1. デザイナーの給湯室
  2. #020 成り行きでフワっとデザ..
2022-05-05 36:42

#020 成り行きでフワっとデザイナーになったデザイナー

デザイナーになった経緯を話していると、二人とも成り行きでフワッとデザイナーになったことが判明、、、、人生ゆるゆるです。こんな二人を受け入れてくれたデザイン業界に感謝🙏

 「ウタ」違い
 「ふっと楽」は痛い
 幼少期の体験
 絵が好きになった理由
 ぱちぱち高専時代
 UTAの高校時代
 で、どうやってデザイナーになったの?
 エンディング

【※】ONE PIECE最新映画情報・・・・https://www.onepiece-film.jp/
【※】ふっと楽・・・・ぱちぱちの妻が開発したフットケアグッズ。https://www.instagram.com/foot_luck_official/
【※】サイモン&ガーファンクル・・・・1964〜1970。アメリカを代表するフォークデュオ。代表曲は「明日にかける橋」「スカボロフェア」「コンドルは飛んで行く」など。ちなみにUTAが言っている「アンジー」はこちら→ https://youtu.be/DboCBmjuBxg
【※】サイフォン・・・・フラスコでコーヒーを淹れる器具。
【※】高校入学方法について・・・・UTAのように入学が決まった直後に都外へ移住することは特別な理由がない限り認められておりません。また、入学することだけを目的に、受験時から入学時だけの期間限定で東京都に住民票を移すことも認められておりません。在学中の住民票も生活拠点も東京都内が大前提です。ちなみにUTAの場合は、学校側で議論された上、特例で認めていただきました。その当時の先生方に感謝。

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【ぱちぱち】
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(著書)『一生懸命デザインしたのにプロっぽくなりません。(翔泳社)』発売中
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デザイナー兼イラストレーター。
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タイトルコール:中西ももか・水瀬うみか

00:08
デザイナーの給湯室。
お疲れ様です。
お疲れ様です。
こんにちは。
pachi-utaさん、映画に出るらしいじゃないですか、pachi-utaさん。
え?
映画?
あれ、聞き間違え、勘違いですかね、僕。
映画、そうですね。話まだ聞いてないですね、僕のところには。
聞いてないですか?歌っていう、歌っていう子が映画に出るって話をちょっと。
え?何の、何の映画だろう。
ワンピースですね。
え、ワンピースで?
うん、ワンピースの新しい映画に歌さんが出るっていう風に。
新しい映画なんですね。
歌。キャラクターでですか?
あの、歌ちゃんっていう可愛い女の子のキャラクターが。
出るんですよ。8月6日からだったかな。
ワンピースの映画が始まるんですけど。
シャンクスの娘ですよ。
まためちゃくちゃな設定来たな。
めちゃくちゃな、めちゃくちゃな設定来たんですよ。超重要ポジション。
そういう設定は、なんかね、本編の方で撮っとかないと。
ね、でもなんか今回多分結構重要な映画になりそうな雰囲気が今からある。
あ、そうなんですか。本編にも繋がるような話になっちゃうんですね。
そうで、本編でね、大したシャンクスって出てきてないのに。
映画では結構今回出てくると思うんですよ、多分ね。
いろいろな謎がそこで明らかになるんじゃないかなっていう。
いや、シャンクスが結婚してるってこと自体に結構異議申し立てが多いと思うんですけど。
そこにはね、多分いろいろな意見があって。
ピンポンパンポンってちょっと町内のアナウンスが。
アナウンス入ってますか。
入ってるんですけど。
多分それワンピースで、今異議申し立てを言ってるんです、きっと。
シャンクスに。
シャンクスが結婚してる、結婚とまでは言わないけど。
結婚してるかどうかちょっと分かんないですけどね。
ちゃんとした。
母親は誰なんだっていう。
女がいるってことで多分ざわついてんす、今。
それこそ私政治なんじゃないかっていう。
まあそうですよね、きっとね。
結婚って概念ないですよね、きっとね。
結構ね、ぶつけるかもしってるんですよね。
えー、知らなかった。そんなことあったんだ。
そうそうそう。
ウタちゃんって子が出るんでね、楽しみに。
8月を待つように。
なるほど。
したいなと思ってるんですけど。
ちょっと町内の放送がだいぶ長いんで、もし入っちゃってたら。
いや、そんな聞こえないっすよ、多分。
聞こえないですか?
