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2021-09-21 1:20:57

BC021 『幸せをお金で買う5つの授業』

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面白かった本について語るPodcastブックカタリスト。第21回の本日は『幸せをお金で買う5つの授業』について語ります。

今回の本は、色々な点で『Learn Better』を思い出す本でした。

BC011 『Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ』 - by goryugo - ブックカタリスト

書いてある内容自体は、全然知らなかった!みたいな驚きはほとんどないです。どれも読んでて、うん!確かにその通り!という話が多くを占めています。

ただ、書いてあることを言語化して整理してまとめると、すごく色々身に沁みる内容ばかり。

結果的に、この本からは大きな影響を受けて、日常生活の意識が大きく変わっています。(具体的なエピソードなどはPodcast内で語っています)

どんなことにお金を使うと「幸福」になれるのか

本書で書かれている「幸福になれるお金の使い方」は以下の5つ。

* 経験を買う

* ご褒美にする

* 時間を買う

* 先に支払う

* 他人に投資する

最後の「他人に投資する」という項目だけは「へえそうなんだ」という感覚がありますが、あとは大抵「どこかで聞いたことがありそうなもの」に感じます。

ただ時短を目指せばいいというわけではない

5つの章の中で最も興味深かったのが3章の「時間を買う」という項目でした。

⏱時間が貴重だと思うほど時間に追われる感覚になる - by goryugo - ナレッジスタック

↑にも少しまとめたのですが、まず興味深いのは「どうすれば時間があると感じることができるのか」

たとえば、人には「ファストフードのロゴを見るだけでせっつかれた気分になる」という性質があり、早くする、ということを考えるだけで何もかもを「急がねばならない」という感覚になってしまう、とのこと。

時間がないという感覚で「早くしないと」と考えることが脳に「急いだ感情」をもたらし、これがさらに「時間がない」という感覚を生み出す。

「ファストフードのロゴを見るだけでせっつかれた気分になる」のと同じように、時短製品を買って時短を目指す場合でも、同じように「せっつかされた気分になる」可能性は極めて高いわけです。

そう考えると、単純に「時間を買う」という行為一つを考える場合でも「がむしゃらに時短製品を買うことが正解ではない」ということを教えてくれます。

その他、時間がお金に変わっていることを意識すればするほど、目の前の時間が楽しめなくなるということ。

時給労働者は、より時間をお金だと感じやすくなるので、そういった感覚になりやすいこと。この効果は、仕事をやめても2年続くというような、興味深い話も多数ありました。

ブックカタリストのサポーターの方には、この本についての読書メモや、本編で利用した台本などもお送りいたします。(別のメールでお届けします)

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ブックカタリストのサポータープランについて - by goryugo - ブックカタリスト



