00:01
カタラジオ
はい、始まりました。石戸企画社がゆるく語るエセインテリジェントな実験型ラジオ番組。
カタラジオの時間が今週もやってまいりました。
ユルシン・コーミントと
ペシャリ担当の山岸です。
よろしくお願いします。
お願いします。
そして本日はゲストがいらっしゃっております。
ゲストの吉野善太君です。
よろしくお願いします。
ちょっとここで話を広げてしまうともったいないので、
さっそくゲストが来ているということで、コーナーに行ってみましょうかね。
カタラジオ
ちょっと、うちのラジオ出ない?
ああ、いいですね。新しい響き。
いいね。こんな感じなんだね。
なんかね、ナンパをちょっと意識してみたんだけど、
久々にナンパするもんでちょっとこれ振られちゃうな。
というところでね、このコーナー何なのって話なんですけど、
ちょっとうちのラジオ出ないということで、
我々ね、カタラジオを始めてもう何ヶ月か経ちましたけれども、
ラジオをね、言い訳に我々の二人がですね、聞いてみたいことを、
ラジオを言い訳にある種ナンパして、お呼びして、
番組で持ち帰っちゃうというコーナーでございますというところですね。
いいね。今日はイケメンを持ち帰りできそうな感じですね、今日は。
ちょっと言い方がやばくない?
つなみにみんなさん、今日呼んだのはどちらの方なんですか?
はい。今日はですね、僕が喋りたい人にお声掛けをしましたというところで、
今日来ていただいたのはね、ゼンタ君でございます。
改めましてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
そもそもなんで呼んだのって話なんですけど、ゼンタ君とはね、
同じ職場でお仕事をしてるんですよね。
ただ、直接仕事をめちゃめちゃやり合う関係かというと、そうでもなくて、
ただ、ちょっとね、風邪の噂じゃないですけど、
どうやらお寺で修行した経験があるらしい。
お寺で?
そう。イメージある?
修行っていうと、本当に俺座禅組んで、
市内でバカンと落ちたから撃たれるみたいな、ああいうことをしてたっていう。
それとか他企業とかそんな感じ?
はいはいはいはい。そうだよね。
っていうあたりの話がちょっと興味津々でございまして、
そもそもなんで修行いったのって話だというか、
そういったところで伺っていけるといいなと思っております。
というところでございます。改めてよろしくお願いします。
よろしくお願いします。
ちなみに、ラジオ出てって言われてどうでした?いきなり言われて。
いや、もともとラジオはすごい聴いているんですけど、
なんかそういう出るのは初めてなので、ちょっと緊張しています。
ちなみに何ラジオ聴いてたんですか?
それこそもともとお笑い芸人のラジオ、さくまさん。
ゴッドターのさくまさんでやったり、
コテンラジオのあたりとかは聴いているので、
03:03
そのあたりはいつも耳にして散歩しています。
コテンラジオ2週目も2週目に入っているという。
終わりました。
われわれも原点はコテンラジオで。
そうなんですね。
もともとコテンラジオを聴いていて、
こうやってみようという話になったんだよね。
そうなんですよね。
そのあたりも意識していて全然違う方向に飛んでいけるという、
非常に面白い話でございます。
早速なんで、ちょっと修行の話を聞いていきたいんですけど。
お願いします。
そもそも前田くん、なんで修行してみようと思ったんですか?
