2021-08-09 28:00

番外編#02 おせちや幕の内弁当はなぜダメ?今どきのタッチポイントについて話してみた

・なぜ人の話を鵜呑みにしない必要があるのか?

・人の話を鵜呑みにしやすい人の3つの特徴

・その認識って大丈夫?自分の言葉が完全に伝わると信じて止まない思考

・おせち料理や幕の内弁当式の伝え方がなぜ最悪になってしまったか?

・最後にいきなり「ことば」に関する哲学的かつ難しい話をしてみる

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では、CS Harmony Radio 第2回番外編として始めたいと思います。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
今回はですね、私がちょっと本編のエピソード1の第4回だったかな、言ってた、
マルタさんが言ってた話がちょっともう少し深掘りしたいなというところで、
これは何かというと、マルタさんがお客様が言っていることを鵜呑みにしないっていう趣旨のお話をされてました。
ちょっとここをもう少し深掘りたいと思うんですけど、もう一回ちょっとこの辺の話を簡単にしてもらってもいいですか、マルタさん。
毎回全部というわけではないんですけど、お客様が言っていることが必ずしも正しいわけではなかったりする場合もあるだったりとか、
お客様自身もそのニーズとか課題とかが本質的にはわかっていなかったりする場合もあるので、そういうところは注意しないといけないですよね。
であったりとか、あとはお客さんがその時何か求めていたりとか、ただ何か困っていることが一時的で、
割とお客様がこうしてほしい、ああしてほしいって言っても、それ以外の方向で簡単に解決できることもあると思いますし、
そういったところでお客様が言っていることを全て100%毎回正しいわけではないのが思います。
本当にお客様が言っていることが正しい、背景にあるのは何なのか、割とそういうクリティカルシンキング的に接していくということも大事じゃないかなと思います。
ありがとうございます。これちょっと本編で私も喋りましたけど、基本私も人の話半分聞いてないのはこの辺の話に起因するのかなと思ってますね。
何かあんまりイノミニはしないという、まあ疑ってかかるのが研究者だと言われると確かにその通りでもあるんですけど、そういう資産さを持っているかなと思います。
堀さんとかその辺、体験談とか感想とかあります?
そうですね、僕はひょっとしたら皆さんと比べたらまだイノミニする方なのかもしれないですけれども、
同じような経験は結構あるかなと思ってて、ゴールで目指すものを聞いていくと曖昧な状態のまま続いていって、
結局何がしたいのかよくわかんないなぁみたいな話とか、言ってることが真ではないっていう話よりもひょっとしたら僕は言語化できてないっていうシチュエーションにあってる方が多いかもしれないなっていう感じですね。
なんで一生懸命入れてきた言葉はちょっと信じてしまうことがちょいちょいあるかなっていうのを逆にあります。
03:04
僕もそれはなんとなくわかります。今日もその辺の解像度を上げていきたいなと思っていて。
なんでそうなるのかなも含めてなんですけど、逆説的にお客さんの言うことをイノミニするとどうなるんですかね?お二人どう思います?
お客さんの例えば言っていることが7割ぐらい正しかったりして、3割ぐらい他に良い解があるとすると、お客さんに言われたものを例えば出したりやってあげたり、対応を何かしらしていった時に100%お客さんがハッピーになるものって多分出ないだろうなっていうのは思います。
逆にそのある1個客に対して全部何か要求なり言ってることをイノミニした時に、そのお客さんだけは100%もしかしたら満足させられるかもしれないですけど、他のお客さんは必ずしもそうならないだろうなと思います。
なのでお客さんに言ってることが100%正ではない場合にそれを聞いてしまうと、どこかに不正語なり歪みなりが生まれてしまうっていうのはあると。
ちょっとこれ私の体験談的なあれですけど、お客さんの中で整合性が取れてない時あるじゃないですか。
人がですね、AさんとBさんがいて、実はAさんとBさんが言ってること違ってて、Aさんの方をイノミニとBさんに当たりにいくと実は全然違う話になっていて、なんだこれみたいな感じになることってあるじゃないですか。
社内政治なのかわかんないですけど、そういうのも実はあるなぁとは思うので。
全部を聞くのは聞くんでしょうけど、聞くは聞くじゃないですか。お話は。
で、情報をどう取るとか整理するかみたいなところが多分大事なのかなーっていうのは今ちょっと聞いてると思いました。
逆にどうして、これって人によっちゃうのかもしれないですけど、うのみにする人も実際いて、僕の周りでも。
そういう人ってどうしてうのみにするんですかね。
なんかどういう人がうのみにしやすいのかってあります?
