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お疲れ様です、たくです。
昨年、2024年ね、11月22日をもってですね、セガサターンが、どうやら30周年を迎えたということで、おめでとうございます。
で、今現在、僕がこれを収録しているのは、2025年1月3日っていうね、随分経ってからね、
なぜかね、セガサターンについてね、ちょっと喋っていこうかなと思って今収録しているんですよ。
でも本当はね、もうちょっと前にね、配信というか公開できる、というかしようかなと思ってたんですよ、実は。
でですね、セガサターンのことをね、調べて、あとプレイステーションも当然30周年ですよね。
で、こう結構ね、セガサターンのことを調べていくとですね、まあ結構いろいろとね、深いところに潜りすぎちゃいまして、
これは僕がこのね、この喋って喋って60分で、喋るには重すぎないか、この内容っていうぐらいまでちょっとね、結構いろんな多方面にね、渡って調べ上げてしまってですね、
その結果、これ多分喋ると多分面白くないぞっていう、まあ面白くないぞってことはないんでしょうけども、重いなあっていうことに気づきまして、
もっとあのうちのね、番組の薄っぺらい感じでサターンについて喋ろうかなっていうところ、当初そこだったんですよ。
そういう発想だったんですけど、これここまで喋るとちょっと重いなあって思って、それでね、ちょっと考え方を変えまして、作り方を変えようかなと思いましてですね。
今ね、こうやって撮ってるんですよ。だからね、多分ね、そんなに重い話にはならないように、これから僕撮るんですけどね、本編。
まあちょっとね、サターンの思い出っていう感じでこう話していければなと思って、今オープニングから撮ってる感じです。
まあ多分ね、ちょっとだけ重い話をするかもしれないんですけど、多分ね、僕が調べた重めの話の1割ぐらいで抑えれるようにしたいかなって今心がけてこうやって喋ってます。
ということでよろしくお願いします。
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はい、ということでね、サターンについてね、まあ喋っていこうかと思うんですけども、
まあ発売日の方がね、今からもう30年、31年前になっちゃいましたね。94年11月22日。
で、これがね、初期型、いわゆる前期型と呼ばれるやつで、価格は44,800円。
当時ね、この2週間後に発売されるプレイステーションは39,800円ってね、
まあ要はこのセガサターンね、セガとソニーで、まあ熾烈なね、本体の価格、どこまで下げるかっていうことで、
まあちょっとしたね、情報戦みたいなのを繰り広げてた時期で、結局セガはこの値段に落ち着いたっていう感じですかね。
でですね、発売日から並んで買った人もすごいいたとは思うんですよね。
この時期、やっぱり次世代気戦争みたいな感じで、まあ盛り上がってたし盛り上げてたかな、マスコミとか。
まあいわゆるね、これはスーパーファミコンとかファミコンね、
任天堂がやっぱりゲーム市場を国内で盛り上げたっていうところがあって、そこにね、ずっとセガと任天堂の戦いみたいなのがずっと続いてた中で、
売り上げも特にスーパーファミコンになってからは、やっぱりミリオンソフトがバンバン出てるっていうところで、
まあバブルがね、ちょっと弾けてっていう中で、それでも景気が良かったゲーム業界についにね、
大手メーカー、パナソニックは3DOを出す。
そしてソニーも参入すると。
この頃のソニーって言ったら、やっぱりオーディオ機器メーカーとしてね、
こじゃれた感じのオーディオ機器メーカーであったんですよね。
そんなソニーがね、やっぱり、
家電っていうかね、オーディオとかね、家電関係からまさかのゲーム業界に参入するっていうことで、
僕のようにゲーム関係の情報を日頃から収集してるようなね、
もちろんファミ通とかね、ゲーム雑誌からですったけど当時も、
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そういう連中だけじゃなくて、やっぱり一般層にもすごい、
やっぱりこの次世代機戦争っていうのは、いろんな意味で当時注目を浴びる、
いわゆる市場になっていたんじゃないのかなと思うんですよね。
やっぱりソニーが参入する。
セガもセガで、見たびね、
任天堂の市場っていうのは任天堂帝国とか言われてた時代ですもんね、この頃ね。
なんでその任天堂帝国の画像を潰すのはどっちだ?みたいな感じでね、
やっぱり盛り上げられてた時代だったと思うんですよね。
僕はちょっとね、後ほど話すにしても、
この94年11月22日っていうのは、後ろ髪を引かれながらも買わなかったんです。
欲しかったんでしょ?欲しかったのは山々なんです。
欲しかったのは山々なんですけども、当時専門学校の学生で、
一度に使えるお金が、バイトはしてたんですけども、限られてると。
この94年末は2台は買えねえ、1台は買えるがっていうところで、
チョイスしたのが、僕はプレイステーションだったんですね。
当時ね、僕、ゲームクリエイターを養成する専門学校に通ってて、
やっぱり他のね、そうですね、確か同学年で100人から120人くらいいたのかな。
やっぱり物議をかもしてましたよ。
どっちを買うんだっていう話でね。
お前はどっちで買う?セガサターンか?お前はプレイステ?みたいな感じでね。
まあね、どうなんでしょう。
この頃ね、実のところ言うと、プレイステに関しては、
他のコンテンツ、ゲームソフトの話でね、
あんまりプレイステの話はこの回ではしないようにはしたいんですけれども、
ちょっとだけ言うと、当時ね、プレイステで、
まあ、やっぱり94年とかって言うと、格闘技ゲームがやっぱり盛んな時期だったんですけれども、
目星格闘技ゲームの、予定こそバンパイアが入ってたかな。
あと鉄拳っていうね。
当時、僕らの中でも橋にも棒にも当たらないってほどではないにしても、
やっぱりSNK、カプコンの2D格ゲーが幅を利かせてるゲームセンターで、
その他いくつかのメーカーがね、ひっそりと出してる格闘技ゲームの中に鉄拳も1台置いてあった。
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もちろん対戦台ではないんですよ。
だから1台の筐体にね、2人が座らないと対戦できないみたいな仕様でしたかね。
僕が言ってる、僕当時南波の方のね、大阪でいう南のゲームセンターを結構いろんなところ行ってたんで、
専門学校が近くだったもんね。
なかったです。
ただ3D格闘技ゲームと言えばバーチャファイター。
バーチャファイター2がメインで、バーチャ1ですら対戦台があった中で、まだ残ってた中で、
鉄拳は対戦台仕様にすらなってなかった。
よくて1台。
あとナムコのね、ナムコのゲームセンターが南にはあったんですよ。
直営だったかなあれ。
直営でもないのかな。
でもナムコのね、あれ直営だったかな。
まあどっちでもいいか。
多分直営だったと思うんですけども。
そこにはあったかなぐらいかな。
でも滅多にやっぱり、そんなに人がすごいやってるっていう印象がなかったんですよね。
つまりプレイステーションにはね、目星格闘技ゲームタイトルがなかったと。
やっぱりね。
で、セガサターンと言えばね、発売日からバーチャファイターが入ってると。
で、後々バーチャ2が移植されるのも時間の問題だろう、みたいな見方がね。
当時はね、公式的にアナウンスされてたのかな。
ちょっと僕その辺はね、今はうる覚えで話してるんで。
多分出るだろうぐらいのノリでみんなね、買ってたのは。
そんなノリで買ってたと思うんですよね。
だからね、格ゲー寄りのね、連れ立ちはね。
どちらかというとね、率先してサターン買ってましたね。
で、僕なんかは格ゲーすごい好きなんですけども。
なんかね、リッジレーサーとかがあると。
で、当時アナウンスされてたかな。
エアコンバットっていうのがね、ナムコアーケードでは出てて。
これをね、コンシューマー用に移植するっていうことで、エースコンバットですね。
っていうタイトルに変わるっていうこととか。
僕アーケードでエアコンバットしたのは、そんなに数回なんですけど。
どっちかというとリッジレーサーですかね。
確かね、南の直営店にも一時期置いてたのかな。
車の筐体の中にモニターがね。
モニターは車の前じゃないか。
車の真正面にね、モニターが置いてあったのかな。
っていうね、ちょっと変わったリッジがあって。
それを僕、確か1回、2回やって。
本当に車を運転するような感じで。
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本物の車のハンドルとアクセルを使ってやるリッジがあったりとか。
リッジレーサーは結構僕ちょいちょいやってましたね。
そんなことで僕はね、どちらかというとプレステの方に行っちゃったんですけれども。
僕がその後ね、サターンを入手するきっかけっていう感じで。
タイミングを待ってただけの話なんですよね。
年が明けてですね、95年6月かな。
100万台キャンペーンボックスっていうのが出るんですね。
これがですね、バーチャファイターリミックスが同梱されたモデルでですね。
当時ね、バーチャファイターは、発売と同時に出たバーチャファイターはもちろんアーケードのバーチャファイターですからの移植になるんで。