というところがね、まず一番最初に気になるポイントなんですよね。
そうだね。
もともとは海外志向が大学の時にありまして、
そのタイミングで文化とかどういうことを知ればいいかなというのを調べたときに、
結局日本の文化を知らないで海外に出る人が異常に多いということを耳にしまして、
そのタイミングで日本の文化とか、いろいろ仏教とか、
そういうものに興味を持ち、建築の大学、大学院にも行っていたので、
そこで日本史、日本建築の保存の勉強を専攻していて、
その中で座禅の体験とかそれこそ遠隔に行ったりとか、
3泊4日の修行みたいなプランがあって、
その中で文化祭とかで住みながらそういう生活をしたいなというのはちょっと夢に見ていたので、
たまたまそれで大学院の途中でお誘いいただいて、行ってみようというような。
逆にというとあれかもしれないけど、
修行そのものをしたいというよりは建築物、文化祭の中にいてみたいみたいな。
そうですね。
そこが強かったなと思ったんですね。
なるほどな。面白いですね。
それってやっぱり禅太君みたいに文化祭の中に住みたいとか、
あと本当に先生に同一したりとか、
修行に来るいろんな人いると思うんですけど、
みんなモチベーションって人それぞれなんですか?やっぱり。
人それぞれで、結構全く関係ないところから来る方とかもいますし、
ちょっと人生悩んでいますみたいな若い方とか。
または完全に実家の授業を継ぎますとか、家計でそういうのをつかなければいけないので、
そのための勉強をしに来る。どちらかのパターンが多いですね。
ちなみに禅太君が行ってた時には、
同時にどれくらいそうやって修行されている方を受け入れているんでしょうか?
修行していたのは3人同じ時期にいて、
そこから雲水さんっていう、1個上のちゃんと寺の資格を得れるような修行に行く前の段階の修行というか。
06:04
修行にも段階があるんだ。
そうそうです。1回目は小さい何々院とかそういうところで修行をして、
そこからちゃんと本格的な修行で、いろんなところから集まっていくような。
禅太君はプレ修行も本修行もいろいろとこなせた?
本修行の方はこれから3年という感じになるので。
ちなみにそれ全体で何段階あるんですか?
一応2段階に上がっていて、1段階目が1年から1年半。
2段階目が3年から、多い方はもう十何年とか。
ごめん修行に関してはすごく無知で失礼なこと言っちゃうかもしれないんだけど、
例えば1段階目が1年と決まってるって言ったけど、
1ヶ月くらいで修行の順位に至って俺悟ったみたいなやつがいたら、
飛び急して一瞬で修行収めたぞみたいな状況になることってあるんですか?
基本的に1年間の式と行事とかをしっかり最低限学ぶっていうのがあるので、
それである意味1年間っていう最低の時間の区切りにはなってるかなっていう。
プログラムが組まれてるっていうイメージ?
そうですそうです。
逆にその次のステップはそういうわけにもいかないというか、
3年回したからOKとかじゃないってことなんだ。
そうですね。最低3年行って心霊を追求するのか、
ただ実家を継ぐのかによってその年数だったり、
どこを目指すかによって変わってくる。
その選択肢が心霊の追求か実家かっていうのがめちゃくちゃ面白い。
なので結構実家が太いところとかでっかいところの時は、
人は結構3年ですぐ戻られたりする方が多いです。
大学と大学院の関係に似てるね。
4年で終わった後になかなか卒業できないみたいな。
心霊の追求ね。
ちなみにその修行そのものって、
ある種プレ修行的なところに捉えられたって話だと思うんですけど、
実際日々どんな過ごし方するんですか?
平日の過ごし方でいうと、朝5時半からお経と座禅をして、
それが終わった後、掃除の方だったり、ご飯作って食べたりとかを、
お昼休みとかもありながら夜の大体9時ぐらいまで、
この時間に何するみたいなのが常に組まれていて、それを日々こなすっていう。
やっぱ修行って俺たちの一般人のイメージする修行と、
割とイメージとしては近いようなことをやってる。
そうですね。
09:01
お休みとかって土日は修行しません?
お休みは日曜日が基本的にお休みになっていて、
その日は自由に過ごしていいよっていうことにはなってるんですけど。
それに日曜日とかは修行の反動でクラブ行っちゃったりとか、
反動でワーッとはっちゃけたりみたいなことは全然ない?
