性善説と性悪説の入門
皆さんは、性善説・性悪説どちらを支持しますか? 性善説・性悪説、生まれながらにして人はどちらの性質を持っているのかっていう考えですよね。
これ様々な意見があると思うんですけども、これらとは違う 性弱説っていう新たな考え方を示している本に最近出会ったんです。
性弱説弱いって書いて性弱説ですね。 そこで僕ハッとしたんですけど、僕たちは知らず知らずのうちに善か悪かっていう両極端に人間を
押し込めているんじゃないかな。 人間のことを簡単に善か悪かで断じることはできないってわかってるはずなのに
善と悪の狭間にあるグレーの部分を今まで考えてこなかったんじゃないかと。 だから僕たちが話すべきなのは
人は性善説的な振る舞いをするけどそれは○○な状態に限られているよねとか 性悪説的振る舞いをするけどそれって悪の心じゃなくて○○っていう性質じゃない
とかまあそういう善とか悪の様式について話した方が多分面白そうで そのモヤモヤした考えをまとめて最終的に新たな
性○○説っていう形で示すことができれば 会話としてね張り合いあって面白いんじゃないかなって思うんですよ
というわけで今日はこの新たな人としての差が 性○○説について話していきたいんですが
そもそも性善説っていう話がどこから始まったか調べたところですね 紀元前4世紀頃の思想家、孟子と隼士がそれぞれ性善説と性悪説について唱えているんですね
ただこれは世間で言われている性善説とか性悪説とはちょっとニュアンスが違ってて 孟子が唱えた性善説は
誰でも赤ん坊がね井戸に落ちそうな場面に出くわしたら 助けようとするじゃんかと
それは名誉や報酬のためではなく自然と湧き出る憐れみの心っていうものがあるからだ っていう
そんな例え話を用いてね人の心にはこういった善の心がもともと備わっているんだって 説いたんですよ
しかし孟子はですねさらにその良い心っていうのは頼りない苗木のようなものなんだから これを日々自分で大事にして成長させていかなければ
たちまち枯れ果ててしまうとも言ってるんですね だから大人になって悪事を働く者っていうのはもともと善の素質があったにもかかわらず怠けて
それを手放した者たち それはもはや人間とは呼べない救いようがない生き物なんだと
そういった意味合いがどうやらねあるようなんです 対して性悪説は同じ時代のね順子っていう哲学者が唱えていて
こちら逆に人間は利己的であるから放っておいたら欲望のまま争いや混乱を引き起こす だからこそ社会規範とか勉強でいい方向に正していかなければならないよね
っていう考え方 どっちも今使われている性善説とか性悪説っていうのとは意味合いが違ってますよね
今はもっと根はいい人みたいなどんな人でも追い詰められない限りは人は悪事を働か ないんですよっていうのが性善説だったり
その逆か性悪説って言われてるじゃないですか 無人販売場がね成立するのはみんな実は根がいいからだよ的な
性善説的考えみたいな感じで言われる今日使われてるね 性善説的とか性悪説的っていうのはそんな意味合いがあると思うんですが今回は
こっちの性善説的とか性悪説的っていう 今使われているトーンで話させていただきたいんですけど
性弱説の概念
この土俵においてじゃああのね最初に話した 性弱説って何なのか
これはキーエンスっていう大手企業の企業方針として捉えられている考え方らしいんです けど
人間っていうのは元来弱くてやすきに流れてしまいやすい だから失敗したりサボったりしても個人を責めずにそうなった環境の問題点について考える
そもそも人は弱い生き物なんだからシステムでカバーしようよっていう考え方なんですよ これ本質自体は性悪説的と同じっていうふうに言えると思うんですが
人間は本来悪であるっていうとどこか他人への攻撃性みたいな雰囲気をまといますけど 性弱説っていうと自分の内部に向けられた性質的だね
そんなニュアンスがありますよね これが僕の今日言いたい性善説的とか性悪説的っていう中のグラデーションをね
探っていくってことなんですよ 実際キーエンスは社内にかなり厳しい監視体制みたいなのを敷いてて
それを性弱説っていうお題目を持ってね くっつけていることでなんだかこう柔らかく捉えられやすいっていうか