テクスチャーなんて貼ってなかったんですよね。
それにテクスチャーを貼っ付けただけではあるんですけど、やっぱり外観がちょっと変わるんでね。
しかも当時これ非売品だったんですよ。
それに誘われるようにね、今だ!って言って僕ね。
しかもね、販売価格がですね、1万円下げられた34,800円になってるんですよね。
つまりソフトが1本付いて、本体価格は34,800円で1万円安くなるっていうね、非常にお得だと思ってね。
このタイミングで僕、買ったんですよね。
これが中期型って呼ばれる本体のタイプらしくて。
僕はこっからですね、セガサターンに入っていくんですよね。
ただこの95年、この6月よりも前に、もうすでに年明けてからかな、3月ぐらいだったような気がするんですよね。
学年が一個上がるか上がらないかぐらいの頃に、セガサターンを買った連中の中で、やっぱりすごい口々に言われるタイトルがあったんですよ。
特にね、CGクリエイターをね、CG専門の学科、絵を描くことに特化した連中たちが口々に言ってたのが、
パンツァードラグーンはええよって言ってね、よくね、勧めてきてましたね。
お前パンツァードラグーン買えよってよく言われましたね。
なんかね、確かテレビのCMなんかでもね、結構大量投稿してたと思うので、やっぱりセガとしてもね、
結構売り出したいタイトルだったっていうのはね、わかるんですよね。
で、CMではちょっと見たりするんですけども、やっぱりね、それは僕も当時話してくれるね、
連れ立ちにそういう友人たちに言うんですけど、CMで見るのと実際にプレイするのとは訳が違うっていう話をされて、
あれはすごいぞって言われてたのを覚えてますね。
特にね、やっぱりそれがすごい印象的だったのが、CG関係に特化したやつらなんですよね、
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僕に話してくれてるやつらっていうのは。
彼らの当初の目論みというか、
どう見たってプレステの方がサターンよりも3Dグラフィックには特化してるというかね、
優位性があったっていう中で、やっぱりバーチャファイターがやりたいからとかね、
様々な理由でサターンを買ってたと思うんですよね、サターンを買ってた連中は。
発売日に買ってたやつらはね、そのCGクリエイターの連中の中でもね。
で、やっぱりサターンの方が負けてるっていう、その3Dグラフィックの性能目においてはっていうのは十分理解した中でも、
パンツァードラグーンっていうのがすごい、当時のまだね、市場に出て間もないプレステとサターンの中ですごい印象が良かったと思うんですよね。
それで、やっぱり驚いたと思うんですよね、彼らね。
当時は、うちの学校はMacで3Dグラフィックを作ってたんですよ、Macintoshで。
で、僕もちょっとCGはいじってたんで。
なんかね、それでよく言われました、家でリッチができたっていう時に感動すら覚えたけども、
パンツァードラグーンを家で初めてやった時には、やっぱりアーケードで稼働してるもんでもないから余計にね、びっくりしたみたいな話をする友人もいたりして、
僕それが結構印象的で、セガでこういう表現ができるって、セガでっていうかね、セガがこういう表現をするゲームを作れるとは思わなかったみたいなことも言われたりとかしてて、
僕はこの100万台キャンペーンボックスを買った後にですね、最初それを聞きつけた友人たちがパンツァードラグーン貸してくれたんですよ、すぐに。
で、僕やったんですけどもね、1日か2日してね、その友達に返しました。
なぜかっていうと、僕もね、びっくりしたのを覚えてて、
あの荒涼とした世界っていうんですかね、いわゆる今で言うところのディストピアみたいな感じっていうんですかね、
独特の世界をすごい3Dグラフィックの性能が劣ってるからこそ出せたのかなみたいな感じが見てとれて、
なんかそれを、3Dグラフィックの性能がプレステよりも悪いっていうことを逆手に取ったようにもね、
見えてその、なんて言うんですかね、当時僕も皮肉屋だったのかわかんないですけど、
なんかそれを逆手に取ってこういう表現ができてるっていうセガがかっこよくすら思えたんですよね。
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でもね、借りて1日2日で友達に返して、
なぜ返したかって言うと、僕買ったんですよ、自分でも。
あまりにちょっとね、それに感動すら覚えて。
当時ね、プレステでもやっぱりリーチレーサー以外のゲームも買ってましたよ。
あの、闘神殿とか、あと何買ってたかな、キリーク・ザ・ブラッドとかも買ってたのかな。
キリーク・ザ・ブラッド翌年の1月の下旬だったと思うんで、
そのまま買ってたんですけども、
でもね、やっぱり僕はセガサターン買って、
まあバーチャ2っぽいだろうって思ったリミックスはバーチャ2ではなかったけど、
まあまあ全然楽しめたと。
プラス、そっから次何しようかなって悩む間もなく、
すぐに貸してくれたパンツァードラグーンのおかげで、
パンツァードラグーンやって、みたいな感じでね、これやってましたね。
で、まあね、この当時、94年5年っていうのは実はそうしたら、
プレステとサターン、両方持ったら、
この2台を駆け持ちしてずっとプレイしてるのかっていうと、
そうはね、いかないんですよね、実はね。
94年、95年っていうのはなかなかね、
まあ今考えてもやっぱりすごい時代というかね、
ゲームが楽しかった時代だったんじゃないのかなってね、思うんですよね。
セガサターンもあり、プレイステーションもあり、
いや人によっては3DOかもしれないし、ネオジオCDかもしれないし、
みたいなね、あるんでしょうけども、
僕にとってはまだね、セガサターンね、買ったばかりのセガサターン、
95年6月にね、買ったセガサターンね、
そっから僕のゲームライフはセガサターン一色になるかと思ったら、
もちろんプレステをね、前の年に買ってる、発売日に買ったプレステもあると。
でもね、それ以外にね、まだこの頃っていうのは、
前世代一機と呼ばれてしまうようになったスーパーファミコンもね、
まあまあ八九の勢い、むしろね、まだまだゲームショップ、
おもちゃ屋さん、当時おもちゃ屋さんまだまだありましたから、
ゲームね、結構取り扱ってるね。
となると、売上げの大半は次世代機が出たとか、
いろいろ言われてますけども、まだまだメインはスーパーファミコンだったんですよ。
だからスーパーファミコンもね、なかなかの玉を出してくるんですよね。
で、この95年っていうとスーパーファミコンでね、
僕が買ったソフトだけでもね、
タクティクスオーガ、ドラクエ6、
あとテイルズオブファンタジア、なんかも確か95年かな。
それ以外にも聖剣伝説3とかね、
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ロマサガ3とかもあったりとか、
他にもたぶんもっといっぱいあったと思うんですけど、
スーパードンキーコングのね、シリーズあったりとか、
ていうことでですね、
僕の家の中でも三つの萌えみたいになっちゃってる状態だったんでね、
そのセガサターンにね、
すごい時間を避ける時間っていうのは、
やっぱり3分の1になっちゃうわけですよね。
ゲームのね、プレイ時間の中では。
だからそういう意味もあって、
今回30年?31年経っちゃいましたけど、
セガのね、このサターンについて喋るって思った時に、
まあ分かりやすいので言うと、
僕もブライト・ビット・ブラザーズさんのサターン特集みたいなのをね、
聴かせてもらって、
まあサターンの思い出みたいなのをね、
皆さんから募っててやってたんですけど、
僕そこにね、遅れなかったんですよ。
なんで遅れなかったかっていうと、
まずね、強い思い入れがなかったんですよ。
僕意外とね、セガ好きなんですよ。
セガは好きなんですよ。嫌いじゃないんですよ。
セガマニアとかセガ信者ってほどでもないような気もするんですよね。
今更なんですけど、僕ね、歴代のセガハードほぼ全部買ってるんですよ、実は。
歴代のって言うと末置き機だけに限っての話なんですけども、
セガマーク3から僕のね、セガハードとの出会いはね、始まってね、
セガマーク3買いました。
そしてマスターシステムも買いました。
そしてメガドライブも買いました。
そして今回のね、セガサターンもね、買っちゃってるんですよ。
まあまあセガ信者とかセガマニアっていう人たちに比べても悪くないような感じはするんですけども、
でも僕はね、自分を自らセガ信者とかセガマニアってほどではないだろうなって思うのは、
まずね、これらを発売日に買ってないっていう事実にね、今回初めて気が付いたんですよ。
僕ね、セガのハードを何一つ発売日に買ってないことに気が付いたんですよね。
ドリームキャストまで含めてね。
次にですね、まあやっぱり自分の卑怯なところが出てるなと思うのは、
マスターシステム、マーク3の時代っていうのはファミコンですよね。
やっぱりこれね、二刀流というかね、両方やってました。
何だったら、この当時はPCエンジンもやってましたからね。
メガドライブの時代もスーパーファミコンもやりつつ、
メガドライブの方が先に買ってはいるんですけどね。
でもスーパーファミコンもやり、やっぱりPCエンジンもやり、
