スピーカー 1
スピーカー 2
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goryugo
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倉下忠憲
スピーカー 1
だからそういう使い方じゃなくて、もっと実際に英語を使っていく人の話を聞いたりとか、自分で英作文をするっていうことをして、先ほど言った深体化につながるような英語の使い方をすることで実際に使えるようになっていくだろうと。
ここはもうなんか、当たり前といえば当たり前けど、日本の教育に慣れていると、結構そのパラダイムシフトを僕はちょっと感じましたね。
スピーカー 2
一個イメージとして難しいのが、日本にいて、読んだり聞いたりは余裕だと思うんですよね。書いたり話したりってどういうふうにこの人は使ったっていう感じなんですかね。メールとかそういうところ。
スピーカー 1
まずその仕事で使うメールっていうのが一個と、あともう一個はそのいわゆる英会話教室。1対1でやるような教室に通って、そういうとこって何も話題がなければ教科書とかを使うらしいんですけど、
そういうのを教科書が、先生が教科書を使わないように、もう自分で何か言いたいことを作文していくとか、文章を書いて持っていくとかして、これって合ってますかとかおかしくないですかっていうのをチェックしてもらうように使ってたとおっしゃってましたね。
スピーカー 2
まあ、あれか。自分が言いたいことが正しいかどうかを確認してもらうために。
スピーカー 1
実際のネイティブな人たちを利用するというか、そういう使い方をする。あともう一個は、自分が英語の本を頑張って読んだ後に書評を英語で書く。英語圏で有名なのがグッドリードやったかな。書評サイトみたいなのがあるんですけど、そこに英語で書評を書くようにすると。
そうか。
著者から返事が来たりとかして、なんかすごいハッピーになって続いていくみたいな話もあったんですけど。だから自分でアウトプットの場を作って、そこでも英語を使うようにするみたいな工夫が紹介されてました。
スピーカー 2
別にあれか。当たり前だけど自分のブログに書く必要ないですね。言われて気づいた。アマゾンレビューでもいいんですよね。
スピーカー 1
アマゾンレビューでも全然いいし、グッドリードの場合は全員英語で書いてるから英語で書いてても別におかしくはないし。おそらくそうやって他の人のレビューも英語で書かれてるから、それを読むことにさらに英語力、実際にリアルな英語力が高まっていくと。
そのSNS的なものの英語をうまく活用すればいいのか。 そうですね。例えば僕、現代的にディスコードとか英語でしか会話されてないディスコードに英語に乗り込むとか、そういうのもあるでしょうけど。
そっか、思い出した。オブシリアンの英語サイトとかに英語でぶっこんでいけばいいんですね。 そういうのを恐れずにやっていくことをすれば、必然的に英語を使わざる得なくなって、英語勤力みたいなのが高まっていくと。
結局、知識的な英語っていうのは、文法とかを知っておくと、例えば自分が発言したときに間違ってることを確かめたりとか、書かれた文章がすごい難解なときに読むときには使えるけど、確認のためでしかないんですよね、結局。
スピーカー 2
で、僕らも日本語を使うときってそうじゃないですか。まず発話しますよね。で、その後あれなんかちょっと変だったかなって修正するじゃないですか。 だから。 あの、あれかな、ちょっとちるい感じですね、みたいな用語とかも一瞬で日本中に広まって。
スピーカー 1
だから、口にできることっていう、身体化されてるってことは知識フィルターを通して作ってるわけじゃなくて、構築するわけじゃなくて、まず出てくるんですよね。で、外部の知識によってそれを確認したりとか修正したりするっていうところで、だから文法とかは学ばなくていいというよりは、階段で言うと2階なんですよね、本性のイメージで言うと。
スピーカー 2
まず、口から英語が出てくるようになる。で、英語を読むときも日本語に変換してから読むんじゃなくて、まず英語として意味が取れるようになる状況をずっと続けていくと。だから、これをしてたら絶対に英語は使えるってありますよね、そりゃ。で、逆に僕。 おそらくあれですね、向こうの人たちが覚える覚え方はそれですよね。
