1. ドリカム男子の 『TALK GOES ON…』
  2. #84 特別回【アキヒトの部屋..
2025-10-03 1:17:46

#84 特別回【アキヒトの部屋】ドリカムが繋いでくれた親友 "むーまん" とドリ&夢についてTALK GOES ON ‼︎【4部屋目】

金曜日が5回ある月の特別回!第4回目の「アキヒトの部屋」は12年前にドリカムがきっかけで親友となった "むーまん" こと Makoto Murakami をゲストに迎えてお届けします! ♪♫ 現在カナダ在住、未来のR&B singer むーまんとドリ&夢についてのBEACONなTGOです!

特別回の今回は・・・ ①むーまん的BEACONなドリカムナンバー ②ドリカムで二人が繋がった12年前のあの出来事と東日本大震災 ③一緒に行ったドリカムワンダーランド2015 ④むーまんの夢 ⑤むーまん的BEACONな "ドリ以外も"ナンバー ・・・でお送りします!

【今回のTGOワード】音楽活動/プロのR&Bシンガー/カナダ/陸前高田市/ドリカム検定1級/親友/アルバム『Unhook』/東日本大震災/高田小学校/第64回紅白歌合戦/2013 年/体育館/フリーライブ/仙台/避難訓練の重要性/生の歌/プロ/芸術/心で聴いた/不安/出会い系/ドリカムワンダーランド2015/大阪/元締め/号泣/ドリ泣き/ヒーリング/オリジナルアルバム/すごい才能/土台作り/アメリカ/挑戦/コーンロウ/クリス・ブラウン/20周年スタジアムライブ/才能//ビザ関連/大合唱/戦友/切磋琢磨/ドリ男子の強み

【今回のTGOナンバー】BEACON/go for it!/さぁ鐘を鳴らせ/何度でも/その先へ/Up To You/LOVE LOVE LOVE/7月7日、晴れ/Forever

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サマリー

ポッドキャスト第84回では、ドリカムファンの二人が親友のムーマンをゲストに迎え、音楽活動やドリカムの影響について話し合います。二人の出会いのきっかけや思い出の曲についても触れながら、ドリカムの新曲についても話が進みます。このエピソードでは、ドリカムの紅白出演とその背景について、ムーマンとの対話を通して語られています。震災後の陸前高田市での思い出や、音楽がもたらす絆について深掘りしています。特別回では、ドリカムのライブ体験を中心に、親友のムーマンとの音楽と夢についての対話が展開されます。二人は、ドリカムの楽曲がもたらした影響や感動の瞬間について深く語り合います。このエピソードでは、ドリカムとその音楽がもたらす感動について語られています。特に、アーティストのムーマンと彼の音楽キャリアの展望が焦点に当てられ、彼がアメリカでの挑戦を通じて夢を追い続ける姿が描かれています。この特別回では、クリス・ブラウンのライブ体験を通じて音楽と夢についても語られ、ドリカムとの繋がりやムーマンとの友情が強調され、多様な音楽文化が描かれています。このエピソードでは、アキヒトがムーマンと共にドリカムの楽曲や夢について語り合い、お互いの親友関係を深める様子が描かれています。さらに、ドリカム男子の音楽や日本語教師としてのアキヒトの活動にも言及されています。

ドリカム男子の特別回
第84回目、ドリカム男子のTALK GOES ON始まりました。
このポッドキャストは、ドリカムファンの男子2人が思いのままに、ドリカムについてTALK GOES ONするポッドキャストです。
今月は10月、えーと、金曜日が5回、5週あるので、
1回は、アキヒトの部屋ということで、ゲストの人に来てもらいました。特別回。
では、ご紹介します。僕のお友達、まこと村上さんです。こんにちは。
ありがとうございます。こんにちは。ありがとうございます。
いつも僕はムーマンって呼んでるんで。
ね、今日はムーマンですね。
そう、今日はムーマンで話すんですけど、ご紹介を最初にすると、現在、カナダ在住。
はい。
何してるんですか?
えっとですね、カナダに住んでるんですけど、
現在、カナダ在住。
はい。
何してるんですか?
えっとですね、アメリカンバーベキューのレストランで働いてます。
カナダのアメリカンバーベキューのレストラン。
なんかあれですね、テキサスバーベキューみたいな。
サイドリブとか、でっかい肉をスモークして提供するみたいな感じですね。
めっちゃボリュームありそう。
めっちゃボリュームあるんですよ、ほんとに。
これまた紹介の部分なんですよ。
はやく行かないと。
そうそう、で、カナダ在住で。
で、何でカナダにおるんですか?
そうですね、ざっくり言うと夢のためですよね。
音楽活動を目指してムーマンを活動してて、どうしてカナダに行くことになったかとか、それはおいおい今日の話の中で出てくると思うんですけど、
ご出身は?
出身は、岩手県の陸前高田市ってところです。
岩手県の陸前高田市。
ここで、どうしてこのドリダンシティ時代にムーマンがゲストで来たか。
ピーンと来たあなたは、ドリカム検定一級じゃないかな。
年齢は公表していいですか?
もちろん、年齢今29歳になりましたね。
ヤバヒトさんと会ってから友達じゃないですか。
えっとね、そうそう、2人が出会ったのが2013年。
そうですそうです。
だから会ってからもう12年、つながってから12年とか。
ムーマンの音楽活動
本当に。
1996年生まれ。
そうです、1月生まれですね。
すごい。
17歳差の2人でお送りしております。
なんですけど、この年のギャップを感じないくらい、僕はもう親友だと思ってる。
下側から言うのはおこがましいかもしれないですけど。
いや、全然。
ヒトさんはマジで完全に親友ですね。
どっちがこの差を埋めてるのかっていうね。
どっちもかな。
確かに。
いや、その中はどっちもマジで。
どっちもね。
はい、どっちもですね。
そう、だからまだ29歳で羨ましいなっていう。
そういうことを思っております。
ヒトさん考えられますか?
来年で俺30歳になるんすよ。
まだなんか17歳のイメージなんだけど。
そうっすよ、やばいっすよね。
あの時はもう。
で、えっとそうそう、アルバムが1枚出ておりますか?
1枚っていうのはあれは何?
あれは一応。
1作品。
そうなんですよ。
そう、そのアルバムがアンフックっていうアルバムで。
アンフック。
Spotifyでも聴くことができますね。
はい、いろんなプラットフォームで聴けます。
そうだね、Spotify以外でも聴けます。
この番組いつもトークの中で出てきた曲とかをプレイリストにして入れてるんですよ。
なのでこのアンフックのナンバーは今回のプレイリストに入れてよろしいですか?
もちろんです、ありがとうございます。
そう、声めっちゃ好きこのアルバム。
いやーありがたいですね。
まだによく聴くよ。
回してるよ。
回してます。
再生回数。
みんなで回してください。
俺月1くらいで確認してるんですけど。
あ、そうなんや。
定期的に上がってくれてるのを回してくれてるのが人さんなんですね、やっぱり。
それもあるかもしれない。
ありがたい、はい。
え、でもこのアルバムが出たのは2020?
