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【後編】江州音頭の音頭取りとして入門して見えた風景とは
2026-08-04 21:48

【後編】江州音頭の音頭取りとして入門して見えた風景とは

京都芸術大学教授の下村泰史さんは、師匠について江州音頭を学び、「江州音頭フェスタinしが」で初舞台を踏んだ。途中で歌詞と節が飛ぶも、即興で立て直した経験から、音頭の難しさを実感する。東京出身の下村さんが音頭に惹かれた原点は、京北・黒田村で出会った生唄の丹波音頭だった。大原の道念音頭、盆踊りバンド「サンポーヨシ」へと活動を広げ、江州音頭が複数の短い節を自在に配列して物語を乗せる「モザイク状」の構造を持つと理解。熊野寮音頭や大津市八屋戸守山地区で、地域の記憶を歌にするワークショップにも取り組んできた。

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サマリー

江州音頭の「サイモンブシ」は、その複雑さと多様性から、江州音頭の本質を理解する上で重要な要素であると同時に、その統一化を難しくしている要因でもある。歴史的に、サイモンブシは地元の人々と芸人が協力して作られたもので、その流れを汲む要素は江州音頭の根幹をなしている。しかし、その難しさから、時代と共に省略されたり、単純化されたりする動きも存在した。戦前・戦後のレコードや、観光向けに親しみやすい江州音頭への改変、さらには1960年代の三味線導入と踊りの統一化など、様々な変遷を経てきた。 江州音頭の魅力は、声の韻律によってグルーヴを生み出す点にあり、バンド演奏とは異なる独自のアプローチが求められる。歌唱力だけでなく、声の転がし方でリズムを生み出し、聴衆を踊らせることが重要視される。現代においては、古典的な題材だけでなく、現代の物語や出来事を音頭で語り直すことで、語り芸としての伝統を維持し、発展させていくことが求められている。ワークショップなどを通じて、地域の人々が自らの物語を音頭にする試みも行われており、江州音頭の新たな可能性が探求されている。

江州音頭の「サイモンブシ」とその変遷
江州音頭の統一・確立化みたいな課題って実際あるんですよ。
私も論文というか研究ノードに書いたことあるんですけども、
江州音頭っていうのはやっぱり、反家元制みたいな感じで、
お師匠さんがいて、一生懸命練習をして身につけるっていうタイプのものは、
決して優しいものではないんですよ。
特に難しいのはどこかっていうと、
サイモンブシっていうのはどう入れて歌うかっていうと。
どんな感じなんですか、サイモンブシっていうのは。
例えばですね、実例を示すと。
じゃあこちらのでちょっとやってみましょうかね。
明後日はこの番話の皆さんへ
ここに披露の熊野武士
熊野を自慢のぬき読みで
寮生みんなで出し合った
自治寮ゆえの
ころへぬき出し歌につけまわした
とおかく時間の車では
よどりくるって聞いてくれ
そりゃよいとよい山下徳児さんのせいなんですけど
寮生みんなで出し合った
自治寮ゆえの
ころってところが岡田伏島市が違うんですね。
ちょっと違うんです。
伏島市が違うっていうのは何が違うと思う?
