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2024-07-14 16:33

ハム太郎と死生観#3

30代男性B型はハムちゃんズを通して死生観を考える
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ハム太郎に人の生き死にのすべてが詰まっているんですけど、あの…
あの、とっとこハム太郎という可愛らしいハムスターたちのトタバタ劇をコミカルに描く作品があるんですけど、
これに登場するハムちゃん図一匹一匹を紐解いていくと、僕らの死生観を導くヒントがあるなって思ってて、
あの出し抜きにね、突然死生観の話を持ち出してびっくりされた方もいるかと思うんですけども、
近年ですね、この死ぬことや生きることについて改めて考えようというムーブメントがありまして、
どうやって死ぬかとか、死ぬとはどういうことなのかを考えることで、逆に自分の生き方みたいなものを見つめ直すことができるっていう、
そういう動きがあるんですよ。
2022年のグッドデザイン賞受賞団体の中に、定まらないおばけという死をデザインする団体があって、
で、この定まらないおばけは自分たちのことをデスデザインユニットっていうね、そういう通称を打ち立てて、
で、いろんな生き死についての考え方を打ち出してるんですけど、
今まで従来考えられてた死っていうのは、不謹慎だとかタブーであるとか、やっぱ大きく感情が動く事柄ですから、
少しなんかこうデリケートな問題として扱われていたと思うんですけど、むしろ大きな事柄だからこそ、
そういう死とかにもっとね、語って、ゆるくでもいいからどんどん語っていったりとかして、そこから学びを得たりとか、
ちゃんと真摯に向き合っていこうみたいな、そういうコンセプトでデスデザインユニットとして定まらないおばけで活動してるみたいなんですけど、
具体的な活動内容で死生間について語るスナックを期間限定で開いてみたりとか、
個人の思い出を話すボードゲームっていうかテーブルゲームみたいなのを作って、
葬儀場とかにおいて個人の思い出を語り合って、何ていうか蓋をするんじゃなくて、そこからいろいろ考えていきましょうみたいな、
そういう動きを作りましょうっていうのを推し進めてるみたいなんですよ。
そう言われてみると確かに死ぬことを考えるのって、みんな死にますから人は共通のテーマになるじゃないですか。
みんなが恐れてたりとか、いろんな考え方がそれぞれ分かれるものですから、結構面白いなと思ってて。
僕宗教とか好きなんですけど、宗教を通した死体の取り扱いとかね、それ一つとっても、キリスト教は土層で仏教は火層とかね、
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その辺は皆さん知ってると思うんですけど、ここでも大きく二つに分かれるし、
マイナーなところだとゾロアスター教って宗教があって、ゾロアスター教は超層なんですよね。
鳥に死体を食べてもらうっていう。で、その鳥が大空に羽ばたくことによって、
亡くなった方が空に近づけるようにするっていう考え方から超層が選ばれてるんですよね。
もしかしたら聞いてる人の中に、さすがに超層、鳥に食べられるのは嫌かもって思われる方もいると思うんですけど、
そうなんとなく嫌だなって気持ちが湧き上がるってことは、自分の中に何かしらの姿勢感がもうできてて、
それはね、誰かに話したりとかしたら盛り上がる話題になりうるなとか。
で、逆にゾロアスター教の人たちって火を信仰してるんで、火葬とかは絶対にタブーなんですよね。
逆に火が神聖なものなんで、死体のような穢れたものを火にくべちゃうと、火が穢れるっていう考え方から火葬はダメなんですよ。
そういうのとかね、いろんな立場で考えたら、自分がいいと思ってるものが悪かったりとかその逆もしかりで、
姿勢感をテーマにして話すのって盛り上がるって思ってたんですけど、
でもいざ、こう誰かね、じゃあ姿勢感について話しましょうって集まって話し始めたときに、
なかなか自分の姿勢感について話すのって難しいじゃないですか。
そんなね、日々いかに生きるかいかに死ぬかっていうのを考えながら生きている人なんて少数派なんで、
僕も正直ほぼ考えてないんですけど、この時にどうやってその姿勢感みたいなのを組み立てていこうかっていう、
その道しるべになるのがハムチャンズなんですよね。
ハム太郎のハムチャンズなんですよ。
ハムチャンズなんですよね。
ハムチャンズにはいろいろなハムスターがいて、
ハム太郎もいれば、大将くん、小牛くん、リボンちゃん、マフラーちゃん、メガネくん、マイドくんと、
それぞれね、いろいろな個性を持ったハムスターたちが、自分の個性をね、生かして、必死にとっとこう、生きてるわけですよ。
でもあの、ハムスターの寿命って、2年から2年半らしくて、
あのハム太郎の世界のあんなに個性豊かな面々がね、輝かしくいろんなことをしてるのって、