夜とか、夜行って言って夜に抜け出すみたいなのが、
OKには一応なっていて、なので修行終わった9時ぐらいに終わって、
そこから最悪出れるっていう。
その後はたまに抜け出して飲みに行ったりとかはしてます。
それは別にそこに関しては夜行に関しては、
ボスに届けられたりしなくてもいい?
なんとかはしなくても合法みたいな形で、
ちゃんと明日の朝も頑張ればいいよ、起きれれば。
ちゃんと仕事してりゃ別に遊んでもいいよみたいな、
そういうような感覚なわけね。
なるほどね。
だんだん修行の輪郭がつかまえてきたね。
ちなみに修行してた期間は、さっきの話で言った全体で、
1年間修行してたってこと?
はい、そうですね、1年ぐらい。
その1年の中で修行の内容って結構移ろっていくものなんですけど、
それとも基本的には同じことを繰り返す?
時期によって変わってくるんですけど、
夏の時期とかだと畑を耕したりとか、春のシーズン始めて植えていったりとか、
そこの雑草取りもそうですし、
秋になると落ち葉とかそういうので掃除とかが結構多くなってきたりとか、
その時期によってイベントというか、
そこのお寺を開業したというか、建てた方の命日というか、
そういう日に1年に1回そういう大きなイベントがあるので、
そこに向けて準備を行ったりとか、
スケジュールは結構1年間で決まっていて、
そこで何をするかはある程度決まっています。
その1年を通じて印象的なエピソードだったりとか、
これはちょっと忘れられないなみたいな、そういう話だったりするんですか?
そうですね、もう本当に忘れられないことがだらけなんですが、
やっぱり、お嬢様がお世話になっていたところのトップの方の
エピソードを聞くのがやっぱり一番面白くて、
僕が行ったのが前週の臨済州の方の修行をしていたので、
臨済州、特に僕が修行していたのは一休さんがいたような、
そういうお茶関係とかに携わる寺で修行をしていて、
やっぱりそういう文化人とかそういう方だったりが結構周りに交流があるので、
何百万のワイン一夜でめちゃめちゃ飽きたよみたいなエピソードを聞いたりとか、
12:01
そうなんだね。
何かそういう、
全然現代的なそういう話だったんだろうね。
そうですね、本当に破天荒エピソードみたいな、
全然違うイメージだった。
修行長さんたちが?
そうですね、知り合いと一緒に飲んだ時に出してもらった。
破壊そうじゃないか、マジか。そうなんだ。
自然に生きるっていうか素直に感じて、
素直な感情を表現するような宗教というか仏教なので、
何かそのが上手く意外と自分に出せないなみたいなのが結構難しくて、
何かそこに対する言葉とかが絶妙な言葉をやっぱり使って表現されるので、
何かそれがすごい印象に残ってるんです。
ちなみにどういう言葉なんですかそれは?
お前は川を上っているなみたいな。
比喩ってことか。
そうです。
今どういう状態かをお嬢さんとかが比喩で表現する。
そうです。みたいなので、そういうような。
下ればいいのにお前は何で上っているんだみたいなの。
それはやっぱり一休さんの禅門道の流れを組んでいるという。
そうですね、禅門道を組んだりしているのと、
そういうのをうまく教養というか勉強されている。
例えばそれってお前は川を上っているんだって言って、
それどういうことですかって来てピシッと殴られたりするの。
自分で考えろみたいな、そういう感じ。
っていうこともなく、ボール投げられて一旦そのまま考えろみたいな雰囲気というか。
その作業とか畑耕したりとか、
そういう作業をしている時に人を思うとそういう言葉が呼びて、
今の自分の状態がどういうことなのかみたいなのをちょっと咀嚼していくような。
じゃあそれを、ある種問いを投げかけられて、
その場の対話で解決するというよりは、一回引き受けるみたいな。
はいはい。
なるほどね。それはちょっとイメージに近しい部分かもしれないですね。
確かに確かに確かに。
ちなみに僕ら結構ラジオの中で、畑耕って何回か聞いたりって知りました?
