1. 人間関係ちえぞの
  2. 朗読回「型は自由をもたらして..

■今回朗読した本

・『新装版 山口誓子 自選自解句集』

山口 誓子 (著) 講談社

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・『星の王子さま』

アントワーヌ・ド サン=テグジュペリ (著) 池澤 夏樹 (翻訳) 集英社文庫

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・『人生100年時代 不安ゼロで生きる技術―「安心力」が手に入る10の話』

倉園 佳三 (著) 佐々木 正悟 (著) 知的生きかた文庫

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00:00
スピーカー 2
俳句、その作り方。私の俳句の作り方を図式で表せば、至極簡単である。感動が先立たねばならぬ。感動は、ああ、という叫びである。
感動は、事故と事物との出会いによって起こる。 事物と出会って、思わずああと叫ぶ、その叫びから俳句は生まれる。
しかし、俳句の感動は、単純な事物の上にではなく、事物と事物との結合の上に成立する。
感動は一瞬に起こる情であるが、その情を引き起こしたのは、事物と事物との結合である。 事物と事物とを結合するのは、知の働きである。
情の中に知が働いているのである。 これを感受における知的作用という。
表現に移る。感動は言葉によって表現されねばならぬ。 しかし、その言葉は野放しに、自由に表現されるのではない。俳句は定形詞だからである。
定形詞にあっては、定形が先行する。 自ら定形詞を選んだ以上、先行する定形をおもんじなければならぬ。
俳句の定形は全体としては17音。 その17音が5、7、5と区切れて調べをなす。
だから事故の感動を定形で表すときは、まずその感動を言葉に移す。 感動は事物と事物との結合によって起こったのであるから。
言葉を結合の状態に置かればならぬ。 それらの言葉を17音の定形に収めた上、
さらにそれらの言葉を5、7、5に並べ替える。 感動を言葉に移そうとして言葉を選ぶこと、
言葉を17音に収めること、 言葉を5、7、5に並べ替えること、それはすべて知的作用である。
これを表現における知的作用と言う。 知的ということをひどく嫌がる人があるけれども知的作用が働かねば、
言葉を見つけることも言葉を配置することもできない。 かくて俳句は漢字の点においても表現の点においても
成功な詞となるのである。 これが私の俳句の作り方である。
スピーカー 1
という本です。 これはどのような本でしょうか。
スピーカー 2
山口誠史という本ですかね。 これは誓うという漢字にこうなので女性かと思われるかもしれない。
男性なんですね。 高浜挙史のお弟子さんです。
その人が書いた自戦、自戒苦守、自分で俳句を選んでその解説をしているという本なんですね。
03:05
スピーカー 2
その最後の方に俳句その作り方というコーナーがあるんですよ。 前、谷川俊太郎さんの詩の作り方を見ましたね。
デビット・リンチの映画の話も確かしたし、このシリーズが僕は好きなんだなっていうね。
やっぱりものづくりの一つのコツというかポイントみたいなものをみんながどう考えているか。
一番有名な俳句が学問の寂しさに耐え隅を継ぐという、この学問の寂しさに耐え隅を継ぐという俳句なんですね。
ちょっと抜粋すると、要はこの人東大の法学部なんですよ。
法律を勉強してたらしいんです。明治生まれで1901年生まれ。
確か94年ぐらいまで生きてらっしゃった方なんですね、1900年。
この法律の勉強というのは条文の丸暗記とか論理的な解釈が必要で味気ないなって。
つまりこれがわびしい勉強だったらしいんだよね。
だから学問の寂しさに耐えというのは、たぶんこの人はさっき俳句の作り方で書いたような、やっぱり感動とか表現とかそういうものの世界を多分愛する人だから、
この丸暗記とか嫌なんですよね、きっとね。
それをもう無理やり勉強している、その寂しさに耐え勉強を続けていたときに日鉢の隅々というのが尽きて、
これを継ぎ足して段を取るというその瞬間を歌った句なんですけどもね。
学問の厳しさじゃないのかって聞いた人がいたらしいんだけど、
