワーナーがですね、
ウィリアムスという会社に買収されてしまうんですよね。
このウィリアムスという会社自身はですね、
当時あれですね、ミッドウェイっていう会社があるのご存知ですかね。
例えばね、有名どころで言うとやっぱり、
モータルコンバットとかが有名なのかな。
あとガントレットとかをね、持ってる、
そのミッドウェイを三家に収める親会社なんですけども、
このウィリアムスっていうところがですね、
タイムワーナーを買収しちゃうんですよね。
ここのウィリアムスの経営判断でですね、
日本にね、開発拠点と日本法人ある意味がよくわからんっていうことでですね、
この開発と日本の法人、同時にですね、
この97年にですね、解散に追い込まれるんですよね。
このためですね、タイムワーナーの日本法人が最後に出したソフトっていうのがですね、
日本法人が開発もしたですね、心霊受殺師太郎丸っていうソフトなんですよね。
これが最後になるんですね。どうでしょう、これご存知の方。
こっちは多いと思うんですよね。僕も知ってました。
もうサタンを代表する超が何個付くかわからないんですけど、
プレミアソフトですよね。
僕もね、これ実はね、一度持ってる友人にプレイを見せてもらったことがあるんですよね。
ドット絵と3Dの背景処理をうまく噛み合わせたって感じだったと思うんですよね。
もうちょっとね、僕も今回これもしゃべるにあたってちょっと一瞬だけ動画をね、
YouTubeで見たんですが、こんな感じだった、こんな感じだったっていう感じのね、
横スクロールの忍者アクションゲームみたいな感じなんですけども、
すごいね、ドット絵は丁寧に作られていたって感じでですね、
それを見せてもらった時にはもうすでにタイムワーナーは日本法人がなくなってて、
もうプレミア化してた作品だったんですね、これはね。
一説にはですね、発売からこれ間もなくしてですね、タイムワーナーの解散になったためにですね、
日本国内では5000本程度しか流通していないとも言われているみたいで、
もっと言うとですね、その5000本しか世界にも存在しないとも言われてるんですよね。
でですね、このタイムワーナーがリリース予定だったのに出せなかったタイトルの一つに、
トレジャー開発のですね、レディアントシルバーガンが含まれるんですね。
やっとESPに話が戻ってきましたね。
そういうわけでですね、97年っていうのは、
サタン人類にとっては本当に様々な事情によりね、窮地に陥るんですよね。
特にこの前に予定していたタイムワーナーでリリース予定だったね、
トレジャーのレディアントシルバーガンなんかはですね、
危うく遅らいりになる危険性だったわけですよね。
こういったことからですね、安定した販売環境と開発環境をね、
用意しようっていうのがESPの目論みだったと思います。
設立当初の97年はですね、グランディアをリリースして、
このグランディアはですね、サターンのサードパーティ初のですね、
50万本を達成と。
ここだけ聞くと、一見おめでたい感じもするんですが、
97年冬にですね、初めてサードパーティのね、ソフトがやっと50万本突破っていうのはですね、
プレイステーションに比べても、やはりだいぶ窮地に陥っているとも言えるんですよね。
何せ発売が94年なんですよね、プレイステーションもセガサターンの発売もね。
冬ではあるんですけれども、そこからのね、3年近く経ってまして、
この時期までだとですね、プレイステーションだとですね、
ナムコとかスクウェアはね、もういくつかのね、50万本超え、
それどころか100万本を超えているタイトルもあったと思うんですよね。
他にもですね、確かカプコンのバイオハザード、それも一作目ですよね。
もう96年発売で国内でミリオンを達成していた時期だったと思うんですよね。
でですね、98年にもなるとですね、スクウェアのタイトルが数多くプレイステーションでリリースされるんですね。
さらにはエニックスのね、ドラゴンクエスト7も発売されてですね、
より一層サターンのね、ソフト市場は低迷していくんですよね。
