始まりました、おおきなかぶは抜けるのか。この番組は日常で起きた一人では消化できない些細な悩みや出来事をおおきなかぶとして、ちょっと不思議な関係の3人が、うんとこしょどっこいしょと引っ張ってみるポッドキャスト番組です。お送りするのは石橋と
大木とあゆりです。よろしくお願いします。
最近、前もちょっと話したかもなんですけど、大学の時から仲良い3人組の女の子の友達がいて、私と同い年の子のもう一人と、で、私のもう一個下の子が大木さんとゼミが一緒だった子。そうなんですよ。共通の3人組。
仲良くて、みんな社会人になってからも定期的にご飯行ったりするんですけど、なんか
激温かで、マジで。なんだろう、なんかそれぞれめっちゃ優しいっていうのもあるんですよ。自分の話でもあれですけど。自分優しいっていうのもあれですけど。で、なんか
やってることも結構違うし、それぞれちょっと違う感性が違うところもあるんですけど、なんかその中の一人の子が結構大きい決断をしたんですね。自分のキャリアにおいて。
なんかその時に、いや、あんたが選ぶんだからそれが正解だよみたいな。幸せが一番だよみたいなことを心から言い合えて。なんかやっぱ若いうちって結構何者かにならなきゃとか、
なんかそういう焦りがあったり、自分がこんなすごいことやってるんだよみたいなところになんかフォーカスが行きがちだけど、それの何段階も深い
その温かさみたいなのが流れてて、その間に3人の中に。なんか嬉しいなぁみたいな気持ちになったことがあったんですよ。先週くらいに。
すごい今私たちの中で友達っていうのが、前回のカバーに聞いていただければね。キーワードになってますから、すごく繋がるオープニングトークですよね。
そう、それで思い出して。たゆきさんと伊豆の仲間たちもいるじゃないですか。みんな8人くらい旅行に行く仲間がいるんですけど、その友達たちもなんかすごいそうだなと思って、なんかみんなそれぞれやってること違うけど、それぞれ肯定し合うみたいな文化。ナイスな文化があり。
そうなんです。だから友達はね、そう、ごめん、次行きちゃいそうになってるから、ごめん。
もう説明させてください。みなさんここカットしないで使いますからね。使います。前回の壁で厳しいフィードバックができない問題っていうのは大変思ってきて、
仕事において、仕事とか野球においてみたいな話だったけど、その中で関係性って家族恋人みたいな恋関係性と、あと仕事みたいな目的をいつにする関係性と、
もう一個友達っていう関係性があるんじゃないかみたいな、いつに対応できるよねみたいな話になって、友達って確かに厳しいフィードバックするまでもないけど、でもやっぱ人生において大事だし、なんなんだという
あの気持ちに包まれたまま前回終わり、今回は友達の話がしたいねっていう風に始まってて、
二人先走り先走りでもう早く友達の話みたいな感じになってるから、その反応がおかしいという説明でした。
これやりたいな、そろそろ我ら反省しないといけないからね、我ら二人本当に。 そうだよね。本当だよね。
大丈夫、マルチタスクが苦手だからね。 そうだよ。そうなんだよ。
いこうね。楽しいね。 石橋ちゃんいなかったらどうなるって話ですよね。本当に。
いいんだよ。友達の話しようね、みんなで。
大きな株は抜けるのか?
ではまず初めにそれぞれ持ち寄った話題、つまり株の種を発表して今日抜く株を決めていきましょう。
みんなどんな種を持ってきたというのが流れ… 友達、友達、友達、友達、友達、友達、友達の話、もう決まってるよ、もう早く早く早く。
前回本当に聞いてほしいですけどね。 株の種にするとしたら、友達という関係性について解剖したい件ですかね。
しましょう。だから前回の流れからね。
そう、友達には厳しいフィードバックするまでの責任も負わないよねというところから、友達という関係性について解剖したい件。
そうだよね。ちょっと話しましょう。
結構その概念解剖系初めてじゃないですか。なんか不思議かも。
さっきの引っ張り方から、意図もせずこういう流れになりましたけど、なんかちょっとハイライトを言うと、さっきバッシーもちょっと言ってくれたんですけど、
友達っていう関係性が、大前提前回の話は厳しいフィードバックができるかできないかで、やっぱりある程度覚悟と責任を持たないと、やっぱりそもそもフィードバックできないよねというところから始まり、
ってなった時に、友達ってその、各々その動いてる論理がそれこそ共通の目的っていうよりは、各々の人生の目的っていうもう全く別のものを軸に動いている存在で、その中で関係性を作っていくから、
その中で責任で取れようがないよねって話になったんですよ。ってなった時に、じゃあなんでその、まずそもそも友達っているんだっけとか、
友達ってそれでも、まず友達ってじゃあどういう関係性なんだとかを考えたいねってなりましたよね、さっきね。で今、今日話したい、それで持ってきたって感じです。
はい、ちょっとそうですね、話していきたい。アユリさんとかどうですか?フル回転しますもんね。
私ね、だから、あのこれ年齢を重ねたからなのか、それとも自分のそのスタイルなのかちょっとわからないんだけれど、だからちょっと2人の意見すごい聞きたいんだけど、
私の場合、だから結構その密に会う友達って変わるの。あの年齢を重ねたりして。で特に例えばわかりやすく言うと学生の時ってもうその小さなコミュニティしか知らないから、学校っていう、でそこでできていくけど、大学に入って一気に広がってその友達と関係がちょっとずつ変わるっていうか、一気にその人間関係が広がっていって。
でまたそれが社会に出て変わって、で結婚するかしないかとか、独身組とかでもちょっと分かれていくっていうか。