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面白かった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト、第21回の本日は、幸せをお金で買う5つの授業について語ります。
よろしくお願いします。今回はゴリゴの順番ということで、割とビルパワーとかと方向が似ているというか、
もともとゴリゴが昔から好きだったジャンルの方向、行動経済学ではないんだけど、人間にはどういう性質があるのか、みたいな方向の本と言ったらいいのかな。
なんとなくビジネス書風な感じはしますけど、そうではないんですね、これは。
あんまりビジネス書という感じはしなかったですかね。ビジネスっていうか自己啓発っていうか、そういう要素があるにはもちろんあると思うので、人文というよりはビジネスの方が近いのかもしれないですね、そういう意味で言うと。
調べてみたら、著者のエリザベスダンという方は、2014年の1月にNHKの白熱教室、1月に幸福学の白熱教室っていうものに出てたりしているみたいで、そういう意味では日本でもそれなりに知名度があるのかなという印象を受けました。
何回か事前の話みたいなのをしているんですが、よく言われているのが、お金ってある一定までは稼いだら幸福度というものは上がっていくんだけれども、一定以上を超えてしまうと、どんだけ稼いでも収入と幸福が連動しないと、よくいろんなところで言われていると。
この本の著者がそれに対して着目したのが、じゃあお金を稼ぐ方向じゃなくて使う方向で考えてみようと。お金を使う場合にどういうことにお金を使ったら人間って幸福を感じたりするのかな。
上手なお金の使い方、上手なじゃないですね。幸福を感じるお金の使い方というものを調べてみようっていうので書かれてまとめられた本です。
だからこの本は幸福につながるお金の使い方を教えてくれるということですね。
思い出したのが、第1回のブックカタリスト、ダーウィンエコノミーの中で地位罪と非地位罪という言葉が出てきたんですけど、あれもある意味で幸福なお金の使い方関連でも似ているなと思って。
自分の社会的地位を満足させるためのものっていうのが地位罪で、そうじゃなく生活を豊かにするようなものというのが非地位罪みたいなのがあって、直接ストレートにリンクしていることではないんですけど、割とそういうような要素が含まれた話だったのかなと。
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例えば地位罪っていうのを買ったりするときにサービス消費したりするときには、何かしらの快というのかな、快楽というか良さっていうのは絶対あると思うんですけど、そういうのじゃない方向がこの本では模索されたり提案されたりしてるっていうことですね。
そうですね。結論というか大雑把にまとめるとですね、言ってることは大体当たり前のことです。
うわ、知らなかったっていう大きな発見とかがあるかないかで言ったら、ほとんどなかったっていう言い方失礼か。うん、そうだよねっていう話ばっかりだったんですよね、言ってみたら。
ただ、Learn Betterの話をしたときにも思ったんですけど、書いてあることはすごく当たり前のような気はするんだけれども、これをきちんと丁寧に言語化してまとめてあって、それをテキストとして読んで理解してみると、
なんて言うんだろう、結構刺さるというかまとめられて言語化されて、それを一度自分の中で考えてみると、かなりこれは良いこと書いてあったなっていうふうに考えは変わるっていうのかな、そう思うようになって、
実際に読んでみて、読んでから1ヶ月以上経ったのかななんですけど、いろんなことを、例えば買い物をする場合、どこかで遊んだりする場合っていうのに折に触れ、この本のことを思い出して、
これはきっとこういうふうにした方がもっと楽しめるんだろうな、もっといいお金の使い方ができるんだろうな、みたいなことは結構思ったりしましたね。
当たり前ということは、極端な主張ではないということの含みと、以前から知っていたということの含みがあると思うんですけど、その後者の方に注目すると、以前からそうだろうなと思ってたことがより具体化されたりとか、強化されたりしたというような感じですかね。
そうですね。具体化と強化はまさにそうだと思います。ぼんやりとそんなことを知ってたよって思うんですよ。
実際、この本のレビューを見ると、結構そういうふうに書いていることがあって、もうこれだけ、このお金の使い方は、お金は経験を買うのに使うべきだ、そんだけ、ただ知っていることが延々と200ページにわたって書かれているだけだ、損した、みたいな言い方をしている人も結構いるんですよね。
ただ、それは本の読み方としても非常にもったいないと思うし、人によっては確かにそういう印象を受けるということはあるとは思います。当たり前すぎると感じてしまう。
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読んでみて、細かい部分では結構おって思うこともあったりしたし、単純にまとめて整理することというのがいかに価値があるか。よくあるレビューのネガティブなやつで、ネットに書いてあることをただまとめただけ欲しい、みたいなのをよくレビューとかで見るんですけど、あれはまとめたことに価値があるんだろうって思ってるんですよね。
それに近いような印象ですかね、全体でいうと。
なんかでも、本書で主張されていることが、例えば心理学的な実験で担保されているというか、エビデンスがあるというか、そういう補強の仕方はあるんですかね。
もちろん、ちゃんと補強というか、参考文献は多数あるんですけれども、基本的にこの人はアカデミックな研究をしている人なので、ちゃんとそのアカデミックなお話ではあるんですけれども、法約にあたって注釈が全部削られています。
日本語の方はダメなやつです。注釈というか、参考文献が一番最後に載ってないやつ。
それはちょっと困りますね。
なので、英語版はついていることを確認しているんですよね。
なるほど。
ちゃんと注釈が。なので、そういう意味でアカデミックにちゃんと調べるんであれば、英語版を読まねばならないというのは、ちょっとネガティブな部分ではあるのかなと。
ああ、こういうのって不思議なんですよね。そういうのがついていると難しく読めて、読者に嫌われるから削っているのか、経費の問題で削っているのかもしれないんですけど、できれば削ってほしくないですね。
まあ、あれですよね。確か独学大全とかでもそういうのって嫌われるからやってなかったので。でも、それってね、やっぱりね、書籍、出版業界の人が読者をバカにしていると思うんですよね。
確かに。
お前たちバカだからこんなんいらんだろって言ってるっていう意味じゃないですか。はっきり言って。
はっきり言ってそうですね。そうなっちゃいますね。
なので、その点ではちょっとそこはね、非常によろしくないので、究極なことを言えば英語で読んだほうがいいとは思うんですけれども。
あとやっぱね、その、なしとありで読んでみて思ったのが、文の途中に1とか2とか書いてあるじゃないですか。
ああいうのがあれば、この話についてはちゃんと根拠があるんだなって、やっぱりリアルタイムに読みながらわかるので、個人的にはやっぱりあったほうが、そのメタ情報が増えて読みやすいと思って、この本がそれがなかったので、そういう意味でやっぱそのもったいない。
たとえ文献をいちいち調べたりしないにしても、1って書いてあるだけで効果はあるというのは思いました。
というのが前振りというか、事前情報ですかね。
その収入の話なんですけど、よく言われてるのがアメリカのダニエル・カーネマンの研究らしいんですけども、収入でその幸福度が上がる上限というのが7.5万ドルぐらい、7、800万円ぐらいまでは年収ですね。
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収入が増えれば幸福度は上がっていくんだけれども、それを超えてしまっても幸福度というのは上昇していなかったという研究があると。
そこまでなら収入を上げる努力をすることはストレートに幸福につながるので、そこを目指してもいいのではないかと思うんですが、やっぱり世の中の傾向として多分稼ぐことよりも、もっと幸福に使おうということが全体的にも増えているような印象があって。
全5章立てプラスまとめみたいな感じになっています。
5章立てだから、これ5つの授業だから1章1授業という感じですか。
はい、ですね。
1回最初に5つ言っておくと、1つ目が経験を買う。
経験を買う、はい。
2つ目がご褒美にする。
3つ目が時間を買う。
4つ目が先に支払う。
なるほど。
5つ目が他人に投資する。
他人に投資する。
自分に投資するがないと思ったけど、経験を買うっていうのが自分に投資するにちょっと入るのかな。
ちょっと先走ってしまいましたが。
そうですね。
でも言われてみると、やっぱりうん、わかるよねっていう感じだと思うんですよね。
もし言って言うなら、他人に投資するっていうのはちょっとへーって思う人はいるかもしれないけど、感覚としてはわからなくはないというか。
っていうのが基本なんですけど。
で、ちょうどこれ本の中で面白かったエピソードっていうのがあって。
とある夫婦が、イギリスの夫婦が宝くじで100億円当たったらしいんですよね。
はい。
で、一般的に宝くじに当たると結構なんて言うんだろう。
みんな実は宝くじに当たった人は不幸になっている人が多いみたいな話とかってよく聞いたりするんですけど。
そういう人たちがやってることってやっぱお金を全部自分一人で独占しようとして。
他の人が群がってくるとどんどん他人っていうのが俺の金を奪いに来たやつなんじゃないのかって疑うようになって。
どんどん家に向けて家に向けて自分のために自分のためにお金を使おうとしてしまう。
で、この100億円当たったイギリスの夫婦っていうのがすごい面白いお金の使い方をしたらしくて。
なんか当時はお金がなくて結婚式延期してたらしいんですよね。
で、結婚式をやろうって思い立ったんだけど、その結婚式で思い立ってやったことっていうのが。
15人から20人ぐらいすごいお世話になった人を招待して、全員におよそ1億円ずつ配った。