そういうわけでですね、ESPもね、当初プラットフォームをサターンに限定していたわけなんですけれども、
経営上どうしてもね、継続が困難と判断してですね、
プレイステーションへのソフト供給も開始していくんですよね。
グランディアなんかがね、ソフトリリースがプレイステーション版では遅れていたっていうのはこのせいなんですよね。
その後ですね、ESPはですね、ドリームキャストやプレイステーション2にも活動の場を広げていくんですが、
2002年、セガの家庭用ゲーム機事業の撤退、またCSKグループ、
まあ参画しているソフトデベロッパー、開発会社ですよね、実力派ぞろいの中堅メーカーが多かったと思うんですよ。
だからね、作ればそれなりに面白い作品ばかりだったと思うんですよね。
ただでね、厳しい言い方になるんですけども、売れなければ意味がないじゃないですか。
売れるにはって考えると、物ができた後だと多くの人に買ってほしいから、どうやって多くの人に手に取ってもらえるのかっていうのをね、考えて作らないといけないと思うんですよね。
意外とね、ゲームっていうのは最後はね、自分で手に取って操作するまでですね、
わからない、ある種ブラックボックス的なものですから、広告を多くの人の目につくように展開する。
そして見た人の共感、親近感といったね、感情を刺激してですね、購入意欲を持たせる。
実はこれはおそらくゲームだと、普段ゲームをやらない人や、ライト層とゲーマー層っていうんですかね、2つに分かれると思うんですよね。
これですね、今後もしばらくはそういう感じになっていくと思うんですけれども、
ゲームをやらない人とかですね、ライト層に受けると、おそらくなんですけども、ハードコアゲーマーと言われる人にも売れると思うんですよね。
だけど逆にハードコアゲーマーだけに売れるCMって、ゲームを普段やらない人やライト層には刺さらないから、
結局ハードコアゲーマーのみにしか売れないってことになりやすいんですよね。
これあくまで極端な物言いですし、僕の個人的な見解なんですけれども、
ESPの場合はですね、やっぱりもう少し一般層に認知されやすいプロモーションをね、心がけていればですね、
大化けできたタイトルなんかもあったと思うんですよね。
例えば僕今パッと思いついたのですが、イカルガっていうシューティングゲームありますよね。
白と黒の弾を敵は出してくると。
時期の属性も白と黒に分かれると、ボタン一つでね。
敵が出す白い弾に対して、自分も白だったらぶつかっても大丈夫なんですよね。
頭の中で白と黒を交互に頭で考えながら思うんですよね。
それを口に出して言えば、白白黒黒白黒白みたいな感じになるわけですよ。
これってね、友達同士でやってたら面白そうな感じになるじゃないですか。
そこでドカーンって潰れてね、ああここまでだったみたいな感じで盛り上がりやすいシチュエーションってね。
これはテレビの中でもいいんですけども、そういう訴え方もできたと思うんですよね。
任天堂とかソニーだったらそういう売り方してたような気がするんですよね。
だからこういうことだとは思うんですよ。
そうするとシューティングなんてマニアックなジャンルだって決めつけてCM作るんじゃなくて、
やっぱり意外と一般層にもこういう風な楽しみ方ができるんですよっていう感じで、
訴えればまたね、変わったユーザーが増えてたかもしれないっていうね。
イカルガは結構極端な例だとは思うんですけども、これも一例の一つだと思うんですよね。
あとはですね、これはESPという会社が資金調達窓口としての役割を最優先にしたことも原因の一つだとは思うんですけれども、
参加している開発会社の作りたいものに対してバックアップをしていたというところも、
今となっては反省点なのかもしれないなと、僕は今回ちょっと見てて感じたんですよね。
まあね、だいぶ前にも言ってたと思うんですけど、いいものを作れば売れるっていうわけでもないのと同様にですね、
作りたいものを作るっていうのもね、また商売として考えるとちょっと違ってくるのかなと思うんですよね。