21年です。
1年。
はい。
そこから音楽活動ずっと続けているということで。
うん。
でね、2人が出会ったきっかけとか今回ね、それにはDreams Come Trueが絡んでいるんですよ。
100%。
で、あと一緒に行ったドリカムのライブがあって、その話とか、あとムーマンのこれからの音楽活動がDreamsがカムトゥルーするように。
するまでの道のりですよ。
めっちゃこじつけるドリカム。
出会いと共通の思い出
いいじゃないですか、今日。
いい。そういう話をしていこうかなと思ってて。
あのね、まずなんだけど。
2人が出会ったきっかけを言う前に、めっちゃもったいないね。
前に。
めっちゃもったいぶる。
まだある。
で、先月9月のトークテーマがドリカムの新曲、デジタル配信された新曲のBeaconという曲に引っ掛けて、私のBeaconのドリカムナンバーっていうので話してきたんですよ、1ヶ月ね。
このBeaconっていう英語ってよく聞くの?
これはですね、普段の会話で聞かなくて。
あ、そうなんですね。
ちょっと固い。
僕の勉強してきた中でのイメージとしては、イギリス英語より。
フォーマルな感じ?
そうですね、フォーマルですね。
カチッとした感じだ。
カチッとした感じの希望の光みたいな。
それでね、Beaconのドリカムナンバーっていうのをテーマで話してきてて、まずムーマンのBeaconのドリカムナンバーは何かなっていう話。
はい、私のBeaconのドリカムナンバーはGo For Itですね。
意外だった、これすごい。
Go For It。
そうなんですよ。
Go For Itはね、1993年リリースだから。
それは知らなかった。
ムーマンが全然生まれる前の話ですね、これ。
なんかあれなんですよ、ドリカムの音楽と出会う前から母さんが口ずさんでた曲があって。
ひとさんの最初に買ったCDですか?
そう、そういう話したよね。
さすがですね。
最初に自分で買ったドリカムのシングルはこれが初めて。
運命感じますね。
ここでまた繋がりました。
そうですね。
この曲に関してはイントロ入りから僕のタイプなんですよ。
いいよね、こういった。
いいと思うんですけど。
昔から歌詞よりも先にリズムとメロディーを重要視して聴くんですよ、僕、音楽は。
歌詞は後から読みながら、あ、こういう曲だったんかみたいな。
最初は歌詞を置いておくんですけど。
マジで最初聴いたときこれめっちゃ良くね?しかも古さを感じないです、ずっと今でも聴いてて。
ずっと好きです、今でも聴いてます。
93年当時に最初聴いたときすごい不思議な曲っていう感じがして。
当時は?
そう、その当時のJ-POPとかさ、その中では明らかに異色な感じがして。
サビは割と分かりやすいと言えば分かりやすいけど、なんかAメロBメロとか。
すごい音程がさ、なんか浮遊するような音程やし。
そうですね。
めっちゃ難しいこの曲と思った。
難しい階段ですね、あれは。
歌えないって思った最初。
あの、ムーマンが音楽活動をやってる音楽のジャンルってR&Bとか。
そうですね、僕が一番好きなのはR&Bですね。
Go For Itってそういう人から見るとどういう感じなの?
まさにこの曲がR&Bっていうよりかはソウル気味に感じたんですよ。
ブラックミュージック寄りな感じがして。
あ、そっか。
そうですね。
Go For It聴いたのっていつ頃?最初に。
一番最初に聴いたのは、母さん口ずさんでたなーぐらいに思ってたのが、
お母さんオシャレ。
ヒトさんに出会って、これあれなんですよ。
ヒトさん覚えてると思うんですけど、僕にノリカムの名曲ナンバーが詰まったCD2種類作ってくれたんですよ。
あのね、忘れてる。
違う、その時仙台だ。
忘れてる。
え、そんな。
なんか、なんかあげたの覚えてる。
ヒトさんオリジナルのベストアルバムくれたんですよ。
恥ずかしい。
恥ずかしくない。
なんかあの、Deliciousをあげたの覚えてる。アルバムの。
Deliciousと一緒にっす。
あ、なんか思い出してきた。
タンプレカなんかでくれたっす。
思い出してきたよ。
高校の時。
えー何入れたんやろ。
その時入ってて、これじゃん母さん口でサンってたのと思って。
えーそうなんよ。
やっぱめっちゃいい曲やんと思って。
お母さん、お母さんありがとう。
母さんあんま歌うわけないですけど。
でも一瞬でわかったっすね。
えーそうか。そんなアルバム自分で作ってあげたことあったんだね。
ありましたよ。
2枚も。
ひとミックス。
すごい、ひとミックスはちょっと押し付けがましくなかった。
なかったっすなかった。
もうずっと聴いてましたよ。
当時のウォークマンにぶち込んで。
あ、そうか。
その当時10代のまことの中身は、ひとミックスを聴いてくれてた。
昔のウォークマンに聴いてました。
えー嬉しい。
なんかそういうこともね、ありつつ。
で、ムーマンのビーコンなドリカムナンバーを聴いたところで、
さてここで、僕たち2人が出会ったきっかけは、
何でしょう。
突然のクイズ。
突然のクイズ。
まあまあまあ。
今までの話からみなさん当ててみてくださいっていう感じなんだけど。
僕たちが出会ったのは2013年の、
そうですね。
あの時に紅白歌合戦があって、
あってっていうか毎年紅白あるんだけど、
2013年の紅白歌合戦は第64回目。
アーカイブをちょっと振り返ってみた。
その時にドリカムが3年ぶりに紅白に出場して、
歌ったのがさあ鐘を鳴らせ。
はい。
という曲。
で、ここで歌った場所がどこでした?
僕の故郷のですね陸前高田市で、
なおかつ僕の母校の高田小学校。
高田小学校。
はい。
あ、なんかこの小学校建て替えかなんかになったって言ってなかったっけ?
そうなんですよ。
津波がこの小学校の、
そうだな、前回までは行かないんですけど、
かぶってはしまったんですよね。
なんで、何年かは続けたんです、あの校舎で。
ただ、壊して今新しくなってますね。
新しく建てるってことなの?
新しい、もう完全に別の立地に。
別の場所に?
はい。別の場所に建ってます。
で、この時ドリカムが歌ったのがその高田小学校の体育館。
そうでした。
で、僕はその時に香川県の実家でね、
まだ香川県ですよね。
そうそう、年越しで紅白見てて、
で、ドリカムが歌い終わって、
当時はツイッターですね。
そうですね。
ツイッターでね、
ドリカムの感想をみんなどう思ってるかなーって言って、
なんか結構厚いメッセージを書いてる人結構多くて、
割と多めに感想を書いてる人が多くて、
で、バーって見てたら、その中の一つに、
なんかドリカム良かったっていう、
一言がふーって、なんかそれが目に留まって、
ドリカム良かった、どの辺が良かったんだろうと思って。
でも絵文字つけてましたよね、俺多分。
だってアカウントが消えてるからな。
確かにそうだ、消した。
スクショしとけば良かったと思う。
ドリカムとの出会い
そう、それで、そこにリプをつけたのかな?
そうです。
DMなのかな?
いや、それかDMかどっちかっすわ。
そう、なんかね、この番組ですごい僕、
コミュニケーションおばけって言われるんですよ。
言えてますかそれは。
なんか初めて会ってない人にもすごい絡んでいくっていう。
あれリプライだったかな?
忘れた。
リプライしてから、
してからDMに移ったかもしれない。
さすがにDMはない気がする。
怖くない?DMいきなり来たら。
それで、自分で何て送ったかも覚えてないんだけど、
ドリカム良かったですね。
いや、確か、
俺覚えてるかもしれないです。リプライだったかもしれないですね、やっぱ。
でも何をリプライしたか。
どこで聞いてたかを聞かれた気がするっす。
もしかして現地にいましたか?みたいな感じの聞き方だった。
それね、なんかムーマンがそこにいましたって送ってくれたやつ、確か。
なんかのやり取りの流れで。
俺から言ったのかな?
