なるほど
面白いですね緊張関係っていうのが
やっぱり斎門のところがうまく歌いこなせるようになりたいっていうのが
音土取りに入門したものとしては思うところですね
やっぱりそこが難しい
斎門だけは難しいわけじゃないんですけど
斎門のところはやっぱりリズムの取り方
音程の調約も激しい
それからえーいみたいな掛け声みたいなものも入る
やっぱ力の入るところですよね歌っていて
じゃあ踊っている身からすると
尺上をやってる時が斎門の
オンオフシーっていうことになる
なるほどなるほど
それは初めて知りました
豪州音団バンドやってみたり歌やってみて思うようになったのは
基本的にはバンドいらないんですよね
太鼓も補助的なもので
声の韻律でもってグルーヴを作り出していくっていう
そういう音楽
それあのエッセイでもちょっと読ませてもらって
そこをぜひお話聞きたいなと思ってたんですけど
そうなるとですね
なんでこの話したんだっけな今
斎門の流れからですね
斎門のところっていうのもそれの変化がすごく激しいところなんですよね
あーなるほど激しい
動きが前後の動きもあるし上下動も激しいし
それでグルーヴに火をつけるようなところってやっぱり斎門になるわけです
ひらぶしのところより
だからその踊り音楽としての豪州音土っていうのを考えても
斎門はすごく大事なものだと思うんですよね
それは音の音というか音であったり
声の浴用だったり
母音を重母音をバーッと出していって
それでリズムを作ったりっていうところがすごいなと思うんですね
破裂音のタとかカとかパとかっていうんじゃなくて
あーうえーの流れがある流れを作っていく
でこの浴用というかそういうのもつけて
それは歌っている音土取りさん自身がグルーヴに乗っていくというか
そうしないと
グルーヴを声で感じていないといい音土にならないんだよね
お師匠さんにもよく言われるのは
歌としてうまくてローローと歌えていっても音土としていいとは限らない
演歌的なうまさというか
巧みに拳を利かせて
歌謡曲的にうまくなっても
それは人を踊らせることができるとは限らない
だからある程度ゴツゴツしている場合もあるだろうし
あるいは流れるようになる場合もあると思うんですけれども
声の転がし方でリズムを生み出せないと
踊ってくれないよというのは
それは難しい
今ちょっと思いついたんですけど
シガのゴーシュ音土はバンドを入れたがらないというのは
やっぱり声によるグルーヴを大切に思っている
才能を大切に思っているからなんじゃないかなと思うんですね
大阪に行くと
川地音土をやっているグループがゴーシュ音土を取り上げる
バンド入りのものがすごく多い
これもこれの一つの在り方で
すごくいいのもたくさんあると思うんですけれども
シガからの電波の状況を調べていくと
やっぱり才能は欠落していく傾向があるみたいですね
難化していく
これ全部他の方の本の受け売りになりますけれども
改良節川地音土という
川地中に切り金具といわれた音土があるらしいんですけど
今の普通知られている川地音土とは別のものみたいですけど
それなんかも川地音土から才能を取り除いた
平伏音土みたいなのがベースになっている
そのゴーシュ音土崩しみたいなものから
発展していったいろんな音土群が大阪にあるみたいですね
そこでは必ずしも
シガみたいな形での才能へのこだわりみたいなものって必ずしもないですよね
代わりに老極的な要素が入ってきたりすることもあるみたいですね
そのゴーシュ音土でシガの昔ながらの
才能のグルーヴを作ることを大切にしていて
でもそれは結構難易度が高い人
難易度高い
バンドになってしまうと普通に歌って乗せられるわけですよ
グルーヴをバンドが作ってくれると
それはそれでいいものがたくさんあると思うんですけど
リズム解であったり
声がグルーヴを作るのが大事なんでギターとか邪魔になるってのがあるんですけど
今普通に習慣的に行われている演奏とは
別のタイプの音作りっていうのは本当は可能なんじゃないかと思いますね
声のグルーヴを補強するようなリズムの作り方で
アレンジであるとかあるいは音響的な工夫とか
もっといろんなことができるんじゃないかなと
それは下村さんが挑戦する
挑戦しなきゃな
もう一つは先ほども言いかけましたけど
歌の中身ですよね
いつまで経っても国貞忠字ものとか
それから江戸時代の相撲さんの恋愛譚とか
真珠ものとかっていう
それはそれでいいと思うんですけど
今もいろんな物語コンテンツが生まれているっていうのを語るっていう風にしないと
語り芸としての伝統性が失われると思うんですよね
それがこの2018年から取り組まれた
これは地域の自慢を超えたものなので
言ってみれば合唱での広告自慢とかってありますよね
名物を訴え込んだような
ああいうのに近いんですけども
物語にはなってないんです
なるほど
物語とは違うのか
そうなんです
くどきものっていう物語になっているものっていうのを
やっぱりちゃんとやっていかなきゃいけないんじゃないかな
これは今だと著作権の問題とかあると思うんですよね
というと著作権
だから例えばスターウォーズ音頭みたいなやつとか