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ありがとう、あなたたちのおかげで私は幸福になれたよ。私たちの結婚はあなたたちのおかげですっていう感じで。
100億当たって1人1億配って20人にくれば20億円ぐらいを自分で使うんじゃなくて。
他人のためにもうただ単純にプレゼントしてしまったっていうことをやったらしくて。
これが一言で言うとこれがポイントというかコツというかお金を有効に使うためのコツ。
今の5つの原則にも繋がるようなところがあるんですけど、他人に投資をするっていうことだったり。
主に他人に投資をするのかな。
直接この5項目の中に書かれているわけではなかったんですけど、内側にこもったお金の使い方じゃなくて、
やっぱり人との関わりのためにお金を使うっていうことが幸福のために大事なことらしいんですよね。
ちなみになんですけど、その夫婦は幸福やったんですよね。
そこからは踏み込んでは書かれていないので、多分幸福だったんでしょうねっていう。
確かに100億当たったらもういらんなって思う気持ちはわかるんですよね。
20億加ってまだ80億残ってますからね。
もう十分だし、確かにそれを自分一人で100億使って友達がいなくなることと、
どちらって考えたら本当にそうだと思うんですよね。
その1億でみんなでパーティーしようぜっていう方がわかりやすく幸せなような気がするし。
他人のためにお金を使うっていうと、やっぱり自分の中で言うとできないような印象があったんですけど、
このエピソードを聞いてみると、
そうだね、例えば仮に100億あったらラッサさんに1億あげるとかいいなって思うし、できるなって思ったし。
まあでもそれやっぱりある程度の豊かさがあってという話にはなってしまいますよね。
だからさっきの話で言うと年収が800万円以上の関連の話で言うと、
だから年収が50万の人に同じ話は通用しないよなとは思いますけども、
ある程度お金があって、そのお金を使う選択肢があるときに、
人の方に視線を向けることが幸福につながるのではないかということですね。
それに関してもうちょっと先行してしまった他人の投資の話なんですけど、
ちなみにその研究のところで言うとですね、
あまり豊かではない国に行って、
他人のために投資をするっていうことができるかどうかっていう実験をしてみたところで言うと、
ある程度生活苦しくても人にお金を使うと幸福感は感じるらしいです。
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それはだからやっぱり人間が社会的な動物というか、
つながりを前提に生物的に進化してきたということなんでしょうね、きっと。
そうそう、それで例えば思ったのが、
子どもを作ることって経済的な合理性は全くないって言われているんですけども、
子どもが、それでも多くの人は子どもを作っている人がいるわけで、
その理由っていうのがそこに隠れているかもしれないというふうにも言えるし、
逆に言うとやっぱりそう進化してきたってことだと思うんですよね。
子どもを作って、そこに資源を投資するということを幸福だと感じたことによって、
人類はより反映することができた。
その理論を当てはめれば他人にお金を使うということは、
幸福になれるというのは研究じゃなくて、感覚的にもすごく納得できる感じがして、
他人に投資するというのは、最後にもうちょっと触れようと思うんですが、
順番に5個、これも短期記憶的に5個全部覚えるのは難しいと思いますが、
ちょっとずつ話していきます。
1つ目というのが、経験にお金を使いましょう。
分かりやすい話で言うと、家とか車とか買うんじゃなくて、
旅行とかにお金を使った方がいいですよっていうのが書かれている章。
例えば、高価な外食っていうのは経験を買ったことになるんですかね。
いきなりそこが核心をついた素晴らしい質問なんですけれども。
もういきなりその話に入るんですが、
ほとんどの買い物というのは、物を買ったのか経験を買ったのかという境界線が曖昧だっていうのが難しいこと。
経験を買うっていう言葉だけだったら簡単なんだけれども、
例えば本を買った場合にサンプルとして書いてあったのが、
本を書棚を美しく飾るために買ったものですよね、当然。
でもその中身を楽しむために買うんだったら経験ですよね。
本で言えば、多くの人は経験として買えると思うんですけれども、
パソコンを買った場合ってそれ物なの?経験なの?って言われたら難しいね。
今回買ったラスタさんのマイクは物なの?経験なの?物要素って強いけど、
目的はポッドキャストの音質を良くするための、良くするという体験というか、
さらに言うとこれは聞いてくれる人の体験なので他人のための投資という言い方もできるかもしれない。
間違いなくそうですね。僕だってこの収録のためだけにしかこのマイク使ってないですからね。
そうそう。やっぱり難しいのは、経験を買うという言葉は簡単なんだけど、
ほとんどのものはどう捉えるかによって大きく変わってしまう。
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逆に言えばあらゆる買い物を経験のために買ったと考えれば幸福だと考えられるんじゃないかっていうのは、
これを読んで感じた僕の仮説です。
だってね、家にお金を買ってその家でそのいい気分で過ごせる経験を買ってるとも言えるわけで。
どう使うか、物を買ったときにどう使うかが影響を与えてしまうんですね。幸福度に関して言うと。
そうですね。だから自分がどう使った気分でいるかというのがきっと大きなところで、
わかりやすい話で言うと、家とか新車とか新築住宅って住んだ瞬間に価値が2割下がる、3割下がるみたいに言われていたりして、
物って時間が経てば経つほどほとんど100%のものは劣化して価値が下がっていくんですよね。
対して言われて思ったのが、経験というものは時間を減るに従って経験の価値というものは上がってくる。
あの頃楽しかったなっていう経験って言われてみると劣化しないなと思うし、
さらに言えば嫌なことだったり辛かったことにしても、よほどの後遺症が残るようなやばい体験でない限り、むしろプラスに感じていると言えるぐらいなんですよね。
なので苦労は勝手でもしろみたいな日本語のそういうことわざというか小字成語みたいなやつでも、
確かにその経験というものはその段階では苦労はするのかもしれないけれども、経験として後から振り返ってみると意外と価値が高いものにもなり得る。
そういう意味で買い物をする時には物を買うのではなくて経験を買う、経験を買うつもりで体験するということが大事だ。
物を買う場合でもその物を通してその先にある経験を意識して買った方がいいということですね。
そうですね。だからやっぱりミニマリストとかが流行っているのにしても、やっぱり一個一個のものに愛着を持って雑な買い物をすると良くないんだろうなということだと思うんですよね。
物的な買い物ということか。なるほど。
例えば必要ないという言い方、何個も何個も無意識に買える。そういう意味ではお金持ちになって何個でも買えるということは幸せではないのかもしれない。
一回の買い物に対する幸福度は間違いなく下がるでしょうね。
そうそう。だから同じ金額を使っても同じ幸福が味わえないということになってしまうので。
あともう一つ経験に関して大事なこととして、経験の価値にかかる時間というものは全く関係がない。
例えば1年間世界一周旅行をしますという体験は1年間であることがその価値があるわけではなくて、
例え話として宇宙旅行の話が出てきたんですけど、ある夫婦が宇宙旅行が夢だったらしいんですけど旦那さんが亡くなっちゃったらしいんですよね。
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その旦那さんが亡くなった時の保険金というのが結構な金額入ってきたらしいんですが、
そのお金で2人の夢だった宇宙旅行というものに申し込みをして、宇宙旅行の体験って数分間どころか数秒間と言われてますよね。
数秒間に2000万3000万払うなんて、多くの人はそれお前バカじゃないのって言うかもしれないけど、そういうことじゃないんだと。
その3秒10秒がもちろん経験の価値は上がるんですけど、1年経っても10年経っても絶対思い出すと思うんですよね、その体験というものは。
10秒で終わったことにしても1年かけてずっとやってたことにしても、終わってみれば同じというか、
時間が長いから楽しい経験とかコスパが良いとか良い体験ができたっていうふうに考えてしまってはもったいないぞと。
なんか音楽のライブとかにもよく行ったりしていたんですが、とあるバンドは40分ぐらいでライブ終わっちゃったんですよね。
物によってはサービス精神あふれるバンドとかは2時間以上やってくれて、さらにアンコールで3曲4曲やってくれてみたいなことをやったりするんですよね。
でも今振り返ってみると、どっちが良かったって時間で評価はしていないというのは思うんですよね。
1時間20分分損したとは思わないよね、そういうライブだって別に。
これは時間を買うにも出てくる言葉なんですけど、お金と時間を時給というか単価というかそういうふうに計算してしまっては、
経験を買ったとしても経験を買ったことにならないっていうことになるのかな。
それは結構難しい問題を含んでるな、何をして経験を買ったと言えるかどうかっていうところ。
だから経験は計算できないってことやもんな、その話を引き継ぐと。
そう、だから数字で出せるものではないんですよね、間違いなく言えることは。
ちょうど次につながることでもあったりするんですが、宇宙旅行の話なんですけど、
この宇宙旅行の話で言うと、宇宙旅行が例えば来年の3月に予定されているとします。
今からやっぱもうワクワクドキドキですよね。
この楽しみの時間ということももちろん経験なので、
これは後からの、例えば先に支払うだとかご褒美にするにもつながってくることなんですが、
そういう楽しみにしておくことというものも経験だというふうに考えておく。
そうか、だから経験の質を変えというか、日常、時間の過ごし方か、違うな、時間の感じ方が変わるということよね、要するに。