PCエンジンなんかDUOとか買ってたんじゃないかな。
そういう意味でですね、ずっとね、
やりたいゲームがあったからセガを買ったみたいなノリが強いのかな。
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でもね、個人的に言うと、
じゃあ任天堂が好きだったのか、
じゃあソニーが好きなのかっていうと、
企業に対する思い入れっていう意味で、
それぞれの会社を比べた時に、
ちょっとセガは応援したくなるなっていうのはね、
前マスターシステム会とかにも言ってたと思うんですけども、
ちょっとベタ臭い、泥臭い、そんなセガがね、
意外と不器用だなあこいつっていうところがね、
すごい垣間見られる感じが、
歴代のセガハードって結構あるんですよね。
サターンもそういうところあるんですけども、
僕はね、この、
そうですね、セガサターンに関してはですね、
そういう意味では思い入れがあって、
何よりね、セガサターンの時にやっぱり、
考え深かったことがいくつかあって、
例えばなんですけども、
メガドライブの時に比べても圧倒的にね、
販売店舗数が増えました。
そしてメガドライブの頃に比べても、
圧倒的にサードパーティーの数が増えたっていうのは、
すごいね、マスターシステムマーク3の頃から、
セガハードを買ってた身としてはね、
なんかすごい考え深い、感動的、
涙すら流してもいいんじゃないかぐらいのね、
やっぱり考え深さありましたよ。
どこ行ったってセガサターンだいたい取り扱ってるんですよ、
お店行ったら。
で、セガのソフト以外のものがね、
サターン用ソフトとして売られてたっていう事実は、
やっぱり考え深かった思いがありますね。
あのマスターシステムね、
もうだいぶ古い話になりますけど、
ファミコンと同世代って言えるマーク3、
マスターシステムの頃っていうのは、
ファミコンなんてどこのお持ち屋行ったって売ってるんですよ。
ファミコンショップとかね、
そんな業態が生まれたぐらいね、
ファミコンの中古を扱う店もあったと、
できたのもファミコンの頃なんですけども、
扱うのはファミコンばっかりなんですよ。
あの、ファミコンショップ、
ファミコンの中古ショップっていうところができて、
ファミコンの中古ばかりは扱うんですけど、
マーク3、マスターシステムのソフトなんていうのは、
ほぼ取り扱いがなかったと思うんです。
まあ10点探したら1件ぐらいあったら、
まあいい方じゃないかなと思うんですよね。
それも面白いか面白くないか関係なしに、
まあまあ意外とね、
いい値段で売られてるかみたいな感じのね、
つまり流通がないんで、
店側も値段の付けようがないみたいな扱いだったんですよ。
これがPCエンジン扱うようになって、
メガドライブも扱うようになってっていう、
つまりPCエンジンとメガドライブは、
マスターシステムとかよりもすごい流通あったんですよね。
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まあマスターシステムマーク3の頃から流通量を上げたっていうのがね、
取扱いの卸売業者、販売店を増やしたから、
メガドライブである程度成功を収めたっていうところはあったと思うんですけどね。
そっからさらに進んでセガサターンでは、
もっといろんなところで売られるようになったし、
それに対してサードパーティーがメガドライブの時よりもさらに増えたっていうことが、
僕はやっぱりすごい考え深かった覚えがあります。
ちょっと話前後するとですね、
セガサターンでね、プレイステーションも両方持ってた僕としても、
実はこの95年の6月に買ったんですけども、
思い出深い話、1個だけで、さっきは思い出の話しかしてないんですけど、
特に思い出が強かった日っていうのが1日だけあって、
僕がね、今の、今のっていうかね、後に奥さんとなるリエ姉さんね、
まだこの頃ね、付き合ってたっていうか、同棲してたんですけども、
二人でその光景をまじまじと見てね、
僕は、サターン買ったんじゃね?って勘違いをした、
いやそう思わせてくれるような光景をね、見た日があるんですよね。
それがですね、95年の11月26日になるんですけれども、
95年11月26日っていうのは、11月第4日曜日、つまり11月最終日曜日になるんですよね。
実はですね、この日ですね、僕はですね、リエ姉さんとね、共に、
リエ姉さん、学生の僕をね、と一緒に同棲してたんですけども、
僕もバイトしてて、彼女はもう車持ってるわけですよ。
彼女の車に乗ってですね、日本橋ね、大阪は日本橋ね、電気街ね、
そこに行って、あるソフトを買いに行こうぜっていう話をしてたんですよ。
そこはリエ姉さんも同意してたんですよ。リエ姉さんもアーケードでもやってたから。
発売からちょっと二日ほど遅れてるんですけども、それ何かっていうとですね、
バーチャコップだったんですよ。
サターンでね、バーチャコップができる。
これ発売日、実は11月24日になるんですけれども、
僕はね、バーチャコップとソフトとバーチャガンがセットになったね、
だからちょっとした大箱に入ってる感じの、このバーチャコップのね、
セットを買おうと思ったんですよ。
で、今は無い、無くなっちゃったんですけども、
日本橋のところに、
日本橋のそれこそ新今宮の駅寄りというのかな、
高速道路の高架の近くっていうのかな、
港町っていうね、高速の乗り口じゃなかったな、
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あれどこにあるのかな、港町の高速の乗り口でいいのかな、
あそこの近くかな、だったと思うんですけども、
ソフマップ4号店っていうね、細長い横幅どれくらいかな、
あっても3メートル無いと思うんですよね。
ただ、長いんですよ。
途中でちょっとね、横幅が膨れ上がるところもあるんですけども、
基本的に細長い店舗でね、上から下まで全部、
ゲーム関連のお店が同時、4号店っていうのがあったんです。
僕結構ここ大好きで、
買う金がなくて見に行きたくなるぐらいのすごい好きなソフトで、
1階が当時新品のゲームソフトとゲームハードを取り扱ってたんですよね。
スーパーファミコン本体、スーパーファミコンのソフトで、
あとプレステの新品ハードソフト、
サターンの新品ハードソフト、PCエンジンもあったのかな、
あとメガドライブのソフトとかも売ってたと思うんですけどね。
ここに行ってバーチャコップ買いに行こうと思ってて、
近場のコインパーキングか何かに車止めて行ったらですね、
すごい光景が目の前にあるんですよね。
店の奥の方にレジがあるんですけども、
店の入り口から50メートルぐらい離れてるんですけども、
レジで生産する人は店内で待たないでくださいっていう案内が出てたんです。
つまり店の外から奥に入ってくれっていう案内だったんです。
なぜかっていうと並び切られると、入り口まで溢れてるんですよね。
そのままで並ばれると。
だから店の外から並んで生産を待ってたっていう状態で、
何を待ってたのかっていうと、バーチャコップだけじゃなかったんですよ。
これがね、僕はバーチャコップのそのセットを手にして並ぼうとしたんですよ。
いやもう、むしろその光景を見てからすかさずすぐ手に取って、
バーチャコップ確保したんですよ。
バーチャコップはちなみにいっぱいあったんですよ。
すぐ売り切れるっていう状況ではなかったんですよ。
だけど人は並んでたんですよ。
何が起きてたかっていうと、レジの一番前から僕が並ぼうとしてる最高日まで、
バーチャコップ単品持ってるのはおそらく僕とか数人しかいなかったんですよ。
並んでる人の手にはセガサターン本体、バーチャコップ、
そしてバーチャスティック1個または2個、
中にはレーシングコントローラーっていうね、ハンドル型のコントローラー、
これもセガ純正で出してたやつがあるんですよ。
これらを持ってるっていうね、箱がどんどんどんとね、
上に漫画で出てくるね、買い物する人みたいな状態でね、
金ピカの箱だったと思うんですよ、セガの周辺機器も含めて。
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あれを持った人がね、カップルで手分けして持ってる人もいれば、
カップルそれぞれがね、彼氏も彼女もね、
セガサターン本体とバーチャコップとかバーチャスティックを持ってるとかね、
そういう人たちがずらーんと並んでるんですよ。
お父さんは子供に頼まれたのか、それを持って並んでるっていう。
並んでる人がおおよそね、この95年11月26日の僕が行ったソフマップではね、
セガサターン本体込みで何かを持ってるんですよね。
ほとんどがバーチャスティックとバーチャコップという感じだったんですけども、
っていうのもですね、11月26日ね、バーチャコップの発売日は11月24日なんですけども、
この翌週にはですね、バーチャファイター2が発売されるんですね。
それに備えてだったと思うんですよね。
並んでる人がね、僕ぐらい、僕と先言ったように数人がバーチャコップ単品持ってるとか、
プレステのソフトを持ってる人が誰一人並んでなかったんですよね。
並べねえわな、これはと思ってね。
これを見た時にね、僕ね、サターンの発売日に並んでるところを見たわけではないんですけれども、
ただね、その後、プレステのゲームにしろ、サターンのゲームにしろ、