言いますよね。
そうそうそうそう。だから、あ、ちょっと想像しづらいかタイ君は。
いやいや、まあまあまあそうなんだろうなっていう。
ライフステージに。
子供の話をするか、独身での話をするかみたいな。
そうそう、でっていうような感じで、ライフステージって変わっていくっていうのは定説としてなんとかあるけれども、さらにやっぱりその自分のその興味があることとか、活動する場所とかが変わっていくとやっぱりそのそれに合わせて会う友達も変わっていくし、話す内容も変わっていくから、あの友達の在り方が変わっていく。
だから私の場合は、やっぱり本当に学生時代のような友達っていうのと、今の友達ってなんとなく定義が違う気がするの。
で、学生時代の友達はもうとにかく何でもしょっちゅう話して何でも共有するみたいな友達関係。
だけど、今は何か多分共鳴、出会った時に共鳴するポイントがあって、なんか別にしょっちゅう会ってなかったとしても、一瞬その共鳴したことがあるよねっていう相手として、その友達と向き合うっていうのが私の中では友達っていう感じだから、全然しょっちゅう一緒にいなくったっていいわけ。
だから2年ぶりに会ったとしても友達っていう感じになったりするんだけど、それが私の中での定義っていう感じだから、学生時代のような友達関係を友達と思ってる相手だったりすると、なんか私にとってはちょっとトゥーマッチに感じたりすることもあるみたいなことがあったりするなと。
でも一方で、僕はそれこそ学生時代の友達じゃない方の友達の定義で自分は今感じてます。
全然違う。同じ感じです。逆にそういう感覚を得てから、いろいろなことがうまくいき出した感じもあって。僕も全然重くないし、なんなら全然1年とか会わなくても大丈夫。だけどやっぱり共鳴する部分があるから、何もかも共有するっていう感覚ではないですね。
だから私の中では、自分がそういうふうにちょっとずつ友達の在り方も変わってきたっていうのもある。
今の自分の在り方になる前に会ったときの友達って、なんかちょっと友達って言いにくい感じがするのかな。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、なんていう名前、何て言ったらいいんだろう。
知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、友達って言うと離れすぎちゃうんだけど、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
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でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
でも知人って言うと離れすぎちゃうんだけど、なんか、うーん、何て言ったらいいんだろう。
感じだなーってすごい捉えました。
小さい時は難しいですからね、それをやるの。だから私はインターネットが昔から大好きだったんですけど、肉体問わず人と喋れるから。小学生くらいの時からパソコン大好きで。
チャットアプリみたいに入れて知らない人と話す。
いや価値観が、精神が合うみたいな感覚もちょっとあるんだ。
全然喋りやすいみたいなこと思いながら。肩や声をかけずり回りながら。
肉体のあれだけでずっと学生してたから。
たまたまインターネットがあったからね、私には。
いや俺にもあったはずだよ。
確かに同性恋だから早かった、インターネットに目が向くのが。
本当だね。面白いわ。
ってなった時にすごく思うのが、精神の縁が近い人と関係を結びやすくなってくると、厳しいフィードバックとか必要がなくなってくる。
なるほど。
みんな何か言う必要がなくなってくる。それぞれ頑張ってて最高だねみたいな。
確かに確かに。
私は精神ベースで見た今の友達のフェーズで、自分の苦しみを解きたいみたいな人がいるときに、そこにリソースを避けないなと思って、ちょっと遠ざかっちゃう不思議があるんですよね。
私の友達の話をしたいんですけど、マリア様みたいな友達がいて、超愛に満ちてる子なんですけど。
ベースは私とすごい似た感じというか、人幸せにしてーなみたいなのが、めっちゃ周りの友達に向く子で、周りの、すごい不思議で、周りの子のメンタルケアとかをすごいしてあげるみたいな。
なるほど。
面白い。
今の話でいうと、友達、それこそ一人の時間めっちゃ好きです。でも一方で、一人じゃできないことで、なんか友達と思い出作れるかもしれないです。
だからもう全然違うやつとやっぱいるわけじゃないですか、そこでなんかもうすごい掛け合いがあったりとか、自分だけだと絶対実現できない、なんかこのキラキラした彩りというか、
そういうのを体験できたときに、やっぱ友達って本当に大事なんだなって。もちろん友達の最初のフィルターはあるんですよ。
分かった。今すごい何が違うかって思ったときに、すごい今気づいたのは、私は友達といても自分の感覚にフォーカスしてるかも。
おもろ。
なるほど。
だから友達と一緒にいることで生まれる場はあるんだけど、それによって今こういう感覚になったとか、こういうのが見れたとか、へーみたいな。
だからそこにある意味私という軸で参加をしているから、友達がいるかいないかはあんまり関係ない。
四六時中孤独な旅人ということですね。
面白い。
言うたら一人の時にも友達みたいな感じでいろんなものを見れるってことですね。
そうそうそう。
自然なり。
楽しい人生。
そうそうそう。
現象なり。
そうそうそう。
めっちゃおもろい。
だから逆に言うと友達といても孤独なの。
面白い。それ昔からですか?
