1. 人間関係ちえぞの
  2. 「ああはなりたくない」の「あ..

「ああ」を塩という調味料と捉えてみる。


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00:02
人間関係と恋愛をひとつひとつ丁寧に学び直す一杯のみや知恵と
その
あーはなりたくないというふうに言われたことがあります。
あーはなりたくない
いいね、あーはなりたくない
これ言われた側めっちゃショックでしょうけど
めっちゃショックかムカつくかどっちかですよね、言われた側は
これ言われた経緯をご説明するとです
実際にツーマン当事者が2人いたわけではないんですけれども
私はホームページを作るお手伝いをたまにしているんですけれども
その時にインスタかツイッターか何かを見ていて
こんなふうにやればいいとはなんとなくはわかっているんだけど
こうはなりたくない、と言うんですかね
直接口にされたかはちょっとはっきり覚えていないですけど
そういうニュアンスのことをおっしゃっていて
その時はリア充バリバリのインフルエンサーっぽい方を見て
自分を全面に押し出すと言うんですかね
自分の私生活をキラキラ感たっぷり乗せて押し出す
ああいうふうにはしたくないというか抵抗があるんですよね
要はあーはなりたくないみたいなことをいろんな方向からおっしゃって
これについてフラグマンさんはどう思うのかなと
その時ふと疑問に思ったことをメモしていたんですね
ぜひこのポッドキャストでも取り上げたいなと思った次第です
これは逆に知恵さんの何が気になったかがちょっと僕は興味がありますね
だって心の底からあーはなりたくないってその人が言ってるんだったら
これは嫌なんだなって受け取ればいいだけじゃないですか
そうですよね
なんだろうなわかんないですけど
例えば職業とかで知恵さんはプロレスラーにはなりたくないでしょ
プロレスラーにはなりたくないですね
なれないと思います
だから私はプロレスラーにはなりたくないって言ったら
別に全然流れていく話じゃん
そうだよね知恵ちゃん体ちっちゃいしねーって
でも引っかかったんでしょそこで
そういうのとは違うニュアンスを感じたってことだよね
本当になりたくないものではなくて
何かをふっと感じたからここに今持ってきたんだと思うんで
03:00
そこを何が引っかかったか先に聞きたいなと思って
了解ですでは本編でお話しできればと思います
さて人間関係と恋愛を一つ一つ丁寧に学び直す
いっぱいのみや知恵と
ゾロ
この番組は人間関係と恋愛にまつわるあれやこれやの
お悩みや雑学をコラミニストの知恵と
グッドバイブス伝導者の倉園がわちゃわちゃと話していく
コミュニケーションに悩める人たちのための
ポッドキャスト番組です
知恵と
ゾロ
私がですね引っかかったところというのはですね
私がプロレスラーになりたくないという時です
私はプロレスラーに対して何の悪意もないですし
何にもないんですよ
ただ本当に慣れない
慣れないよねって言ってるだけですよね
そこの言葉の表側に何かがくっついてるんだろう
それは何となくわかっていて
でもその時はたまたま集客のお話をしていたので
人を集めたいみたいな話になった時に
人気のある人の真似をしたらいいのかもしれないけど
あーはなりたくないっていう
いろんな思いが絡み合った
あーはなりたくない
それでクラウドさんだったら
こういう言葉をどういう風に見るのかなと思って
そうだね
あーという言葉にプロレスラーになりたくないっていう
プロレスラーと言えるだけで全然冷静で
あーはなりたくないに
あーになっちゃってる
人が一生懸命いろいろやってることが
あーっていう言葉に
もっとでも柔らかい言い方だったんですけどね
本人も悪意はなくて
わかるわかる
でも何となく何かを感じた
ネガティブなものをね
そうです
これはね
とってもいいポイントなんですよ
実はね
これは特に自分でコンテンツを表現しようとかね
情報発信をしようとしている人たちは
この感覚は要注意だと思った方が
僕はいいと思っているのね
どういうことかというと
そうだね
僕が
なんていうのかな
コンテンツを配信する
自分でポッドキャストやったり
ブログを書いたり
本を出したりするときに
やっぱりこう
自分の中にね
何かやってはいけないことみたいなのを
勝手に作ることがあるのね
それはいろんな意味で
また
ある種のこのポジティブな意味としてはね
やっぱり読んだ人を傷つけたくないな
みたいな