学問は厳しいのは言うまでもないと、その上に私はわびしかったんだっていうのを歌った。
スピーカー 1
言うまでもない。
スピーカー 2
しかもわびしかったんだよっていうね。
そういう本です。
この後にね、とてもいいお話が出てくるので、本編でそこを読もうと思っています。
スピーカー 1
私ですね。
スピーカー 2
オープニング。
スピーカー 1
人はそんなに悪くない。
スピーカー 2
ほっこりするつながりを思い出そう。
スピーカー 1
人間関係知恵と
スピーカー 2
ゾノ
スピーカー 3
とセイコ
スピーカー 1
朗読会
それでは今日のお話、朗読会始まります。
知恵と
スピーカー 2
ゾノ
06:01
スピーカー 1
ではでは、次どなた行きましょうか。
スピーカー 3
私行きますか。
スピーカー 1
お願いします。
スピーカー 3
今日はタイトルを言わずに、たぶん聞けばわかるかなというのを読んでみたいと思います。
はい。
こうして王子様は狐を飼いならした。
そして出発の時が近づくと狐は言った。
ああ、きっと俺は泣くよ。
それは君のせいさ。
と王子様は言った。
俺は君が困るようなことはしたくなかったのに、君が飼いならしてくれって言ったから。
その通り。
と狐は言った。
でもやっぱり君は泣くんだ。
その通り。
と狐は言った。
じゃあ君は損したんだ。
俺は小麦畑の色の分だけ得をしたよ。
と狐は言った。
それからこう言い出した。
行ってもう一度あの庭園のバラたちを見てみな。
君のバラは世界に一つしかないってことがわかるはずだ。
そしたら戻ってきて俺にさよならを言ってくれ。
お別れに一つ秘密をあげるから。
スピーカー 2
王子様はもう一度庭園のバラを見に行った。
スピーカー 3
君たちは僕のバラとは全然似てないよ。
君たちはまだ何でもない。
と王子様は言った。
誰も君たちを飼いならしてないし、君だって誰も飼いならしていないからね。
君たちは以前の狐に似ている。
前は十万匹の狐たちのどれとも違わないただの狐だった。
でも僕たちは友達になったし今では彼は世界でただ一匹の狐だ。
バラはみんな淘汰していた。
君たちはきれいさ。
でも空っぽだよ。
と彼は続けた。
誰も君たちのためには死ねない。
もちろん通りすがりの人は僕のあのバラを見て君たちと同じだと考えるだろう。
でもあれは君たちを全部合わせたよりももっと大事だ。
なぜって僕が水をやったのは他ならぬあの花だから。
僕がガラスの鉢をかぶせてやったのはあの花だから。
ついた手を立ててやったのはあの花だから。
ケムシを退治してやったのはあの花だから。
ちょうちょになる分を二三匹残してね。
愚痴を言ったり自慢したり黙っちゃったりするのを聞いてあげたのはあの花だから。
スピーカー 2
なぜってあれが僕の花だから。
09:03
スピーカー 3
彼は狐のところに戻った。
さよならと彼は言った。
さよならと狐は言った。
じゃあ秘密を言うよ。
簡単なことなんだ。
ものは心で見る。
肝心なことは目では見えない。
肝心なことは目では見えない。
と王子様は忘れないために繰り返した。
君が薔薇のために費やした時間の分だけ薔薇は君にとって大事なんだ。
僕が薔薇のために費やした時間の分だけ薔薇は。
と王子様は忘れないために繰り返した。
人間たちはこういう心理を忘れてる。
と狐は言った。
でも君は忘れちゃいけない。
買い慣らしたものにはいつだって君には責任がある。
君は君の薔薇に責任がある。
僕は僕の薔薇に責任がある。
と王子様は忘れないために繰り返した。
というわけで
みなさんよくご存知の
これ
星野王子様ね。
これ翻訳が今たくさん出ていてですね。
一番有名なのナイトーアローさんのなんですけど
これ池沢夏樹さん。
芥川小作家で
ギリシャにもいたことがある。
詩人でもある人が翻訳したやつで
私はこの役がとても好き。
だからちょっと今日はこの池沢夏樹バージョンをご紹介したいと思って。
はい。でした。
スピーカー 2
ちょっと表紙をもう一回。
スピーカー 3
映るかな。
池沢さんのだけこういう青いちょっとおしゃれな表紙になってて。
スピーカー 1
映ってます映ってます。
スピーカー 3
池沢さんのだけ横書きなの。
いっぱい出てる翻訳本の中で池沢さんのだけ横書きなんですよ。
でこの有名なこのナイトーさんのやつ。
これ何がいいって
