無視というか、スピードが必要だとはあんまり。
試験内で問題を解くスピードがあっても、日常会話の中でのスピード感っていうのが重要ですよって、
言われたことが確かになくて。
でも確かに読解、逆に言うと英文を読むとき、読解するときでも、
そのぐらいのスピード感でおそらく読めたら聞けるはずなんですよね。
わかるわかる、聞ける聞ける。
聞けるというか、今も自分も単語だけならわかるけど、それが入ってこないっていうのかな。
そういう感覚はすごいあって、聞き取りならできるけど意味取りができないっていうか、
その速度で理解できれば聞けるという自信は結構つくかもしれない。
だからそこが大切だから、まずその読解っていうのを、まず磨いていきましょうっていうのが、
本章の定言というか、一番言いたいことの肝なんですけども。
なんか、読解っていう言葉を使わない方がいいような気がしますね、そうやって言うと。
ああ、でもまあ、読む、読むやとちょっと縛れないというか、難しいな。
読むっていうフラットな。
読み解くじゃないですか、読解にすると。
確かに、解くまでは確かに言ってない。ただ、もっとフラットに読むっていう感じのことやとは確かに思うけど、
このジャンルは確かに読解と言われてしまってるから、もう読解と言われてます。
適切な日本語がないっていうのはもちろんそうなんですけど、なんかもっといい単語で表現した方がいいんじゃないかなっていう。
確かに。
一応、読解を重視してて、英文を読解していくために最大限必要な条件っていうのが本章では3つ掲げられてて、
文法の理解と広い意味での語彙力と英文の内容に関する背景知識っていうこのまず3つがありまして、
幸いなことに文法の理解っていうのは僕らの中高英語で結構学んでるというか、そこの知識は大体あるんですよね。
文法って自信ないけど学校で学んだことで、いわゆる学術としては全部なんですかね。
英語に関しては結構ややこしい話はいっぱいありますけど、
語公文とかSVOとかの語文系。
未来形にするときとか常動詞をつけるみたいなことを学んでおけば英語の場合は結構把握できている。
そこが逆にそのレベルに行ってないと、この英語の読み方という本を読んでもあまり身にはつかないと思います。
加古文史とかは中学校で習わないんでしたっけ、用語として。
加古文史は多分高校じゃないかな、きっと。
じゃああれか、一応高校卒業程度の知識はあった方がいいってことなんですね。
高校で一応その大学受験を見据えた勉強とかある程度そこの知識はあってっていう方が、
ブログ記事とかでもそうなんですけど、だいたい見出しの書き方っていうのがだいぶ文法を無視して書かれていることが多くて。
それを一応踏まえとかないと読み解きにくいよっていうアドバイスがまずあります。
そうか、当たり前だけどそうですね。日本語もタイトルって文じゃないですよね。文章じゃないっていうのか。
あと全部最後にハテナつけてごまかすとか、いろいろありますけど。
文字数を圧縮させるためにいろんな情報を削り落とさないといけないことは英語でもやるか。
そういう見出しの書き方とか、あと本文、文章の中の記事の書き方とかも、
例えばニュース記事の場合は日本語のニュース記事もそうかな。
だいたい最初に事件の概要が最初の段落で書いてあって、その後詳細に入って最後にまとめみたいな構成になっていることが多いんで、
そういう風になってるよって知ってるだけでもだいぶ読みやすいと。
それはある意味あれですよね。文化というか背景知識みたいなもんでもあるってことですよね。
だから国ごとの背景的なカルチャーの知識もありますし、メディアごとのカルチャーの知識もあるってことですね。
このメディアはこういう風に書きやすいとかっていうのはもちろんあるだろうし。
それを踏まえていると読解もしやすくなるし、スピードもそこから当然上がってくるという感じですね。
第4章が論理的文章を読み解くということで、スピーチとかインタビュー記事で論文とかが上がってるんですけど、
スピーチって実は結構論理的に構成されてるもんなんですね、普通は。
大統領スピーチとかってめっちゃ簡単な英語ですごく伝わるように強く作られていてっていうのは印象がありますけど。
そうですね。だから日本人の偉い人のスピーチはちょっとどうかわからないですけど、
英語で話されているスピーチってかなりきちんと整えられて書かれてるというか、
書かれてるか、文章は書かれてるかな。書かれてるんで、そこは実は読解しやすいんですよね。
だからそこをチャレンジしてみてはどうかと。ちょっと難しいところもあるかもしれないけど、そういう読み方をしてみる。
論文っていうのもね、あれものすごいストラクチャーなんですよね。どこに何を書くかもうきっちり決まってるんで。
だから例えば冒頭部分だけ読むとか、そのアブストラクトって言ってその論文の概要だけを読んでいくとかっていう。
それも論文のメディア的形式を知ってると読みやすいですよね。
そういうのも確かに背景知識だし、ニュースのつもりで論文読むのとは全然違いますもんね、スピーチにしても何にしても。
事前にこういう構造があるよって知っとくとだいぶ読みやすいと。
で、最後の第5章が普段使いの英文解釈ということで、SNS、コミックで小説を読みこなすということで、いくつか実際の例を引きながらこんな風に読んでいくのかっていうのが最後に語られてます。
かなり普段は言語化されてないことを言語化している。だから意識的にやるとこうやって読解してますけど、僕らは普段もっとそれを無意識のレベルで読んでるんですよね。
