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2024-07-24 12:17

【俺流ひと宇宙】議論は「カレーとシチューの違い」を見つけていく感じ?

あくまでわかりやすくした例え話なので、
最初から即答で「ルー」が違うからじゃん、当然じゃん、という話ではありません🙏

▼昨日の放送▼
「議論」って難しいものですね
https://stand.fm/episodes/669f8430ef212105af346b4b


[BGM: MusMus]
#毎日配信
#議論

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 #俺流ひと宇宙
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00:05
Chikaraのチャージレイオー💪
おはようございます、Chikaraです。
今日もスタイルを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
今日は、ちょっとまたね、議論について、
分かったことがあったというか、分かったことというか、
あのー、少し分かりやすい例でお話できそうなことがあったので、
あのー、ちょっと急遽撮ってみようと思いました。
よろしくお願いします。
えっと、皆さん、議論というと、
まあ、どんなものを思い浮かべますかって、
まあ、そういう言い方をすると、まあ、いろんなね、
議論ってこういうものだーっていうことを思い浮かべていただいているんじゃないかと思いますけれども、
まあ、一個はね、やっぱり論破する、論破しない、論破されるみたいなね、
そういうちょっとネガティブな、めんどくさそうなイメージを持たれる方もいるかもしれません。
けれども、僕はね、ちょっと分かってきたんです。
僕にとって、議論っていうのはどういうものかっていうと、
まあ、議論っていう言葉自体が、もうめんどくさそうな、もうやめなよ、みたいなね、議論なんて、みたいな、
もう、いいじゃん、そんなの、っていう、えっとー、
印象をもうね、言葉自体が持ってしまっているなと思ったので、
えっと、ちょっと整理したいなと思いました。
ね、僕は多分ね、整理っていう言葉が好きなのかもしれませんが、
あの、ちょっと整理したいと思います。
ね、僕はちょっと分かってきたのは、
僕にとって議論っていうものがどういう行為なのかっていうのは、
ちょっとね、こういう例えをすると、
あー、なるほどねーってなってくれる方がいたら嬉しいなーと思って喋ってみます。
よろしくお願いします。ね。
皆さん、料理、料理で、えっとー、
カレーとシチューってあるじゃないですか。
ね。カレーとシチュー。
で、カレーとシチューって言うと、
それが違うってことは分かりますよね。
どうですか?カレーとシチューは違いますよね、と。
で、僕にとっては、議論をするときには、まずそれがあるんです。
違うということがね、うん。
僕にとってはカレーに見えて、
相手にとっ、相手が言うてことは、僕にとってはシチューに見えたときに、
カレーとシチューは違うなと思ったときに、
あれでも、根本…まあ根本で言い方あるかな。
そもそも、いや、同じことをやれば華麗になると僕は思ってるのに、なぜあの人はシチューを作ったんだろう、シチューになってるんだろうか。
僕にとっては華麗になるはず、で、その同じことをやってれば華麗になってるはずが、シチューを持っているぞ、シチューを持ってきたぞと。
何が違うんだろうってなるわけです。
で、その時に僕が何をしているか、これが議論の中だとすると、僕は何をするかというと、まず確認を一個ずつ分かりやすそうなところからしていくわけです。
03:10
どこまでが同じでどこが違うのかということを僕は探っていくわけですね。
だから、例えばだけど、僕が華麗を持っていて、皆さんがシチューを持っていたとします。
あれなんか違うなと思った時に、何をまずしていくかというと、そのシチューの中にはジャガイモはありますか?って聞くんですよね。
で、そうすると僕にはジャガイモがあるから、華麗の中にはジャガイモがある。
で、シチューの中にはもしかしたらジャガイモありそうな気がすると思って、ジャガイモってあります?って聞くんですよね。
そうすると、ジャガイモありますよってなるでしょ。それが合意、同意、合意というものですよね。
僕にはジャガイモがあって、あなたにもジャガイモがあります。よし、じゃあここは一緒だな。
じゃあジャガイモは一回取り除いてみましょう。そうするとまだでも鍋には何か残ってますよね。鍋に残ってます。
そうすると僕は次に、あれじゃあニンジンはありますか?って聞くんですよね。
僕にはニンジンがあるからね。そうするとニンジンがありますあります。じゃあここも一緒なのか。
じゃあニンジンがありますは同意したものだから、一回置いておきましょう。これは同じものでしたね。
じゃあ玉ねぎは玉ねぎは入ってます?って聞くんですよね。
そうすると玉ねぎはありますあります。おー玉ねぎはあるんだ、あるんだな。
じゃあ玉ねぎはあるっていうのは同意とれてるから、じゃあ玉ねぎも一旦同じものだったとして置いておきましょう。
でも違うんでしょう?違うんだよね。じゃあ何が違うんだろう?って聞くんですよね。
でお肉は?って言うとどんどん同じようにやっていくと、同じものを取り除いていくと、今鍋には何が残っているかっていうとイメージですよ。