聞こえてないと思います。
何かについて喋ってますね、おじさんが。
そうなんだ。
終わりましたね、今ね。
そういえば、あのフットラック。
フットラックって言ったらいいんすかね。
はい、僕の妻が。
開発賞金。
いただいて。
はい、ありがとうございます。
結構踏んでると痛いですね。
何かああいう丸だけだから。
丸だけだから何か半円って言ったらいいかな。
03:02
はいはいはい。
半円だから。
かまぼこ状の板というか。
そんな痛くないのかなと思ったらとんでもないですね。
めちゃくちゃ痛い。
結構何か身体に不調があるんじゃないですか。
そうかもしれないです。
結構不調があるんで。
あの、ちょっと分かんないっていうのを全部言っとくと。
僕の妻が開発している、天然木でできた青竹踏みっていうのがあってですね。
それ今自社のECサイトで販売してるんですけど、
そこのランディングページを作るにあたって
宇田さんにイラストを書いていただくことになってですね。
ご依頼いただきました。
一回踏んでもらおうかなと思って、勝手に送りつけたんです。
かなり痛いです。
でも毎日やってますよ。
痛くならないように。
本当ですか。
痛くならなくなるまで踏んでみようかなと。
まだしばらく使って感想をお聞かせいただけるとありがたいです。
そうですね。
しばらく使って感想を言います、また。
これ裸足で踏んだほうがいいんですか?
裸足で踏まないと多分滑ると思いますね、結構。
あ、そっか。
靴下で踏めなくはないと思うんですけど、
ちょっと滑らないように、お気をつけいただいて。
ニスを塗っているので。
あ、そうなんだ。
そうなんですよ。
劣化しないように。
劣化しないように。
なるほど。
まあいいや。
概要欄に貼っときます。
そうですね。
興味のある方はちょっとご覧いただいて。
という感じで、今日はですね、
2人がデザイナーになった経緯みたいな話をちょっとしていこうかなと思っております。
はい。よろしくお願いします。
お願いします。
はい。では、デザイナーになった経緯ということで、
20歳の自分に、20歳というか20代の自分に言っておきたいことみたいな回があったので、
ちょっとそこの話がかぶって、
ちょっとさっきの話とかがちょっと違うかもしれませんが、
20歳の自分に言っておきたいことみたいな回があったので、
ちょっとそこの話がかぶって、
20代の自分に言っておきたいことみたいな回があったので、ちょっとそこと話がかぶってくる部分もあるかもしれないんですけれども、もうちょっと違う角度で話できるといいかなと思うんですが、僕はですね、割となんかデザイナーになろうと思ってなってないっていうか。
へー。
なんか、どうしてもデザイナーになりたいっていう感じじゃなかったですね、僕はね。
あーでも、そうあるしね、俺も。
うたさんもなんかそんな感じですもんね、なんかね。
僕は単純にイラストが好きだったから、そっちの方に自然と行ってしまったという感じですね。
はいはいはい。
なんか多分、でも多いんだと思うんですよね、そういう感じの方って。
そうですよね。
昔から幼少期からデザイナーっていう職業について知ってるっていう人は。
そう、いないですよ。
でも親がデザイナーとかじゃないという、なかなか知り得ない職業かなと思っていますし、
僕もその就職してからデザイナーが何してるのかっていうのがなんとなく分かってきた感じだったから、
就職するまではデザイナーにはなったけど、なんかよく分かってない感じはあったかもしれないなって今振り返るとありますね。
06:06
そうかもしれない。
僕もそうかな。
僕はもっとひどかったのか。
就職した先がデザイン事務所とは全然違うとか。
製版だったっていう。
製版会社だったんで。
ありましたよね。
そう。
で、ちょっともっと記憶を遡ってというか、小さい頃からじゃあどういう感じでデザイン的なものにも触れる機会があったのかなっていうのを、
ちょっと遡って考えてみてたんですけど。
幼少期はですね、僕はとにかく絵をやっぱり描いてたんですね。
太田さんもそうだったかもしれないですけど。
描いてました。
描いてましたよね、やっぱり。
僕の当時は、そうそうそう、筋肉マン。
筋肉マンですよね、みんな。
うん。
だからめっちゃ流行ってて。
ドラゴンボール筋肉マンですよね。
そうそうそうそう。
特にね、たぶん小学生に入る前ぐらいから僕描いてたのかな。筋肉マンとか。
あの、鬼面組っていう漫画というかアニメが。
あー、鬼面組ありましたね。