本にも書いてあるんですけど、読むって日本語で先を読むとか言うじゃないですか。推理するっていう意味があるんですよね。
で、実際この文はこうなってるだとか次にこれが来るだろうからこうだろうっていうシミュレーションが常に働いてるんですよね。意味のどっかいの中で。
で、それがあるから僕たちは一定のスピードで、かなり速いスピードで文章を読んだりとか聞いたりできるんですけど、逆にその言語に慣れてないと、いわゆるスキームが構築されてないんで、すごい遅いんですし、遅い上に正確じゃないんですね。
そうか、俺たちは今こうやって会話をしながらも、多分0.1秒先のこととかを予測しながら相手の話を聞いてるんですかね。
そう、だから今のこう、普通に話してるように見えて予測しながらもって言ってるけど、その点の間に僕はおそらくこういう話が来るだろうってパッと思ってるわけですね。
多分言語化できていないけれども、こういう文脈の話が出てくるだろうなと。
で、それがおそらく要点だろうと。で、逆にここは要点だろうとか、ここは要点じゃないだろうっていうその判断をして言葉を汲み取ってるんですよね。
だから全ての言葉に均等に注目してるわけでもないですし、その順次処理してるわけ、リニアに処理してるわけじゃなくて、もっと先読みしてるんですね。
リニアですらないのか。
ないと言うんです。だからないと思うんですよ。だからそれがないから遅いんですね。
だからそれを身につけるためにはどんな風に読み解いてるかを、つまりどんな予測をしながら読んでるかを教えてほしかったっていうのを、これを読んで非常に痛感しましたね。
今までなんでこんなことを教えてもらえんかったんだろうという感じなんですけど。
そうか、テストの役に立たんからかな、これを覚えても。
教えるのが難しいのは間違いなくあるんですけどね。普段言語化してないことを言語化しなきゃならないので難しいんですけど。
一番難しいですよね、そういうのは。
ゲーム実況動画とかをよく見るんですけど、プレイヤーが無言で話してても何の勉強にもならないんですけど、
プレイヤーが自分でプレイしながら、右側の建物に敵が隠れていそうやからちょっと待ってみるとか言いながらプレイしてくれると、すごい勉強になるんですよね。
めっちゃ同じことをね、カードゲームの動画実況でね、それが言ってくれる人と言ってくれない人がめっちゃあって。
カードゲームとかでも、コストがあって手持ちのカードを使えるはずなのにプレイしないでターン返した時に、
もしかしたら相手がこれしてくるかもしれへんからっていう一言があるだけで、ああ、そういうことかって。
そういう気づきというか、そういうニーチプロセスの中で働いていることを知れない限り、レベルアップってなかなかできないんで。
英語の読み方という本は、まさにそれをやってくれてる本です。
あれですよね、みんながレベルアップするためのことをちゃんとやってくれてるんですよね、ずっとそれは。
だからこれは大変な意欲作で、多分Amazonでも人気になってると思いますけど、非常に力のある本でした。
さっきのカードゲームの話なんですけど、やっぱりできる人はそこを言語化せずに直感でやってるみたいなんですよね。
おそらくそうやと思う。
ここで全体除去をされると非常にもったいないので、あえて出さないっていう。
それを喋ってくれる人と喋ってくれない人とすげえいて、
この動きは、それはきっと全体除去を持っているっぽいな、みたいなことまで言う人とかいて、
そんなことを考えるんだっていうことを考えたこともなかったりして。
逆にゲーム実況動画とかが出てきて初めてわかってきたことというか。
だからやっぱり人がプレイしてるのを見てるだけでは弱くて、そのプレイヤーが何を考えているのかっていうのを後をたどれるっていうことが一番重要で。
だから本のいいとこって基本的に全て言語化しなきゃならないので、書いてる人の知的プロセスをたどれるんですよ、絶対に文章って。
動画はそれは人次第というか、動画出次第なんでちょっと差がありますよね、そこ。
文章がわかりやすいわかりにくいとか、同じ書いてある文字にしても全員が同じ受け取り方をするわけではないという前提はあるけれども、
一番それだとしてもやっぱり情報としてはフラットですね、万人に。
そういうところがあって、結構だから英文の読み方が初めてわかったっていう感じの本でした。
一応、語文系ってそういうことを一番骨まで砕いたっていうか、残った骨組みっていうのがそれなんですよね。
でもあれもそこにある文がこの文型になってますよねっていうその静止画の解説なんですよね。
で、これがさっき言ったOSVの順になってますって後で結果だけ言われても、確かに間違ってないんですけど、
なぜそう思ったのか判断したのかっていう中を言ってもらえたらすごく役立つんですね。
そういうところまでね。
そこをなしでその答えだけ示されて、この形がこうですよって言われても、やっぱり暗記できるかどうかの差だけになってしまうんで。
だから読み解き方がちゃんと細かいレベルで言語化されているのが本当に素晴らしい本でした。
やっぱあれですね、第二言語として英語を学ぶのであれば、そういうふうにしか学べないですからね。
自然に聞いて覚えるみたいなことができるものではないから。
だから結構丁寧に解説してもらって、ちょっと苦手意識が減ったっていうか、なんか違うな。
でも英語の場合は、子としてちゃんと別の存在だから、ちゃんと相手に話を、意見を聞いたりとか、自分の意見をまず述べると。