パターンぐらいあるかなと思うのは、1つ目はホスピタリティが強すぎるお客様。
これは良くも悪くもなんですけど、そのお客様は神様だ的な精神で、ああおっしゃる通りですっていうスタンスでちょっと望みすぎちゃうと、
やっぱりお客様が言ってることが仮に間違ってたとしても、いやでもお客様が言ってるからみたいになっちゃうのはあるかなと思います。
仮にそうじゃなかったとしてもパターン2としては、そのクリティカルシンキングとかロジカルシンキング、構造的思考力みたいなのがちょっとトレーニングが必要な人。
例えば、AイコールB、BイコールCって言ってるのに、AはCじゃないですよねって言われると、いやAはCじゃないですよねって言っちゃうよみたいな。
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違う違う違う。結構笑い話ですけど、そういうのって結構起きてる気がするんですよね。
なので、その辺りの思考力のトレーニングが必要な人ってそこに気づけないからうのみにしちゃうことはあると思う。
あとは、価格的な視点がちょっと欠けている方とかも落ち入りがちかなと思うんですけど。
例えば、カサマーサクセスがお客様に相対するときって、SaaSのビジネスモデルであれば、個別のお客さんの話だけを聞いて何かプロダクト開発に反映するとか、お客対応するとかって、ある種必ずしも正解じゃないときもあるんですよね。
ある顧客Aが言っていることって、残りのBからZまで数多くのお客様にとっても共通する課題感なのかとか、そのAという顧客が言っていることを信じたときに、BからZまでのお客さんに対応するリソースはあるのかとか、いろんな観点があるんじゃないかと。
お客さんが言っていることは正しいかもしれないけど、でもこれってうちの事業収益的にプラスなんだっけとか、そういう価格的な観点がなくて、自分の視点だけ、顧客の視点だけっていうのだと、でもお客さんが言っているからやらなきゃみたいになっちゃう。
そういったので、割と好みにしちゃいがちな場合はあるんじゃないかなと。
堀さんどうです?
僕はまず頭に浮かんだのは素直な人がそうかなって思っちゃったんで、ホスピタリティーに近いんですけど、松野さんの3分類って独立してるわけじゃなくて、多分それぞれの様子的にこれを持っている人がなるっていうか、そうなっている人はそれぞれの様子で全部当てはまるかなっていう気はするんですよね。
確かに。
たまに政治的な思惑とか、うのみにした方が得だみたいな判断がある場合は例外かもしれないですけど、やっぱりホスピタリティーがむちゃむちゃ高い人だと、クリティカルシンキングとかできてるのにホスピタリティーに優先させてしまってるっていう時点で、クリティカルシンキングが結果的にできてないって見られちゃうので、
その辺りは本人じゃないとわからないところはあるんですけれども、結局それぞれが絡んでくるかなっていうのは思ってて。なんでそう思うかっていうと、僕もうのみにする人を頭に思い浮かべたんですよ。
そうすると、この人はホスピタリティーはあるなと。ホスピタリティーがあるがゆえに結構素直に物事を捉えちゃうから、クリティカルシンキングをあんまりしないなって思うのと、お客さんの言うことを信じたいって思っちゃうから、結構多角的な視点を持たなくなってるなみたいなのが共通して見えてきたんで、今もちょうどそういうふうに思ったんですけど。
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そこに入ると嫌なやつじゃないと、うのみにしないんじゃないかみたいなこともなりかねないんですけど。僕はそうじゃないと思ってて、多分ホスピタリティーって本当に高いのってそういうホスピタリティーじゃないんだと思うんですよね。
