いや、もう教えてほしいなっていうか、先輩だなっていう感じがしてて、2人の雰囲気が良すぎて、私たちにはないものがもううちらには見えてるというか、なんでこんなに仲良くいけてんだろうみたいな、なんかすごい聞きたいなっていうモードに今入ってますね。
まあ、毎回ね、映画を2人で作るときは、なぜか毎日のように喧嘩をするっていうそういう関係性に、普段はね、そんなことないんですけど。
さっきどうしたよ、全然映画とは関係ないと。映画以外でも喧嘩してるのか。
キッチン結構、龍君キレイ好きなんですけど、なんかもうほんとちょっとしたことで、自分でなんかイラッとしちゃって、だからキッチンとかその前で多分自分の寝床にしたいぐらい愛情があると思いきや、普段ほったらかしなのです。
普段ほったらかして、なんか自分がずっと料理してるじゃないですか。で、料理渡して、おいしいっつってバイバイみたいな。で、急に目覚めて、なんだこれはみたいな。そんな急に言われてもみたいな。なんだ、なんだ、そんなそんなイライラしないでよみたいな。
始まってる?始まってる?
夫婦との、夫婦の在り方として、やっぱり水回りはキレイにしておきたいみたいな。
そういうところがあるんで、今回はプライベートな話ではなく、もうパートナーシップっていう、もうちょっと外側の関係性みたいな話ですから、これは収録終わってから。
パートナーシップがうまくいってるとは、1ミリも感じたことが私たちはないから、何につけようがされてるのかなっていうのは、すごい冷静になると、もうなんだこれみたいな。何のためにやってんだみたいな。
そうするとなんか悪くなるし、なんだろう、リュウ君の方は宿命を背負ってる感じがするんですよ、なぜか。それでこの人が1人で背負う分には大きすぎるんで、私が多分サポートで入ってるっていうイメージがあるんだけど、
それが多分あることによって、何か調和に向かっていくっていう風なイメージはあるから、この人1人で暴走するってわかってるんで、その作品に関しては。そこが自分がやっぱり一番言える人間として、そういうのが役割だろうかなとか、
でもあんまりでも聞かないから、こっちもなんかもう、何言ってんだよみたいな感じで、だから熱い思いがないとやっぱり映画って作れないじゃないですかと、非常になんか世間的には必要か必要じゃないかわかんないところで、すごいお金のかかることでもあって、そのお金が回収できない状態っていうのが、映画界結構あるんですね、日本映画でも。
そこでどういう思いを持って、何のために作るのかっていうのが、本当にブレると、本当に何やってんだろうみたいな、こういうその言い合いはすごい大事なのかもしれないなとか。
いや、なんかやっぱりその状況としては、やっぱり2人のやっていることの方がストレッチがかかってるなっていう感覚はすごくあるから、なんかそういう意味ではやっぱりシビアになるシチュエーションは多いだろうし、なんかそこに対してぶつかるっていうのはあるし、その健全でもあるのかなっていうのもすごく感じるなっていう風に思うところと、
なんかその中でも取り組めることが、より良いパートナーシップの築き方っていうことをちょっと探求してみることで、映画としてのアウトプットも変わっていったりするのかなーなんてことをしたらいいなーみたいなことを今感じながら聞いてたんですけど、福音はここまで聞いててどうですか。
なんか僕はナーミンに同じようなこの背負ってる宿命みたいなものをやっぱり感じていて、なんか僕はそのナーミンをサポートする、サポートしたいみたいな気持ちなんですよね。だからすごいりょくちゃんの言うことがなんかすごく共感できるというかわかるというかっていう風にして聞いてたんですけど、やっぱりナーミンもすごく思いが強いんですよね。
こういう社会になったらいいとか、こういうことをしたいみたいなところだったりとか。でもやっぱり一人ですし、リソースみたいなところの限界もあるので、なんかそういった意味で僕はサポートに入りたいなって思ってたりするんですよ。
でもさっきナーミンが言ったストレッチみたいなところはおそらくリゾさんほど聞いてはいないので、じゃあちょっと一回休憩して一回話そうみたいなことができたりとかはするんですよね。
そういった意味では何ですかね、なんかもうちょっとナーミンが何かに目覚めて鬼のような活動を始めたとしたら、僕らもぶつかり合う関係になってくるのかなとか思いながら。でも昨日もちょっと喧嘩したなとか思いながら。
そうなんですよ。なのでまあやっぱ喧嘩をするっていうことは結構割と比較的良好な関係なのかなみたいな感じはしますよね。ずっと続くと良くないのかもしれないですけど、ちゃんとタイミングタイミングで喧嘩してますっていうのはすごい良いんじゃないかなって感じはしますね。
なんか喧嘩をすること自体はすごく健全だなと私も思うんですけど、でもその喧嘩の仕方は結構なんか工夫をした方がいいっていう感覚があって、なんかやっぱ言葉ってそのナイフにもなっちゃうから、やっぱその相手に残ったりとか自分もその言葉を出すことでなんか後悔の念みたいなものを抱えるとなんかちょっと関係性として
なんかちょっとこうナイフ差し出しちゃってるみたいな状態になると、でも2人で協力するためにいるはずだし、喧嘩もより良い答えに導かれるためにやってるはずなのに、なんか傷をつけ合うということになってしまったら意味がないんじゃないかなっていうのは私は結構考え方として思ってる。