そういうのもあるでしょ
それとは別に
06:01
バカだと思われたくないなとか
なんかこいつ危ない考え持ってるな
みたいな風には思われたくないなとかさ
ありますよね
あるじゃない
そういうものを
自分の中で勝手にフィルターをかけて
自分で制御するわけね
それは
一つは表現としては苦しい作業でもあるわけよ
本当は出したいんだけど
出すとこんな風に誤解されるんじゃないか
こんな風に見えるんじゃないかって言ってね
抑えていくみたいなことを
日々やってるわけじゃない
そんなときに
もしそこの抑えがなければ
俺だってここ出したかったよ
みたいなことをやってる人を見ると
やっぱえって思うわけ
それあり?みたいな
そういうのありなの?みたいなね
その中には
もっと言うと
自分が苦手としてるものもあるわけよ
今の話はできるんだけど抑えてたやつね
でもこれやれって言われると困るな
みたいなのもあるわけじゃない
例えばすごく緻密に綺麗に作ってある
みたいなコンテンツを見たときにさ
私のこの荒い感覚だとこれは無理だな
みたいなのあるでしょ
それは経験スキル
いろんな技術とかね
そういうものも踏まえて
私にはあそこまでできないな
みたいなのもあって
そういうものって僕らをやっぱりね
リスペクトするよりは
否定するっていう方に行きがちなんだよ
否定しておけば
自分はああいうのは好きじゃないし
自分のコンセプトとして
ああいうのはもうイエスではないので
だから私はやっていないんです
みたいな風に
さっき今2つ挙げたけどね
できないって感じる方も
やりたいんだけど出せないって感じる方も
それをやってる人に対してね
ロンジングを張っていたいわけよ
なぜやらないのか私は
なぜそれにトライしないのか
できないと言ってやめているのか
出せないと言って引き込めているのか
っていうところを
やっぱり正当化したいわけよ
そこにいろんな理屈をつけてね
そもそもこうやってこうやって
なんとかバンバンは
ほにゃららほにゃららを出しているだけで
ここの本質を見せているわけではないのである
みたいなことを
私はだからその本質の方を行きたいのである
みたいなことをこう作ってしまうのね
この時点で僕らの可能性っていうのは
多分だけど
僕は思うに40%くらい
閉ざされてる感じがするわけ
そのロンジングを張って
自分が本当はやりたい
本当はできないみたいなものを
否定したことによってね
そこが絶対に足を踏み入れてはいけない
危険事態みたいなものに
自分にはもう見えてしまうわけよ
でもところがね
この話ってゼロか1かじゃないんだよ
09:03
要はリア充的に見せることが1で
そうじゃないものがゼロみたいな世界じゃなくて
エッセンスなんですよ
だからもしかしたら
そこまでいかなくてもいいから
このエッセンスだけは取り入れてみた方がいいんじゃない
みたいなことが起こり得るわけ
それを多分だけどできなくなっちゃうね
この否定の危険事態に入っている調味料みたいなものは
一切使わずに料理をするみたいなことになるわけ
いやでも塩入れた方が良くないみたいな
いやでも私の中に塩って選択はないので
みたいなことになるわけ
でも時には塩入れた方がいいってあるじゃない
そして組み合わせによっては
一振りだったらそんなに嫌な感じにならない
みたいなこともあるんだよね
だから僕は評論家とか批評家はいいと思うんだよね
その姿勢を取ったとしてもね
それが仕事だから
でも自分で情報発信をしている人は
あーはのあーといった瞬間に
あなたは絶対にそのあーの領域には
一歩も踏み入れられなくなりますよ
っていう覚悟をしなくちゃいけなくなるわけ
それはもう言いたくないって
なるな私だったらなりますね
そうなんだよね
だからいいんだよ別に
あーはなりたくないと思ってもね
でもなんとなくだけど
それを絶対それが正しいと思って
口に出し一緒に仕事をする人に
伝えたりはしない方がいいかなって感じがする
心にしまっておきながら
あーはなりたくねえなっていう
このぐらいの感じで
でも5年後10年後に
あーに手を出さなきゃいけない時が
来るかもしれないから
これは断言して
私はそうだみたいな変なお城を作るのは
やめといた方がいいかなみたいなね
人は変わるんですよ
そして時代も変わるんですよ
あーはなりたくないの
あーの対象を本当に
もう遮断してしまったみたいなことですよね
そうですね
だから色鉛筆で例えれば
赤系は使わないって言ってるってことない
もう暖色系は一切
