1. 勝手に”ドキュメント72時間”をしゃべるラジオ
  2. 第48夜『樹木葬、桜の下のみん..

墓石のない「樹木葬」はお墓参りのハードルを下げるかも?

語ったエピソード:選「樹木葬 桜の下のあなたへ」(2019年5月24日放送)

00:00
今回は「樹木草 桜の下のあなたへ」ということで
これ2019年の5月24日放送なので
過去回ということで
シェルゴ決策戦という形で話していければと思っています
樹木草って木に葬式の草なんですけども
今回の舞台は東京の郊外にある大型霊園で
普通のいわゆる石のお墓に混じって
桜の木の下に眠るっていう桜の樹木草が
点在しているっていう場所になります
ここに訪れる人はどういう気持ちなのか
ここを今自分の知ってる人が入ってるんじゃないけど
これからお墓を買う人とか
そういういろんな人が来てる場所
じゃあその人はどういう気持ちなのか
っていうのに密着した会になります
ということで本田さんいかがだったでしょうか
はい当然樹木草ということで
墓地というか霊園に亡くなった方に
会いに来る人っていうのが基本的には大半なわけですよね
だからこう皆さん会った人
それぞれここに入るんだっていう人もいましたけど
大抵は亡くなった方について語るっていうことで
結構そのエモーショナルな会だったなとは思うんですけど
ただこの樹木草ということで
しかも桜なんですよね
すごく4月の桜満開の時期に撮ってるってこともあって
絵がすごい華やかっていうか
そうなんですよね
桜満開でしかも結構その下も皆さん色とりどりの花とか
いけたりとかしていて華やかなんですよ
で結構皆さん散歩が寺間とかみたいなのもすごい中あって
思ってるその墓地で亡くなった方と涙の別れみたいな感じというよりは
もちろんその亡くなった人を思う気持ちはすごくあるんだけれども
少し笑ったり
ご飯とか食べてましたよね
近くの人がご飯食べたりっていうような
いい意味でフラットに一緒にその地下と一緒に暮らすみたいなのも含めた形があるなと思ったのが
この樹木草の会かなっていうのがまず一つですよね
本当そうですよね
そのお墓っていう言葉のイメージ
墓地っていう言葉のイメージとはなんか絵は真逆ですよね
真逆でしたよね
桜が散り満開でそこにみんな子供たちが来たりして
このお墓参りっていうのの結構本質というか
一個の側面を見せてるなと思ってて
これこの中でもいろんな人が言ってるんですけど
03:03
その人が亡くなったお墓参りをすることによって親戚だったりとか家族が集まる
昔の仲間が集まるっていうそのきっかけを作ってくれたみたいなこと結構いろんな人が言ってるんですよね
そうですよね
それってでも別に樹木草に限らずそういう側面で絶対にそういう
このお墓参りとかにはあって
そういうのがより強調される
明るいからこそみんな集まっては
もちろんお花添えたりとかするけど
それでも子供たちはなんだか分からなくて遊んでたりするわけじゃないですか
ちっちゃい子とかは分かんないから走り回って
お花見なのかなーみたいな気持ちで来てる子もたくさんいるわけですよね
でもそういう雰囲気があるからこそ
なんて言うんだろうな
楽しげって言うとちょっと違うけど
なんていうの幸せな感じとか安らかな感じがよりするんですよね
本当そうですよね
これ桜の時期じゃないですか
だからちょっとお花見気分みたいなのもやっぱり当然あるわけで
その特に普通のお花見だったら
みんな誰しも彼氏もが来てお花見とかって感じなんですけど
ここの場合だと当然お墓的なものに用がある人しか来ないわけですよね
だけどお花見みたいになってるんですよ
そこがちょっと良くて
一応お墓参りっていうハードルはあるんだけれども
でも逆かなどっちかというとお墓参りっていうものに対して
花見が一緒にできるみたいな感じのハードルの下がり方もあるなと思うので
それが来てた人が言ってたんですけど
お花見だけじゃなくてこれからの季節他の花も色づいたりとか
芝生が青々としてきたりとかって
式を楽しむみたいなこともおっしゃってたんですよ
別にこの桜シーズンだけじゃなくって
ここの樹木草みたいなところに来る人の感覚としては
そういう式も感じることができるっていう
なんか変な話一石二鳥みたいな感じのものがあって
これってすごい別にいいことだと思っていて
基本的にやっぱりこういうお墓とかも含めて
死者って生者のためにあるっていう言い方もあるんですよね
生きてる人が亡くなった方とどう受け合いたいかっていうところのために
お墓とかがあると
その時にこの樹木草っていうのが
ものすごくフラットに式も感じながら
その人と一緒にいるような感覚になれるし
かつ樹木草っていう植物自体が生命を感じさせることで
またかもその亡くなった人が生きてるようにも感じるっていう