で、相手の意見を聞くっていう、いわゆるコミュニケーションですね。
コミュニケーションをしっかり取るという形になっていると。
なあなあで済ませない。
ちゃんと相手にフォローするし、相手に何か言われたことはちゃんと答えるっていう。
何が何でも言うはつけますよね。
言うはつけるし、主語を言うときは愛って言うし。
で、ほにゃららはどうですか。
例えば、How are youって聞かれたら、I'm fineって絶対言うって決まってるじゃないですか。
決まってるらしいですけど。
あれ、日本語の場合って、I'm fine的なことを言わないこともあるんですけど。
言わないと思うんですけど。
英語はそれが許されないんですね。
許されないというか、元気ですかっていう文を振られたら、その元気ですかにまず絶対に答えなければない。
つながっていかなければならないっていう、このマインドセットがある。
だから、日本人でつながりを持たないままに、相手と応答しない。
お互いに好きなことを言われて、何も言ってないけど、会話が成立したっていうのは成り立たないっていうのが英語カルチャーだっていう話です。
あれですかね、どちらへってちょっとそこまでみたいなのがダメっていうイメージ?
そういう感じ。
日本の場合って結構ね、聞いてるとわかるんですけど、質問に答えてないんですね。全く答えがあって。
英語の場合は何か質問されたらまずその質問に答えると。
そういうことを受け答えっていうつながり方をしていく。
相手と会話をつないでとか、相手のことをケアしたりするのが、ここで独立しているからこそつながっているっていうマインドセットが必要っていう話です。
単数とか複数とかも同じっていうか、だから、もの、あぺんだとかザぺんじゃないといかんっていうのもその概念と同じ感じなんですかね?
だから独立の概念と一緒だと思います。これは、この今度は個人を個として扱うっていう話ですけど、多分それはものにもゆえて。
だからアメリカ話者の人は、そのものが単独で存在しているのかそうじゃないのかがまず注意が向くんでしょうね。
だから、ものを見たときに、ものってまず認識せずに、一個のものっていう認識がまずあると。
だから、あーとかあんとかをつける、ないしはざーをつけるっていうその文法的、日本人から見たら、あまりにも細かすぎる文法的規則があるからそうじゃなくて、
話者の人がまずそれを気にするからなんですね。気にするからそういう言葉遣いをすると。
だから、日本人が英語でしゃべるときも、まず気にするマインドセットを身につけないと、まずその突然に出てこないですね、あーとかが。
全くできないですね、そこは。
日本の場合は本当に名詞の後ろに個数をカウントするのをつけなくても、何一つ問題はないんで、
私は本を持っていますって言っても、それ何冊か気にしないし、気にならないんですよね。
でも英語話者の人はそれ何冊なのっていう、その個数というか、どこまでの輪郭線があるのかっていうのを気にするから、ちゃんとしましょうっていう話です。
代わりに日本だと、例えば女子じゃないや、女数子とかが変だと気持ち悪いとかっていう、だからあれもテストじゃないけど、やっぱ変なもんを変って無意識に感じるってことですよね。
英語話者の人もテストの点をつけてるんじゃなくて、僕らが女子を間違えたときの気持ち悪さを、あーとかざーに感じると。
この魚一冊くださいとかって言ったら、どう考えてもおかしいですよね。
うんっていうのと同じ違和感を、彼らは答えを識別しないで喋る人たちに感じるということなんですね。
だからそこにちゃんと合わせに行かないと、やっぱりコミュニケーションって成り立たないのは確かですね。
通じなくはないけど、やっぱその違和感があって、そのコミュニケーションじゃなくなるような気もしますね。
キレイというか、一般的に使われる英語というよりは、日本語で言うとカタコトの英語を日本語を喋ってるよう、聞いてるような感覚になってしまうので、できるだけ合わせたほうがよろしかろうと。
それを受けて第三章、これ面白いですけど、英語にも縦前はあるという話で。
縦前。
カタカナで縦前なんですけど、日本人英語話者理解として、英米人は謙遜しないみたいなね、物事をはっきりズバズバ言うみたいなのあるじゃないですか。
よく言われる気はする。
でもそれって嘘なんだよと。
よくよく思うんですけど、丁寧に言う時って、クッチューとかウッチューつけるじゃないですか、英語で。
あれもう丁寧に言っちゃってますよね、あれ。全然ズバズバじゃないですよね。
あー、そうか、そうですね。
だから普通に、相手に気合することも言うし、謙遜もすると。
そういう文章がいくつも出てるんですよね。
実際にどんなふうに、そういう思いやりじゃないですけど、相手にケアする。
これ当然の話で、独立思考で相手に踏み入らないっていうことは、ケアの必要性が出てくるんですね。
ウッチューっていうのも、してもらっていいですかって言い方も、相手の決断を相手に任せる感じかな。
その判断はあなたがするべきものですよっていう、そのワンクッションがウッチューにあるんですね。
だから子であって、それが相手に侵食しない以上、ケアしないというか、謙遜とかしないってありえないんですよね。
だから普通に言葉遣いとしても、考え方としても、謙遜とかは普通にしますよという話があって。
頑張れっていう日本語で頑張れっていうのも、結構アメリカ人にはプレッシャーらしいですね。
つまりプレッシャーというか、自分の子に侵入されてる感じ?