少し聞きました。
棚取るって言ったりとか、俺ら死生感がやたら好きな集団で、
すごい自分が死んだらどうなるとかそういう話ばかり俺はしてるんだけど、
ちなみに修行してる中で自分の死生感が変わったとか、死生感にまつわるエピソードがあったりとかそんなことあった?
死生感に関わるエピソードは今のところ修行中にはないんですけど、
それに対するというよりは、生きている自分の状態とかを外部との関係をあんまり意識するよりは、
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自分に素直になった方がいいなっていうのを素直に感じたっていうのが大きいですね。
生きている自分に焦点を当てて、よく生きなさいみたいな。
そういうところに学びました。
レッスンは楽しいというか、いろんなことを素直に報道していったりとか言葉にしていった方がいいなっていうのはやっぱり感じましたね。
自分の感じたことを素直に表現して、それが良い生き方ですよっていうのがゼンタ君の修行したお寺の教えだったと思います。
修行って今はもう修行はプレ修行だけで終わっちゃったっていうか、
もうそこから先は今のところは特にやるようになっていない?
そうですね、その後は一旦。
ちなみにまた何かの契機があったら、その先の寸義追求の方の修行もやってみたいと思います?
思いますけど、それで食べていこうみたいなのは思わないですね。
それこそ結構大変なお話聞いたりとかしてると。
例えば、カタラジオの二人に修行ってお勧めできますか?山上とか。なんだこいつって感じだと思うけど。
修行を勧めることって、やっぱり今まで会った人だったりとか、修行する前に会ってた友人だったりとかに、修行をお勧めしたりとかってしてます?
スルハクでできるところとかもあるので、そういうところをお勧めしたりとかしていて。
生活の中で余白を作ったりとか、考えたり、デジタルデトックスしたりみたいな時間って、どうしてもどんどんなくなってきているなっていうのは感じていて、
そういうところである程度一定期間を定期的に作ったりとかして、そういう時間を作るのは非常にいいなっていうのを最近改めて感じます。
確かにゼンタ君のツイッターとかチラッと見せてもらったんですけど、すごい色々やってらっしゃるじゃないですか。幅広くいろんなワラジオ入ってるというか。
確かにそれと修行の話聞くと全く真逆の時間の流れ方を経験されてるんだなと思って。
だからこそそういう忙しい人にこそ修行してほしいという感じだね。
俺も1年医者辞めて修行しようかなとしたら。
でも修行中もラジオやろうよ。
ヤクオウが許されてるから。
ヤクオウだ。
ヤクオウのツイッターのラジオしようかなと思うようにね。
どんどん俺が悟っていく過程を誇っていく。
ちなみに何博のやつをお勧めしたいみたいな話があったと思うんだけど、それと1年間という長い期間やるっていうのの違いというか、
結局それを続けていくってどういうプロセスなんだろうって思って。
そこってやっぱり質的に違うよっていう感じはあるんですか?
