久しぶりにチャモリをライブでやりました。
ゲストは水野カエルさんです。
ただし、チャモリと言いつつ、
話をしているのはほぼボクですが、
そこは大目に見てください。
水野カエルさんとは、これまで計3回にわたり、
ボクの歴史を振り返っていただいています。
▼1回目 チャモリ収録▼
【水野カエルさん回】 インドとイランとカエルちゃん
https://stand.fm/episodes/66de84bed5fd776a4e25941e
▼2回目 水野カエルさんのチャンネル収録▼
#408_Chikaraさんのお仕事観…の手前、「得意」と「やりたいこと」
https://stand.fm/episodes/67651729403bf16236b4748a
▼3回目 チャモリライブ(今回)▼
次回はまたどこかで続きをお楽しみに〜✨
[BGM: MusMus]
#毎日配信
#コラボ収録
▼▼ 過去の皆さんとのチャモリコラボはこちら▼▼
#チャモリのテレフォンショッキング
▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲▲▲ ▲▲
---
stand.fmでは、この放送にいいね・コメント・レター送信ができます。
https://stand.fm/channels/63804647b4418c968d353e65
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ただし、チャモリと言いつつ、
話をしているのはほぼボクですが、
そこは大目に見てください。
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【水野カエルさん回】 インドとイランとカエルちゃん
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サマリー
チャモリライブのエピソードでは、ゲストの水野カエルさんが前回の対話を振り返りながら、彼のワーキングホリデーの選択について話します。また、兄との影響や旅行経験が彼の人生に与えた役割についても掘り下げます。このエピソードでは、オーストラリアでのワーキングホリデーの体験を中心に、文化の違いや価値観の変化について水野カエルさんと共に語り合います。英語を話せない中での初めての海外生活のワクワク感や人々の気遣いの違いが印象的です。水野カエルさんは、オーストラリアのワーキングホリデーでの経験やナイトクラブでのバラ売りの仕事について語ります。このエピソードでは、文化の違いや言語の壁、仕事の楽しさについても触れられています。また、水野カエルさんが自身の経験を語り、遠距離恋愛からのプロポーズ、転職、ベンチャー企業の立ち上げについての思いをシェアしています。働くことの意味やそれに対する考え方の変化についても掘り下げています。さらに、水野カエルさんが仕事や人生の選択についての考え方をシェアし、特に転職や業界選びの重要性について語ります。彼は過去の経験から、自由な道を選ぶことの大切さや、流行に乗ることで生き残る秘訣について触れています。今回のエピソードでは水野カエルさんがゲストとして、夫婦間のコミュニケーションやプレゼント選びについての話を展開します。特にプレゼントの選び方が結婚生活に与える影響や、夫婦の反応が中心テーマとなっています。
チャモリライブの開始
こんにちは。 久しぶりのチャモリが今日始まりました。
今日はゲストは水野カエルさんです。 ちょっとカエルさん来られるのを待ちたいと思います。
カエルさん、招待します。 こんにちは。
わー、聞こえますか? はい、聞こえます。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。お久しぶりです。 お久しぶりですね。
ホロバックなんですね。 今日はちょっと久しぶりのテレフォンショッキングにしてみました。
あ、そうなんですね。 テレフォンショッキングって、コラボ収録のイメージがすごくあったから、なんか新鮮です。
収録しかしたことなかったですね。 最終回ってやった時に、あの時だけライブやりましたけど、
チャモリとしてはライブ初めてですね。
ありがとうございます。 よろしくお願いします。
いかがですか? もう半年ぐらい経ってましたね、前回カエルさんとお話してた。
そうなんですよ。すぐぐらいに思ってたんですけど、思いのほか平日抜けにくくって。
昨日僕も一応聞き直してみたんですよ、カエルさんの。
数日前に聞き直しました。 本当ですか?
はい。 結構、僕が一社目入って、ワーキングホリデーに行くって言って、やめましたの後、
一気にはしょって、今の話になったよっていう感じですね。 だから間が丸々はしょられたみたいな感じですね。
そうですそうです。なんかそこから後の話を聞いたつもりが、そこの前だけで終わってしまったね。
ですよね。 そうそうそう。今日はそのあたりもちょっとお話できればと。
あんまり私何を話そうとか、特に何も考えずに来てるので。
僕も何も考えてないです。
前回カエルさんと話していって、僕も自覚がなかったところが、ちょっといい振り返りになったなと思ったところが。
いや面白かったなって、話しながら力さんがあれ?って気づいていくところが何個かあって。
そうそう。すごく面白かった。
だって僕自分では、道を選んでいくみたいな感じで、高校大学就職みたいに、
一応一通り順調というわけじゃないけど、自分で選んだつもりで来ていたんだけど、
話せば話すほど、カエルさんが言ってくれたんですけど、
消去法で言ってるんですね。まさにね、僕はそうだったなと思って、その当時。
将来の夢、部長っていうのが一番面白かったね。
あれね、本当に小学校の文集みたいなの、まだ今も実家にありますけど、
本当に一言だけでしたね、僕が書いたの。部長になる。
その頃、思いつくもんが部長だったんですよね。社長じゃなくてね。
全くなりたいものって、夢っていうもの自体が意味がわからなくて、本気で。
そこからなんで、ワンホリは自分で選んだわけですよね。
あ、そうですそうです。
とりあえず最初にそこから入るんだったら聞いてみたかった。
ああ、そうですね。
そこは自分で選んだんだなって。消去法ちゃうよなって思ってね。
きっかけはでも、全部が自分というわけでは多分なくて、
やっぱりいろんな人の影響は受けてるんですよ。
そうですよね。何でもそうだと思う。
海外の可能性とタイミング
そうそう。で、一個は、僕は兄貴がいるんですけど、
兄貴からの言葉に結構、僕は敏感に反応していたかなと思うことがあって。
何歳違いですか?
2個違いなんですね。
結構近いんですね。
近いんです、結構近くて。
で、僕はへそ曲がりなので、
私もかもしれんけど。
お前はこうだよなっていう兄貴に言われると、
真逆に行きたくなったりっていうのは結構あって、
で、いろんな思い当たるところもあって、
僕、タバコをやめたのも兄貴のおかげなんですけど、
ちょっと話変わりますけど。
吸えって言われたら吸わないぞみたいな。
いや、逆に吸ってて、でもまあそんな感じですよ。
で、お前はタバコやめれないよなって一言、
正月に会った時に言われて、
僕その日にやめて、そっからもう十何年ぐらい吸ってないんですよ。
お兄さんそれ分かってて言ってたんじゃないかな。
いやいや、分かってないと思いますよ。
いや、分かってるかも。
私、3歳下の妹がいるんで。
あ、そうですか。
あんまり妹に全然タイプが違ったので、
あれしろこれしろって言ったことないですけど、お互いに。
でも兄貴からしたら、
僕をタバコをやめさせたいと思ってるふうは全くないから、
たぶん言っただけだとは思うんですけど。
でもそれ、力さんにしたら、
やめたんだってどっかで言うわけでしょ、お兄さんに。
いや、えーとね、言ってないかな。
言ったか言ってないかは分かんない。
私なら言ってしまいそう、どうやらやめたぞぐらいの。
あ、えーとね、言ってないかもしんないですね。
言ってないかな。
ただ、ちょっと話戻ると、海外については、
一個はもしかしたら兄貴の言葉の影響があったかもしれないですけど、
大学行くときに家族旅行みたいにして、
親と兄と妹もいるんですけど、
全員でカナダに行ったんですよ、スキーしに。
いや、いいですね。
うん、すごく。
こんにちは、力さん、こんにちは。
こんにちは、カエルチャーシュ。
すごいわ、私ずっと力さんって呼んでるんですけど、
本当はチャージさんってお呼びしたほうがいいんですか?