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日々、例えば毎週末楽しみにしている何かがあると、そのために頑張れるだとか、それによって週末が楽しみになるだとか、
このままご褒美の話につながるんですが、毎日というかお金を使い方として、特別なものとしてご褒美に感じるようにお金を使うといいぞっていう。
ご褒美に感じるように使うか。
お金をご褒美として使うっていう言い方でもいいのかな。
自分へのご褒美でスイーツを買いましょうとかよくあって、それはちょっと安易に言葉を、ご褒美を使いすぎな気がするんですけど。
それはでもご褒美、これもだから結構言葉選びが難しい話で。
そう、これも英語の方がきっともっと伝わるとは思います。
多分そうなんだよな。
そう、突っ込んでしまうとあれなんですよね。この本も日本語で読んでいて、全般的にそういう意味で言うとちょっと日本語訳がこなれていないというか、ちょっともったいないよなっていう印象はあったりもして。
たぶんご褒美って言ったときに、知財を買って他人に威張るのもご褒美的なものの一環として捉えられてしまうんで。
でもそういうことではないね。自分に対する報酬というか。だから何やろうな、これは。
この本で言いたいことは多分わかってんだけど。
俺が感じていることで言うと、特別なものにお金を使うんだと思うんですよ。
書いてあったので、例えばどんなに楽しいと思っていることでも慣れてしまうと、そのことから同じように幸福を感じにくくなってしまって。
テレビCMすら、テレビの番組がどれだけ面白くてもCMがあった方が面白くなるぐらいのことも書いてあったり。
でもそうでしょうね、きっとそれは。
そのマッサージとかっていうのも、ずっと60分間のマッサージをお願いした場合、ずっと60分マッサージするよりも30分やって10分休憩して30分とかの方が幸福を感じやすいだとか。
これもさっきのライブの話なんかでも繋がるんですけど、ライブを見ていて楽しいと思っても絶え間なくずっと忙しい曲って体力持たないでやってられないんですよね。
やっぱそのライブが上手いミュージシャンは抑揚のつけ方も上手くて、まず最初は楽しいんで盛り上がる曲を頭に持ってきて、大体定番として真ん中はやっぱりゆっくりした曲なんですよね。
喋りとかが入っていたりして最後の方にもう1回盛り上がる曲が出てくるみたいな感じで、ずっと同じことに慣れてしまうと楽しくなくなってしまう。
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これも言われてみたらめっちゃ当たり前のことなんだけど、確かにそうだよなっていう話で。
だからこのご褒美はさっき言われたように特別感がある言葉で、毎日のご飯をリッチにするのはご褒美じゃないってことですね。だから週に1回の外食にリッチにするっていうのがご褒美になるってことですよね。
そうですね。だからその日を楽しみにして特別なものとして作り上げて、言ってみたら苦労して作った、苦労して得たものの方が幸福を感じやすいという言い方もできるのかな。
当たり前に手に入るものでは幸福にならない。
そうでしょうね、きっと。
で、1個すげー、そうなんだって思ったのが、例えばなんですけど、自分はたくさん旅をしていると感じてしまうと、それだけで旅の楽しさというのはちょっと減ってしまう。
何回も海外旅行に行っているような人は、国内旅行を楽しく感じないようになってしまう傾向がある。
格下に見てしまって、俺は旅行に慣れているから、今回の国内旅行はあんまり特別なものではないみたいなことを無意識で感じてしまうっていうのかな。
楽しむためにはいかに、これは後にもつながってくるんですけど、自分、今回の旅がいかに特別なものであるかというふうに脳を騙すことがきっと重要で。
だからある種、国内旅行に行っている人にとって、旅行に行くことそのものがルーチン化してしまってるんでしょうね。
だから、意図的に意味を組み上げようとしないというか、特別さを見出しようとしないというか、自分は旅行する人だから旅行に行くっていうようなトートロジーな感じになってるんでしょうね、きっと。
なのでそれを一回一回の旅行というものは、今回は例えば国内の近場で片道2時間くらいだったとしても、いかに物語を作り上げるかみたいな言い方でもいいんだけど、
ずっと近すぎて逆に行けなかったこういう場所でこういうことをして楽しむんだっていうことだったり、
最近で言うとあれですよね、ただホテルに旅館に行って何もしないのってもったいないみたいに思ってしまうんだけど、そうでもないんだよねっていう、
その特別な旅館に行って何もしないことが幸福なんだよねっていう、それはちょっと話がずれてしまうかもしれないけど、
そういう多様な価値観というものも出てきているし、いかにそれを特別なものにするのか。
例えばそれでもう1個出てきてへーって思ったのが、カップルの関係性はお金では改善しないが、お金で新しい体験をすることで新鮮な関係を維持することができる。
お金、これはまさに幸福なお金の使い方っていうことだと思うんですけど、
お金があることで人間関係が良くなるわけではないんだけれども、人間関係が良くなるためのお金の使い方ということをすることはできるぞと。
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例えば外食に行く場合でも、これはアメリカ的な話なんですけど、わざわざおめかししてデートに行く感じで、
その熟年カップルだとしても、そういうちょっと高いレストランに気合を入れてご飯を食べに行くという、そういうことをやらなければならないじゃないか。
そういうことというのが、価値がある幸福につながる。
まんねりダメだよってことなんですよ、要するに。
簡単な言い方をすると。
これは確かに自分も結婚して6年7年ぐらい経って、子供ができると夫婦が夫婦ではなくなるみたいな現象というのはあるんじゃないかというのは思うし、
特別な関係って長くいればいるほど当たり前になっちゃうじゃないですか、当たり前なんだけど。
それを当たり前にしてしまったら、やっぱりその幸福度が減ってしまうというのが特別な関係ではなくなってしまうっていうのはあるんではないのかなと。
あと、前回のアフタートークでも話していた、無料のゲームって幸せに幸福になれないんではないかみたいな仮説もあったりして、俺の中で。
あれは相対的に、総合値を取ると不幸になりますよね、基本的には。
ドーパミンの言い方ですると、ドーパミンしか満たされないという感じになりますね、あれは。
幸福というものが、ゲームをコスパで考えてしまったら、ただだからやっているということには、やっぱり幸福には繋がらないわけで。
来年5月発売の新しいゲームがめっちゃ楽しみなんだって、発売日を楽しみに待って、それを発売日に買ってきてプレイするっていう、その体験、そのご褒美にするという行為が幸福に繋がることで。
そうやって考えると、今の世の中、やっぱり幸福から離れる行為というものが、そこら中に隠れていてヤバい。
特に娯楽系はヤバいのではないかというのは思いますね。
確かに、それはあると思います。
経験とかの話で言うと、現代の価値観が、例えば高い車を買う、高級車を買うよりも旅行に行くみたいなのが、多くの人が価値を高く感じているような印象はあるので、そっち方面では良い傾向じゃないか、幸福の方向に向かっているのではないかと思いつつ、
ケチくさい生き方をしていると幸福になれないっていうのかな。
ゲームは無料のものしかやらない、有料のゲームは買わないだとか、安い旅行にしか行かない、お得な旅行にしか行かないみたいなことをしてしまうと、実はあまり幸福ではないのかもしれないっていうのが、この辺り見てみての結論なのかな。
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とりあえず、コスパっていう概念と幸福という概念はちょっとミスマッチですよね、きっと。
でも、それも時間効率化とかと同じような言葉な気がしてしまっていて、時間をうまく使うために効率化を目指していてはあまり良くないのではないか。
今が経験を買うとご褒美をするの話だったんですけど、次が時間を買うっていうお話で、これもタイトルだけ見たらごくごく当たり前というか一番当たり前なんじゃないかぐらいのコンテンツだと思うんですけど、結構面白いことがあって。
一番面白かった印象というのが、これもとある研究なんですけども、人はファーストフードのロゴを見るだけで節化された気分になる。
なるほど。
ファーストフードのロゴを見た場合に、それって要するに素早く食べて素早く終わらせることだよねっていうことを多分連想するんですよね。
そのことを連想してしまっただけで、人間の気分というのは少し忙しい感じを味わってしまう。
これって前回のウィルパワーで言った、例えば意思の力を高めるためには気を散らせるものというものを極力減らさないといけない環境というものを、より気を使わないといけないという話とかとつながることだとも思うんですけど。
例えばファーストフードのロゴを見るだけで節化された気分になるということは、時短できること、効率化ということを考えるだけで、時間というものをより効率的に早く使って、もっとたくさんのことをもっと早くしないといけないということを意識してしまうかもしれない。
だから循環構造というか卵と鶏問題というか、効率化したいという欲求があって、効率化しなければならないという思いがあって、その思いがさらに効率化しなければならないという欲求を高めてという感じでぐるぐる強化されてきそうですね、それ。
そう、だから油断をすると簡単にネガティブループに入っていくというか、時短時短効率化効率化。自分の話をしても、やっぱり数年前までそうだったなってすごい思うんですよね、そのことについて考えると。
ちなみにそれは多分、ネガティブループじゃなくて多分ポジティブループかな。どうでもいいけど、何かが増えていく方は、内容はネガティブやけど、ループの方向としては増えていくから。
ループの方向はポジティブですね、そうですね。
別にどうでもいいんですけど、それが一時期ライフハッカーが落ちた罠みたいな感じじゃないですか、きっと。