お前もっと頑張れよっていうのは、自分の子が侵食されてる感じだから、あんまり言わないほうがいいと。
それはアジア的な考え方で、頑張れという概念がパーソナリティに踏み込んでくる感じがするんですかね。
だからグッドラックっていう言い方をしますよね、英語の場合は。
あれはどっちかというと、神の文化ですよね。神様のお恵みがありますようにぐらいのニュアンスですよね。
だから、Do your bestっていう言い方もあるみたいですけど、それもベストを尽くしてねということなんで、
頑張れ的押し上げじゃないんですよね、ちょっと。
あなたの全力を尽くしてくださいっていうのと、頑張れはちょっとニュアンスで違うんで。
だから、こういうふうに基本的に子が大事なんで、子を侵食しないためにいろいろあると。
子が大事だからお互いにつながり合おうとするっていう英語のカルチャーを理解しておくとよろしかろうという話が英語の思考法で語られていることです。
なんかめっちゃね、そういう英文いっぱいある気がする。パッと出てこないんだけど、この日本語をなんか主語をUにして話すんだみたいな言葉だったり。
あるある、あります。
なんか日本語だったらなんて言うんだろう、ちょっと例文出てこないからあれなんだけど、
これはUは主語にならんよねっていうようなことを、普通にそのUとかIとかが主語になってたりとか。
実際での一つとして、アニメ映画、ジグリの映画とかで、この会話、英語版で当然字幕を見ると全然意味変わってないんですよ。
それはあれなんだ。逆の考え方としていいかもしれないですね。英語の映画を見るんじゃなくて、日本語の映画を字幕にする。
日本語の会話の内容と全くずれてることがあって、結局それも日本語のマインドセットの会話をそのまま日本語訳したんでは、英語の人は理解できないからですね、シチュエーションが。
だからそれとなくそれに合うような言葉に差し替えてるっていうのがあって。
さらに、さらに言うと、推測なんですけど、ジブリ映画とかって英語圏の人にあらゆるものがなんか理解できなさそうな気がする。
結構日本マインドが溢れて、だからこそ神秘的で面白そうになる。
面白いっていうのは興味深いはあるかもしれないけど、なんか感じる世界が全然違う気がする。
それはあると思いますね。だからその辺だから、多分翻訳してる人は結構大変だろうなと思います。
多分大変なんでしょうね。
最後、伝わる英語表現法なんですけども、この本は実は曰く付きの本でして、
曰く付き。
出版日が2001年なんですね。2001年の12月20日ということで、
ほぼほぼ20年。
20年前の本で、僕持ってるのは7刷目なんですけど、1刷目が2001年で、7刷目が2021年と。
岩波新書、レベル2番号振ってあるんですけど、765番なんですよね。
多分今一番出てるのが1800とかなんで、相当前の本なんですけども、
めでたく復刻って言っていいんかな。
岩波新書って昔の結構古い本を再発行というか再復刊か、再復刊してるのがあって、
再復刊なんで多分部数が普通の出版物に比べて抑えられてるんでしょうね、きっと。
なので、この本がすごい人気になって、ものすごい期間しなげしてたんですよ。
最近ちょっと流通しだしたんですけど、結構入手しにくかった本で、
一部の英語勉強者とか英語を教えている人が、この本いいよってずっと言ってたらしいんですね。
でも、一般の市場では入手できないっていうのがあって、
ちょっと是非とも復活してほしいという行為があって、この本が復活されて、
今大増殺がかかっているという本で、つまり人気の本ということです。
復活したらめっちゃ売れたっていうか。
復活して、某ドクジョサルさんとかが紹介したおかげで、ものすごい人気になって、
僕もその経緯で買って読んだ本です。
やっぱりそういう影響力のある人が、いいよって言えば売れるというのもありますし、
実際この本はいい本です。
英語、歴史があるってことは名著と言われるものだと言えるってことなんですね、きっと。
逆にそういう本でも、入手困難な状況に追いやられてしまうことがあるというのが、
これ本の難しいところですね。