スピーカー 1
またその通り。ネイティブのやり方と同じやり方です。で、僕らはどうしても日本語を挟んでやってしまう。例えば英語の、英語っていう学問の試験とかも、この文章を日本語に直しなさいっていう問題が絶対あるじゃないですか。だから日本語に直す癖がついてしまう。そういうのじゃなくて、英語レベルでの日常生活することで日本語が挟まらなくなる。それがだから日本語をどんどん削ぎ取っていくっていうことですね。
で、著者はそういうのを脳内留学と呼んでるんですけど。脳内留学をして英語づけの生活を送ろうと。それを続けていけば、どこかで生き地を越えて普通に使えるようになると。
スピーカー 2
あれですね。だから目的を持ってYouTubeの英語チャンネルを見ろっていうのは十分に理にかなってるってことですよね。
スピーカー 1
で、そういう時に日本語の翻訳を極力見ないとかいうのも、だからそれですよね。そこで頼ってしまうと脳が怠けるので、理解できなくなる。
スピーカー 2
字幕をオンにしたくなる。英語の字幕をオンにするだけでもすげえ楽なんですよね。
スピーカー 1
英語の字幕は別にいいと思いますよね。それ読むときも日本語として理解。だから英語の字幕ぐらいの速度だと、日本語に変換してる時間がないんで、たぶんむしろいいと思いますけど。
あれ、日本語の字幕をオンにすると、途端に脳が怠けるので、英語のままで聞くか英語の字幕をつけるっていうことをすればいいと。
で、その知識から感覚へのシフトが2つ目のポイントで、3つ目のポイントがね、勉強において一番重要かなと思ったんですけど、その英語の学習はそれ自体が目的であり、楽しいものでなければならないのですっていう一文があって。
スピーカー 2
それ自体が目的かすればいいと。
スピーカー 1
だから、それがやるのが楽しいから英語に触れるっていう状況にする。だから、勉強のための勉強っていうのは結局続かないんですね。勉強のための勉強を1万時間続けるなんて無理なんですよ。まあ、おそらくは。
でも、自分の好きな話、番組とかを英語で聞くっていうのは、それ自体が目的になってるから、全然続けていけると。
だから、そういう学ぶっていうことを、あるいは学ぶことに付随する辛さっていうのを減らしていく。でないと1万時間続けられないと。だから、すげえはぎしりして1万時間続けるっていう勉強スタイルじゃなくて、1万時間も続けられるようなことをすればいいってことですね。
で、それを続けていく先に、日常的に使える英語にたどり着くという、この3つのポイントが、僕らが抱いている英語学習のイメージを転倒させるような内容だと思います。
スピーカー 2
できるだけ英語を使わない、あ、じゃあ日本語を使わない生活。そこがどう適応できるかですね。イメージして思ったのが。
スピーカー 1
とりあえずその日本語を間に入れる癖をやめるっていうことだよね。基本的には。
パッて見たときに、まず英語で文章が最初に浮かぶみたいなイメージになれば、あとはもうその爆発の問題ですけど。だから僕らはついつい日本語を頼ってしまうんですね。何か表現しようとするときに。
そこをどう変えていくか。それを日常レベルで英語に触れると、何か言いたいフレーズが日本語じゃなくて多分英語で思いつくようになるでしょうね。
それは結局インプットを増やすしかないんで、結局は。で、使われている実際の英文にどれだけ触れられるかっていうところがポイントで。
スピーカー 2
で、本書ではとりあえず本を読みましょうと。で、本っていいですよねって話があって。これは著者が読書好きだから言われてることではあって。
スピーカー 1
珍しいですよね。言ったら大抵テレビとか映画とかになるのに。
そういうのも紹介してもいいですけど、著者自身が英語で学習してきたっていうのと、あと小説とかは面白さで毎日読者をドライブしてくれますし、
あとレベル分けが結構あって、小学生、小学生とは言わないけど、低学年向けの読みやすい英語の本とか、レベル分けが結構されてるのもあって。
で、自分のレベルに合った教材を選びやすいというのも一つ、文章として、本で学習するメリットだと思いますが、
スピーカー 1
僕語りしそうなので、これ聞いてる人は読書が好きな方も多いでしょうから、苦手な英語に、英会話に行くよりは、読書で学べるんだったら、それに越したことはないかなと思うんですけど。
