1. 美しく生きる Gracefull Life
  2. #13ふとした当たり前の気付き
2024-05-20 17:07

#13ふとした当たり前の気付き

テーマ【日々の当たり前に気付いたお話】
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サマリー

彼女がふと気付いたのは、全ての人々と彼女は対等であり、全てのものは平等であるという当たり前のことです。この気付きにより、夫婦や子供たちとの関係、食事やゲームに対する考え方が変わります。子供に洗濯をしなさいと言うと嫌がりますが、ちっちゃい声で呼ぶと洗濯してくれるという気付きを得ました。人を使うことと使われることには技術が必要であり、心地よく使われる存在であることが仕事を円滑に進める秘訣だと感じました。

全ての人々との対等性の気付き
美しく生きる Graceful Life
美しく生きる Graceful Life
マーケッター、AobinaとChinamiがお届けします。
今日はですね、先日ふと気付いたことをちょっと収録してなーと思って
久々にポッドキャストを開いてみた。そんな感じでございます。
このところですね、ちょっと風をひいて、風が花粉症にそのまま切り替わり、
鼻ずるずる、超鼻声みたいな状態が2週間くらい続いちゃって、あんまり咳もひどいし、
どうこれよ、みたいな状態だったので収録はちょっと控えてたんですけど、やっとね、
花粉症はまだ残ってるんですけど、まともに喋れる時間が伸びたので、
鳴ってみました。それでね、その間にね、ちょっといろんなことに気付いて、
あーなるほど、わしはいいなーって思ったことがあったんですね。
で、それについてお話したいなーと。
その、何に気付いたかっていうと、
全ての人々と私は対等であり、全ての人々と平等であるっていう、
当たり前に気付いたっていう感じなんです。
で、何当たり前に気付いたかって、例えば、よくある夫婦の話で、
旦那さんのことを、こうなんだよね、こうなんだよ、こうだったらいいんだけどね、
っていうようなことで、結構悩みに悩んで、結果口になっていたりとかするとか、
例えば、子どもたちのこと、うちもそうですよね、子どものことはいろいろあります。
だから、何でこうしないんだろうとか、何でこれできないのか、みたいな感じの、
こうね、あってほしいゾーンに対して、自分の子どもに対する求める気持ちですよね。
それが、結局自分の望むものと違う、この乖離を不満というものになって埋めようとするときに、
愚痴っていうものが出るわけですけど、
これね、こないだ、あそっか、全てのものと人は対等であるっていうことを、全てのものに置き換えるなら、
じゃあ、例えば旦那さんのことを、もちろん平等に愛していて、私と平等であり、
当然対等である、それが、たとえ年齢が離れていようとも、人として対等、
それを子どもに当てはめるから、私も子どもも年齢が離れていようが、
自分が生んだ子どもであろうが、関係なく平等で、対等の存在なんですね、そもそも。
で、なると、何でこうならないのっていう思いを抱くことがそもそも、論外。
だから、私とあなたたちは対等なんだと。
そして、私とあなたたちは、当然に平等で素晴らしい存在だっていうことを念頭に置いて、
頭で考えることをせずにね、本来あるべき姿をそのままスタント受け止めるっていうことにすれば、
相手の成長過程であるというところに気づけばいいだけのことで、そこに何かを求める必要もないと。
もちろん、こういうふうになってほしいなっていうね、もちろん、
例えば、グレてどうのこうのなってほしいなって望む親はいないわけですよ。
だから、もちろん、子どもたちにとって、
良い未来に近づく最前の、最短ルートで行ってほしいと思うから、
そこにこうであってほしいというものとの乖離が生まれるわけなんだけども、
でも、それも全部ひっくるめて、彼らの行動と彼らの成長と、
全て自分に置き換えても同じですね。
自分のビジネスがどのぐらい成長するのかとか、今の現状の自分の処理能力だとか、
夫婦や子供たちとの関係
そういうことを考えたときも、最善を尽くしていれば、
何かに対して不満に思ったり不安に思う必要もなくて、
何かが問題であるなら、それをただ解決するために動けばいいだけ。
子どもたちも同じだから、そのために解決するために動けばいいだけで、
動きたくない、動けないなら動けないで、その時期を待てばいいだけ。
私たち、私自身がそうであったように、