そう、だから時短が目的になってしまうことというのは、やっぱり一番の目的というのは、人が生きる目的は何なのかというところまで考えた時に、人は時短のために生きるわけではないって、それはきっとほとんどの人が同意してくれると思うんですよね。
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だから時短の罠というのかな、時短をして時間を空けて空いた時間で何するかっていうと、時短のために何かするでしょっていう。そういうことになっちゃうよね。
それとここに書かれていた反対の方向で、時間が効率化しなければならないってなると、要するに心がもっと急がないと急がないと、俺は時間がないんだ、もっと時間を節約しないとっていう方向に走ってしまうので、その逆のことをやろうと。
書いてあったことっていうのが、例えばなんだけど、15分間ボランティアをするだけで、人は時間に余裕があるということを感じることができるみたいなんですよね。これも仮説というか、何でなのかっていうのを考えると、要するに人のために時間を使えたということは、自分が時間に余裕があるから人のために時間を使うことができたんだと考えて、
じゃあ俺は自分は時間があるんだなと認識することができる。
おー、だからこれ認知的不協和の逆利用というやつですね。
そうですね。だから人のために時間を使ってあげたほうが、仮に時間がないとしても、それによって時間がある感じが味わうことができる。
アクセスする気分を追い払えるということですね。
多分多くの人にとって一番重要なのは、物理的に本当に時間が足りない人というのは、思ったより少ないと思うんですよ。
もちろんそういう人は絶対いるとは思うんですけど、それよりも精神的に時間が足りないと感じている人の方がはるかに多いと思っていて、
だから時間がないと思えば思うほど、人のために時間を使うということを意識することが大事なんだっていう。
でもこれは逆説的な解決方法というか、普通に生きてたのではなかなか思いつかないはずですね、それは。
そうそう、これは多分この本の中で一番素晴らしいなと思ったところなんですけど、
そうか、確かに人のために時間を使うなんてやったことないし、自分の話で言うと。
そういうことをやっている、これも子供を持つということとつながっているような気がして、
多分遺伝子に刷り込まれているんですよね、それが。
これも他人に問わせるとほとんど一緒なんだと思うんだけど、
人のために時間を使ってあげると脳を騙す。
この後にも割と自分の中でキーワードだなと思ったのが、
自分がそうだと感じるように脳を騙してやるっていうのが結構全体的な幸福なお金の使い方としてのポイントだと思っていて。
これまた脳を騙すという言い方がレトリックなんですけど、
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だからそもそも例えば忙しいと感じているというその状態そのものがある種の錯覚なわけですから、
錯覚を錯覚で上書きするということですね、要するに。
そっちのほうが言葉としてかっこいいですね。
時間が足りないと感じているのも既に錯覚しているはずなんですよね。
いろいろと時間の使い方の話は他にも、
人のために時間を使うだとか、
あとよく言われていることなんですけど、
お金をどういうことに使うかというと、
時間を短縮できるため、
この本だとUindexを改善するために使うといいぞっていうふうに言っている用語として。
Uindexとは何でしょうか。
不快な時間を過ごす量。
なるほど。
UnpleasantとかUndesirableのUらしいんですけど、
嬉しくない、望ましくない時間というものを減らすためにお金を使うといいよ。
一番わかりやすい例として出てきたのが、
通勤時間を減らすといいぞっていう話だったんですけど、
あんまり嬉しくない時間というものを短縮するためにお金を使いましょう。
例えばアメリカの古い価値観というか、
昔からあるような価値観でプール付きの家に住めたらいいなみたいなことをよく思うらしいんですけど、
現実的にプール付きの家を買おうと思ったら、
よくある街中の職場から離れた場所にしか家は買えないんですよね。
そこで無理して高いお金を払ってプール付きの家を買っても、
通勤に、今までは20分で住んでいた通勤が1時間かかるようになってしまうだとか、
さらに言うと、プール付きの家の話で言うと、プールを買ってしまったら、
実はプール付きの家って秋になると落ち葉が落っこちてきて、
それを管理するのにすげえ大変で、
じゃあ今度その管理するためにお金か時間を使わないと、
プールをきれいな状態に保つことができないよね。
プール付きの家って憧れだと思うけど、
実はこんなやばいことがあって、そうじゃなくて、
そういう残念な時間を減らすためにお金を使わないといけないんだから、
プール付きの家を買うなんて真逆なことだよねっていうふうにも言えるのかな。
当然その人がプールがめっちゃ好きでっていう場合は話は別ですよね。
でも多分それは日本でもそうだと思うんですけど、
経済発展期において国民に植え付けられた幻想だと思うんですよね。
消費幻想のために高いものを売ろうとして、
そういう物件が売られているというのはもちろん前提として、
でもプール付きの家を持つことそのものが幸福である人もいるわけです。
それは間違いない。
だからメディアとかそういうところの都合がいい、
その幻想に騙されるなっていうことなのか。
例えば自分の親族にプール付きの人を持っている人がいて、
42:01
その人の家に毎年遊びに行って楽しかったっていう、
実体験から演绎されているものだったらいいんですけど、
体験もしたことがないけど、
おそらくみんながそう考えているだろうから、
これを持つことが幸福だろうっていうような幻想に基づいた商品っていうのは、
基本的にはあまりよろしくないということですね。
だからよくある憧れは自分の価値観なのか、
植え付けられた価値観なのかっていうのをしっかり考えましょうっていうことなのかな、
それで言うと。
だから逆にそのUインデックスに、
自分にとってそのUがどういう行為なのかをまず見極める必要があるでしょうね。
例えば通勤時間を、
ポッドキャストを聞いて楽しんでいる人と比べてそれは苦痛ではないわけで。
それは上手な時間の使い方だと思うし、
実際今で言うと通勤って実は、
これコロナ前に書かれている本なので考えられていないけど、
実は結構多くの人にとってリフレッシュになっていたっていうことも
言われてたりするじゃないですか。
なのでその通勤が100%悪だとももちろん思わないし、
その自分がどう感じるかは一番大事なところですね。
だからもう2時間もかけていくなんてって思っているとしたらっていうことですかね、この場合は。
そうそう、まあそうですね。
だから結局自分で考えろっていう結論になってしまう。
このUインデックスに関して言えば、
ほとんど客観的な指標ってまずなくて、
本人がその体験をどう評価しているかということに関わってくるんで。
だから、さっき言った一般論として、
イエッツのポール付きのヒーローもちろん言えるでしょうけど、
もうちょっとだから話は深いですよね、ここは。
そうですね。
アメリカ人の価値観においてこうだっていうような書き方をもちろんしているので、
お金のね、時間の話についてなんですけど、
お金を稼ぐ人ほど時間を追われる感覚になりやすい。
うん、なんかそうやろうなという感じがしますね。
お金を稼げば稼ぐほど時間というものは、
時間あたりの単価って高いわけですよね、時給換算してしまうと。
で、それによって時間というものが自分にとってどんどん貴重なものとして感じられるようになってしまう。
これも遺伝子的な話なんですけど、
貴重なものというものはやっぱり足りないものだという認識をしてしまう。
なのでその足りないものだって感じないために、
収入が上がれば上がるほど時間の価値が上がってしまって、
その忙しく感じてしまいやすくなる。
そうか、だからこの時間を買うっていう章をパッと見ると、
その時短になるものを購入、時短グッズを買いなさいっていう風に。
結論はそう感じますよね。
感じるけど、実は違うと。
自分の時間の感じ方を緩やかにしてくれるものにお金を使いなさいということなんですね、これは。
そうですね、そしてそのコツが人のために時間を使うことだっていうのが、
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世の中全体が良くなる的な意味でもすごくいい話だなと思って。
確かに。
あと、時は金なりって感じてしまうっていうのは、
結構日常から喜びを見出せなくなる不幸な言葉だっていうような言い方もしていて。
あと、時間というものをお金に換算してしまうのは非常によろしくないらしいんですよね。
そうですね、これ実体のないものと実体のないものの交換なんで。
これは色々ミスが起こるでしょうね。
研究の詳しい内容は分からないんですけど、
それで言うと、時給労働者ってそういう意味であんまり良くないみたいで。
なるほど。
時給でお金をもらってしまうと、この時間というものはいくら相当なんだなって考えやすくなってしまって、
目の前の時間というものを楽しく感じにくくなってしまう。
そうだと思います。
あらゆる働き方とか楽しみ方に関して、時間をお金に換算してはダメだっていうのは結構重要なことで。
これも極めて普通のことなんだけど、やっぱり意識してみると結構大事なことで。
逆にその計算、タイムイコールマネー的な計算って、逆に日常に浸透しきっちゃってて、
特別に抜け出そうとしない限り、それにどっぷりはまっちゃってるところはありますよね、きっと。
そう、だから、例えば高校生とか大学生の頃とかで買い物をするときに、
これは2日分働いてお金なんだなとか、よく思ってたんですよね。
そう、あれは一番よろしくないお金の使い方というか、お金を使うときの価値観の不幸になる感じ方というのかな。
そうか。でも例えばだけど、それが苦労して買ったっていうふうに認識されるとしたら、さっきの議論を引き付けば、それは幸福な買い物になり得ると思うんですが。
コツとして、その場合でいうと、お金を意識するんじゃなくて、そのための時間というものを意識すると良いみたいなんですよ。