つまりこの場合ですと、マーケティングですよね。
市場では今何が求められているのか、どういう作品なら売れるのかっていうことをね、
これ意外と大手でもリサーチをしながらもね、今でも頭を抱えていると思うんですよね。
っていうのはリサーチしてから、何日かでは変わらないでしょうけども、
例えばそこから今これが求められているってゲームができる頃にはね、数年はかかってるわけですよね。
そうなるとやっぱりまた市場の動向って変わるわけじゃないですか。
それも見据えて、このリサーチしたデータと照らし合わせながらどういうものを作っていくかっていう感じで、
すごい多分大手メーカーですら頭を抱えていると思うんですよね。
プロモーション同様にね、こちらも相当にそれなりに予算は大手だと欠けていると思うんですよね。
ESPっていう会社はですね、僕もね、全然知らないっていうか、
調べた上でしか喋ってないんですけども、内情も全くわかりませんしね。
今僕が喋っているのもですね、ウィキペディアさんなどの限られた資料からなんですよね。
ただですね、感じたところではですね、どうにも開発会社主導すぎる感は否めなくてですね、
開発に携わる人たちにとってもですね、開発会社自体にとってもですね、優しいと思うんですよね。
今の時代で言うと、どことなく失礼な言い方になるかもしれないんですけども、
インディーゲームの開発スタンスにとても近い気がするんですよね。
作りたいものを作ったっていうね。
いや、それが悪いとは言いませんよ。
ただ、求められているものだったのかとかね、売れるものだったのかって聞かれると悩むんですよね。
している中で一方でですね、角川名義で、
ゲーム会社、現在だと角川ゲームスっていう名義でゲームを出してるんですけども、
こちらに関してはですね、パソコンで実績のあるアダルト系ソフトの家庭用移植とかですね、
自社のIPを活かしたゲームリリースに特化してる感じがしたんですよね。
つまり、角川ゲームスっていう名前で、
まあ、その、下請けというか、外注ブランドみたいなところ、
外注のね、作るオリジナルゲームっていうのはあまり見受けられなかったんですよね。
でですね、まあそういうこともあっても、角川ってこの時の経験が、
角川にとっては生きてるのかなと思ったりしてます。
ちなみにですね、確かエルデンリングとかのね、
フロムソフトウェアも確か角川の参加に入っている会社で、
ここは言ってしまえばオリジナリティをすごい出してる会社ではあるんですよね。
だから必ずしもね、全部の手綱を角川っていうのは握ってたわけでもないんですけれども、
ただ、この時の経験っていうのが今の角川にはやっぱり生きてるんじゃないのかなとは、
ちょっとね、今回参画している会社の中で感じたところだったのかなと思うんですよね。
でですね、まあそれ以外ですとね、この角川以外にもね、
このESPに参画していたね、それぞれの会社のその後っていうのをね、
まあ一部紹介したいと思うんですけれども、
なかなかね、まあ多分会社名を言った時点で、
まあお気づきの方も何かいらっしゃるかと思うんですよね。
えーとですね、クインテッドっていう会社ですね。
まあこれは結構、クインテッドはなんだったっけな。
アクトレイザーなんかもクインテッドだったと思うんですよね。
えーとですね、こちらの会社はですね、2008年頃には倒産されています。
つまりESPが事実上消滅する2年ほど前にはなくなってるんですよね。
あとですね、株式会社ネバーランドカンパニーっていう、
えーとね、ESPですとロードストウセンキのね、
あのー、ゲームを出してますね。
これロードストウセンキ邪神降臨っていうのを
ドリームキャストで出してたんですけれども、
ディアブロっぽい感じのゲームで、
後にこのネバーランドカンパニーっていうのはプレイステーション2で、
まあセガからの開発にもなるんですけれども、
セガからのリリースになるんですけれども、
シャイニングフォースネオとか、シャイニングフォースイクサとか出すんですけれども、