資本主義なのでっていうやつですよね。
だから、今回新しく再発掘されたという感じで、今後定番になっていくんじゃないかなということなんですけど、
これまで挙げた3冊の方の中で、一番パラダイムシフトの後押したのが多分この本ですね。
きっと一番影響力が大きい。
強かった。
あるいは、ドミノで言うと一番最後に倒れたもの間の順番があるから、
どれが一番影響力が強いかわからないけど、考え方の転換を迫った本がこの本で、
伝わる英語表現法という本なんですけど、
先ほどから、例えば英文なりの読み方があるから日本語とは違うとか、
英語話者のカルチャーが違うっていう話を非常に簡単に統合すると、
日本語と英語は違う言語だっていうことなんですね。
すごい当たり前を極めた話なんですけど。
その言葉の、英語と日本語は違う言葉である。
もっと言うと、共通する言語的要素をほぼ持たないっていうことなんですね、本書で言えば。
そこが全然わかってなかったんですね、僕はこれまで。
文法も違うのは知ってるし、例えばホットウォーターとウォーターが、
お湯と水とウォーターは完全に一致しないとか、そういうのは知ってたんですけど、
でもどこかしら頭の中にあったのは、
翻訳可能性とは違うな、言語としてやっぱり一緒なんだろうと。
言語というジャンルにあるから、なんか通じるものがある。
そういう感じで理解してて、結局のところ日本語のマインドセットから一歩も出ることなく英語を喋ろうとしてた。
英語を使おうとしてたっていうのをわかったってことかな、初めて。
英語読手法で言うと、なんだっけ、言語が変わると世界の捉え方が違うっていう言い方をしていて、
あれは結構自分の中で素晴らしい言葉だなって思ったんですけど、そういうような感覚ですかね。
結局その英語読手法も読んでたし、僕今読んだ順に紹介してますけど、
英語の読み方とか英語の思考法を読んでて、諸々の小さい、日本語と英語は違うっていう、
直接書かれてないですけど、文化が違うっていうのは当然言語が違うっていう話に繋がるはずなんですけど、
ずっと種を撒かれてて、この本でもうはっきり書かれてるんですよ。
日本語と英語は言語的に違うって書かれてて、今まで入ってきた知識がここで初めて像を結んだっていう感じですね。
ああ、そういうことかっていう感じです。
言語学で言うと、英語はゲルマン系の言語でどうのこうので、日本語はどこの何の言語とも全く似ていない、
出自がどこにあるか本当に謎っていう、中国とか韓国とかとも似ていない謎だっていうの。
全然違うから大変だっていうのはよく聞く話なんですけど、そういうレベルの全然違うがいかに違うかってことですよね。
そうそう、いかに違うのかっていうその違いの溝の深さを一番はっきり理解したっていう感じかな、この本で。
多分英語とドイツ語ならまあまあ近くてまあまあ似てるとこはあるんですよね。
それが、
ドイツ話者の人が英語を使うときは多分半歩ずれるだけでいいはずなんですね、おそらく。
日本語の話者の場合はその日本語の円の中から完全に出ないとダメなんですね。
僕はそのドイツ語のマインドセットで英語と接してたんで、それはダメだっていうことですね。
あー、ドイツ語の人が英語を勉強しようとする感覚で英語をしゃべろうとしていたというイメージ。
そう、だからそれは全然半歩足りてない、抜け出方が全然足りてないよなと。
そこまでそれぐらい一歩必要とするぐらいまでこの言語、2つの言語は違ってるんだっていうことを、
明らかに当たり前のことをはっきり書かれてて、で、あーなるほどと思ったってことですね。
その2つの言語は圧倒的に徹底的に違うので、この本では翻訳するという気持ちじゃなくて、
その文章の意味を伝えようとする意識を持つことっていう一番大きなテーマが掲げられてて、
だからタイトルが伝わる英語表現法なんですね。で、伝わることがなされればそれでOKっていうところがポイントで、
伝わることを抜いてしまう英語、英語読解でいうと、さっき最初に言ったように、
いかに英語の難しい文章を日本語に翻訳するのかっていう、適切に意味を、適切に解析していく?
正確に、解釈する?