これもともと成立としてはですね、おそらくこの
さてはこの場の皆さんへとかここに披露の熊野武士とかっていう
スタンダードなフレーズがあって
これが平伏って言われてるパーツなんです。
これはもともとあった地元のモードルーターにもあったものだと思うんですけど
斎門武士の部分っていうのは
豪州音団が生まれた時に
地元の板前さんの歌虎っていう歌上手の人と
それから桜川ひなさんっていう流れ者の
斎門あたりの芸人の人が共同して作ったっていう
幕末あたり
斎門武士の方から流れ込んだ要素が
斎門、これもいろんなタイプがあるので
二斎門って言われてるようなフレーズがここにあってですね
その時には音団さんみんな尺錠を出して鳴らすんですよ
ありますね、そういうシーン
だから豪州音団の中では斎門っていうのはすごく
豪州音団の本質みたいな部分があるんですけども
これが難しいって言うんで
一方ではこれを省略する動きってのが常にあるんですね
例えば戦前にも
新豪州音団って銘打たれたレコードは何種類も出ていたんですけど
これなんか1番2番3番みたいな単純な形式になっていて
やっぱり斎門がない
それから戦後の民主主義の時代ってのが来るんですけど
その時にもやっぱりみんなで一緒に歌って踊れるような
簡単な豪州音団にしなければダメだ
こんな封建的な家持ち制度なんかダメみたいな
そういうことを結構左翼っぽい先生が通知を出されたことがあって
それで戦後の新豪州音団ってのが来るんです
あんまり良いものじゃないんですけど
その時に教育の方だけじゃなくて観光の方でも
親しみやすい豪州音団にしなきゃということで
今の二斎門みたいなものは残るんですけど
デレンデレレンデレンデレンデレンみたいなところは
オビットしちゃったりとか
観光系の斎門をある程度省略したものって
1960年代だったと思うんですけど
その時にシャミセンが導入されて
踊りも統一されたっていうんです
伝統的な豪州音団っていうのは
そこで一変途絶えたみたいに言われるんですけど
今でも残ってていろんな方が頑張ってるんですけど
踊りの方はかなりその時に統一されたみたいですね
60年代から70年代かな
深尾なんとかさんっていう方が書かれた
豪州音団っていう地元で出た本があって
それに新豪州新しい豪州音団の振り付けみたいなのが出てるんです
おそらくそれがそのまま使われてるんじゃないかと思うんですね
豪州音団っていうのは単純化を受ける
単純化されて斎門も失っていくっていう傾向性を常に持ってる
だけど同時に斎門がなければ豪州音団じゃないんだっていうところもあって
その緊張感がすごく面白いんですね
声のグルーヴと音楽的表現の可能性
なるほど
面白いですね緊張関係っていうのが
やっぱり斎門のところがうまく歌いこなせるようになりたいっていうのが
音土取りに入門したものとしては思うところですね
やっぱりそこが難しい
斎門だけは難しいわけじゃないんですけど
斎門のところはやっぱりリズムの取り方
音程の調約も激しい
それからえーいみたいな掛け声みたいなものも入る
やっぱ力の入るところですよね歌っていて
じゃあ踊っている身からすると
尺上をやってる時が斎門の
オンオフシーっていうことになる
なるほどなるほど
それは初めて知りました
豪州音団バンドやってみたり歌やってみて思うようになったのは
基本的にはバンドいらないんですよね
太鼓も補助的なもので
声の韻律でもってグルーヴを作り出していくっていう
そういう音楽
それあのエッセイでもちょっと読ませてもらって
そこをぜひお話聞きたいなと思ってたんですけど
そうなるとですね
なんでこの話したんだっけな今
斎門の流れからですね
斎門のところっていうのもそれの変化がすごく激しいところなんですよね
あーなるほど激しい
動きが前後の動きもあるし上下動も激しいし
それでグルーヴに火をつけるようなところってやっぱり斎門になるわけです
ひらぶしのところより
だからその踊り音楽としての豪州音土っていうのを考えても
斎門はすごく大事なものだと思うんですよね
それは音の音というか音であったり
声の浴用だったり
母音を重母音をバーッと出していって
それでリズムを作ったりっていうところがすごいなと思うんですね
破裂音のタとかカとかパとかっていうんじゃなくて
あーうえーの流れがある流れを作っていく
でこの浴用というかそういうのもつけて
それは歌っている音土取りさん自身がグルーヴに乗っていくというか
そうしないと
グルーヴを声で感じていないといい音土にならないんだよね
お師匠さんにもよく言われるのは
歌としてうまくてローローと歌えていっても音土としていいとは限らない
演歌的なうまさというか
巧みに拳を利かせて
歌謡曲的にうまくなっても
それは人を踊らせることができるとは限らない
だからある程度ゴツゴツしている場合もあるだろうし
あるいは流れるようになる場合もあると思うんですけれども
声の転がし方でリズムを生み出せないと
踊ってくれないよというのは
それは難しい
今ちょっと思いついたんですけど
シガのゴーシュ音土はバンドを入れたがらないというのは
やっぱり声によるグルーヴを大切に思っている
才能を大切に思っているからなんじゃないかなと思うんですね
大阪に行くと
川地音土をやっているグループがゴーシュ音土を取り上げる