それが僕結構好きで。
あと小学校入ってから北斗の剣が流行ってたんで。
北斗の剣。描けないですよね、北斗の剣。
そうなんですけどね、ジャンプ読むようになってから描くモチーフが爆発的に増えたので、描く楽しみがあったっていう感じだったんですけど。
とにかく、なんだろうな、そういうキャラクターを模写してまして、昔は。
模写というか見ながら、何も見ないでいかに描けるかみたいなのがかっこいいというか。
そういう毎日だった。
ありましたね。
とにかく本当に描いてたかな。
流行ってましたよ、本当に。
そうです。
そういうこと描くっていう。
そうですよね。
今ほど携帯ゲームがなかった時代なんで、それこそそれしかやることないですよね。
イラストが外で遊ぶかっていう。
誰が一番うまく描けるかみたいなことで競い合うっていうのをよくやってたよね。
そう。
するんですけど、でも結構それがデザイナーにとって必要な能力を培うのにめちゃくちゃ役立ってたような気がしてるんです、今振り返ると。
トレースは多分そんなにしてないんですけど、見ないで描けるようになりたかったんで、見ながら描くっていうデッサンの処方の処方みたいなやつを多分やってたと思うんですけど、
例えば目とか鼻とか口とかパーツがすごく似て描けても、なんか全体としてキャラクターが似てないみたいなことによく陥るじゃないですか、描いてると。
そうですね。
そう、そのバランスなのかどこに何が置いてあるっていう要素同士の関係性を見ていかないと似ないっていう。
それに多分デザインも同じじゃないですか。
一個一個のデザインのあしらえとかめちゃくちゃこだわって作っても、最終的にこのデザインの雰囲気ってなんだろうとか、
どんなテーマとか世界観でやってるんだみたいなのが作れてないと割とデザインってうまく着地しないと思うので、
09:05
なんかそういうトレーニングをその当時からしてたのかな。
その出来入れの大切さと全体としての印象の大切さみたいなことが。
本当そうっすよね。
ね。
ディテールは大切ですよ。
ね、漫画のキャラクター描くときなんか特にね、なんかちょっとでもパーツが一個なかったりとか。
そうそう、まつ毛の数一本違うだけでだいぶ印象変わったりとか。
そう、だいぶ変わりますもんね。
しますんで。
そう。
作者の方はすごいですよね。どんな角度、どんな表情でもそのキャラクターだってわかるように描けるっていうのはね。
やっぱりその辺は模倣してるものと生み出してるものの差なのかもしれないですけど。
僕はね、なんかそのなんで絵を描くのがじゃあ好きになったのかっていうと、
母親がね、なんか別にその美術系の学校とか全く出てないし、むしろ中卒なんですけど、
めちゃくちゃ絵がうまいんですよね、なぜか。
完全に素人なんですけど、油絵みたいなものは多分道具もないし、他種なんではなかったんだけど。
違うんですね。やってるかと思うんですけど。
鉛筆のデッサンみたいなものが。
なるほど、はい。
結構ね、驚異的なレベルでうまくて。
アランドロンっていうフランスの昔の俳優さんがすごい母親を好きだったみたいで。
自分でひたすら描いてアルバムにしまって。
アランドロンを。
そう、それがものすごくうまいの。子供の頃から見てて。
自分もこういうふうに描きたいなって思ったのが多分始まりかな。
なんかイラストにハマったきっかけってありました?岡田さん。
僕はね、その父親のほうがうまかったんですよ。
ああ、そうなんですね。
親の影響っていうのが。
やっぱ親の影響ですね、僕も。
あるんですね。
お父様はあれですか?職業的にはそれ系の。
いや、職業は市場の。市場の職員でした。
そうなんですか。
そう、セリやってるような人でした。
じゃあ趣味でなんか絵を描かれてる?
いや、ちっちゃい頃ですね。ちっちゃい頃に描いてたイラストを見て。
ああ。
そう、それは確かにうまいなって。そのときうまいって思って。
で、実際ちっちゃい頃描いてもらうじゃないですか、いろいろと。
うん。
やっぱうまかったんですよ。
我々も描いてあげますもんね、よくね。子供たちにね。
そのときうまかったんで、多分自然とイラストが好きになったんじゃないかなと思って。
なるほどね、やっぱりそういう現体験みたいなのが。
そうですね。
人は割と好きになっていくのかもしれないですね。
まあそういうのもあって、で、小学生になってからは、小学校、高学年ぐらいになると、自分で漫画描いたりもちょっとしてたんですね、僕。
僕も描いてた。
やってました?