人によると思うんですけど、僕だと心がけてることとして、さっき結構話は素直に聞くって言ったんですけど、うのみにやっぱりしないんですよ。どういうプロセスを経てうのみにしてないかっていうことを考えると、自分の言葉で言語化し直したりとか、自分のフレームで捉え直すんですよね。
そこの1工程を経ると、うのみにはしないことになるんですよ。もちろん、ただそれで真っ向から自分の意見をぶつけてしまうとお客さんと折り合わないので、そこは本編でも出てきたコンテクストとかその辺を踏まえた発言にはなるんですけど、
そこにやっぱり自分のフィルターを1回通すっていうところができるかできないかが、そういう人の違いなんじゃないかなっていうふうに僕は聞いてて思いましたね。
最初に堀さんが自分はうのみにしてるかもって言ってますけど、全然してないなと思って聞いてましたけど。
ひょっとしたら、いろんな苦労を一緒に体験してきて出てきて紡いでるから、感情移入しちゃって、その時だけ僕もホスピタリティのバイアスがかかっちゃってるのかもしれないですけど。
僕はヤギさんと違って結構人ドリブンなところがあって。
これはちょっと余談じゃないですけど、僕がちょっと思ってる前提というか、それ以前の話なんですけど、うのみにする以前の話として。
お客さんはちゃんと表現できないよねっていうのがうのみにしないのが多分前提にあるんですけど、
うのみにする人かどうかはちょっとわかんないんですけど、
人は自分の言うことを正確に表現することができるっていうのが多分間違った前提だと思うんですよ。
うのみにしないっていうのは要はお客さんが必ず全部表現できます。
例えばなんですけど、人の言うことをうのみにする前に以前の問題として、
自分が言ってることは100%伝わってるっていう人がちょっと最近私の身の回りにいるので、
ちょっとどうかなと思っていて、その人って実はこっちの言うこと聞いてくれなかったりするんですよ。
聞いてくれない、そういう意味でいうとうのみにもしてくれないんですけど、
自分の言ってることは100%伝わってると思うんで、あの時言ったじゃないですかみたいなこと言われるんですけど、
いや言ったかもしれないけど伝わってないよねっていうのがあって。
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なんか姿勢として100%伝わるっていう姿勢を持っちゃうと、
多分もう何だろう、その先ないのかなっていうのは何となく思ってるところで。
ホスピラリーとか全然そういういい話とは全然別の話にはなっちゃうんですけど、どう思います?ちょっとお聞きしたいんですけど。
いますよね、そういう人。
まずいますっていうのと、そういう人ってなんか自分の言ってることを伝えた時点で多分もう何か満足してるんで、
100%伝わるっていうのもそこの中に含まれてると思うんですけど、
そういう人ほどこそなんか話の一瞬出てきたようなことを急に持ち上げて騒ぎ出したりとか比較的多いかなというふうには思いますと。
ただ逆に自分も気をつけなきゃいけないなって思うのは、自分としては一貫して同じことを相手に伝えてるつもりなんですけど、
相手がそのことに答えてくれないっていう経験を逆にしてて、同じこと言ってるんですよ。
同じことを毎回シチュエーションを変えて言ってるんですけど、やってきてくれないっていうことは多分僕の伝え方が悪いんだっていうところに起因するんですけど、
やっぱりそれって伝えて分かりましたっていうふうに言ってくれるところで、ある種なんか安心しちゃってるところがあるので、
伝わらないっていうのを前提において物事を進められてるわけではないっていうところはちょっと難しいなと思って聞いてましたね。
時間的な問題もあるので100%伝わらないという、絶対に伝わらない前提で言っちゃうと無限に伝えられないので。
そうですね。
なるほど。
丸田さんいかがです?