2014年1月22日にですね、やっぱり倒産しちゃってますね。
で、あとスティングですね。
このスティングはですね、2009年にね、
アトラスと業務提携して、
まあ近年はアトラスブランドでソフトを供給するほかにですね、
アクアプラスとかね、自宅開発も行っていますね。
セガの倒産を回避したっていうね、セガからしたらもう大恩人なんですよね。
この個人資産850億円譲渡からですね、わずか2ヶ月後にはですね、
3月半ばになるんですけども、実はね、この大川勲さんっていうのはね、
74歳でお亡くなりになられるんですよね。
このね、大川勲さんが設立したCSKという会社ね、
日本のシステムエンジニアリング業界のね、先駆者としても知られる会社でですね、
日本ではですね、業界としては初の東京証券取引所一部に上場した企業でもあるんですよね。
ただですね、今回このESBをしゃべるにあたってですね、いろいろと調べたんですよ。
その中でね、僕の勉強不足もあるんですけれども、
このCSKがですね、今は存在していないということがね、
僕もちょっと知ってですね、最も衝撃的だったんですよね。
大川勲さんが亡くなって4年後にですね、2005年ですね、
だからホールディングス体制に移行して、システム開発、アウトソーシング、
そして金融サービスを軸としたですね、企業体質で安定していたと思われていたんですが、
不動産投資事業への資本集中などがですね、
後々ね、2008年以降のサブプライムローン破綻、リーマンショックなどの影響をもろに受けてですね、
グループ会社の多くをですね、譲渡売却する羽目になるんですよね。
残ったシステムエンジニアリング事業もですね、
住友情報システムに九州合併され、現在はSCSKという新会社になってしまったんですよね。
このCSKという会社自体はですね、2002年、つまり大川勲さんが亡くなった翌年にはですね、
セガの売却に動いているんですよね。
ただ、創業者でもある大川勲さんにとってはですね、84年から面倒を見ていたということもあってですね、
CSKの企業経営者として以上の愛着もあったから、多額の個人資産を投入してでも存続させてくれたんでしょうね。
まあまあちょっと気がつくとね、ESPの話からセガ、あとCSKで大川勲さんに転じているんですけども、
この大川勲さん同様にね、現在の会長であるサミーのね、里見会長もまたある意味セガを愛している人だったりするんですけども、
まあこれ以上ね、喋ると長いんで今回はこの辺でやめときます。
まあそういう意味、意味っていうかそういうこともあってですね、ちょっとね、だいぶよれちゃったんですけれども、
今回ね、ちょっとCSKっていう会社が関与しているっていうこともあって、ちょっとね、後半はね、ESPからちょっと飛んで、
でドリームキャストになるとねちょっと上手くなった感じしません?ちょっとだけなんですけどね。
あれはですね、あのそういうねプロモーションなんかにですねやっぱり外部の人、
特に秋元康さんが入ったっていうのがやっぱりちょっと大きかったと思うんですよね。
そういうゲームのユーザーの心理とかそういうことを見てやるっていうものの作り方、商売の仕方をしてないんですよね。
いかに多くの人を巻き込もうかっていうことに長けてる人だったと思うんで、
やっぱりその辺のキャッチーなゆかわさんをね、ゆかわ専務を持ち出したりとか、
まあそういうねあの自虐的なCMとかねやっぱりあれがもうちょっと早かったらなぁと思ったりします。
で、まあソニーはねやっぱりその辺でキャッチーだったとは思うんですよね。
で一方ソフトに関してはまあぶっちゃけて言うと僕は別にサターンだろうがプレイステーションだろうが、
まあある意味ね、互角と言っても良かったんじゃないのかなぁと思うんですよね。
それはファイナルファンタジーも出なかったですし、ドラゴンクエストも出なかったと思うんですけども、
まあその2つだけじゃないとは思うんですよね、それぞれの市場はね。
だからそれ考えた時に、まあやっぱりサターンっていうのはサターンで、