解釈していくっていうようなアプローチの仕方になって、
どうするかっていうと、これが日本語の英語学習なんですけど、
表示されている文の中の一個一個単語とか品種語とか区切っていって、
それを辞書で引き、その辞書の意味を一個一個はめ込んでいって、それっぽい文に仕上げるっていうのが、
多分これまでの日本語学習で、多分20年前から今までずっと行われてることだと思うんですよね。
僕もそのマインドセットでやってきたんですけど、
本集はそういうことがありつつも、それとは違ったアプローチで英語に接してみてはどうかと、
結構大胆な提案をしている本です。
昔、日本で小説を翻訳するんじゃなくて、調訳っていうのが流行ってた時期があって、
その感覚に近いようなことなんですかね。
たぶんそれに近いかな。
だから言葉を一個一個置き換えていくっていう単語アプローチじゃなくて、
その文が言いたいことをまず把握して、その言いたいことを適切な言語プラットフォーム、
日本語だったら日本語のマインドセット、英語だったら英語のマインドセットに乗せる形で表現していくっていうやり方を取りましょうということを解きつつ、
じゃあ実際にそれどうやったらいいのかっていうのを紹介していく本です。
いろいろ面白いことがあるんですけど、一応小立てからいきましょうか。
これもね、これ5小立てやな、気づかへんかった。
それを英語にしたらなんかしっくりきたんですよね。
英語っぽい感じになる。
そういう発想は初めて教えてもらった感じがありますね。
書いてあることをそのまま英語にするんじゃなくて、
英語っぽい概念に置き換えてから、
その英語にしないといけないんですよね。
という話ですね。
第3章が今度は、日本語は抽象的、英語は具体的っていうんで、
さっきも抽象と具体出てきましたけど、今回もっと厚の話で、
現象ですね、現象。
これは空気が熱せられたときの現象だっていうのを日本語が書いてあって、
それどう英語に置き換えるかなんですけど、
現象もフェノメノンっていう単語があるんですが、抽象的な単語があるんですが、
これを使わずにやったらどうなるかと。
で、普通にThis is a phenomenon when the air is heatedっていうのが、
よく作りがちな文章なんですけども、
現象ってね、だからWhat happensって済むっていう話なんですね。
同じことなんですね。何が起きたかっていうことなんで、
起きたことっていうことなんで、What happensで済むと。
その他の練習問題10個ぐらいあって、全部これぐらい簡単な、
もう普通の中学生で知ってるような英単語のレベルで置き換えて表現できるし、
その方が非常に具体的になるんですよね。
だってWhat happensってめっちゃ具体的じゃないですか。
起こったことって言ってるんですよね。
フェノメノンっていう言葉よりも、
遥かにその言葉が言おうとしてることが明らかになってますよね。
で、その参照もその抽象的な日本語から具体的な、
さっき言った動詞を伴うような文章に置き換えていくレッスンが続きます。
なんか英語の、何て言うんだろう。
例えばそれでWhat happenedみたいなのにしても、
やっぱ日本語の、日本語だと現象じゃないとかっこよくなさそうじゃないですか。
でも英語は多分What happenedで、
なんかその語彙力なさそうではないってことなんですよね。
より具体的に説明してる感じが多分強まるんでしょうね、きっと。
英語の歌詞を、歌の題名とか歌詞を日本語にすると超ダセーぞっていうので。
確かに。
一時そういう王様とかが流行ったりもしたんですけど。
確かに。
そのスモークオンザウォーターとかって日本語にしたら、
もうなんだっけ、水の上の煙。
確かにダサいね。
でもそれは英語ならかっこいいのかなとか。
かっこいい。
でもやっぱりその方がイメージしやすいっていうのはあるんでしょうね。
確かにでもそういう翻訳はあるな、確かに。
で、当時さらに言うと音楽ネタなんですけど、
当時ってピンクフロイドとかのね、
日本語の場合は関係代名詞ないですけど、あれはだからダラダラっていう。
あー、それを翻訳するとダラダラという言い方になるかも。
いつになったら結論が出るんだよっていう。
そうそうそうそう、そういう感じ。
で、埋めるに関しては、日本語の言葉で足りてないことを英語にするときには埋めましょうということで。
例えば、これが今、文章ですけど、
例えば、青信号で人や車は進み、赤で停止するっていうのを普通に訳したときに出てこないのが、
例えば、ALLっていう言葉が入ってないですよね。
でも、だいたいここはALLをつけないと。
ほとんどの人が車は停まるっていうことは、
日本語では言わないですけど、英語の時はこういうのを補足しないと意味がちょっと伝わりにくいと。
さっきの独立の話とまんまそれですね、それで言うと。
うん、そういうことですね。
だから、そこにある答えがどのぐらいの数なのか、何を示しているのかっていうのを言わないと英語にはダメ。
だから、人はっていうのはアマンとか言ってたらもう嘘なわけですね。文章が変わっちゃってるんで。
アマンが青信号でストップでは全く違う文章になってしまう。
言いたいことが変わってくる。
だから、そういうふうに日本語から英語になったときに、日本語では省略されがちなことを埋めていく。
その上が最後のプロセスで、それをすると、さっき言った1時1分の原則で日本語を英語にできますよというのが第4章です。
第5章が英語の構造と日本語。
構造って後ろに書かれてないんですけど、英語の構造と日本語っていうので、構造的に違いがあるというので、
いろいろ例はあるんですけど、一番面白いのが並べる。並べるですね。
英語にするとリスト、リスティングっていう言葉が多分合うと思うんですけど、
