北米大陸を訪れた経験
はい、真昼間の収録、本日3本目ですね。 そろそろエンジンかかってきた感じですかね。
かかってきましたね。グイングインですよ。グイングインってなんでしょうね。 グイングイン。まあまあグイングインでいきましょう。
はい、じゃあ次のテーマトーク発表します。
じゃじゃん。
北米大陸の話。 北米大陸。かなり検定されてますね。
北米、あ、でも僕行ったことはあるんですよ。北米に。 何しにですか。 北米にって言ったんですけど、カリフォルニアも北米ですよね。
カリフォルニアに中二の時にホームステージ行ったことありましたね。 えー!
早い。 えーすごい。 中二で行きました。なんか知んないけど、うちの町でその時期急に流行って、
僕と同窓生、同級生、でも4人で行きましたね。 えー、その4人が同じ家にホームステイするんですか。それぞれバラバラで。
4人でっていうか、うちの学校からね。 団体としてはもう、どのくらいだろう、20何人いたと思いますけど。
期間はどれくらい行ったんですか。 4週間だったと思います。
4週間、まあ約1ヶ月。 いい塩梅ですね。 あれはいい思い出ですね、今でも。
どんなホストファミリーだったんですか。 あのね、メキシコの方でしたね。
あのお父さんがメキシコ系の人か。割と日も日に焼けてというか、真っ黒じゃないけど朝黒い感じの肌の方で、奥さんは白人だったかな。
でもご主人がメキシコ系なんで、そのタコスとかを連れて行ってもらったりしました。
で、辛くて辛くてみたいな。 予想よりケチャップの延長かなみたいな感じでつけて食べたら、もうしばらく
ベロの上に氷乗せてないと入らないみたいな。で、めっちゃ笑われるみたいな。 そんなホストファミリーでしたね。
お子さんはいらっしゃらなかったんですね。 その、いや、えっとね、どのぐらいだろう
20代前半と10代後半ぐらいな。 あ、じゃあ、しゅうさんから見たら年上の
お父さんがいらっしゃった。 そう、10代後半じゃないかな。
とにかくどっちか、若い方の弟さんの方がもうでも結婚して家を出てるみたいな、そんな状況でしたね。
お兄ちゃんの方も住んでもいるんだけど、まあ帰ってこない日もあるみたいな、割と自由な感じでやってましたね。
このホストファミリーの制度ってのはどういう感じなんですか? 街、なんかある日、街で
今度日本からこういう子たちが来るんですけど、受け入れてもいい人みたいな感じでお触れが来るんですかね。
どうなんでしょう、でも毎年っていう感じになってるみたいで、もうそういう、今年も何十人、何十人まで、20人台ぐらいだと思うんですけどね。
カリフォルニアでのホストファミリー
今年もこのぐらいの日本の子供たちが来るから受け入れていい方みたいになってると思うんですよね。
これちょっと、僕他のポッドキャストでも話したんですけど、そういうボランティアで受け入れてくれてるんで、あんまりお土産持っていかないでねみたいなのを
説明されるんですよね。 日本から?
なんていうんですか、オリエンテーションで、そうそうそうそう。 だけど日本の文化って、そんな子供がお世話になるのに、お土産持たせないわけにはいかないって言って、結果的にうちのお袋めちゃくちゃ僕にお土産持たせて、
向こうで僕がめちゃくちゃその言い訳に大変だったみたいなこともあるんですけど。
なんかね、そんな裕福な子供だったら、なんでうちが受け入れないといけないんだみたいな問題とか発生するらしいですよね。
なるほど、なるほど。
みたいなことありました。
僕は北米、実際行ったから、北米でできる話は僕はそれだけですね。
ロサンゼルスもね、結構広いですけど、海とかも行きました?
えっとね、ロサンゼルスまで1時間ぐらいの位置のカリフォルニアの中の、どうなんだろう、キングスバーグっていう町だったっていうことだけ覚えてるけど、ちょっと位置がどこだったかあんま覚えてないですけど、海は行かなかったかなぁ、海は行かなかったかもしれないですね。
ロサンゼルスはどうですか?
北米。
北米。
食べはしたことありますよね、確かね、来ない。
やっぱりそうですよね。アメリカのニューヨークに行った時の寂しい話をした記憶があるので、
北米の話でこの話をしていいのか、ちょっとあれなんですけど、この話じゃなく、北米というかアメリカの話でできるのは、僕のおばさんがアメリカのサンフランシスコに住んでいたんですよね。もう亡くなっちゃったんですけど。
旦那さんが大役軍人のデザイナーさんで、その息子さんがナイキに勤めてたんですよね。
野崎さん覚えてるかわからないですけど、僕たち中3とか高校の時にバッシュめちゃめちゃ流行ったじゃないですか。
流行ってましたね。
エアマックス95とか代表的に。
下駄箱に置いてこないで教室にみんな持ってきてましたよね。
盗まれるからですね。
盗まれるから。
マックス狩りっていう、エアマックスは言ってると、お兄さんたちに囲まれて持ってかれるみたいな、売られるみたいなことがあるんですけど、
半年に1回くらい段ボールでバッシュが20足ぐらい取るんですよ。
その中には僕全然知らなかったんですよ。
ただ、当時僕の部屋が縁側がらがらで僕の部屋だったんで、玄関じゃなかったんですよね。縁側に靴を置いて学校行ってたんですけど、まあ全部盗まれましたね。
へー。
全部。
へー。
だからきっとわかってる人にしたらもったいないみたいな靴もきっといっぱいあったんだろうなと思います。
へー。
これは1回でそんなに全部盗まれた感じですか?ちょこちょこ盗まれたんですか?