ナイトーさんの子供向けに書いてるところがあって
最初の飼い慣らした
王子様は狐を飼い慣らしたっていうところは
ナイトーさんのバージョンだと
王子様はこんな話をしあっているうちに狐と仲良しになりました。
これもこれで素晴らしいんですけど
大人になって今読むとこの簡潔で
詩的な翻訳が素晴らしいんで
ぜひちょっとこの池沢さんバージョンを皆さんにも知っていただきたいと思って
ご紹介しました。
スピーカー 2
心で見るっていうね。
12:00
スピーカー 2
そう。
スピーカー 3
ね。
スピーカー 2
いいじゃないですか。
スピーカー 1
ありがとうございます。
スピーカー 2
はい。
私ですね、次。
そうですね、千恵さん。はい、どうぞ。
スピーカー 1
はい、では、いきまーす。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
他人が求めることを自分を知る鏡にする。
本章冒頭の質問の通り
一生の選ばれること、導かれることを重視する受け身の姿勢と
好きや得意を仕事にするという話には
一見大きな矛盾があるように思います。
けれども実際には
人とのつながりや関わりの中で生きる私たちにとって
この2つの要素はぶつかり合うどころか
互いに調和しながら見事に機能する人生の両輪なのです。
自分が好きなこと、得意なことを仕事にして
いいと自分自身に許すを提案する私は
現在に至るまでこのことを実践し続けました。
音楽、雑誌の編集、書籍やブログの執筆、人前で話す
すべて自分の個性から導き出された好きなことです。
その様子を見た多くの人は
次のように言います。
ずっと好きなことばっかりやれてうらやましい
さぞかしい楽しい毎日を送っているのでしょうね。
実はこのような印象は現実とは大きくかけ離れています。
少なくとも私が手がけてきた仕事の中で
100%好きなことだけで成り立つ仕事など
1つもありませんでした。
仕事の内容を正確に数値化するなどできませんが
あえて表すならほとんどが好きなこと20%
そうでないこと80%といった割合になると思います。
さらに時期によってもこの数値は大きく変動します。
あらゆる仕事でそれを始めた頃が興味マックスです。
そこから長い安定期に入り
やがて倦怠期が訪れます。
その気持ちの移り変わりは
いわゆる恋愛のそれとほとんど同じです。
ああ、なんだか飽きてきたなと感じる頃には
さっきの数値が5対95まで落ち込んでいることも珍しくありません。
そうなると私たちに不思議な現象が起こります。
好きが色あせてしまったように思えるのです。
場合によっては最初からあんまり好きじゃなかったんじゃないか
自分に向いていると感じたのはただの錯覚だったんじゃないかなどと
15:02
スピーカー 1
そもそもの好きや得意まで否定したくなることもあります。
例えば私は今日刊でブログを書いています。
初めて数ヶ月はまた楽しい仕事が始まったなと
打頂点になっていました。
ところが半年ほど過ぎたあたりから
突如として好きは色あせ感じ始めます。
さらに月日が経つと気づけば
ああめんどくさいこんなこと始めなければよかったのに
と一人でつぶやいてしまうところまで症状は悪化していきました。
でもそんな悲惨な状況をどのようにして乗り切って
私は今でもブログを書き続けていられるのか
これが本章の最大のポイントです。
答えはとても単純です。
FacebookやTwitterの投稿にいいねを押してくれる人
今日の記事に救われたとコメントしてくれる人
そんな周囲の人たちの声によって
そうかこれが俺の役割なんだなと再認識させてもらいながら
執筆することが幸せな役割であることを受け入れ直しているのです。
それは自分の思い込みによって色褪せかけた隙を
読者の方々に収縮してもらうような感じでもあります。
私たちはすぐに自分を見失ってしまいます。
せっかく見つけた隙や得意を飽きたから
興味が薄れたからうまくいかなくなったからという理由で
簡単に捨て去ったり
どこかにもっと全身全霊をかけられるような
魅力的な何かがあると思い込んだりもします。
ここで忘れてはならないのは
76億の違いを持つ私たちのデコボコに
それほど多くの隙や得意は含まれていないという事実です。
私の経験から推測するに
一人の人間が本気で興味を持てる分野は
生で3つか4つです。
