ありがとう、あなたたちのおかげで私は幸福になれたよ。私たちの結婚はあなたたちのおかげですっていう感じで。
100億当たって1人1億配って20人にくれば20億円ぐらいを自分で使うんじゃなくて。
他人のためにもうただ単純にプレゼントしてしまったっていうことをやったらしくて。
これが一言で言うとこれがポイントというかコツというかお金を有効に使うためのコツ。
今の5つの原則にも繋がるようなところがあるんですけど、他人に投資をするっていうことだったり。
主に他人に投資をするのかな。
直接この5項目の中に書かれているわけではなかったんですけど、内側にこもったお金の使い方じゃなくて、
やっぱり人との関わりのためにお金を使うっていうことが幸福のために大事なことらしいんですよね。
ちなみになんですけど、その夫婦は幸福やったんですよね。
そこからは踏み込んでは書かれていないので、多分幸福だったんでしょうねっていう。
確かに100億当たったらもういらんなって思う気持ちはわかるんですよね。
20億加ってまだ80億残ってますからね。
もう十分だし、確かにそれを自分一人で100億使って友達がいなくなることと、
どちらって考えたら本当にそうだと思うんですよね。
その1億でみんなでパーティーしようぜっていう方がわかりやすく幸せなような気がするし。
他人のためにお金を使うっていうと、やっぱり自分の中で言うとできないような印象があったんですけど、
このエピソードを聞いてみると、
そうだね、例えば仮に100億あったらラッサさんに1億あげるとかいいなって思うし、できるなって思ったし。
まあでもそれやっぱりある程度の豊かさがあってという話にはなってしまいますよね。
だからさっきの話で言うと年収が800万円以上の関連の話で言うと、
だから年収が50万の人に同じ話は通用しないよなとは思いますけども、
ある程度お金があって、そのお金を使う選択肢があるときに、
人の方に視線を向けることが幸福につながるのではないかということですね。
それに関してもうちょっと先行してしまった他人の投資の話なんですけど、
ちなみにその研究のところで言うとですね、
あまり豊かではない国に行って、
他人のために投資をするっていうことができるかどうかっていう実験をしてみたところで言うと、
ある程度生活苦しくても人にお金を使うと幸福感は感じるらしいです。
それはだからやっぱり人間が社会的な動物というか、
つながりを前提に生物的に進化してきたということなんでしょうね、きっと。
そうそう、それで例えば思ったのが、
子どもを作ることって経済的な合理性は全くないって言われているんですけども、
子どもが、それでも多くの人は子どもを作っている人がいるわけで、
その理由っていうのがそこに隠れているかもしれないというふうにも言えるし、
逆に言うとやっぱりそう進化してきたってことだと思うんですよね。
子どもを作って、そこに資源を投資するということを幸福だと感じたことによって、
人類はより反映することができた。
その理論を当てはめれば他人にお金を使うということは、
幸福になれるというのは研究じゃなくて、感覚的にもすごく納得できる感じがして、
他人に投資するというのは、最後にもうちょっと触れようと思うんですが、
順番に5個、これも短期記憶的に5個全部覚えるのは難しいと思いますが、
ちょっとずつ話していきます。
1つ目というのが、経験にお金を使いましょう。
分かりやすい話で言うと、家とか車とか買うんじゃなくて、
旅行とかにお金を使った方がいいですよっていうのが書かれている章。
例えば、高価な外食っていうのは経験を買ったことになるんですかね。
いきなりそこが核心をついた素晴らしい質問なんですけれども。
もういきなりその話に入るんですが、
ほとんどの買い物というのは、物を買ったのか経験を買ったのかという境界線が曖昧だっていうのが難しいこと。
経験を買うっていう言葉だけだったら簡単なんだけれども、
例えば本を買った場合にサンプルとして書いてあったのが、
本を書棚を美しく飾るために買ったものですよね、当然。
でもその中身を楽しむために買うんだったら経験ですよね。
本で言えば、多くの人は経験として買えると思うんですけれども、
パソコンを買った場合ってそれ物なの?経験なの?って言われたら難しいね。
今回買ったラスタさんのマイクは物なの?経験なの?物要素って強いけど、
目的はポッドキャストの音質を良くするための、良くするという体験というか、
さらに言うとこれは聞いてくれる人の体験なので他人のための投資という言い方もできるかもしれない。
間違いなくそうですね。僕だってこの収録のためだけにしかこのマイク使ってないですからね。
そうそう。やっぱり難しいのは、経験を買うという言葉は簡単なんだけど、
ほとんどのものはどう捉えるかによって大きく変わってしまう。
逆に言えばあらゆる買い物を経験のために買ったと考えれば幸福だと考えられるんじゃないかっていうのは、
これを読んで感じた僕の仮説です。
だってね、家にお金を買ってその家でそのいい気分で過ごせる経験を買ってるとも言えるわけで。