ちょっと脱線になるんですが、英語の本を読みましょうと、それで英語力をつけましょうという話があるんですけど、その中で英語の本の読み方みたいなのがあって、
最初の1年はどんな本を読んでも、その本を完全にできるとは思わないようにしましょうと。
スピーカー 1
その、文が分からないとか単語が分からないっていうところが出てきても、それは初心者から当然ですと。
で、続けていったら、その英語の学習を続けていったら、ある時急に分かるようになりますと。
だから最初のうちは、ほどほどの理解でいいと。分からん部分は飛ばしていったらいいっていう話をされてて。
で、これって結局、英語だけじゃないようなと思ったんですよ。
スピーカー 2
これ、本を読む時の、前回のやつですよね、まんま。
スピーカー 1
これだから、読んでてこの本と同じことが、あそこに詮読本に、いやいや、採読本に書かれてるなと思ったんですけど、まさにそういうことなんですね。
どれだけ飛ばせるか。で、不完全なりにもちょっとずつ意味をつかんでいくことを続けていけば、いつかちょっと分かるようになってくるっていう尺度で捉えればいいんだなと。
で、これ結局その短期間で効果を上げるノウハウって、この時間のスパンが取れないんですよね、結局。
人間語に分かるようになりますねっていう勉強法はできないわけじゃないですか、結局は。
だからその短期的に成果を求めてしまって、さっき言った感覚英語を育てられない。
いつまでだってその知識のやり取りって、非常に短期間で行えるから、バリューを手にしたいな気がするんですけど、
でも結局身についてないっていうことを、ちょっと考えさせる本だなと思います。
スピーカー 2
読書を切り口にしてしまえばいいというのは、なかなか意外と見かけない新しい感じというか。
スピーカー 1
そうですね。あと、著者が別に英語学習の専門家でもないですし、英語教育者でもなくて、一ブロガーだった人が。
もちろん、おそらく専門分野があって、そちらの方ではプロの道ですけど、
いわゆる一素人が、読書好きの一素人が翻訳レベルまで行けたっていうのも、なんか新しいですね。
スピーカー 2
そうですね。読書好きの人が、だったら読書で英語をやってやるっていう、それをやったっていうイメージなのが面白いというか良いですね。
スピーカー 1
一番続けられるものを選ばれたということで、興味が続くものっていうのでは当然ですし、
だから僕らもその方針でいけばいいんじゃないですかね。
というところが1冊目。英語は1万時間でものになるで。
2冊目なんですけど、これがね、まず、書紙からいくと、オーブン社から出てて、心を旅する数学のダビット・ベシスさんが書かれてる、ちょっと分厚めの本なんですよ。
ページ数もね、400ページ、450ページぐらいありまして、数学の学習の本であり、著者の考えを提示する本でもあるんですけど、
知られざる数学三過剰っていうのが最初に書かれてまして、数学は身体活動であると。
2番目が数学が大得意になる方法があると。3番目が偉大な数学者も、私たちも、脳は同じように動いていると。
この3つのポイントが本書を支えてまして、それを補強する内容とか、著者がどうやってその考えに至ったのかが語られてるんですけど、
一つ目のポイントですよね。数学は身体活動である。数学が大得意になる方法が存在している。
3つ目が偉大な数学者も、我々一般人も、脳は同じように働いていると。
スピーカー 2
三個目以外は全く新しい。
スピーカー 1
でも3個目も世間一般の考え方で言うと、やっぱりちょっと違うみたいですけどね。
あの人たちは違うように考えてるのではないかというイメージがあって。でも、著者は違うんだよと言って。
一つ目の数学は身体活動なんですけど、これもさっきの話と一緒なんですけど、数学を学ぶっていうのって、知識を学ぶこととか論理を学ぶことのような気がするんですよね。イメージとしては。
スピーカー 2
ひょっとしたら学校で数学をやらせてる意味の論理のためだぐらいの言い方ですよね。
スピーカー 1
それを直感を論理によって検証すると。
で、良かったら良しでいいし、悪かったらどこが違うのかを考えて、その直感そのものをフィードバックを与えてバージョンアップしていく。
そういう道のりがあるんじゃないかと。