私の場合も音楽、筆筆、人前で話すのまさに3つです。
自分にとってそれほど貴重な
手法の一つを
簡単に手放していいはずがありません。
そんな愚行を止めてくれるのは
自分よりも自分を理解してくれる周囲の人たちです。
様々な思惑や負の感じを抱え
迷いが生じた時
私たちの真っ当な判断を行う目は確実に曇っています。
そんな自分が何かを決めることは
すでに不可能だと認める方が得策なのです。
だからシンプルに
18:01
スピーカー 1
今、周囲の人たちは自分に何を求めているのだろう
と世界に向かって問いかけるのが
最善の選択だと私は考えます。
もうちょっと読みたかったんですけど
スピーカー 3
来たね、とうとう。
スピーカー 2
最初の1行目はわからなかったんですけどね。
2行目であれだよね。
最初の1行目は
さっきのね、せこちゃんのやつも
結構グッドバイブスなお話が入ってたから
スピーカー 1
今日はグッドバイブスな本やなと思ったんですけど
スピーカー 2
そのものやん。
スピーカー 3
自分の本だと。
スピーカー 1
はい、この本、ちょっと今私キンドル版で読んだんで
表紙が出せないですけれども
スピーカー 2
じゃあ僕が出しましょうか。
スピーカー 1
お願いします。
はい、これですね。
あっ!
スピーカー 2
これじゃない?
スピーカー 1
そっちじゃないですよ。
スピーカー 2
こっちじゃない?
スピーカー 1
そっちじゃないですよ。
スピーカー 2
もしかしたら
こっち?
スピーカー 1
そっちです。
そっちか。
スピーカー 3
そっちですよ。
スピーカー 1
間違えた、俺。
スピーカー 2
人生100年時代、不安ゼロで生きる秘術。
そっちか、そっちか。
これだね。
こっちですね。
これはありがたいな。
スピーカー 1
はい、倉澤慶同さんと佐々木翔吾さん。
スピーカー 2
そうか。
こっちなんだね。
スピーカー 1
こっちですね。
ちょっとこっちにしてみました。
スピーカー 2
本は読んだことあったので、最初の方に。
ありがとうございます。
なんかね、ちょうど佐々木さんがこの間ね、この本を引用して
もう終わってるんですけどね、12月30日だから5日後か
この不安ゼロというテーマでね、佐々木さんとオンラインセミナーもやったんですよね。
スピーカー 1
そうか、そうですよね。
スピーカー 2
そうなんですよね。
これ確かね、時代としてはね、時代ってそんな昔じゃないんですけど
老後に2000万の貯金が必要っていうニュースが流れたんですよ。
で、麻生さんが慌てて取り消して、そんなことはないみたいな、あの辺りですね。
結構この人生100年時代、そこでお金が必要みたいな。
今もうちょっとなんか収まってるのかな、わかんないですけど。
当時一回かーってなりましたよね。今も変わんない?
スピーカー 1
そうですね。なんかやっぱでもくずぶってるものは皆さんあるんじゃないですかね、それぞれの中にどうなんですかね。
スピーカー 2
まあなくはないでしょうね。
スピーカー 1
でもこう素朴に感じてた疑問っていうんですか。
もしくは、そんな真正面から、毎日のやることばかりに目が行くと、改めて向き合わないような問いっていうんですかね。
21:04
スピーカー 1
そういうのを、2人で話されてる感じがすごい。
スピーカー 2
それは非常に面白かったですね。
そうですね。これ最初は僕らで自費出版というか、Kindle版で出したんですよ。
ブログでこのやりとりをやっていてね。
それでこの知的生き方文庫さんからお話をもらった時に、多分これ大幅にリライトして、
割とその、なんつーのかな、最初のバージョンは、緑の本は読んだ人向けの本だったんですね。
だからそういう予備知識なしに、誰でも読めるっていうところに多分書き直したので、一番わかりやすい本なのかもしれないね。
スピーカー 1
はい、ぜひぜひ。
スピーカー 3
すみません、なんかありがとう。
スピーカー 1
いやいやいや、とんでもないです。とんでもないです。ちょっと私も読みながらあれですね、再度ですね。
やっぱコピーになって読むのと目で読むのは全然違いますね。
スピーカー 2
そうですね。あとなんか、あ、俺の本だって思った瞬間に、文章大丈夫か?みたいな。
スピーカー 1
え、そういうのはやっぱ思うんですか?