私は解決しないといけないとは思っていたけども、
その行動に移せなかったジレンマの時期があったので、
それを思えば、そういう状況なんだなと。
いつかそこから抜け出すわ。
だから、彼らのタイミングでなるように待てばいい。
ただそのまま受け止めればいい。
というふうに改めて気づいたんですね。
それって例えば食事もそうだよね。
スマホもそうだよねというふうに、
なるほど、なるほど、なるほどという感じで落ちていった。
私の中で、なるほど、そういうことだったのかというのが、
トントントントンと落ちていったのが、
例えば食事。主人がよく体のためにも、
食事中はいろんなものに気を取らずに、
食事に集中しなさいと言ってくれるんですけど、
そうだよね。食事も同じ。
食べ物も私と同等であり、大切な存在である。
食事もそうですよね。
私と対等な存在であり、生まれた価値があるもの。
私自身もそうであるし、家族もみんなそうだとするなら、
食材も同じように大切に育てられた存在である。
だから大事にするっていうことで考えたら、
そっかそっかって、そうだよねって、
その大切な存在をお座りにするような行動は、
やっぱりよろしくないよねって思うと、
食事に集中してちゃんと食べようとか思えたっていう。
で、またね、それが例えばスマートフォンだったりとか
パソコンだったりとか、今だったら多いのがゲームですよね。
私はゲームなんてって思うことがすごく多かったんですよ、正直。
子供たちがゲームにドハマりして、
なんでずっとゲームしてるのって、
なんでわからないんだってずっと求めてたんですよね。
私が求めてた。
でもよくよく考えてみて、
そもそもゲームってじゃあなんなの?ってなったら、
いわゆるパソコン機器の延長線ですよね。
家電製品というものですよね。
そのうちのひとつにゲームがあると。
食事やゲームに対する考え方の変化
それを基とたとっていたら、
例えば、今私にとって必須です。
パソコンないと仕事できません。
スマートフォンもないと仕事ができない。
例えば、SNSも非常に大事なツールです。
例えば、クライアントに会うためだったり、
子供たちに学校に行くためだったり、
病院に行って母を連れて行くための車も、
結局すべては対等であるならば、
車もゲームも同じ存在なんですよね。
ということは考えようによっちゃこうなると。
ゲームも大事な存在なんだから、
ゆっくり休ませてやる必要がある。
あるんじゃないの?って思ったら、
なんでいつもゲームやってるの?
起きなさい!っていうより、
よっぽど人ってやめなさいって言われたり、
やりたくなる。
やっていいよって言われたら、
ちょっと考えるんですよね。
うちの子供たちに面白いなって思うのは、
選択しなさいよって。
私は選択は回すけど、
回すけど干さないんですよ。
私の子供たちの服は干さない。
私は私の分子が死ぬ。
それをマイルールとしてるんですね。
理由は子供たちが自分でする必要があるし、
指定しかるべく年齢にあるから、
私は彼らのことはしないっていう風に決めていて、
だからあんまり回せないなっていう時なんか、
わざと全部回してやるわけですよ。
そうしたら着る服がなくなるからね。
物もすべてが平等であるならば、
物も大事にしなければならないわけですよ。
私自身を大事にしなければならないのと全く同じ。
何も変わらない。
だから大事にするもの、食べ物も、食材も、PCも、
だからご飯の時はご飯に集中する。
仕事する時は仕事に集中する。
ゲームで遊ぶ時はとことん遊んだらいい。
だけれどもゲームも大事な存在なら、
これが正しい表現なのかわからないけど、
例えば命を与えられたものとして存在していると、
すべてのものを仮定するならば、
ここにもし喋る人が中にいたらね、
もういつまでやってんのよ、ちょっと寝かせてもらおう。
じゃあ寝かせてやる時間も大事よねっていうふうに解釈すると、
非常に平和的でいいんじゃないかなって思ったところですね。
あ、そうそう、さっきね、今喋りかけて、
あ、喋ってないって思ったのが、
洗濯の話なんですけど、
子供への言葉の影響
子供にね、洗濯しなさいって言ったらしないんですよ。
でもね、さっき喋りかけて、
あ、喋ってないって思ったのが、
子供にね、洗濯しなさいって言ったらしないんですよ。
でもね、ちょっと来て、ちょっと来てって言って、
ちっちゃい声で呼ぶんですよ。
で、あのな、あのなって言いながら、
ちっちゃい声で耳元で囁くように、
