「きれいごと」を本気で語る意義
日常とメンタル。
えーとですね、今日は
きれいごととかを言っていってもいいんじゃないかという話をしたいなと思っております。
これきれいごとって言ってもですね、まあいろいろあると思うんですけど、
先に結論言うと、大人になってもきれいごととかを言ったっていいんじゃないかっていう話ですね。
なんでそう思ったかって言うとですね、
最近、
よく子供たちだったりですね、その若い人たち
頑張れみたいな、その夢を持とうとか、
よく聞くフレーズではあると思うんですよ。
そんな中でですね、もう数年前からずっと思ってたんですけど、いやまず大人が頑張れと思うんですよ。
これ言うと、いやみんな頑張っているっていう話になるんですけど、
それは従々承知していて、
もうみなさん忙しい中、日々暮らしていると思うんですよ。
とにかく忙しいんですよね。
なんでか知らないけど時間がないわけですよ。
気づいたら夜になっていると。
そして子供を寝かしつけたら一緒に寝落ちをしているっていう。
そんな毎日だったりするわけですよね。
そして夜中にハッと起きて、やべーっつって洗濯物を干したりするとかね。
ありますよ、そりゃ。
ですけど、
なんでしょうね、やっぱり大人自身が、
ここで言う大人って親であろうが、
まあ、
親じゃなかろうが関係なくですね、ある程度年齢を重ねてきた、
そうですね、30代以上、僕40代なんで40代とか50代とか、
そういう人たちがもうちょっと、
ジャンル問わず自分のやりたいこととかを、
追求していく時間があってもいいんじゃないかなって思うんですよね。
実際、
そういうふうにね、
こう、
自分がやりたいことを大人になってから追求している人もいるわけじゃないですか。
それで、
そういう人と出会うとですね、すごい生き生きしてるんですよね。
そういうのを見ると、
やっぱり何か感じるところがあってですね、
そういう人たちだからこそ、
他の下の世代っていう人たちにも、
とか同じ年代の人たちにも、
なんかできるよって、
行動したら何か生まれるよっていうことを伝えていけると思うんですよ。
これ、もうすでにこういうふうに喋っているのがキレイごとなんですけど、
そんなこと分かってるんですよね。そういう人たちもきっと。で、僕も分かってる。
今メンタルコーチとして走り出してたりとか、
何年も前から社会貢献活動とかさ、
社会貢献活動なんて、もうキレイごとの最たるもんだからね。
言ったら。
だけどさ、その中で
やってると楽しいんですよ。実際楽しい瞬間があるの。
大変な時も多いけど、
大変なのかなぁとか考えたり、これって大変なのかなぁとか、
それも含めて、
何か一つの楽しみになってたりするから、
それが果たして苦しいかって言われたら、苦しくはないんだけど、難しいですね。
まあ、そんなんでですね。ちょっと脱線しましたけど、
「きれいごと」への反論と本気の姿勢
世に言うキレイごととか、その悲観的な人が、
いや、なんか偉そうなこと言ってるけど、それ結局
キレイごとでしょ?とかって突っ込んでくるタイプの人とかも、きっと世の中にはいて、
そういう人はそういう人なりの考えがあるんでしょうけど、
まあ、いいんですよ。それはそれで。
だけど、
自分は少なくとも、そのキレイごとって言われることを本気でやってるから、
キレイごとでしょ?って言われて腹立つのって、
なんでだろう?って思った時があったんですよ。
多分ですけど、自分の感覚としては、こっち本気でやってるのに、
キレイごとでしょ?っていう一言で、いや、それ結局
見せかけてやってるんでしょ?