いやいやいや、もともと力なんですよ。
はい、私力さんのほうが違和感がない。
うん、で、後から力チャージってチャージをつけて、
後からくっついてますよね。
最近はチャージさんって呼んでくれる方もいるっていう。
はい、じゃあ私は力さんで。
はい、元々はハンドルネームは元々力でやってました。
はい。
で、えっと、なんでしたっけ。
ごめんなさいね。
家族でスキーしに行って。
カナダで行ってね。
いいんじゃん。
僕は小学校のときに青森住んでたから、
みんなスキーできるんですよ。7年ぐらいやってたから。
カナダもスキー王国じゃないですか。
そうそう、で、スキーしに行ったんですよ、そのとき。
ハスラーっていうスキー場に、3日か4日ぐらい泊まって、
そのままスキー場の中で過ごしたみたいな感じでしたね。
いいな、楽しそうやな、はい。
そうそう、で、それがやっぱり初海外だったんですよ、僕そのとき。
大学生のときかな。
すごくいいなと思って、そんな話をしていたら、
そのときに兄貴が、ワーキングホリデーでカナダあるよって言ってきて、
ワーキングホリデーって単語も知らなかったし、
カナダでも来れるんだっていうのが、僕の印象のどこかに残ってたんですよ、それが。
で、その後に、また全然忘れてる頃に、大学の僕の先輩が何人かワーキングホリデーで、
オーストラリアに行く方は年々1人、2人ぐらいいて、同じサークルの中で。
で、そういうのも見てたから、
あ、ワーキングホリデーって兄貴も言ってたやつだなっていうのが記憶に残っていて、
カナダじゃなくてオーストラリアもあるんだっていうのが、
どっかに残ってて、大学が終わっていくんですよ。
おー。カナダでそのとき終わってるんですね。
そうです。その頃は全然、まあそうは言っても、
僕は普通に大学入って大学卒業して、
普通にそのまま企業に勤めるんだろうなっていうことしか思ってないから、
僕の思い込みはまだそこにロックされてるから、
とはいえとはいえ、もう普通に淡々と行こうっていう感じだったんですよ。
消去法で。
消去法で。安全策の消去法で、
大きく崩れないようにしようみたいな消去法で、淡々と行こうと。
でもどっかに残ってたんでしょうね。
そのときに入った会社で、僕がいた部署は、
毎年1人、3年目に海外に派遣するっていう海外派遣制度を申し込めるっていうね。
それが一応あったから、海外は行きたいなの気持ちがあり、
大きく道を外れないでも行けるならそのほうがいいと思ってたんで、
3年目に僕は申し込もうと手を挙げようと決めてたんですけど。
行って帰ってこれるやつですよね。
そうそう。1年だけ行って帰ってきて、
帰ってくるとでもまた、一回行ってる以上、
また別の国からお声がかかって行ける可能性も広がったりと、
やっぱりそういう先輩たちはその会社の中でもいたから。
海外向けの人材になるんですよね、たぶんね。
それはそっちの道だったら楽しそうって思ったんで、
入社して1年目にそれを教えてもらってるから、企業としてね、部署として。
お前たちも3年我慢すりゃ行ける可能性あるぞみたいに言われるんで、
いや行きたいなと思って1年、2年やるわけですよ。
しかも一大イベントの、この間言いましたけど2000年問題も無事片付けて。
その後ですよね。
その後の3年目ですからね。
1月明けての、2000年明けての3年目だったんで、
よし、これで一大プロジェクトも完了したし、
僕が行っても文句ないだろうと手を挙げようと思ったら、
そのお偉い次長さんが、
お前らは手を挙げるなと。
よくありそうなやつじゃないですか。
俺はあいつを生かせるからお前らは絶対に手を挙げるなと。
手を挙げても俺らは無視すると。
それってその年しかいけないんですか。5年目でも6年目でも。
ダメです。その年しかいけないです。
その次の年は僕たちの1個後輩が3年目になるので、
その3年目の年の人たちに権利が出ると。
だから一生に一度しかその権利がないんですよ。
それなのに、そのお偉い次長さんの好き嫌いで、
あいつと言われたんで、僕はもうカチンと来たわけですね。
それは嫌ですね。
本当に嫌で、それを逃したら、
その先の、さっき言った次の国、次の国みたいなのは、
僕には二度と回ってこないと思ったんですよ。
そうやって海外行く仕事があるんだったら、
そこで行けなくても、次もあったかもしれないですよね。辞めなくても。
可能性はゼロじゃないかもしれないですけど、
事例はなかったですね、周りを見てて。
そこで完全に振り分けられちゃうんだ。
のように見えましたね。
その部署で3年目に行けなかった人で、
海外にその後行ってる人が一人もいなかったですから。
そうなんですね。
もう何十年もある歴史のある会社で、
やっぱり事例がないってことは、僕は閉ざされたと思ったんですよね、そのときチャンスが。
そのときに初めて、このまま素直に言ってもアホらしいなと思ったんですよ。
だから要は海外に行きたい気持ちのほうが強かったっていう感じですよね。
で、そのときにちょうど思い出したのが、ワーキングホリデーで。
たまたまそのときにまた、前の年か、その1年前に、
大学の当時知っていた方で、
また別でたまたまワーキングホリデーでオーストラリアに行ったみたいな人の話とかが入ってきたんだったかな、確か。
そういうのって、タイミングがあったもあるけど、
力さんがアンテナ張ってるから入ってきてるってのもありますね、きっとね。
かもしれないですよね。
その何年か前にも聞いてるかもしれんけど、
アンテナが立ってなかったかもしれない。
いろいろ大変だったし、力さんの。
そういうタイミング的に重なって、
で、そういえばって見たら、
当時25歳までしか使えないっていうのが、
ワーキングホリデービザの条件だったんで、
で、僕ちょうどちょうど25歳だったから、
会社でも逃したし、
ワーキングホリデーも今年を我慢しちゃうとそれこそ本当にもう一生いけないと思って。
その後でも翌年か何かに30歳まで伸びたんですけど、確かね。
でもまあそういうもんですよね。言っといてよかったですよね。
逆にそう、1年待っちゃったら30歳まで条件伸びても僕はいかなかったと思うし。
30歳までだったら30歳までにってなりますよね。
結局その頃にはまた仕事の環境とかも変わってて、
辞めれないかもしれないし、
結婚なんかしたらもう絶対いけなかったろうし。
そうですね。
だからベストタイミングだったんだと思います。
オーストラリアのワーキングホリデー
だから即決して、ビザの申請を出しつつ、退職届出しましたね、会社に。
だから4月、5月ぐらいかな。
で、ビザ降りて、オーストラリアに実際飛行機で現地に到着したのが8月だったんで、
もう一気にそっから会社辞めて、会社の寮だったんですけど、
寮も引き払って実家に戻って、8月には現地着という感じでした。
ワーキングホルデーって1年でしたっけ?
1年ですね、1年。
12ヶ月分のビザですね。
仕事って行ってから探すんですか?