トラサ音頭みたいなものが本当は生まれてもよかったはずなんですよ
トラサ
エヴァンゲリオンとかあってもよかったかもしれない
カワチ音頭なんかそういうことやってると思うんですけど
みんなが知っている物語で
それを落とし込む
落とし込んで
なるほど
江戸時代には多分そういうことがなされていたはずなんですよね
みんなが聞き知っている物語を音頭で語り直す
なるほど
そういう意味ですね
ですからそういうことは当然されてもいいんだろうなって気がしますね
あるいは物語として流通してなくても事件とかね
どっかの村であるやつが村人30人が命殺しにしたらしいよとか
なるほど
それから滋賀県でも山の娘っていう村であった事件みたいなもの
ゴンゴンとしたものとかありますよね
それも一種の物語なわけなんですけれども
そういった取り上げ方っていうのをして何かやっていかないと
古いネタをやり続けることだけは伝統じゃないと思うんですよね
なるほどなるほど
やっぱり駆動着物としての伝統っていうのは
物語を作り出していくことだっていう側面があると思うんで
その点ではカワチ音頭の方が圧倒的に進んでるなって思いますね
確かにいろんなのがありますよね
大回り音頭とかね
大回り1台機みたいなのすごいなって思いました
そんなんもあるんですね
そうですね
その三宝用紙今盆踊りですけども
これの音頭取りの和田文子さんは
千代の富士1台機みたいなの作られてました
それなんか本当に音頭の使い方が素晴らしいと思いますね
確かに
違いますね
そう考えると今でも何か作れそうですね
私も今団地に住んでいて団地の音頭は作れないかなとかね
それは物語にはなりにくいですけど団地の歴史みたいなものを
歌にしてみたいとか
さっきの研究のやつから始まって熊野寮音頭もあったんで
音頭の作り方みたいなものってある程度分かってきてるところがあるので
そこちょっとかいつまんで教えていただけますか
七五町で適当に何曲か出して
そこに何の譜集を入れるかっていうのを当てはめていったら
曲が組み上がるわけですよ
じゃあプロットみたいなのを出して七五町に合わせて
その森山村のやつは八幡でやったやつは
みなさんに村の誇りになっている風景とかお祭りとか
経験みたいなのを出してもらって
それを七五町に直してみましょうって
それをみんなで並べ直して歌ってみるっていうのを
何ヶ月もかけてワークショップでやったんです
っていうようなことが可能である
それも単純な繰り返しじゃないところがあるんで
結構自由度が高くて
そこが面白いところかなと思うんですね
PDFだとまたちゃんとコロナになっちゃったけど
ちゃんとやりたいって占められてたんですけど
結局やれたんですか?
その後ちょっと伺えてないんですよね
もう少しちゃんとやらなきゃいけないなと自分で話してるんですけど
歌自体はできた?
できました
地域のみなさんが歌って踊ってくださったり動画とかもありますよ
一応成果物というかそういうのはできたっていう風には書かれてはいたんですけど
どこを見ていいのかがちょっと
ちゃんとした成果物は撮影をしたんだけど
これちょっとまた別途ご案内しますよね
長岡のあさんっていうドキュメンタリー映画作家の方がいらして
その方に撮影してもらったものがあるんです
それで最後に村の人に集まってもらって
公民館の前庭でやったやつがあるんですけど
それはまだ公開できてないんですよね
新鮮な感じですね
なかなかないですね
一人温度取りの方がいてっていうのは温度ですからね
特に合宿温度だと
やっぱり都定精度というか
ゴステルみたいにできるかもしれませんね
確かに
揺れながら
声を合わせて
そうすると先ほどおっしゃってた
言葉の韻とかも揺らすことによって
生まれうる可能性が
ありますよね
うちの師匠さんなんかは体を動かすなって言いますよね
直立不動が一番いいんだ
でも私なんか動いてしまう方ですね
体を動かすとそこからエネルギーが逃げるみたいな感じもあって
声の方にそれをむしろ
揺れを乗せないといけないみたいな
これは人それぞれだと思います
合唱になった時に
その場の空気というか
そういうので
動いた方がより共鳴し合うのもあるかもしれない
これはちょっと可能性が
合唱温度もいろんな可能性があるのかなという気がしますね
カーチの温度に比べると
そこら辺の発展というか進歩というか
進歩しなくてもいいんですけどね
新たな展開が生まれてくるというのはあんまりなかったのかな
あるのかもしれないんですけれども
滋賀の合唱温度というのだけ見てると
あんまりそれは見えないのかもしれない
大阪の合唱温度も100年以上の歴史があるわけで
そっちの方でいろんな
カーチ温度と関わったりとかいろんなことがあると思うんですけど
そういったものはあえて除外してしまう部分がある
合唱温度自体はもっと幅広く捉えなきゃいけない部分もあるのかな
なるほど
滋賀の一番保守本流のものは私大好きですし
それも大事にしつつ
そこから枝分かれしていったいろんな動きというものも
否定するんじゃなくて面白がって
一緒にやっていけたらいいんじゃないのかなと思うんですね