あーの中に暖色系が全部入ってて
赤とかオレンジ系ピンク系が
全部そこにまとまっちゃってるのね
そうすると残る色鉛筆は
寒い色と黒と白しかないわけ
寒い絵ができるじゃん
そうすると
せめて唇ぐらいは赤くした方がいいんじゃない
みたいなことになってくるわけよ
でもいやいや
あーはなりたくないの中に
暖色を全部入れちゃったから
それはダメってことになって
いつも寒い
12:00
紫色の唇で寒い絵を描くしかなくなるんだよね
それが変わってくるってこと
このセンスが
最初はそれでいいと思うよ
この寒さが私よ
みたいなね
あのなんかこう
もう赤系は嫌なのよ
みたいなことは
最初はいいんだけど
2つ変わる
自分が変わる時代が変わる
時代は確実に赤系を求めてるって時に
青で勝負しなきゃいけないとかって
なんかやりにくいじゃん
私もじゃあそろそろ赤を取り入れていこう
みたいなことが
臨機応変にできていいわけじゃない
その時には多分
世の中の見方も変わっているから
10年前のその
例えばリア充バリバリっていうイメージと
10年後のそれは
多分全く違うものにきっと見えてるんだよね
そういうことに
コンテンツを作って
自分が情報発信する人は
臨機応変にこう
くっついていけるようにしないと
やっぱりなんか
損はするなって感じです
わざわざ色鉛筆ですね
40色あるのに
10色捨てなくていいんじゃないみたいなね
そんな感じ
実際あれですね
私も口には出さないけど
そう思う人なんでしょう
そういう対象の人もいますしやっぱり
色鉛筆の話はすごいなと思いましたね
確かにいろんな
モノクロで描きたい時もあれば
カラフルで描きたい時もあるだろうし
それを求められる時もあるだろうし
っていう風に思いました
これあれですか
今は情報
何か自分から発信するっていう定義でしたけど
例えば会社とかにジョブしてたりすると
上司に対してだったりとか
同僚に対してだったりとか
ああなりたくないなんて
それはありますよ
こういう風なセリフって
よく聞くような気がするんですよ
ああなりたくないって
例えば会社で言うとすると
そこにはおそらくだけど
より完璧な
働く人のイメージを
自分は持ってると思うよ
そのああって思われた人は
自分よりもたぶん
劣っている存在に見えてるはずなのね
ってことはああなりたくないね
ああなりたくないねって言うたんびに
自分のハードルがどんどん高くなっていくわけよ
ああはなっちゃいけないわけだから
それが例えばよく調べずに
すぐに聞きに来ると
すみません何とかって何とかなんですか
それさマニュアルに書いてあるからさ
読めばいいのにとかって文句を言われながら
すみませんとか言って帰っていく
よくいるじゃん
ああなりたくねーよなーって
見たときに
自分が何か質問しなきゃいけないってなったときに
もうマニュアル全部読み込まなきゃいけなくなる
あれ書いてないぞ
15:01
書いてないか書いてないか
FAQも全部読み
過去の書類とか全部読み込んでさ
ようやく質問に行けるみたいな
でも僕はそんな時間もったいないと思うんだよね
それって吉だよって言われたとしても
その人が即答できるんだったら
聞きは一瞬にして終わるから
そうですね
でもそのああはなりたくないねの一言が
自分にそれをさせなくするじゃん
だからやっぱり同じこと
自由を縛るのよ
人を否定すると自由を縛るの
どんどんどんどん
自分の生きていく上で
守らなきゃいけないハードル
超えてはいけない壁みたいなのが
高くなっていくんだよね
いやーこれクラウドさん
違いの話につながりますね
うんそうですよ
まさにね人の違いを認められないってことは
自分の違いも出せなくなるっていう
面白い世界ですよね
私ああはなりたくないって
面と向かって言われたことあるんですよ
うん
すごいショックでしたけど当時
千恵さんがああだったの
ああの対象になったの
それだったら俺もあるな
何度かあるぞ
ああはなりたくないって言われたことは
当時ガチガチの
ワークアフリックで
会社に泊まり込んでた頃に
3ヶ月目か半年くらい
ご飯に行った時に
その子に
面と向かって一対一の
飲み会なんかで面と向かって
いやはなさんみたいになりたくないんですよ
ってすごい真剣な声で言われて
ああみたいな
もう固まるしかなかった
うん
ねえでも
それはまあ何と言うか
ワークアフリックを防ぎたいというかね
自分がそういう状況に置かれないようにするという
一つの対策として
ありだと思うんだよね