こういう人やっぱりいらっしゃいますよ。あんまりやっぱり顧客思考とか相手目線とかがない人ですよね。
ザーって言ってしまう、伝えたいことを伝えればそれが伝わったと思ってしまう人。
伝えると伝わるを区別できないみたいな。
そうですね。
若い方は多いんじゃないかなと思います。新卒の方とか。
顧客セッションの経験がちょっと薄い方。
私の身の回りにいる人はだいたい年いってるんですよね。
50代くらいの時かな。
今の丸田さんの話でちょっと思ったのは、考えることが嫌な人がそういう行動を取りやすいかなと思いますね。
相手がもしこう言ったらどうするって、要は相手のことを想像して考える時間を自分の中に作るってことじゃないですか。
話しているとそういうことが苦手なのかやりたくないのかわかんないですけど、やらない人って意外にいるなっていうのはやっぱり思いますね。
メンバーモデルとかもありそうですよね。さっきヤギさんのおっしゃってたある程度年齢がいってる方とか特に。
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前にCS研修とかの一環でやらせていただいたときに、たまたま50代後半くらいの役員の方がいて、そこに優秀な方だったんですよ。
霞が関文学ってあるじゃないですか。一枚の資料にありとあらゆる要素を世知のように詰め込んだあの資料。
お客さんへの資料作成のときにああいう幕の内弁当みたいな、あらゆる情報を詰め込みまくった霞が関文学的資料をオンボイディングで出すとパンクしますみたいな話をしてたんですよ。
そしたらその編集が終わった後にその方がちょっとトコトコっていらっしゃって、これが今まで作ってきた資料は全部あれだったって言われたんですよね。
ご本人曰く、知りたい情報が米印、米印、米印ぐらいのレベルまで全部そこに詰まってたのが、情報を取ってきやすいであろうと。
相手の目線を考えたつもりだったらしいんですよ。でもやっぱり伝え方としては全然自分の作った資料が伝わらないっていうのは悩んでいたりした。
でもそれってあらゆる情報がここの上に全て詰め込まれていることが良いっていうメンタルモデルの元に考えられてると思うんですよ。
割とこれなんかYahooとGoogleの検索エンジンとかにもその思考出てるなと思ってて。
Googleとかって無駄なものを一切排除して検索ボックスだけを置いてあるシンプルなものなんですよ。
これの方が分かりやすいという。Yahooは広告のビジネスモデルなんで、いろんな動線貼っとくとかそういうのもあると思うんですけど、
ただYahooのトップページとかもあらゆるものをそこに詰め込んであります。一番上のページに。
結構そういう思想の違いみたいなのがコミュニケーションのバージョンで現れてたっていう、そういうメンタルモデルが違ってるっていうのが一個あるかもしれないなと思いました。
面白いですね。
そこはあれですよね。多分、時代の変化に対してどこまでアンテナ貼れるかもありますよね。
その霞が関のそういった考え方とかモデルって、ある時代まではとても良い顧客目線のアプローチだったと思うんですけど、
結局今みたいに情報型になっちゃって、何が必要な情報か早く知りたい、決断するまでに時間がないみたいに、
どちらかというとスピードとかわかりやすさみたいなのに価値基準が傾いてることを、
その人が自分の中でどこかでアップデートしないとそういうのって変わんないじゃないですか。
結局そこを取り込むかどうかっていうところがあるんで、やっぱり顧客理解の話でも本編でしましたけど、
結構アップデートし続けるみたいな姿勢っていうのが、そういうところには代表としたらないと難しいのかなっていうふうに聞いてて感じますね。
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確かに、それはそうですよね。アップデートし続けなきゃいけないという本編の方につながる話になっている。