昔からだね。
へー。
だと思う。たぶんそうだと思う。
そうだと思う。
そうだと思う。
それは定義違うわ。
ねー。
バッシルと近いことがあった?2人の話で。もう中間だったり。
なんか私また別なんですよ。
別軸。
別軸で。
教えて教えて。
でもどっちかというと大輝さんより。
うん。
友達といる時間嬉しい。めっちゃ嬉しくて。
私の場合は一人でいるときの意識の働き方がもちろん自分に向いてるんだけど、そこの苦をめちゃくちゃ繊細に感じている。
言ってたね。さっきも言ってたよね。
そうそうそう。結構メンタルもめちゃくちゃ波あるし、沈んでるときもかなり多いし、結構常に苦と戦ってる感じ。内的葛藤と思って。
友達といると、猫対主人公みたいな底抜けに明るいやつもいるし、ファニーのやつもいるし。
自分という、一人でいるときは結構一人で固まってる感じ、直感。
まだ自分がそこにいるから、複数人でいてそこの場として溶け合うことによって、なんか感慨していく何かがあるぜみたいな感覚もあったり。
場に溶け合うっていう表現いいね。確かに確かに。
やっぱり一人でいるときの自分と、人とを接しているときの自分は全然違うんですよね。
人といるときは、超楽しませたい。笑わせたいみたいな感じになる。
だからフォーカスのあれが変わるんだろうね。
そうそう。ベクトルが私は変わっちゃうからこそ、友達がすごく好きだなって思う。
めちゃくちゃでもわかるわ。
面白いですね。三者三様って感じですね。
面白い。
なるほどね。
だからどっちかというと大輝さんよりだけど、大輝さんの感覚ともまたなんか違うかも。
ってなったときに、別に結論出すわけじゃないですけど、友達はどうですか?必要ですか?アイリーさんとかは。
アイリー だって、友達がいないと自分を知ることもできないなと。
なるほど。関係性の中でってことか。
それってアイリーさんのさっきの友達を定義で言うと別に友達じゃなくても良くないですか?他者じゃないですか?
そう、知り合いみたいなのでも。
アイリー そうなの。だからね、友達というか、友達をだからより共鳴する部分がどんどん重なる部分が多くなってる人っていう私の中ではイメージで。
で、友達って呼ばれる定義つけてる人といるときは、アイリーさんはその自分の感情的には本当に楽しい感情とかたくさんあるから、
友達なんだって認識できるみたいな感覚なのかな?伝わります?
アイリー 友達なんだと思ってるっていうよりかは、共有してるものが多いなみたいな感覚。
じゃあこれは友達だみたいな感じになる?
アイリー そうなんだかね、友達だとは思ってないところがあるね。本当に共有してることが多い人っていう感じかな。
だから一緒にいるという感じかな。
アイリー そうそうそうそうだね。で、むしろ友達って言っちゃうがちょっと軽く感じちゃうのかもしれない。
なるほど。
アイリー なんか存在として。
なるほど。
アイリー だから便宜上使うことはあるんだけれども、だからその共有する部分が多い人だから、友達っていう人がね。
だからより自分の感覚も開くし、自分のことを知ることもできるし、っていう風に自分がまだ触れてない感覚が空いてったり気づけたりもするから、すごく楽しいなって思ったりするね。
徹底的に内側ですね、ベクトルが。
同士とかの方が近いのかな。
アイリー 近いかもしれないね。
でもその時の同士って感じかな。
アイリー 自分の中の構成要素も変わっていきますよね。
そうそうそう。
アイリー その共通部分がどんどんつけたり増えたりして。
あくまで旅で、今この都市に一緒にいるだけみたいな感じかな。
アイリー そうそうそう。
面白いね。
でもその中で、かなり多分何年も何年もずっと一緒にいるから、しょっちゅう会ってるわけじゃなくてもね。
だから、この人はかなり深い同士なんだろうなって思う人も何人かいたりもするわけ。
それを世では親友とか言ったりするのかもしれないけど、非常に私は違和感があるから、親友っていう言葉も使わない。
アイリー 面白いな。
そうなんだ。
友達ね。
私は必要だと思うというか。
アイリー かなり必要。
かなり必要。
アイリー 嬉しいね。
嬉しい。
アイリー 嬉しい、楽しい、大好きという感じで言わせてもらってます。
そうだよね。僕もそうです。