酷道439、トンネルを抜けたら
真夜中、コンビニの駐車場で。
このポッドキャストは、一つの場所を72時間にわたって定点観測する、
某公共放送局のドキュメンタリーを大好きな2人が、番組についての感想や愛を語ります。
今回は、ゆきゆきて酷道4作という回について話していきます。
これは、2016年の6月初回放送の傑作戦になります。
タイトルの酷道というのはですね、いわゆる普通の酷道の439号線ではあるんですけど、
タイトルはですね、ひどい道と書いて酷道なんですよね。
で、まあ、これなんでひどい道かっていうと、三貫部で幅が2メートルしかないみたいな、
そもそも道がひどいから酷道って言われてるんですけど、
その4作を3日間で走破するっていう、
まあ、なかなかこう72時間の中でもなかった企画の回になっております。
ということで、本田さんいかがだったでしょうか。
今回ね、道シリーズなんですけど、
もう、72時間来る無茶が過ぎるぜって思うぐらい、
これを選ぶかっていう、本当にね、酷道っていうのはひどい道なんですよ。
酷道とは思えないというか、
実はね、これまでも酷道16号線の関東近縁をね、
幸福路ですよね。
そう、大きな酷道が通って斜線もあって、
ロードサイドにいろんなお店があってっていうような道編をやった後に、
打って変わって幅2メートルとかっていう、
本当に最難関のところとかマジで怖い、
怖い道だったじゃないですか。
なんかこれ、僕ら最初あらすじ喋るときに、
大体NHKオンデマンドとかのやつのあらすじ見ながら大体喋ってるじゃないですか。
でもこれ最後に書いてあるんですけど、
日本の原風景に出会うって書いてあるんですけど、
あまりにも原風景すぎるだろっていうところが何個か出てくるじゃないですか。
なんでしょうね、全てを通じて驚々しいんですよね。
さすがに見たことなさすぎるだろみたいな原風景が多すぎて、
ちょっとやばいですよね。
本当に途中いろんな話出てきますけど、
それこそ兵家のおちびと伝説とか、
マムシを食うとか、
極めつけの人形がたくさん。
かかしの村ですね。
それも後で話すとして、
全てにおいて驚々しさがある原風景といっても、
豊かなというよりは、
ある意味ちょっともののけ姫的な、
もののけが住んでるかもしれないみたいな感じの、
驚々しさの方の日本の原風景っていうところがあって、
これ放送が2016年ですけど、
7、8年経ってもあまり変わってはいないと思うんで、
これが未だにあるのだっていう、
日本最後の秘境だよなっていうのが、
四国三地を貫くってこういうことなんだなって。
本当ですよね。
よく僕らのこのポッドキャストだと、
平成っぽいねとか昭和っぽいねとか言うじゃないですか。
本当に原風景ですもんね。
年号とか超えてますからね。
やっぱりマムシは焼いたやつ食べるんだけど、
心臓は生でパクッと食べたほうがいいんだよとか、
聞いたことないですかね、そんなセリフ。
リアルで言う人は聞いたことないですよ、なかなか。
かと思えば突然、
クジャクとガチョウだけの動物園みたいなのが出てくるわけじゃないですか。
施設動物園がね。
やばいじゃないですか、あれを。
動物園っていうかっていう感じですよね。
そうですよ。
ニワトリ小屋みたいなところに、
クジャクとガチョウだけが残されている。
厳密に考えたらいろいろダメなとこですよ、あれは。
そうですよ。
そういうのとかじゃないじゃないですか。
暮らす中で動物園になって、
村の子供たちに喜んでほしいみたいなことができてるわけじゃないですか。
そういう暮らすうちに、
思わず飛び越え、
暮らすっていうか、みんなの幸せを考えるうちに、
思わず飛び出てしまった部分みたいなのが、
この国道に詰まってるような気がするんですよね。
思わずね、飛び出る。
そう。
カカシの村
さっきのカカシの村の話もそうですよ。
行きますか。
行きます。
ここの余作といえば、
だって一番最初に出てくるのはカカシの人ですからね、この余作の回。
やばいですよ、この回。
とにかくね、たくさんの、
等身大ではないですけど、本当にカカシみたいな人形を、
布とかで作られた服も着せてるんですけど、
いろんな人形作るんですけどね、
実際にこれまで生きてた人とかを見せて作ったりとか、
おばあちゃんが死ぬ時に私の分も作ってね、みたいな感じで言われたとか作ってたり、
あれも本当に言われたかどうか定かではないですよ。
それでね、自分の服で、
ちゃんと隣人の人の服で作ってみたいな。
やっぱ一番怖かったのは自分のカカシがいることですよね。
最後はってことですよね。
もうすでに自分のカカシがいるっていうのが一番怖かったですけどね。