基本的にCSもそうじゃないですか。サービスビジネスの宿命だと思うんで、
それは始めたらやめられないのと一緒で、成長やアップデートし続けなければならないっていうのは、
やっぱプレップみたいなモデリングでも一緒かなっていうふうに思いますね。
今回の番外編で一応最後の話のトピックにしようかと思ってるんですけど、難しめの話しますね。
関連して今回の話。先ほど森さんがおっしゃってくれていた、聞いたやつをオウム返しにするんじゃなくて言い換えるっていう話をしていただいたんですけど、
それにちょっと関連するんですけど、言語ってあるじゃないですか、言葉。
言葉ってある程度抽象度があるじゃないですか。大体どんなものも。
固有名詞になっちゃうとほとんどそんなにブレないですけど、固有名詞でも、
例えば森さんって言った時に森さんのどこを指してるのかって違うじゃないですか。
違いますよね。
人格を指してるのか、肉体を言ってるのかって違ってて。
言葉そのものって実は抽象的なんです、必ず。
ただこれ重要で、言葉って抽象的だからこそ実は意味があるんですよ。
難しい、逆説的に難しいんですけど。
言葉の認識って人それぞれ違うじゃないですか。
例えばお肉って言った時に、それぞれ違うものを印象すると思うんですよ。
焼肉を思うのか、ステーキを思うのか、牛肉なのか豚肉なのかみたいな感じがあるんですけど、
これが違うからこそコミュニケーションが成り立つんですよ。
肉って言うと、肉って何ですかっていうののイメージを揃えていくことがコミュニケーションになります。
そういうイメージで言うと、バックボーンで言うと、
相手も自分も自分の言ってることは正しくないし、そのまま伝わらないっていうふうに思ってるからコミュニケーションを取るんですよ。
この辺は例字ってわかる人いるかわかんないですけど、
スタートレックってドラマ知ってます?
ストーリーまではちゃんとわかってないですけど、存在はわかってます。
ボーグっていう生物、機械生物がいて、それ何かっていうと、
星全体が一つなんですよ、同一の意識を持っていて、
他民族、他種族を取り込んで、そいつを洗脳みたいにして、
全部同じ情報が共有されますみたいな種族なんです。
侵略していくんですよ、いろんな星を。
そこの他民族を、要は自分の細胞の一部みたいにして取り込んで、
21:02
そいつを活動させて反映していくみたいな種族なんですけど、
そういう性格なんで敵対されやすいみたいな感じなんですけど、
その人たちって実は考えてることが同じなんです。
一つの大きな脳がいて、それが全員接続されていて、
イメージしたら全部同じものをイメージするんですよ。
その物語の中だと、実はそのボーグ同士って喋らないんですよ。
コミュニケーションの必要がないんです。
何でかっていうと、同じ言葉を言った瞬間に全部イメージが一緒になるからなんです。
なので言葉があるというのはコミュニケーション、
言葉が抽象的だからこそコミュニケーションが必要であって、
コミュニケーションというのは言葉の認識が違うので合わせにいくっていう作業になります。
実際このモデリングって話してますけど、
このモデリングっていうのは言葉の認識がどういうものなのっていうのを
プレップでいうと成果物を書くので、
例えば申し込み書とかそういうものがあったときに、
この申し込み書って一体どういうことなのっていう認識を合わせにいくっていうのがやってることで。
なのでこの鵜呑みにしないっていうのが多分すごく重要なポイントになっていて、
認識が違うよね、みんな全員。
だからなるべく合わせにいこうっていうのがコミュニケーションでありモデリングである。
ちょっと難しめの話を終わってしまいましたね。
この辺どうです?
新品で使えますか?
どうでしょう?