本体を含めて行列ができるなんていう光景は、当時見た記憶がないんですよ。
そんな中でね、約1年後にね、セガサターンおよびセガサターンの周辺機器を込みで手に持って、
並んで、生産を済ませようとしている人たちがね、行列を成しているっていう、
ソフマップ4号店の光景を見た時には、ちょっとね、
なんなんでしょう、大阪風に言うとですね、
負け続けてた阪神タイガースがついに首位に出たぞ、みたいなぐらいのね、
なんかちょっと感動にも似た嬉しさがありましたね。
で、僕それ見てね、僕も並びながら、神さんにね、マリエレイさんに言いましょう。
これサターン、今回勝てんじゃねえ、みたいな話をしたんですよね。
でね、この時ね、実はこの11月っていうのは、なかなかサターンにとっても悪くない時期だったと思うんですよね。
そのバーチャコップがね、11月24日、95年11月24日に発売されてますけども、
その2日前にはね、エックスメン、ジルドレン・オブ・ジアトムっていうね、
カプコンが作ったエックスメンの格闘技ゲームが出てます。
でね、その先ほども言ったように、12月1日ね、1週間後にはバーチャファイター2が出ます。
でね、同じその12月の月末、年末になるんですけども、
29日ね、12月29日にはセガラリーチャンピオンシップが出るんですよね。
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まあちなみに今まで言ったやつね、エックスメンから始まって、これ全部僕買っちゃってるんですよね。
で、年明けた96年の2月23日にはバンパイアハンター出てますね。
確かこれ、あれちょっと今僕詳細調べてないんですけども、
96年、年明けてすぐぐらいに、確かストリートファイターゼロも出てたような気もするんですけども、
まあね、格闘技ゲームとかアーケードの移植っていうね、
当時やっぱりまだまだアーケードゲームセンターがね、至る所とは言いませんけども、
全然あった時代だったんで、それが家でできるっていうのが一つのステータスだったと思うんですよね。
ちなみに先ほど言ってた大行列で並んでた人達っていうのは、
まあなんて言うんでしょう、おおよそゲーマーとかオタクとかそういう雰囲気の人でもなかったんですよね。
なんか当時僕ね、学生の分際で買ってる僕なんかよりも見なりのいい大人の社会人の人たちが、
そうやって買ってたりする姿を見て、
ああこういう人たちですらこんな買い方するんだみたいな、
ゲームってちょっとまだまだ下に見られてたような印象を僕は持ってたんで、他の人たちからはね。
でもこんな買い方をするぐらいゲームってすごいことになってんだなっていうのをちょっと実感できて、
プラスね、SEGAが勝てたって思った思い出深い日だったりするんですよね。
ちなみにね、この2ヶ月後にですね、僕はね、テレビCMでね、
あのスクエアがファイナルファンタジー7をプレイステーションで出すという告知CMを見てね、
もう崩れ落ちたんですけどね。
まあ別にプレイステーションも持ってるんでいいんですけども、
そうなったかみたいな感じでなんかね、
まあそれはそれでちょっと衝撃的だったかなと思ったんですけどね。
まあでも僕両方持ってたんで別にそれは構わないんですけど。
でね、僕がサターンことに関して思い出すとやっぱりね、
このアーケードの移植作を特にね、僕はすごい楽しんでたかなっていうのがありますね。
特にね、2Dに対してはプレステよりも性能が再現性というかね、良かったので。
でプラス、キングオブファイターズ95かな、専用カートリッジを使ってて、
それ以降も拡張ラムカートリッジっていうのがね、
まあ4メガと8メガ?あれ?どっちだっけ?
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2メガと4メガだったかな?まあ2種類出てたんですよ。
まあこういうのを対応したりとかっていうことで、
2Dの格闘技ゲームに関してはすごいセガサターンって優位性を誇ってたんで、
僕もそれを目当てに遊んでたっていうところがあって、
今思い返すとね、ちょっとやっぱりセガサターンの中で惜しかったかなと、
僕がね、自分のゲームライフを今にして思うと、
セガサターンオリジナルのゲームっていうかな、
そういうのにあまり触れる機会が少なかったっていうのはちょっともったいなかったかなと思うんですよね。
例えばシャイニングフォース、メガドラから続いているあのシリーズもね、
結構出てるんですよね。
あと他にも、まあアーケードじゃないんですけども、
セガサターンでしか出てないロールプレイングとかね、
まあその辺なかなかちょっと僕が触れなかったっていうのが、
まあもったいなかったかなと思うんですよね。
で、まあその流れもあってかな、
セガサターンオリジナルのコンテンツとしては、
グランディアっていうのにも僕触れられることができなかったんですよね。
あれ結構評判良かったんですよね。
あと、まあ同じね、ゲームアーツが作ったやつで言うと、
そうするとオリジナルでも、
まあ全くやってなかったわけではなかったんで、
ガングリフォンとかはね、結構その、
アーマードコアね、プレステで出てたアーマードコアとはちょっとまた別のね、
ミリタリーテイスト強めのロボットアクションっていうのかな、感じで、
なんかもう戦車に手が生えたみたいな感じのね、
そのガンダムほど細かな動きはできないぞみたいなロボットね、
結構僕好物なデザインだったんで、
すごいそれは楽しましてもらったかなと。
今ガンダムって言いましたけど、この頃になるとね、
さすがにメガドラの時にはバンダイ参入してなかったと思うんですけども、
セガサターンになってからはね、
バンダイもまあまあプレステにも出してるんですけども、
セガサターンにもね、ちゃんとオリジナルのコンテンツを出してまして、
ギレンの野望なんかは有名なんですけれども、
バンダイがサターンでソフトをリリースしてくれたっていう中で、
僕がちょっと注目したいなと思うのは、ギレンの野望ではないんですよね。
それはね、タイトルとしては言うとですね、
機動戦士ガンダム外伝ザ・ブルーディスティニーっていうシリーズ。
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これですね、実はね、3作にわたって展開された、
まあ上中下間みたいなノリかな。
で、発売日がですね、96年の9月20日で、その次のね、
これがね、1作目が9月20日の分が戦慄のブルーっていうタイトルで、
その後ね、機動戦士ガンダム外伝2 青を受け継ぐ者っていうのが、
12月6日、96年のね。
で、そっからですね、また3ヶ月経ってですね、
機動戦士ガンダム外伝3 裁かれし者っていうのが、
97年3月7日に出てます。
これがですね、内容としては、当時プレステとかでも出てたかな、
サターンにも後々入ってくるんですけども、
機動戦士ガンダムのね、
モビルスーツを操作するタイプのね、
3Dシューティングゲームになるんですけれども、
これね、なんで僕はギレンの野望よりもね、
こっちを推したかっていうと、
まあギレンの野望もね、当時多少やったんですよ。
まあまあ多少しかやってないっていうところもあるんですけれども、
このね、ザ・ブルーディスティニーはね、
セガサターンユーザーならね、誇っていいと思うんですよ。
何せね、ギレンの野望は後にプレステのね、
プラットフォームでシリーズ出てますもんね。
PSPにだって出てると思うんですよ。
まあドリームキャストでも確か出てるんですけども、
ただね、この機動戦士ガンダム外伝ザ・ブルーディスティニーっていうのは、
このセガサターンオリジナルです。
オンリーワンなんですよ。ここだけしか出てないんですよ。
当時ね、僕、これ1作目は買ったんですよ。
で、1作目買う前とか買った後ぐらいにも、
プレステしか持ってない友達に言われましたよ。
こんなのはどうせ3作まとめてプレステに後々出るぜみたいなことを言われたんですけども、
結果からするとね、この3作まとめたパックっていうのはですね、
3作目が97年3月7日に発売されたんですけれども、
その約5ヶ月後かな、8月にですね、
3部作をセットにしてイラストや攻略ムービーなどを収録したスペシャルディスクを同行したね、
セットっていうのをね、セガサターンでは出てるんですけども、
これ実はプレステでは出ることがなかったんですよね。
で、まだまだ、どうでしょう、
オリジナルのガンダムっていうのがちょっと珍しかった時期だったんですよね、この頃ってね。
そんな中で、ガンダム、敵のモビルスーツ、
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そして最初はジムからスタートするんですけども、
それらにおいてね、ゲームで使われる機体自体がそもそも、
オリジナルのね、戦慄のブルーっていうぐらいですからね、青一色みたいな形のやつなんですけれども、
こういうのを出すっていう展開をしてきたっていうことで、
すごい僕ガンダム好きだったし、サターン持っててよかったかなと思ったタイトルでもあるんですよね。
まあこれはね、だから結構後々今回調べてみてもやっぱりその後ね、
実はシリーズとしても特に出てもなくて、
他のゲームでなんかここで扱われたモビルスーツがね、
ギレンの野望なのか、他のガンダムvsシリーズで出たのかな?