やってた。
あ、そこまでやってない。
カラス口とか使って。
すごい。GKまでやってたんだ。
そう描いてたと思います。
12:01
何を描いてたのか全く覚えてないんですけど。
そう、漫画描いてましたね。
ただ話を考えるのすごい苦手だったので。
うん。
漫画描きつつ、特にもうドラゴンボールがすぐ前世のときだったので。
そうですよね、あの当時も。
小学生中。
みんなドラゴンボール。
そうですよね、中学生ぐらいのときかな、特に。
いろいろ描けるようになってきてからは、なんかカラーインクを揃えて。
すごい、そこまでやったんですね。
やってましたね、県都市にスーパーサイヤ人の悟空と悟飯みたいなのとか。
県都市。
描いてましたね、唯一の趣味というか、ほんと没頭してやってましたね。
それすごい本格的。
まあそこまでじゃないと思いますけどね、なんかカラーインクって結構楽しくて。
Gペンやってる時点ですごいですよ。
どうしてもね、線のニュアンスがGペンじゃないと描けないでしょうね。
まあ確かにそうですよね。
鉛筆じゃ。
普通のペンとか、サインペンとか。
できないですもんね。
めっちゃ無理だし。
っていうんでね、結構やっぱドラゴンボール、まあ鳥山明のやっぱり作画力って半端ないじゃないですか、今の。
うんうん。
そこに惹かれるものがやっぱりものすごくあって、よく描いてました。
そうですね、その後、中学校の時にじゃあ進路どうしようかなって思って、美術系の高等専門学校があるっていうのを色々調べてる中で知ってですね、
そこに何としても入りたいなと思って、ほぼ毎日のように美術室に中学校時代に残ってですね、美術の先生に小手っさんを教えてもらうという感じだったんですよね。
で、その後高等専門学校に入るんですけど、僕は美術の学校だと思って入ってるんで、いざ入ってみたら実はデザインを学習する専門学校だったので、そこで初めてデザインっていうものがあるんだっていうのを知ったんですけど。
高校生になって5年間行くんですけど、最初の3年はほぼ美術系の授業しかないんですよね、デッサンとか、造形系の授業ばっかりなんですけど、一般の教科ももちろんあるんですけど、
で、最後の2年間、4年生、5年生で5つにコースが分かれるんですけど、そこで建築デザインですね、建物のデザイン。
いいですね、そういうのもやれるんですね。
そうそうそう、そこに行く人もいたし、で、あと環境デザインっていうそのランドスケープって言うんですかね、町の都市計画とかみたいなデザインをするコースもあって、あとは工業デザインですね、物の製品のデザイン。
すごいちゃんとしてますね。
そうなんですよ、で、ホンダの、ホンダに就職した人とかもいたんで、車のデザインしてるやつとかもいるんですけど。
すごいすごい。
で、工芸コースもあって、工芸コースに入った人たちは、なる人は作家になって、同じ石川県で同級生が。
15:09
いるんですか。
うん、陶芸家やってる人もいるんですけど、で、残りの1個が資格コースっていうのがあって、これもいわゆるグラフィックデザインのコースですね、今で言うと。
っていうのが1つずつがあったんですけど、なんかどれもあんまり興味が湧かなくてですね、ずっとデッサンしてたいんですけど。
そんなにいっぱいあるのに。
そんなにいっぱいあったのに。
そう、なんかどれもピンとこなかったので、ただ唯一なんだろうな、あまり立体的に物を作るっていうのが得意じゃなかったんですよね、その4年3年生までの課題の中で。
だから平面しかやらない資格コースに行きたいな、行くなら行こうかなと思って、で、なんとなく資格コースに入って。
で、そこでポスターとか、その広告の課題とかもいろいろあったんですけど、なんかあんまり面白くなくて、それも。
そう。
で、ただ、軽音楽部でバンドやってたんで、そのためだけに通ってたみたいな感じでした。
その学校ちゃんとしてますね、なんか課がいっぱいあって。
そうですね、札幌で初めての、その札幌一律っていうんですか、札幌市立の高等専門学校で、結構有名な建築家の人が最初、初代の校長で。
あ、そうなんだ、すごい。
うん。
北海道ってそんなとこあるんだ。
そうそうそう、割といい学校、今札幌市立大学になってますけど。
へー。
結構ね、自由っていうものをすごく重視してる学校で、髪の毛青かったりしたんですけど、当時。
青かったんですね。
なんで青なんだっていう。
奇抜だ。
なぜ青じゃなきゃいけなかったのかっていうのは、今どうなった、ちょっと全然覚えてないんですけど。
真っ青ですか、全部が真っ青ってことですかね。
そう、1階からブリーチでだいぶ落として、でその後に青入れるっていうことをやってたんですけど。
へー、想像つかないな。
いやーもう恥ずかしい過去ですね。
へー。
結構そんな感じ、僕はそんな感じの学生時代でしたね。
宇田さんどうでした?