避けられない場面っていうのがあるじゃん
どうしても
なんだろうな
締め切り間近でねみんなで力合わせて
これ仕上げなきゃならないってときにさ
やっぱ残業続きってなったときに
普通にやってれば
ああ忙しい日々だなあなんだけど
その一言によって
ああ今ハマナになっちゃってるって
その余計なのが
入ってくるでしょ
あれだけなりたくなかったハマナに
私は今なっているわってなるじゃん
なんでないしみたいな
そうそうそうそう
全然私じゃないんだけどっていう感じなんだけど
もっと止まってるからみたいな
そうそうそうそう
その程度でハマナを名乗らないでほしい
そうですそうです
めちゃめちゃ止まってるからみたいな
でも一歩踏み入れた瞬間に
ハマナになりかけてる私みたいな
感じがするじゃん
面白いですね
そういう余計な不安恐怖を持たない方が
いいはずだけど
本当ですね
悩んでさこのままいるとハマナになってしまうので
会社を辞めますね
急に笑ってまいりますよね
そうでしょ
18:01
言ってもいいことはないよね
たぶんね
たぶん言葉にまとわりつくその感じが
これは野野さんが今
言語化していただいたこと
なんでしょうね
本当はやりたいことなのかもしれないんだよね
オープンにしちゃえばって俺はいつも思うの
人のこのやり方が許せないとかね
このやり方ダサいとかって
よく批評するじゃない
特にネットの世界とかではさ
それを聞くたびにね
その言葉そのまま飲み込んで
やりたかったのの言葉に変えた方が
よいんじゃないのって
思うケースの方が多い
自信持ってやればできるからさ
みたいな逆に
そんな感じがする
私なんかは飲み込めなくて
出しすぎてちょっと
トラブルを招いていったタイプなんですよ
過去を振り返ると
でも飲み込みすぎて
心が疲れていくタイプの人もいるじゃないですか
河野さんのその飲み込むというのは
そこに
気持ち悪さがないような気がするんですね
でも私の言ってる飲み込むっていうのは
ストレスをため込むみたいな意味合いが
たぶん含まれてると思うんですよ
何が違うんですか
別にその人が何をしてても
僕には何の影響もないっていう
この感覚
なんでわざわざ否定しに
いかなきゃいけないのかってことなんよ
その人がいることで毎日毎日
痛い思いをするとか
自分がやってることがその人のせいで
いつもみんなに否定されるとか
そんなことはたぶん起きてないはずなのね
さっきの会社の例で言うと
よく調べもせずに聞く若い社員が
自分の周りにうろうろしてると
僕何にも被害を受けてないじゃん
僕のとこに来たら答えてあげればいいだけ
そこで余計なストレス感じずに
それはこうだよって言えば終わるわけだから
だから本当は何の被害も受けてない
っていうことを
わかったってことですよ
あーはなりたくないなんて
言う必要もないっていうこと
そこの大きな違い
あの人があーであったとしても
僕は何にも
それには提供されないよっていう
この感じ
私がさっき言ってた
飲み込んで心が疲れていく
みたいなその感覚っていうのは
そのあーに対して意味付けをしすぎてる
あーに被害を受けてると思いながら
でも文句は言っちゃいけないと思って
飲み込んでるわけね
21:01
あーに何かされてると
そう
あーが自分に被害を与えているのに
あーはなりたくないと言わずに
飲み込んでるってことね
僕が言ってるのは
このあーは将来使う赤い鉛筆になり得るよ
って言ってるわけ
自分にとっては
だから
しかもこのあーがいてくれて
別に構わないよって言ってるわけ
そうそう
だって
はまなになりたくないって言った人も
別にちえさんがどんだけ働いてたって
その人には関係ないことじゃない
確かに全然関係ない
ってことはなぜそれを言うかなんですよ
つまり彼女はそうやって
働かなきゃいけないんじゃないかって
自分の心の中に少し持ってるわけよ
上司がそうなんだったら
だからそこで
私はでもそれはしたくない
でもやればできるかもしれないなって感じもある
そうした方が
私は評価されるんじゃないかなっていう思いもある
でもそこで
やっぱりそこに行くのは嫌だから
はまなにはなりたくないって
宣言をしとかなきゃいけない
それは
はまながいることによって
私は困ってる
何か困ったことが起きてるってことになってるわけじゃん
でも何にも起こってないんよ
勝手に働かせておいてあげようよって
俺は思うわけよ
働きたいんだから
なるほどですね
これがちゃんと納得できれば
別に
何にも飲み込まなくていいじゃん