私あんまりわかってないけど。
どっちでもできるんだと思いますけど、
行く前に探してる人は少ないんじゃないかなと思いますね。
そうだろうね。
とにかく行けばなんとかなるってみんな言っていたので、
そのワーキングホリデーというもの自体に。
大学の頃とかに僕の先輩とかが行ってた人たちの話だけは聞いてたから、
そういうもんだなと僕は思ってて、
これどっかで言ったかカエルさんに言ったか覚えてないですけど、
僕そんな早いタイミングで全部プランして、
飛行機のチケットだけは取ったんですけど、
現地に着いた後に、どこに泊まるかすら僕決めてなかったんですよ。
でもワクワクしますね。
サリちゃんこんにちは。
こんにちは。
すごい英語ペラペラな方です。
そうなんですか、サリさん。
僕その当時コークしか言えなくて、英語という絵の字も言えなくて、
飛行機飛んでって、ホテルも決めず、
空港に降りてバス停どこに乗って、どの町に行けばいいかすら僕決めてなかったんですよ。
それでもうワクワクしますね、きっとね。
もうね、着いて僕、あ、閉まったと思ったんですよ、到着して。
飛行機の中だと全然思ってなかったけど、
到着した後、あ、どこ行けばいいんだろうと思って。
僕午前中、今でも思ってますが、朝着いてお昼過ぎまで、
一個の空港の中の喫茶店みたいなところで、どうしようかなと思って。
コークしか言えないからコーラだけ頼んで、どうしようかなと思って。
そうか、サリちゃんはペーだけです。
いやいや、そんなこと全然ない。
ちくわちゃんがサリさん、ハーイって、なんかね、英語モードになっております。
あー言ってますね、そうそう。
だからそんな感じで行ったから、僕の今までのそれまでから考えると、
それ自体がもうワクワク楽しくて、なんて言うんだろう、
決まりきったものじゃないというか、どうにでもいいんだなと思って、全てが。
で、そっから、シティに行けばいいんだって言われて。
シティっていう名前も知らない、何シティか教えてくれないんだけどみんな。
シティって言えばいいって言って。
わかったって言って、シティに行くのはどのバスだから、全部始めて。
シティはあれだとか言われて、じゃあ乗って。
でもバス乗ってもどこで降りたらいいかわかんないから、
結局バスの運転手さんにどこで降りるんだって多分聞かれてんだけど、
英語がわかんないから。
でもなんかここだみたいに止められて降りたんだけど、
なんか汚い宿だったから、違うっぽいと勝手に思って、
そっから地図見て駅まで歩いて、大きなパースシティっていうね、パースっていう町だった。
パースのセントラルステーションみたいな大きな駅に行けば、
なんかあるかもと思って、そこまで歩いて。
当時はスマホなんかないから。
ですよね、今言ったのも紙の地図ですよね。
そうそう、地球の歩き方一冊だけ持ってて、
だからそれを持って、駅前まで行って、
で、適当に宿、そっから交渉しましたね、自分で。
一泊いくらだとかして。
楽しそうやな。
楽しいですよ。
今思うとね、まあよくやったなと思うけど、25歳でしたからね。
25歳で生きるんだよ。
当時は合い部屋っていう感覚が僕まだなかったから、行ったばっかりだから、
個室のシングルの部屋を1週間ぐらい取ったんですよ。
高いでしょ。
今思うとね、高かった。
それでもビジネスホテルよりは安いやどですよ。
みすぼらしいやどだから、持ってて全然安いんだけど、
初めての海外生活
後から考えると、その10分の1ぐらいで共同部屋泊まれたなと思うんだけど。
ねえ、サリちゃん、私も地球の歩き方を持って行きました。
ああ、そうなんだ。
サリーさんどこ行ったんだろう。
サリーさんもどっか行ってたはず。
あ、そうなんですね。
そうそう、当時はもう地球の歩き方がすべてでしたからね。
そんな感じで、当時の消去法で生きていた僕がどんどんうつまっていった。
経験もそうだけど、考え方とか価値観とかが全然変わりますよね、そこで。
うん、全然変わります。
何やってもいいんだと思うんですよ。
正解は何やっても正解ないし、失敗もないんだなと思って。
そうですよね。
サリーさん、サンフランシスコに行かれたらすごいですね。
いろんな方もいたし、自分でこうしなきゃいけないだろうっていう普通の当たり前みたいな考えも、
え、なんでって普通に聞かれたりとか。
なんでって言われるとも思っていないし考えてもなかったけど、
そう言われてみるとなんでだろうみたいなことばっかりだったりとか。
住む場所が変われば常識も変わるし。
そうそうそう。
例えばだけど、よく言われるかもしれないけど、
日本にいるときって誰かが何か頑張ろうとしてると、
ちょっと手伝おうかとかって言ったり、声かけてみたり、
いい格好しようとしたりとかって思って、
大丈夫よとか、なんか手伝おうかみたいに言ったりすると。
一声かけますね。
でも、もしやりたいんだったらどうぞみたいに言われて。
いや、やりたいわけじゃねえんだけど。
別にいいんだみたいな感じとか。
じゃあ、ヘルプしてって言われない限りはまあいいのか、ほっとこうみたいなとか。
だからそういう中で自然と身についていった感じはしますね。
はいはいはいはい。
今しゃべってたと思ったけど、
それ今の日本でやってると、だから僕は多分、
人の気持ちを察せないねって言われるのかなって、
今自分でしゃべりながら思いましたね。
それはそこで培われたものなのか、
いや、力さんのもともとの知識なのか。
いやーわかんないな。
そればっかりはわからないし、
そう言いながら、本当は一年こっきりの体験であって、
そっから海外にも行かれてるんだろうけども、
やっぱり日本のほうが圧倒的に長いけど、
けど変わったわけですね、そこで。
変わりましたよね。
いや、わかります。はい。
例えばですけど、僕大学のとき一人暮らししてたんですけど、
こたつの上にテレビのリモコンを置くとするじゃないですか。
四隅の左上に縦にリモコンが置いてあるとして、
友達が来たときに、テレビ見ようぜみたいにパパッとつけられて、
そのリモコンを適当にガーンと置かれること自体に僕は嫌だったんですよ、当時。
例えばですよ。
だから、やめろよとか言うわけじゃなく、
無意識に僕はそのずれたリモコンをパンとすっと戻すっていうね、
それを無意識にやるぐらいの人だったんですね。
へー。
だからまあ、何でしょうね、貴重面じゃなくて。
貴重面?
貴重面っていうわけじゃなくて、なんか嫌だったんでしょうね、そういうのは。
きちっとしてないとみたいな。
怪我されたみたいな気分なのか。
全然気にならないけど、私の旦那さんがそれに近いかもしれないな。
あ、そうですか。
でも僕、オーストラリアから帰ってきて気づいたら、
そういうのが一個も気にならない人になってましたね。
そういう変わり方もするんですね。
全く変わりました、だからそういうのが。
どうでもいいことがどうでもいいって、本当にね、思っちゃって。
まあだから、とはいえとはいえわかんない、さっきの話はわかんないけど、
もともとだから僕が空虚を読まない人なのか、空虚を読むことをどっちでもいいやってなっちゃったのかとかは、
もう自分の意識だとわかんないですけど。
わかりやすい話で言うと、そういうのが本当に気づいたら気にならなくなってた感じはしましたね。
うん、やっぱり持ってるものもあるかもしれないですね。
もともとそうだったのかな。
インドに住んでたっていうのは、前茶森のこのテレフォンショッキング時にお話しした通りですけど、
なので私の父はがっつりとインドで商社マンとしていろんな商売をやってたわけで、
帰ってきたらなんか変わるかなと思ったけど、
なんかより一層時間にきっちりした人になってましたね。
だからどう変化するか人によるのかもしれないですね。
ちっちゃい頃から人を待たせての相手の時間を奪うことだっていうふうに言われて、
私は育ってきたので、そこ変わらなかったですね。
あの国に住んでも。
僕は逆に時間は気にならなくなった気がしますね。
年齢もあるかもしれないです。
結婚して二児の父でいった私の父と。
むしろ責任感のほうを強く感じたのかもしれないですね。
はい。がっつり商社マンで乗るままって。
しっかり自分がしないといけないという。
余計に周りがルールにルーズであればあるほど、
自分がしっかりしないとみたいな気持ちになるかもしれないです。
かもしれないですね。
サリーちゃんが面白いこと書いてるのは、
アパート内にあった自販機のパンが落ちてこなくて、
結婚したいって言うの。
日本の自販機とかはしっかりしてるなっていう気はしましたけどね。
日本はね、いろいろしっかりしてるとは思います。
私、比較の先がインドだからものすごい感じるけど、
オーストラリアでもそうですか?
うん。しっかりしてるものがないって感じです。
電車も来ないし。
でも大らかですよね、その分ね。
すごい大らかですね。
国土が大きな国の人たちって大らかなんじゃないかと思いましたよ。
移動距離も日本と比べ物にならないぐらい長いだろうし。
長いですよね。
だって、絵はがきでなんか見たけど、
オーストラリアの大きさってヨーロッパぐらいの大きさだったんじゃないかな、確か。
でもすっぽり入っちゃうんじゃなかったかな。
すっぽり入るぐらいでしたっけ?