僕ですか、僕は学校が、あのほら、東京都立の工芸高校って言って、
もうそもそもそういうグラフィックアーツ科だったり、デザイン科、あと板金なんて言ったっけかな、板金科はなんだっけ。
18:03
そういうのもある。
そう、インテリア科とか、建築関係はなかったかな。
製図は一応インテリア科の中にはあったんですけど、多分免許取れるほどではなかったと思うんですよね。
そんな感じの学校だったんで、工夫がやっぱりパチパチさんと一緒ですごい自由で、
あのランドセル背負ってる男の子がいましたよ。
こう買ってる。
そう、ランドセル背負ってスカート履いてる男の子がいました。
いいですね。
なんかもうすごかったですよ。
それで、ネルトン・ベニック・ジラタンに出てました。
すごいなあ。
どんなだよと思って。
僕はでも比較的多分普通の高校生でしたね。
そんなになんか目立ってなんかやったっていうわけではなしに。
ただ僕もバンドじゃないですけど、ずっとギターやってて、一人で文化祭に出て。
その弾いて歌ってみたいな。
いや歌わなかったですよ。
インストルメンタルだけ。
エレキで?
違うんですよ、アコースティックギターで。
なるほど。
学校聞いて、あの当時、多分当時あんま聞いてる人いなかったと思うんですけど、
サイモン&カーファンクル、ご存知ですか?
僕も学生時代ライブでやりましたよ。
聞いてました?
はい、結構聞いてました。
あのサイフォン、あ、サイモン&サイフォンじゃない。
サイフォン、コーヒー入れるやつ。
コーヒーですね。
理科の実験使うやつ。
そのS&Gの、S&Gって言っちゃいますけど、S&Gの、あのアンジーって曲があるんですよ。
ああ、アンジーってサイモン&カーファンクルなんですか?
あれは違うんですよ。
違うんですか?
サイモン&カーファンクルがコピーしてた、コピーしてた。
あ、そうですよね。
そう。
ローリングストーンズでしたっけ?
いやー誰だかわかんないですよね、僕も、アンジーって。
アンジー。
弾いてる人がすごいおじいちゃんだった話って言うんですけど、それをリスペクトして、サイモン&カーファンクルがサイモン&カーファンクルのアルバムの中で弾いたっていうやつがございまして、それを勘コピしたんですよ。
おー、なるほど。
そう、それ1本だけで文化祭で出ました。
お、なるほど。そうなんですね。
そう。
アンジーはやっぱりローリングストーンズっぽいですね。
えー、アンジーってやつじゃないですか?違う?