そう、やり取りの流れで、リプでムーマンがくれて、そこにいたっす、みたいな。
で、あ、そうそう、それで、え、どういうこと?と思って、そこにいたって。
え?NHKホールなのか?まさか陸前高田市の人?と思って。
じゃあ、やり取りしてたら、本当にその体育館にいたっていう。
震災の影響
そうなんですよ、体育館に。
びっくり。
で、そこで出会ったっていう2人。
あの時の話、なんかあんまり詳しく聞いてないような気がして。
あの体育館に行くことになったのは、なんかお知らせとかが来たわけ?
そうなんです。実は陸前高田市って、すごい田舎で小さなコミュニティなんですね。
もう山と海の間にできた町。
だから津波で全壊はしてしまったんですけど。
その山と海の間に作られた集落なんで、もう情報がすぐに回るんですね。
っていうのもあり、でもドリカムが来る、紅白でやるっていうのは、
多分みんな知ってたと思うんですけど、俺は親から聞きましたね、あの時。
母さんが情報を持ってて。
へー、それが行く前かな?
行く間にやるからって。
その情報はどこから出たんだ?
それは俺もわかんないですよね。
ちょっと母さんにもう一回聞いてみますわ。
という、あやふやな話をしています。
母さんは大ファンではないんですけど、昔からドリカム好きで。
世代でしょ?世代といえば世代。
え、お母さんおいくつぐらいなの?
母さんいくつだっけ?
50だ。
50、入ったばっかりっす。
え?そんな若いんやお母さん。
そうですね、入ったばっかじゃないはずですね。
入ったばっかりではないか?
何歳の時の子供なの?
24っす。
あ、えーっていうことは?ムーマンが29だから?
もう53とか4とかぐらい?
そうですね。
お母さんの年齢勝手に公表してるけど。
あ、そう。そんなお母さんわかんやん。
母さんが絶対行くべってなって。
俺と真ん中の弟と母さんで3人で行ったんですよ。
そうなんや。
全員スタンディング。
じゃああそこに来てた人はもうここでドリカムが歌うっていうことは完全に知っててみんな集まってたってことだ。
そうですね。その時にシングルもらったっす。みんな。ただで。
なんかそれ言ってたよね。
え、そのシングル?
さあ金を鳴らせ。
歌ったやつ。さあ金を鳴らせ。
そうっす。
それは何?歌い終わった後にどうぞみたいな感じ?
いや、歌う前に入場の段階で知りもらったっす全員。
あの、進邸、増邸しましたね。
そうですね。
もちろん紅白の中では、そのさあ金を鳴らせを歌った部分しかオンエアされてないんだけど。
おー、なるほど。
確かあれでしょ?もう一曲歌ってたでしょ?あれ。
もう一曲歌ったのと、あと前座でバンドが入りました。
パジーコントロール?
そうですね。
あれかな?3人組かな?
そうですそうですそうです。
あー、あの時一緒にバックで3人がやってたから。
あ、そうなん。
前座で2曲ぐらいやってくれて。
えー。
そのオリジナルの曲だと思いますよ。
はい。で、もう一曲やったって話ですよね?
そう。
そうなんすよ。あの、さあ金を鳴らせ歌った後に何度でも歌ってくれたんすよ。
なんかね、それすごい記憶薄らないけど、NHKのなんかの番組で一回流れたことあるんやって多分。
えー。
その時の何度でもが。
まじか。
あ、これムーマンが言ってたやつやって思ったんやけど。
ワンチャン映ってるみたいな。
あははは。え、あの中に映ってる?ムーマン。あの時の紅白。
ワンチャンあるかもしんないですね。
録画とかしてなかったの?家で。
あー、してないっすね。
お、なんと。
してないっすね。
そうなの。
YouTubeに上げてほしいっすね。
違法やろそれ。
あ、それは違法か。
NHKにバンされる。
あ、NHKのやつ。
あははは。
NHKのみなさーんやね。NHKの関係者の方、これ聞いていらっしゃいましたら流してくださーい。
そうですね、オフィシャルで出してください。
NHKプラスとかあるやん。
そうですね。
それで流してくださーいみたいな。
BSとか。
さあ鐘を鳴らせよ歌って、で中継が終わるやんか。切れてすぐ何度でもみたいな。
中継切れて、まあすぐでしたね。
あ、すぐ。
あ、でもちょっとMC入りましたね。
おー。覚えてる?
いやー覚えてないっすね。
もう12年前ですかね。江戸がひと回りしました。
そうなんすよ。
そうなんや。
完全に寄り添ってくれてました。だって震災起きてから数ヶ月、いや、数年後か。
うん。
はい。
確か、その紅白の前の震災があった2011年の8月にどりかんば陸前高田市のグラウンドでフリーライブをやってて。
はい。
その時は3800人ぐらいいらっしゃったらしいんだけど。
写真だけ見たっすね。
あー本当に。
なんか市役所かなんかで。
これはね、YouTubeに上がってた動画が。
マジっすか?
行ってた人が多分携帯かなんかのカメラで。
撮影して。
そう普通に撮ってる、なんかラブラブラブの映像とか上がってた。
あー。
これはムーマンは行ってない?この時は。
これ行けてないですよね。この時もう仙台に移住してて。
あー。仙台のおじいちゃんおばあちゃん。
仙台の、そうです。高校に通ってました。
その時家族は別々に住んでた?
そうですね。震災後に高校が全開してしまったので。
代わりの校舎として隣町の校舎に通わなきゃいけないことになってしまって、その時。
バスで1時間半かかるって言われたんで。
で、マジかーって言いながら母さんと父さんと話してたら、両親が提案してくれたのは母さんの実家がある仙台市から近い高校に通う。
要するに転校するみたいな。提案してくれて。
当時はもうガキだったのでそこまで考えられなかったですけど。
俺、転校もできるのか?ぐらいにしか考えてなかったですけど。
高校?1年?2年?
高校1年です。あれですよ。高校に入るタイミングで震災でした。
3月11日だから。
そうです。卒業式が1週間後だったんですけど、卒業式の練習してたら体育館で震災起きてますね。
じゃあまだ卒業してない時だったんだ。
してなくて、はい。
そうか。ムーマンのお家とかは被害にあった?
僕の家は1階が亡くなってて、2階が1階に降りてきてましたね。
要するに前回。
そうかそうか。前回。
で、その後は?政府の補助金とかが出るわけ?
たぶん。
その辺はお父さんお母さんは?