出てたような気がするな、見た記憶があるなとかね、
ゲスト出演とかはするんですけれども、
やっぱりそのルーツがね、セガサターンだったっていうのは、
ある意味サターンユーザーだったらちょっと自慢してもいいのかなとか思ったりはするんですけども、
僕は今ちょっとこれ喋りながら調べてて、
ああそうだったよなぁと思ってね、
なんかサターン、セガとバンダイっていうのがなかなかそもそもね、
それまであんまり繋がりがなかった中で、
すごいこれは一つのエポックメイキングとまでは行かないにしても、
なかなかでもすごいことだったような気がします。
僕ね、セガは、サターンはね、
アーケードゲームの移植を結構やったって言ってる割には、
先ほどのね、戦慄のブルーディスティニー、ガンダムとかやってるんですけども、
まあまあね、全くアーケードの移植作しかやらなかったっていうわけでもないなっていうのもね、
調べてたら、ソフト一覧とかを見るとね、
まあわかるんですけども、やったなこれっていうのもいくつかあるんですけれども、
まあでもやっぱり比率的には高かったのはアーケードの移植かなと思うんですよね。
格闘技ゲームね、しかもね。
そんな中、だからドラゴンフォースとか、
なんかいろいろありましたけども、
その辺やれてないんですよね。
あと、どうでしょうかね。
まあシューティングゲームとかもね、この頃ね、結構いいの出てるんですけどね。
後々にして思うとね、僕それも変えてないなって思ってね。
あとはですね、ナイツぐらいはやったのかな、ナイツとかね。
まあそれはやってたんですけれども、
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まあでもね、そうですね、機動戦士ガンダム以外にもね、
まあいろんな会社から、
そうですね、ルナとか出てるんですね。
そういう意味でね、サターンってやっぱりそういう意味では、
まあ結構、どうなんでしょう。
プレステとタメを張ってたというかね。
敵対ってほどではないんですけども、
でもライバルですよね。
ライバルだったっていうところもあって、
すごい、そういう意味では、
まあね、サターンだけしか持ってない人にとっても、
ソフトラインナップ自体はすごい楽しめる内容だったんじゃないのかなと思うんですよね。
で、ちょっとね、ラインナップ見てて、
そういえばこの頃からだったかなと思うのが一つあって、
それが、まあ今だとね、結構な比率占めてるのかな。
今の現行世代、スイッチとかプレステ5とかXBOXとかだと、
もうそこそこ悪い比率ではないとは思うんですけども、
ソフトのね、中にいわゆるレトロゲーム異色みたいなね、
ことをやり始めたのが、そういえばサターンだったような気がするなと思いまして、
例えばセガで言えばセガエイジスとかね、
確か日本ファルコムもファルコムコレクションっていうのを出してたりとか、
コナミもコナミアンティークスとかその辺、確かこの辺から出してたと思うんですよね。
つまり一世代、二世代前のゲームをね、
何本か集めてリリースするっていう感じのことをやったのもこのセガサターン。
特にね、どちらかというと多分印象としては、
プレステよりはサターンの方がバラエティーに飛んでたような気がします。
プレステの方はね、ナムコミュージアムっていうのがやっぱり有名だったと思うんですけども、
逆にそれぐらいしか記憶がなくてですね、僕の方も。
どちらかというとそういうのってサターンがまあなんか、
格強だったというか、まだまだね、そんなに今ほど市場がでかくはないんですけれども、
当時からレトロゲームコレクターの友人たちっていうのはやっぱりそういう意味で、
そういえばサターンのね、ファルコムコレクションだったりとか、
ファンタジースターコレクションだったりとか、持ってた友人が何人もいましたね。
まあね、これね、セガサターンのこともね、ソフト発売ラインナップみたいなのをね、
見ながら喋るとね、まあまあ、
ちょっとまだ喋れるんですけども、
まあちょっとね、ここらでセガサターンの思い出的な話は一回ね、
終わろうかなとは思うんですよね。
でですね、こっからはですね、ちょっとここは僕が調べた中でね、
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まあ、何でセガって、セガっていうかセガサターンがね、
ちょっとうまくいかなかったのかなみたいなのはね、いくつかあるんですよ、要因としては。
まあそのうちの一つをね、一つ二つかな、喋れればいいかなと思って、
こっから喋っていこうかなとは思うんですけれども、
皆さんどうでしょうかね、
まあこれ聞かれてる方ってやっぱり日本、僕が日本語で喋ってるから、
まあ日本人の方が多いとは思うんですよ。
で日本での印象ってそんなどうですか、
確かにプレステに押されてるかも負けてるかもみたいな印象もあったけども、
古くからゲームをするね、世代の人たちだったりすると、
どうですか、マスターシステムマーク3の頃のファミコンに対してとか、
スーパーファミコンに対してのメガドライブぐらいのね、
時に比べるとこのサターンとプレイステーションって、
まだだいぶやれてた感ないですか。
だってね、ファイティングオブワイパーズも、
バーチャファイターリミックスじゃなくてワーツーでもいいですし、
あとね、ラストブロンクスとかね、
セガもセガでやっぱりあのアーケードですごいゴイゴイ言わしてたタイトルは、
プレステにはやっぱ入らないわけですよ。
って考えると、やっぱり、
ベストはサターンもプレステも両方持ってた方がいいっていうね、発想になっていくのもね、
お金に余裕があったりとかね、時間に余裕があったりとか、
至極当然そんな考え方に、僕だけじゃなかったと思うんですよね、
そういう風になる人ってね。
で、まあ、負けてる感ってすごいなかったんですよ。
先ほど僕が言ってた11月26日のね、あの思い出っていうのはね、
まあ、あれはちょっと極端かと思うんですけれども、
でも、結果的に、
まあ、プレイステーションとセガサターンね、
どっちが強かったか、軍売はどっちに上がったかっていうと、やっぱりプレイステーションになっちゃいますよね。
そのね、要因って何だったのかなって思うとね、
多分ね、日本でサターンを愛してやまなかった方たちね、
ユーザーさんからすると、そんなに負けてる感ってなかったと思うんですよ。
僕、マスターシステムマーク3の頃とかに比べたら、
本当にあの頃は負けてる感を感じてましたよ。
だからこそ弱い立場にいたような気がする。
セガだったからちょっと応援したくなるなっていうね、
僕そういうめんどくさいところがあったんで、
それも僕手伝ってずっとセガね、追っかけてたところもあるんですけども、
このサターンに関してはそれがすごいなかったんですよね。
何があったのかっていうとですね、
やっぱりこれはプレイステ、サターンの時代にも、
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今にして思うと、見て取れるんですけれども、ソフトラインナップ見てもですね、
まずね、プレイステーションね、途中から海外のゲームをね、
妖芸とね、ソニーがね、銘打って、海外で売れたヒットタイトルを妖芸って言って、
日本にもね、ちょっと癖は強いところもありましたけど、
第一弾は確かソニーはデストラクションダービーっていうね、
車ぶつけ合うレースゲームですよね。
そういうのを出してくるんですよね。
で、それに対してね、対してもないんですけども、
セガサターンで妖芸をやったっていう記憶がある人ね、
店頭で見たな、あの妖芸みたいなね、今だとね、
プレイステでもスイッチでも妖芸、海外のソフトメーカーが作ったソフトっていうのも、
まあ簡単にね、ローカライズされて売ってたりはしますけども、
実はね、セガサターンの妖芸ってね、さほどそんなに多くないんですよ。
僕もね、エイリアントリロジーとかダイハードのゲームとかは買ったんですよね、海外製の。
ですけどあんまりなかったですよね。
つまりそこがまずね、一つなんですよ。
日本ではね、結構売れてたんですよ、セガサターンって。
セガの歴代ハードの中で最も売れたと言っても過言ではないし、
まあ確かに最も売れたと思うんですよね。
ではね、今からアメリカではね、セガサターンどうだったのかっていう話をね、
したいと思うんですけれども、実はですね、その前のメガドライブは、
アメリカではですね、市場のね、特に北米、アメリカですね、
アメリカでの市場独占率は55%。
つまりアメリカの全テレビゲームの55%がメガドライブね、ジェネシスだって言われてたんですよね。
つまりスーパーファミコンで売れてたんですよ。
だけどもアメリカでセガサターンは実はびっくりするぐらい売れなかったんですよ。
そのね、要因は何だったのかっていうとね、一人のキーパーソンがいるんですよね。
まあその方がね、実はこの方すごい有名なレジェンドだったりするんですけども、
この方がですね、トム・カリンスキーさんっていう人なんですけども、