だったかな。ちょっと記憶が曖昧ですけど。
でもだいぶ大きいですよね、あそこ。
みんな時間守んないし、適当にじゃあねって帰るし、
え、まだ来たばっかじゃんみたいな。
日本だと気を使って、帰りたいのに帰りたいと言えないみたいな雰囲気のときでも、
普通に今日は帰るとか、逆に今日は行かないよとか。
用事あんの?って言うと、いや用事はないけど行きたくないから、今日は行かないとか。
そういうもんなんだと思って、友達じゃないんだっけみたいな気分になって。
でもそれはそれで、友達だけども、行かないはいかないっていう、そんな感じというか。
価値観の変化
気遣いを変にするっていうことがいらないんだなって、
どんどんわかっていった感じはしましたね。
気遣いって日本人の美徳でもありますけどね。
いいところもあればって感じですよね。
いいところもあるから、全否定もできないけど。
ちくわちゃんとサリーちゃんで面白いこと言ってるな。
国土の規模が大らかさに影響する。
あ、やっぱりちくわさんもそう思いますか。
ちくわさんもどっか行ってたんでしたっけね、海外に。
どっか行ってたのかな。
違いましたっけ。
サリーちゃんと2人で、ちくわさん狭いとセカセカしちゃうって言ってますね。
そうそう。
だから1個の僕のきっかけは大きくそこでしたね。
レールにずっと決められたのに乗ってて、小中高第一車目って、
ワーキングホリデーの始まり
本当のしっかりした大企業だったと思うけど入れて、本社採用みたいに言われて、
すごいとこ入りましたねみたいに言われてたそのレールから、
だから言ってありませんでしたけど。
余りものだけれどもしっかりした大企業でしたよ。
今もある会社ですからね。
何百年ぐらいの会社ですよね。
でもそれが普通と思ってたけど窮屈だったんでしょうね、どっか自分で。
そうなんですよね。そうだというアンテナが立ってるからワーホリに反応していったわけで。
たぶん。
で、そっから1回本当に1年全部断ち切って行ってみたら、もう居心地が良くて。
1年何してたって一言で言うと難しいですけど、何してたんですか。
1年でずっとぐるっとオーストラリア回ってましたね。
働いてたんだよね。
働いたのはバラを売っただけですね、パースで。
また面白い仕事ですね。
そうですよね。
2ヶ月くらいかな。
語学学校パースで行ったんですよ、最初は行ったばかりだから。
語学学校行ってるときに募集みたいのいっぱい貼ってある日本食レストランがあって、
ハウス情報だとか、こんな仕事ありますよとか。
日本語で書いてあるんですか。
そうそう日本語で書いてある。
携帯僕帰るんで誰かが譲りますとか、そういう情報いっぱいバーっと貼ってあるところに。
当時だから紙で貼ってあるんですよね、ペタペタペタって。
そうです。当時だから紙で、それを他の人に撮られないようにみんな自分で撮っていくわけですよ。
自分に興味あるやつ。
そのときにたまたま僕が見に行ったときに、
夜のナイトクラブ向けにバラを売る仕事できる人募集してますっていう貼り紙があって、
ちょうど僕がやってるのに、僕が次の町行くから引き継ぎしたいですみたいなのが貼ってあって、
そんなことなんだこれ、面白いなと思って電話して、
そのまま僕がその週から引き継ぎさせてもらって、バラを売ってました。
バラは30本ぐらい毎夜6時ぐらいに抱えて、ナイトクラブ、歌舞伎町みたいな感じですよ。
夜の街を歩いて、バラを持って行って、
ナイトクラブって日本でいうクラブ、踊るクラブですよね。
バラのバラ売りですか。
そう、そこのクラブに入って行ってバラを売るっていう仕事です。
最初は売れないんですけど、だんだんみんなお酒回ってくると、
おいバラのやつこっちこいみたいに酔っ払いのおっちゃんが呼んでくれて、
はいって、来ました、ただいまって言って、
そうするとおっちゃんが、一番いいやつくれって言ってお渡しすると、
おっちゃんが連れてる女の子に対して、大好きだよみたいに言って、
バラをピッと渡して、キャーって鳴るっていう演出をするためのバラ売りをやってました。
目の前でバラが売れるために、そういう人間劇場じゃないドラマじゃないが広げられるわけ。
そうそう。
中にはゲイの人用のクラブもあるし、ゲイの人がゲイ同士でそういうのもあれば、
街歩いてるときにたまたま、今日奥さんの誕生日だから全部それくれって言われて、
20本ぐらい買って、
そうすると、もうバラのバラ売りじゃなくて花束になっちゃうんですね。
そうそう、それはもう花束ですけど、
そういうのを、
終わりですね、売り切ったら。
1本確か、当時でいくらだろう、あ、それ3ドルぐらい、
オーストラリアドルだから当時50円ぐらいだったんで、
1本1から3のバイト代大変だけどなるんですよね。
それ現金でもらえるんで、そのうちの半分が僕の手取りでしたね。
ナイトクラブでのバラ売り
半分は元締めの人にお返しするって感じでした。
はいはい、なるほど。
でも今考えるとその元締めのところって、ちょっと怪しいとこだったんだろうなと思うんですよ。
毎日毎日だからバラを受け取りに行くわけですよね、今日の分だよって。
そうです、今日の分だよって。
バッジをもらうんですよ、ローズ屋さんのバッジを。
首から下げるんですけど、その首から下げたバッジを、
セキュリティーのガードマンの人に、
ナイトクラブの門に立ってるごつい人に見せると、
どんだけ長打の列でお客さん並んでても、
いいよ、入ってって言われて入れる。
全部のナイトクラブに顔が聞いてる元締めさんってことですよ。
ここで売ってじゃなくって、あちこちに売りに行くんですか?
その店をてんてんとするんです。
えー、ちくわちゃんがめちゃくちゃ楽しそうな後に、
カムイーンってやってる。
そうそうそうそう、カムイーンって言われて、入っていって、
そんな感じでしたね。
後から聞くと、よく無事だったねって言われますけど。
でも、みんなそんなもんじゃないんです。
私も、自分がワーホリに行ったことがないからわかんないけど。
結構、バラを売ってる人とかはそんなに多くないんですけど、
珍しかったみたいですけどね。
でも、何か売ってる人は多いんじゃないのかな。
異文化体験と帰国
あとは、なんか書道やって、路上ライブみたいにして売ってる人とかもいたり、
本当に普通にアイルランドから来た人は、
そのままメルボルンに飛んで就職してましたね。
本当の会社で。株式会社みたいな会社に。
1年足らずでもそういうことあるんですね。
で、もともとアイルランドの人だから、英語はもともと堪能だし、
たぶんそれを目的にワーホリでまず来て、
就職先探してビジネスビザに帰るっていう、
たぶんそれをやろうとしてた。
1年だけど帰らないパターンになるんですね。
そのままそこにいるって決めてた人もいたし、
あとは、日本人で知り合った人でバンド組んで、
オーストラリアでデビューした人と出会ったりとか、
いましたよ、いろんな人ね。
だから、なんでもいいんだなと思って。
で、その後でも僕は、同じ場所にいるのつまんなくなっちゃって、
やっぱりせっかくだから全部一周しようって言って、
当時ワーホリのオーストラリアの人だとラウンドって言ってたんですけど、
ラウンドしようって言って、ぐるーっと下回りで一周しましたね。
東海岸だけはちょっと飛ばしましたけど、ほぼ全部行きましたね。
だからその後は貧乏旅行なんで、
現地現地でお魚釣って、釣れたらご飯食べれるみたいな生活してました。
でもめちゃくちゃ釣れるんですよ。タイみたいなやつとか。
そうなんですか。
すごいですよ。ちっちゃいサバみたいなやつとか、
もう唐揚げにしたらめちゃくちゃおいしかったし、
で、釣った魚をまた餌にできるから、それ取っといて切って、
で、それを使って魚釣りしますね。
サリーちゃんが、私の友達もワーホリがきっかけでオーストラリアに移住しちゃいました。
結構そういうことを狙っていく人が多かったですよ。
ワーホリはハエは多かったですかね。
オーストラリアもめちゃくちゃハエ多いですよ。どこも多いですね。
人も負けずにハエ多かったですよ。
ああそうですか。
私は空中のハエ叩けるようになりましたもん。
すごいですね、それね。
でもなんかね。
一人としては3割ぐらいですけど。
いやでもすごいじゃないですか、3割。
はい、ちょっと上達しました。
でもなんか乾燥してるから、オーストラリアは。
インドも乾燥してますよ、結構。
そうですね、カラッとしてますよね。
インドは換気と雨季があるから。
あ、そうなんだ。
雨季はじゃあちょっと地面とするんですか。
そうですね、雨季は温存で、
でも日本の梅雨よりはもうちょっとカラッと。
ああそうなんですね。
降るときは降って、あとちょっと道路に水が溜まってみたいな。
ああ、そっか。
今もあんまり変わってないみたいですね。
オーストラリアは、南の方は結構冬寒かったり、湿気がある感じで。
そうですね。
で、真ん中あたりはほぼカラッとしてて、
上行くともうあの熱帯みたいな感じで地面とするんだけど。
乾燥してるあたりってもう乾燥がすごいから、
ハエとかゴキブリとか全然汚い感覚がないんですよね。
何でか知んないけど。
ああ、確かにね。
めっちゃくちゃ乾燥してるとあれ気分なのかもしんないですよね。
地面としてるところでゴキブリとかあったら、うわーってなるけど。
日本で見たら嫌ってなりますよね。
嫌ってなりますよ。僕も今、日本で見たら嫌ってなるけど、
すんごい乾燥してる場所で、
サササーってゴキブリ歩いてても全然違和感なかったりしました。
うん、確かにそうかもしれない。
ハエもだから全然気にならなかったですね。
口開いてると入るから気をつけろって言われて。
本当にそういう場所あったりするけど。
気をつけはするけど気になりはしないって感じ。
確かにな。
だから日本に行って、要は気になっていたこととかが、
どんどんロックが解除された気分かもしんないですよね。
でしょ。
意図的に解除したわけじゃないけど。
日本に行ってから行くとまた違うだろうな。
今また行くとまたわかんないけど、
今はもうなんか歳とっちゃったから、
そういう感覚よりも快適な旅行がしたい気分になっちゃってるかもしんないですけど。
でも当時は本当に僕全てが新鮮でしたよ、そのとき。
そうですよね。
特にだから、ずっと縛りつけてた気分があったんかもしんないですね、自分を。
わかんないけど。
だから余計かもしんないですね。
帰るの嫌だったでしょ。
嫌でしたよ。
でも一年っていう縛りもあるし、
1個の選択肢はやろうと思わなかったけど、
ワーキングホリデー・ビザって1つの国1年っていう縛りがあるだけで、
別の国だったらいけるんですよ。
ああ、そうなのか。
だから中には、前の年カナダ行ってました。
で、今年ワーホリで2年連続で今ワーホリーオーストラリア来てますっていう人も中にはいたりして。
そうすると、26になる前に取ればもう1年行けた?