英文でよく読んでると出てくるのが、
この並列の仕方は、まずそのABCが意味的な流度が揃ってなければならないんですね。
例えば、日本語で言うと、
A、Bに国が入っているのに、Cに県庁素材地が入っているのはおかしいみたいな、そういうことです。
この意味的な流度が揃ってないと、この形には使ってはいけないっていうのと、
単に意味の流度が合ってるだけじゃなくて、文の形、文詞の形。
だから、マッチホネララとか書いてたら、後ろ以降も必ずそういう風に、
就職する言葉、品詞、就職する言葉、品詞みたいな感じで、形そのものも揃ってなければいけないっていう、
そういうのが並列の漢字らしいです。
日本語でも揃えた方がいいなって言われるんですけど、そこまで規則的には感じないんですよね。
ちょっとずれててもいいし、逆に日本語の場合って、同じような形が続くとちょっと気持ち悪いから、
わざとどっか崩したりするんですけど。
文章でもそうですよね。リズムをあえて変えるみたいなことを、
日本語はやりたい方向で、英語はリズム揃えたいですよね。
だから、そこの揃える感覚っていう、並べるとか揃える感覚も結構違うという話が上がってますね。
さっきが並べるで、次が揃えるなんですけど、揃えるも同じで、何か同じものを並列すると、
例えば、3つの目標を立てるとかいうような場合があっても、その3つをきちんと揃える、表現レベルでも揃える。
だから、単語1つで目標が立っている場合は残りも単語1つにするとか、
1個が文やったら他も文にするとか、そういう揃え方をすると。
ここで3つにつなげるって言って、さっきつながるが出てきたんですけど、
つなげるっていうのは、さっきみたいに文と文、意味と意味をどんどんつなげていくと。
互い違いになったりとか、全然違うことを言ったりせずに応答させていくっていう、ここも同じことが書いてあるんですけど、
これは英語のマインドセットして出てくるんでしょうね。
英語は天然で論理的で、そうじゃないと気持ち悪い。
気持ち悪いんでしょうね、きっと。
構造の今の並べるとか揃えるとかって、例えばタスク管理の話にしてもきっと重要なことだったり。
それは全く同じだと思って、タスク管理ツールとかGTTとかってアメリカ式なんですよね。
で、だいたいリストを使うじゃないですか。リストを作る。
で、あれリストが流度が揃ってるっていうことが前提なんですけど、あれ多分日本人に合ってないなって僕は最近思ってるんですよね。
日本語って流度が揃えるというのを、英語ほどそういうふうに厳密に無意識にできないから。
だからさっき言ったように、ちょっと崩したくなる気持ちがあるにしてもリストツールってできないんで。
だからあれ、ちょっと気持ち悪いんですよね、やっぱり。
そうか、言語的にすら日本語はアメリカ式のタスク管理ツールはダメかもしれないっていうのはちょっと面白いですね。
だから日本人の場合は実はもっと日本人のマインドセットにフィットするやり方がきっとあるだろうっていうのをちょっとこの本を読みながら並行して思ってましたね。
やるべきことを文章で書いたほうがいいんじゃないかっていうような話とかはそういうことなんですよね、多分。
そのほうが多分日本人的には処理しやすい。
もちろん買い物リストとか短いものを管理する場合は別ですけど、もっと複雑な作業を扱う場合は無理にああいうふうにリストにするよりは、
例えばさっき言ったように文章として書き残していったほうが、実は管理しやすいというか日本人の情報処理に合った形になってるんじゃないかなと思いますね。
これはすごい難しいというか巨大な話ですね。根本的に仕事の考え方から変えないといけないかもしれない。
いやでもさっき言ったように日本語と英語が違う言語であるっていうのと、言語はカウルチャーに結びついてるっていうのを結び合わせると、
仕事の情報処理の仕方も同じであるという想定はだいぶ無理があるというか。
だからその辺でやっぱり日本人が作る、日本人のための情報整理ツールとかタスク管理ツールっていうのがあり得るんじゃないですかね、きっと。
あり得そうですね。どうしたらいいかは全然わかんないけど。
だから結構僕たちは知らん間に西洋ナイズドされてるし、それを疑ってもいなかったですけど、言語が違うんであれば情報処理も違うっていう観点に立てば、
結構新しいツール的発想が生まれるのではないかという気はします。
多分買い物リストは単語を並べればいいから、日本語でも大丈夫なんですよね。
だからあれは品詞の買い物かな、名詞の買い物、名詞的動作かな、名詞だけで済む。
だから日本語でもマッチするけど、動詞を含むものの場合、動作を含むものの場合は実はそうではないかもしれないですね。
文章でタスク管理の方がいいかもしれないな、確かに。
暮らしたさに連絡をするって、それはもう普通だな。
だからそれを暮らした連絡にしたら多分ダメなんじゃないかっていう。
それは多分3日ぐらい経つとそのタスクやる気がなくなってると思う。そういう会社の場合は。
まあまあそういうことで、そこは本編の内容は関係ないですけど、そういうマインドセットが違うっていうのが触れられて。
これ結構英語の思考法の紹介されたカルチャーの違いにする話がこの辺に出てきます。
最後の修正が体験的英語学習ということで、これは提言ですね。
こういう英語の学習スタイルになっていったほうがいいんではないかっていうので、体験的というか総合的ですね。
だから書くと話す、読むと聞くっていうのを総合にやっていくような感じでやったほうがいいんじゃないかということで。
例えばリスリングならリスリングだけして、ライティングならライティングだけしてということじゃなくて、
それぞれの動作を交互に行き来できるようにやったほうがより学びが深まるのではないかというのが最後、
終章で提言されてて、この本が終わっております。