どう使うか、物を買ったときにどう使うかが影響を与えてしまうんですね。幸福度に関して言うと。
そうですね。だから自分がどう使った気分でいるかというのがきっと大きなところで、
わかりやすい話で言うと、家とか新車とか新築住宅って住んだ瞬間に価値が2割下がる、3割下がるみたいに言われていたりして、
物って時間が経てば経つほどほとんど100%のものは劣化して価値が下がっていくんですよね。
対して言われて思ったのが、経験というものは時間を減るに従って経験の価値というものは上がってくる。
あの頃楽しかったなっていう経験って言われてみると劣化しないなと思うし、
さらに言えば嫌なことだったり辛かったことにしても、よほどの後遺症が残るようなやばい体験でない限り、むしろプラスに感じていると言えるぐらいなんですよね。
なので苦労は勝手でもしろみたいな日本語のそういうことわざというか小字成語みたいなやつでも、
確かにその経験というものはその段階では苦労はするのかもしれないけれども、経験として後から振り返ってみると意外と価値が高いものにもなり得る。
そういう意味で買い物をする時には物を買うのではなくて経験を買う、経験を買うつもりで体験するということが大事だ。
物を買う場合でもその物を通してその先にある経験を意識して買った方がいいということですね。
そうですね。だからやっぱりミニマリストとかが流行っているのにしても、やっぱり一個一個のものに愛着を持って雑な買い物をすると良くないんだろうなということだと思うんですよね。
物的な買い物ということか。なるほど。
例えば必要ないという言い方、何個も何個も無意識に買える。そういう意味ではお金持ちになって何個でも買えるということは幸せではないのかもしれない。
一回の買い物に対する幸福度は間違いなく下がるでしょうね。
そうそう。だから同じ金額を使っても同じ幸福が味わえないということになってしまうので。
あともう一つ経験に関して大事なこととして、経験の価値にかかる時間というものは全く関係がない。
例えば1年間世界一周旅行をしますという体験は1年間であることがその価値があるわけではなくて、
例え話として宇宙旅行の話が出てきたんですけど、ある夫婦が宇宙旅行が夢だったらしいんですけど旦那さんが亡くなっちゃったらしいんですよね。
だからそもそも例えば忙しいと感じているというその状態そのものがある種の錯覚なわけですから、
錯覚を錯覚で上書きするということですね、要するに。
そっちのほうが言葉としてかっこいいですね。
時間が足りないと感じているのも既に錯覚しているはずなんですよね。
いろいろと時間の使い方の話は他にも、
人のために時間を使うだとか、
あとよく言われていることなんですけど、
お金をどういうことに使うかというと、
時間を短縮できるため、
この本だとUindexを改善するために使うといいぞっていうふうに言っている用語として。
Uindexとは何でしょうか。
不快な時間を過ごす量。
なるほど。
UnpleasantとかUndesirableのUらしいんですけど、
嬉しくない、望ましくない時間というものを減らすためにお金を使うといいよ。
一番わかりやすい例として出てきたのが、
通勤時間を減らすといいぞっていう話だったんですけど、
あんまり嬉しくない時間というものを短縮するためにお金を使いましょう。
例えばアメリカの古い価値観というか、
昔からあるような価値観でプール付きの家に住めたらいいなみたいなことをよく思うらしいんですけど、
現実的にプール付きの家を買おうと思ったら、
よくある街中の職場から離れた場所にしか家は買えないんですよね。
そこで無理して高いお金を払ってプール付きの家を買っても、
通勤に、今までは20分で住んでいた通勤が1時間かかるようになってしまうだとか、
さらに言うと、プール付きの家の話で言うと、プールを買ってしまったら、
実はプール付きの家って秋になると落ち葉が落っこちてきて、
それを管理するのにすげえ大変で、
じゃあ今度その管理するためにお金か時間を使わないと、
プールをきれいな状態に保つことができないよね。
プール付きの家って憧れだと思うけど、
実はこんなやばいことがあって、そうじゃなくて、
そういう残念な時間を減らすためにお金を使わないといけないんだから、
プール付きの家を買うなんて真逆なことだよねっていうふうにも言えるのかな。
当然その人がプールがめっちゃ好きでっていう場合は話は別ですよね。
でも多分それは日本でもそうだと思うんですけど、
経済発展期において国民に植え付けられた幻想だと思うんですよね。
消費幻想のために高いものを売ろうとして、
そういう物件が売られているというのはもちろん前提として、
でもプール付きの家を持つことそのものが幸福である人もいるわけです。
それは間違いない。
だからメディアとかそういうところの都合がいい、
その幻想に騙されるなっていうことなのか。
例えば自分の親族にプール付きの人を持っている人がいて、