ギリ行けたはずですよね。
ただお金が見るものでないし、
カナダは寒いイメージがあったから、
まあいいかと思って日本帰りましたね。
本当はオーストラリアに入れるんだとは言いたかったし。
だから英語力がもうちょっとあって、
最初から現地で仕事を探すって思って行ってたら、
また違う道あったかもしれないですけどね、今思って。
もう1回行ったらまた違う生き方ができますよね、たしかにね。
できると思いますよね。
ただ当時は1回戻るかと。
もう1個あれだ、思い出した。
僕、当時付き合ってた方がいて。
ずっと待たせっぱなしだったんですよ、その1年間、日本に。
付き合ってすぐに僕、オーストラリアに行っちゃってるんで。
待っててくれたんですね。
そうそう、待っててくれたんですよ。
素敵。
だってオーストラリアに僕、行くって決めた後に付き合ったんで、
もう行くって決めて、8月に飛んでるから、
もうちょっとしかいなくて、すぐいなくなってんじゃん、僕。
で、オーストラリア1年行っちゃったから、
一応毎週末は電話してたんです、オーストラリアからずっと。
すごいじゃないですか、チカラさん。
すごいでしょ。
たぶんチカラさんと私の割と似てるところはそこで、
はい、私も1週間、2週間会わなくても全然気にならない。
でもとりあえずは、ちゃんとつなぎをつくって、電話をして。
あ、そうだ、あれもやってましたよ。
当時インターネットカフェっていうところじゃないと、インターネット環境なくて、
そういう時代ですね。
そうそう。でも毎日メールはしてましたね。
今日こういうことがあったよとか、
ハエがいっぱいいたよとか、ゴキブリ出てきたとか、
遠距離恋愛とプロポーズの決意
例えばですけど、そればかりじゃないけど、
今日こんなことして、こんな楽しかったよとか、
そういうのはメールしてましたね。
ダメですね。
当時はね、だって付き合ってばっかですもん。
私もその当時絶賛東京と大阪で遠距離恋愛中だったけど、
全然連絡しなかったですね。
本当ですか。そうなの。
でも僕がしたいというよりも、
ちゃんとそこはしないといけないなと、
僕が勝手に来ちゃってるからという気持ちが強かったかもしれないです。
僕の勝手な思いでオーストラリアに来ちゃった。
それもあったんで、
いやもう2年連続はさすがに申し訳ないっていうのもあった記憶があります。
その方が今の奥さんなんですよ。
すごいですね。
だからずっと待っててくれてたんで、
僕ちゃんと責任取らないとって思って。
聞こうと思って、良きかんなって思ったんですよね。
今の奥さんかどうかって。
そうそう、今の奥さんなんですよね。
だからこそちゃんと僕は、
この後の話ですけど、就職して、
定期的なお給料をもらえるとこにきちんと就職した上でプロポーズしようと決めて、
プロポーズしたのが、その2、3年後ぐらいかな。
それもあって、もう1年このままっていうのはないなと思って、
日本に帰ったっていうのが思い出してましたね。
ベンチャー企業の経験
そこでちょっと落ち着こうと思ったわけですね。
落ち着こうというか、一旦日本の近くには帰ろうと思ったんですけど、
その後ですよ、またちょっとあれですね。
もう45分も経つんですね。
ワーキングホリデーの話しかしてないんですか。
いや面白いです、ありがとう。
これ、私が休みとか取れるたびにまたドキドキみたいなのに。
僕はあんまりここまで話して、僕の話ばっかりするのあんまりないので。
いや嬉しいですね。
そうそう、その後日本に帰ってきてから、
僕は普通のサラリーマンじゃ嫌だと思ったんですよ。
そこからね、転職7回してらっしゃるわけです。
最初はもう、何かの事業を起こしたいみたいな気持ちにボンと入って。
それもね聞きたかったんですよ。
それだけ変わるんだったら、なんか一つ起こしたらどうかなとかも。
そう、で当時だからオーストラリアではいろんな人がいて、
サメを養殖してフカキレを日本に輸出してる会社を作ったっていう人とかいたりとか、
そんな人ゴロゴロいたから、やりたいことをやったらいいんだなと思って日本に帰ってきたときに。
でもそうは言っても、そんなことをやったこともないし、
自分に何かスキルがあるっていうのも、これまでだってレールに乗っただけだったんで、
与えられた勉強をこなしていただけだった人だから、
何かって言っても、たとえばホリエモンみたいにこれだーみたいなの見つけられるわけがないんですよ。
なのでどうしようと思ってたときに、たまたまその大学のときの1校上のサークルの1校上だった先輩が、
ちょうどある会社、化粧品の通販会社を仲間うちで立ち上げたから、
どうせ暇なんだから来なよって言ってくれて。
そのときって日本に帰る就職しようかなーみたいなときですよね。
もう日本に帰ってきた後でしょうね。
帰ってきて2、3ヶ月ぐらい経ったときかな。
なんか日本に帰ってきたって聞いたけど、どうせ暇ならちょっと一緒に手伝いなよみたいになって。
あーもう即行きますって言って、その次の日に事務所に行って、
その日に就職みたいになりました。
それがベンチャー。
私は和を掘りではなかったけど日本に帰ってきたくなかったのか。
私も子供のときインドに住んでて帰りたくなかったですね。
半年に1回を10回やりましょう。
さりーちゃんそうなんです。
ちくわさん半年に1回って言ってるんですけど、
1回目がこの背景に見える9月ぐらいで、
2回目が年末で、で今回なんです。
半年に1回は言い過ぎかもしれんけど、
数ヶ月半年、今回半年近く空いてますね。
ぜひまたやりましょうよ、ちょっと。
はい、ありがとうございます。
そうそう。
ごめんなさい、さりーちゃん。
それでベンチャー立ち上げて3ヶ月ぐらいの会社だったんで、
今思うと、
あれ聞こえますか?
ちくわさん聞こえる?
あ、聞こえますか?
マイクが切れちゃった。
でも大丈夫、今聞こえてます。
大丈夫ですか?
マイクが電源がなくなっちゃったな。
ちょっと待ってください。
大丈夫です。
さりーちゃん、ちくわちゃん聞こえてますよね。
多分聞こえてるはず。
ごめんなさい、今マイクが、電源が切れちゃってた。
あら、ノンマイでございます。
大丈夫ですね。
もう1本別のマイクにしました。
うんうん、大丈夫です。
そうそう、だからそんな感じですよ。
そっからベンチャー行って、
2年くらい、1年半、2年ぐらいですね。
だいぶ違いますよね、その大きいとこと。
もう全然違いましたね。
何でもやっていいってなった代わりに、
何にもないっていうか、保証もないし、
給料だから、僕無給で全部2年ぐらい。
結局やったし。
おお、そうなんだ。
うん、だから最後お金が尽きてもうダメですって言って、
辞めたんですよ、僕。
そうなんですね。
だから本当の立ち上げを経験させてもらったっていうのは、
今逆に大きな経験になってますけど。
そうですよね、きっとね。
ただもう1回やるかって言うと、僕絶対にやらないですね。
二度とやらないって決めたんで。
だから逆に僕、今からなんか事業やりなよって言われても、
絶対やらないですね。
あ、そうなんだ。
逆に思った、立ち上げられるようになってるから、
立ち上げてみるって言うかと思った。
いやいや、もうね、
これは思いつきでやったら無理だと思って。
だからサラリーマンが最強って今でも思ってるんですよ。
そうなんですね、はいはい。
だって自分が働かなくても毎月給料が入って、
銀行の口座にきちんとお金が振り込まれるなんて、
こんな素敵な環境はないって、今でも思いますね。
そうですね、病気したり、多少ペースが落ちても一応同じお金を振り込んでくれて、
なんならこうやってたまには休みも取れて。
そうなんですよ。
万が一売上が出なくても給料が減ることもないし、
でも自分でやってる時って売上がなかったらもちろん給料ないし、
その先どうなるかもわかんないし、っていう感じで。
まあうまくいければいいですけど、安定してくればね。
でもそこまではやっぱりきついなーっていうのがありましたよね。
ああ、そうなのか。
どれだけ時間を使うとか関係ないから、
寝ようが寝ないが売り上げなきゃもう生活できないんだと思って。
それを身にしめてわかる2年になったって感じでしたね。
そのときに、しかもどっかでも言ったけど、
詐欺師も来たし、泥棒も入ったし、事務所に。
いろんな経験をさせてもらって、
いろんな激動な感じでしたね、その頃ね。
でもその経験って次に聞いたわけですよね?