大人の話になってくる。
あと親戚も同じ町に住んでたので、親戚が高台の家だったんで。
親戚の家にちょっといさせてもらって。
音楽の絆
でもなんかほら、直接ムーマンと知り合って、震災の話とかを直接聞くことが今までもあったけど、
だから、よりもっと身近に感じれるようになったっていうか、生きてるのは当たり前じゃないなってすごい思ったし。
日曽さんがずっとそう言ってくれてるから。
寄り添ってくれて本当にありがとう。
生きるぞって思って。
あの時から本当に。
あの時から本当に感謝してます。
それはお互い様だけどさ。
じゃあその学校で震災にあったときは、その後はみんななんか避難してくださいみたいな。
そうです。体育館に全校生徒が卒業式の練習でたまたま集まってて。
一つだけわずかながら幸いだったのが、その体育館が建てられたばっかりで。
耐震性抜群で超強かったんですよ。
地震も超強かったんですけど、体育館も超強かったんですね。
守ってくれたんでしょ。
守ってくれましたね。ただ建物の中にいると危ないからって言って、
タダピロ校庭のど真ん中にみんな集められて。
高いところに逃げてくださいとかじゃなかったんだ。
高いところに逃げてくださいなんですけど、僕らの中学校はもう高台なんですよ。
高台にある、丘の上に。
そういうこと。
津波絶対届かないような、丘の上にあるんですよ。
で、校庭に避難してる間歩いてるじゃないですか。
歩けない、歩きづらい感覚って俺あの時初めてですね。
そのくらい地震が強かったってことです。
予信みたいな。
踏んでるステップに地面側がバウンドつけてくる。
なんだこれ歩きづらいみたいな感じです。
怖かったです、本当に。
怖いよ。
すごい若かったんで、何でも気楽に考える方ではあったんですけど、
あの時はビビったっすね。
これやばいのかもしれないみたいな。
そういうことも起きるんや。そんな大きい予信とかだと。
だからやっぱり逃げるのもそんな簡単に、
普段走ってるようには逃げられないこともあるってことやもんね、それだと。
まさにもうその通りですね。経験上。
そっか。やっぱり備えは必要やなと思う。
そうですね。
あとはまあ、避難訓練でよく走るなって言いますけども。
いざとなるとやっぱりみんな急いでしまいますからね。
だろうね。
本当に。怖いっていう恐怖心が来てしまいますから。
そうなるとみんなすぐに逃げたいってなるじゃないですか。
一刻も早くと思うね。
そうですね。避難訓練の重要性は感じましたね、あの時は本当に。
そっか。
あの時によっぽど走るなってとか、
なんか注意事項を与えられてなければ、
本番でみんな助かれなかったんじゃないかなみたいな。
誰も怪我がなかったでした、あの時。
何人かはもうびっくりして心臓補佐してましたけど。
そうですかね。
なんかそういうね、子どもたちっていうか生徒のみんなもすごいし、
誘導してた先生もすごいって感じ。
確かにまさに、そうですね。
そっか。
そういう中で、ありがとうムーマン話してくれて。
いやいや、そんなもんないです。ありがとうございます。
そういう中で2013年の紅白で、
で、ドリカムがさあ鐘を鳴らせを歌いまして。
で、その時にもちろんあれでしょ、
ドリカムの吉田美和さんの生歌を聴いたのは初めてだろ、その時は。
初めてです、初めてです。
生歌初めてで、それまでの人生で、
ドリカムとの出会い
なんだコンサートに行ったっていう経験多分1回ぐらいしかなくて、
なんかお母さんに連れられて小学校の時に、
血兵士のライブ見に行ったぐらい。
すごいお母さん、やっぱ若いね。
血兵士。
なんかちょっと同じぐらいの感じがする。
そんで、そのぐらいだったんですね。
その時は月添いですし、血兵士もこうなんて言うんですかね、
レゲエな感じの音楽じゃないですか。
めちゃくちゃ楽しいなってイメージあったんですけど、
次に見る本物がドリカムだったんですね。
人生の中で。
もうさあ鐘を鳴らせの時点で、
もうなんなら僕、皆さんの声、
もうAメロの時点で、もう号泣が始まったんです、僕の。
やばい。
しかも、なんて言うんですか、
あれは言葉じゃ表せないですね。
これがプロかっていう感覚と、
もう全身が衝撃を受けたような感覚です、あれは。
今でも覚えてる。
もうこれがプロなんだみたいな。
歌としてじゃないですよ、歌の上手さはもちろんですけど、
そういうんじゃなくて、
この芸術を感じたんですよ。
人に伝えるアートを感じたんです。
でも痺れて、もう泣いたっていう感じじゃないです。
もう勝手に泣いてたっていう感じ。
なんかなんなんやろうね、あの感覚って。
初めて見たドリカムのライブって何とも言い難い感覚だった。
なんかすごいモンマンが言うことはすごいわかる。
わかってくれます。いつですか、それ。
高校1年生で、高1の時。
一緒ぐらい。
俺らへの時っすね。
高1にあの時、香川県のホールに、県民ホールにアルバムツアーで来て、
でもすごい3階席だったから結構豆粒だったんだって、ステージの方が。
でもなんか、もうとにかく歌声に圧倒されたね、あの時。
そうですね。
もう同じですね、感覚としては。
すごいわかる。
あのコア色もあります。本当にコア色と。
そんでプラスで何度でも歌ってくれたじゃないですか。
もう感無量ですね。
本当に何て言えばいいかわからないくらいすごかったです。
体も衝撃を感じたって感じですね。
もう当てはまる言葉見つかりましたわ。
耳で聞いただけじゃなくて、完全にあれは心で聞きましたね。
間違いなく。
心で聞いた。
もうやられたっすもん。
なんかそれが今の音楽活動に繋がってたりする。
その時の感じとか。
まさに。
僕がプロの歌手になりたいって目指し始めたのが、
本気で思い始めたのが10歳くらいですかね。
小学校の時野球やってましたけど、
歌の方がいいなと思って。
人前で歌うのが快感だっていうのが
わかってたんですよ。昔から。
そこから野球もしたいしなみたいな感じで。
自分の中に迷いがあったり不安があったり。
でもどうやってプロのシンガーってなるんだろうとか。
大抵の人は普通に職に就く方法は教えてくれるけど、
あんまり希少な夢になってしまうと誰も教えてくれる人いないので。
かなり不安だったんですよね。
不安だったのに若い頃の僕は本当に頑固で、
不安も見せたくなくて、
友達にはビッグマウスでみたいな感じだったんですよ。
だったんですけど、今だから喋れるんですけど、
本当に不安で不安で。
そんな中でドリカムの歌を小学校で聞いて、体育館で聞いて、
俺がなりたいのこれだやっぱりってなったんです。
絶対こうなりたいと思ったんです。
そこでドリカムの生のライブが見られたのも運命かもしれないね。
そうですね。
一生忘れないです、あれ。
親友むーまんとの交流
もう今でも映像が蘇ってきます。
そっか。
そういう経験をしてるムーマンに、
あの時2013年の大晦日、
X?Twitterで。
そうですよ、僕らが。
あの時にアプローチしてくれてありがとうございますって思いますよ、本当に。
こちらこそありがとうだけど。
その後、確かあの紅白、
アマちゃんコーナーがあって、朝ドラの。
アマちゃんやってたじゃん?
あの朝連続テレビドラマ小説で。
で、めっちゃなんか結構社会現象みたいなブームになって、
ジェジェジェとか。
懐かしい。
あって、そのドリカムが歌った後がアマちゃんコーナーだったね、ちょうどね。
自分的にはすごいなんかベストな流れだったんだけど。
で、アマちゃんのロケ地に、
今年の春かな、旅行に行こうっていうことになってて、
たまたまそれはもうムーマンと知り合う前から決めてて、
で、アマちゃんは岩手のくじがぶったんで、
で、帰りに仙台、行ったことなかったから、
仙台にも行こう、2泊3日で行ったのかな、確かあの時。
2013年の3月。
で、やり取りしてて、
で、今仙台にいるって言って、
そうですね。
あの時ね。
そうでしたね。
え、行く?みたいな。
行く予定があるみたいな。
ようやく本物の人さんに会うっていう。
そう、それで会おうってなって、
結構早かったね、だから、知り合ってから会うまではね。
で、なんか、おばあちゃんにすごい大丈夫って心配されたっていう話を聞いた。
知ってましたっけ、そんなこと。
そう、なんか、そんなインターネットで知り合った人とそんな軽々しく会って、
危ないよとかって。
確かにおばあちゃんに言われたかもしんないですね。
そう、言われたんですよって言って来てくれたのを覚えてる。
確かに10年以上前なのに今時の相方してますよね。
今時の出会い方。
出会い系だからね、僕たちでやったの。
そんで親友になってますから。
感動の涙と音楽の力
そう、それでそういう話をムーマンがすごいしたのを覚えてて、
やっぱり普通の感覚だとそう思うよなと思って。
で、ムーマンにそんなに知らん人に軽々しく会ったらいかんよっていう話をしたのを覚えて。
お前が言うなよって。
めっちゃウケますね。
その時から、17歳の親友なんですけど。
で、その体育館の話って異常な感じで大丈夫そう?