18:03
一番思ったのはデトックスっていうのの短いのでできるなっていうのはあるんですけど、
そこの受験体験とかを思い出すのが結構修行中にあったりして、
幼少期の思い出を思い出したりとか、こういうことしてたなっていうのとかを、
それを式と一緒に生活していると幼少期のことをすごい思い出す。
それが大人になってから一番感じているようで感じれていないものだなっていうのはちょっとあったので、
それはまた1年のくっきりでいうとそういうところに一番気づきは大きかったりする。
面白いね。たしかに好きと暮らすと幼少期の記録が蘇ってくるんだ。
幼少期の時の記録が蘇ってきて、それが自分の現体験ってこうだったんだみたいなことを思い出して、
それが今の生活に生きてくると。
面白いね。
あったね、あったみたいな。
腑に落ちるみたいな。
そうです。
今の自分はあの時の幼少時代の思想が今の自分になっているんだみたいな。
なるほどね。
いい体験ですね。
いい体験だね、たしかに。
やってみたいな。
ぜひやってみたい。
というところで、いろいろ話を聞きたいところもあるんですけど、
次のコーナーもZENTくんに引き続き出ていただいて、
ぜひぜひ修行を一旦経験した観点からコメントいただけたら嬉しいなというところで。
お願いいたします。
こんなご時世だからこそ。
だいぶ慣れてきましたね、ミントくん、そのコール。
もうすっと出てくるようになりましたね。
はい、じゃあ始まりました。
こんなご時世だからこそ。
このコーナーは様々な人の時世の苦を紹介し、
それを我々なりに自由に解釈していこうというコーナーです。
人間は自分の人生の終幕にどんな台詞を放つ。
コロナ、戦争と嫌でも生と死がつやつく。
こんなご時世だからこそ、刺さるパンツラインを紹介できたらいいなと思います。
はい、これね、ご時世はね、時世の苦の時世ですからね。
こんなご時世と時世の苦をかけてるという、そういうコーナーです。
ではでは早速いきましょうか。
はい、お願いします。
今週はどんなご時世なんでしょうか。
では今週の時世の苦を紹介します。
そう今日はね、今まで時世の苦と言いながら全然苦を紹介してなかったんだけど、
普通に死に際の言葉を紹介してたんだけど、
今回はガチガチの時世の苦です。
じゃあ読んでまいります。
散る桜、残る桜も散る桜。
いかがだったでしょうか。
ビブラートかけて読んだほうがいいかなこれ。
21:01
どうですかミントさん。
そして今日来ていただいてるゼンタ君。
実はこれ、人物一話とりょうかんさんっていう、
総道集の和尚さんの時世の苦なんですよね。
りょうかんさんって聞いたこと、ミントさん聞いたことあります?
いやりょうかん聞いたことあるけど、じゃあ誰って言われたらちょっと説明に言葉が詰まっちゃうぐらいの距離感の人ですね。
そうまさにそれがりょうかんさんの説明としてかなりすごい的を言いてて。
りょうかんさんは別に何をした人でもないんだけど、
生き方がすごい特徴的だったってことで説明されてる方は、
簡単にりょうかんさん説明しておくと、
子供たちとマギツキとかかくれんぼを捨てたという逸話で有名なりょうかん和尚。
今回のゲストのゼンタ君が元修行僧ということで僧侶をチョイスいたしました。
江戸末期に新潟に生まれて18歳で出家。
34歳で諸国を安寮した後39歳で新潟に戻る。
生涯寺を持たずに粗末な僧庵に住んで子供と遊んで鹿を作って日々卓発で暮らした。
74歳で亡くなったんですけど、父の間際に何か心残りは?と聞かれて、
死にとうないと一休さんみたいなことを言ったんですけど、その後に、
自生とは?と聞かれて四楽がこの奥、梅雨桜、残る桜も梅雨桜。
という句を読みましたけど、実際この句の意味とかってミントさんなんとなくいきなり?
そうだよね、これちょっとだから今までの明快なメッセージとかとちょっと違うじゃない?
解釈の余地があるやつだからパッと読んでパッと答えてるっていうのが本当にいい反応の仕方なのかな?
ところはあるけれど、これ読むに結局今この瞬間で見たら残ってるやつもいるし知ってるやつもいるけど
結局みんな知ってるよねっていうことを言わんとしてるんだよねってメッセージはまず受け取れるよね
まさにとか言っちゃったけど俺もこれ正しく解釈できてるかはちょっとわからないんだけど
俺も同じ解釈で今どんなに美しく綺麗に咲いてる桜もいつかは必ず映るから
そのことを心得ておきなさいみたいなことなのかなと思ったけど
善太くんどうやっぱり季節感を感じてらっしゃったっていう風に言ってますね
桜が好きなのを見ながらやっぱり無情というかこの咲いてる桜もいつかは知っていくんだ
俺もいつかは死ぬんだっていうことは思ったことはありますか?