元マテルっていうね、アメリカの玩具メーカーマテルの方でですね、
マテルって言うとどうでしょうかね、バービー人形で有名なのかな。
この米国のね、玩具メーカーマテルでね、
まあそもそもこのトム・カリンスキーさんっていうのはね、
当時低迷していたバービー人形をね、復活させてね、
まあそれ以外にもね、いくつかのね、おもちゃをね、マテル製のおもちゃをね、
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やっぱりあのヒットにね、導いたっていうことで、
もうすごい、すでに玩具業界ではね、レジェンドだったんですよね。
で、そんなトム・カリンスキーさんっていうのがですね、このマテルをね、後にしてね、
まあ、もう家族とね、悠々自敵に暮らしてたんですね。
で、ある時ですね、
まあ、マウイ島でね、家族でバカンスしてたんですよ。
まあそこにね、このトム・カリンスキーがマウイで家族とバカンスしてるぞっていう情報をね、
まあ、知ったね、ある一人のね、男性がね、このトム・カリンスキーさんに会いに行くんですね。
これがですね、当時のセガの社長である中山駿さんなんですけれども、
これ実はメガドライブが発売される前の話になるんですけれども、
で、その中山社長はね、日本からわざわざマウイまで行って、
このトム・カリンスキーさんに、うちにはね、
メガドライブっていうのとか、ゲームギアっていうのをね、発売これからしようと思うんだっていうね、
プランを見せるわけですね。
だからうちの会社に来ないかっていうね、スカウトをするんですよね。
で、アメリカでね、まあここははしょりますけど、
結局このトム・カリンスキーさんっていうのはね、綿密なリサーチとかね、
いろいろなことをやってですね、このメガドライブっていうのをね、
当時アメリカではそのメガドライブの前のマスターシステムね、ファミコン NES っていうね、
あの、任天堂のファミコンは当時アメリカでは NES っていう名前で出てたんですけども、
それに対しての、まあセガのマスターシステムがたった市場の5%しかなかったんですよね。
まあボロ負けですよね。
ただこのトム・カリンスキーさんはメガドライブをですね、
なんと市場の独占率というか供給率ね、
まあ市場の、アメリカ市場でなんと55%もね、
まあメガドライブがね、占有するまでになるほどのね、
まあ市場形成にね、まあひとやかかったんですよね。
まあもちろんこれはトム・カリンスキーさんのね、だけの力ではないんですけども、
ただこのトム・カリンスキーさんっていう方がなくてはできなかったと思うんですよ。
もちろんソニックであったりとか、もっと言うとトム・カリンスキーさんとともにね、
実はある一人の日本人の方もね、
このトム・カリンスキーさんと日本のセガとのパイプ役として有名になった方もいらっしゃるんですけども、
今回はこれは避けるんですけども、
まあこういう方たちの努力もあって、
メガドライブっていうのは北米、そしてヨーロッパでは絶大な人気を誇るようになったんですよね。
そしてですね、まあ時間はね、そのまま過ぎて、
95年ですね、次世代期に関してですね、
このトム・カリンスキーさんはね、もうすでにその前年の年末に、
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まあ次世代期戦争として、
プレイステーション、ソニーのプレイステーションとサターンね、
セガのサターンの同行はもう知っていたわけですよね。
そこでですね、このトム・カリンスキーさんっていうのはですね、
まあ95年の5月11日にね、
当時95年5月11日っていうのがアメリカでね、
今もう、今もうなくなっちゃったなそういえば、
あのE3っていうのがね、当時あったんですよね。
この95年は5月11日に開催されてたんですね。
ここでね、あるサプライズをするっていうことでね、
この日実は、セガはサターンについて、
ソニーはプレイステーションについて、
いわゆる次世代期と呼ばれたね、当時のね、
発表をね、するっていうことはね、
もう前々から噂は出てたりとかはしてたんでね、
どんな発表があるんだろうっていうことでね、
まあ監修の人もね、注目してたんですよね。
でまあ、最初に登壇したのはですね、
ソニー、ソニーではなくてセガ側のね、
このトム・カリンスキーさんだったんですよね。
まあ、プレイステーションにね、
大きく、それよりもリードしなくちゃいけない
と思ったんですよね、トム・カリンスキーさんね。
で、ある計画も既に水面下では実行してたんですね。
それが何かっていうと、この後登壇して発表するんですね。
まあ、その時のね、セリフをね、
僕今から言いますけども、
まあ、この電撃的な発表をするんですね。
95年5月11日ね、トム・カリンスキーさんはですね、
アメリカでのセガサターンの発売日は、
今日、今からです、って力強く発表するんですね。
そして価格は399ドル。
会場はね、どよめいたんです。
湧きました。
ただね、この時ね、会場は湧いて、
どよめいたんですけども、
同時にね、セガ以外のセガサターン関係者からね、
もうすごい困惑の対応をされるんですね。
なぜならね、今から発売しますって言われた、
それをね、聞いて、
ああ、うちの販売店も実はこの後売ってるんだって言ってた人よりも、
そんな話は聞いてないぞっていう販売店の人の方が圧倒的に多かったんですね。
そしてですね、そんな情報を知らされてないっていうのは、
販売店だけではなくて、
ソフト開発会社も同様にね、知らされてなかったんですね。
でですね、どういうことになったかっていうとですね、
一部の販売店、
このね、サプライズ発表に際して、
このトム・カリンスキーさんは、
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一部の販売店、大型販売店、大手販売店には声をかけてたんですよ。
でもう既にね、5月11日のね、
登壇した後から売るようにっていう指示は多分おそらくしてたんでしょう。
ただね、アメリカっていうのは、
まあ日本だってそうでしょうけども、
いろんな販売店グループがあると思うんですよね。
ゲオもあればフルイチもあるよ、日本には。
ソフマップもある、ビッグカメラもある、ヨダバシもある、みたいなね。
こういうノリだと思うんですよ、海外でもね。
もちろんメガチェーンもあるんでしょうけども、アメリカではね。
ただそれメガチェーン1個だけじゃないんですよね。
というわけでですね、
第2位とか第3位の販売店は置いていかれてるんですね。
そしてそれ以上にね、個人経営の小売店も置いていかれてるんですよね。
ソフト開発会社に至ってはほぼ聞かされてなかったような話だったらしくてですね。
こうなるとですね、この電撃発表はですね、
簡単に言ったらもう裏切り行為でしかないっていうことになっちゃうんですよね。
で、これでですね、
このトム・カリンスキーさんはね、
まあ綿密に計画したつもりだったんでしょうけれども、
まあね、販売店、小売店と開発会社をね、
なんと敵に回すというね、
愚策を取ってしまうんですよね。
その結果、サターンのね、
北米での販売数っていうのはね、
もう惨憺たるありさまになるんですよね。
で、どれぐらいひどいかって言うとですね、
あの、セガサターンってね、
日本国内でね、なんと600万台売れてるんですよ。
これあえてプレステの台数、今言わないですけども、
まあプレステはこれよりももっと売れたっていうことだけはね、
皆さんお分かりかと思うんですけども。
で、日本国内で600万台売れてるっていうことをね、
先に言って、
じゃあ全世界でもっと売れてると思うじゃないですか。
実はですね、日本国内で600万台も売れたサターンに対して、
じゃあ全世界の合計、この日本の600万台を加えた
全世界の合計台数ってどれぐらい言ったのかって言うと、
926万台なんですよ。
つまりセガサターンって全世界で最も売れた地域が日本なんですね。
326万台が北米と欧州、ヨーロッパで売れた、それ以外の国とかですね。
つまり日本台ではほぼ売れてないっていうことなんですよね。
じゃあこれってどれぐらいの数字かって言うとですね、
このセガサターンの前世代機、メガドライブですね、
ジェネシスって言ってますよね、アメリカではね。
日本国内ではね、300万台売れたんですよ。
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だからセガサターンっていうのは頑張った方だと思うんですよね、全然ね。
この倍売ってますからね、日本のメガドライブに対して600万台ですからね。
日本のメガドライブは300万台しか売れなかったんですからね。
アメリカではね、なんとメガドライブ1500万台売ってたんですよ。
この1500万台っていうのがアメリカではスーパーファミコンより売れたっていうことになるんです。
ヨーロッパでも800万台売ってるんですよね。
全世界合計は3075万台なんですよね。