もちろん。話漏れたことあったかな。
これめっちゃお得な話とかないよね。
最初多分、紅白のMCとやり取りしましたね。
三浦さんがMCをする前にもう中継が繋がって、
で、紅白の司会と喋って、すぐ曲が始まって。
で、ちょっとMC挟んで。
ちょっと緊張してたかもしれないっす。
そう、だってテレビすごい苦手っぽいからさ。
しかも紅白でしょ。
ド緊張だったと思うけど。
でもすごいテレビで見てても本当に感動だった、あれは。
集まってるムーマンたちのお客さんの映像とか、その時流れて。
本当に届いてるっていうのがすごい分かったから。
口ずさんでる人とかもいっぱいいたし、一緒に。
すごい感動だった。
いや、あれ無料だったんですよ、だって。
しかもCDまでもらって。
なんていう、お得な。
あれすごくなっちゃったな、本当に。
本当に一生忘れないだろうな。
ね、そういう。
多分あれは3年ぶりに引き受けた意図っていうのは、
ここにあったんだって本当にすごい思ったもん。
あの中継。
なんか、2011年の8月に陸前高田でフリーライブした時に、
また戻ってくるからねって約束をしたっていう記事に書いてあって。
あれから紅白出てないと思う、ドリカム。
おー、マジか。
そう、だから紅白に出る意味とはって感じなんじゃない?
分からんけど。奥底じゃない?これは。
いやでも感じますね、メッセージを。
うん、だと思う。
意図を、はい、感じますね。
でね、そう、そんな話をすごいずっと長くやってしまったんやけど。
もう一つそう。
2015年のドリカムワンダーランドがあって、あれドームで、
僕とムーマンが大阪のドリカムワンダーランドに。
僕行きましたね。
そう、あの時なんで来てくれたんやっけ?
ライブのために大阪に来てくれたんやっけ?
そうですよ。
ヒトさんがワンダーランドあるからって言って。
誘ったよね。
行こうって誘ってくれて。
俺絶対行きたいなーと思って。
あの時は?2015年は?
もう就職してますよ。
その時は仙台?就職して。
そうですね、変わらず仙台でばあちゃん家に住みながら、会社に通って。
それで一緒に大阪のワンダーランド行こうって言って来てくれて。
うん。
なんか結構大人数で参加した気がする、あの時。
そうでした。なんかヒトさんの知り合いがいたいっぱい。
そう、あとなんか、うちの母親もいた。
あーそうです。もうヒトさんワンダーランドみたい。
なんか元じめとか言われて覚えてる、一緒に。
なんか同僚の先生とかいて、斉藤先生元じめやねとか言われて。
そうそうそう、懐かしいな。
懐かしいですね。俺あの時初めて飛行機乗ったんすよ。人生で初めて。
あ、飛行機だったんよ。
飛行機デビューした。
いま死ぬっていう。
飛行機デビューもして。
飛行機デビューもして。
ワンダーランドデビューもして。
ドームデビューですね。
あ、そうか。
野球ではなくドリカムを見たという。
そうですね。
初の大阪で、ドームで。
大きいドームで。
あの時のワンダーランドのこと覚えてる?
いや、覚えてますね。
たとえがちょっと安っぽくなってしまうんですけど、
初めてディズニーランド行った時の、
違う国に来たみたいな感じ。
どんぴしゃな、どんずばなアンミカ風に言うと。
どんずばな感想なんじゃない?
だってあの時確か、
王国みたいな設定で。
そうそう。
だから、そうだね。
いやもうなんだこれみたいな、センターステージで。
そうそうそうね。
ワンダーランドのコンセプトがさ、
史上最強の移動遊園地だから。
はい。
だからそう、まさにそういう感想になると思うね。
あの時もあれ歌った、さあ鐘を鳴らせと、
はい、歌いました。
その先へと、最後の方に何度でも歌ってくれて、
いつだったかな?
さあ鐘を鳴らせの時か、その先への時か、
隣にムーマンがいて、
で、パッて見たら、めっちゃ号泣しててムーマンが。
それにつられて一緒に泣いたもん。
そうでしたね。
それで泣けた。
え、めっちゃ泣いてるやんって。
いやー、止められない涙でしたね、あれは。
めっちゃ泣いてた。
止められない涙でしたね、あれは。
めっちゃ泣いてるやんっていうね、その大人もどうかと思うけど。
いや絶対、あのドリカムの音楽で泣く時は、
決まってなんて言うんですかね、
あの映画見た感動とも違くて、
悲しいとか楽しい泣き、嬉し泣きとかも違くて、
本当に、
違う種類の泣きですよ、あれは。
本当に。
くらってましたね。
ドリ泣き。
ドリ泣きです。
ドリ泣きですよ。
あ、新しい語彙が生まれました。
生まれた。
あれなんか、なんなんやろうね、あの涙が出るっていう感覚。
歌を聴いて。
みなさんの声もですし。
音楽を聴いて。
そう、なんか初めてドリカムのライブに行った人で、
結構泣いてる人見る、一緒に行った人で。
あれだって、俺人生で初めてですよ、マジで。
ドリカムの感動
勝手に涙、あ、俺泣いてるし、みたいな。
しかも泣いてるところじゃねえし、みたいな。
そう、号泣だと。
なんだこれ、みたいな。
号泣ねえのあんだよ。
多分その頃に抱えてる、
ストレスだったり、
知らず知らずに自分の中に溜まっているものが、
歌でヒーリングしてくれてるんですよ。
みなさんが。
ヒーリングね。
そうなんです。
だから、たくさんの人に響くってことだと思うけどね。
はい、俺も思います、それは。
みんな、ドリカムのライブに行こう。
そうですね、ドリ泣きしましょう。
ドリ泣きしましょう。
ドリ泣きしましょう。
来年、コンサートツアーがあるから、
なんかアルバムが出るようで。
時期的には。
3月21日、デビュー記念日スタート。
スタートで、9月だったかな。
9月27日に終わる。
アルバムが何年ぶり?
7年とか8年ぶりとかに、
アルバムが出てきて、
それはあれなんですか?