例え話で言うと何が残っているかっていうと、僕の方には具は全部取り除いて全部一緒だったっていうことになったとしたら、
今残っているのはカレーのスープ、スープって言うんですか?カレーのスープね。溶けた液体が残っているわけですよ。カレーの液体。
で相手にはシチューの液体が残っています。まだ違うよね。
でももうだいぶ取り除いたけど、まだまだ何か違うんだなぁと。
でこれはイメージの話なんでちょっと飛躍しますけど、じゃあそのカレーの汁、もう答え言っちゃってんだけどさ。
カレーとシチューを使っている以上そうなっちゃうんだけど、じゃあそれはまあ汁を分解できたとしたら今度は
水、水は使ってますか?水は入ってます?っていうわけですよ。そうすると、あー水が入ってる入ってる使ってるって言うと、水をじゃあ取り除きましょう。
06:08
水が入っていることは同意、同じでしたねって確認をしていくわけです。で水を取り除きました。
でここまではだから僕にとっては議論じゃなくて整理なんですよね。同意、同じところをずっと見つけていく整理。
そうすると鍋の中に今何が残ったかというと、まあ本当にもう一回ですけどイメージで言うと何が残ったかというと、
僕の方には鍋の中にカレーのルー、固形のカレーのルーが残ってて、相手の人にはシチューのルーが残っているわけですよね。
そうすると僕の方に最後残ったこれはカレーのルーだった。
あなたのは、あーシチューのルーなんだ。 だからシチューになったんだ。でだから僕はカレーになってんだと。
あー なるほど。
そこをカレーのルーを入れなきゃカレーにならないなーってわかるわけですよね。
でこの行為が僕の中ではまあ議論というか、まあ整理、認識の認識合わせの整理なんです。
単純にね。でその時に、僕はこういうふうに気づくと思ってすごい面白いってなるのは例えばだけど、
あ、じゃあ僕もこのカレーのルーじゃなく、僕の具材同じだけどシチューのルーを使えば僕は同じ工程をしてもルーを入れ替えるだけでシチューも作れるんだ。
すげーっていう発見が新しく出て、おーっていう風になるという感じですね。
でこれが僕にとっては議論の面白さだと思うので、同じところずっと消していって消していって、だから議論のしている文脈の中で一個ずつ同意できているとこ、同じところをどんどん消していって違うところが何かを探していくのが、
まあ僕の議論のやり方というかまあそういう感じですね。整理をしていく。矛盾点を消していくというか、もやもやしているところをまあどんどん削り取っていくので、
まああのーそう削っていく議論みたいに、まあね見えなくはないけどでもそうしないとどこが違うのかの違いの大元がわからないんですよね。
だからそれであーだったらそうなんだって僕の認識は改めるっていうかね、アップデートしたり、まあリブラ先生がコメント言ってくれたけど、思考を進化させるということが僕にはそこまでいかないとできないので違いがはっきりわからない。
僕はっきりわかるのはまあ自分の納得感、主観なんだけど自分の主観として違いがはっきりわかるところまでこうやって削り取っていかないと納得感が出ないので
09:02
矛盾がずっとあるまま、何でだろう何が違うんだろうのままになるっていうことなんですね。
で、でも最後の最後であーだから違うんだってわかれば、おーそうかって言って終わる、終われるという感じです。
で、この時にあのーそうそう、えっと逆を言うと逆のプロセスを言うと僕はカレーのルーを使っています。もともと。
でも相手の人はシチューのルーを使っています。もともとっていう2人だとしたら、そりゃ結果はカレー、僕の流れで言ったら結果カレーになるし、相手の流れで言ったらシチューになるよねっていうのは当たり前の話でしょ。
で、僕はそれは当たり前と思うんで、根本の前提とか大元にしているものが違うってわかってさえいれば議論をする必要がそもそもないんですよね。
これが僕が言う演劇で考えている人と僕は議論をする意味がないって言っていることです。だって結論違うことになるでしょう。
同じになっている可能性もあるけど違う可能性があって絶対に違うっていう結論になる可能性もあるんだったらわざわざ突き詰めなくてもいいなっていうところですね。
なんとなくこれシチューとカレーの話で例えで言ってみましたが、まあそういう感じを思ってますということで。
だから僕にとっては議論は、俗に言う論パー試合の議論とは違い、単に違いを見つけていくプロセスっていうのかな、ギャップを見つけていく整理をすることを僕は議論と言っているような気がします。
で、最終的にそれで自分の思考が書き換わっていくというか、思考が進化していくっていうのが自分の満足感があったり楽しさがあるというところ。
で、逆の大元のカレーのルーを使っている人とシチューのルーを使っている人はまあ議論をする、そもそも必要もなくまあそういうもんだろうということで理解をちゃんとできてますよと。
だからそれはネガティブだったりそういう話ではなく、まあそういうそうだよねっていうだけの認識ですよねっていう感じですね。
ということで、僕の考え方はカレーとシチューの違いを見つけるぐらいなもんです、というお話でした。
タイトルはどうするかちょっとわかりませんけど、一応補足的にお話ししてみました。
ということで以上です。 今日も聞いていただきありがとうございました。
12:00
それでは行きます。 力チャージ!
今日も力あふれる一日を!
12:17

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