まるっと投げますけど。
でも同時になっちゃいましたね。
防具になったのかな。
言語自体は多分とても大事な要素だと思うので、
そういう意味で言うとCS別に問わず全てのビジネスにおいて必要ですよね。
防具みたいな存在ってある種意識が、自我がないみたいなもんじゃないですか。
共通自我っていうので、
同じ分身というか本当に全く同じことを同時に捉えている人たちが何千何万というかわからないですけど、
どういうふうに自覚して処理されているかって想像はつかないんですけど、
自我がないようなことってビジネスにおいてあり得るのかなっていうと、
今の現実世界の中ではないので、
やっぱり言葉みたいなもので認識しているものとか、
自覚しているものっていうのを伝えなきゃいけないんだろうなっていうのがあるかなと。
ただそれってひょっとしたら言葉という手段じゃない違うものを使うことによって、
そこの繋がりやすさとか認識しやすさを上げるっていうことはあるんだろうなとは思うんですけど、
ただそれって実体に近づいていく話になるかなと思うのと、
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それだと自我がないつまんなさもあるかなと思ってるんですよ。
例えばモナリザの絵があるじゃないですか。
モナリザのある絵っていうの自体が共有化して認識とか自覚したっていうものって、
別にそれ以下でもそれ以上でもない状態ですよね。
だけどそのモナリザっていうのを見たことによって、
誰かが語るストーリーだとか、
画家とか作り手側にスポットを当てた話とか、
モデルの方の話とか、
諸説ある解釈とか、
例えば色彩の使い方とか、
いろんな軸で説明ってできますよね。
それってモナリザ自体の魅力を引き上げたりとか、
要は興味を持ってもらうために、
必要というか、
人へかかってる要素だと思うんです。
それってCSも全くそういう観点で一緒だと思って、
お客さんのやってる業務とか、
お客さんのやってる事業を成長させるっていうところを考えたときに、
こういうことをやりたいんだっていう絵だけもらって、
それを共有したからって何も始まるわけじゃなくて、
そこに見えるストーリーとか、
自分の自我に対しての認識っていうのをぶつけて、
次の新しい実態とか、
新しい価値を作るっていう活動に歩き出すっていう意味だと、
多分言葉がないとそういう行動に行かないよなっていうふうには、
そういう説明っていうか話をされて、
ちょっと改めて思いました。
ありがとうございます。
丸田さんどうです?
言葉の違いみたいなのがあるからこそっていうのをおっしゃる通りだと思いますし、
逆に言葉の違いを埋めていくのがめちゃくちゃ難しいなっていうのを改めて感じました。
やっぱりメンタルモデルが違う方とか、
あとは国語力の弱い方とか、
使ってる言葉の意味がバラバラだったりするんですよね。
やれ中傷家とかって言っても、
中傷家の、さっきのまさにさっきの話ですけど、
中傷家というものの理解が違ってたりする。
そういうので結構こと細かに言葉の定義を擦り合わせながらコミュニケーションしていただくと、
いろんな業界のいろんなバックグラウンドを持ってる方と正しく会話していくって難しいなとは思いました。
特にCS文脈でいうと、バーティカルサースの方、
同じ業界の中でいろんなお客さんに提供しているようなサービスをやられている方であれば、
ある程度業務であったり常識であったり、言葉の中身とか使い方とか揃ってるんですけど、
ホリゾンタルと言われている、いろんな業種の方々に対してサービス提供している、配帯しているCSの方とかは、
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いろんな業界の中での常識とか、いろんな言葉の使われ方みたいなのがあるんですよね。
それをさっきの鵜呑みにするじゃないですけど、言葉通りに自分の理解としての言葉の表面通りに受け取っちゃうと、
結構事故ることが多いなというのは思ったのです。
自分対手の使っている言語は違うんだっていう前提に立って会話するってすごい大事だなと。
ありがとうございます。こんな感じですかね。ちょっと長くなりましたけど。
テーマは、なので最後に今回のテーマは、言葉は抽象的だからこそ意味があるというところかなと思うところで、
この番外編は一旦終了したいなと思います。
ありがとうございます。
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