いや、えっとね、サイモン&カーファンクルのアンジーは違います。
違うアンジー。あ、違うアンジー。
全然違います。
アンジー違いだったようで、失礼しました。
そうそう。
なるほど。
そうなんですよ、そういう学生時代だったっていう。
パチパチさんと近いですね、やっぱクリエイティブにすごく興味があった。
創作活動というか。
そういう学生時代でしたね。
うん、なるほど。
特殊な学校だから、いろんな人が集まるんですよ。
21:01
はいはいはい。
なんだろう、その当時って。
そう、僕らの時代って、高校って学区が決まってたじゃないですか。決まってたんですよ。
うん、決まってますよね。
えー、枠外で高校を受けられないんですよ。
自分の住んでる地域の学区内だけで高校を選ぶっていう。
はいはいはい。
その制度がございまして、それがなかった学校なんですよ、唯一。
あ、そうなんですね。
そう。
いろんなところから来てたんだ。
一応、東京に住んでるっていうのは大前提なんですね。
あー、都内は都内。
そう、都内が学区って言ったらいいのかな。
都内全部どこでもいいよね。
そうそうそうそう。
なので、いろんな人が集まってましたね。
八丈島からわざわざ来た人も。
えー。
八丈島から、おばあちゃんが東京に住んでるから東京に住む。
東京なのか八丈島なのか東京なんですけど、
その、なんだろう、本土の方に住んでるから、
おばあちゃんのとこに住みながら通ってるとかいう人もいましたね。
いいですね。当時から多様性に富んでいて。
そうですね、もう。
それはそうですね。
もう、ランドセルしとってる人もいたし。
結構学生時代をどう過ごしたかっていうのは。
そう。
なかなか、大事とまでは言わないんですけど、その後与える影響っていうのがあるかなという気はしますけどね。
そこでそうだ、そこで肝心の学科の話なんですけど、いいですかね。
はいはい。
グラフィック扱って言って、完全に印刷特化の学科なんですよ。
で、そもそも僕そこの学校なんで入ったかっていう説明してませんでしたっけ。
はいはい。
してないです。
単純に、僕その当時鎌田って言って、東京の南側に住んでたんです。
はいはい。鎌田工信局の鎌田。
そうそうそうそう。
はい。
もう東京の端ですね、一番南端に住んでたんです。
そう。
で、そこからちょっと親の都合で川口に引っ越すって話が出てて。
埼玉の。
そう埼玉の。
僕が前に住んでた川口。
そうそうそうそう。
はい。
引っ越すって話が出て、ちょっと待ってくれと。
それ引っ越しちゃうと学が変わっちゃうから、さすがに工芸高校でも受けられなくなっちゃうって話になったので。
引っ越しを6月か7月に伸ばしたのかな。
新学期が始まって、その後に引っ越す。
とにかく合格してから引っ越そうっていう話になって。
要するに東京の学校受ける際に、鎌田の学区だと川口引っ越しちゃうと遠いじゃないですか、すごく。
はいはい。
だけど工芸高校って文教区にあるんですよ。
あ、そうなんですね。
そう。東京のど真ん中。
上の方ですね、だいぶ。
真ん中辺にあるんで、あ、川口と鎌田のちょうど間ぐらいだなっていうことで、工芸高校入ったんですよ。
24:01
場所で選んだ。
場所で選んだっていう。
それでたまたま、もちろん中学の頃からイラスト好きだったから、じゃあグラフィックアーツ科に入ろうっていうことで、グラフィックアーツ科に入ったっていう、そういう流れですね。
なるほど。
当時は南北線はまだ上まで行ってなかったか。
南北線、多分なかったと思います。川口はもう本当に京浜東北線以外なかったですね。
あ、じゃあどっかで乗り換えて、お家とかで。
そうですね、お家じゃなくて、単純に秋葉原で中央線で水道橋行くっていう感じですね。
あ、水道橋だったんだ。
うん、水道橋だったんですよ。
東京ドームの目の前です。
あ、そっかそっか。
僕の前の職場もその辺でした。
あ、言ってましたね。
そうです。
飯田橋でしたっけ。
僕はね、かすがだったんですけど、大楽園よりもちょっと北側というか。
あっちだとそうですね、確かに電車が違いますよね。
あ、そうなんですか。
地線でしたっけ。
僕も川口から通ってたんで。
あ、そっかそっか。
そっかそっか。
そうそう南北線で乗り換えとかしてましたけど。
だったら乗り、一番最初は京浜に乗るっていうのは変わらなかったですね。
まあね、いろいろと近いですね、場所も近かったし。
そうなんですよ、不思議な映画を出すのとやっぱりいろいろあって。
それで、その後ですね、いざデザイナーにどうやってなったか話をまた全然してないんですけど。
そうですね。
そうですね。
話なくなっちゃった。
僕はね、そこで就職活動を結構やる気がなかった部類の人間でですね、