スピーカー 2
思いますよ。
スピーカー 1
これはブログさんでも思うんですね。
スピーカー 2
思う思う。
あとその時その時で、ちょっとトレンドが違うんですよ、書き方のね。
スピーカー 1
あーなるほど。
だから今の中に3箇所ぐらい今だったら直すなーっていう部分がありましたね。
はい。ではでは、最後くらどんさんお願いします。
スピーカー 2
はいはい、じゃあさっきの俳句の続きね。
スピーカー 1
はい。
スピーカー 2
山口誠一さんの俳句の作り方の続きで、僕が大好きなところを読ませていただきます。
自由律俳句っていうのがあるんだよね。
この自由律俳句っていうのは575じゃなくていいじゃん、みたいなやつね。
ここから始まるんです。
自由律俳句は定型俳句を批判して自らを築いた。
その時どのように定型俳句を批判したか。
まず17音をイガタだと言い、定型俳句はそのイガタにキを読み込むのだと言う。
そしてそういう俳句は作り物であるとも遊びであるとも言う。
私の場合17音は表現の限界である。
それ以上でもなければそれ以下でもないギリギリの限界である。
その限界の中で言葉少なくして表現の効果をもっとも大きくしようとすれば、
事物と事物が互いに向き合い、その間に火花が散るようにすればいいのである。
事物の一方をキ、季節のキですね、キとすれば、
キは強大なエネルギーを、強大なエネルギーを持っているから、
キと事物を対決させれば火花が散るのである。
俳句は17音の定型のためにそういう対立、結合を自らの性格とした。
24:03
スピーカー 2
古来、取り合わせ、配合が俳句性だというのはそこを言うのである。
私は17音をイガタとは考えない。
それが俳句性を決定した大切な形式だと思い、
それを失えば俳句性を失うのだと思う。
自由律俳句の側から、定型で表現すれば俳趣味を狙うことになると批判した人があった。
この俳趣味を俳句性といえばまさにそうだ。
私の場合、17音の定型に言葉を収めるとき、
必ず17音以上の言葉を17音に収めている。
17音でしごいているのだ。
17音でしごけば17音以上の言葉は17音に収まるのみならず、表現の力を強くする。
私の場合、17音のイガタにキを読み込むのではない。
キは感動のうちにあって、それが言葉として記号になるのである。
定型俳句は古い形式にとらわれて精神を失ったとも言われている。
そう言われたとき、精神とは人間の自由な精神ということだろう。
しかし定型俳句は人間の自由な精神を歌わず、俳句精神を歌う。
自由律俳句が人間の自由な精神を歌うとき、
内なる精神を打ち付けに、内なる精神のリズムをそのままに歌うという。
そしてそのときの言葉は抜き差しならぬ唯一無二の言葉であるという。
自然流露なのだ。
例えば、自由律俳句なら、大空の真下、帽子かぶらずとなる。
大空の真下に帽子をかぶらず、大空を頭に直にいただいているというのだ。
それが人間本来の姿だ。
私はこの自由律俳句を良しとする。
ところが定型俳句なら、これを冬空の真下帽子をかぶらざるとする。
帽子をかぶるのは冬だ。
大空は冬の大空だ。
自由律俳句はその冬を取り除けているが、定型俳句はその冬を正面に出す。
そして冬空の真下と帽子をかぶらざるとの間に対立と結合を見る。
冬空と無帽の間に火花の散るのを見る。
それを十七文に収め、五七五の律因律を整えるために帽子をかぶらざるとした。
自由律俳句の側ではそれを因律によってごまかすと言っているが、
帽子をかぶらずがごまかしのない唯一無二の表現で、
帽子をかぶらざるがごまかしの生ちょろい表現だと言ってしまえるだろうか。
定型俳句も自由律俳句も共に短い詩であるから、
27:04
スピーカー 2
現代の人間の複雑な精神を表現することはできない。
しかし両者ともそこに人間の存在が感じられ、
それが人間の生きている証になっている点においては変わりはない。
それは大空の真下、帽子をかぶらず、
冬空の真下、帽子をかぶらざると並べてみればわかることである。
という部分なんですね。
これは要は十七音五七五、古典的な型ですね。
こいつをその言い方、それは人間の自由な表現ではないと言って、
その自由律の方が優れているということに対する山口さんの見解なんですけどね。
これはとても深いなと思っていて、
最近やっぱり自由であることっていうのがすごく価値が高まっている感じがするのね。