で、まさにそれこそが数学の訓練である、数学が得意なる一つの方法であると。
それがシステム3と名付けられてるわけですね。
スピーカー 2
システム3、それが。
スピーカー 1
これがシステム3という考え方で、これは非常に後を置いてるというか、まさにそういうことだと思いますね。
スピーカー 2
スキルによってというか、学習と訓練によって身体化された直感。
スピーカー 1
だから直感っていうのは確かに当てにならないけど、実はそれがほとんどのことの思いつきのというか、問題解決の源泉で。
だから直感をそのまま使うんじゃなくて、直感を鍛えていくことで、より有能になっていくっていうビジョンが本書では示されてます。
スピーカー 2
それがあれですね、一定程度効果が出てくるんだとしたら、
その行動経済学的な資本主義の罠を回避できるようになるかもしれない。
スピーカー 1
ということも言えると思います。
これはだから結局学習と訓練の問題なのだと。
もちろんその例えば、避けがたいものはあると思いますが、サクシってあるじゃないですか。
見えないように見えてしまうとか、あれはもう避けがたいと思いますけど。
でも今自分がサクシしてるのだというのは多分理解できますし、となればその対応も変えていきますから。
さっきの計算式のような抽象外に扱うものは、恐らく訓練によってバージョンアップ、脳内だけの処理ですからバージョンアップできるでしょうし。
だから行動経済学から見られる人間ってダメだよねっていう説は、
ある時点訓練されてない人間はダメだよねっていう話に置き換えることができるし、
ということは新たな道のりを描くことは恐らくできるでしょう、これは。
スピーカー 2
たしかにな。
スピーカー 1
これは数学の話で、数学者がどう考えてるかっていう話ですけど、これはもっと広く、人間の思考っていう、
まず人間の思考において直感っていうのがめっちゃ大事で、その直感は間違ってることも多いけども、
期待できるよと定義しているところが本書の優れた魅力ですね。
スピーカー 2
たしかにな、まだ直感というレベルには届かないけれども、
いろんなバイアスみたいなものは、知識と考え方によって免れることができるようになったというか、
そういうのはあるから、それも身体化されるまで訓練しろってことなんですよね。
スピーカー 1
一回身体化された後も適切にバージョンアップしていきましょうと、学び続けていきましょう、修正し続けていきましょうと。
もうちょっと偉大な学者さんが出てきて、それたちは結構明け助けに、
ちょっとわからないんですけど、もっと詳しく説明してくれませんかってはっきり言うらしいんですよね、偉い人のように。
そういう開かれた心、自分が分かってるっていうんじゃなくて、分かってないという視点で、
自分の理解そのものをアップデートしていく姿勢っていうのが必要であろうと。
スピーカー 2
やっぱできる人ほどちゃんとそうやって素直に分からんって言えるんですね。
スピーカー 1
分からんっていうことが分かるために必要なことだということを分かってるっていうことなんでしょうけど。
本章では後半でディープラーディング的な話もちょっと触れられていて、
人間の脳の学習との近さが語られていて、そこも面白いんですけど、
概念っていうのは柔らかいよねっていう話で、これ前回の体を行くにちょっと近いんですけど、
象ってあるじゃないですか、エルファント。
スピーカー 2
はい。
スピーカー 1
で、象の鼻は長いですよね。
うん。
じゃあ、象の鼻は長いとしたとして、じゃあその短く鼻が切られた象が出てきたら、それ象じゃないのかどうかって話になりますよね。
スピーカー 2
どこでその線を引くかですね、象じゃなくなる線。
スピーカー 1
で、例えば地球上に生態している象の99%が鼻が長いから、象は鼻が長いですけど、
もし何か覚醒遺伝とかがあって、その鼻が短いことが生存に有利になっていったら、おそらく少しずつの鼻が短い象が出てきますね。
そこの後、象の鼻が長いっていう定義そのものが変わってきますよね。
うん。
だから、僕らが何かを認識している、それが象だっていうのは生物学的にというよりは、
僕らが認識しているその個体としての象っていう概念は、イリアンに固まっているものじゃなくて、
現実の出来事に整合するように毎回調整されていくものだと。
それは結局、ディープラーニング的な学習とほとんど似ているだろうと。
