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40代から始める居場所づくりラジオ、このチャンネルは43歳で始めた居場所づくりにまつわる話を中心に、子育てや家事、仕事、これからの夢、日々の何気ないことまでお話ししていきます。
みなさん、おはようございます。こんにちは、こんばんは。今日は7月10日、月曜日ですね。みなさんいかがお過ごしですか?
今日は雑談みたいな形で、息子の体調不良から子育てと仕事について、ちょっと振り返ってみようかなと思っています。
というのはですね、私には6歳になったばかりの、今年長さんですね、一人息子がいるんですが、ヘルパンギーナっていう風邪にかかりまして、ヘルパンギーナっていうのは喉に口内炎みたいなのができるのが特徴みたいで、あとは高熱ですね。
これ自体は、幼稚園とか保育園とかに登園しちゃいけないような、指定されている病気ではないみたいなので、熱が下がって本人の食欲とかが戻ってきたら、園とかに通っていいという風に病院の先生には言われました。
で、今息子はですね、昨夜7時くらいからかな、微熱から一気にドドドっと熱が上がって、40度ちょい、40度超えしているかな。
今日は9度後半、39度後半をキープしている感じで、あまりにちょっとしんどそうなので時々原熱剤を使いながら、でもなんとかご飯少しだけ食べれるようになってきたので、あとは2、3日ちょっと頑張ってもらってっていう感じでね。
で、今も本人は起きたり寝たりを繰り返して、また寝てしまったので、ちょっとね、声小さくしながらこの放送を撮っております。
で、ヘルパンギーナって、なんかすごく私の中で印象深い病気っていうか、赤ちゃんの頃にかかったなーっていうイメージがあってね。
で、母子手帳を振り返ってみたら、11ヶ月の時に初めてヘルパンギーナにかかったみたいで、これはね、多分当時自分の中でも印象にあったみたいで、食欲がなくてね、母にもうつるって自分の中でメモ書いてました。
ヘルパンギーナで思い出したんですよね。当時、育休復帰して、保育園の先例でね、たくさんの風邪菌をもらってね、順調にいっぱい風邪をひいてたんですけど、ヘルパンギーナもその中の一つでね、
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高内温ができて、なんか水分もあまり取れないし、すごい高い熱で。最初は病児保育に預けたんだったんだと思うんですけど、その後私もうつって、私もやっぱり40度超えしてね、
で当時、なんだったかな、結構こう、息子が、どうだったかな、でもなんか保育園に息子を迎えに呼び出しがあって、迎えに行って、息子もお熱で、その時はもうすでに私も高熱で、
で、ふらふらになりながら、保育園に引き取りに行ったら、保育園の先生が心配してね、病児保育っていうのがあるから、それに預けたらお母さんも休めるんじゃないですかって言ってくださったんですけど、
もうその時は自分もいっぱいいっぱいだし、病児保育って結構めんどくさいんですよね。ありがたい制度ではあるんだけど、私の、どうなんだろう、他の地域では違うかもしれないけど、当時住んでた新潟では、最初に小児科に行って診断してもらって、そこから病児保育の予約を取って、OKであれば連れて行くっていう感じなので、
もう、私が休むために病児保育の予約を取るみたいな気力がなくて、そんなの無理なんですなんて、半べそかきながら、ふらふら一人で家に帰って、息子は熱を出して、自分も熱を出して、でも看病するのはね、私しかいなくて夫は仕事だったのでね、
なんかそんな感じで、なんかすごい辛かったなーって思い出の病気ですね。
で、今ちょうどね、母子手帳を見ると、いろんな、いわゆる風邪ですよね、風邪とかね、胃腸炎とか、あとなんだろうな、中耳炎とかいろいろ書いてるけど、だいたい1歳から2歳までにいっぱい、1年でいっぱいかかったんだなーっていうのを振り返りますね。
だから0歳から預けていたので、2歳になるまでが本当に大変だったんだなーって思います。
うん、当時やっぱり、うーん、でも病児保育を本当によく利用していて、月曜から金曜まで預かってもらってね、で本当に本人も熱が高くって顔真っ赤にして、で迎えに行っても真っ赤っ赤のままでぐったりしたまま引き取るみたいな、