そのままでいいよって
言えるわけだから
これが最強の
状態だと思うんだよね
ああとか
私の例で言うなら
はまなが
何にも害を与えないんだっていうことに
気づけば
飲み込むことが
何にも苦しくない
飲み込む必要もなくなる
そうですよね
そのままにしといてあげればいいってことになる
何も思わない
確かに害がなければ
なるほど
だから僕らは気をつけないと
自分と違うことをしている人を見ると
怖くなるってことなんだよね
いっぱい飲みやっちへと
そう
どちらかというと
LGBTQに
入ったりとか
恋愛障害をずっと
打ってたりとか
少数派の特徴が
多いので
引きこもりになったりとか
いわゆるマイノリティの
人を見ても
わからない
周りにそういう人も
多かったですし
先日
24:00
多様性のバーみたいなところに
行って
多様性の人たちと
他の人たちと
車椅子の方がいた
私は
車椅子の方って
電車でもたくさんいるじゃないですか
でも
張り物に扱う
自分にすごくびっくりしたんです
その後
自分でその光景を思い返すときに
何も知らないから
車椅子の世界のルールがわからなくて
何かいらんことを
してしまうんじゃないかみたいな恐怖が出て
ちょっと遠くに
本当はしゃべりたかったのに
ちょっと距離を取ったんですね
その違いを
ここまで
人と
違うことに対して
すごく悩んできたりとか
違う場面にたくさんいたにも関わらず
やっぱり思うんや
って改めて思いました
大丈夫とか
そういう感じは
なんていうのかな
変に
そんな風に思わずにいつもクラウドさんが
おっしゃってるようなとりあえずわからへんねんから
みたいな前提のほうがホップラップやな
と思いました
そうですね
だから
違う人がいて
その人が
違うことによって
自分が何か困った目に合う
という感覚を
できるだけ持たないようにしておく
ってことですよね
そこはやっぱり
恐怖不安というのは体の反応なんでね
最初はグッと来るんだけど
何を怖がってんのっていう
問いをいつもいつも自分に投げかける
何がいけないの
っていう風に一回
自分をしっかりと元に戻してあげないといけない
体が反応する前の
何がいけないの
自分と違っていて
確かに何もいけなくない
何もいけなくない
何を怖がってんの私は
何もない
こういうことをほっといてあげよう
話に行こうだったり
そういうことじゃない
クラウドさん今さらっと
おっしゃいましたけど
何がいけないの自分と違って
すごい私は
すごい刺さりましたけど
何がいけないの自分と違って
何もいけなくないです
何て言うんですか
言われて改めてその問いに
答えた時に
いけないことの理由が見つからない
そうなんですよ
びっくり感っていうんですかね
だからこういう問いがいっぱいあってね
誤解してるんだけど
問うてない問いが
自分の中にいっぱいあってね
これをやっぱりその場で
ちゃんと問うてみるっていうことが
僕は大事だなと思ってますね
そうすると気づくんですよ
なんだこれは
何を怖がってたんだ
何もないじゃん
あーもう損したみたいな
27:00
ビビって損したみたいな
面白いあーはなりたくないからこんな
違う話になるとは
深いんですよとても深い話
ちょっとこの言葉
とりあえず良かったです
良かったですね
はーまなにはなりたくない
終わろうと思います
ちょっと流行らせたいね
はーまなにはなりたくない
ワークアホリックに働くのをやめよう
っていう標語の一つとして
はーまなにはなりたくない
そうそうとまなとならないですよ
なれない
はーまなしちゃってるなみたいな
しかも寝袋で寝ないとダメですから
ツイッターで流行る通りはまな状態です
今はまな状態です
名字はまなの人からくれました
私関係ありません
ではこのあーはなりたくないの回は終わろうと思います
このポッドキャストでは
お悩みご相談お待ちしておりますので
概要欄の質問ボックスからお送りください
そしてですね
今回も話に出ました
違いにまつわるコンテンツですね
新しい違いの見方を
することができるきっかけになるんじゃないか
というコンテンツがありますので
こちらの方もぜひご覧ください
ペイペイだったり楽天ポイントでも
購入できますので
ぜひお気軽に見ていただければと思います
ではまた次回お会いしましょう
さようなら
ご視聴ありがとうございました
28:53

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