次に聞きました。
だから全てを割り切れるようになったんですよ、僕。
仕事っていうものに。
すごいな、仕事っていうもの。
力さんの性格と素質もあるかもしれない。
カエルさんが?
いや割り切れる。
そうそう、だからもう一回整理すると、
一旦終わりかけなので整理すると、
僕はずっと。
続くですね。
これ続かないとダメですよね。
誰かに決めてもらった、自分は知らなかったけど、
今を振り返ると誰かにきちんと決めてもらったレールに乗って、
長中高第一車目と行くわけですよ。
自分でそう選んでる気になっていたけど当時。
でも今思うと全てが誰かにきれいに、
事故らないように乗せてもらったレールだったところから、
一回外れて、
もう当時退職すること自体が何たることかみたいな感じだった時代だから、
もうやめるって決めてオーストラリア行ってから、
自分がやりたいことをやればいいじゃないになって、
仕事にそれを求めるっていうのがその次の状況だったんですよ。
どうせやるんだったら毎日やる仕事に対しては、
やりたいことをやりたいようにやるのがいいはず。
だから決められたサラリーマンじゃなく、
働くことの意味を考える
自分で何かをできるベンチャー企業だって熱くなってた当時があって。
そこでもうどいたい目に合うわけですよ。
立ち上げたばかりの会社すぎて。
だから両極端すぎたんですよ。
大企業、超大企業の古くからの伝統的な。
端から超出来立ての、何者かもわからない、
どうなるかも、事業すらどうなるかわからない出来立て会社に入ってしまったおかげで、
詐欺師が来て会社分断されてお金持ち逃げされたりとか、
泥棒にオフィス入られて、警察が来て大丈夫ですか?になったりとか、
めちゃくちゃいろんなことを体験し、
仕事というものは、自分がやりたいことを求める場所じゃないと。
自分が生活をするための定期給をもらう場所だと、
僕が一気にそこから舵を切り直した。
そういう考えに整理されたんですね。
それが今でも僕の根底にあるんで、
僕は自分がやりたいことはある程度は抑えようとはしつつ、
でも自分の一利用がりじゃなくて、給料を僕を認めてもらって、
定期給をくれそうなところに振っていくみたいな感じが、
そこから設計されていった感じです。
本を読んだら、ごめんなさい、私がちょっと思ったら、
結構転職を繰り返してらっしゃるのって、やりたいことをやるっていうよりは、
待遇がいいほうに移ってったっていう意味合いでいいのかしら。
それはでもミックスされてる感じです。
ちょっとやりたいこともやれるし、
こういう興味のあるほうにちょっと移れるしっていう、
それはぜひ聞きたいな。
割合の比率で例えばで言うと、
僕が大企業に入ったときには消去法で言ってるから、
やりたいがゼロ。
でも入れる、やりたいがゼロ。
いや本当にだって、余ってる会社から3つ4つからで選んでって言われただけで、
やりたいも何も、何の会社かも知らないって感じだったから。
大学でやってることも消去法で選んでるから、
そこから選んだらやりたいことが少しは残ってるでもないんですね。
そこが私と違いなの。
大学に入った時点でやりたいことじゃないなっていう感じだったんですよ。
だから勉強してたんです。
聞きましたね、こないだ話してて。
やりたいことがゼロゼロゼロで来てて、
でも安全安全安全、これでただしんだが来てたわけですよ。
仕事入ってみたら、唯一やりたいかもと思った海外に行けないってなって、
このままゼロがあと40年とか続くのかと思うと、
無理だって思ったのが1個の壁だったわけですよね、たぶんね、僕にとって。
その感じだと、何やりたいんだろうになりますよね。
そう。でもわかんないけど、海外に行きたい気持ちはあるから、そこで海外に行ったんですね。
やりたいことを選んだんだ。
そうそう。やりたいことをたぶん初めて自分で、
レールを外すぐらいのやりたいことを自分で選んだっていうのが、
すべてのカルチャーショックに僕になったんだと思う。
その1年がオーストラリアの。
すみません。働いて2年で会社、私もそうなので辞めてるので。
結局辞めた時点でだいぶですよね。
カエルさんもそうでしょうけど、当時で思うと相当ですよね、2年目に辞めると。
そうですね。私は海外に行ってないですけど、大学院に入り直してるので。
そうだったんだ。
言ってないかもしれないですけど。
人生の選択と自由
いやだからそこでちょっと見え方が変わりましたね。
大学で言われた会社に入ってずっとやる以外の道も全然普通にあるなぁですよね。
そうそう。だからレールって1個しかなくて外れたら脱線すると思い込んでたけど、
外れたらそこのレールがまたあるだけじゃんと思った。
脱線してそこに乗ったらまたそこのメインストリートじゃない、なんだっけ。
違う線路があるんだ、普通にって。
穴とか崖じゃないんだっていうのが、外れてみないとわからなかったけどっていう感じ。
そうですね。外れた道はみんな転落するじゃないですね。
そうそうそう。転落なんか1個もないやと思って。
そっちはそっちで違う人がいっぱいいたという感じで。
そうですね。
でも僕の反省は極端なんで、僕自身が。
180度間隔が変えられる人だから。
だいぶ触れてますね。
オーストラリアで一回外れたときに外れていいんだと思ったら、
今度立ち上げ3ヶ月のベンチャーに飛び込んじゃうんですよ。本気で。疑いもなく。
そこでやりたいこと10で、給料ゼロでもいいし、生活なんかどうでもいいし。
その当時の彼女は、僕が9時、12時まで働いて土曜日も仕事してたから、
日曜日だけ唯一デートしてました。
だからオーストラリアで電話だけだった生活が、
帰ってきたくせに日曜しか会えないしとか、
平日は連絡今度逆に全く取れなくなったりしたりとか。
それで2年ぐらい行ったんですよ。
でもそれで、いやさすがに3年待たせてるなって僕も思って、
仕事をやりたいこと10で、お給料生活ゼロで、
その当時の彼女のこともほぼほぼ1ぐらいでしょ。
これは責任取らないとダメだと思って、
まともに就職しようとしたのがその次ですね。
もう一回サラリーマンに戻るって再決心したのが次で、
僕の中ではものすごい大きな決断だったんですよ。
絶対にもうサラリーマンなんか二度とやるかって思って帰ってきてるから。
うん、確かに。
で、2年で僕は中間地点をちょうど、
落としどころとして腹落ちするのに。
だから中途触れた後に、戸渡りに帰るみたいな感じじゃない?
そうそう。
だからそこでもう一回腹落ちするのに2年かかって、
無休で2年やったらやっぱり腹落ちするんだなと今だなと思うけど、
中間地点でちゃんと、ちょっとはやりたいこともやりつつも、
でも大きく外れないように、生活は崩さないようにしないといけないんだっていう責任と、
転職の重要性
当時の彼女、今の奥さんへの責任感もあり、再就職をするっていうのが次で。
そのときに、1社目の業界とも2社目のベンチャー企業とも違う会社に、
たまたまそれは入ったんです。
それはもう本当のたまたまでした。
自分で選んでないんです。
1社目、2社目の経験があってのことですか?
いや、もう関係なかったですね。
1社目が情報システム部で、プログラミングエンジニアみたいな感じで、
2社目は化粧品の通販だったけど、
立ち上げて3ヶ月目だから、何をやるとかじゃないんですよ。
何でもやれることをやりなさい。
お客さんのところに売り込みに行けもそうだし、
化粧品を作る、OEMする会社へとの交渉をやりなさいもそうだし。
システムだけいじってりゃいいんじゃなくて、全然違いますね。
もう全然違います。すべてやりなさいだし、
売り上げないんだったら新聞のビラ配ってバイトしてこいもそうだし、
もう何でもやりましたね。
そのときだから、何をやっていたのって言われても履歴書に書きづらいぐらいの。
何でもやったし何にもやってないみたいな感じですね。
その後だから業界もわからず、そのときは手当たり次第履歴書を送りましたね。
業界を絞る絞らないとか関係なく募集がかかって。
転職サイトとかじゃないですもんね。
履歴書を送る方ですよね。
そう。で、たまたま面接いいよって言われた会社が、
何だっけな、当時ベルリッツとか。
英会の?
