外国人の日本語会話能力
こんにちは、お元気ですか。英会話のトリセツ、ホストのちじゅです。
さて、世の中は年末年始だっていうことで、なんかちょっといつもと違う雰囲気ではありますが、今日も英会話についてお話をしてみたいと思います。
習慣化するっていうことで自分でもやってるんで、ね、習慣化は大事なので、ルーティーンとしてやってみたいと思います。
えーと、本日はですね、こんな人ってどうでしょう。
源氏物語は読めるのに、日本語で日常会話ができない外国人ってどうよ、ということなんですよね。
源氏物語が読めるっていうのも、日本人の中でも結構なレベルになると思うんですけど、
それがですね、外国人で、
日本語で、
源氏物語が読めるっていうのに、
簡単で日常会話ができないっていうような、そういう外国人ってどうでしょう。
なんか、えーって感じじゃないですか?
その人の目的が、源氏物語が読めること、
日本文学に精通すること、だけであったのであれば別にいいんですけど、
日本に来て、日本で生活もしたかった、
あるいは日本旅行したかった、
日本語で会話したかった、
見たかったんだよね
で、源氏物語を読めるようになりました
って言われると
いやいやいやいや
そこ、え、そこ?
そこなん?
いやそこじゃないでしょうって
思いませんかね
ね、思いますよね
なんか
日本語に置き換えてみると
いやそれちょっと
おかしいんちゃうって分かることが
なんだか知んないけど
外国語になると
途端になんかもうわけわかめになってるんですよ
日本全体が
それってなんかちょっと
ねえ
おかしな話になっちゃってますよね
本末転倒ですよね
でも
それくらいね
わけのわからんことをね
やる国なんですよ日本っていうのは
しかもやらせる
やらせる国なんですよ
やる国、やらせる国なんですよ
日本という国がね
日本語学習の問題点
私昔
短大に行ったんですよ
ずーいぶん昔の話なんですけど
短大に行きました
で、なんか英語が話せるようになりたかったんですね
当時
映画が好きで
あの
メルギプソンっていう俳優が好きだったんですけど
彼がオーストラリア出身だってことで
私はもう彼と話しかしない
とかね、思ってたんですよ
当時は
とりあえず話せるような人間になりたい
と思ってたんですよね
で、高校とかで
英語やりますけど
全然誰も喋るようになった人なんか
一人もいないじゃないですか
先生も含めていないじゃないですか
なので私当時ね
ちょっと今でもアホやなと思いますけど
英語科っていうのに短大行こうと思ったわけなんですよ
4年はちょっと無理だけど
短大に行って話せるようになるだろうと思って
英文科じゃなくて英語科って書いてあるから
なんかこう
会話みたいなそういうのやってくれるのかなって思ったんですね
当時はね
コンピューターもなければインターネットもないし
そういう時代なので
情報っていうのは
自分で歩いて取っていくか
あるいは電話かけるか
電話代もかかるし
みたいな時代ではあったんですけど
本当に私もね
ちゃんと調べずにっていうのも悪いんですけど
もうなんとなくのイメージでね
英文科じゃなくて英語科だから
なんかもうちょっと
実践的なことやってるんじゃないか
みたいな感じで言ったんですよ
そしたらもうそういうのは名ばかりで
もう本当に
英文科と何ら変わりがない
英語科にしたのは
多分あれかな
2年しかやらないからかな
4年みたいな4年生大学じゃないから
名前を英文科じゃなくて英語科にしたのか
まだちょっとよくわかんないんですけど
やってることは英文科とほとんど変わらない
っていう状態だったんですよ
でその中の一つに
シェイクスピアってありますよね
それをね
読むっていう授業もあったんですよね
シェイクスピアを読まされるわけですよ
他の文学もいろいろと読まされますけど
シェイクスピアを読むっていうのも
あったわけですよね
で短大卒業して
話せるようになった人は自分も含めてですけど
もちろん一人もいないですよね
とりあえず私は
クラスの中で一人も見たことないし
よそのクラスでもなんかペラペラ話せる
みたいな人のことは噂にも聞いたことは
一人もいないので多分誰も
話せるようになった人は
いないと思うんですよ
そんな状態ですよ
それはね
私が勝手に英語科だから
もうちょっと話せるようになるのかなって思ってた
言われないんですけど
そんな本だったらですね
3年やって中学校で
学習方法の見直し
高校で3年やって
さらに2年英語ですよ
文法もやったし
英語のシェイクスピアも読む
みたいな
やりましたけど
とりあえずハワイユーって言われても
ええええええみたいな状態ですよね
短大を卒業しても
そんな感じになったんですよ
でも
なんか結構未だに
こんな感じのところはあってね
源氏物語は
読めてもいいけど
まあでもせめて日常会話ぐらい
日本語でできた方が良くない
とか思いません?
どうせ日本に来るなら
みたいな
読みたいだけならいいけど
でも読みたいだけって人も
あんまりいないと思うし
もうちょっとバランスよく
できた方がいいんじゃないとか
人に対しては思いますよね
なのに日本人はね
日本人はこれをやっちゃうんですよね
シェイクスピアだったら
OKみたいな風になっちゃうのか
なんかよくわかんないんですけど
もう訳わからなくないですか
もう狂ってますよね
正気の沙汰ではないですよ
はっきり言って
でもこういう風に
なんかこう英語をね
日本語に置き換えてみると
日本に置き換えてみると
いかに自分たちがやっていることが
馬鹿げたことだったのかっていうのは
わかるんですけど
なんかその
当たり前じゃないことを
ずっとやらされていると
それが当たり前になっちゃって
そんなもんだろみたいに
思っちゃうところがあるんですよね
だって
この世界中の誰とね
どの言語でもって
現地物語について
語れるのかっていうことですよね
誰もついてこれないですよね
英語しかしゃべれなかったら
現地物語について
日本語でシェイクスピアについて語りたいって言っても
日本の中でしか語れないじゃないですか
なんで
何がやりたかったのか
っていうことじゃないですか
なのでこうやって
英語で今やっていること
などを
これが日本語だったらどうなのか
これが外国人がやっているとしたら
どうなのかっていう風に
置き換えてみると
自分が今やっている勉強方法とか
今考えているやり方とか
マインドセットとか
心構えだとか
あとは今からやろうとしている
学習とか
そういったものが
目的と自分の目的と
合っているのいないのかっていうことが
すごくわかりやすいと思うんですよね
なので
ちょっとね発想を変えてみて
今やっていること
これが外国人が
日本語を学びたいと思ったときに
このやっている
このような学習方法や考え方で
果たして
自分の目的に沿っているのかどうか
っていう風な
ちょっと発想を変えてもらって
外から自分を見るような感じで
見てもらったら
自分がやるべきことっていうか
合っているのか合っていないのか
目的に目標に沿っているのか
どうなのかっていうことが
ちょっと自ら
自ら見えてくると思うので
そういったところ
ちょびっとね
一歩離れて
一歩も二歩も離れて
それをね
見つめ直してもらったら
なんかこう見えてくるんじゃないかな
と思うので
ちょっとやってみてください
では本日は以上です
ではまたね