たったの2年か2年半で、もう終わっちゃうわけですよね。
ハム太郎たちがそれを知ってるか知らずか、それはわかんないんですけど、
2年っていう寿命の中で、何かを頑張るって、もうそれはどうやって生きるかもそうですけど、
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なんかもう、死に方を選んでるって言うんですか。
もう、さすがに僕らもね、今は平らに暮らしている、僕は暮らしているんですけど、
なんかすぐサボっちゃったりとか、なんかね、なかなか継続して何かを続けたりとかもできなくて、
なんかなーってなんだかなーっていう気持ちは、まあね、日々持ってるんですけど、
さすがに寿命が2年ってなったら、ちょっとこう、どうやって死のうかとか、
どうやって生きようかみたいなのを指標として考える気がしてるんですよね。
ここであの一つ紹介したいのが、古代ローマの詩人マリニウスって人なんですけど、
このマリニウスは死生観について、
人は生まれた途端に死に始めているって言葉を残してるらしいんですよね。
生まれた途端に死に始めてるって、もうまさにハムチャンズのことじゃんと思って、
だからこれから死生観について考える時の一番最初の取っ掛かりになるのがハムチャンズなんだってことで、
今日はね、ハムチャンズの中でも代表的なハム太郎とネムルくんについて特に話して、
で、この僕たちが持っている死生観みたいなのをブラッシュアップできればなって、
そんな話をしたいんですけど、
じゃあ早速ハムチャンズが2年という短い期間でどうやって生きているかを見ていきたいんですけど、
まずねハム太郎、主人公であるハム太郎、
ハム太郎は冒険が大好きで、
じっとすることなくね、いろんな場所を訪れたり、
ゲージから飛び出て、いろんなとこ行って、
そういう生活をしているわけですよね。
その中で地下に潜って大将くんのお家にあったりとか、
いろんなハムチャンズとね出会ったりとかしているわけですけど、
これあのたったの2年しかない貴重な寿命というか命で、
もしかしたらその何か行動を起こすことで命が危ぶまれることもね、
絶対あるはずだと思うんですよね。
でもそんな状況に遭遇するかもしれないのに、
自ら進んでいろんなことに挑戦して、
様々な経験を積んでいるハム太郎、
ハム太郎は多分生きることは経験することだと考えているんじゃないのかなと思っていて、
裏を返すと死ぬってことはこれ以上経験が積めなくなることだって、
多分ハム太郎は考えていて、
僕たちが最後にできる経験っていうのは死ぬことだと、
その最後の経験までにいかにいろんな経験を積んでいくかっていうのが生なんだって、
そう言ってるんですよね。
こういう具合でハムちゃんズ一人一人、一匹一匹を紐解いていくと、
ハム太郎の場合は経験の積み重ねがせいで、
経験こそが全てみたいな、そういう感覚。
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何かこう生きているうちに何もせずにただ過ごすんじゃなくて、
それはもう死んでいるのと一緒だから、
何か自分から進んで経験を積んでいこうって、
そういうアグレッシブに何かに参加していく気持ちっていうのが生きる力なんだって、
そう言ってるんですよね。
ここでこのハム太郎の考え方を自分に当てはめてみて、
いやどうだろうなっていう、
経験こそ全てって言うけども、
意外と何にもしてなくて、
リビングでぼーっとコーヒーとか飲んでる時の方が、
案外生きてる感じってするかもなとか、
そういうふうに考えたりとかね。
そうやって、
ハムチャンズの誰かと一緒ってわけじゃないけど、
この考え方に関してはこう思うっていうのを一つずつ作っていくと、
自分の姿勢感みたいなのを、
ハムチャンズの軸にどんどんどんどん近づいていくことができるわけですよ。
じゃあ他のハムチャンズ、眠る君ですね。
眠る君はハム太郎と対照的で、
数少ない時間を全て眠るごとにずっと寝てるんですよ。
ずっと寝てるだけのハムチャンズが眠る君。
外に出ることももうほぼないですね。ほとんどなくて、
たまに寝言みたいにムニャムニャ何かを、
心を食ったことをだいたいつぶやくんですけど、
ただそういう朝から晩までずっと寝ている眠る君。
これはおそらく姿勢感どうなのかなって考えると、
眠る君にとって死っていうのは、
あくまで生命活動が止まったことにすぎない。
心臓が動かなくなることが死であると。
生命活動がされてるかされてないかの、
ただ一点にのみ生き死にっていうのは分かれるよっていう、
無機質な見方を、ちょっと今っぽい無機質な見方をしてるのが眠る君なんですよ。
生きてることには大きな意味がなくて、
ただ心臓が動いているかどうかだけ。
生まれてきてその場所でね、
一生を終える植物っていうのがいますよね。
この植物は何も経験をしないし、
何も考えることはないかもしれないけど、
それって哀れなことなのかなって考えると、
決してそんなことはなくて、
生命をね、命を受けた場所で、