データが入ることによって少しずつその概念が変質していくと。
それは結局、システム3的なモードと一緒なんですよね。
スピーカー 2
学習によって直感をアップデートしていく。
スピーカー 1
だから、その学習っていうのは、象の鼻が現実的に長いものが多いか多くないかみたいな現実の出来事に合わせて、
そのシステムをちょっとずつ変えていくっていう、動的な在り方というのかな。
性的なものじゃなくて、概念とか直感っていうのを動的に捉えること。
スピーカー 1
でもそれをしないですよね、基本的には。
それは結局点数っていう差がつかないと試験にならないからなんで。
だから評価っていうものが学習内容と結びついてしまっているところにちょっといびつさがあるのやもしないですね。
スピーカー 2
まあね、そこは今度は社会化による社会の改変みたいなところを考えないといけなくなってしまうので。
スピーカー 1
たとえばその点数評価、人に点数をつける標識がどこ、源流はどこなのか、源流というか逆か、上流か。
つまり入社試験みたいなところを変えたらその残りも変わっていくのか。
逆に幼稚園が変わっても変わらへんやろうな、きっと。
結局どっかの段階で社会に適合せなあかんわけやからな。
スピーカー 2
1個は生存バイアスじゃないんだけど、そこに入った人たちは俺たちはこれをやって入ってきたから、お前たちもこれをやれって言いたくなるっていう問題はあるかな。
スピーカー 1
そうはやっぱ誰かが大なたを振るわないと変わらないでしょうね、きっと。
それこそトップダウンでないと多分変わらないかな、多分。
スピーカー 2
例えば試みの一つがそういう一芸入試みたいな、そういうやつなんでしょうね、それで言うと。
スピーカー 1
そういうのは全然いいと思う、結局。
そうやって興味が入って何をするかが問題であるから、実際試験って得利分けの話でしかないはずやのに、格付けの話になってるからね、あれ結局。
スピーカー 2
まあ、格付けは多分本能だと思うんですよね、人間の。
スピーカー 1
でもそれもバージョンアップできるかもよ。
スピーカー 2
そう、直感を変えることはできるかもしれない。
スピーカー 1
だから、おそらく格付けをゼとする文化に浸ってるからそうなってるんじゃない?
スピーカー 2
格付けをする、やっぱあれなんじゃないかな、選ぶという行為が非常に脳に負荷がかかるので、格付けは楽なんじゃないですかね。
スピーカー 1
まあ、サルの集団は確かにそういうのって重視して、それは餌を取り合わないために、無駄な争いをしないために必要だとは言いますが。
スピーカー 2
何かを買うときにどっちがいいだろうって、やっぱ、例えば、何て言うんだろうな、人参の値段が一本一本違ったら結構辛い気もするし。
スピーカー 1
いや、どうやろうな、どうやろうな。逆にだから、グラム単位で測りより?
スピーカー 2
グラムは、だからグラムという格を付けているので楽なんですよ。
スピーカー 1
うーん、ちょっと難しいな。値段を付けることは、商品の売買において値段を付けることは有効だと思う。だって、そもそもお金っていうのがそういうものだからね。
スピーカー 2
とはいえ、農産物である限り完全に均一なものは作成できず、さらに言うと今だとその都合によって形がいびつな農産物は、既に前の段階で排除されてしまっている。
スピーカー 1
そうだね。でも実際売って、そういういびつなものも別に売れるわけですよね。だから市場の都合によって省かれているだけであって。
で、例えばそういうデカボコしたものを、僕らが日常的に買ったら、買うようになったら、むしろ僕らは気にしなくなるのではないかということよね。
スピーカー 2
まあ、このんで今で言うとそういう直売系とかが増えてきているので、それで言うと価値観はアップデートされているのかもしれない。
スピーカー 1
うん、売ると思うけどな。確かに僕らはランキング大好きだけど、でも例えば僕はあんまり気にしないし、ゴリゴさんどうですか?そのものを買うときにランキング気にする?
スピーカー 2
えーと、どういう言い方をしたらいいかわからないんだけど、絶対影響は受けていると思う。
スピーカー 1
影響は受けているけど、決定的ではない気がするんだよね。参考情報の一つぐらいに落とし込めてる?落とせてるかな?