最後の方のナレーションもありますけど、
集落の多くが数十年消滅していく。
今こういう集落はどんどん消滅していくんですよね。
絶対だからこそだと思うんですけど、
もう今その人形の方があの集落では多いみたいなことになって、
そうですよ。
最後には自分があの人形になって、
この集落には人形のみが残されるみたいなことになるわけですよね、おそらく。
それが彼女が、おばあちゃんが淡々と一個ずつ作っていくっていう。
いや、なんか怖いです。
シンプルにね。
シンプルに怖いです。
なんかシンプルに怖いんですけど、
ドイツの留学生かなんかが、
このカカシの村について、
もともと撮影したのがきっかけで海外で流行ったんですよ。
そのドキュメンタリーってか、本当に短い映像なんですけど、
それをちょうどこの回を見る、今回傑作戦で扱うってなって見たんですけど、
やっぱりそれの映像で見るとすごくこう、
海外から見てるっていうのもよりあると思うんですよね。
ドイツから来た留学生が見てるっていうのもあるからだと思うんですけど、
すごくオリエンタルな感じで、
すごくこうなんて言うんだろうな、本当にやおよろずというかアミニズム的な考え方というか、
そういうところがすごく前面に出てて、
さもいい素晴らしいアジアのカルチャーであるみたいな感じすごい見えるんですよ。
でもやっぱり怖いじゃないですか、単純に。
怖い。
そういうやおよろずの神とか、そういうの別に物訳がいるとか、
別に信じる信じないってことじゃなくて、なんとなくそういうこともあるよなとか思っている中でも、
やっぱり怖いんですよね。
国道遊作、強制終了
やっぱり狂気を感じてしまうよね。
あとなんかシンプルに怖いみたいなのもあって、
面白いのが、72時間って基本的には24時間チェックするって、
この間も島根の宮本平沢で、夜待ってたけど誰も来ませんでしたっていうと、
今回の国道遊作ってトンネルに差し掛かって暗すぎて、
これ以上車で走行するのが危険なため終了するんですよ。
やばいですよね、初めてじゃないですか、強制終了。
シンプルに危険なため暗すぎて、街灯もないし危険なため終了っていう、
これも意外と72時間でここしかないんじゃないかなっていうぐらい、
シンプルに危険なため強制終了っていうのが発生するという、
いわゆる太古の昔の夜は闇に包まれ危険だみたいな、
字で言ってる。
いいですよね。
本当にシンプルに暗いのは怖い、危ないみたいなのもあるっていう、
そんなところまで予測は見せてくるのかっていう。
ボコボコのガードレールとか最初出るわけですからね。
バスが落ちてるみたいな道から。
やばいですよね。
そういうのもあるし、やっぱり途中で男の人が、
これ実家なんだよねって言って、上の方から見下ろしてるじゃないですか、
ポツンと一家みたいな感じで、家がポツンと山合いみたいな、
その集落はみんないなくなってしまって、
その男の人も別の町に住んでるんだけど、
たまにそこに帰って、中でぼーっとするとかって、
あれもすごいことだなと。
そういうふうに、どんどんどんどん、
いわゆる予測ですらモータリゼーションなんですよね。
ですらっていうのもおかしいんですけど、
予測という国道があることで、
まだ物流的な、彼が出ていった集落とかは、
その予測すら通ってない遠くにみんなやって、
それで集落が終わっていくっていう状況があって、
本当にここ数十年の色々なしくじみたいなのがやっぱり見えてくるし、
途中で予測一番の人通りが多い通りみたいなのがあったじゃないですか。
道の駅があるって言って、
車こんな止まってるよみたいな。
予測にもそんな一面があるわけですよね。
っていうところのキャップというか、
わかりやすく最後ですよね。
一番最後は山合いからどんどん景色が引いていって、
逆に言うと16号のときに見たような、
日本人が見慣れた街の景色で終わっていくじゃないですか。
いわゆる山合いを走るカートレールがなくて、
みたいなところの国道の予測から、
最終的には見慣れたいわゆる国道の形で、
この回自体がそういうテーマで作られる。
それが非常にわかる仕掛けに、
これは傑作だなっていうか、
いろんな意味での傑作だなと思う。
千と千尋みたいな話ですよね。
トンネルくぐって異世界があるじゃないけど、
本当にそういう話ですよね。
道行く人に話聞いてくるんですけど、
これまでと違ってこういう場所に密着してるんですとかじゃないから、
ただ予測通ってるだけなんですよね。
だから予測通ってきたんですけどとかって人たちに言うんですけど、
みんな何のことかよくわかってない。
意味がわかるんですかね。
予測通ってきて取材してるってどういうことなんだみたいなね。