本当に新曲の詰まった。
そうそう。
もう、じゃあ、完全に、
完全にオリジナルアルバム、ニューアルバム。
ただ、ずっとアルバムが出てなかった時期に、
配信とかでもシングルがいっぱい出てるから、
そういうのが、
アルバムが出てなかった時期に、
新曲が出てなかった時期に、
新曲が出てなかった時期に、
新曲が出てなかった時期に、
配信とかでもシングルがいっぱい出てるから、
そういう曲は多めになると思うんだけど、
なるほど。
オリジナルアルバムって、
やっぱりその時のドリカムのコンセプトとかが詰まってて、
すごい良いよね。
オリジナルって。
そうですね。
まこと村川のオリジナルアルバムを早く聴きたいんだけどね。
そうですね。
本当にいち早く。
ありがとうございます。
僕ずっと思ってるのが、
ヒトさんに生歌を聴かせられてないのが、
そうやん。
ずっとまだ、
確かに。
早くしないとなっていう。
早く。
でもカラオケとかでは聴きたくない。
カラオケとかじゃなくて、
同じ気持ちなので大丈夫です。
間違いない。
ちゃんとした。
違うんですよ。
むーまんの音楽の展望
ステージングでも。
本当ですね。
本当に上手なので、本当に聴いてほしい。
本当に上手なのか。
そういうの大事。
自分で言うのも。
誇れるところがないので。
そんなことはないけど、
でも本当に。
自分で気づけた、
うわっていうのが、
歌、音楽っていうジャンルしかなかったんですよ。
でもなんか。
そこぐらいは胸を張りたい。
ムーマンの最初の歌声を音源で聴いた時に、
それこそうわって思ったもん。
初めてだこの声と、
この来る感じと思って。
こんな人が近くにいるんやと思って。
めっちゃ感動した。
覚えてる。
すごい才能と出会ったと思った。
やったーって思った。
歌うの好きなので。
そうだからね。
世界は、
早く、
まこと村上を早く見つけた方がいいと思う。
僕がね、
僕がもっと、
ちゃんとコンサートに活躍できれば。
そうなんですよ。
でもあれでしょ、
YouTubeに動画をアップするとか、
そういうことじゃないの?
それはですね、
次、
音楽活動再開してからですね。
この後にも喋りますけど。
うん。
じゃあ、
そっちに行こうか。
はい。
そっちに行こうか。
そういう出会いから、
初めての、
一緒にドリカムのライブに行き、
で、
ムーマンのね、
Dreamsが
Come True
してほしいということで、
これからの挑戦とか夢とか、
聞きたいなと思ってるんですけど、
どんな展望?
まずはですね、
土台作りから、
やっています。
というのも、
ヒトさんはもう知ってる通り、
もう7年、8年前ぐらいになりますかね。
アメリカに
僕何回か挑戦してますよね。
一人で、
バーとかで歌わせてもらったりして、
すごいよね。
アリゾナに行ってたもんね、
あの時。
そうですね、
アリゾナとニューヨーク、
マンハッタンとかで、
アリゾナに行ってたんですけど、
マンハッタンとかで、
バーとかで歌って、
で、その時なんとか、
レーベルなり、
いいコネクトを作って、
デビューできたらなーなんて思ってたんです。
その時は、
21歳の頃、
22歳か。
それで、
できないままビザが切れてしまって。
アメリカにいた頃は。
そのまま日本に戻ってきて、
アルバムは作ったものの、
待てよ、と思いまして。
僕がしたいことって、
英語で音楽を作りたい。
R&B。
より、
黒人の人たちに近いような、
憧れに近いような、
音楽をずっと作っていきたい。
と考えた時に、
住むところを変えて、
もう北米に移して、
そこで英中研を取って、
そこから、
ちょっと長くなって、
そこまでが長くなってしまいますけど、
音楽活動を再開すれば、
もう継続した、
安定した音楽活動ができるんですよ。
なのでまずは土台、
基礎作りを、
しているところなんですけど、今。
もう数年かかりそうですけども、
僕がやっぱり一番、
自分のこと分かっているので、
絶対諦めないんですよ、僕。
聞きましたね、みなさん。
もう来年で30にはなってしまいますけど、
絶対作りたい曲作りたいですし、
頭の中にあるものを、
絶対将来アウトプットしていくんで、
今喋れる夢に関することとしては、
このぐらいです。
アメリカへの挑戦
プロのR&Bシンガーを目指すと。
夢だけはもう固定なので。
なんか歌ってほしいなって思う。
ですよね。
形はいろいろ。
コンスタントに。
時代とともに、
スタイルとかは変わることあるかもしれんけど、
アンフックってアルバムプレイリストに入れてるので、
みなさん聴いてもらいたいんですけど、
あのアルバムを聴いたときにさ、
アメリカとかカナダとか、
そういうのじゃなくて、
例えば日本でデビューとかさ、
日本で知られるとか、
だと、
もう知られる人だと思うんだけど。
なんかもうそれで行けばいいのにって思う気持ちもあるし、
やっぱりムーマンにはそういう夢があるからね。
そうなんです。
わかりますよ。
ヒトさんも。
そう、ブレイクすると思うよ。
そういう、はい。
日本で出れば。
ヒトさんが今言った通り、
そうなんです。
僕の昔からの友達もやっぱり、
こう、待ち遠しすぎて、
そう。
言ってくれるんですよ、いっぱい。
日本でとか。
うん。
ちょっと、やっぱりね、
でも僕こだわっていきたいなっていう。
うんうんうん。
やりたいこと追求したいなっていう。
それは一番大事なことやからさ。
うん。
そのぐらい才能にも魅力にもあふれてる歌やし。
ありがとうございます。
人物もね。
嬉しいですね。
皆さん今声だけだと思うんですけど、
すごい素敵なヘアスタイルなんですよ、ムーマンは。
最近もうがっつりね、
突入しましたね。
ちなみに今やってるのがコーンローっていうヘアスタイル。
じゃあ詳しい人はそれ聞けばわかるか。
コーンロー。
その髪型今思い出した。
ミワちゃんがやってたときある。
おー。
これすごいマニアックな話かもしれない。
あれいつだったっけ。
さすがだ。思い出してください。
2001年ぐらいの、
なんかいつのまにっていうシングルがあったんだけど、
それこそさあ鐘を鳴らせが主題歌だった、
救命病棟、24時で山野の第二シーズンの主題歌。
なんかあの時のアーシャでそういう髪型してた気がする。
おー。
でもなんか、あれは三つ編みですって言われるかもしれないけど。
これググっていいんですか、今。
リスナーの。
リスナーの皆さん。
言ってることわかりますか、僕は。
そういいんやって、このあやふやな番組だからいいんです。
ちゃんと見つけたらなんかはっきりさせよう。
ドリカム検定一級っすよ。
分かったら。
そう確かに確かに。
そっか。
そう、だからムーマンの夢がカムトゥルー、
ドリームズがカムトゥルーしますように。
そういうね、なんかドリカムに感動してくれてるムーマンなんですが、
あの最初ムーマンのビーコンなドリカムナンバーを聞いたんだけど、
ドリカム以外もっていうコーナーもこの番組やってて、
アラのあなたにドリ以外もなビーコンナンバーはアラにっていう。
アラ。
アラ奥さん。
これ答えていいんですか。
うん。
これはですね、クリスブラウンのアップトゥユーって曲ですね。
クリスブラウンはすごいムーマンがずっと言ってるよね。
ずっと言ってますっけ。
ずっと言ってる、カリスマ。
確かにずっと好きなんですよ。
うん。なんか知り合った時からすごい言ってる気がする。
あー、言ってますね。
なんで?
その知り合った時から聞いてるんですよね。
この曲自体は2010年のアルバムに入ってたんですけど、
僕がクリスブラウンを知ったのは2012年なんですよ。
うーん。
2012年にこの曲を知って、今でもその曲しか聴かない1日があるぐらい、
このアップトゥユーっていう曲はもうイントロから曲の終わりまでが、
メロディーがドタイプなんです僕。
あ、そう。
歌詞は置いといて。
アップトゥユーってあなた次第みたいな意味?
そうそうそう。
なんか謝りながら好きって伝えてる曲だった気がしますね。
なんか、もう出来上がってるカップルの歌じゃないですか。
なんですけど、もう死というよりが僕に刺さったのはメロディーとリズム。
あー、なんか好きそう。
俺が作りたいR&Bはこれだっていう。
これ歌ったことある?
