1. Chikaraチャージ レイディオ💪AI
  2. AIで「先生や学校」は必要がな..
2025-04-05 15:34

AIで「先生や学校」は必要がなくなるか? の話について

▼①リブラ先生とのコメント欄のやりとり▼
AI時代における人間の価値は、専門知識より不完全さとかわいらしさ
https://stand.fm/episodes/67ec4f39e3010a7cc67e899f

▼②みやけんさんの引用回▼
🌋引用配信チャージグループ議論へのコメント配信
https://stand.fm/episodes/67ed5187ecff890d9dbacb98

▼③リブラ先生の引用回▼
成功者の考えも一視点にすぎない 頂上にいる者が忘れる登山の価値
https://stand.fm/episodes/67ee4740ecff890d9dbadbdb


[BGM: MusMus]
#毎日配信
#AI
#子育て
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サマリー

AIの進化に伴い、学校や先生の役割について活発な議論が行われています。学校は学力向上だけでなく、コミュニケーションの場としても重要であると指摘され、教育の必要性が再考されています。AIが教育現場に与える影響について考察され、学校や先生の役割の重要性が議論されています。特に、個々の学習スタイルやコミュニケーションの重要性が強調され、AIだけでは補えない部分が存在することが語られています。

00:07
Chikaraチャージ レイディオ💪
おはようございます、Chikaraです。
今日もスタイフを撮らせていただきたいと思います。
よろしくお願いします。
いやー、僕は温泉からやっと今日帰ってきました。
また今朝、洗車を今からしに行こうかということで、
ちょっとだけ一人の時間ができたので、
2日遅れぐらいで皆さんのスタイフを聞かせていただいたりしながら、
今日のほぼリアルタイムのスタイフを朝撮りさせていただいております。
よろしくお願いします。
やっぱり2日ぐらい空いちゃうと、
スタイフの皆さんの話題に少し乗り遅れてしまった感があるなというふうに
ちょっと僕も思いましたが、
あのトピックです。
ミヤケンさんとリブラ先生が上げていただいてて、
僕がなんとかコメントだけリブラ先生のところに一旦お返しだけさせていただいた件。
学校は何をする場所なのかというね、そんなお話だったと思いますが。
そこについて僕はね、たまたま2日遅れでミヤケンさんのところに2日前の放送だったと思いますが、
コメントを入れたものと全く同じコメントができるなと思った放送をリブラ先生が上げられていたので、
それについて僕なりの見解をちょっと話してみようかなと思いました。よろしくお願いします。
AIと教育の未来
どんな話だったかというと、
もともとの発端はチャーケンで、ミヤケンさんと先週の火曜日に
先生っていらなくなるのかどうかというAIの話を発端に話題にしたところに、
リブラ先生が確かまずは放送を上げられていて、
いや学校や先生は教えるというだけの役割じゃないから、
先生自体がいらなくなるってことじゃないんじゃないかなという放送をされていて。
僕がそこに対してコメント欄でね、
時間がちょっとあったときに温泉使った後ぐらいにパパッとね、
コメントをさせていただいたんですが、
そのうち学校が必須ではないんだなということで、
義務で言ってたっていうことを強く言う人が割合が増えてきて、
学校不要論みたいなのが出てきたりするんじゃないかなというふうには思いましたという話と、
そこにリブラ先生の放送の中では、
学校の役割自体が教育の場というだけじゃなくて、
コミュニケーションを取る場というか、
コミュニティというような役割も担っているんじゃないかなというお話もされてたんで、
僕もそれには同感するところもありつつ、
ただ今までのような学校って絶対行かなきゃみたいな、
必須という感覚はだいぶ薄れてくるんじゃないかなと。
だからコミュニティ、コミュニケーションを取る場としても、
学校の役割と必要性
学校じゃない場所もあり得るような気がしますよねっていうような、
確かそんなコメントをしてたんですね。
そこに対して宮剣さんが、
そのコメント、初めてのケースだと思うけど違うかな。
僕のコメントだけを受けて、
リブラ先生とのやり取りを受けて、
引用配信をされてたっていうね。
そこでのお話だったんだけど、
そこが宮剣さんのお知り合いの方っていうか、
お知り合いのお知り合いぐらいの方かな。
高学歴の親御さん、お父さんも高学歴、お母さんも高学歴の方が、
学校は行く必要がないよと、