なるほど。
これは本編でもライブチケット、コンサートのチケットみたいな話が出てきたんですけど、
このチケットというものは1万円したっていうふうに、お金を意識して体験をしてしまうと、冷静で合理的な判断というものがされてしまって、楽しむという方向からちょっと離れたことになってしまうみたいで。
例えばコンサートに行くチケットの場合に、この日のためにどういう時間を使ったのか。チケット争奪戦で連続F5を連打して頑張ったなみたいな話だったり、ずっと前から好きだった、聞きたかった、あれがやっと聞けるんだ、お金なんて関係ないんだぜみたいなことの方がやっぱり楽しめるみたいなんですよね。
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さっきのバイト代と時間換算の話でいうと、例えばある買い物するときに自分の2時間分の労働が失われてしまうと考えると損した感じしますけど、これを買うために自分は2時間働いたんだと思うと逆にその時間が生きてくるというか、ある価値に貢献する時間の認識になってくるから、そこは真逆なんですね、きっと。
そう、すごく近いけど多分真逆なんですよね。そこがすごく面白いというか、考え方一つで簡単に幸福になれるとも言えると思うんですけど、その2日分の労働したお金がここで失われてしまうではなく、このために俺は1年間頑張ったっていう。
ベタベタだけど、漫画になるようなストーリーというのが大体幸福になれる感じもするんだけど、そういうふうに考えてしまえばいいみたいで。
そうですね、時間というのが自己意識というものと関連付けられやすい。さっきのファーストフードのロゴを見ると忙されるっていう話ともつながることなんですけど、時間のことを考えると自己意識というものに関連付けられやすくなって、お金というものを想像すると冷静で合理的なものと関連付けられやすくなる。
数字が思いつくもんね、間違いなく。
あれかな、システム1、システム2とかにも近いような直感に近いものと冷静な判断というもの。楽しむときにやっぱり冷静な判断をしていては、当然なかなか素直に楽しめないわけで、バカになって遊べた方が楽しいよね。
お金のことなんて気にしないが、実際に遊ぶときにはお金のことなんて全く頭に浮かばない方がより楽しめるはずなんですよね。
だから損しないでおこうと思っている段階で、もう損する一歩目が始まってるってことですよね。
そうです。損しないと思っておこうという段階で、その体験の損をしているってことですね。
最近そういうような体験で言うと、子供と近所に遊びに行ったときに、最近子供が遊ぶ遊びとかめっちゃ高いんですよね。
読み捨てじゃないか。屋台というか、金魚すくいみたいな遊びだったり、射的ゲームみたいな遊びだったり、1回300円とか500円とかするんですよ。
高い安いと高いよね。
時間で言うと10分で終わるんですよね。500円のものが。
まさにちょうどこの本を読み終わった直後ぐらいに確かその体験をしていて、すごく考えさせられたというか、これ俺不幸になる考え方を結構しようとしているなって思って。
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この500円があれば、例えば漫画が一冊買えるなっていうような考え方はもちろんできるし。
500円も払ったのに、5分で終わっちゃうの?とか10分で終わっちゃうの?とかっていうふうにも思えるし。
でも、そうじゃないんだっていうふうに、これは理性でそうじゃないんだって判断しただけで相当効いたんですよね。自分に。
それは面白いね。システムを上書きしたわけだね。もう1回。
そんなケチくさいことを言っていたら、遊んでたって意味がないでしょっていう。
楽しむために来ているのに、そこでお金がもったいないからとかっていう理由で楽しめなくしてしまったら一番不幸だよねっていう。
それはでもいい話というか、これシステム1とシステム2の対立で考えたときに、システム2の存在がシステム1を邪魔するっていう構図がよくあるわけですけど、
そういうときにシステム2をなくしましょうっていう言い方があるわけですよね。こういう言い方はしてないですけど、つまり考えないで感じましょうみたいなことですけど。
それって結構危なくて、使ってはいけないお金もいい体験があるからいいっていうふうになってしまいがちですから。
だからシステム2を使って、システム2の自らの手綱を外すというか、今ここは1回システム1に譲ろうみたいな考えがあると、その両方の良さが生きてくるなという感じがしましたね。
しかも言ったら、いわゆる遊園地とかそういうところで遊ぼうかねってめっちゃ高いけど、家を買うに比べたら下金になるしね、当然。
だから例えばその案で言うと、予算5000円とか1万円っていう予算を作っておいて、そのお金だったらいくらでも自由に使うって決めるだとか、
俺みたいなそういうもったいないって感じてしまうような人には?
そうなんだよ。数字とかお金の話になってくると、オーダーが関係なくなってきて、1円でも安い高いっていうのは、
例えば1000円違うっていうのと同じくらい真剣に検討してしまうようなところがあって、それが数字のまずさというか。
1円でも高かったら高いのは高いわけで、そこを買うと損してしまうような気っていうのがやっぱり数字が出てくると、そういう判断が走ってしまうんで。
だからそれを抑制する何か別の枠組みを持つというのは有効でしょうね、確かに。
そう、だからここは言ったら、この時間を買うでしょうだけでも十分な価値はあったなっていう。
人のために時間を使うっていうのと、ケチくさいことを考えるなというか、そういう感覚というか。
合理的に判断したらダメだよっていう。幸福にお金を使うときには。
でもっていう判断そのものは合理的だから、合理性の階段があるというか、経済合理定期だけの判断ではダメだよっていうことですよね、だからきっと。
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そうですね、だからやっぱり日本語でわかりやすい日本語がコスパで考えるなってことなんだと思うんですよね、言い方として。
コスパっていうのは割り算が発生して、その割り算で多分割ったらいけないものは割ってるんだよね、きっと。
そうそう、だから10分500円ではダメで。だから商売する側としては表記の仕方にいくらでも工夫ができると思って。
なるほど。
10分500円って書いたら高く感じるから、1回500円だと思うんですよね。
確かに、そりゃそうだ。
で、そのあたりで、それはあまり悪用すると本来のこの本の趣旨から外れてしまうんですが、そういうことも考えたり知っておくことに価値はあるのかなと。
あと、自分みたいなタイプの人はやっぱり他がを外すというか、意図的に他がを外せるようにしておくことはすごく重要なことなんじゃないのかなと。
それは結構幸福論の本質な気がします、それは。
で、時間を使うが主にそのぐらい。あと2つ、先に支払うと他人に投資する。先に支払うなんですけど、あんまり日本語というかニュアンスとしてはちょっと正しくないような気がして。
将来と過去について人間は同じように評価をしないというか。
それはよく言われますね。
ということです。それに関するお金の使い方の工夫というか、アメリカは特にクレジットカード文化で後払い分割払いが前提になっているので、よりこういう先に支払うという書き方がされているんだなっていう前提で読んだ方がいい部分だと思うんですけど。
例え話というか、実験結果みたいなやつで学生に何曜日が好きってアンケートをすると、日曜日よりも金曜日の方が好きらしいんですよね。
気分はわかるよね、それは。
そうそう、すごくわかるんです。でも、それを合理的という言い方が正しいのかわかんないんだけど、金曜日って授業あって、日曜日って授業ないのに、なんで金曜日の方が好きなの?っていう言い方もできるじゃないですか。
もちろんね、だから期待感の差っていうことだよね。日曜日の次は月曜日やけど、金曜日の次は土曜日っていうことやからな。
ただそんだけのことなんですけど、人間って将来というものは不確実性があるので、それを楽しみに感じるらしいんですよね。
まんまそれもまたドーパミンとつながることだと思うんですけど、今よりも未来は期待、過去よりも未来というものは期待値が高いものになりがちなので、それをうまく使ってあげるといいぞっていう話で、
テクニックとして2個ぐらい、これはいいなって出てきた話なんですけど、一つは例えば引っ越しを手伝ってっていう場合に、前日にピザをおごるんじゃなくて、終わってからピザをおごりましょうっていうテクニック。
テクニックなのかな。
テクニックっていうのかな。その例え話としてあって、だから明日引っ越しを手伝ってって言われても、明日なんかやろうと思ってるのになってみんな思ってるから、なかなかやってくんなくって、
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終わってからありがとうって言ったら、この手伝いをしてピザもらえたなら、まあいっかみたいなふうに思ってもらいやすいっていうのか。
つまり、ピザを持って明日手伝ってっていうよりも、手伝ってもらった後にピザをそっと出した方がいいということですね。
そうですね。そっちの方が、相手も幸せに感じやすいというか。
そうだろうな。だって、自分が依頼された人の立場になると、なんかピザ1枚で働かされてるような感じが多分するからね、その当日。
終わってからだと、なんかピザ1枚で働かされたではないんですよね。
それは間違いなくそうやと思う。それは確かに。
だからそれもやっぱり感覚としてはごくごく普通なことなんですよ。
ただまあそれを知っておくっていうのと、将来の、あとそれに関してで言うと、だから人間というものは、将来というものはね、なんか素晴らしいものだ、理想的なものだっていうふうに感じやすいっていう前提を踏まえて、
遠い未来を抽象的に眺めると、その人間は素晴らしいと思うことをする傾向がある。
なので、将来の自分にとって良いものというものを先払いで買っておくっていうのは良いことだっていう。
