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仮面夫婦でも幸せになりたい、戦略的仮面夫婦カブの人生模索チャンネル。このチャンネルは、独行や育ち、仮面夫婦、仕事はライスワークなわーままのカブが幸せに生きるために、戦略的に仮面夫婦として生活をしながら、人生を模索する過程をお話しするチャンネルです。
仮面夫婦、親、仕事など、同じ姉妹を持つ誰かに寄り添う配信をしたいです。また、自分自身の話を通じて自己理解をしながら自己肯定感を上げたり、自分の気持ちを伝えるリハビリをしていきたいと思います。
お疲れ様です、アムです。今日は、シリーズとして考えている2回目【Song&Memory】ということで、歌にまつわる私の思い出話をしていきたいと思います。
第2回目は、ジュディ&マリーさんの【散歩道】という歌についてお話をします。よろしくお願いします。
【散歩道】は、1998年のリリースとなります。
25年前?
振り返るたびに月日が経つのは早いなぁと驚きます。
また軽率ですが、ちょっと歌ってみようかなと思います。
そんな風に求めてばっかりじゃ 魂も枯れちゃうわ
難しい言葉ばっかりじゃ あの子とも仲良くなれない
向かい風にぶつかってドカンって泣いて 朝になって全部忘れた
ふわふわ浮いてるあの雲に 乗れるくらい頭柔らかくしよう
春の散歩道には 黄色い花かんぶりが
夏の散歩道には 蝉の行進が
道をふさぐの 何よりも大切なこと
手をつなごう 柔らかい風が吹く
少しだけ優しくなって 夕暮れにも早く気づく
はい。
思ったよりもAメロで終わらせようと思ったら、
切りどころがわかんなくて、長々とすみません。
で、これがなんで私の思い出の歌になるのかなっていうと、
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昔シンガポールに住んでいたことがあったので、
それを思い出す歌になります。
私は父親の仕事の都合で、小学校から中学校にかけて、
4年ぐらいシンガポールに住んでいたことがありました。
家族でついて行ったっていうような感じですかね。
で、その時は日本人学校に通っていたので、
全然英語は話せなかったんですけど、
シンガポールって多民族国家でいろんな人種の人がいるので、
そもそも英語があんまりしゃべれなくても、
this one、指差してこれとか言えば話が通じるし、
あとあの店員さんとかも、もうそういう多民族国家だから、
英語が話せない人がいる。
あと、公用語は英語とはいえ、中国系の方もいて、
中国語とか話す人もいっぱいいると、
もう話せないのが前提だから、結構寛容なんですよね。
なんであの子供がプラプラ、買い物とかも結構いける。
まあ、治安がいいっていうのもあるんですけど、
そんな感じでしたね。
で、日本から海外転勤をするっていう、結構壮大な転、
転校かすみません、転勤じゃないね。
転校することによって、
私自身の性格とかも変わってきたなっていうところもあって、
同じ環境にずっといて続けると、キャラ変ってなかなか難しいと思うんですけど、
全然違う環境にいて、周りにいる人も変化が起きると、
自分の人への振る舞い方、性格も変わるなと思っていて、
シンガポールへの転校を通じて、私は陰キャだったと思うんですけど、
人と話すのも、日本人学校ってそういう単身婦人とかの
転入転校がすごく多いんで、人の入れ替わりが激しいから、
コミュニクが高くないとやっていけないような、そういう節もあるんで、
シンガポール、日本に戻ってくるっていう経験を通じて、
私は陰キャというか、人見知りをしないような性格が出来上がったのかなと思っています。
で、なんでシンガポールに行っていた時の思い出が散歩道なのかっていうと、
その年の紅白歌合戦に、ジュディー&マリーが出てて、
散歩道を歌ってたっていうのが思い出されるからです。
シンガポールって日本のテレビ番組は見れないんですけど、
NHKだけは衛星放送とかで世界中で見れるようになってて、
なので、大晦日は紅白歌合戦を見てるっていうような感じでした。
で、そこでジュディー&マリーが散歩道を歌ってて、