実際にリアルに言っている声を聞いたことがありますというね。
その娘さん、息子さん、お子さんに対しても、
そういうことを言っているね。
学校は行く必要がないんだよっていう、
そういう教育をされているということを聞いたことがありますということをね、
お話しされていたんです。
僕はまずはそれだけを聞いた時にコメント欄にね、
僕が素直に思うことをコメントしたんだけど、
僕自身は、
最初にリブラ先生のコメント欄にコメントしたことと、
ちょっと逆のことを言っているように聞こえるかもしれないんですけど、
僕自身は、
学校が必要ないという話の中に、
最初からそう思っていたわけじゃないかもな。
でも整理していくと、学校の役割に大きく二つあるとすると、
一つは学力を伸ばすため、
学力をある一定レベルに押し上げるため、
もしくは今ある学力をさらに伸ばすためという、
学力を伸ばす場所として、
学校という存在意義がある、目的があるとすると、
それが一つ目ね、学力を伸ばすための場所であると。
二つ目はリブラ先生が言った、
コミュニティやコミュニケーションの能力を伸ばしたり、
実際にそこでコミュニケーションを取る場所という意味での、
コミュニティ的な役割を担う場所という意味での学校。
大きくこの二つがあるとすると、
宮健さんが言っていることは、
親御さんが高学歴であったから、
不要だというふうに思ったと。
それをそのまま子供に伝えているということは、
僕はこれにはちょっと分からなくはない点もあるけど、
僕は反論もあって。
リブラ先生はその反論の一つに、
僕とはちょっと違う観点の反論を入れていたけど、
偉い人や頭のいい人が全部毎回正しいわけじゃないよという視点で、
リブラ先生はそこに別の見解を述べていましたが、
僕自身はもう一個ちょっとだけ違うんだけど、
彼らも一緒なんだけど、
学校で学力を伸ばすということ自体は、
伸ばせる人には有効であるとは思いますが、
そもそも自頭がいい人は、
学校に行かなくても自分で勉強できるみたいなね。
僕も例えばだけど、高校の授業は一切聞かずに、
自分でずっともう1年半、2年ぐらい、
授業を聞かずに勉強を、
自分でずっと参考書をやっていた時間、
数学とかはそうでしたね。
だから学校の授業はいらないって、
僕もその時は思ったりもしましたけど。
でもそれって自分にとってはそうというだけで、
リブラ先生が言っていたお話を一個使うとすれば、
そこまで至る過程は、
ちゃんと自分でも小学校、中学校で、
学校での教育でレベルを上げてもらっていたという事実を
忘れているだけじゃないかというね。
そういうことも言っていましたし、
その観点もあるかもしれないなと思ったけど、
それも含めて、
自頭がいい人は学校がなくても、
あるレベルを超えて学力を伸ばしていけると思うんです。
だからそういう親御さん、
ラサールに行くような親御さんであれば、
そのご本人にとっては、
学校じゃなくても勉強できただろうという自信もあるんでしょうね。
リブラ先生が言っていた事例のお医者さんの事例も、
その方自身は自頭がいいし理解力も早いから、
学校で一からずっとコツコツ時間を長くかけてやらなくても、
自習でそこの同じレベルまで行けた可能性はあるだろうと。
ただまさにリブラ先生のお医者さんの例はその一つだと思うんだけど、
それが全員だと思っちゃダメですよと。
だからそのラサールの学校に行った親御さんだって、
自分たちはそうであっても、
自分の子供もしくはそれ以外のお子さんたちも、
みんなにとってみんな誰にも学校がいらないと思っているんであれば、
逆にちょっとそれは違うんじゃないかなという風には思いました。
個々の学びの重要性
で、これは僕ちょっと自覚が出たのは、
自分の娘と話を会話しているときにちょっと感じたところですよね。
だから娘には娘なりの学習スピードだったり、
理解レベルがあるんだなと。
だからそれを、
僕はこれこんな学校こんな勉強する人ないんじゃないかって、
もし思う科目だったり学校の内容だったりがあったとしても、
娘のレベルに合ってるんであればそれでいいんだろうって、
僕は逆についこの間思った矢先だったので、
だからこそそういう風な視点を僕は今持っています。
だから学力という意味で、
その視点からだけで言っても、
必要がないと思う人は必要がないだろうけど、
必要なレベルにいる人には、
しっかり学校というのは有効な場所だろうという風には、
僕は今本当に感じます。
学習スタイルの多様性
だから人それぞれだよねっていうのは結局そうなっちゃうかもしれないけど。
簡単に言うとそういうことだろうけど、
一概に必要がある必要がないという話じゃないだろうなと。
その学力という面でおいてもね。