まあいい作品結構あったと思うんですけども、
それをゲーマーに向けて広告するんじゃなくてっていうところに主眼を置いてるのがプレイステーションというかプレイステーション時代、
特にソニーがですね、非常に上手かったのかなぁとは思いますね。
まあねサターン30周年を記念して喋っている節もちょっとあるんで、
あんまり意識してないんですけどね、もともと1回目がそんなこと意識せずに撮ってたんで、
まあね今ふと思って、この前他番組になりますけど、
ブライトビットブラザーズさん、BBブロスさんでもそういう企画もやってたなぁと思ってね、
そうだったなぁと思って30周年だよなぁと思ってね、たまたまなんですけどね、今回ね。
そのサターン、どっちもサターン陣営のソフトメーカーということでね、
ESPさんなんかはすごいもったいない感じもしたよなぁと思いますしね。
だから今途中でね、僕これも撮り直すときにちょっと気づいたのは、
角川ってそういや、この頃と今とでは全然違うよなぁということで、後から気づいたんですよね。
ゲームもね、今では出してますし、
まあやっぱりこの時の経験っていうのがなんかやっぱりいく分プラスにはなったんじゃないのかなぁとはね、
ちょっと考えたりはしたんですよね。
でもやっぱりセガっていう会社が今存続してるっていうのは後半でも喋ってたように、
やっぱり大川勲さんっていうこの方の力がすごい大きかったとは思いますし、
言ってしまったらESPだって、
その大川勲さんが設立したCSKグループの一社の力を借りてたっていうところでね、
やっぱりこのCSKっていう会社の存在が大きかったとは思うんですよね。
これがバックについてるかついてないかっていうのも、
セガ対任天堂、セガ対プレイステーション、まあソニーっていう戦いの中ではあったと思うんですね。
だからCSKがなかったらもっと悲惨なことになってたのかもなって思うと、
ちょっと末恐ろしい感じもするよなぁと思うんですよね。
で、何度もリスペクトしちゃうんですけども、
この大川勲さんっていう方は経済ニュースでこの人の動画がちょくちょく出るぐらいの方なんですよね。
当時覚えてらっしゃる方とか、僕なんかで覚えてらっしゃる方も多いとは思うんですけど、
僕と同世代の方だったらいつでも。
こんな人がですね、個人資産だって数千億円以上あるような人なんですけども、
この人がですね、数多くの関連子会社、CSKグループって持ってる中で、
SEGAに個人資産、資材を投げ打って倒産を回避するっていうね。
もう確か当時はですね、CSKの会長職とかももう知りづかれてたんじゃないのかなと思って、
そんな中でこういうことをされてたっていうことでね、
やっぱりなんか、その84年からずっとSEGAっていう会社に関わったからこそのなんか、
愛情みたいなのがあったんだろうなっていうのをね、今回ちょっと思ったりはしたんですね。
昔からね、なんで個人資産をそこまで投げ打ってても助けてくれるんだろうなっていうのが、
すごいなこの人とは思ってたんですけど、
その84年からCSKが経営と資本の両面でバックアップしてたっていうことを初めて知ったんで、
CSKの関連会社だっていうことはもちろん知ってたんですけども、
その付き合いが結構古かったっていうのもちょっと知らなかったもんで、
僕が不勉強だったっていうこともあって、
それを知った上でもやっぱりすごいなぁとは思いましたね。
だからそういう意味で、当時SEGAが倒産するかもって言った時にもですね、
誰とは名前挙げませんけども、
SEGAの名だたるクリエイターさんたちがね、
やっぱりSEGAはSEGAじゃなくなるとか、
なんでゲーム機事業から撤退するんだっていうことに関して、
思い思いのSEGA像があった中で、
皆さんの意見、当時ファミ通とかね、
いろんなインタビュー記事とかを読んでも、
作りたいゲームっていうのがあって、
それを体現化させてるっていうところはいいんですけども、
SEGAって多くの社員さん、従業員さんいるわけで、