スピーカー 2
でもね、面倒なものになればなるほど、たぶんね、そのランキングとは言わないんだけど、そういうことに頼りますよね。
スピーカー 1
それはわかる。それはわかる。それは脳の情報処理としては適切だと思う。だから、でもやっぱり支配はされていないじゃないですか。行動全てが。
スピーカー 2
一応そのつもりではいる。
スピーカー 1
だからやっぱ部分的な改変っていうのは絶対できるし、それはやっぱりどっかでランキングに頼るだけではいいものを得られないなという直感の補正が生まれて、自分の行動が変わってきているからではないか説をちょっと唱えたいんやが。
スピーカー 2
まあそうだよな。社会の常識というものによって考えが凝り固まってるってことは、たぶんめっちゃありますからね。いっぱい。
スピーカー 1
僕らの身体そのものが拡張性のある概念であって、自分自身ですら変わるんだから、自分が構成している様々な概念は普通にアップデートができる。
ただし、アップデートできるって言ったって、何か新しい知識を仕入れたら変わるということじゃなくて、さっき言ったようにフィードバックを積み重ねることで少しずつ直感が変わっていくという感じだと思います。
だからそういうアップデートにどれだけ身を浸せるかでしょうね、きっと。
スピーカー 2
そうですね。あと少なくとも、全部じゃないにしろできるという可能性があった方が、何て言うんだろう、やる気になるっていうか。
スピーカー 1
それは間違いないですね。人間はそれを信じるとはもうその効果が生まれるということがあるので、変わりうると信じといた方が得ではありますね。
スピーカー 2
そうですね。そう信じてしまうと意外とできてしまうらしいですからね、人間は。
スピーカー 1
そういう信念の力は有効に活用していきたいし、ずっと変わらないよねっていうのはやっぱりちょっとだるいからね、変わっていけると感じた方が良いと思います。
これが2冊目で、最後3冊目がプログラマーの優れたプログラマーになるための認知科学に基づくアプローチということで、プログラミングの本プラス認知科学の本です。
スピーカー 2
優れたプログラマーになるための認知科学に基づくアプローチっていう、そのサブタイトルから良いですね。
スピーカー 1
そうでしょ。もうそれだけで即売なんですけどね。一応中身あまりよくわからないので、僕はこの本を手に取ったんですけど。
一応半分くらい、半分もいいんやけど、仕事上で自分で使う分くらいのプログラミングはしているので、なるべくプログラミング力っていうのをパージョンアップしたいなと思って、この本を手に取ったんですけど。
一番最初にコードをよりよく読むためにということで、コードの書き方じゃなくてコードの読み方が解説されているのが本書の最大の特徴で、
僕これまでいろんなプログラミングの解説書を読んできましたけど、最初にコードの書き方を紹介している本ってね、たぶん一冊もなかったですね。
スピーカー 2
読み方の紹介?
スピーカー 1
最初は大体変数とか指則演算とか、場合によってメモリー、Cとかいったらメモリーの話になるかもしれませんけど、
コードそのものの構造的な知識、プログラミング言語の構造的な知識から入ることが多いんですけど、
コードの読み方、書いてあるコードはこんな風に読んだらいいですよって書いてある本ってなかなかなかったんですけど、
でも実際体験として、僕、コード、プログラミングするときってほぼコードを読んでるんですね。
スピーカー 2
初心者であればあるほどそうですよね。
スピーカー 1
まずその自分が書いたコードを読まないといけないし、他の人が書いたコードを読めないとアレンジもできませんし、使うこともできませんし、
だから意味、そのコードが何をしているのかっていう意味を取るためには読まなければならないし、
その意味がわからないとコードを書き換えたりとかもできないので、全て読むにかかって、でも読むのが案外難しくて、
どうなるかっていうと、自分が何か書いたコードがあって、時間が経ったときにそのコードがもう読めないんで、
もういいか新しく書こうかみたいな無駄な再生産をいつもしてしまうんですけど、
やっぱり読む力がないからなんですね。読む力がないから無駄な書きが発生してるというのがあって、
だからとりあえずよく読めるようになった方がいいよということが最初に提示されて、
で、なぜ読めないのかと。コードを読むときに起こる困難っていうのが3つ紹介されてて、
知識不足が1つ、情報不足が2つ、処理能力の不足が3つ目で、