そうそう、ベルリッツで。
そこそこ英語喋れるようになってますよね、そのときに。
そう、それなのでベルリッツだったら何かできるんじゃないの?と思ってベルリッツ受けたりとか、
あと全然違う業界受けたりとか、
化粧品の業界もあるし、今で言うとスープストックでしたっけ?
あれがちょうど立ち上がったばかりの時期で、
そこの店長さんどうですかっていうのもあったりとか。
フランチャイズになるのかな?
そうそう、フランチャイズ的なやつかな。
そういうベンチャー機質でいけるんだったら、
立ち上げたばかりのスープ会社ですけどどうですかみたいにあったりとか。
今で言うとDNAという会社だとか。
今めちゃくちゃでかいじゃないですか。
もうなんてことしたんだと思って。
でも当時まだ立ち上がったばかりだから。
でもベンチャー機質のあなただったらみたいに、
どんどんそういうところを手当たり次第受けていったって感じです。
おーすごいな、DNAの力さんだったかもしれないんだね。
ね、もしかしたらね。
今思ったらすごいとこ入れたらよかったなと思ったけど。
面接まで行かなかったのか、持ち込まなかったのか、
ちょっと覚えてないですけど、ご縁はなくて。
で、その中のたまたま入った業界が、今も続いてる業界です。
だからそこからは業界は僕変えてないんですよ。
なるほど。業界変わってないけどちょっとずつお仕事が変わってるみたいな感じ。
でも結構大きな業界で、その業界の中でも分野がいろいろあるって感じ。
はい、わかります。
流行りの分野だったり、古い分野だったりがあるので、
その業界の中でより流行りの方に動いていくっていうように転職はしてます。
うーん、面白いな。
あんまり業界具体的に言っちゃうとちょっとあれだから。
それはまた収録するときに。
そうですね、ぜひぜひ。
収録するときに、そのときは私のお仕事も。
そうですね、ぜひ。
言える範囲で言うとでもそんな感じですね。
だから僕の中ではやりたいかどうかよりも、自分が生き残れるかどうかが今のシューで。
生き残るには、廃れていく分野よりも流行りの分野に行ったほうがいいから、少しでも。
結構、廃れたりが大きい業界なんですね。
大きいですね。めちゃくちゃ大きいので。
一回廃れた方に行っちゃうと、二度と戻れない可能性があるから。
そういう人たちいっぱいいるんですよ。
はいはい。それだけで生き道があるんですよね、廃れたところなりの。
現在の仕事と未来
廃れたところは、さらに廃れたところに生き道があるんです。
誰も行きたくないから募集はかかるんですよ、そっちは。
なるほど、人の入れ替わりが結構。
あります。
たりするんですよね。
だからこそ、一回廃れた方に入っちゃうと、もう廃れていくしかないっていうのをいっぱいいろんな人見てるんで。
少しでも廃れてない方にどうやったら動けるかを、今はずっと考えてますね。
止まっていると廃れていくってことでいいんですか?
いや、会社自体が止まらなければ、会社自体がちゃんと昔やってた分野を捨てていって、
新しい方に動いてくれる会社もあるんで、
そういう会社にうまく入れるっていうのが、たぶん一つの道だと思う。
でも中には、なぜか知んないけど、過去にやっていた分野にずっと固執して、
そこを守るんだ、我が社の信念みたいな会社もどうしてもあって。
そういう会社に入っちゃうと、もう一緒に共倒れしていく感じですよ。
だからそうならないようにうまく動きたいんだけど。
わりと力がみなり動いてる人でなくても、動いたほうがいいっていう業界はありますね。
そうだと思います。
でもそれを動かない人は、そんな業界にいても動かないから、全然転職しない人もいっぱいいますね。
でもそういう人こそ、だいたい文句言ってますね。
この会社ひどいとか、もっとこうやればいいのにとか、愚痴ばっかりな感じです。
変えていこうっていう人はいないんですね。
転職したいなっていう人はいますよ。そういう業界だから。
でもあとは、転職はしたいって言ってもできるもんじゃないじゃないですか。
そこはもう選ばれるもんだから。
そりゃそうですね。
あとはそういうふうに自分が選んでもらえるように、
自分のキャリアを削減できるように積んでいくっていう感じですよね。
確かにね。
履歴書というか職務経歴書自体を興味を持たせるように、
ストーリーを感じさせるように作らないと、書類で受からないから。
だからそれを、僕のこの履歴書だったらもう一個これが入れば、
あっちの業界、あっちの分野からもしかしたら興味があるって言われやすいかもみたいなことを考えながら、
少しずつ色づけするために転職をしていたりします。
うん、すごくそう聞こえたんで、その辺を聞いてみたかなって思って、
最初にお願いがあったんだと思って。
やっとここまで来ましたけど、3回目にして。
今日もまたお時間が。
確かにそうですね。もういい時間喋ってますね。
一つだけ聞いてもいいですか。
はいはい、ぜひぜひ。
これで終わりくらいにしよう。
さっき奥さんを結構待たせたみたいなお話があったと思うんですけど、
チカラさんが全部養うみたいになってるけど、そうなのかって思って、
うち全然養ってくれる感じがなかったので、これはこれで極端かもしれないけど。
うちはそうですね、僕だけが働いてます。
はい、それでもお互い納得の上でですよね。
妻もそうしたいということでしょうね。
はいはい。
私結婚の時から東京と大阪で別居で。
言ってましたよね。
はい、全然養ってもらう気もなく。
いやそれがやっぱり、今思うとそれはありがたいことですよね、本当にね。
どっちがいいかわかんないですけどね。
正解はわからない。
その分だからチカラさんは結構長い時間仕事に集中できたわけで。
そうそうそう。本当にそれは思います。
はい、だからそれを羨ましいと思わないって言ったら嘘になるし。
まあでもバランスの取れた何十年ではあるなとは思うので、何が正解でもないんですけど。
確かに。
僕が仕事に集中できる時間を妻が作ってくれたおかげで。
はい、すごいお夫さんの。収入こそなくても、お夫さんのおかげってすごい大きいなあと聞いて。
だからこそこのタイミングで僕は今の職務経歴書をストーリーとして描けるところまでは来れてるし、
だからこその余裕、余裕じゃないけど気持ち的な持ちようが今の保ててるものがあるとは思うし。
ワイドショーにも反応しないといけないと思う。
ワイドショー。
で、最近どうですかを聞いて私は終わりたい。
いやでもね、最近もちょっとまた、なかなか難しいですよ、そうは言ってもって感じ。
いやなんか悟りを開いたな、すごいなーって前回のとき思ってたから。
ちょうど12月ぐらいでしたもんね。
そうです。ちからさんがそういう配信をされて。
そうだ、前回カエルさんのとこに行ってたときもそんな話題もちょっと確かしてましたもんね。
そこが長くって。
それで時間がかかったんでしょうけど。
番掘りまでしかたどり着かなかった。
それは大変失礼しました。
いや私が聞きたくて最初に聞いたんですよ、あのとき。
あ、そうでしたっけ。
そうですそうです。
いやでもだからそっから半年ですけど、
僕自身の気づきもあって、素直にごめんを言えるようにもなったと思って開いたんですけど、
そうは言っても、毎回ごめんごめん言ってると、言われるほうもたぶん薄まっていくんでしょうね。
ごめん言うならやるなよって言われる。
結局そっちに今少しずつまた戻りつつありますけど、
コミュニケーションの変化
12月より前ぐらいのひどい感じっていうか、
そういうとこまでは戻ってない感じですね。
はいはい、すごいすごい。進化してる。
いやでもこれは本当にね、僕が言うのおかしいけど、
奥さん側も同じ気づきがあるとまた違うんでしょうけど、
奥さん側は何にも変わってないんでしょうか。
変わってないんですね。
なんか力さんが変わると奥さんも変わるのかなーみたいなことを、
前回何か言ってないかわかんないけど思ってて。
だから多少はあるんでしょう。
なんか僕の反応が変わったぞって、あれっていう気づきはあるけど、
でも振る舞いがちょっと変わったかもぐらいで終わってるんで、
僕が要は腹落ちして何か根本的に考え方が変わったかどうかはわからないかな。
ちょっと力さん最近、あたりが柔らかいかご機嫌がいいぐらいになってる。
そうそう、あれなんか、ちょっと今日はたまたまいいわけみたいなぐらいにしかやっぱ思わないですよね。
で、逆に僕が何かを説明しようとすると今度はあれと一緒ですよ。
堀江論がなんか理屈喋ってるわっていう嫌いっていうのと同じ顔をするので。
はいはい。
だからそれは聞く耳がないのは僕も知ってるから、