善太 ありますね、時間の時間がどんどん早くなっていくなっていうのはあって
なんかそこの瞬間にどうフォーカスするかみたいなすごいこの言葉うまくいっているなっていうのを感じますね
瞬間にフォーカス、確かにね
24:01
善太くんちなみに善太くんの死生感って感じちょっと聞いてみたいんだけど
善太くん今までいつか自分死ぬんだって思ったことってある?
善太 ありますね、ありません
われわれそれを棚取るっていう言葉で呼んでるんだけど
これはカタラジオのオリジナルの言葉なんだけど
いつか死ぬんだって思って、あー怖いやべーってやばいいつか死ぬやばいってパニックになって
どうしようどうしようって体が溶けそうになる感覚のことをわれわれ棚取るっていう風に呼んでるんだけど
それってわかる?
善太 わかりますわかります
棚取ったことあるんだ
善太 棚取ってますね
その棚取ったことある善太くんに言ってたんだけど
結局いつかは死ぬわけじゃん、人間って
この良寛和尚の雲を残ってる桜もいつかは死ぬから
そのことを覚えておけっていう風に多分そういうメッセージだと思うんだけど
いつか死ぬんだったら一生じゃね?みたいな
良く生きようが悪く生きようが一生じゃね?みたいな問いがあると思うんだけど
それに関してどう?ミンティでも善太くんでも思うとこがある
俺は結構割と死にこだわってるから
自分の中でもすごい問いでもあって
いつか死ぬってわかってる、いつか永遠の無になるってわかってるのに
どう今の人生を良くしていこうかっていうことに
自分の今後の人生のためにもフォーカスは出ないんだけど
それに対する答えとかって修行の中で得られたアドバイスとかあったら
すげーでかい問いっすね
さっき姿勢感変わるようなことあったかみたいな問いはあるにはありましたけど
そこに直結したわけじゃないよって話はあったけど
逆にそこの思い返すきっかけになるような出来事があったのかなみたいなところは
ぜんたくに聞いてみたいところがある
ぜんたく この言葉から思い出したのが
最近桜をよく見ていて
最近生え変わりで結局緑の葉っぱが出てくるっていうので
そこにこの言葉で子供を産んでどんどん生命的につなげていくっていうのと
今の桜の地点をマックスというか楽しみと捉えてそこで散っていくのかみたいな
そこの時間の流れの好みでどう捉えるのかみたいなのが
一人の手違いだなっていうのは
そうだよね
理想だなって思いました
俺も同じこと考えたことがあって
結局自分が死んだら怖くなる感覚って
子供ができたら亡くなるのかなって
次の世代を残すっていう人間としての本能みたいなのを達成したら亡くなるのかなって思って
27:04
実は俺1歳ちょっとの娘がいるんだけど
子供ができてもこの感覚殴らなくて
むしろ子供が横にいるのに
あー俺いつか死ねやべーこの子もいつか死ねやべー
横にいる娘にまでこの戯りの感情を付与しちゃうことがあって
センタ君はどう?今お子さんとかいらっしゃらない?