今欲しいものというものを買ってしまうんじゃなくて、将来こういうことに役立つかもしれないみたいなことだと、より良いものを買いやすくなるっていうのかな、自分にとって。
目の前のものってあまりにも誘惑が強くて、その現実的、合理的じゃない判断をやっぱりしやすくなってしまうらしいんですよね。
それは将来と過去を比較する場合に、将来の方がはるかに高く価値を感じてしまうんだけれども、将来と今目の前にあるものというものを比べると、結構今目の前にあるものの方が魅力を感じてしまう。
合理的に考えれば将来の方が良いとはわかっていても、それでも誘惑に抗うということは難しい。
なので、あらかじめ将来のものというものを先回りして、これはきっと良いものだっていうものを買っておくっていうのは良いことだっていうような話ですかね。
そこも難しいよね。自分が判断しなきゃいけないわけですからね。何を買えばいいのかは具体的に人によって違うけれども。
例えば、もの書きの仕事をしてるんやったら、実は結構辞書ってかなり重要なんですけど、辞書って今すぐ必要になりますよね。
今いらないよね、今いらないよねってなりますよね。
そうすると常に買わないってことになるんで。
将来きっとこれは良いものだ。
っていうのは間違いなくそうやから、もの書きの仕事を志したらまずお金を払う、大前を払って辞書を買うみたいな、そういうことをしておくとよろしいということですね。
あとね、この章に関して言うとやっぱりアメリカのクレジット文化が前提にあって入ってくる価値観だと思うので、正直日本人的にはそんなに、そんなになのかなっていう。
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確かに日本は先払いが当たり前というかね、それがデフォルトですからね、今のところは。
そう、もはや当たり前に近いですよね、感覚としては。
さらに分割で利子払ってなんてやってる人、普通じゃないか。
あまり一般的ではないので、あんまり飛ばしてもいいぐらいな感じはありました。
でも、目の前の欲求と将来の欲求をちゃんと比較して、将来の欲求に使った方が幸福度が高いというのは一応ね、日本でも使える考え方ですね。
そうですね、過去より未来っていうのが分かりやすい覚え方なのかなっていう感じはしましたね。
だから未来のこと、過去のことを振り返って、まあよくある過去は変わらないだとか、あと未来はそのドーパミンなので、なぜか無駄に期待をしてしまう。
それは大抵は誤りなので、そのあたりを知っておくことですかね。
最後が他人に投資をする。
これは意外と確かに言われてみるまではあんまり思わなかったけど、言われてみると確かにそうだよなっていうか。
人に投資をすると顕著に幸福度が上がるといういろんな実験があったらしく。
さっきも出てきたんですが、お金に余裕がある人だけではなく、ある程度生活が苦しい貧しい国、アフリカのどこかで調べたらしいんですけど、
人たちでも知り合いが旦那が病気になって、この薬を買うためのお金を貸してくれって言って貸してあげるっていうことをやった方が幸福感を高く感じている。
これが実は時間とすごくつながるところがあって、
さっきの時間を人のために時間を使うと、自分は人のために時間があるんだって感じられることによって、
自分はその人に使うことによって自分が時間があるというその認識を上書きする。
お金にもこれときっと同じような効果があって、
人にお金を使ってあげることで、自分は人にお金を使えるぐらいお金に余裕があるんだという認識をすることができる。
追い立てられてる感じがなくなるということだよね。
これがその幸福感を感じている一つの理由なのではないか。
もう一つは最初の宝くじの話で出てきた社会性というので、人の役に立っている感というのは、
やっぱりわかりやすく幸福に貢献するみたいなんですよね。
そのために当たり前なんだけど重要なことというのが、
例えば人から言われて無理やり人にお金を払うというのは少しも幸福にならないわけで、
お前は助けるべきだって言われて助けたら、当然そんなよりも自分から自発的にお金を支払わないと幸福になれないし、
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これもまた当たり前なんだけど、結びつきが弱い人よりも結びつきが強い人を助けた方が幸福だと感じやすい。
よりリアルに感じられるとか役に立っている感を味わえるからなのではないのかなというふうに思うんですけど。
自分のためではなくて他人のためにお金を使うっていうのは、ある人の理由がないというか要請がないじゃないですか。
そうしなくてもいいことをしているということで、多分自発性が確認できるんでしょうね、その行為によって。
逆に追い立てられている時っていうのは、何か社会的な要請に従っているような感じがあって、自発性が多分消えていくと。
だからその自発性の発揮そのものが幸福感とリンクしているというか結びついているということなんですよね。
だから自分自身が自分であることを確認するために他者が必要ということなんですね、これは。
そうでしょうね、そういうことなんでしょうね。だからやっぱり社会的な他人と関わる、お金を通じて関わるになるんだろうけど、やっぱり人と関わることで人は幸福を味わいやすい。
そりゃそう。
そりゃそう、そりゃそうなんです。
そういうので進化してきた。だからさっきの未来に希望を抱く生物だったから我々は今ここまで来ているわけですから。
これ全員がネガティブな人たちだったらすぐ滅んでると思いますけど。
だからそりゃそうなんです。本当に全部そりゃそうなんですよねっていう話ばっかりなんですよ、これもまた。
そりゃそうなんですけど、この話は2つ個人的に分岐点があって、1個は現代的な問題としてオンラインサロンとかあるじゃないですか。あれって要するに他人に貢献することにお金を使わされるわけじゃないですか。
そうそうそう、上手いんですよね。
でもそれは幸福だからいいじゃないかって言われたら反論のしようがないなって1個思ったのと、あともう1個は人間が例えば他人にお金を使ったときに幸福を感じるっていうことを1つの性質として揃えたときに、市場原理主義ってあるじゃないですか。
個人が自分の思うようにしたらうまくいくんじゃないかっていうその話で欠けてるのが多分ここなんですよね。
人間が自己利益を最大化することだけじゃないんですよね、その原理性って。他人に貢献したいという気持ちも出たって、その2つのある種逆のベクトルを持ったものが市場のプレイヤーとして行動すると市場全体が多分うまくいくっていうことだと思うんですよ。
個人の価値を最大化しよう、個人の利益を最大化しようというプレイヤーばかりが集まる市場は多分失敗するんですよ。
だからこういうふうに利他性を持ったプレイヤーとして捉えること、その捉えた上でルールを設定することで市場ってうまくいったりうまくいかなかったりするんじゃないかなというのをちょっと考えました。
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やっぱりそれで言うと、経済合理では人間は動かないという前提がみんな分かっていなかったというか、世の中が認識していなかったってことで、やっぱり数字に出ない。
例えばなんだけど、他人にお金を使うというのは自分のためだと言えるわけなんですよね。
ただそれは経済的に自分のためじゃない行動だけで、究極的には自分のために他人にお金を使っているという、何言ってるかわからない言葉になると思うんですけど。
だからさっきも言ったように強制じゃないからね。これは自分の判断でそうした方がいいと思ってやってるからやってるという意味で、自己満足というか広い意味での自己満足の一端であるけども、
しかもそれが自分の所得を減らす結果にはなるけども、最終的にその人は満足して納得してやってると。
そういう複雑な行動原理の組み合わせが一つの市場に集まると、多分いろんなものの流通とかお金やりというかがうまくいったりするんでしょうけども。
だから経済学の想定しているプレイヤーっていうのが非常に単純な行動モデルに従いすぎてるというかね、それが多分破綻する原因になるんではないかなと。
そのあたりはだから変わってきていて、面白くなっているというか、世の中全体もこの他人に投資するを広い意味で、みんなが考えているというのかな、そういうような世の中にちょっとずつ変わってきているなみたいな印象はあったりして。
社会貢献をしている企業の製品を積極的に買うみたいなことって30年前までは想像もしていなかった価値観というのかな、みたいなこともあったりしていたんだけど、それって長い目で見て、広い意味での他人のためにお金を使っていると思うんですよね。
世の中の見えない誰かだとは思うんだけど。
そういう意味で、やっぱりこれも結構みんな多くの人が分かってきている、なんとなく理解してきている現象なんだよなっていうのは思っていて。
あとはさっきの自分で選ばないといけないというのと、人との繋がりというのがすごく大事だぞっていう話もさっきの宝くじの話とかでも出てくると思うんですけど。
あとはイメージできることが大事らしいんですよね。同じようにお金を払う場合でも。
このお金というものが何に、具体的にどういうことに使われて、どういうことになったのかということが想像できるほどお金を払いやすくなるというか。
このお金25ドルを支払ってあげると、貧しい家庭にポンプを届けることができることができて、それによって一つの家族を永久に貧困から救うことができる。
そういうふうに言われると、25ドルで1家族救えるんだ。さらにそこに家族の家保写真までついてたら、確かに払うなって思うんですよね、これもまた。
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具体性ということなんでしょうけども、25ドルの寄付が南アフリカのどこかの国を救いますよと言われた。寄付もするかもしれんけど、したときに自分が得られる満足度は多分低いでしょうね。そういう大雑把な表現では。
どこまで具体的でイメージできるかが重要なのかな。それ関連で、さらに言うとその人とつながりができると、より幸福も感じやすくなるみたいで。