そういう戦略をどうやら取っているようなんですね これすごいなって思って
同じことやってもねこの性弱説ってお題目はなくてめちゃめちゃ厳しい監視体制敷いてたら なんでこうね会社っての俺たちのことを信用してくれないんだって社員から不満が上がり
そうなもんですけど 最初にね人は弱い生き物なんだからみたいな
なんかそういう嘘か本当か知らないけど人っていうのは本来っていう言葉を持ってね カバーすることによって妙な説得力みたいなのが生まれてますよね
新たな視点の提案
だから実はもっと人とは生まれながらにしてこうなんじゃないかってことを掘り下げられれば この性弱説みたいにパワーを持つ言葉を生み出すことができるんじゃないかなってそう思うんですよ
他に何があるかなって人って本来こうだよねっていうのを考えた時何があるかなーって 思ったんですが
例えば性猫説 人は気ままにしか生きられない生きていると一貫性や計画性などを求められがちですけど
本質的にはその時期とか気分に応じてしか動けない生き物なんじゃないか 気分屋で結局は本能的な行動が多く見られてしまうそんな人間感
これが性猫説ですね これを使えばですね自分の一貫性の無さにがっかりしてしまった時も
でも人間って本来そういうものだよなって考え直すことができますし 他人に頼み事をするにしてもそれは猫的性質を持つ人にお願いするわけですから
どうしてやってくれないんだってもし失敗したとしてもね 不満を持ったりとかっていうタイミングもまぁだんだん少なくなってくるわけですよ
他にもね正当説逃げると書いて正当説ですね 人は逃げていく存在であると一見何かに立ち向かっているように見えますけど
その行動も裏に逃れたい事柄っていうのがあって そこから距離を取った結果何かに立ち向かっているように見えるだけであると
この考えを使えばねモチベーション上がらない時にでも行動しないと逃げられないんだよな っていう風に自分を鼓舞するも良し
逃避が目的なんだから従来のやり方にとらわれなくてもうこの目的さえ達成できればいいんだよ なって考えを柔軟にするのも良し
自分や他人の失敗を逃避っていうキーワードを持って考え直してもいい こういう風にね逃避っていう尺度を持つことでこう
あらゆる行動を違った角度で見ることができるようになるわけですよ まあとはね聖ティラノサウルス説もいいですよね
人はティラノサウルスである 活躍できるかどうかっていうのは環境に適するか適さないかってその違いでしかなくて
時代や環境さえ適合すれば僕らはいつだってね最強のティラノサウルスになれる ただ逆にそれぞれに訪れる氷河期に立ち向かうことはできないから
そこは環境を求めて移動するしかない 活躍できてない人も現代のルールに合ってないだけで本来は圧倒的なポテンシャルを
持っているのかもしれない 能力の有無じゃなくて環境適応が全てこれが聖ティラノサウルス説ですね
あとはね人って権限を求めているし権限に支配されたがっているんじゃないかと これが聖権言説ですね
はいあの 生まれながらに親にね権限を握られ会社に入ったら社長に権限を握られ
でその中で内部の組織で自分は権限を握りたがり 自由になったと思ったら
政府や銀行とかね常にどこかに権限を握られているこれストレスに感じているよう だけども僕らっていうのは常にこの権限を求めているんじゃないか
これ結構いろんな考え方があるんで聖権言説2 聖権言説3ってもしかして発生していくかもしれませんけども
あとは生前説説とかでもいいですよね みんなこう生前説を生まれながらにして信じやすいようにできている
人が善か悪かっていうのはどうでもいいんですけど 寝がいい人たちばかりだっていうふうに考える今の生前説的な考えを生まれながらに考えて
しまうこれが生前説説ですね 生まれながらに考えてしまうと思い込んでしまうと
あの生まれながらに思っているってなると生前説説説になるみたいなね そういうね
まあねこういう誰かの振る舞いとかを なんであんなことするんだって断罪する代わりに
あれは聖猫説的な動きだなって考えられたらちょっとだけ優しくなれるような気がしますので
みなさんは聖丸説これ自分自身何か考えていただければ面白いかなと思うんでぜひ はい
今日も変な話でしたご静聴ありがとうございましたたよでした