理屈っぽいねとかってなるからまた始まったみたいな感じだから、
僕はわざわざ説明するのもしないので、
僕がどういう心境変化があって、
今こういうふうに思ってるよっていうのをわざわざ言ってもしょうがないなと思ってるので言わないからこそ、
ふらふらしながらいるって感じですかね。
なるほどなあ。
うち二人とも理屈っぽいところもそうじゃないところもあるからな。
そこはなんか言ってそうな気がしますね。
ちょっとでも理屈を言ったときに、
理屈での理解を少しでもしてくれようとしてくれるんだったら、
しゃべれるかもしれない。
はいはい。
もしくはそういう会話ができないぐらいに、
僕が仕事に没頭しすぎた20年だったかもしれない。
それはそうだろうと思いますね。
ここまでやっちゃってるから仕事。
でもね、そんだけ違ってても、
結婚して夫婦でい続けてるわけだからやっぱり、
そこじゃなくていいところがあるからですよね。
と思いたいんですけどね。
いやいやいや。そうだから。
僕はそう思ってますよ。だから一緒にいるんですけど。
そうでしょ。そうだと思う。
だから結婚しましょうっていうプロポーズもしたし、
その歴代の話の通りですけど。
そのときには頑張って就職もして。
そうそう。もう僕がやりたいことを抑えてもなんでも、
生活のためにと思って。
音気が悲しいけど、僕は本当に当時そう思って。
で、再就職した3ヶ月後かなに、
結婚したいからって思って言いましたからね。
はいはい。
ね、そこを変わらず持ってるんだったらそれでいいのかな。
プレゼントの難しさ
と思うんですけどね。
なんでそれだけじゃダメなんだろうと思う。
ダメじゃないかも。
ダメとは言われないでしょ。
いや、ダメダメダメダメばっかりですもん。
困っちゃいますよね。
バラでも持って帰るかも。
いや、そういうのもね、本当にもうダメでしょうね。
こんなの買ってきて無駄だっていう感じです。
何だと喜ぶんですよね。
さりちゃんありがとうございました。
ありがとうございました。
すいません、ありがとうございます。
いやもうね、プレゼントも買わなくなりましたもんだって。
うちも期待外れというか、いらないプレゼントされて、
ちょっと私がブチ切れたことがありますので。
それだ、それ、僕逆の立場ですよ。
だから僕が良かれと思うことがおこがましいんでしょうけど、
ネックレスを買っていったら。
いいじゃないですか。
これは私が欲しいネックレスじゃないから返品してこい。
返品してこいと言われて、僕そのまま返品しに行きました。
言われるんですね。
だからもうそれ以降、買うのやめたと。
私、誕生日プレゼントにいい鍋をもらってブチ切れたことがあって。
話したことなかったですかね。
いやないですね。
あのルクルーゼのいいお鍋をいただいて。
そのとき私、そのルクルーゼの鍋じゃなかったんですよね。
まず鍋も嫌だったし。
はじゅほぼ私がやってるのに、なんで誕生日プレゼントは鍋なんだい。
もっと料理しろってことか、みたいな感じですかね。
そう、受け取っちゃいますよね。
その上に、結構保育園児2人抱えて忙しいときだったから、
鍋でもなんでももう食洗機に突っ込んで洗うみたいなところに、
ルクルーゼの特大の放浪のお鍋ですね。
食洗機に入れれない。
あれはもうしない。
ルクルーゼ作ってねって言われても嬉しくもなんともなくってブチ切れました。
そうか、旦那さんどうしたんですかそれ。
いや、でもしばらく自分で料理に使ってました。
ああそうなんですね。
たまにこう昼ご飯作ってくれたりとか。
最近やっと私使うようになります。
最近ってこの5年10年ぐらいですけど。
ああそうなんですね。
ちょっと余裕が出てきて。
たまには使うかっていう感じになりました。
そうですね。今は週1回ぐらいは出てくる。休みの日ぐらいは出てくるかな。
ああそうですか。よかったです。
返品してこいは言わなかったですか。
返品してこいまでは言わなかったですね。
でもこれもらっても今ってちょっと怒った記憶はあります。
だからプレゼントってなかなか難しいですよね。
難しいですね。
それ以来うちは誕生日プレゼントあげてるけど、
お互いに欲しいものを先にサプライザーもやめて聞くようにしてます。
ああやっぱりそうですか。
結婚生活のバランス
うちの旦那さんその当時も自分だけは欲しいものを言うけど、
私には聞かないみたいなね。
ここちょっと怒ってた。
いやでもどうしてもサプライズみたいにしたほうが喜んでくれそうって思っちゃうんですよね。
欲しいものであればいいけど、
うちの旦那さんが自分の顔を鍋底に燃焼してる。
それも喜べるかもしれない。
いや難しいよな。
すいません長くなっちゃって。
いえいえ。
あ、そうか。もう時間ですね。
そうそう、そんな感じでしょ。
じゃあとりあえず、
僕の根底としては、今も根底にあるのはその経緯もあって、
サラリーマンを外さずに、でも生き残るためにはどうすればいいのかを考えつつ、
でもどうしても嫌なのは、全くやりたくない仕事は嫌だから、
そのバランスの割合比率をちょっとずつ今変えてる感じだと思います。
財布とやりたいことと、うん、なるほど。
そう、だから若い時はやりたいことが10、9、8ぐらいをやりたいことに振りつつ、
どうやったら生き残れるかを1、2ぐらいとかで、
もう自分を突っ込んでいこうみたいにやっていた2、30代ぐらい。
だから徐々に自分のやりたいことを抑えてもいいから、
より時間を作りやすかったり、より安定しやすそうな方に振っていこうっていうのを、
今、半々ぐらいとかに感じかなと思いますね。
なるほどな、ありがとうございます。
はい。
もうちょい聞きたいかもするけど、はい、また半年後に。
またぜひ半年後に。
はい、半年より早くお話しできればぜひ、はい。
いつでもまたお話しさせてください。
また、今回みたいな感じで、来週ぐらいならどっか行きそうなあなたとかみたいな。
もう全然いいですよ、いつでも。
僕がその日程が合えばですけど。
たまたまダメなときもありますけどね。
そうですね、せやとりのほうが伸ばせばいいだけなの。
でも、だいたいきゅうでも大丈夫な人はいつでも連絡してください。
お仕事の間なんですよね。
そうですそうです。
ありがとうございます。
くうすけさん、こんにちは。
こんにちは、ありがとうございます。
そうか、くうすけさんずっと聞いててくれたの、ありがとうございます。
ありがとうございます。
ちくらさん、もう一つだけ、6月末のカエルさんのイベントって行かれます?
土日ですよね、たぶんね。
はい。
土日は僕ね、やっぱり今も行ってない。
やっぱりそうなんですね。
そうそう。
くうすけさん行くって言ってた。
くうすけさん、じゃあ私会えます。
そうなんだ。
知ってます。
どうしてもね、土日は出ないようにしてて。
そう考えると、バンド活動ってすごいことなんですね。
そう、だから11月22日は土曜日なんですけど、
あれを目指していこうとしてますね。
だからそれまでは無駄なこと、無駄とは言わないけど、
波風が立たないようにとして思って。
もしカエルさんが11月22日に鶴見に来れそうであれば。
鶴見って横浜の鶴見ですか?
そうです、そうです。
そうなんですね、はい。
どういうバンド活動になるかもまだ見てるか決まってないんだけど、
何かしらやると思うんで、僕も行けるように今頑張ってますんで。
はい、はい、頑張ってください。
なんか離婚かバンド活動かっていう。
そうそうそう。
もしお会いできたらぜひご挨拶したいですね。
はい、ありがとうございます。
あ、しくわちゃんついに会えるか。
ほんとですね、はい、ありがとうございます。
今は波風が立たないことが最重要なんで、
半年かけて波風を立てないように今頑張っております。
頑張ってください。
ありがとうございます。
じゃあ今日は以上ですかね。
聞きに来ていただけた皆様、相川弁護の皆様ありがとうございました。
ありがとうございました。
会社さんもありがとうございます。またぜひ。
こちらこそありがとうございました。
お話しさせてください。
久しぶりのライブ茶盛りができて、僕も嬉しかったです。
はい、楽しかったです。ありがとうございます。
ありがとうございます。
はい、ありがとうございます。
はい、失礼します。
じゃあ聞きに来ていただけた皆さんありがとうございました また次回のチャムリをお楽しみにお待ちください
それではまた
01:22:57
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