センタ いないです
どう?子供ができたりしたら
死を恐れることはなくなるかなみたいな感じって
次の世代に命を繋いだら
今の人間としては満足して生きていけるかなみたいな感覚ってありますね
センタ 死に方が豊かになりそうだなっていうのは1つ
死に方が豊か
これちょっと含みがありますね
なんかこの死に方が豊かになるってすごいおもろいなと思って今聞いたんですけど
この散る桜って言ってるとき
この桜って散ってる瞬間ってどっちに属してるのみたいな話がある
木から離れた瞬間が死なのか
動き終えて降りる瞬間が死なのか
そこは別に特に明言されてないと思うんですけど
散るっていうのを点で捉えてもいいけど
結構そこにダイイングというか
死に始めてから死に終わりみたいなニュアンスがあるところが結構おもしろいなと思って
改めて今の話を聞きながら思ったところでいくと
そこが映像的に映る感じというか
その瞬間豊かな死に方みたいな感じがあって
その豊かな死に方みたいな
じって生き方みたいな
そこに一個の時間軸があるみたいな感じがすごい
この句の深みを作ってんのかなっていうのがちょっと今
深井・なるほど
深井・解釈されてますね
確かにその
善太くんその死に方って今言ってくれたけど
すごいありがとうで
あんまり僕ら多分ね
死んだ後どうなるかってことについては結構考えてるんだけど
死に方に関して考えたことってあんまりなくて
深井・確かにどう死ぬかっていうのも
深井・この生に
深井・生きてるってことに焦点が出るときに
深井・どう死ぬかっていうのは結構かなり重大な問題だよ
深井・どういう風に住んでいくか
深井・善太くんその死に方が
深井・色々豊かになるっていうのは
深井・そのどういったあれで
善太くん 環境とかなんかそういうのとかもあるし
善太くん そのここからの関係値というか
善太くん 思いを馳せて死ねるのかみたいなのが
深井・はいはいはいはい
深井・毎回この
深井・一応こんなご時世のコーナーでは
深井・その紹介する人の姿勢感を
深井・途中で毎回紹介してるんですけど
深井・両冠さんの姿勢感を表したセリフがあって
30:00
深井・1828年に新潟で越後三条大地震っていう
深井・すごいでかい地震があって
被災した友人に
災難に遭う時節には災難に遭うがよく双浪
死ぬ時節には死ぬがよく双浪
これはこれ災難を逃れる妙法にて双浪
要は災難が起きたら災難に遭えばいいし
死ぬ時には死ねばいい
それを受け入れることが災難っていう
災難とか死とかを逃れる妙法だよという風に
それが両冠さんの姿勢感だったと
ある意味では両冠さんは死を受け入れてるわけなんだよね
すごいなと思って
これのモットーの一つに
メメントモリっていう
常に死を思って生きろっていうこと
最近ちょっといろいろ死に関する本を読んでたら
常に死を思って生きすぎて
死を思いすぎてまた怖くなっちゃって
常に死を思って生きることを
プラスに変えていくためにはどうしたらいいんだろうね
僕ですか?
でもさっきの両冠さんの姿勢感があってもなお
この地震の句の直前に死にとうないって言ってるわけじゃないですか
そうなんだよ
そのセットがいいなって思ったね
人間の両冠 人間としての両冠
だからA面B面じゃないけどさ
いいところ残そうとして
言った句がこれなわけじゃないですか
句を読んでって言われたら
こう言うと
その直前に言ってるのが死にとうないっていう
ところがやっぱすごい人間らしくていいなって
そうだよね
死にとうないんだけど
死にとうないって言った後に
でもキリッつってこれを言うわけじゃないですか
そのまま切り返しというか
残ってる桜の君も知るんだよっていう
そういうことでしょ
死にとうないと思うんだよって
ちょっと前に振りがあるわけじゃないですか
そうそう
死にとうないがあることで
この句が逆により何重に深くなるみたいです
死にとうない人が読んでるから
むしろ死にとうない言わなかったら
こういうクールな人なんだとしか思わないけど
本当は死にたくない
正義に執着する人がこれを言うからこそ
美しい
次行く桜の意味合いが違ってくるよね
あるでしょ
痩せ我慢的な知り方なわけじゃない
面白おかしく言うのであれば
確かにね
わからんけど
それがなんかいいな
ギリギリまでできれば桜の
薬のところにくっついていた花火だったことだよね
薬のところにね
薬だっけ
それだけ中学期から
でも最後の問いとして
結局めめんともりだけど
死を思って生きるってことが
33:01
最近死に関する本を一冊読んで
存在消滅っていう本なんだけど
前の放送でも言ってんのかな
すごい俺と同じように
自分が死んじゃうってことに関して
思い悩んで
死んだ後は永遠の無なのに
今を楽しく生きるってのはどうしたらいいんだ
って悩んでる人がいて
俺もそうなんだけど
どうしたらいいと思う?