なんだって話通じてないんですけど、
そうですかみたいな感じで言いなされるんですけど。
最後の方ですよね。
最後の方ですね。
でもすごい受け答えが上品なんですよ。
少女みたいなおばあさんですよね。
あれっていうか、
あの方ってどうやったら出会えるんだろうかってすごい不思議な。
本当に今日からゴールデンウィークですけど、
ここからあんまり電気わからん感じもあれば、
あらそうですかみたいな、
いわゆる標準語なんですよね。
方言と標準語を行き来する漢字も含めてなんですよね。
そういう高知弁が出るかと思えば、
あらまあみたいな、
それこそ少女みたいな漢字が出たりして、
で、よくわからず飲んでいってくださいって差し出されるリアルゴールド。
あのいろんなギャップっていうのがすごく不思議というか。
なんかあれすごいですよね、あのおばあさん。
それこそ情報化社会みたいなのの反対じゃないですか、完全に。
完全に逆じゃないですか。
で、なんかそういう別にそれはなんだろう意識してっていうよりも、
本当にただ環境がそうであっただけでそうなっているっていうところ。
生きてる。
そうそうそう。
でなんか、
まあなんていうかこう、
情報がいろいろ与えられるようになって、
なんか割といろんなことを考えるようになってしまったとも言えると思うんですよね。
なんか情報化社会って。
それはその、
SNSとかも別にそれだけじゃないですけど、
他の人とより比較しやすいようになったみたいな。
なんで自分はこんな働いているのにあの人よりお金もらってないんだろうとか。
なんかそういうことをすごく、
インフルエンサーみたいなことでもそうですけど、
なんか意識するようになった中で、
なんかこのさっきの少女みたいなおばあさんって、
なんで働くのかとか、
そういうことすら考えず、
日々こう淡々と、
黙々と粛々と生活してるんだと思うんですよね。
でなんかその、
すごく尊さというか、
もう一方でそれって不可逆なものだから、
日本の原風景と上品さ
僕らはもう知ってしまったからそういうことやっぱ考えたりとか思っちゃうわけじゃないですか。
でもその不可逆に晒されてない純粋さみたいなことを、
本当になんかあるんだなぁみたいなことを、
やっぱ結構感動しますよね、見ると。
すごいなぁと思って。
そこにあって明らかにはもちろんしてるんだけど、
あの上品さみたいなところが出てくるところを含めて、
日本ですよ。
いわゆるその山口さんが言った通り、
すごく今まさに現代的な情報化はなされてないんだけれども、
彼女はおそらくだけど、いわゆる学校教育的なところで、
高知にいるんだけれど、
本当に当時日本中にこういう方がいたのだっていう、
上品さも兼ね備えているわけだ。
そのなんかギャップというか、
そこのやっぱり日本のすごさも見えてくるというか、
はっきり言ってそういう敵地みたいなところでも、
こういう標準語をきれいに、
山中格苑と余作の特徴
よそから来た人を丁寧に受け答えする上品さも、
隅々まで行き渡ってるわけじゃないですか。
そのすごさみたいなのも見えるし。
なんかこう、
日本とはみたいな、
日本人ってみたいなことじゃないですけど、
日本ってそれこそ海外とかアメリカとかに比べると、
やっぱ国土も狭いし、
一億層中類じゃないですけど、
大体みんな同じもん見て、
大体同じような価値観でいいみたいな、
なんとなく思っていたことが、
それこそ令和になっていて崩れたみたいに言われてますけど、
そもそもそんなことを言う情報化社会とかの前に、
こういう原風景がまだあったのだみたいなことが、
もっと知られるべきなような気もするんですよね。
シンプルにこんなにも多様であるっていうことを、
ちゃんと足元を見ないからみんな、
日本は同一でみたいな、
ガラパゴスで多様性にさらされるってよくなくて、
みたいなこと言ってるんだけど、
じゃあマムシの心臓生で食べたことありますか?
みたいなことだと思うんですよ。
そういう多様性って別に、
こと最近できた、
あまりにも新しい概念で、
みんな適応しなきゃいけないと思ってるけど、
別に足元にもあるし、
田舎のおばあちゃんと共存できますか?
みたいなそういうことなような気がするんですよね。
ガウス。
そこに余作は結構、
そこのワンツーパンチが入ってるっていうか、
そうですね。
山本さんが言ったように、
いわゆる原風景的なところもあるし、
もう一方で今回は余作っていう国道なので、
これいわゆる田中格苑的なものなわけじゃないですか。
そうですね。
本当に日本の隅々まで、
モータリゼーションで道を作るっていう、
田中格苑によって作られた余作。
何でしたっけ?