この500円があれば、例えば漫画が一冊買えるなっていうような考え方はもちろんできるし。
500円も払ったのに、5分で終わっちゃうの?とか10分で終わっちゃうの?とかっていうふうにも思えるし。
でも、そうじゃないんだっていうふうに、これは理性でそうじゃないんだって判断しただけで相当効いたんですよね。自分に。
それは面白いね。システムを上書きしたわけだね。もう1回。
そんなケチくさいことを言っていたら、遊んでたって意味がないでしょっていう。
楽しむために来ているのに、そこでお金がもったいないからとかっていう理由で楽しめなくしてしまったら一番不幸だよねっていう。
それはでもいい話というか、これシステム1とシステム2の対立で考えたときに、システム2の存在がシステム1を邪魔するっていう構図がよくあるわけですけど、
そういうときにシステム2をなくしましょうっていう言い方があるわけですよね。こういう言い方はしてないですけど、つまり考えないで感じましょうみたいなことですけど。
それって結構危なくて、使ってはいけないお金もいい体験があるからいいっていうふうになってしまいがちですから。
だからシステム2を使って、システム2の自らの手綱を外すというか、今ここは1回システム1に譲ろうみたいな考えがあると、その両方の良さが生きてくるなという感じがしましたね。
しかも言ったら、いわゆる遊園地とかそういうところで遊ぼうかねってめっちゃ高いけど、家を買うに比べたら下金になるしね、当然。
だから例えばその案で言うと、予算5000円とか1万円っていう予算を作っておいて、そのお金だったらいくらでも自由に使うって決めるだとか、
俺みたいなそういうもったいないって感じてしまうような人には?
そうなんだよ。数字とかお金の話になってくると、オーダーが関係なくなってきて、1円でも安い高いっていうのは、
例えば1000円違うっていうのと同じくらい真剣に検討してしまうようなところがあって、それが数字のまずさというか。
1円でも高かったら高いのは高いわけで、そこを買うと損してしまうような気っていうのがやっぱり数字が出てくると、そういう判断が走ってしまうんで。
だからそれを抑制する何か別の枠組みを持つというのは有効でしょうね、確かに。
そう、だからここは言ったら、この時間を買うでしょうだけでも十分な価値はあったなっていう。
人のために時間を使うっていうのと、ケチくさいことを考えるなというか、そういう感覚というか。
合理的に判断したらダメだよっていう。幸福にお金を使うときには。
でもっていう判断そのものは合理的だから、合理性の階段があるというか、経済合理定期だけの判断ではダメだよっていうことですよね、だからきっと。
確かに日本は先払いが当たり前というかね、それがデフォルトですからね、今のところは。
そう、もはや当たり前に近いですよね、感覚としては。
さらに分割で利子払ってなんてやってる人、普通じゃないか。
あまり一般的ではないので、あんまり飛ばしてもいいぐらいな感じはありました。
でも、目の前の欲求と将来の欲求をちゃんと比較して、将来の欲求に使った方が幸福度が高いというのは一応ね、日本でも使える考え方ですね。
そうですね、過去より未来っていうのが分かりやすい覚え方なのかなっていう感じはしましたね。
だから未来のこと、過去のことを振り返って、まあよくある過去は変わらないだとか、あと未来はそのドーパミンなので、なぜか無駄に期待をしてしまう。
それは大抵は誤りなので、そのあたりを知っておくことですかね。
最後が他人に投資をする。
これは意外と確かに言われてみるまではあんまり思わなかったけど、言われてみると確かにそうだよなっていうか。
人に投資をすると顕著に幸福度が上がるといういろんな実験があったらしく。
さっきも出てきたんですが、お金に余裕がある人だけではなく、ある程度生活が苦しい貧しい国、アフリカのどこかで調べたらしいんですけど、
人たちでも知り合いが旦那が病気になって、この薬を買うためのお金を貸してくれって言って貸してあげるっていうことをやった方が幸福感を高く感じている。
これが実は時間とすごくつながるところがあって、
さっきの時間を人のために時間を使うと、自分は人のために時間があるんだって感じられることによって、
自分はその人に使うことによって自分が時間があるというその認識を上書きする。
お金にもこれときっと同じような効果があって、
人にお金を使ってあげることで、自分は人にお金を使えるぐらいお金に余裕があるんだという認識をすることができる。
追い立てられてる感じがなくなるということだよね。
これがその幸福感を感じている一つの理由なのではないか。
もう一つは最初の宝くじの話で出てきた社会性というので、人の役に立っている感というのは、
やっぱりわかりやすく幸福に貢献するみたいなんですよね。
そのために当たり前なんだけど重要なことというのが、
例えば人から言われて無理やり人にお金を払うというのは少しも幸福にならないわけで、
お前は助けるべきだって言われて助けたら、当然そんなよりも自分から自発的にお金を支払わないと幸福になれないし、