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ウィークデーの黄昏時、バーカフェいってらっしゃいにようこそ。
マスターの一佐です。 ここは仕事のこと、人間関係のこと、子育てのこと、恋愛関係のことなどで疲れた方が
お休みしていくラジオ上のカフェバーです。 このお店を出る時には少しでも元気になってくれたら幸いです。
今日は、子供を褒める時、すごいね、というのではなく、頑張ったね、って褒めた方がいいのかな、というお話をしたいかと思います。
皆さんでも、皆さん、親御さんたちもそうですし、皆さんのおじいさんおばあさんが、子供がすごくよくできた時、
すごくよくできた時じゃなくても、ちょっと何か良い成果をあげた時にでも、すごいね、天才だね、
すごい天才とか、すごい、とか、ものすごい、とにかく褒めちぎるというか、
まるでその子が特別に何か天才だったり、すごい能力があるかと、ちょっと勘違いしてしまうぐらいの、
ちょっと過剰な褒め方をしてしまうことっていうのは、もしかしたらあるんじゃないでしょうか。 実際、家で我が家だったりとか、
うちのおじいさんおばあさんのところに遊びに行った時とかも、すごいね、とか、将来は大学でお医者さんだね、とか、すごい天才だ、とか、
特にやっぱりおじいさんおばあさんとかは、そういうふうに褒めてしまうっていうのが、結構よくあるのかなと、うちでも思ってはいます。
実際、褒めるというのは決して悪いことではなくて、褒めて育てるというのは、子どもの自己肯定感を促すというか、
自分で自分を肯定してあげるという家庭を形成してあげるという部分にあっては、大事な家庭なのかなとは思うんですけれども、
あんまり過剰に褒めてあげるとか、すごいっていうことで、その子どもたちが自分が特別なんじゃないかと勘違いしてしまうっていうのは、良くないんじゃないかなと僕は思ってはいます。
なんでかと言いますと、すごいっていうことは、その子どもが、自分が特別なんじゃないか、他より引い出てるんじゃないかというふうに、
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ちょっと勘違いしてしまう恐れがあるのかなと思っています。
そういうふうにして育った子どもが、例えば小学校、高学年とか中学校とかに行くと、やっぱり壁にぶち当たるわけです。
実際、勉強がわからない。テストで良い点が取れない。そうなると、自分はすごい特別なんだ、天才なんだとか、ちょっと勘違いしているような子どもが、そこでカーニングだったりとか、ちょっと悪いことに手を出してしまうとか、
そういうのって、少なからずあったりするんじゃないかなとは思っています。
そうならないためにどうしたらいいのかということで、我が家では、すごいねではなくて、頑張ったねっていう形で、その結果とか能力とかじゃなくて、その過程を褒めてあげる。
全部が全部当てはまる例じゃないのかもしれないんですけれども、我が家ではすごいねとは言わないようにして、とにかく褒めるときは、頑張ったね、よくやったね、頑張ったねというふうに褒めるようにしています。
そうすることで、褒めるっていう、自己肯定感を促してあげるっていう効果もあるとは思いますし、あんまり自分が特別なんだとか、そういうふうに思わないような、そういう仕掛けというか、そういうふうなことにつながるかなとは思っています。
ということで、今日は子供を褒めるとき、すごいねっていうよりは、頑張ったねって言ってあげたほうがいいんじゃないかなというお話でした。それでは皆さん、今日もいってらっしゃい。