僕が玄関使わないのが悪いんですけど、盗まれたらこれ盗まれないかなーみたいなのを卸して入っていて。
補充してる。
けどまあそれも盗まれていうのが、もう北米の皆さんには大変申し訳ないですけど、僕ができる北米の話、今日できる話になります。
くすがり、そうですね。あってましたもんね。
あったんだよね。
でもその当時そんなにね、そのおばさん経由からたくさん送ってもらってたら、やっぱりなんかいいなーって周りから思われてたでしょうね。
ただその僕当時で珍しくスラムダンクにもそこまでハマってなくて、だから全然価値がわからんやつだったんですよね。
多分その辺あったらもうちょっと悪い奴になってたと思うんですよね、僕。
もう墓積み売りに行くみたいな。
そうなんですよ。
本当僕、兄弟親戚の方だったらすごいの本当に無知で。
あーなるほどみたいな。
村崎さんは留学?
そうなんですよね。留学の話は結構したから、仕事で1週間ニューヨークに行った話ってしました?
いやー、それも多分あるんですよね。組合の活動、詳しくはあるんですけど。
言ったら核兵器廃絶のデモ行進っていうのが5年に1回あるんですよね。
世界中からそういうのに反対する人たちが集まって、ニューヨークの街でデモ行進して、国連とかにも行って、
世界中から集まった核兵器反対の署名をみんな持ち込むし、ニューヨークの街でも署名活動をするみたいな。
観光客も多いですから、ニューヨークの市民の方もそうですけど。
ニューヨークでの自転車レンタル
っていうのに参加したのが2005年?2010年?ちょっとどっちかパッと思い出したんですけど。
その時、確かに核兵器とかの廃絶はした方がいいよねとか思ってたんですけど、ニューヨークっていう街に行けることがすごく嬉しくて。
これもどっかで話したことあると思うんですけど、映画、洋画の中で一番レオンが好きなんですよ。
ジャン・レノとナタリー・ポートマンが、殺し屋の話ですね。殺し屋とショートの話なんですけど、それの撮影の一部がニューヨークだったんですよ。
ニューヨークの街の、ちょっと名前忘れちゃったけど、ホテルが使われてたりしてるんですよね。
だから僕からしたら、聖地巡礼する大チャンスだったんですよ。
分かります分かります。
だから、でも、ニューヨークって向こうからしたら狭そうですけど、それでもやっぱり徒歩でとか電車で移動するにしても結構な距離があるんですよね。
撮影地も何箇所かあったりするし、主人公が買い物したお店がここ、何ちこのところとか。
だからレンタルバイク、サイクル、自転車は結構復旧してたんで、それを借りて、もう本当フリーだったのが1週間のうちに半日ぐらいあったのかな。
その時しかチャンスはないと思って、バッと借りて、事前に差し調べしたところ、ガーッと回ったんですよ。
ただそのレンタルサイクルも1日借りればいいんですけど、もうなんか操作がすごく難解だったんですよね。
英語もちょっとその時の僕、今もそうですけど、めちゃめちゃ得意ってわけじゃなくて。
操作?
借りるのにクレジットカードとか番号とか入れて、いわゆる操作、ATMの操作みたいなのが必要なんですよね。
自転車の運転の操作じゃなくて。
自転車は乗れます。
それで、自転車を借りる操作に手間取って、でも何とか借りれたんで、ガーッともうそのフリーの時間に自転車を一生懸命こいで、記念だからずっと動画とか写真とか撮りまくって満足して帰る。
で、仕事も終わって帰ってきたんですけど、
生活費にまつわるトラブル
1ヶ月後くらいかな、クレジットカードの払いの迷彩が届くんですけど、
向こうでの生活はほとんどクレジットカードで聞いてたからですね。
食事代結構高かったなーとか、買い物代やなーと思ったら、全然見たことない、全然思い当たらない料金が載ってるわけです、一つ。
それがレンタルサイクルで、僕1日でいいのに1ヶ月分借りてたみたいで。
なるほどー。
ドーンと金額が1万円くらい載ってて、うわーなんてことしてるんだと思って。
なるほどー。
タイムを間違えたね。
そうなんですよね。
デイト、マンスを。
そう、多分そういうとこがあったんだろうなーって。
結構慎重に見てたつもりだったんですけど、結構高くついた生地巡礼やったなーっていうのは今でも思ってますね。
ギアチェンどこの騒ぎじゃなかったですね。
そうそうそう。
ギアチェンもそうですけど、でも標識もはっきり言ったら分かんなかったから、あんまり、ドル標識とか。
ほんと好きなように走り寄ったから結構迷惑やったかなーとは思ってますね。
自転車の標識とかどうだったんだろうと思って。
あー、確かに。
文化が違うからなー。
そうですね、それぐらいかなー。
地下鉄も最初の乗り方も何かちょっと伏線したんですけど、地下鉄の料金は普通通りだったからちゃんとできてたみたいなんですけどね。
北米行ったの、いつも行った話、そんな感じですかね。
なんか、北米の話っていうかみたいな話ですいませんね。
いやいやいやいや。
僕もそうですよ。
いやいやいや、僕も自転車の料金間違ってた話ですから。
北米の話で、ホームステイと自転車料金と場所に踏まれた話っていう、あれがちょっとあれですね。
ちょっとトークテーマがね、北米大陸って言ったからね、でかいですよね。
アメリカ行った時の話にちょっと差し替えといてくださいね。
僕は言ってない。
言ってなかった。
ちょっとスケール感が足りんかったか。
まあじゃあ時間もいいところなんで、この辺りで北米大陸の話をおしまいにしたいと思います。
ありがとうございました。
ありがとうございました。