っていうことが言わないけど隠れてるのを感じ取った時に腹立つと思うんですよ。
いや、見せかけじゃないと。いや、本気でやってるしって思うからイラッとするのかなって、
ちょっと思ったりして。
だから、けど、最近そんなこと言われなくなってきたけど、
まあ、それ言われたとしてもいいかなと思って。
そう思う人は、そう思えばいいし、けど自分は別に、
相手がどう思うが、自分は本気でやってることなんだから、
その事実は変わらないんだし、
そっちに目を向けた方が絶対豊かだし、
人生絶対良い方向に進んでいくと思うんですよね。
これは別になんて言うんですかね、
無理にポジティブにしてるわけでもないし、
なんかまして、
より良い方向に進むみたいな感じで、そのポピュリストとかね、
そういうこと全然言いたいわけじゃなくて、
まあ、現実、自分のこのメンタルを安定させて、
自分のチャレンジを続けていくためには、
別に相手がどう言ってこようが、キレ事だろうが、
自分は本気でやってるんだったらそれでOKだなって、
思える方がいいと思うんですよね。
そういう風に考えながら、
行動した方が、きっと良い方向に進むと思います。
年齢を重ねた大人の生き方
なんでこの話したかったのかなって考えて、
なんかふとね、
昔こんな話をしたことがあったんですけど、
けどまあまあまあ、
もう一回改めて喋っておこうと思って、
ログオンしています。
なんでしょうね、
やっぱりね、
ある程度40代とか30代40代とか、
年齢重ねてきた人たちが、
生き生きと、
なんかチャレンジングなことをしている社会の方が、
僕は楽しいと思うし、
そういう人たちと仲良くしたいなって思うんですよね。
自分の過去をばっかり振り返って、
例えば新入社員とかに、
あの頃はこうだったっていう話をひたすらするおじさんとかも嫌じゃないですか。
きっとそのね、
下の世代の人たちは知らんがなだと思うんですよ、そんなこと言われても。
それより、今をどうやって過ごしているかっていうことにフォーカスして、
おしゃべりした方が楽しいんじゃないかなって。
昔振り返ってもいいんだけどね。
振り返ってもいいんだけど、
振り返る相手は考えた方がいいよねとか、
昔話を出してくる量をね、
少しだけ、ほんとちょっとだけ、
出すんだったらいいと思うけど、
投げるボール全部昔話だったら、
聞いてる方がしんどくなってくると思うんですよ。
ああ、そうなんですね、しか言いようがないから。
うまく返せる部分もあるかもしれないけどさ。
そんなんで、
切れ言でも本気でやったら楽しいよみたいな、そんな話をしてみました。
大谷翔平選手への過剰な注目
他にも話そうかなと思ってたんですけどね。
なんですかね、なんでそういう話するのって嫌がられる時とかあるんですかね。
自分が充実してないから人の充実した話聞くの嫌だったりするのかな。
わかんないですけどね。
大谷翔平選手もね、
もう何年も前ですけどね、憧れるのをやめましょうっていうちょっと、
有名なフレーズ言いましたけど、
あのレベルになったらそうかもしれないけどね、別に憧れる人がいたっていいわけじゃないですか。
その人のようになりたいって言って頑張れるんだったらそれでもいいと思うしね。
くれぐれも、いつも思うんですけど、
大谷翔平選手を、
みんなテレビとかでやりすぎじゃないって思うんですよ。
世の中が大谷翔平選手を摂取しすぎだと思うんですよね。
なんて言ったらいいんですかね。
そんな人をさ、常に見せられ続けたらさ、
これダメ?おかしいかな。
逆にしんどくならないですか。
少なくても僕はそうですね。
なのですごい、いやすげえなって思うし、
いやほんとすごいわとしか思わないんですよね。
ただそれだけ。
だからニュースでちょっと一回見たらいいかなって思ったりするタイプ。
そんな人もいると思うんですよね。
もうちょっと何かチャレンジするときに成功しなきゃいけないとか考えちゃうのかな。
だから大人になればなるほどなかなかアタックできなくなるのかもしれないですよね。
それも何かあれですよね。
メディアでうまくいっている人たちばかり出てきたりすることが多いからそう思うんですかね。
そんな世界に大谷翔平選手は一人しかいないですからね。
あれは普通じゃないと思うんですよね。
無意識にあんだけ見せられたら何の基準かわかんないけど、
いろんな基準が上がっているような気がして。
人としての。
そこに到達しなかったら失敗みたいな。
そんなことないと思うんですよね。
なんで今日一日ね。
何でもいいと思うんですけどね。
何か一つでもやったなって思えることがあれば。
しかもそれも毎日なくたっていいんじゃないかなぐらい緩く考えて。
最初は始めてもいいんじゃないかなと。
2日に1回か3日に1回自分これできたなって思える瞬間があればそれでいいよぐらいに思っておけば、
それを積み重ねていけば、
どんどんどんどん自分が望む方向に転がっていったりすることもあるんじゃないかなと。
そんな風に思います。
なのでまず大人がチャレンジしようよってことと、
大谷翔平選手みたいにはならなくていいから怖がらなくていいよっていう話ですよね。
小さな一歩の積み重ね
何のことってことですかね。
そんな風に思いますよね。
意外にってよくわかんないけど、
自分からいろいろ行動していると、
こんな人と出会って繋がれるんだみたいな経験したりするんですね。
これはデータとかないし確信ではないんだけど、
少なくとも自分の経験上そういうことが起こるんですよね。
10年前、いや10年も前じゃなくてもいいな。
6,7,8年前とかじゃ今考えられないですもんね。
今から先も考えられないような世界が待ってるかもしれないし、
そんなことも考えてもしょうがないんで。
とにかく今日、今、この1週間とか今日をやれることをやろうかなーって思ってます。
ありがとうございました。