あれですね、書くことでやっとわからないことがわかるので、聞いてるだけではダメとかっていうのも似たような感じも。
お互いにペアになって英文で書いて相手に言って、それが伝わるかどうかっていう学習のほうがより使える英語にはなるでしょうね、きっと。
確かにこの本が一番すごいという言い方があれか、響くところが多かったというか。
この本が一番最後に僕の考えをひっくり返してくれたというか、さっき言ったように、
英語的な発想で英語を考えるっていうことの意味がようやくわかったというか、
見通しが立ったっていうのを常に辞書を引くんじゃなくて、
これを英語で言ったらどうなるのか、自分の引き出しのある単語で言ったらどうなるかを最初に考えるようになったっていうのがあって、
これは結構大きい違いですね。
個人的には自分で話してたやつで、英語では動詞っぽい、
テイクアウォークとか動詞を使った言葉がダサい感じがしないのではないか。
だから難しい言葉を使って、日本語だと難しい言葉を使うと知的な雰囲気がするみたいな、なんかあると思うんですよね。
それが英語にはないんじゃないかなっていう。
あるにしても、英語話者で相当インテリな人しか流暢に使えないですよね、そういうのはきっと。
そうか、あとうまく言えないけど、言語として感覚が違うというのが、
歌のタイトルがダサいと思っていたのはきっとみんなダサいって感じてないんだっていう。
そうでしょうね、きっと。
そこは発見だったかもしれないですね。
英語の読み方の本でも、伝わる英語学習、英語表現法でも、
品詞ごとに分解して意味を取っていくっていうやり方はあまりよろしくないのではないかって言われてるんですけど、
それを本を読んで、やっぱりね、僕自身の英文の読み方がね、だいぶ変わったというか、
今まではさっき言ったように品詞ごとに切って、
テイクって書いてあるからとか。
っていうことを読んだんですけど、今、文章全体をまず捉えるっていう感じに変わってきてて、
そうするとやっぱりね、記憶の残り方が文ベースになるんですね。
で、当然そうやって残らないと、多分文って永遠に読めないと思うんですよ。
ああ、そういうふうに記憶してないと、次の英語がまた単語でしか来ないから。
そういうこと、そういうこと、そういうこと。
だから、この単語は調べたっていうのは覚えていくんですよね、その品詞レベルの読み方すると。
でも、どんな文を読んだのかが、もう全く頭に残ってないんですよね。
その文がどんな構造してたのかっていうのを覚えてないんですよ。
その品詞レベルで分解して読み方へと。
今はだから、その文がまず大きくどんな構造してるのかをまず見て、
単語は調べたり調べなかったりしますけども、
それは1個階層が下になってますね、今のところ、捉え方が。
多分そっちの方が、もっと大きな枠で英語を捉えられるから、
理解が、理解というか聞いた瞬間に理解できるとかに繋がるような気がしますね。
気がする、そうそう気がする。
実体験としてどうなるかは分からないですけど、
でも実際レベルで英語を訳すんじゃなくて表現しようっていうマインドセットは、
その言葉を相手に伝えるための適切な表現ができる力のことですから、雑学との違いはそこですよね。
そうか、雑学力じゃないってことはすごく近いかもしれない。
そうか、それを3冊読めば。
はい、僕はとりあえずこの3冊でそれぐらい英語との付き合い方のマインドセットが変わった。
だからまとめると、日本語と英語は異なる言語だっていう、何のひねりもないことなんですけど、
それがでも実際にどういうことなのかっていう、
例えば、日本では本って言うけど、英語ではア、ブックかブックスのどちらかしかないっていう。
ブックっていうのは辞書を引くためだけにある存在する、実用とは別のところにある言葉で、
英語で本っていうことを言おうとしたら、出口ではアがついてるかSがついてるかのどっちかしかないんだっていう。
それぐらい英語話者の人は個体識別っていうのをまず念頭に置いてるっていうような、
言語を使う時の考え方そのものが違うっていうことが言語が違うっていうことなんだっていうところに、
この3冊通して思い至ったっていうところですね。
言語、それをあれですね、やっぱ言葉を変えると、なんだっけ、言語が違うと世界の見え方が違うみたいな言い方もできるし。
だから英語のしゃべり方というか、世界の見え方をスイッチさせないと日本英語になってしまうっていうことですね。
それは外人がよくあるっていう片言にしかならないってことですもんね。
そういうことだと思います。
いいですね、3冊全部読みたくなりますね、これは。
はい、今、新書も入れ替わりが激しいですけど、この本はまだ最近出たばっかりなので、今なら簡単に入手できると思います。
新書は数も多いから、本屋に無くなってしまうとか結構あるのか?
岩波とかもある程度古くなると、岩波置いてないとこもあるんですけど、中古とかちくまでも、
1回売れちゃうともうそのまま入ってこないみたいなことが容量にしてあるので、今なら見つけやすいと思います。
これはぜひ、そうですね、3冊読んで、俺も読んでみようと思います。
これは英語は今、自分の中でも非常にホットなものなので。
はい、ということで、感想や質問などがあれば、ハッシュタグ、カタカナでブックカタリストをつけてTwitterでつぶやいていただけると、
ゴリゴとクラシタが確認して紹介したいと思います。
収録の後には本編では語れなかったアフタートークを収録しています。
アフタートークはサポータープランにご加入いただくことでお聞きいただけるようになります。
サポータープランに加入していただくと、限定のアフタートークのほかに月に1回の読書会だとか、
ブックカタリストの台本の配布などの特典も用意しておりますので、気になる方は概要欄から詳細などをご確認ください。