バンド入りのものがすごく多い
これもこれの一つの在り方で
すごくいいのもたくさんあると思うんですけれども
シガからの電波の状況を調べていくと
やっぱり才能は欠落していく傾向があるみたいですね
難化していく
これ全部他の方の本の受け売りになりますけれども
改良節川地音土という
川地中に切り金具といわれた音土があるらしいんですけど
今の普通知られている川地音土とは別のものみたいですけど
それなんかも川地音土から才能を取り除いた
平伏音土みたいなのがベースになっている
そのゴーシュ音土崩しみたいなものから
発展していったいろんな音土群が大阪にあるみたいですね
そこでは必ずしも
シガみたいな形での才能へのこだわりみたいなものって必ずしもないですよね
代わりに老極的な要素が入ってきたりすることもあるみたいですね
そのゴーシュ音土でシガの昔ながらの
才能のグルーヴを作ることを大切にしていて
でもそれは結構難易度が高い人
難易度高い
バンドになってしまうと普通に歌って乗せられるわけですよ
グルーヴをバンドが作ってくれると
それはそれでいいものがたくさんあると思うんですけど
リズム解であったり
声がグルーヴを作るのが大事なんでギターとか邪魔になるってのがあるんですけど
今普通に習慣的に行われている演奏とは
別のタイプの音作りっていうのは本当は可能なんじゃないかと思いますね
声のグルーヴを補強するようなリズムの作り方で
アレンジであるとかあるいは音響的な工夫とか
もっといろんなことができるんじゃないかなと
それは下村さんが挑戦する
現代における江州音頭の物語性と地域コミュニティ
挑戦しなきゃな
もう一つは先ほども言いかけましたけど
歌の中身ですよね
いつまで経っても国貞忠字ものとか
それから江戸時代の相撲さんの恋愛譚とか
真珠ものとかっていう
それはそれでいいと思うんですけど
今もいろんな物語コンテンツが生まれているっていうのを語るっていう風にしないと
語り芸としての伝統性が失われると思うんですよね
それがこの2018年から取り組まれた
これは地域の自慢を超えたものなので
言ってみれば合唱での広告自慢とかってありますよね
名物を訴え込んだような
ああいうのに近いんですけども
物語にはなってないんです
なるほど
物語とは違うのか
そうなんです
くどきものっていう物語になっているものっていうのを
やっぱりちゃんとやっていかなきゃいけないんじゃないかな
これは今だと著作権の問題とかあると思うんですよね
というと著作権
だから例えばスターウォーズ音頭みたいなやつとか
トラサ音頭みたいなものが本当は生まれてもよかったはずなんですよ
トラサ
エヴァンゲリオンとかあってもよかったかもしれない
カワチ音頭なんかそういうことやってると思うんですけど
みんなが知っている物語で
それを落とし込む
落とし込んで
なるほど
江戸時代には多分そういうことがなされていたはずなんですよね
みんなが聞き知っている物語を音頭で語り直す
なるほど
そういう意味ですね
ですからそういうことは当然されてもいいんだろうなって気がしますね
あるいは物語として流通してなくても事件とかね
どっかの村であるやつが村人30人が命殺しにしたらしいよとか
なるほど
それから滋賀県でも山の娘っていう村であった事件みたいなもの
ゴンゴンとしたものとかありますよね
それも一種の物語なわけなんですけれども
そういった取り上げ方っていうのをして何かやっていかないと
古いネタをやり続けることだけは伝統じゃないと思うんですよね
なるほどなるほど
やっぱり駆動着物としての伝統っていうのは
物語を作り出していくことだっていう側面があると思うんで
その点ではカワチ音頭の方が圧倒的に進んでるなって思いますね
確かにいろんなのがありますよね
大回り音頭とかね
大回り1台機みたいなのすごいなって思いました
そんなんもあるんですね
そうですね
その三宝用紙今盆踊りですけども
これの音頭取りの和田文子さんは
千代の富士1台機みたいなの作られてました
それなんか本当に音頭の使い方が素晴らしいと思いますね
確かに
違いますね
そう考えると今でも何か作れそうですね
私も今団地に住んでいて団地の音頭は作れないかなとかね
それは物語にはなりにくいですけど団地の歴史みたいなものを
歌にしてみたいとか
さっきの研究のやつから始まって熊野寮音頭もあったんで
音頭の作り方みたいなものってある程度分かってきてるところがあるので
そこちょっとかいつまんで教えていただけますか
七五町で適当に何曲か出して
そこに何の譜集を入れるかっていうのを当てはめていったら
曲が組み上がるわけですよ
じゃあプロットみたいなのを出して七五町に合わせて
その森山村のやつは八幡でやったやつは
みなさんに村の誇りになっている風景とかお祭りとか
経験みたいなのを出してもらって
それを七五町に直してみましょうって
それをみんなで並べ直して歌ってみるっていうのを
何ヶ月もかけてワークショップでやったんです
っていうようなことが可能である
それも単純な繰り返しじゃないところがあるんで
結構自由度が高くて
そこが面白いところかなと思うんですね
PDFだとまたちゃんとコロナになっちゃったけど
ちゃんとやりたいって占められてたんですけど
結局やれたんですか?