イメージしやすい。当然イメージしやすさは重要なんですけど、自分の関与の度合いが大きいというのかな。例えばですけど、すごい大規模なところに寄付するよりも、小規模なところに寄付した方が満足度が高いと思うんですよ。
それもきっとあれですよね、イメージしやすいってやつですよね。
で、変な話、小さい方がいいっていうのは経済合理性とは関係ないじゃないですか。ただ規模の問題ですよね。でもそうすることによってお金の流れが変わるわけじゃないですか。
分配的になっていくというか、小さい方にお金が集まって、それが小さいところが大きくなったら、今度はまた別の小さいところにお金が集まるようになるって。だからこれってその価値判断の流動性って実は全体の最適化に多分働くと思うんですよね。だから具体的にイメージしやすいところにお金が集まりやすいっていうのはね、これは面白い話だなと思います。
でね、それの話で言うと事例としてあったのが、そのとあるそういう寄付プロジェクトっていうか寄付の仕組みとしてめっちゃ選べるらしいんですよ。
学校に寄付ができるんだけど、自分の生まれ育った土地と縁がある場所とか、どういう貧困地域で困っている場所に寄付をするだとか、まず好きな条件でどの学校に送るかを選ぶことができる。
さらにその学校にどういうものを送るか、ある程度自分で選ぶことができる。例えばわかりやすいサンプルで言うと、ノートと鉛筆を送るのか、みんなにパソコンを送るのか、給食代の支援をするのか、なんかっていうことも自分で選ぶことができる。
そういうふうにすごく何でも選べるようにしてあげて、さらに選んでくれたら生徒たちには積極的にお礼の手紙を書けっていうらしいんですよね。それが一番うまくいく秘訣だって言っていて、お礼の手紙を書いて、お礼の手紙がこの寄付した側に届きますよね。寄付した相手に次にお願いすることはもう1回寄付してくれることじゃなくて、手紙を返してあげてくれっていうらしいんですよ。
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それによって、より繋がりが深くなってお金を払った側の幸福度も上がるし、満足度も上がるし、その寄付という仕組みがより多く使われる、広く使われる。目の前の寄付にとらわれないというのかな。
だから、1回あたりの寄付の金額を最大化するというよりは、その人にとって寄付っていうのがいいことなんだよって思ってもらえるようにしていきたいってことですよね、それは。
そう、それによって、結果まで書いてないんだけどもっときっとうまくいくだろうと考えているし、話を聞く限りもっとうまくいくような気がして。
うん、するでしょうね。例えばその人も他の人に寄付っていいよって多分言いやすいでしょうけど。
多分ね、その来た手紙とかは自慢すると思いますよ。
うん、多分。
なんかね、2万円寄付してあげたらこんな手紙来てねって。で、俺こんなお返事書いたらまた帰ってきたんだって言ったら、これは広まるよねって思うし。
うん、確かに。
そういう意味でも、実際その満足度って確かに、例えばその2万円だったとして、2万円どころではなかなか体験できない価値だと思うんですよね。
まあね、それはそう思います。
なので、他人に投資するということを、なかなか俺はそういうことを簡単にできるものではなかったんだけど、
いろいろ話を聞いたり考えたりすると確かに理にかなっているし、世の中が良くなるし、それが俺のためだって考えるんだったら他人に投資することは良いことだよねって合理的に判断できたというのかな。
例えば、子供と遊びに行って1回500円って高いよなって思ったことにしても、やっぱりそれによってその人たちがちゃんと儲かって、もっと上手く回るんだったら良いのかもしれないと考えることもできるし。
大体そういうもんですよね。だから、本とか音楽とか買うのも自分の満足のためでもあるし、そのアーティストに対する還元という意味もあるから、結構1回の出品って文脈が複数あるというか多重的であるというか、自分のためだけとか割り切れるもんではないですよね、これって。
まとめにちょうど繋がる話なんですけど、それってある意味で言うと経験を買っていることだと思うんですよね。
他人のために投資をするという経験を自分のために買っている。このアーティストの応援のためにCDを買ったっていうことは、もう完全にそれはもはやものではなくて経験を買ったと言えるのではないか。
まとめに書いてあったのが、要するに全ての要素は組み合わせることができて、組み合わせることというか、一つの側面単純にこれはこうだって言い切れるもんではなくて、いろんな側面を持っていて、いろんなことを組み合わせる原則を組み合わせて、よりうまく幸福につなげることができるんだぞと。
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一番目の前の今すぐできる方法として、一度自分のお金の使い方を見直してみる価値はあるんじゃないのかっていうふうに言っていて、よくある価値観で、だいたい住宅ローンと車のローンとなんかっていうのが一般的にデータで見ると資質の比率として高いらしいんですよね。
それは例えば住宅費や交通費っていうのは削りやすいもので、それを削って例えばそれを他人のために使うということをしてみてもいいのかもしれないし、できるだけ今の生活をいきなり大きく変えることというのは当然難しいので、すぐにいきなり過激なことをやれというわけではないんだけれども、
自分の使っているお金というものをちゃんと見直してみて、その上でどう分配し直すとより良いのか。無理のない範囲で幸福に持ってこれるようなお金の使い方について考えてみましょうという感じでまとめられております。
コツとして当たり前というかよくあることなんだけど記録しましょうって言ってるんですよね。時間のところでも出てきたしお金のところでも出てくるんだけど、分かってないんでちゃんと記録しようねっていう。
これはやっぱりノートの功用というか、日々記録を取らないとシステム2って活躍してくれないというか、システム2が活躍しないというよりはシステム1に引っ張られた活躍の仕方しかしないんで、ノートを取るというか記録を取ることはどの局面でも大切ですね確かに。
幸福を味わうという行為自体はシステム2を取っ払った方がいいんだけど、前準備にはやっぱシステム2が重要なんですよね。
時間とお金とどっちも記録。ちょうどこれもノートの話にやっぱりつながるんですが、意外と把握できていないのでどっちも記録しておきましょう。
最後のまとめが過激な話をしていなくて、できるだけ今の生活を犠牲にせずに、より幸福なお金の配分を考えましょうというふうに柔らかくまとめてくれていて、そういう意味でも印象は良かったですね。
ここはさっきの自発性ということが結構関わってて、他人にお金が使うのはいいというのは間違いないとして、使わなければならないみたいになるとまたねじ曲がるじゃないですか。
もちろんそれはダメですからね。自分のために他人にお金を使わないといけないですからね。
だからやっぱりその家計全体を見直して、この程度ならこっち割り振れるし割り振ろうと思える。自発的に思えるということが多分出発点なんでしょうね。
本当かどうかわかんないけどね、1割ぐらい使ってもいいみたいなニュアンスは書いてありました。
とある宗教ではそういうのありますよね。収入の1割を寄付せっていうのが決まってるっていうのはありますね。
時間の使い方なんかでも1割ぐらいはバッファーだったり自由な時間をとっておいた方がいいでもあるし、お金なんかでも1割寄付できるぐらいの使い方をするというのが大事なことなのかもしれないなっていうのも思いますね。
1:18:09
全部自分のためにっていう風にするのは、それをすることが一見幸福なように見えて実はあんまり幸福じゃないよねっていう話ですね。
だから宝くじの話が一応いろんなところとつながっていると思っていて、自分のためじゃなくて他人のためで人とのつながりのためにお金を使うというところですかね、まとめるならば。
あと今回は手書きでメモを取って読書メモも取ったりしていて、前回のアフタートークでも話してたんですけど、この手書きメモみたいなものもサポーターの人とかにはサンプルとしてお見せできるのかなということを思ったりしています。
電車とか車の絵を無意味に書く練習をしてみたり、いろいろどうやったらテキストではないグラフィカルな記録の残し方というのをできるかなっていうのはちょっと工夫していて、そのためのノートというものなどもお見せできればなと思っております。
サポーターも他人のためにお金を使うですからね、まさにこれは。
結局、いろんなものがお互いに他人に使い合っているというか、そういうものの工作によって世の中が出来上がってるんでね。
ラシタさんがサポータープランに入ってくれた人がすげー多くて、なんかこれはやらねばって思って、ブックカタリスト開放っていうのを書いたっていう話を聞いて、同じことをすげー思って、こんな入ってくれるならこれは俺はやらねばならんっていうのはやっぱすげー思っていて。
そういうものなんですね。これはゾウよというキーワードで紹介した話と結構近くて。
そうですね、もらってしまったら返さないといけないはありますね。
そういうものの一つの現れと思いますよ、こういうのを幸せお金で買うっていうこともその一端ですよね、きっと。
そうですね、そういうふうにも言えるのかもしれないですね。
はい、という感じですかね。
はい、では、感想や質問などがあれば、ハッシュタグカタカナブックカタリストをつけてツイッターでつぶやいていただけると、ゴリゴとラシタが確認して紹介します。
この収録の後には本編で語れなかったアフタートークというものを収録しています。
アフタートークはサポータープランに加入いただくとお聞きいただけるようになります。
サポータープランなどは、では限定のアフタートークだとか月に1回の読書会、ブックカタリストの台本とか読書メモの配布などの特典をいろいろ考えておりますので、気になる方は概要欄から詳細などをご確認いただければと思います。
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました。
ありがとうございます。
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