アメリカに挑戦しに行った時も、
必ずこの曲をプレイリストに入れて、自分の曲のように歌ってましたね。
でもなんか音楽活動始まってさ、ムーマンが世に知られるやんか。
世に知られて。
要するにあれですよね、知らない人たちにどんどん少しずつ知られていくっていう。
そうそうそう、知られていってさ。
もし日本の音楽会社とかから話があったりしたらどうするの?
分かんないですね、今の時点では。
日本の歌番組出てくださいとか出るの、それともチェッって言って。
俺アメリカなんだよ。
おそらくですけど、よっぽどもっと丸くならない限り俺出ない。
まだ丸くなってない?
まだ丸くないですね、自分で感じるんですよ。
クリス・ブラウンのライブ体験
いいと思うよ。
いつも言いたいこと言ってる性格なので、言いたいこと言えないじゃないですか、日本のテレビ番組って。
生放送とかで言っちゃえばいいやん。ミュージックステーションとかで。
日本はちょっとホス文化がありますから、発言十分気をつけないと。
それにはちょっと悪くならないと。
音業にも支障が出るかもしれない。
Aちゃんみたいな感じっすよ。
Aちゃんこの間テレビ出てたよ。
Aちゃんも年齢が重なってからテレビ出るようになったじゃないですか。
確かに。
話してなかったんですけど、
クリスブラウンの曲チュースしたじゃないですか。選んだじゃないですか。
先月、クリスブラウン見に行ったんす俺。
すごい。
カナダで?
今まで本物のアーティストに会うことを拒んでたんです。
ドリカムのライブを体育館で見て、ドームで見た。
それからは本気で自分の活動、音楽活動を集中してたので、
自分の夢が叶うまでは。
自分が歌手っていう立場になってから、
当人たちに会ってみたいなっていうのがあったんですけど、
クリスブラウンも年齢を重ねてて、
言っても35、36くらいなんですけど、
もうすでに10個、11個アルバム出してしまってるので、
音楽活動いつやめられるかわからないと。
それから、
そうなると、いつまでも一生本物見えないのかなっていうのが頭をよぎって。
彼、実は日本にライブで行かないんですね。
あ、そう。
全然行ったことなくて。
来日したことないんだ。
来日はあるんす。
歌ったことがないってこと?
来日は俺が小学校の時に、
すごい小さいダンスの番組の中に出てましたね。
出たらしいです。
でもライブはしない?
でもそれ以降は来てないです。
2018年以降、日本に来てない。
むしろ逆にどうしてそれに来たの?
その時に出したアルバムですよ。
その時にアルバムを出したんですか?
その時にアルバムを出したんですよ。
その時にアルバムを出したんですか?
そうですね。
すごい注目アーティストみたいな感じだったらしいです。
そうなんだ。
あとから知りましたけど。
とりあえず日本にいたらクリスブラン見れないなって思ったんで、
カナダに来る!
毎年来てるんですよ、カナダ。
あ、そうか。
ツアーがあれば。
毎回来てて。
その時は、
で、先月のスタジアムライブが、ちょうど彼の20周年記念、デビュー20周年記念のツアーなんです、今やってるのが。
で、見てきて、いやー、またあのドリ泣きと同じ感覚でした。
泣いた?
泣きは少しでしたね。
泣きは少し。
どちらかというと、やっと会えたみたいな。ずっと追いかけてきた。
ずっとこの人の曲ばっかり聴いてきた。やっと会えたみたいな。また違った感動でしたね。
会場は結構大きいところなの?
大きいところでしたね。
5万人入るところでした。
え、すごい、ドーム級やん。
そうですね。スタジアムでしたね。
どの辺の席なの?そうなると。
僕はですね、ちょっと今回奮発して、ちょっと自分的には高い席を買って。
えー、じゃあ結構前の方だった?
結構前の方でした、スタンディングで。
えー、VIP席?
いや、VIPじゃなくて、本当に倍ぐらいの値段だったんで。
あー、そっか。
僕が買ったのよりもさらに。
でもですよ、枝分かれしたステージの先っぽまで来てくれて。
もう本当に3メートル目の前ぐらい。
すごいな。
わーって見上げてましたね。
すごいね。誠少年がずっと聴いていた人が前に。目の前に。
そうです。もう少年になりました、あの時。
戻った?
先月俺少年に戻りましたわ。
わーって。
いいなー。
あとは自分の夢をもっと明確に、自分の気持ちをもっと理解したくて。
っていうのは実は、あんまり同世代の友達に話さないですけど。
強がって話さないですけど。
ビザ関連ですごい、あーっていう不安が積み重なってる中、
クリス・ブラウン本物見に行って、自分の意思を確かめたかったんですよ。
諦めないよな、俺。俺諦めないよな、みたいな。
で、やっぱり諦めたくないなってなって帰ってきたんで、いい経験でした。
夢の明確化
これがまた、もしかしたら将来同じステージに立ったりとか、どこかで会ったりとかするかもしれんよ。音楽で繋がって。
同じジャンルですから、はい。
えー、なんか叫んだりせんかった?
クリス!
いやーもう、そうだ、あの日本のコンサートとの違いは感じました。
あー、結構お客さんもワーみたいな感じ?
そうですね、なんというか、いい意味でも悪い意味でもみんな盛り上がるって感じですね。
もう一緒に歌ってる感じ?
いい意味でも悪い意味でも弾けてます。
席の範囲から出ちゃうんですよね、彼らは。
あ、そういうこと?
警備員が何回来ても、何回来ても何回来ても何回も行く。
一応警備員は来るんや。
近づきたい気持ちはわかるんですけど、警備員は来ます。
あ、だからダメだよってことなんや、そういうの、本当は。
そうです。
あら。
そうですそうです。
えー、でもやっちゃう。
やっちゃうっすね。
日本人はライブあって、スタンディングの席で、そのスタンディングの席の目の前から動かないじゃないですか。
そこで楽しむよね。
はい。柵はそっちにありますけど、2、3メーター先にありますけど。
で、その柵まで行くんですよ、みんな。
えー。
はい。
そうなんですね。
そうなんです、はい。
そういうのありましたけど、いい面としてはみんな大合唱ですね。
すごいな。
合唱しに行くみたいな感じですね。
びっくりしました。
だからクリス・ブラウンが歌ってる時にみんな歌ってるってこと?
みんな歌ってますね。
うーん、そういう文化だね。
で、多分なんですけど、僕が感じたのは、日本だと会場によってここまでの音の強さって多分決められるんですよ。
あー。
これ以上は音出さないでね、多分会場側からアーティストにあると思うんですけど。
うん。
こっちはもう多分ないと思います。
そのくらいみんな合唱してるのにクリス・ブラウンの声の方がガッツリ聞こえる。
あー、なるほど。
はい。
それいいよね。
そうですね、それはよかったです。
えー、あ、それだと。
なんか日本だとさ、歌われると全くなんかアーティストの声がちょっと聞こえないんですけどみたいな。
はい。
そういう感じだけど。
そうですね、僕も最初こっちのライブ行く前はそういうイメージでした。
みんな歌うんだよな、本人の声聞こえないのかなと思いながら行ったらガッツリ。
逆に周りの人たち歌ってんのに、その人たちの声は聞こえないです。
俺の声すら聞こえないくらい。
えー。
音楽爆音で流されてますね。
そうなんよ。
それはなんか逆に歌いたくなるよね、そういう感じで。
そうですね、爆音ですからね。
うんうんうん。えー面白い。
大きくなるし。
昔あのドリカムが台湾でライブしたときに、それ1999年なんだけど、それもワンダーランドがあった年で、
その99年の翌年かな、2000年の1月に台湾でワンダーランドがあって、台湾版ワンダーランド。
大学4年の時かな。
で、学生最後の思い出にもなるし、行こうって言って行って、台湾の人みんな歌ってた、その時。
一緒に。
日本語で歌っててすごい感動した。
なんか思い出したな。
ラブラブラブと7月7日晴れが台湾ですごい人気らしくて、その当時。
最初から全部歌ってた周りの人が。
彼ら歌うんですね。
なんか当時日本語教師目指してたから、それもあってすごい感動して。
他の言語の人が日本語で歌ってると思って。
繋がってると思って。
なんかそういうのね、やっぱ外国とか場所によって文化も違うし。
そうですね。
まこと村上もそういう存在になってくださいね。
そうですね。
はい、頑張ります。
その時はアーティスト目が変わってるかもしれんけど。
そうですね。
いや、ワンチャンムーマン候補に入れてるんで。
いいんじゃない?ムーマン。
はい。
英語表記だと。
ムーマンさんちょっとマイクに三つ編みが当たってました。
すいません。
パシャパシャって言って。
いいんじゃない?ムーマンって。
はい、ありかなと思ってました。
MUU?MUUMANなの?