今回のセガサターン、926万台、全世界でも926万台っていうのは、
アメリカのメガドライブの販売本数にも劣ってるっていうことですよね。
ちなみにね、もう一個言うとですね、
メガドライブよりもさらに前世代機となる8ビット機、
マスターシステムの販売台数はですね、
全世界で1900万台っていう数字を叩き出してるんで、
いかにセガサターンがアメリカとヨーロッパで霊遇されていたかっていうね、
これは実はトム・カリスキーさんのサプライズ発言が原因と言われてるんですよね。
これがね、やっぱり日本だけというよりは海外に向けた時に全然売れてなかった。
これが結果的にどうなったかっていうと、
最終的にはドリームキャストの販売を前倒しするっていうところにつながるわけですよね。
もう一つ言うと、市場としては国内でも物流の関係から
セガサターンというのはちょっと苦戦してたんですよね。
この辺はちょっと今回はね、
実は最初これについても喋ろうとは思ってたんですけれども、
結構長くなるんですよ。
これはこれで喋り始めると。
なので、あんまり多くは語れない、
語れないというか語らないようにしようかなと思って、
固くなるんですよね、話が。
なんですけども、簡単に言うと、
このソニーはね、プレイステーションを出してるソニーっていうのは、
親会社が当時ソニーミュージックだったんですよ。
ソニーミュージックっていうのは、簡単に言うと音楽の会社ですよね。
ですから物流も持ってたんですよ、ソニーミュージックはね。
独自のね、普通の音楽CDをね、やる。
もちろんそこにプレイステーションのソフトも生産も込みで乗っけるっていうことで、
利点があったんですよね。
これに対して一方のセガはどうするかっていうと、
メガCDっていうのがメガドライブの頃にあったんですけども、
この頃から付き合いがあった会社で、
ビクターっていう会社があるんですよね。
ここにCDの製造を依頼してたんですよね。
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メガドライブ後期ぐらいからのビクターの影がちらついてたかと思うんですよね。
ビクターのね、ワンダーメガとかね。
もちろんサターンに至ってもね、
開発にも携わっているのでビクターのVサターンっていうのがあるんですけど、
なぜかっていうとこのCDロム媒体をね、
メディアを作ってたのはビクターなんですよね。
あのセガ側のね。
ただ、そうするとサターンに関してもそうなんですけども、
ソニーほどね、やっぱりあの、
ソニーを簡単に言ったら自社内という言葉がね、
本当に合うと思うんですけども、
つまりそこで融通が効くんですよね。
ですけども、あのセガとビクターは、
簡単に言ったら別会社ですんで、やっぱりどうしてもタイムラグが生じると。
一応ね、ビクター側、セガ側は2週間でリピートしますって言ってたんですけど、
実質のところ、実際ね、1ヶ月ぐらいかかったみたいで、
この、やっぱりどうしても1ヶ月のタイムラグっていうのは、
もう完全に販売機械をね、損失しちゃってるっていうことになるんで、
当時もそうですし今もそうなんですけども、
やっぱり初動は2週間ってね、よく言われるんでね、
やっぱり1ヶ月待ってっていうことになると、
どうしてもね、もうあの、欲しかった人ももういいやって思っちゃうんですよね。
で、だったら大量に作ればいいじゃないかっていうことになるんですけども、
まあCDですしそれは可能なんですけれども、
そうすると今度はね、やっぱり陶器的なビジネスっていうことになっちゃうんですよね。
だから要は見込み発注になっちゃうんですよね。
で、その結果どうなるかって言うとどうでしょう。
皆さんサターン持たれてる方だと、結構ね、ゲームの内容に関係なく、
売れたはずのゲームなんだけど、和言品になってるみたいなこともあったと思うんですよね。
簡単に言うとバーチャファイター2なんかは、なかなか根崩れ早かったですよね。
あれだけのヒットタイトルにも関わらずね、話題作だったんですけどね。
そういうことにもね、つながっちゃったりしてて、
やっぱりなかなかね、ソフトの生産体制が日本国内でもね、
なかなかスピードが、まあソニーのね、プレステのそれに比べるとちょっと難しかったっていうところも、
日本国内でね、敗因になるんですけども、
まあそれに加えてやっぱり一番でかかったのは海外でのね、市場が、
そのトム・カリンスキーさんのね、別にトム・カリンスキーさんを悪者に僕はしようとは思ってないんですけども、
なかなかね、ちょっと雑だなと思いましたね。
これ実は後にね、スティーブ・ジョブズだったりとかが同じことを真似ますけども、
おそらくね、このトム・カリンスキーさんの失敗があったからこそだったと思うんですよね。
スティーブ・ジョブズなんかこの後できますって言ったらもうアップル製品取り扱う、
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まあたぶんアップルストアだったりとか、あとiPhoneとかだったらそれを取り扱うお店とかでね、
まあ本当に実現して、今から行ったらもうこの貴重講演聞いた後だったら予約できるみたいなね。
まあもちろんそれはやっぱりね、販売店に対してやっぱり、
みんなに言わなくちゃいけないからどっかで情報漏れちゃうっていうのはあるんですけどね。
このトム・カリンスキーさんはおそらく情報漏れを防ぎたかったから販売店を絞った、
おシェールメーカーもソフト開発会社も絞った結果、
教えられなかった人たちが手のひらを返してしまったっていうのが、
海外でアメリカ、ヨーロッパでの廃印につながったっていうことで、
この辺はもうちょっと計画練ったほうが良かったんじゃないのかなと思うんですよね。
ちなみにね、この当時ね、5月11日、
このトム・カリンスキーさんの発表の後に発表したソニー陣営はですね、
399ドルのサターンに対して最初から値段を安くするっていうね、
299ドルで4ヶ月後の9月9日だったかな、
アメリカで発売しますよっていうアナウンスをしてですね、
結果的にはね、値段も安いしっていうことで、
販売店も今から売られるって言ってたけど、
どこに売ってんだみたいな話になっちゃったみたいで、セガサターンは。
結局負けちゃうっていうのがね、ことのテーマだったみたいですね。
だから僕もね、アメリカで全然サターンが売れてないっていうのはね、
当時も聞いてたんですよ。
何が原因だったのかっていうのはちょっとね、その当時は知らなかったですし、
この数年後かな、僕もね、ハワイとかグアムとかに旅行に行く機会があったんですけれども、
まだね、だから現行世代で言うと、日本ではサターン、プレイステーション、
ニンテンドー64が出たとかね、そんな頃だったんですけども、
やっぱりゲームショップ、おもちゃ売り場でサターンのソフトってね、
そういや、一度も見た記憶がないなと思ってね。
それがね、この5月11日、95年5月11日のE3が発端だったっていうね。
この辺がやっぱりセガが運がないというか、ちょっとね、ベタ臭いな、爪が甘いなって思うね。
僕にとってはちょっと可愛いなって思うところでもあるんですけど、
まあね、セガの人たちからすると、可愛いなって進む話じゃないんでしょうけどもね。
そんな感じでね、ちょっとセガサターンに対して色々喋ってみました。
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ありがとうございます。
はい、いかがだったでしょうか。結構ね、雑だったと思うんですよ。
あのね、これでも結構抑えた方だと思うんですよね。
色々ね、実は調べるとですね、
まあ、セガがね、こういう言い方は失礼ですけど、
負けた要因って結構あるんですよね。
で、それを調べると、まあ色んなところにやっぱり手がかりみたいなのがあったりしたんですよね。
まあ今回はね、喋った中で言うと、トム・カリンスキーさんをね、
ちょっと矢表に立ててしまったっていうのはあるんですけれども、
このトム・カリンスキーさんが失敗したっていうところは、
結局のところ、北米市場の開拓、構築に失敗したっていうことだとは思うんですよね。
じゃあ国内の、まあ、負けていく要因はっていうと、
まあ若干ね、物流関係のことは喋りましたけど、
実はね、それだってもうちょっと根深く色々な問題点があったりもして、
まあなかなかね、やっぱり難しいなーっていうところで、
まあ元々はね、それも吹っ込みで喋ってた回をね、撮ってたんですよ。長い。
もうね、しかもね、柄じゃない奴がその経済ニュースみたいなネタをね、
喋るとね、余計に分かりづらい。
もうだったらもう、いいんじゃねえかセガのサターンの思い出でっていうね、
感じでちょこっと触れるだけでいいよな、みたいな感じでね。
まあ軽くね、軽く薄っぺらくしようと思って、
撮り直してるんですよね。これちなみに3回目なんですけど、もうね。
まあそんな感じでね、
まあメガドライブからだいぶ僕は良くなったような気がしたセガサターンだったんですけれどもね、