06:01
そういうふうに生きてる人がそう感じることができるっていうことの
そのなんていうんですかね
その記号というか
ものとしても樹木って役に立っているから
なんか全体的に前向きって言ってもおかしいんですけど
何かすごくライトな感じが
いい意味のライトな感じがするっていうのがこの回で感じたことですよね
なんかそのこれこのシーンでこの回の中でも出てくるんですけど
実際どこに眠ってるか分かんないみたいな
分かんない
出てくるじゃないですか
その要は樹木草って別に
木一本一本にいたりして一人眠ってるとかじゃなくて
じゃない
広いところに木があって
そこに何個か穴っていうかがあって
そこに骨が埋めてあるみたいな感じなわけですよ
本当にどこにいるかっていうのは
その手前にある石のプレートを探すしかないみたいな
そうなんですよね
久しぶりに来ると分かんなくなっちゃう
どこにいるんだっけみたいな
みんな結構探してるみたいな
そういう距離感があるからこそ
お墓参りの本質っていうか
だしより石の分かりやすい
宝石がないからこそ
ちゃんと目に見えないものを信じる大切さみたいなこと
とか
究極だってそこに来ても
お墓ってか石があるわけじゃないから
何を見るんだみたいなことあるわけじゃないですか
そこに眠っているっていう
目に見えないものをちゃんと信じることを
再確認できる
ここに来てる人たちもそういう気持ちだからこそ
より死者との繋がりが強い
亡くなった人との繋がりが強い感じが
今回出てきた人たちからは感じた部分ですね
当然個人が自然に土に帰りたいって言ったから
こうしたみたいなところはありながら
そうすると本当に土に帰っちゃってるわけですから
物質的にはやっぱりないわけですよね
だけど気分としては
この辺にいるというのを感じるなっていうところもあったし
あとその人が言ってたんですけど
ここでそれこそ一人一つとかじゃないから
結構シェアしてるんですよね
横にも全然違う人がバーっていたりして
そこで全然別の人が別の人のために
お花を行けたりしてるから
いつ来てもお花は綺麗なんですよ
みたいなこともあって
09:02
みんなで弔ってる感じもする
みたいなことを言ってた人いたんですよね
それも樹木草の新しい考え方とか
いいなっていう感じがあって
どうしても母席があると家ですよね
この人の家ここに眠ってますっていう感じで
その人に会いに来る
もしかすると先祖含めて家に行くみたいなところが
伝統的なものはあるとした時に
樹木草の感じだと
本当にまさしく公園にいるって感じなんですよね
家じゃなくて
私が知るというよりは
みんな公園にいますみたいな感じで
その公園に行くみたいなノリがあって
なんかこうもっと安らかっていうか
ライトな感じですよね
あの本当に母席があって
お邪魔しますみたいな感じっていうよりは
みんなここにいるよ
ふわっとみたいなところが
樹木草にはあるなーっていうか
ここに出てくる人たちって
その亡くなった方なのか
そこの来てるご家族の方なのかわからないけど
どちらかが樹木草を選んでるわけじゃないですか
そうですね
だからこそそういう公園感というか
よしとして
そのまさにその言葉通り土に帰るですよね
土に帰って生命の循環っていうと
ちょっと大きいけど
木の栄養というか
金となり花となりみたいな
そういうそのそれを選んでる人たちの
なんか温かみみたいなのも感じますよね
いやー本当にそうですね
あのなんか一方でじゃないですけど
途中であれなに
あの撮影会みたいに感じてきた
お父さんについてったら
そこ普通に樹木草じゃなくて
当然そこ普通の墓石のところもあるんで
行ってみたら娘さんが亡くなってて
そこ普通に墓石だった
え、これ今回樹木草じゃないの?
みたいな感じで
ついていくところあるじゃないですか
でもなんかそこのお父さんが言ってたのは
それはそれで
なんかその亡くなった娘さん
元保育士さんとかで
毎週日曜日に来てたら
そこに友達が
娘さんの友達が来てたり
娘さんの教え子とかが来てたりっていうことがあって
それですごく嬉しいんだって言ってたんですよね
でなんかそれもそれでそういう機能あるんだって思ったのは
なんかそこの墓石というか
逆にそれはもう
戸としてこう
実際にこう普通に立っていることで
生前関わりのあった人同士が
なんか偶然会うというか
わかるわけじゃないですか
あ、この人のために来てくれたんですね
12:00
みたいなものがあって
そういう出会いがある
その生者同士の
亡くなった娘が亡くしてしまったお父さんと
同僚で生前
お世話になってたなぁ
みたいな友達とかが来る
そこのなんか
戸としての墓石があるからこそ
そういう出会いというか
再会みたいなのも生まれるんだっていうのもあって