その修行の観点から
難しいすごい難しい質問かもしれないけど
死を思って生きるってことが
死を思うことによって
今の生活が良くなるってことが
多分この句だったりめめんともりだったりの
本当のメッセージだと思うんだけど
どうしたら
いつか死ぬってことを
プラスに
自分の人生にプラスに
持っていけるかなっていうことを
常々考えてて
思うとこがあるかなって
僕は結構仏教とか宗教が好きで
一神教の国で生まれてないから
あれなんですけど
一神教の良さもすごいあるなっていうのは
学んでいくうちに分かって
救いというか
成功例があるっていうのは
すごい分かりやすくていいなっていう
のがすごい美しい世界だなって思いつつ
そこにいない僕たちは
禅宗みたいなぐちゃぐちゃしたけど
人間らしさがあり
それを素直に
いかにうまく感じれるかみたいなのを
悩み続けなきゃいけないんだなっていうのは
日本人というか
無宗教で生きてる人間全員悩むんだろうな
っていうのはすごい感じてます
確かにこう
他のね
一神教じゃないから
すがるものがない
状況の中で
救いを求めて
日本人はいろいろやってるってことだよね
ちなみに全然教えないんだけど
禅宗の中では
死に関する
教えというか
考え方とかって
何か決まったものってあるんですか?
基本的に
無というか
今をどういう風に捉えれるか
にフォーカスした
分野というか
禅宗やとそうなので
そこは
時間軸をいかに
今に向けるか
なだけっていう感じですか?
そういう実践を通じて
だから死を思うことによって
今に時間軸を向けるような生き方をすれば
問いは解決されるんじゃないかと
締めかねてるじゃないですか
締めかねてますけど
すごい名残惜しそうな感じじゃないですか
そうね名残惜しい
まさに涼感のような状態でございますけど
私もそろそろ次時かもしれませんので
36:02
おすすめの言葉を言わせていただきましょうか
では
今回も
良いご時世でございました
これ山上が言うのであったやつか
これミッピーが言ってたかもしんないね
語らずよ
おつかれさまでした
おつかれさまでした
すごい不思議な回だったね
なんだこれ面白いね
善太君に無理矢理問い続けるっていう
謎解でしたよ
ある意味修行してた人に
さらに修行させてるみたいな状態になってもうたこれ
ラジオ修行
ラジオ修行
どうでした善太君語らずよ来てみて
善太 すごい楽しかったです
お話できて
ちょっと緊張しましたやっぱ
善太 緊張しました
俺とミッピーがいつも喋ってるようなことって
他の人から見てどうなんだろうみたいな思うことはあったから
面白いと言っていただけて非常に我々も嬉しいです
善太君ちなみになんかあれ
人前で喋ることとかってあるんですか普段
あんまり喋らないです
今回この回のエンディングだけれども
いかにナンパしていくかというところと
どう喋ってもらうかみたいなのが結構テーマだなと思いながら
結構いきなり問われると
いきなりそこかみたいな話あるじゃないですか
ああ確かに
そのあたりを上手にいなしていけるといいなって思いましたね
これってまさにナンパね
いかに相手の行動をゆっくりゆっくりまさぐってやりていくかっていう
そこにフォーカスを当てるコーナーなんだね
人を迎えるということだよね
我々もすごく勉強になったコーナーだったね
このコーナー初めてなんだよちなみに
ちょっとうちクルーの
うちクルーこの名間違えたもしかして
うちクルーじゃない
ナンパですね本当にナンパになっちゃった
めっちゃ初めてで
だからちょっとこれは我々にとってもすごいマナーし者の多い
面白いコーナーでございます
ありがとう千代くん
ありがとうございました
はいありがとうございます
ということで本日もやってまいりましたけど
今日はこのあたりになりますかね
それでは次回もよろしくお願いします
よろしくお願いします
おやすみなさい