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それを5日間繰り返したりしてね、なんか何やってんだろうなー私って思いながら、でも反面、じゃあ病児保育預けないで自分が一人で家でね、この子を見れるかっていうと、先進的にね、あまりにも不安で、大丈夫かな、何もしてあげれないし、
だから病児保育でプロのね、看護師の先生、看護師の方々に預かってもらって、見ててもらうっていうのが、私は本当に助かったなーって思ってますね。
本当にやっぱり、まだね、本当に私も子育て1年生2年生ぐらいの年だったし、今でもね、子供が具合悪いってなるとドキドキしちゃうし、なので当時の病児保育のスタッフの方とか看護師の方々には本当に本当にお世話になったなーって思ってます。
なので当時はね、本当に痛いほど子育てっていうのは一人でできない、たくさんの方々の力を借りて、なんとか支えてもらって踏ん張っていたなーって思いますね。
なんか、病児保育っていろんなところがあったんですよね。新潟でも何箇所かな、5箇所ぐらいあったかな。結構予約が取れないっていうのもあったので、5箇所全部に行ったことがあるみたいな感じで。
大変だったけど、今思うと息子はたくさんの人に育ててもらったんですよね。保育園の先生だけじゃなくて、病児保育のそれぞれの看護師さんやスタッフの方々。
あとは、病児保育とはちょっと違うけど、子育て支援センターとかね、児童館とか、あとはすごくよくしてくださった助産師の方とかもいたので、そこで出会う人たちとかね。
なんか、いろんなところに息子の居場所ができて、私だけの空間じゃなくて、息子にはたくさんのそれぞれの居場所があったっていうのは、私はね、病児保育をたくさん利用してきて、そういう居場所を息子に提供することができたっていう点ではね、いい選択をしたなって胸を張って言えます。
それぐらい皆さんに感謝してるし、素晴らしい場所だったなって思ってます。
でね、今回、もう6歳にもなるとほとんど風邪をひかないので、今回も久しぶりでね。
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で、会社も私もパートのお仕事になっているので、ありがたいことに本当にありがたい、休みたいっていうのも、どうぞどうぞって言ってくださる会社なので、今回もお休みいただいているんですけど、息子がね、今寝ていて、それを横で自分もゴロンとしながら見ていてね。
で、私も昨晩とか徹夜で寝てないから、眠たくって一緒に寝たりしてね。
で、目が覚めて目の前でゴロンとしている息子の背中見ながらね、何て言うだろう、なんか苦しんでる息子には申し訳ないけど、幸せだなーってちょっと思っちゃったんですよね。
息子が苦しい時にそばにいて、ただ寄り添うしかできないけど、でも一緒にいることができるっていうのは、
うーん、何て言うんだろうな、小っちゃい時はあまりに頻繁だからできなかったけど、大きくなると、たまにだから、たまにならちょっと会社休ませてもらってっていうのも、私の中ではあってね。
なので、そうすると、うーん、なんか寄り添えている幸せな感じ?
本人は苦しいけど、でもまあまああって、私を求めてきてくれてね。
大きくなってしまった体でも、私のお膝に乗ろうとしてね、頭だけ乗せてくったりしてるけど、熱い体になっててね、熱が高くて。
でも、よしよしってしながら、大丈夫だよ、必ず良くなるからね、なって励ましながらね、母として、親としての幸せをいただいてますね。
これがね、熱も下がって元気になれば、まあそれはそれでまた大変なんですけどね。
今日はちょっと雑談ということで、息子がヘルパンギーナになったことから、当時の小さい時の子育てと仕事のことを思い出したなっていう感じでしたね。
なんか仕事っていうか、なんだろう、幼児保育のお話になってしまいました。
本当に当時のお世話になった方々には感謝しております。
皆さんのお子様、そしてね、子自身も風邪などひかれませんように、私もうつらないようにだけは気をつけたいと思っております。
今日も聞いていただきありがとうございました。またお会いしましょう。