一社しか面接受けてないんですけど、そこ落ちてるんですけど、
Canonのね、なぜかGUIっていうかGUIのグラフィックユーザーインターフェースですか、
カメラの表示部に出るアイコンとかのデザインをするような部門を。
またすごいピンポイントなとこですね。
意外にその、何だろうなって、そのデザインというか、デザイン系の募集みたいなのがあんまりなかったんですね、
多分グラフィック系のものが。探しきれなかったのか。
そうなんだ。
で、なんか。
あ、でも確かに。僕らの頃って就職氷河期ですよね、ちょうど。
そうそうそうそう。
多分売り込みもなんかいろいろしてて。
Canonだったらみんな知ってるしいいかなみたいなぐらいの感じで面接に行って。
面接は東京であったんで、その時に上京して結構面接でやらかしたっていうか。
やらかしたんですか。
今ここを受けてるんだけど、入社したらもう広報とか宣伝に回してくれみたいなことを入社してもいないのに言い放って。
で、なんかCanonっていう社名が観音から来てるみたいなちょっとしい伝説というか噂みたいなのがあって、それをどうしても確かめたくて。
27:02
それがどうでもいいことを聞いて。
あれ本当じゃないですかね。あれ、違かったっけ。
多分本当なんですよ。
本当ですよね。
そうですよみたいな感じで。なんか面接家は苦笑いしてましたけど。
そうなんだ。
で、そこをやっぱりというかあの時落ちて、それですぐやる気なくなってもうどうしようかなみたいな感じだったんですけど。
1個上の先輩が代理店に、道内の代理店に勤めてて。で、その人経由でちょいちょいなんかそこにバイトに行ってたんですよね代理店に。
さらにそのもう1個上の先輩もいたので。で、ちょいちょいデイリーもしてるから。
あの就職も決まってないんだったら社長に会ってみるみたいな感じで面接みたいなのしたんですけど。
しばらく温身不通でもうダメだったのかなと思ってたらいきなりまた連絡きて社長にいざ会うって感じになって。
で、するとなんか入社したみたいな。
良かったですね。
うん、感じだったんですけど。
結構ね、当時北海道では割と入りたくてもあんまり入れないっていうぐらいの代理店だったみたいで。
同期が10人以上いたのかな。
へー。
みんなね、なんかでも何回も集団面接繰り返してその中を飼いくぐってきて頑張って入社した人たちばっかりだったんで。
僕はなんかいきなりポンとこれで入ってきたような感じのやつでめちゃくちゃ馴染めなかったんですね、同期に。
いやでもね、アルバイトしてたっていうのが大きいですよ。
元々そういう人柄とか分かった上で入社できるっていうのは。
そこがもう採用側もやっぱり判断基準としては大きいですよね。
いたっていうか。
そうなんですよ。
なのでなんかどうしてもその会社に入りたいとか、どうしてもそのデザイン、グラフィックデザインやりたいっていう思いもそこまでないっていうか。
そうなんです。
感じでなんとなく今就職するんだったらこういう道しかないかなっていう感じでデザイナーになったっていう感じですよ。
僕はちょっと違うんだよな。
僕の方はあれですね、その後継高校に就職の募集すごいいっぱい来るんですよ。
特殊な学校なので。
多分就職先一番困らなかったかだったのかな。
印刷業界がまだまだ元気な頃だったんで。
そうですよね。
だからどこでもいいやと思って受けたのが突販と、突販って名前言っちゃいけないのかなここで。
入ってないんだったら別に。
そっか、いいのか。
で、そこ最終的に入った会社。
入ったところ、もう一社と。
もう一社っていうのが大きい新聞社の参加の製版会社だったんですよ。
で、その製版会社に入って、そこでしばらく10年ぐらい。
30:05
10年もやってないか。
6年ぐらいかな。
6年ぐらい製版作業やってましたよ。
よくやれましたね、6年も。
そうなんです。
いや、それがですよ。
僕も最初デザイン何もやらないじゃんと思って、
ちょっと嫌になって会社辞めようかなって思ってた時期もあったんですけど、
結構製版作業やると楽しいんですよ。
意外に。
そうですか、デザイナーってちょっと初心っぽい人多いから、
細かい作業が好きな感じの方多いですよね、僕もそうですけど。
細かい作業と、なんだろう、フィルムをいかに節約してそのレイアウトを焼き付けるかっていうその考え方が、
やっぱり上手い人と下手な人って分かれますよ。
差が出るんですね。
くっきりと。
そう、すごい差が出るんですよ。
そこにちょっとテクニックの、なんだろう、上達ぶりがね、自分でも分かるんですよね。
やりがいというか、成長が伺える。
成長がね、見えちゃったんですよ、僕も。
なるほど。