まあね、そのセガサターンもね、うちにも本体あるんですけども、
もうずいぶん起動してないですね。運び直したまんまでね。
ちなみにね、セガサターンっていうのは、
まあこれは他でも多分喋られてるんじゃないかな、
いろんなところで知られてると思うんですけども、
やっぱりもともとがね、ドット絵ベースのゲーム機だったっていうこともあるんで、
プレステの発表に際してやっぱり、
3Dグラフィックの性能を後から追加したっていう経緯があるということでですね、
1:18:01
内部構造が非常に複雑になってるっていうことがね、
それがそもそもね、
当初のね、やっぱり間に合わせで作ったって言ったら言葉悪いのかな。
でもまあそういうこともあってですね、
後々ね、プレステとの価格競争ではすごいあの、
まあ何て言うんですかね、逆ざやが発生するっていうんですかね。
値段は下がってるけど、セガはね、その分損してくるんですよね。
まあその膨れ上がったね、損益が、
ドリームキャストの時代にもまだ残ってて、
であの、いつどやに話した大川勲さんっていうね、
あの方の個人資産がまあ助けになるっていうのにつながっちゃうんですけどね。
まあでもね、僕らゲーム当時遊んでた人間からすると、
まあまあ関係ないっちゃ関係ない話にはなるんですけどね。
まあそういうね、いろいろなことがあって。
で、今現在ね、
サターンで出たゲームっていうのがその移植しづらい、
再現しづらいと言われている要因にもなるんですよね。
要はあの、複数のCPUを積んでたマシンだったりもするんで、
まあね、最近だとあのシティコネクションさんがね、
ゼブラエンジンっていう名前だったと思うんですけども、
そのサターントリビュートシリーズっていうのを出されてますけどね、
あれはだからそのサターンの環境をエミュレーションする独自のね、
ゲームエンジンを作られたということで、
まあだからね、やっと最近こういうのが、
まあサターントリビュートっていうのが出てね、
やれるようになったんだろうなぁとは思うんですけどね。
まあなかなかだからね、サターンのソフトっていうのはそうですね、
なかなかまだまだやれる機会が少なくて。
で、僕自身はね、もうサターンね、
ずいぶんやらなくなっちゃって、久しいんですけどもね、
やっぱりあの、ロールプレイング関係はもうちょっといじってもよかったのかなぁとか、
思ったりはするんですけどもね。
んー、まあ、ね、どうでしょう。
以前紹介した、ね、あのー、マイクロキャビンさんかな、
が作ってるリグロードサーガとかね、
他にもいろんなところが出してたんでね、
もちろんあのー、セガもね、出してましたし、
その辺とか、もっともっとオリジナルコンテンツにも触れときゃよかったかなーっていう、
んー、感じはすごい、やっぱり今回喋ってて、
んー、もったいなかったかなーと思って、
まあ何せ時間がなかったっていう、
別にあのー、仕事が忙しいとかそういうんじゃなくて、
学業が忙しいというよりは、
んー、あの当時は本当に、
すごい数のゲームが、いっぱいいいゲームが出てた。
それらを消費する、
堪能するにはあまりにも時間がなさすぎるっていうぐらいね、
やっぱいいゲームが出てました。
1:21:00
んー、暇になったら、
手を出そうかなと思ってるうちに、
まあね、世代、時間だけが過ぎて、
世代が変わってしまって、
見向きもしなくなっちゃったなーっていうのがね、
まあ今の僕だったりするんですよね。
だからやっぱりあの頃94年、95年っていうのは本当に、
サターンだけじゃなくて、
プレイステーションも、
で、スーパーファミコンもね、
それ以外のね、
ハードもいろいろ出てましたけども、
まあ本当に、アーケードだってそうですしね、
やっぱり本当に、ゲームが、
んー、すごいものが毎日のようにね、
生まれてたような気がする、
日々だったかなーと思うんですよね。
まあ、ね、あれから30年経って、
ね、あの頃よりもすごいものが今もね、
出てるんですけど、
なんかやっぱりあの頃とは違うよなーと思いますからね。
んー、
まあね、今回ね、
まあ31年目になってから僕やるっていうね、
まあうちっぽいよなーっていう感じでね、
喋ってみましたけどもね。
どうでしたか?
まあね、
なんかね、もうちょっとセガサターンミニみたいなのね、
やればいいんでしょうけど、
やりづらいんだろうなーと思うんですよね。
もうCDメディアだし、
1本、
1本あたり800メガぐらいは使うのかな、だから、
それ何本入れるんだって話になるんでしょうけどもね。
まあでもね、
これ聞いてるか聞いてないか分かんないですけどね、
セガの人がね。
いや、
セガサターンミニなんか出したところでね、
買うのはね、僕らみたいなね、
ちょっと金持ってるおっちゃんたちなんでね、
小学生とか中学生とかそんな買わないですよ。
僕らみたいなおっちゃんなんでね、
まあ程よくね、
どうでしょう?
3万ぐらいまでなら出すんじゃないですか?
頑張っても。
5万でも出す人いると思うんですよね。
だからまあまあ、
いやもちろん、
再現なく高くしても大丈夫ですよとはよく言いませんけども、
まあでもね、
まあ1万円以内にとか、
1万5千円以内に納めようなんて考えるぐらいだったら、
多少ね、
いろいろ大変だと思うんですけども、
まあそれに見合った金額は、
出してくれる世代が、
あの当時サターンやってたと思うんで、
まあ出してくれてもいいんじゃないですかね。
あとね、
ついでなんでセガさんにやっぱり言いたいのは、
あの、
ゲームギアミクロじゃなくてね、
ノーマルの大きさで、
ソフトだけ何本も入ってるやつ、
ノーマルの大きさで出してくれっていうね、
それだけですね。
ゲームギアミクロなんて出すんじゃねえよってね、
みんな老眼になってんだからっていうね、
ゲームできないよみたいな感じなんでね、
あれはちょっとね、失策だったかなと思う。
久々のね、
セガね、
こんなぐさくなハード出していいのかセガかって思ってね、
当時僕知った瞬間にもうぶち切れそうになりましたからね、
1:24:03
あれは。
まあそこだけちょっとね、
もう一回、
もう一回ワンチャン、
あの、
頑張って出しませんかって。
やっぱゲームギアもね、
あの当時やっぱあれで育った、
世代っていると思うんですよ。
特にね、
あの、
キッズギアっていう名前でね、
あとあとやっぱり、
展開されてたんで、
ソフトとセットで売ってたのかな。
ああいうのに触れた人たちっていうのもね、
いたと思うんですよね。
だからまあそういうので、
やっぱり、
あの、
買い子ビジネスというかね、
そういうのをやってもいいんじゃないのかなと思うんでね。
ミクロとかしない方がいいですよ。
サイズはね。
サイズはそのまま、
むしろ大きくした方がいいのかもしれませんからね。
画面はでかく、
筐体もでかいけど、
すごい軽いとかね。
そういう風にしてもいいのかなとは思うんですけどね。
まあね、
でもサターンに戻すと、
サターンはね、
やっぱり、
僕は僕で非常に楽しめたし、
まだまだね、
あのまま続けばよかったのかなとかね、
いろいろ続いてもよかったかなと思ったりもしたんですけどね。
まあやっぱりね、
次世代機、
そしてゲームハード戦争が激化する中でね、
消えていったアダバナっていうには、
でもちょっと良すぎるかな。
でもなんか、
次のね、
ドリームキャストっていうのが、
ついにここまで来ちゃったかセガっていうぐらい、
ちょっとこじゃれた部分もね、
ちょいちょい垣間見えるようなハードになっちゃってね。
まあそのメガドライブ、
マスターシステムから続くメガドライブとかから、
すごい本当に順当にステップアップしていったけど、
ベタ臭さ、バタ臭さもまだ残ってるセガのね、
ハードって感じがして、
サターンはね。
努力してね、
ドロドロになりながら発狂をかけてるね、
努力家がついに甲子園に出たみたいなぐらいの感じがするハードだったなって思ってね。
すごい思い入れは、
僕の中では結構強いハード。
思い入れは強いんですけどね。
でもそうは言いながら、
言うほど、
まあやっぱりなかなか、
どうでしょう、
やれてなかったっていう反省点はやっぱあるかな、
みたいな感じなんですけどね。
まあね、またね、
この後、今度はプレステについてもしゃべるんですけどね。
今日はもうちょっとやめようかな。
サターン気分が強いもんなーって思ってね。
まあそんな感じで、
またなんか、僕なんか、
僕みたいなね、この卑怯者って言われても仕方がないのかな。
サターンとプレステと両方持ってるようなやつとは違ってね、
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やっぱもうサターンだけでね、
あの時代をね、乗り切ったというか、
ゲームやった人たちの思い入れって一層強いはずなんで、
まあそういう方々もね、
コミでなんかサターンの思い出とかまたあったら、
教えていただければと思います。
というわけでね、
本日はまあね、ぐだぐだとしゃべりましたが、
この辺で終わりたいと思います。
それでは。