これさ、今日帰ってきたら洗濯してくれるかなって言ったら、
笑いながら、あはは、わかったって言うんですよ。
面白いですね。
面白いですね。
洗濯をしなさいって言ったら嫌がるのに、
ちょちょちょ、ちょっと来て、
洗濯をしてくれる、洗濯、洗濯、
今日さ、あなたの分ちょっと溜まってるやん、
洗濯をしてくれるって言ったら、するんですよ。
いやー、私あの、人をこう、仕事の中で関わって、
人を使うっていう、まあ表現ちょっとよろしくないですけど、
人を使う仕事をします。
クライアントの仕事を完了させるために、
スタッフと一緒に共に仕事をする。
でも、私あの、使われるっていうことにも技術があると思っていて、
私は使われるのは超得意なの。
それは私にとって誇りです。
はい、私は素晴らしい存在だと思う、そこに関しても。
使うことも得意です。
人を使うことも得意です。
人を使う技術と使われる技術
そして、人に使われることも非常に得意です。
それはね、どっちも技術がいるんですよ。
心地よく使われる存在になるって、
めちゃくちゃ仕事がやりやすいの。
そして、心地よく使われてると感じさせずに、
相手にお仕事をしていただくっていうのも、
相手にとっても非常に嬉しいことで。
だから、コミュニケーションも円滑で進むし、
何かトラブルになることがないよね。
こうこうこうだから、もう私できません、
みたいなことになることもないんですよ。
お互いに、自分ができることはできる、やる。
自分ができないことはしない。
相手の力量も、使う側であるならば、
力量もしっかりと見定める必要があって、
当然しっかりと見定めて、
これならできるなという人に、それを渡していく。
そこって渡す側にも渡された側にも、
技術が必要な部分だなって。
もちろん、技術が全くなくてもできます。
だって、そんなこと考えてなかったもんね、
10代の時とか。
だけども、技術を身に付けた方が圧倒的にやりやすいっていうのは、
確かだなっていうのに、確信したのが今の私ですね。
どうやってその技術を身に付けるのって話をしたら、
さらにだいぶ長くなっちゃうので、
今日はここまでとしたいと思いますが、
やっぱりね、すべてのものは対等であり、
すべてのものは愛されるべき存在であるとするならば、
自分のパートナーも子どもたちも、
今存在しているものすべてが愛されるべき対象だと。
そして、物事を考えていくと非常に平和で、
自分の感情がふらつくこともなく、
軸をしっかりと、スターンとした軸を持った状態で、
しかもしなやかな心に軸を自分に持った状態で、
すべての仕事が円滑に、プライベートも円滑に進むんだなっていうのを、
改めて実感して、よりより感謝が大事だなと思った今日なので、
本日も感謝でいきたいと思います。
明日から静岡に参ります。
静岡の景色を見ながら、また収録をして、
放送したいなと思っております。
ここまで聞いてくださってありがとうございます。
皆さまに感謝の言葉を、
私たちクイーンCCL働く女性プロジェクトを
私が塾長で、塾長千奈美と三本の佐藤さん。
この二人でやっている、
休日ピングレディというポッドキャスト番組があるんですが、
そちらはマーケティング部門で、
なんとですね、
トップ42位という成績を、まさかの3位の
回数にしたら、日数にして3日。
3日発信して、まさかそんなところで
順位が来て、他で何も来たことないです。
もちろん、今のこれでもそんなメールは来たことないんですけど、
でも嬉しいなと思ってですね、
皆さんが楽しく聞いていただけるのが一番嬉しいです。
もしかしたら、こちらの番組をご視聴いただいている人が、
その休日ピングレディも楽しまれていただいている方も
いらっしゃるだろうと思ってですね、
感謝の気持ちを言葉にしたいと思います。
ありがとうございます。
そして、ビザハックピングレディ、
同じCCLの三本佐藤さんと私と、
休日ピングレディは雑談番組というのがテーマなんです。
ちょっと面白おかしくというか、
普通に喋っているとお笑い番組になっちゃうんで、私の場合は。
なので、普通に雑談をしているんですけど、
ちょっとキリッとビジネストークをしてみたいなと思って、
ビザハックピングレディをスタートしますので、
またぜひお楽しみいただければと思います。
では、本日の配信もご視聴ありがとうございました。
それでは、本日も素敵な一日を。
17:07

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