で、この中身説明するよりも、それぞれ長期記憶、短期記憶、ワーキングメモリーに問題があるっていう対応になって、
それを説明した方が本、ブロック語り数は多分わかりやすいと思うんですけど、
長期記憶が不足してるっていうのは、もうだから、例えば、4分が何をしてるのかがわからなかったらコードなんて読めませんよね、そりゃまあ。
最低限4はこういうことをしてるっていう長期記憶がまず必要やと。
で、例えば短期記憶で言うと、何かしら関数が定義されてると。
で、その関数はなんか見覚えはあるけど、中で何してたのかがちょっと思い出せない。
いう時が、まあ短期記憶不足。これもうできないとコードの全体がわからない。
で、最後のワーキングメモリーはそのコードがややこしすぎる。
例えば、if分が4つぐらい入れ子になってたら、もう読み解けないですよね。
これ人間の処理能力、つまりマジカルナンバープラスアルファの制約に引っかかってるような複雑なコードは読めないと。
この3つがあるから、逆にこの3つを意識してコードを書くようにすれば読めるようになるし、
そのコード不足を例えば、長期ワーキングメモリーの不足だったら、
そのコードを紙にプリントアウトして、その線でここはこれをしているっていう風にコメントをしていけば、
読む能力も上がっていくよというようなことが結構実践的なことが書かれてて。
この本だけだと思うんですけど、コーディングに関する長期記憶を高めるためにフラッシュカードを使いましょうっていう話が出てくるんですね。
これ暗記ですよね。そういえばやったことないなと思って。
これまで覚えるために真剣にやったことがないなと思って。
僕はいつもJavaScriptの即実行関数っていうのの書き方が思い出せないんですよ。
思い出せないからどうするかっていうとググるんですね。で、コピペしてるんですよ。
一生これの繰り返しなんですよね。結局。覚えようとしてないから。
本紙はそういうことがあるたびにフラッシュカードにその明点を書いて、
自分があるタイミングで思い出せる、自分に試験を出して答えられるようにしましょうっていうことが、
スピーカー 1
コードが読めるようになったら書けるのもおそらくできるようになるだろうというところで、
その辺は英語の本の話とだいぶ似てますね。
スピーカー 2
面白い。全部進退化で。さらにコーディングのアンキーカードの話はですね、
かつて読んだ、ちょっとパッと名前をアンキーできていないんですが、
そのアンキーカードを使って論文を読めるようにするっていう物理学者の人が実際にやってた方法ですね。
その人は本一冊で自分が絶対に使わんっていうコードを除いて、
全部アンキーに登録して、いわゆるバッシュコマンドみたいなやつ一通り使えるようにしたって言ってて、
自分も真似してセットとかは何個か思いつくコマンドとかをやってみたんですけど、確かに思い出せる。
スピーカー 1
思い出せるというのがポイントやね。
スピーカー 2
パッと出てくる。
スピーカー 1
コードを書くときに、あの処理がしたいっていうときにパッと出てくるっていう進退化。
これ結局直感的処理ですね。要するに論理で構成しているわけじゃなくて、
パッと思いつくっていう状態になれることが、それが分かるとか使えるというレベルで。
そのために一定の訓練というか、脳に苦労をさせない限り覚えないので、
だからやっぱり効率的な学びって全部こう近道してるようで遠回りしてるんですよね。
スピーカー 2
プログラムに関してはすげえ面白かったのが、それを問題にできるには相当理解できてないとダメなんですよね。
スピーカー 1
思う、それはそう思う。
スピーカー 2
そのSEDっていうコマンドを覚えるためには、何を暗記したらよいのか。
まずそこから考えて、分かったのはストリームエディターっていうのの省略語らしいんですよね。
スピーカー 1
そうなんや。知らんかった。
スピーカー 2
しかもエディターのEDですからね。すごい略し方でしょ。
スピーカー 1
ほんまやな。
スピーカー 2
SEDってすごい大雑把に言うと、テキストを書き換える系のもの。
ストリームをエディットするやつなんですよね。
なるほどね。
っていうことが分かった上で、あと例えばマイナスiっていう引数が何を意味するものなのか。
スピーカー 1
オプションのやつね。
スピーカー 2
iは上書き保存かな。
マイナスmっていうのが何を意味するものなのか。
確かマイナスmっていうのは正規表現を有効にするモード。
みたいなやつっていうのを自分がいるものをまず精査して、覚えておきたいなっていうやつを問題にしておくと、