なるほどなぁと思いました
どっちがいいとか
これはそういうことではなく
この亡くなった方との関わり方って
いろんなパターンがあって
それぞれそういうインターフェースになってるんだな
みたいなことを
逆に対比として思ったなぁ
っていうのがあるんですよね
まさにそのいろいろ出てくる人たちで
じゃあその選びに来る人
樹木草にするかどうかを
自分の墓を選びに来る人っていうの出てきてて
子供がいないから
もう樹木草でいいですって言ってる人も
いるわけじゃないですか
その人たちは何でそういうことを言うかっていうと
これはまあ推測ですけど
子供がいるんだったら
ちゃんと石の墓っていうか
そのお石を持ってっていうのにした方が
いいと思うけど
別にいないんだったら
これ樹木草って管理とかやってくれるんですよね
基本的には
だからコストもかからなくて楽だし
まあいいっていう選び方もあるし
死んだ、亡くなった後の過ごし方を
自分で選べるようになったっていう
そうですよね
っていう感じなのかな
そうなんですよ
それこそその個人に会いに来なくても
隣の感じでこの辺とか行ってきた
別の人とかがあって
そういう逃げ合いがあるわけじゃないですか
それはそれでいいよって思ってるから
樹木草を選んだりしてるっていうのはあると思うんですよね
その方が言ってたように
だってこの話出てきますけど
海に撒いてくれって言われたけど
さすがに撒くわけにもいかないから
樹木草にしましたって人もいましたもんね
ありましたね
でもちょっとかっこいいなと思いますよね
海に撒いてくれって
本当に言ってた人いたんだみたいな
思いますよね
本当そうなんですよね
なんかそういうこう
やっぱりなんだろうな
これまま町田にある大型霊園が舞台ですけど
そのお墓とかお墓参りっていうものが
特別視されるっていうか
何回来だから集まりますとかっていう人も
もちろんいるけれども
こういうお花見を兼ねて来るとかだったりすると
やっぱり最初本田さんが言ったように
ハードルが下がるっていうか
来やすくなるわけじゃないですか
そうですよね
15:00
お墓参りに行くぞってよりは
お花見も行けるから行こうよの方が
それは綺麗だよってね
そうそうその方がやっぱり下がるし
おばんちゃんのお散歩させにとかって
いるわけじゃないですか
そういう新しくこう
亡くなった方との次の出会い方っていうか
一緒にいる距離の測り方を
うまく調整っていうか
考えられるデザインできるのが
すごい樹木草だったりとかのいいところ
なんだろうなっていうのはすごい
このお墓参りを通して思ったし
これは桜のシーズンだからこうやって綺麗だけど
他のシーズンでも植物が
咲いたりするわけじゃないですか
それはそれとも
だからそういうところでも
別に桜だから人が来るってわけじゃなくて
常日頃本当に綺麗な公園って言えば
ぱっと見はね何も言われなかったら
そう見えるぐらいのところで
やっぱりそういうその自然の中で眠る
みたいなことの魅力っていうのが
つまんじゃないかなと思いますね
なかなかねこの変な話
どういうお墓入ってんですか
みたいなことって人に聞けない
宗教的なところも含めてですけど
なかなかじゃあ自分って
どういう墓入りたいんだろうとか
なんかっていうことも考えたとしても
聞くことがないっていうか
いう中ではっきり言って
僕樹木草って全然これ見るまで知らなかったっていうか
そういうのあるんだっていうか
思ったぐらいなんで
自分の中の選択肢も
一つ広がったような気がしますよね
別にこれにやりたいかどうかと言ってたとしても
なるほどこういう樹木草っていう
あり方があるんだっていうのが
普通にしてたら見えてこない
世界だなと思うので
そういう意味でも
勉強になったってのもおかしいですけど
人生としてなるほど
こんな選択肢もっていう理解の一つになる
いや本当そうだと思います
そんなことを結構考えさせられる回
放送自体は2019年ですよね
コロナ前ではあるけど
これは結構コロナ前の作品を
ドキュメント72時間を見ると
今と違うなみたいなことを
結構思ったりするんですけど
これは全然違わないっていうか
そういうのはなかったですね
そういうのがなくてやっぱ普遍的なものだなっていうのは
すごい感じましたね
改めて
18:00
これは何が来ようとも
続いていく風景であり
続いていく人の気持ちであり
続いていく場所なんだろうなあとは
この桜の木と同じように
そういう長い年月を
ちゃんと長い年月に耐えられるものなんだろうな
っていうふうに思いますね
うんそれは本当そうですね
そんなことを思う回でした
大丈夫そうですかね
そんな感じですかね
はいありがとうございました
ありがとうございました
♪~
19:05

コメント

スクロール