だからリアルな人に教えてもらった方が、
対面で顔を見ながら表情を見ながら、
仕草を見ながら教えてもらった方が伸びる子もいれば、
AIのようなテキストだけでわーっと自分の知識をぐんぐん上げていって、
それだけで学習できちゃう人もいれば、
その人それぞれで学習の最適な場所が、
AIだけで足りるのか、
ワンツーマンの先生に教わる方がいい人もいれば、
集団でコミュニケーションをわーっとワイワイとしながら、
学べる方が学びやすい人もいればということなんだろうかな。
そこは人それぞれなんだろうという風に思いました。
もう一個の視点の2番目。
リブラ先生が言ってくれてた、
学校というのはコミュニティの役割があったり、
コミュニケーションを養う場という意味でも必要なんじゃないか。
地域に根差したコミュニティという意味でもそうでしょうし、
一番最初にみんなで知らない人たちで会う場所という意味でも、
一個の役割になるような気はしますけど。
そこに宮剣さんが一個逆に、
人との違う視点を入れてくれてたんだけど、
それも確かになと思うんです。
逆に集団活動が苦手な人とか、
人と比べることで自分の自己肯定感が下がっちゃうような子というのは、
そこを無理やり異質な中、
自分と違うって感じるような人たちが大多数の中にグッと落ち込まれると、
逆に自分が伸び伸びできなかったり、
萎縮しちゃう方もいるかもしれないし。
少数派だと自分が思い込まされて、
余計に自分はできない人だと思って、
自己肯定感を下げる人もいるかもしれない。
ロボとか特にそうでしょうから。
だからそういう子にとっては、
逆に学校という異質な人たちがグッと無理やり集まるところに、
肩に当てはめるような形で落ち込まれることは、
逆にマイナスになる可能性もあるだろうというふうに思います。
それもやっぱり学校が必須ではないというふうに僕は思う理由は、
それかなと。
だから自分に合うコミュニティやコミュニケーションの取れる場所というのは、
今物理的な学校以外にも出てきているところではあるし、
そういう多様性みたいなものがニーズが増えてくるんじゃないかなというふうには思いました。
ということで、僕の見解を述べさせていただいたんですが、
人間味のある教育
結局自分でも思いますけど、
人によって合う合わないがあるということなんじゃないでしょうかみたいな、
一般論的な見解になりましたけど実際そういうところはあるような気がしました。
だから発端としてはもともと三宅園さんとの話で、
チャーケンでAIが出てきたところで、
AIってすごい先生の役割を担えそうだから、
学校や教育の先生なんかは不要になるかもしれないなと。
もっと言うとイラスト講師が必要なくなるかもって三宅園さんがおっしゃってたところからの、
そこの部分だけに言うと、
悲観的になりすぎる必要はむしろないかもなって思い始めたのは一個ありましたね。
実際に顔を見ながら、手足を触って触れてもらいながら、
コミュニケーションをとってもらいながら、笑顔で微笑んでもらいながら、
表情も見ながら教えてもらう方が伸びる子もいるかもしれませんし、
人間味があふれる、そういう意味だと人間味を感じられる教育や先生というのは、
まだまだAIに対しては対抗できるところじゃないかと思います。
AIは触れないし、今は表情はまだ映像までは見れないし、
まあ多少見れるか、だけどまだ置いていってこないし、触れないしね。
音声もまだね、もうちょっとこれからでしょうからね。
だからまだ可能性はあるんじゃないかと思いました。
まあそのうち触れたり、顔を見れたり、声だったりね、出てくるでしょうから。
今はまだテキストだけがメインね。
テキスト、文字がメイン。そのうち声が出てきて、そのうち映像が出てきて、
さらに最後は触れもするっていうね。
どんどん人間に近づいてくるんでしょうけど、語感を使う意味ではまだ文字だけですね。
目で文字を読むだけの世界のAIが基本ベースですから。
三宅先生はまだまだマンツーマン講師ね。
もしくはオンライン講師でも映像を見て顔を見ながら、表情を見せながらの講師というのは
まだまだ強いんじゃないかなというふうに思いました。いかがでしょうか。
ということで今日はこれから洗車に行ってきます。
15分も喋ってしまいましたが、これから洗車に行きます。
ということで以上です。
またスタイフ、土日はちょっと話せないかもしれませんが、
気が向いたり、時間が取れるときに喋ってみようと思います。
それでは以上です。
またお聞きいただけると嬉しいです。
それでは行きます。
チカラチャージ!
今日も力あふれる一日を!
15:34

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