少なくともその3個が今こうやって出てくるんですよね。
スピーカー 1
確かにすごいね。
スピーカー 2
そうですね、それで思い出したけど、やっぱ正規表現が書けないのって、まさにそれでね、数字を指定する場合って言われて、俺秒で出てこないんですよね。
スピーカー 1
Dやね、スラッシュD、バックスラッシュDか。
スピーカー 2
1から9とかでもいいでしょ、0から9か。
スピーカー 1
カッコつけて1から9でもどっちでも同じ動きする。Dの方が書きやすいけど、大文字のDと小文字のDで違う。
スピーカー 2
一番覚えてるのはね、やっぱり一時期めっちゃ練習したからなんだよね、俺。
スピーカー 1
練習してる。多分俺よりはるかに身体化されてるんですよね、そこは。
VSコードの検索って正規表現が使えるんで、これを入れたらどう検索結果が違ってくるのかをかなりの精度でやったから、
使えるものは全部は使えへんけど、日常的な正規表現はもう検索しなくても使えるようになったね。
最初はほんまに、こんな人間のすることではない。ずっと思ってたけどね。
読めないから、結局そう、一緒だよね。正規表現が読めないんだよね、誰かが作ったパターンが。
スピーカー 2
バックスラッシュとかがね、どこに入れたらいいかわからなくてね。
スピーカー 1
でもやっぱその、読めると書けるがね、両方に進行してきて、ある時から急に辞書引かなくても、ググらなくてもよくなったね。あれは不思議な体験。
スピーカー 2
正規表現をストレートに手で書けるとやっぱ楽ですよね。
スピーカー 1
早いよ、やっぱりそれは。
スピーカー 2
俺だってチャットGPTにしかやってもらってないもん、もはや。
スピーカー 1
日常で使う回数が少ない場合は、かけられるコスト的にそれでいいけど、テキスト扱う仕事をしてると結構正規表現使うから。
スピーカー 2
文章を書く人はね、結構バカにできないですよね、それによる便利さっていうのが。
スピーカー 1
しかもなんか、自分でデータ処理とかもするからさ、スクリプト書いて。
全部エバーノートです、みたいな人は多分いらんと思うけど、自分のローカルファイルに保存しといて、それで何とかするみたいな時って、検索するときに正規表現が使えると使えないとでは天と地の差があるから。
だからやっぱ説実性なんだよね、俺は結局のところ。
スピーカー 2
で、おそらく今が再びローカル化が帰ってきているから、そのあたりの知識も役に立つっていうところにもなってきてますからね、再び。
スピーカー 1
僕が正規表現を覚えたときにちゃんとGPDがあったら、多分覚えられてると思う。聞くもん、絶対。
だからそこの楽をどんだけ我慢できるかで脳に入る度合いが変わってくる。
スピーカー 2
さらに正規表現にしても英語にしても、あと10年もあったら本当にいらんくなるかもしれんっていう悩みもあって。
スピーカー 1
だからそうなんよね、でもどうなんやろな。
スピーカー 2
本当にはいらんくならないですけどね、そういう意味で言うと。
スピーカー 1
これ結構大きな問題につながってると思って。確かに正規表現は使えなくても困らない世界に来たときに、正規表現覚えなくてもいいよっていう話になって。
じゃあ例えば完全高性能なAI化できましたときに、人間はもう何も覚えなくていいか問題になってきて。
でも多分それは違うと思うんだよね。何が違うのかはちょっとまだ分からないけど。
例えば正規表現を覚えるという過程において、正規表現の知識とは別に何か脳の処理が変わってる気がするのだよね、予感として。
スピーカー 2
直感が身についてるんですよね、正規表現のストレートな効果で言えば。
スピーカー 1
で、その正規表現を覚えるのとは別の抽象的な機能が変わってる気がするんだよね。物事を捉えるときの視点が何か少し変化してるような気がする。
スピーカー 2
たとえば正規表現で言うと、何て言うんだろうな、文末文統の意識みたいなものは。
正規表現という存在を知っていれば、仮に5行ぐらい開けといても後から全部空白行1個にできるから、やっといていいやって思えるとか。
スピーカー 1
そういうのも確かにあるね。
スピーカー 2
そういう小さな変化はあるかもしれないですね。文末の丸は忘れてても、一番最後が鍵カッコを閉じるじゃないときなら丸を付け足すっていう正規表現を書けばいいやって思えるとか。
スピーカー 1
確かに確かに。だからそのノウハウに限らないけど、やっぱり何かを身体化するということは、ただ知識が増えるっていうことだけじゃない気がするんだよね。