その後ちょっと伺えてないんですよね
もう少しちゃんとやらなきゃいけないなと自分で話してるんですけど
歌自体はできた?
できました
地域のみなさんが歌って踊ってくださったり動画とかもありますよ
一応成果物というかそういうのはできたっていう風には書かれてはいたんですけど
どこを見ていいのかがちょっと
ちゃんとした成果物は撮影をしたんだけど
これちょっとまた別途ご案内しますよね
長岡のあさんっていうドキュメンタリー映画作家の方がいらして
その方に撮影してもらったものがあるんです
それで最後に村の人に集まってもらって
公民館の前庭でやったやつがあるんですけど
それはまだ公開できてないんですよね
新鮮な感じですね
なかなかないですね
一人温度取りの方がいてっていうのは温度ですからね
特に合宿温度だと
やっぱり都定精度というか
ゴステルみたいにできるかもしれませんね
確かに
揺れながら
声を合わせて
そうすると先ほどおっしゃってた
言葉の韻とかも揺らすことによって
生まれうる可能性が
ありますよね
うちの師匠さんなんかは体を動かすなって言いますよね
直立不動が一番いいんだ
でも私なんか動いてしまう方ですね
体を動かすとそこからエネルギーが逃げるみたいな感じもあって
声の方にそれをむしろ
揺れを乗せないといけないみたいな
これは人それぞれだと思います
合唱になった時に
その場の空気というか
そういうので
動いた方がより共鳴し合うのもあるかもしれない
これはちょっと可能性が
合唱温度もいろんな可能性があるのかなという気がしますね
カーチの温度に比べると
そこら辺の発展というか進歩というか
進歩しなくてもいいんですけどね
新たな展開が生まれてくるというのはあんまりなかったのかな
あるのかもしれないんですけれども
滋賀の合唱温度というのだけ見てると
あんまりそれは見えないのかもしれない
大阪の合唱温度も100年以上の歴史があるわけで
そっちの方でいろんな
カーチ温度と関わったりとかいろんなことがあると思うんですけど
そういったものはあえて除外してしまう部分がある
合唱温度自体はもっと幅広く捉えなきゃいけない部分もあるのかな
なるほど
滋賀の一番保守本流のものは私大好きですし
それも大事にしつつ
そこから枝分かれしていったいろんな動きというものも
否定するんじゃなくて面白がって
一緒にやっていけたらいいんじゃないのかなと思うんですね
江州音頭の楽しみ方と今後の展望
50分ぐらい経ちました
最後に何かメッセージというか
いろいろ難しいことも言ったような気がしますけど
楽しめればいいのかなと
いろんな楽しみ方が発見できるだけの
凸凹というか
多様な表面というのを合唱温度は持っていると思うので
歌にもある踊りにもある
こういうのを出し方一つにもいろんな奥行きがあるので
楽しみながら知っていっていただけたら
それから知っていっていただいて
使っていただけたらという感じです
地域コミュニティと音楽は関わっているものだと思いますので
そういうところで温度師さんと組んで
地元の歌を作ってみるとか
みんなで歌って踊ってみるとかという生かし方を
ぜひいろんなところで試していただきたいなと思います
そういう方がいらっしゃったら
ぜひお手伝いさせていただきたいと思いますので
そうですね
これを聴いて
そんなに聴いている人いるかわからないですけど
地元の合唱温度の
歌詞というか歌というか
それにちょっと興味ある方は
ぜひ下村先生に
ご連絡ください
メールアドレスか何か載せておきますので
ぜひぜひ
下村先生自身も
京都大会にぜひ
京都大会にはまだ出られないです
あれはもう何年か
いつの日か
6年かかるんじゃないかな京都大会に出るのは
もう京都大会大御所ばっかりですからね
ああそうなんですか
やっぱあれはちょっと
ちゃんとした舞台というか
そうみたいですね
なるほどなるほど
ただひとつの矢倉というわけじゃないので
駆動キモノ全編をやることはできないんですよね
やっぱり数回も
皆さん変わってきますよね
合唱温度ショーケースというかレビューという感じですね
そうですね
でも名人の技が堪能できるので
また毎年楽しみにしてます
なるほどなるほど
では今日はどうもありがとうございました
ありがとうございました
21:48

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