ただただそこで過ごすってことが、
尊いっていうか美しいことである。
そういうふうに考えてるんだと思うんですよね。
周りに合わせて頑張ったりとか、
誰かのために何かをしなきゃいけないとか、
そんな価値観も全くなくて、
もともと生物って、
眠っているのが自然な状態だったらしくて、
進化の過程で起きてね、
覚醒して何か行動するっていう能力を
身につけた個体もいるみたいなんですよ。
でも決してね、眠っている生物が、
眠り続けている生物が生物じゃないかと言われれば
そんなことはなくて、
起きている時に何かしなきゃいけないっていうふうに
考えている僕らは、
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ただね、そういう進化の過程で
たまたまそういう能力を獲得して
そういうふうに考えているだけなんだから、
もっと生き死にっていうのはそういうとこじゃなくて、
ただね、自分が眠りたければ眠ればいいし、
何かをしたいなら何かをすればいいっていうね。
全宇宙の中のちっちゃいタンパク質の
ただのくっつきにしか過ぎないんだから、
もうちょっと気楽に好きなように生きたらいいんじゃないっていうのが
眠る君の姿勢感なんですよね。
そういう感じで、
大昇君は野良ハムとして最後まで
誰にも従属することなく
天地を全うしたりとか、
リボンちゃんは愛についてよく考えたりとか、
こうし君はよく物を食べて、
マイド君は大金持ちになりたいとかね。
メガネ君とノッポ君は知識を集めているとか、
とんがり君は生死を考えずに生き死にとか
そういうのじゃなくて、今を楽しむ、
刹那的な生き方をしてたりとかするっていう。
もう様々な姿勢感がハムちゃん図を見ただけで、
いろんなバリエーションの姿勢感が出てくるんですよね。
最後に僕が一番共感した姿勢感を持つハムちゃん図を
紹介したいんですけど、
ちびまるちゃんっていう赤ちゃんのハムちゃん図がいて、
赤ちゃんハムスターのハムちゃん図。
ちびまるちゃんは常に黄色い布をまとっていて、
恥ずかしがり屋のハムちゃん図なんですけど、
僕もちびまるちゃんが考えてるように、
姿勢感と恥って近いところにあると思ってて、
生き死にと美的感覚っていうものが近いところにあるのかなって思ってて、
美しいものを見たりすると、
それが自分と近づくことによってというか、
その綺麗な絵を見たりとか、
自分の好きなものとかね、
美しいなって感じるようなものを見たり聞いたり、
もしくは自分がそういう行動を起こしたときって、
生き生きしてる感じっていうかね、
生きている感じがするんです。
美しいことをしているとき。
逆に美しくないことをするっていうのは、
心が沈んでくるし、
死に近づいているようなね、
大げさな言い方ですけど、
生きているって、生き生きしてるっていう気持ちよりかは、
ちょっとこう死に近づいている感じ。
もうダメだな、死にたいなって悩んじゃうときとかも、
美しくないことをしているときとか、
させられているときとか、
そういうところだと思うんですよ。
この美しくないことを恐れる気持ちっていうのは恥だと思ってて、
短い寿命の中でね、
死を恐れるのは自然な感情じゃないですか。
ちびまるちゃんもこんなに短い期間の間で、
いろんなところに恥を晒してまで生きたくないというか、
なるべく恥をかかないように生きたいっていうね。
それが生きることに、生きる方向に繋がっているっていうのは、
こういうちびまるちゃんの考え方っていうのは、
僕かなり共感できて、
ハムちゃん図の中で一番共感できるのはちびまるちゃんですね。
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まあ、あの、そういう、
そういう感じで皆さんもね、
お好きなハムちゃん図を見つけて、
手軽にね、あの、死生化について考えていただければ、
こう、楽しくなるんじゃないかなと思って、
今日はそんな話をしました。
もしね、あの、ハム太郎あまり知らなくて、
ハムちゃん図もあんま分かんないよって人がいたら、
ゲームボーイカラーで発売された、
ハム太郎2 ハムちゃん図大集合でちゅっていう紙芸があって、
あの、86個のハム語っていうのを集めて、
ハム語辞書をハム語辞典にするっていうね、
そういうゲームがあって、
これ遊ぶだけで、ハムちゃん図のこともたくさん知れてね、
結果死生化について深く掘り下げることができると思うんで、
もしハム太郎について知りたいって思う方がいたら、
まあアニメを見るか、
ハム太郎2 ハムちゃん図大集合でちゅを、
ぜひゲームボーイカラーと一緒に購入してもらって、
遊んでもらえればなと思います。
最後まで謎を真面目トーンで来てしまったんですけど、
ね、はい、そういう感じです。
じゃああの皆さん、
今日もこんな変な話聞いていただきありがとうございました。
たやまでした。
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