そこにちょっとやりがいを感じあって、読めなくなっちゃいます。
気づいたらどこでもやってる。
気づいたら後輩、いっぱい後輩に教えてたっていう。
無視になってたみたいなパターン。
なるほど。
いやー、君優秀だから教えなさいよって言われちゃうと、
ああ、優秀なんだ、よかった、じゃあって教えようと思って、その気になっちゃって。
褒められるとやっぱりそんな気になりますよね。
僕も学生の時、寿司屋でバイトしてたんですけど、
君なんかそう、盛り付けとか仕込みのセンスめちゃくちゃあるから、絶対料理人になった方がいいよって散々言われて、
なるべくちょっと本気に仕掛けてなってしまった。
その道行ってたら面白かったのに。
それはそれで、今も結構料理好きなんで、楽しんでやってたかもしれないですよ。
今よりむしろ充実してたかもしれないですよ。
料理はね、いまだに結構好きなんで。
ああ、そうなんだ。
割れながらセンスあると思いますね、料理をむしろ。
僕料理全然やらないんで、羨ましいですよ。
あ、そうですか。
怖くて。
自分で作って自分で回すいって思ったことが何回もあるんで。
そういう失敗はね、やっぱりありますけど。
なんかなんだろうな、これとこれを組み合わせてこういう味付けにしたら絶対おいしいはずだっていう、マジネーションが止まんないんですよ、なんか。
できる人できるんですよね、それがね。
全然わかんないから。
だから本当は料理人になった方がよかったのかもしれないですね。
そうですよ、きっと。
ちょっと料理系YouTuberに今からちょっと転身しようかな。
いや、いいんじゃないですか、たまには料理を。
ちょっとかなり劣等者ね。
そうですね。
あれですけど、何の実績もない奴がいきなり始められないっていう感じですけど。
そんな感じでしょうかね、今日のお話としては。
33:00
そうですね。
僕の方あれだ、なんでデザイナーになった最後のところがいいんじゃないかもしれない。
本当ですか、内容が同じだったら過去回を聞いていただくってことですけど。
かぶってないんだったら。
すぐ終わっちゃいます。
じゃあ、宇多さんの容赦した経緯を。
結局その会社、製飯会社、最初に入った製飯会社が2000年をめどにIT化に一気に振り切ったんですよ。
なるほど。
それでDTPが主力になって、自然とデザインもやるようになるじゃないですか、やっぱりDTPもやるってことは。
そこでようやくアドビューに、アドビューに触れるようになって。
30越えてからかな、やっぱりそれちゃんとやるようになったのって。
そうなんですね。
そうなんですよ。
それ30越えてからようやくちゃんとインデザイン、あの当時のインデザインひどかったけど、
インデザインって、観光庁の候補士をやるようになったんですよ。
はいはいはい。
そのあたりからちゃんとしたデザイナーになり始めましたね。
ようやく普通のデザイナーですって言えるようなデザイナーになれたというか。
なるほど。
遅咲きなんですよ、僕。だから。
意外にそうなんですね。
そうなんですよ。
業界には長くいらっしゃる。
長くはいたんですけど、そんな感じです、僕は。
はい、ありがとうございます。
デザイナーの給頭室。
はい、いかがでしたでしょうか。
今週のデザイナーの給頭室、そろそろお別れの時間となりました。
今日は2人がデザイナーになった経緯というテーマで、ちょっと幼少期の頃に遡って、
いろいろ2人がどういうものに興味を持って生きてきたかっていうお話をしてみました。
あんまり僕はそんなにデザイナーになりたくて、なったわけじゃないのにみたいな感じかもしれないですね。
料理人になってたほうがよかったかもしれないですね。
そうですね。
普段料理人のほうがよかったかな、よかったかなって俺勝手に決めちゃってるけど。
そうですね、もし万が一料理チャンネルを僕が立ち上げてたら温かく見守っていただけるとありがたいですね。
僕もあれですもんね、僕もゆるっとふわっとデザイナーになったって感じですもんね。
まあそんな感じでも、うまく生き延びてやってられるっていうことがありがたいかなという感じでしょうかね。
デザイナーの給頭室では皆様からのご意見ご感想をお待ちしております。
36:04
TwitterのDMはYouTubeのコメント欄などからどしどし寄せください。
またハッシュタグデザキーをつけて投稿してもらえるとリプライアリツイートをしに参ります。
お気軽に投稿してください。
次回は5月12日木曜日21時ごろお耳にかかります。
本日もありがとうございました。
お相手は私パチパチと、
ルタでした。
バイバイ。
36:42

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