もともとは生活道みたいなのが、
村社会の限界と予測の超越
最終的に国道になったみたいなところなんですけど。
そうです。
とはいえ、そういう生活のために道を切り開いていって、
作ったその余作っていうところの、
いわゆる高度経済成長的なパンチも入ってるわけですよね。
それの結果出てきたのが、
よくわかんない動物園とかになってたりとか、
になるんですけど、
その原風景と田中格苑のワンツーパンチみたいなのが、
めちゃめちゃ決まっている回で、
それこそが実は底力を秘めてるみたいな凄みを見せてる回。
そこがポツンと一見屋と違うところなんですよね。
そうです。
一見屋ね、あの番組も結構人気なんですけどね。
あの番組は別に悪いとかじゃなくて、
大きく違うところはそこですよね。
違いで言ったらね。
そこの凄みみたいなところを乗せてくるかどうかみたいな。
やっぱね、途中出てくるサンサイトリのおばあさんとかやばいじゃないですか。
ゼンマイをね。
信じられないほど急な坂でゼンマイとってるおばあさん入ってて、
何しに行くのかなと思ったら土地の持ち主にお礼言いに行って、
結構この村に長い地元の人なのかなと思ったら、
結構意外と最近来たみたいな感じの人だよね。
で、なんかね、その旦那さんと二人で来てみたいな。
旦那さんに聞いたら一人で早く出てきたいとかって言ってるしみたいな。
街に女がいっぱいいるから行きたいみたいなこと言ってるしみたいな。
言いながらみたいなね。
そうそう。
何十年みたいな。
なんかすごい世界だなと思うわけじゃないですか、シンプルに。
あまりにも多様だと思いますよね。
そうですよね、すごみ生きてきてる人。
すごみみたいなのはやっぱお風呂入ってる人とかもいたじゃないですか。
薪風呂入ってる人ですよね。
薪風呂入ってるみたいな。
なんか煙出てるから行ってみたいな。
お風呂入ってますみたいな。
薪とかもなんか本当に異常な量の薪あって、
結構おじいちゃんだのによくあんな薪取ってきたなみたいな。
今日は孫が来るからみたいな感じ。
あのなんか、ぼくとすとすっぱだかでお風呂入りながらインタビュー受けて、
後継者がいないことぐらいですかねみたいな、
あの感じっていうところもあきらかんとしてますよね。
さっきの少女みたいなおばあさんの話じゃないですけど、
比較しないっていうか、
あんまり誰かからどう見られるかみたいなことが、
もちろんなんか村社会だから、
そういうのって自然と気にはしてると思うんですよね。
でもなんか今村社会って、
今のSNS的な文脈で考えると、
なんかもっと村っていう概念が拡大してるような気がするんですよ。
監視されることがより、
昔の村でいう2、30人からなんとなく縛られてたとかっていうよりも、
なんかもっと大勢の人から見られてるみたいな感覚になってるような気がしていて、
そう考えていくと、
実はこういう、いわゆる村社会って言われていた、消滅集落って言われるところでも、
もちろんその場所で暮らしやすい暮らしにくいっていうのは、
特に移住みたいな文脈だと移住失敗とかいろいろあるから、
あるんですけど、
でもこういうのを見ると、
そこで生活を築くっていうことが、
一概にも村社会で息苦しいっていうだけではないというか、
当然なんですけど、
そういうのはすごく感じますよね。
当然いろいろな程度問題があるから、
やっぱ予測はエクストリームなんですよね。
そう、エクストリームですね。
村社会というには、
かなりもうほぼ限界というかギリギリのところまで来ている。
そうですね。
もう本当に最後の卑怯になっているというか、部分があるので、
村社会の嫌な部分みたいなところも、やっぱそこまでじゃないとですね、
そもそも消滅しちゃうからみたいなところがあるから、
だからもう後継者なんていないですかねっていう、
開き直りじゃないけども、そういうもんだから、
でも淡々と木で風呂焚きますみたいなところになってくるでしょうね。
それがもう少し中途半端に規模感があると、
もうちょっと官社会的なこと、
それこそゼンマイ取るの絶対取らせねえみたいな、
土地の持ち主の嫌味に繋がっていったりとか、
たぶんもっと生きづらい、いわゆるの村社会みたいなところに
嫌な部分が出ると思います。
予測はね、もうそれすら超越してるんですよ。
いやーいいですよ。
予測、これもうずっと2016年から僕は言い続けてるんですけど、
同じ工程をたどりたいんですよね。
危険だよ。
そうなんですよ。だからもう命をかけなきゃいけないんですよ、これ。
やるのに。
しかも340キロです。
いろんな人に車を廃車するときには言ってくれって言ってて、
廃車するタイミングでいかないかっていう話をいろんな人に言ってるんですけど、
今のところかなってないので、
誰か予測に連れてってくれる人をですね、募集してます。
募集しています。
というところでですね、今回は以上となります。
ありがとうございました。
ありがとうございました。