はい、それで。
そういうこと?
なかなかいないですし。
いないと思う。
わかりやすいし、覚えやすいし。
英語表記だとマンになるから。
そうですね。
ムーの人。
マンになるんで、男ってのはわかるんじゃないかな。
ムーオーになるんじゃない?
なんか渋くなったっすね。
ムーオーです。
面白いな、いろいろ広がるね。
やりたいことがいろいろ。
本当に。
そういうムーマンに僕も力をもらっているので。
だからムーマンがいいかいいい、声優っすよって言ってくれた時があって。
はい。
それがすごい嬉しかった。
そうですね、切磋琢磨を感じるんですよ。
ヒトさんと喋ってると。
全く違うジャンルだからこそなのか、なのになのかわかんないですけど。
こんな年になってももっとやりたいって思ってる人だから。
そこですよ、そこ。
という話をしてると時間があっという間に経ってですね。
リスナーへの呼びかけ
あっという間っすね、本当に。
お開きということです。
そうですね。
突然お開き。
なのでここでエンディングです。
すごい突然。
このドリカム男子のトークゴーゾーンはいつも何言ってたっけ。
普通にムーマンとおしゃべりしてる感じだった。
でしたね。
今月10月なんで。
10月のドリカム男子のトークゴーゾーンのテーマは
ドリカムのあの曲とカップリングにしたいあのアーティストのあの曲っていうテーマでやっておりましてやっていくんですよ。
なんでムーマンもなんか送ってください。
ドリカムのこの曲とクリス・ブラウンのこの曲とか何でもいいんだけど。
なんかセットにしたい曲みたいなのを募集してて。
はい、なんで皆さんリスナーの皆さんお待ちしております。
応募のフォームのリンクは概要欄にあるのでそこからお願いします。
ご感想ご質問とかテーマのリクエストとか。
どういうことなんだ問題っていうコーナーの募集をしています。
で、あのXでね。
ハッシュタグドリ男子TGOでポストしてくれるとすごい喜びます。
で、あとインスタもあってインスタのアカウントもあるのでそちらのリンクも概要欄にあるのでフォローしてみてください。
ドリカムとの親友トーク
で、あとムーマンが今日来てくれたので番組のフォロー。
ご新規リスナーの皆さん。
スポティファイに番組のフォローボタンがありますのでそちらでお願いします。
で、あとあれなんですよ。これいつも言ってて。
星マークで番組の評価が付けられるんですけど。
最高評価が5つ星で。
で、このドリ男子TGOでは5つ星のみを募集してて。
すごい厚かましいやろ。
で、5つ星のみを募集しておりまして。
で、その5つを押す時になんか5つの語呂があった方がいいかなって言って。
いつも5文字の言葉を紹介してて。
何の大喜利番組って思うやろ。
今回はね、もうこれだかなと思って。
カネならせ。
カネならせ。
で、5つ星をお願いします。
最近相方のMCのニッシーに5つの言葉の精度が上がってるって言われて。
今回はさあカネをならせ。
カネならせ。
みんなでカネをならしていこうぜ。
いいですね。
っていうことで5つ星をお願いします。
で、あと僕が単独でやっている日本語教師としてやってる
うれしい楽しい日本語サイチャンネルっていう番組があって。
ムーマンがゲストで来てくれた時があって。
それも合わせて聞いてみてください。
あの回めっちゃ聞かれてる。
あのちょうどあの時アンフックっていうさっきのアルバムがリリースされてて。
で、プラス新曲あるんですよっていう話をしてくれてて。
そうでしたね。
で、その時の曲がForeverっていう曲で。
うん。
めっちゃ良くて。
いやありがとうございます。
今回改めてここでも流したいなと。
いいかな?
これはいいとものやつですね。
そう、やったー。
ジェネレーションギャップがここではなかったということです。
いいともすごい。
そうですねここではないです。
見て育ちましたもん僕。
でもかなり後ろの方でしょ。
いいともの終わりぐらい。
すごい。
で、そのForeverっていう曲がすごい良くて。
で、このSpotifyでは音楽は歌えないし音楽は流せないっていう。
なんだけど、でもあれは著作権の問題だから。
著作権大丈夫ですか?
あ、もう全権所有なのです。僕の曲なので。
ご本人の。
お使いください。
やったー。強み。
ありがとうございます。
ドリダンシティージオンの強み。
ということで、皆さんすごくお得な回になっております。
いやーありがとうございます。すいません。
いやーこれね、めっちゃいい曲で。
だからそのForeverを聴きたくて、あの日本語サイチャンネルを再生してた人が多いと思う。
マジか。
うん。すごい回ってる。今でも回ってるけどあの回。
確かにあれだけ他のプラットフォームに出してないですもんね。
サウンドクラウドとサイチャンネルだけ。
やったー。そしてドリーカム男子のトーク放送。
これでもドリーカム好きな人はこの曲すごいハマると思う。
好きだと思う。
これはいつ代々的に発表されるんだっていう話。
違うんですよ。もっといい曲は出したいんです。
本当?
はい。もっといい曲を出したくて。
あれ越えよう?
あれ僕の中ではリリースできるとしたらカップリングぐらいのクオリティでした。
本当?
はい。
すご。
そのぐらいの意識でした。
いやー結構衝撃だった。このForever最初聴いた時。
いやー嬉しいですね。
ちょっとやってるやんみたいな。
確かにあの時までに出した中では一番クオリティは高かったと思います。
これ日本で出せば普通に聞かれそうだけどな。
なるほど。
今の時代っていうかすごいフィットしてる気がする。
もう藤井風か誠村上かってなると。
なのでこれを聞きながらお別れということでよろしいですか。
もちろん。ありがとうございました。
あんまりあれでしょ。でも全部丸々綺麗に流すとさそこ切り取られて
なんか上手いこと使う人とかおるかもしれんよ。
いやーもう使ってもらっていいですよ全然。
本当?
フリー音源ぐらいの勢いで。
えーもったいないくて。
作りました。
じゃあ今日のエンディングは誠村上のフォーエバーということで。
じゃあ皆さんお聞きいただいてありがとうございました。
ありがとうございます。
音楽と日本語教育
じゃあまたムーマン遊びに来て。
はい。ありがとうございます。また呼んでください。
ということで皆さんありがとうございました。
では曲紹介。
誠村上でフォーエバー。
誠村上でフォーエバー。
01:17:46

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