もうめっちゃ衝撃というか、
可愛いし、一旦聴いたら忘れられないこのメロディーは何だということで衝撃を受けました。
それがもうどういうカメラアングルでこういう場面だったっていうのも、
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目をつぶると思い出せるぐらい衝撃で、
この曲を聴くたびに、
あの時、シンガポールで年末に紅白で見たあの時っていうのを思い出される感じです。
そしてこれをきっかけに私はジュディー&マリーを聴くようになり、
声のトーンにも合ってる気が自分ではするので、
結構カラオケのレパートリーにもなってたりとかして、
そういう点でもいいなと思いました。
そしてジュディー&マリーをきっかけにJ-POPに興味を持って、
シンガポールでも輸入版って言ってCDが手に入る時代、
今のようにスマートフォンとかパソコンもそんなに普及してなかったんで、
基本的に音楽はCDショップに行くっていう感じなんですけど、
これをきっかけにCDとか買い出して音楽とかに興味を持ってたっていうのもあって、
ジュディー&マリーはシンガポールの思い出もそうですし、
音楽に興味を持つきっかけになった歌だなっていう点でも思い出に残ってます。
ちなみにここは私の完全な好みなんですけど、
ボーカルのユキさんはソロもやってますけど、
私はジュディー&マリーの方が好きだなと思いました。
確か最後の解散もしちゃってて、その時のダラッキープールだったと思うんですけど、
もう泣きながら聴いていたような覚えがありますね。
ちなみにシンガポールについては、
私が中2ぐらいで戻ってきたんですけれども、
父は引き続き海外で単身赴任をしていたので、
短大生の頃に一回一人でシンガポールに遊びに行ったことがあって、
それも思い出に残ってます。
その時は父のところで住ませてもらえるんで、住むところは困らないんですけど、
一人で飛行機に乗って空港には迎えに来てもらいましたけど、
父が日中に仕事に行ってる時は私が一人でプラプラしたり、
あと当時現地にまだ住んでいた友達とかもいたので会いに行ったりする中で、
その時はまだガラケーとかしかなくて、翻訳機とかもないし、
Googleマップみたいのもないのに、よくもあんなにうろうろできてたなと思うと、
昔の行動力というか、今いかにスマホに頼っているなみたいなことも感じます。
あとシンガポール自体のお話をすると、
とにかく街が綺麗で、確かガムとかはポイ捨てとかペチャってなると美感を損ねるからっていうと、
そもそも売ってないし持ち込みも禁止だし、
あと美感に対する罰則もすごい厳しいので、本当に街が綺麗なんですよね。
また確か淡路島ぐらいのサイズ感で、観光とか買い物とかをギュッて一極集中というか、
小さい国なので、移動時間が少なくていろんなことができるっていうのもすごくいいなと思います。
私が転校していた当時はまだまだ発展途上というか、そういう感じだったかなと思うんですけど、
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短大の頃に遊びに行った頃、あと今はもう特にですけど、もうアジアの中で頭一の先進国になっているなと思って、
そういう目覚ましい変化みたいなのもシンガポールのすごさかなと思います。
あとご飯も意外と日本人向けにおいしいものも多いなと思ってて、日系のスーパーとかもあるんで和食とかも手に入りますが、
フォーカーセンターというフードコートみたいなところで海南炒飯って今日本でも流行ってるかな、チキンライスって呼ばれるものがあったりとか、
あとはラクサ辛いラーメンっていうのかな、そういうのもあったりしてお食事もすごくおいしいなと思います。
もう今は円安が進んでなかなか手が出ない海外旅行ではありますが、そんなこんなでシンガポールは私の第二の故郷かなと思っているので、また行きたいなと思っているところです。
以上がジュディー&マリーの散歩道にまつわる私の思い出として、シンガポールに住んでいたことが思い出としてありますということをお話ししました。
最後まで聞いていただいてありがとうございました。失礼します。