いろんな世界でね。
でもこの型があるということによって別の自由を得られるんだっていう、この山口さんの見解。
さっきの一番すごいのがね、やっぱりしごいているってことだよね。
十七音以上の言葉をまず考えるんだと。
そしてそれを十七音に収めようとするんだと。
その収めるときにしごいているっていう、この言葉がすごいんだよね。
十七音でしごくと、この言葉は十七音に収まるのは当然だけども、
それだけじゃなくて表現の力を強くしてくれるんだって言ってるわけね。
これがね、その、なんていうのかな。
まさにその型があるもののね、面白さ。
音楽もそうなんですよ。
音楽ってだって長があるんで、使ってはいけない音っていうのがまず存在するわけね。
それから例えば音楽も実は、そうだな、ポップス的な歌であれば、
多分5分が限界かな、みたいなのあるでしょ。
それで確か、クイーンのボヘミワンラプスティが7分を超えてシングルカットできなかったみたいな話があってね。
あれもだから1時間の1曲みたいなものじゃなくて、3分なんだよっていうこの制限が結構面白かったりするのね。
いつしか決まったんですよ。3分から4分半ぐらいっていうのがね。
漫画のテーマソングとかもそうじゃないですか。
そこが15分とかあっちゃまずいわけで。
それからよくね、その仕事に行くと自由が、さっき2つぐらい前の話で、
スピーカー 3
ちえさんが言ってたね、自由を求めてた時期があるみたいな。
スピーカー 2
で、仕事をすると自由が失われるみたいな話があったんだけど、
スピーカー 3
その一つの制限というかね、型というか、組織、チームみたいな型も実は自分をしごいてくれるのかもしれないっていうね。
30:03
スピーカー 2
そのしごきっていうのがその、なんていうのかな、旧来の意味ではなくてね、
この人が言葉を柔軟にしごくというこの意味においては、
とっても、たぶんこれは磨きをかけてるとか洗練されてるとかそういうことなんだよね。
もしくは余計なものをそぎ落としてる。
この制限の中でできることの中にその自分の表現を収めるというのは結構面白いことでもあるんですよ。
実は書籍もそれがあってね、書籍も10万字とかは許されなくて、やっぱ3万4万5万とかっていうそういうのが。
それから僕は雑誌をやってたので、雑誌というのは文字数が結構ビッチビチに決まってる世界なんですね。
2000字で書いてくださいみたいな。
ここに収めるということは実はものづくりにおいて一つの楽しさでもある。
もっと言うとこれが最後ですけども、要は僕らにとって最大の制限はこの体なんですね。
よく私が形のない自分という話をするんだけど、そこがこの体を持ってるという制限を僕らは担いながらここで生きてるじゃないですか。
じゃあもし形のない自分であればどんなことができるんだろう。
これは無限に何でもできるわけですね。
でもこの世界でなぜかこの体を持って生きていると。
ここに不自由さを感じるのではなくて、ここで心をしごいてみるというこのトライとしても面白い。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
だから俳句という世界はここまで広いものなんだなということがわかりますよね。
うん。そんな感じ。
スピーカー 1
はい。
消えた?
スピーカー 2
そうなの?
なんかセイコーさんから聞いたんですけど、YouTubeでこの朗読会が人気らしいじゃないですか。
そうなの?
回数が多いらしいですよ。
聞いてくださる方が結構いらっしゃるってことで。
スピーカー 1
あれですね。知恵ぞろのYouTubeですね。
そうそう。
別で世の中的に流行ってた気がする。
定番化してるのでぜひぜひ。
スピーカー 2
これからも続けると思います。
スピーカー 1
一緒に読みたい方はぜひぜひ。
このポッドキャストではあなたからのご相談、ご質問、こんなテーマ取り上げてほしいだったり、こんな本読んでほしい。
もしくは一緒に読みたいという方もご主人がいますので、お気軽に概要欄からお知らせください。
33:00
スピーカー 1
では、今夜もほっこりした夜をお過ごしください。さようなら。
さようなら。
33:12

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